2006-09-01

それでは・・・

やはり出発時間が近づいて来るにつれて、
忙しさが加速度的に進んできていますので、
更新はできませんでした。

3日間、コンピューターなしとまではいきませんが、
更新はできないと思いますので、
次の更新は月曜日。

水曜日からは子ども達の学校、
末娘の学校の入学がトラブっていて、
火曜日が正念場。粘り強い交渉をしなければいけません。

がんばろっと。

では月曜日に。

主の前に座り込んで

テストが失敗に終わった今、
どうしようかなあ、と考えていますが、
一番簡単なのは、明日の昼頃に次の更新、
そして「次の更新は月曜日ですよ」宣言ですよね。

そうするかもしれません。
それが一番簡単。

あとの可能性は写真と英語のみ。ですね。

とにかく楽しみ楽しみです。

主がどんなことをしてくださるか、主がどのように私を取り扱ってくださるか、
楽しみに待ち望んでいます。

今日読んだのはルカによる福音書10章でした。
「良きサマリヤ人」の話と「マルタとマリヤ」の話が続けて出てきます。

その中で、やはりあとの方の「マルタとマリヤ」の話が心に留りました。

忙しく働き回っていたマルタ。
イエスの足元に座り込んでいたマリヤ。

普通だったら、マリヤの方が責められて、
マルタの方がほめられるのだと思います。

でも、イエスはそうなさらなかった。

マリヤが座り込んで御言葉を聞いていたこと、
そのことを喜ばれた。
そして、マルタをも招かれた。
心がいっぱいになってしまうことがある。
心がいろんなことでいっぱいになってしまうことがある。
心が乱れてしまったり、「あの人はどうなんですか?」と人のことが気になってしまうことがある。

だから、主の前にひざまずいて、主の前に座り込んで、出ることの大切さを思わされる。
いつもいつも私と主との関係が中心。
私と神さまの関係が大切。

そこから人との関係が作られていく。

忙しいからこそ、主の前に出る。

言葉だけじゃなくて、ほんとうにそんな歩みをさせて頂きたいと思いました。

主よ、
どうかあなたとの生きた関係の中に生かしてください。
わたしの言葉が、私の態度が、
どんな瞬間も、
特に私のことを一番知っている家族の中で、
あなたの命に満ちたものとなりますように。
あなたの命の水に満ちたものとなりますように。

2006-08-31

うまくいったね

テストうまくいきました。
文字化けするかなあ、とちょっと心配しましたが、
大丈夫みたいですね。

どういう方法だったかはまた今度ゆっくり書きます。
これで明日からも続けて更新できますね。
長い文章は無理かな、と思いますが・・・。


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2006-08-30

聞け!


今日はやっと雨が止みましたが、
「カラッ」とはいかなかったですね。残念ながら・・・。

明日は今日よりももう少し良くなるでしょう。
でも、南からアーネスト君が接近中。
今日フロリダ南端に上陸して、夜にはフロリダ半島の東海岸に抜けました。

これは夜の12時前のフロリダ州東岸
Melbourneというところにあるレーダーですが、丸いところあたりが中心です。

発達していくと、中心の周りに「eye wall」というのができて、「台風の目」ならぬ、「ハリケーンの目」ができるのですが、今のところは北側に雨雲がありません。

ハリケーンにまで発達することはないと思います。

でも、とにかく雨。

土曜日は雨になりそうです。
そして、北の方にある高気圧が強くて、いく手を阻まれて、
あまり早く進まない可能性があります。
そして、雨がたいしたことなかったとしても、東風が強く吹くと思います。

ですから、ファミリーキャンプは東向きの海岸のホテルなので、
結構荒れ模様かなあ。

でも、天気はわかりません。
心から、東にそれて欲しいと思います。

今日の聖書はルカによる福音書9章です。
9章も長くていろんなことが出てきます。
一つ一つ大切な話なのですが、
今日心に留ったのは、
イエスの姿が輝く姿に変わって、旧約聖書の時代のモーセとエリヤと3人で語り合っている姿が見えた時に、ペテロが訳のわからないことを言ったこと、そして、そこに天から声があって、「彼の言うことを聞きなさい」と言われたことです。

私たちはどれほど「聞いている」でしょうか?

