2007-02-10

試練をこの上もない喜びとする

今日2回目の更新です。
とうとう氷点下Daysを脱出しました!
今日の最高気温は何と1.8度まで上がったのです。
でも、今午後6時過ぎですでに-3度まで下がっています。
今夜もまた厳しく冷え込みそうです。

そして、来週のstormですが、
今日の午後になってBlizzardの言葉が踊り始めました。
南にそれるのではなくて、
北に上がってくる確率の方が上がってきたからです。

いろんな天気予報のコンピューターモデルが
そろって、ニュージャージー沖で低気圧が急速に発達する予想を出してきたのです。
日本でも「爆弾低気圧」という呼び方をするようになってきていますが、
こちらでも、the storm system is exploding(低気圧が爆発する)という言い方をします。
まさにそれの可能性があります。13日から14日にかけて・・・。
両日とも教会のプログラムが入っているので、
何とか外れて欲しいのですが・・・。

さて、「証し」の第9章。

自分が偽善者だと気がついたとき、
ほんとうに落ち込みました。
自分をののしり、「おまえは偽善者だ!」と日記に書き殴りました。

子供の時から聖書を読んでいる中で、
こういうタイプの人間にはなりたくないと思っている種類の人々がいました。
それは「律法学者」であり、「パリサイ人」でした。
規則を細かく守りながら、
でも心の中は醜いものでいっぱい、
傲慢で、人を見下げている人々。
イエスも「おまえ達は白く塗った墓だ」と彼らを厳しく非難しました。

「ほんとうに嫌な連中だ!」と私は聖書を読むたびに思っていました。
でも、気がついたら自分がその偽善者になっていた。

すべてがバカらしくなりました。
聖書を読むことも、
お祈りをすることも、
奉仕をすること、
教会に行くこと、
伝道をすること
すべてがバカらしくなりました。
子供の頃から一生懸命やってきて、
それで自分が一番なりたくないような種類の人間になっていたわけですから。

そして、最後は生きていることさえもバカらしくなりました。
この後どうして生きていったらいいか?
「人間なんてみんな偽善者だ」と割り切って生きていくか、
このまま偽善を通して生きるか?

いろんな人に相談しました。
あまり相手にして頂けませんでした。
「若いっていいね」「そんなこと気にしていてはダメだよ」「君は立派だよ」

最後の期待を持って、
あの大島のキャンプ場で、自分の父親くらいの先生に話しました。
先生は私の話をしっかり聞いてくださいました。
そして、言われました。「君はほんとうに傲慢な人間だね」

さて、今日の聖書。
今日は続いてヤコブの手紙に入りました。
ヤコブの手紙の1章。

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」2-4節

何といっても、最初の「試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい」という言葉があまりにも衝撃的です。試練の中で「これはすごい喜びだ」と思うなんて、そりゃないよ、と思いますが、でも、その後の続く言葉はまた魅力的な言葉です。そこで忍耐が生じる。そして成長させられるのだというのです。

信仰が試されるとき。
それは神様が私たちを試されるこの上もないチャンスなのです。
ものすごく大きなチャンスなのです。

そこで、「忍耐」ということが大切だと言います。
忍耐。できるだろうかと思います。
逃げ出したくなる方です。投げ出したくなる方です。
ほんとうに主のなさることを信頼して歩んでいきたいと思います。

主よ、
守って下さい。
忍耐を経験させて下さって、
そこで与えられる訓練、「整えられる」ということを経験させて下さいますように。
次に私に大きな試練がやってくるときに、
またこの言葉を思い出させて下さい。


キリストのはずかしめを身に負う

昨日も氷点下Dayが続きました。
朝が-8.8度C。
最高気温が何と-0.1度C!
これで7日連続。

今朝の最低は-7度。
昼間はもしかしたらやっとプラスになるかもしれません。
そして、Stormの噂ですが、
うーん、南にそれるかも・・・。
13-14日にかけてちょっと降るくらいかなあ、という感じです。
こればっかりは月曜日くらいにならないとはっきり分りません。
少なくとも低気圧が東海岸に来ることは確かなんですが、
どこまで北に上がってくるのかが微妙です。
北からの高気圧に押さえ込まれて、
大雪はフィラデルフィア止まり、というのが、
今のところの予想です。

「証し」の第8章。
それで、20歳の時。
夏でした。
私は時々伊豆大島にあるホーリネス教団のキャンプ場に
ワーカーとして奉仕に行っていました。
この大島泉の家・・・何だか重い、このサイト。
私はここで育てられました。
船に乗っていかなければ行けないというところがまたいいんですよね

一度行ったらもう終わるまで帰れないし、
他に周りに何もない、真っ暗なところ、
停電したときなんかなーんにも見えませんでした。
それから星がきれい、
海がきれい、
クワガタがたくさんいる・・・

まあいろいろあったのですが、
何よりも良かったのは、そこで持たれたキャンプが、毎回毎回良かった。
教会の規模は今のJCCNJと同じくらいなんですが、
中高生はうちの兄弟とちょこちょこ・・・。
で、このキャンプ場に来て、50人とか、100人とかの仲間の中に入って、
中高生向けのメッセージを聞いて、
共に歌って、共に祈って、
悔い改めに導かれたり、
友達のために祈ったり、
新しくされて帰ってきたものでした。

行き帰りの船の中では前の方に集まって、
みんなで賛美をしました。

そのキャンプ場で大学生になってからは
時々ワーカーをしていたわけです。

ワーカーをしているときには、
一生懸命陰の奉仕をします。
朝は5時半とか5時とかから朝ご飯の準備、
みんなが海に遊びに行っているときにはキャンプファイアーの準備とか、
夕食の準備とか、
汗だくになりながら、泥だらけになりながら、奉仕をしていました。

そんな陰の奉仕に気がついて、
声をかけて下さる方々もおられました。
「君のような人がいるからキャンプができるんだよ、ありがとう」

そして、キャンプが終わって家に帰ったとき、
自分が一人でいるときに、キャンプの裏方で奉仕をしていたときの自分と
まるで違う、心の中に醜いものがたくさん渦巻いている自分に気がついたのです。

その時、私は自分が「偽善者」だということに気がついてしまったのです・・・

さて、昨日の聖書。
昨日はヘブル人への手紙の最後、13章を読みました。

心に留った言葉は、
「ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。」13節の言葉です。

イエスの足跡を踏む。

「そんなこと必要ないでしょう」
2000年前にもサタンはイエスに言った。

今日もサタンは私に言う。
「そんなこと必要ないでしょう」と。

「キリストのはずかしめ」
自分にとってなんだろうかと思います。

「宿営の外に出ること」
私にとって何を意味するのでしょうか?

それはある時には逃げたくなることでしょうし、
地味な働きで、誰にも気がつかれないことかもしれません。
いや、もしかしたらやはり「はずかしめ」ですから、
逆の意味で注目されるのかもしれません。

でも、主がそれを望まれることであれば、
勇気を持って進んでいきたいと思います。

主よ、
イエスさまの十字架のあとをついて行かせて下さい。
イエスさまが歩まれたように歩ませて下さい。
勇気を与えて下さい。
道を示して下さい。

2007-02-09

今日はお休み

今日の一日一章はお休み。
日付は9日になっていますが、
ホントは10日の午前1時頃です。
先ほどまで月に一度の深夜祈祷会に行っていて、
帰ってきたところです。

また明日の朝ゆっくり更新します。

2007-02-08

ゆりうごかされないもの

氷点下Days 第6日。
今日も朝は-10.5度C。
昼間は-2度まで上がりましたが、それで終わり。
今は夜の10時半ですが-6.5度Cです。
明日の朝も-10度くらいでしょう。

明日はプラスになる可能性があることにはあります。
上がっても1度とかでしょうが・・・。

今週は一週間「寒い」+「晴れ」という天気予報をする人にとっては楽なような、退屈なような天気だったのですが、来週からはそうはいかないようです。何度か雪の可能性があります。