友との語り合いの中でも、どれほど友の心の声に耳を傾けているでしょうか?

そして、何よりも、祈りの中でも、神に聞いているでしょうか?

自分が話すことがいっぱいあって、
そして、時には神さまに押しつけてしまうようなこともあって、
本当にどこまで主に「聞いている」だろうかと思わされました。

「聞け!」と主が言われているように感じました。

旧約聖書の幼いサムエルの言葉を思い出します。

「しもべは聞きます。主よ、お語りください。」

主よ、

私も聞きます。
あなたが「聞け」と言ってくださっているから、感謝します。
あなたがそういってくださらないと、私はずっと自分の話をあなたに聞いてもらっているでしょう。
あなたの導きに聞く者でありますように。あなたの語りかけに聞く者でありますように。

しもべは聞きます。どうかあなたが語ってください。


2006-08-29

神さまの時の流れ

今日はアーネスト君情報。
アーネスト君、今フロリダに上陸寸前です。
でも、勢力は強くなりませんでした。
ハリケーンに戻るどころか、
弱い熱帯低気圧です。

でも、雨はガンガン降っているみたいです。

こちらの雨もたいしたことはありませんでした。


そして!


いよいよ明日から「秋晴れ!」です。きっと。たぶん。

しかし、週末のファミリーキャンプはアーネスト君崩れの低気圧が悪さをするみたいです。


これが3日日曜日の未明の予想図です。

直撃です。土曜日から日曜日の朝にかけて大雨です。

でも、このモデル(GFS)だと日曜日の昼間にはいい天気に戻りそうです。

まだまだわかりません。

久々の野菜ネタを入れますが、
きゅうりはもうぼろぼろになりながら、
今日149本目を実らせてくれました。
ここまで来たら150本!と思い、ぼろぼろになったものをなかなか処分できません。

あと、ピーマンも順調。もうちょっと行くでしょう。

ナスはちょっと大きくなると、リスが食べます。
コイツも獣害がなければ、
何十本も穫れたでしょうね。

今日、無事に講師の先生が到着されました。

何かブラックリストに同姓同名がいるのか・・・この所何回か連続で「別室へどうぞ」だそうです。

でも、今回は1時間半くらいで出てこられたそうで、何よりです。

さあ、あと3日で、ファミリーキャンプです。楽しみ、楽しみ。

今日の聖書はルカによる福音書8章でした。
ここも長い章でいろいろなことが書かれていますが、
その中で最後の話が心に留りました。

娘が死にそうな病気で苦しんでいる、
早くイエスさまに来て欲しい。

でも、その途中で、病で苦しんでいた女性がイエスの衣に後ろからさわって、
癒やされる、という事件が起るのです。

その時、イエスはまず、「自分の中から力が出ていくのを感じた」といいます。
そして、誰がさわったか見回します。
弟子たちは「こんなにたくさんの人がいるのに、みんな押し合いへし合いしているのに・・・」って感じです。
この時のこの娘のお父さんの気持ちはどうだったかと思ったのです。

「早く来て欲しい」「いいじゃないですか、誰だって・・・」「イエスさま、早く!」
そんな思いで見ていたと思います。

そして、病気が癒やされた女性がびくびくしながら出てくると、
その身の上話が始まります。

「どうして?」

と思ったでしょう。どうしてこんな時に?と。

そして、一番恐れていたニュースが飛び込んできます。

「お嬢さんはなくなりました。もう先生に来て頂く必要はありません」

でも、イエスはそれを聞き流して、その娘のところに向かいます。

「ただ信じなさい」

とのメッセージを彼に語りながら・・・。

そして奇跡が起るのです。

私たちの人生にも起りますよね。


どうして・・・ということ。


どうして・・・というタイミングで起ってくること。


どうして今すぐ祈りが聞かれないのだろうか?ということ。


でも、神さまには神さまの時があり、神さまのタイミングがある。


それを「ただ信じなさい」と言われているのではないかと・・・。


主よ、
あなたの時がわからないことがあります。
自分の時にこだわりすぎているのでしょうか?

あなたの時がわかる者にしてください。

いえ、わからなくても、あなたの時を「ただ信じる」ことのできる者としてください。

信じます。



2006-08-28

どれくらい赦されたか

今日もぐずついた天気でした。
でも、ちょっと小康状態。
明日は大雨の予報が出ています。
今夜の11時半ですが、雨の中心はオハイオ州です。
明日の明け方にはこちらの方に広がってきます。
明日の夕方にファミリーキャンプの講師の先生が来られるのですが、
雨のピークかもしれません。

そして、アーネストですが、
今日は本当に弱まりました。
今キューバ東部にあります。
フロリダに向かって進みそうですが、
その間に強くなる予報が出ています。
またハリケーンになるかも・・・だそうです。

そして、昨日の予報がまた変わるのですが、

この熱帯低気圧、下手をすると、この週末こちらの方に影響が出るかもしれません。

こちらが今日の夕方のGFS(
Global Forecast System)の予報。9月3日(日曜日)の未明の予想天気図です。

これは最悪のシナリオですね。

ニュージャ
ージー沿岸にアーネスト崩れの低気圧が進んできています。

何とかこんなことにならないように、
真面目にお祈りしようっと。

折しも、明日は明け方にカトリーナが上陸した1周年の日です。

本当に心が痛みました。

多くの逃げられなかった人々、

ドームに逃げたのはいいけれども、
停電で大変だった人々。

車で逃げればいい、と思っていたけれども、
それは本当に恵まれた人たちだったんですね。

今年はメキシコ湾沿岸はハリケーンもまだなく、穏やかに来ていますが、
このままピークシーズンを過ぎて欲しいものです。

私たちのところでは直接の影響はありませんでしたが、
何といっても、「ガソリン高騰」には驚きました。


これは去年の春から今日までのニュージャージー州のガソリンの値段の推移のグラフです。(クリックすると大きくなります)
左の方の垂直にグラフが上がっているところが、8月30日です。

その日、何の用事だったか、
夜ニューヨークの方に出かけて帰ってきたら、
行く時は2ドル50セントくらいだったガソリンが、
何と3ドル20セント!
何かの間違いだと思いました。

でも、通るスタンド通るスタンドみんな3ドル台。

えー、何が起ったんだろう?と思いました。ちょっとパニックでしたね。

近所に一カ所だけ2ドル60セントくらいのスタンドがあって、すごい行列でした。
夜の11時頃だったと思いますが、「行くしかない!」と
そこに駆けつけたら、

「もうレギュラーはないよー!」だって。

ハイオクでも2ドル70セント台で他の店のレギュラーよりもずっと安くて、
2往復して2台満タンにしました。

(法律で1日に1回しか値段を買えてはいけないみたいですね。違反していたスタンドもたくさんあったようです。このスタンドはたぶんもうすでに1回上げていたのでしょう。で、その日のうちには上げられなくなっていたのだと思います。翌日には周りのスタンドと同じになっていました。2台満タンは正解でした。)