まず最初は13日。これは南にそれて、こっちに来ても、大雪にはならないようです。
その次が16日くらい。その次が19日くらいです。

去年の記録を見てみると、
ちょうど2月の12日に40センチくらいの大雪になっています。

あまり興奮しすぎないように注目していこうと思います。

今日は息子の16回目の誕生日。
年々頼もしくなってくる息子を見て、主に感謝します。

私たちは結婚と同時に「神様のいいと思われる一番早いタイミングで子供を与えて下さい」と祈り始めたのですが、「神様のいいと思われる一番早いタイミング」というのがかなり早かったようで、結婚2ヶ月足らずで妊娠が分かりました。そして、「切迫流産で絶対安静、トイレに行く以外は立ち歩かないように」というお医者さんの話でした。しかし、奉仕に追われ、使命感に燃えていた私は・・・妻に対する思いやりもなく・・・「そんなのできないよね」と聞き流していました。

それを知った教会のある方が厳しくまた愛をもって涙ながらに私を諭して下さいました。その命がどれくらい大切なものか、この時期安静にすることがどれほど大切なことなのか、安静にしていても無理な場合もある、でも、無理をして赤ちゃんがなくなってもしょうがない、というのはおかしいと、ご自分たちの経験を含めて語ってくださいました。そして、その後安定期にはいるまでの2、3ヶ月の間、近所の集会に集っておられる皆さんがおかずを一品ずつ持ち寄って、まとめて運んでくださいました。そんな愛と祈りの中で、この世に迎えられた息子はほんとうに幸せ者だと思います。

これからの息子の人生の中でも、神様が場所場所に良いアドバイスを下さる方々を与えて下さって、人間的に成長させて下さるようにと祈らされます。

今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙12章を読みました。
その中でいろんな言葉が心に留ったのですが、
最後の方の言葉、

『この「もう一度」ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。』(27節)

これが心に深く届きました。
「揺り動かされるものが取り除かれる」
それは決して揺り動かされることがないものが残るため
といいます。
これは直接的には世の終わりのことを指しているのだと思います。

でも、それだけではなくて、私たちの人生の中で、
ほんとうに変わらないものをあきらかにするために、
変わるものが取り去られることがある、ということを語られたように思いました。
変わるものは取り去られてもいい、取り去られた方がいい、
それはほんとうに変わらない、たいせつなものが明らかにされるため。

私も決して変わらない、大切なものを第一に、そこをしっかり見据えながら歩んでいきたいと思いました。

主よ、
どうかほんとうに大切なもの、
ほんとうにかわらないものを見せてください。
そしてそこに焦点を当てて、歩んでいく者とならせてください。
そのために変わってしまうもの、揺り動かされるものが、取り除かれることをも
恐れない、強さを与えて下さい。

2007-02-07

行き先を知らないで

氷点下Days 第5日目。
今朝は-10.6度C。
昼間には-3.5度Cまで上がりましたが、
もちろん氷点下脱出にはほど遠い温度。
今は夜の11時半で-8.2度です。

昨夜よりはずっとましですが、
やっぱり明日の朝は-10度以下なんでしょう。

明日も氷点下の一日となると思います。

今日は「証し」の続きを書こうと思っていたのですが、
昨日もいかにも「明日をお楽しみに・・・」という終わり方でしたしねえって教会の人たちはもう耳にたこができるくらい聞いておられるので、この後の展開も皆さんご存じなんですが・・・

ちょっとうれしいことがあったので、おあずけ。

夜にある方からお電話をいただいて、
主が心に触れて下さった、
語ってくださったことを分ち合ってくださいました。
平安が与えられたことを伝えてくださいました。

もちろん、ここに内容を書くようなことではないのですが、(そんなことしたら、誰も電話しなくなるって・・・)ほんとうに良かったなあ、と思いました。

その後、お風呂に入って・・・てあのアメリカの浅いバスタブなので、半身浴。でも、いつかいただいた入浴剤入れて、雑誌持ってゆっくり入っていました。神様に感謝しながら・・・。