今回のアーネストがメキシコ湾に向かわないとわかって、今日のガソリン先物はずいぶん下がったみたいです。ホッ。

今日はルカによる福音書7章を読みました。
いろんな話が書かれていますが、
最後の話が心に留りました。

罪深い女の人がイエスの足に香油を注いで髪の毛でふいたのを見て、
「この人が神の僕なら、この女がどんな女かわかるはずだ」
と批判的な目で見ていたパリサイ人。

そんな彼に対して、「多く赦された者が多く愛する」といわれたイエスの言葉に考えさせられました。

昨日の礼拝でも少し触れましたが、
「自分の罪深さがわかればわかるほど、神さまの愛がわかる」
「神さまの愛がわかればわかるほど、感謝が沸いてくる」

そう思います。

自分はどうだろうかと思いました。
自分はあんなにも深く深く、自分の罪深さを感じさせられて、
あんなにも大きく、神さまの愛を感じたのに、

またパリサイ人に戻っていないか、
問われているように感じました。

「このパリサイ人のような人間ではないことを感謝します・・・」
と「取税人や遊女をバカにしたパリサイ人」をバカにしている自分はいないだろうかと。

500デナリどころではなくて、
マタイによる福音書にあるように、「一万タラント」(5000回の人生で稼げるお金)
を赦された者であることを、心の奥底に感じることができるように、
もっともっとわかる者とならせて欲しいと思いました。

主よ、
聖霊様の働きを待ち望みます。
あなたの愛をもっともっと深く知ることができますように。
あなたの愛に触れることができますように。

経験させてください。

あなたの愛の深さを味わわせてください。

2006-08-27

聞いて行う

今日はまたすごい雨でした。
私が外に出た時はたまたま小やみになっていた時でしたが、
礼拝中は何度も「ドーッ」と降っていました。

今夜まだ降るみたいです。
今11時半ですが、雨雲は北と南に別れて、
NJ北部は小康状態ですが、またあとで降ってくるでしょう。

そして、明日はちょっとましみたいですが、
あさってはまたかなりの雨。
そして水曜日からずーっと晴れそうです。

さて、ファミリーキャンプ予報の第1弾。
1週間前の予想ですが、大体晴れ。
気温は25度くらい。涼しい3日間になりそうです。
特に、朝晩は涼しいと思います。長袖の準備もお忘れなく。


今日、一瞬アーネスト君がハリケーンになりました。
でも、ハイチにぶつかって、すぐにハリケーンから降格。
明日はキューバにぶつかります。

その後フロリダを北上するでしょう。

幸いそれほど強くならないと思います。
もしかしたら、もう一度ハリケーンになるかもしれませんが、
ならないで終わってしまう可能性もあります。
その後カロライナ沖を東に進んでいくでしょう。


大丈夫です。たぶん。


話は変わりますが、
昔のこととか思い出して、
今の子ども達を見てて思うのですが、

ビデオって今はあるじゃないですか。
子供の頃はなかったですよね。(こういうことを考えること自体オヤジになったんだなあと思います。)

てゆーか、ずっとなかったですよ。
あのころビデオデッキが20万円とかしなかったですか?

今は単体のビデオデッキはお店に2機種かそこらしか置いてません。
それで一台50ドルから70ドルくらい。1/30-1/40の値段ですよね。


大学生くらいになったときに、教会で電気屋さんしておられる方が、
貸してくださったのを覚えています。

だから、子供の頃は、いつでも好きな時に、好きなものは見れなかったですね。
だから、好きな番組をやる時は必ずテレビの前にいなければいけなかった。
そして、必ずチャンネル争いがあった。
がちゃがちゃ回すチャンネルで、ダイヤルが取れたり、バカになったり。
「ほら、ダメになったじゃないか!もう見るな!」と怒鳴られて終わり。

でも、今は、好きな時に好きなものが見れる。
一軒の家に2台、3台テレビがあっても不思議ではない。

チャンネル争いなんてないですよ。

いいのかなあ・・・我慢したり、一つの番組を見るために時間をちゃんと守って帰ってきたり、
約束して、この時間はお兄ちゃん、この時間は弟、と分けたりするということがどんどんなくなってきて・・・。


さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書6章。
今日の礼拝の中で読んだのも同じ6章から37節。

でも、心に留ったのはその最後の方。
46-49節です。
聖書の言葉を読んでも、そのままの人は、
「砂の上に家を建てた人」
聖書の言葉を実行する人は、
「岩を土台に家を建てた人」
のようだとイエスは言われたのでした。