そして、そこから上がろうとしたときに、
心に響いてきた言葉がありました。

「静まって、私こそ神であることを知れ」
詩篇の46篇の言葉です。

静まることの大切さ、祈ることの大切さ、主を信頼することの大切さを思わされました。
主は信頼に足る方です。
私たちが焦って八方手を尽くすよりも、
主の御業を待ち望みたいと思います。

それで、今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙11章でした。

「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」18節の言葉です。

いやあ、どんなに不安だったことかと思います。
でも、またそれと共に、こんな大胆なことをするとは、
どれほど確信であふれていたかと思います。

そう、御言葉が語られるときに、
召しが与えられるときに、
それがどんなに突拍子もないことであっても、
それに従うのが平安なのです。

それに従わないのは、
どんなに人間的に見て、賢明なことであったとしても、
どんなに周りの人が肯定してくれても、
不安なのです。

主がそのように語ってくださったら、
そこに進んでいくことです。
行き先を知らなくても。
大体、私たちは自分の明日の命さえ分らない存在です。

ならば、誰も「行き先を知っている」という人はいないはずです。

主の御言葉を待ち望んでいきたいと思います。
主が語ってくださること、
主が私の心に、
一人ひとりの心に語ってくださることを
待ち望んで歩んでいきたいと思います。

主よ、
今日の一日に感謝します。
あなたが与えて下さった一つ一つの出会いに感謝します。
一つ一つのみことばに感謝します。
一人ひとりに語ってくださったことに感謝します。
どうか、あなたの語りかけを私に与えて下さい。
そして、一人ひとりに語ってください。

2007-02-06

大胆に!

今日2回目の更新。
先ほど教会に行く用事があって、
出かけていました。
寒い!
言いたくはないですが、寒いです。
今、夜の9時過ぎで-9.3度。

今夜はどこまで下がるのでしょうか?
また-13度くらいでしょうか?

一発がーんと冷えて-15度とかよりも、
こうやって、毎晩毎晩-13度は結構きついですねえ。

氷点下DAYS4日目。
週末、氷点下脱出は微妙です。
もしかしたら、このまま氷点下記録を更新し続けて来週に突入することになるかもしれません。

久しぶりの「証し」第7章。
20歳になりました。
いろいろ悩みながらではありましたが、
まあ、真面目に神様を信じて生きていました。

そしていつの間にか、自分の信仰の姿勢に誇りを持つようになっていました。
それが「傲慢」になっていったのです。

聖書も(ほぼ)毎日読んでいました。
お祈りもしていました。
教会も休みませんでした。
友達も誘いました。
献金も思いっきりささげていました。

そんな自分のクリスチャンとしての歩みが自慢でした。
そして、そうできない友人を見下げていました。

高校時代は桶に入っていた、ん?オケに入っていたのですが、
合宿とかが日曜日に重なると悩んでいましたねえ。
オケと合唱で合わせて音楽部(オペラとかやっていましたからねえ)だったのですが、
一回は合宿に行って、日曜日にその場で、人を集めて「日曜礼拝」までやっていましたねえ。
結構集まりましたよ。60人くらいのうち、20人か30人か・・・。

また大学受験の時は
意地でも日曜日にある模擬試験は受けませんでした。
今考えるとなんて嫌なヤツなんだろうと思うのですが、
日曜日に模擬試験に行っていた教会の友人には、
「そこまでして大学行きたいか?」とか毒づいていました。

20歳になった夏、そんな自分の傲慢な気持ちが打ち砕かれるときがやってきました。
私にとっての大きなターニングポイントです。

続きは8章で・・・。

今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙の10章を読みました。

「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。」19節。

今日はこの言葉がとてもうれしかったです。
私たちは恐れることなく、遠慮することもなく、
大胆に神様の懐に飛び込んでいいと。

最近、「罪を忘れない」という気持ちが強すぎたのかもしれません。
神様に申し訳ない、という気持ちになってきていました。
でも、主は私を赦し、私の罪を忘れてくださっている。