そう、聖書の言葉を読んだり、
覚えたり、
感動したり、
いい言葉だなあと思ったり、
瞑想したり、

そういうことと、本当にぶつかってみる、ということは別なんですよね。

きょうの礼拝でもお話ししましたが、
「赦しなさい」「裁くのを止めなさい」と言われても、
それを実際に「やってみよう」と思わなければ、
本当の葛藤も経験出来ないでしょうし、
「赦すことの難しさ」もわからないでしょう。
「自分の弱さ」にも気がつかないかもしれません。

そういうことを自分の経験として味わうことこそが、
「地面を深く掘り下げる」ということなんでしょう。

御言葉に従っていく者でありたいと思いました。

主よ、
私は「御言葉について語る者」ではありますが、
「御言葉を行う者」になっているでしょうか?
私は「みことばに従う者」になっているでしょうか?
どうか、御言葉に動かされて、みことばに従う者となれますように。
明日の朝も、そのことを忘れていないように、
1日を守ってくださいますように。
今日教会に来られた1人1人、いらっしゃることのできなかったお一人ひとりに、
守りがありますように。

失望を超えて

ああ、12時を過ぎてしまいました!
ちょっとカミさんのヘルプをしていたら、12時を過ぎました。
日付が変わっちゃうんですよね。
12時前に始めないと・・・。

今日は朝から、ずっと雨が降ったり止んだりで、
肌寒いくらいの日でした。
最高気温も20度くらい。

明日はもっと雷が鳴ったり荒れ模様のようです。

雨だと、洗濯物乾かないですよね。
アメリカだと乾燥機が当たり前なので、関係ないのですが、
日本式で外で干そうと思ったら、この天気は恨めしい限りです。

東京に着たばかりの頃、
まだ大阪万博とかの前ですがね、
パスタメーカーみたいなローラーで水を絞る洗濯機ありましたよね。
脱水機なんかついているのは高級機種だった頃。

うちは内風呂なんかもなくて、(もちろん、露天風呂もなかったですよ・・・)
洗濯機が玄関横の押入に入っていました。
もちろん、そこには水道も排水もないから、
洗濯する時は、親がそれを玄関に出してきて、
排水を外に流しながら、洗濯をしていました。
そして、洗ったものをローラーに入れて、水を絞っていたんですね。

ここなんかを見ると、50年代のものみたいですね。
50年代のヤツにはみんなローラーがついてる。

60年代になるともう二槽式の時代なんですね。脱水槽があるんですね。
となると別に高級機種ではなかったかもしれません
これは70年代になって、我が家に入り、
小学生の私も一番手伝った(手伝わされた・・・)やつです。

ここなんか見ると、昭和40年にはもう全自動ができていた・・・。

もう40年も経つのですね。

まじですかー、って感じです。

今朝、下の娘にせがまれて、
庭の野菜の収穫に行った時・・・もうあんまり穫れないのですが・・・
リスが小さなナスの実をくわえて逃げていきました。
あんまり慌てて逃げていたので、途中で落としました。

拾って、冷蔵庫に入れました。大人げない・・・。

今日の聖書。
今日はルカによる福音書5章を読みました。
5節のシモン・ペテロの言葉が心に留りました。


「私たちは夜通しがんばったけれども、何にも獲れなかったんです」


ああ、自分にもそういう時があるよな、と思いました。

本当に疲れ果てて、何の収穫もなくて・・・という時。

そして、また「どうせ、やったってダメ。もうわかっている」という無力感に捕らわれます。

でも、そんな私たちに主は奇跡をもって応えられます。



自分の無力さと神の全能。



もうひれ伏すしかないですよね。でも、ものすごいうれしいことではないかと思います。
恐ろしいと共に、うれしい、そういうものです。

もっともっと主の奇跡を見せて頂きたい、そう思いました。

主よ、
あなたの全能を感謝します。
あなたには何もできないことはないことを、感謝します。
どうか、自分の頭で考えて、無理なこと、
自分の経験から考えて無理なことも、
主が実現して下さることを、そのあなたの力を見せてくださることを求めます。

私たちの中にある無力感、
あなたがそれを打ち破ってください。
御言葉に従っていく者とならせてください。