だから、大胆に飛び込んでいい。
大胆に主の恵みの中で安らいでいい。
主に信頼していい。

そのように思わされて、何かとてもうれしくなってきました。

主よ、
感謝します。
あなたの懐に大胆に飛び込んでいけることに心から感謝します。
安心して、喜んで飛び込ませて頂きます。
どうか私の歩みを支え、導き、喜びで満たして下さい。
私の心を守って下さい。

心をきよめるイエス

さぶいですねえ。
今朝も-12.5度。
昼間は「今日は暖かくなりましたねえ」という挨拶が交わされるような温度までは上がりましたが、実は-3.5度C。風が穏やかになってきたので、暖かく感じるのでしょう。
でも、我が家のガレージは「冷蔵庫」から「冷凍庫」になってきたみたいで、野菜が軒並み凍結。

今日は2回のアップデートで、「一日一章」も追いつこうと思って、早い時間に更新中。

昨日の夕方から、なぜかコンピューターが立ち上がらない。
焦りますねえ。いかにコンピューターに頼った生活をしているかということですが、
ホント、ろくにデータのバックアップもとっていないし、
やばいなあ、と思っていろいろ格闘。
電源を入れるとBIOSまでは行くのですが、
その後、左上にカーソルが点滅したまま、何も起らない。
しかし、その後、なぜか、F2KeyでBIOSに入ってexitすると立ち上がることを発見。
でも、そんな条件で検索をかけても、何の解決法もひっかかってこない。
とにかく何よりもデータを失うのはコワイ。
3年保証をつけて購入後まだ2年しか経っていないので、
「えい、もう修理に出すか、でもちゃんと『データ消さないでね』とちゃんと言わなきゃなあ」と思いつつ、メーカーのSupportページに行きました(その昔、アメリカで買ったコンピューターに日本語のシステムを入れていたら、修理に出したとき、部品交換と一緒にデータもなくなって帰ってきました)。そうしたら、Tech Supportとチャットをする、というメニューがあったので、「電話より気が楽だ」とチャットしましたよ。Manishaさんという方と。
「ちょっと待って」「ちょっと待って」といろんなことを調べてくださって、「Biosに入って、"USB Emulation"というのをDisableにする」ということを提案してくださった。早速やってみたら、無事一発解決!30分ほどのチャットで解決。

なかなかいいかも。電話だと受話器を耳につけたまま、20分とか待たされると大変だけどね。

さて、まずは月曜日の聖書。
昨日はヘブル人への手紙9章でした。

「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」14節の言葉です。

イエスが十字架の上で流された血は、
私たちの心をきよめると。

教会ではまず「赦される」と聞きます。
「罪意識」から解放されるのでしょう。
そして、神様から見て「罪のない者」と見て頂けるのです。
でも、それだけで本当にいいのかと思います。

私たちはもっと神に喜ばれる、
人を生かす存在になりたいと思います。

人を傷つけながら(やはり私たちは誰をも傷つけないで、一度も人を傷つけないで生きていくことはできないのかもしれない、と思ったりもしますが・・・)、「私は赦されている」と感謝して生きていくことはできるのでしょうか?やはり、「きよめられたい」と思います。失敗をすることもあるでしょうが、ほんとうに心きよめられていきたいと思います。

主はそのことをしてくださる。
イエスの十字架で流された血にはその力がある。
神の恵みに対して、optimisticに生きていきたいと思います。
神様にはその力がある。
「人にはできないが神にはできる」という言葉を信頼して歩んでいきたいと思います。

主よ、
わたしをきよめてください。
私の心を、きよめてください。
あなたにはそれができる、イエスの十字架の血にはその力がある、
というメッセージを感謝します。
どうか、私の心を探り、
あなたに対して、人々に対して純粋な者とならせてください。

2007-02-05

あわれみ

さむいですねえ。
氷点下の日々の第3日目。
朝は予想よりも1度低い-14度C=7度F。
昼間は-7度C。

今は夜の11時半で-11度C。

いやあ、寒い。
シカゴとかミネアポリスとか、もっと寒いみたいですが、
NJとしては、かなり来ているのではないでしょうか?
そして今回は長い!
最初に氷点下を脱出する可能性があるのが、
金曜日の昼間。

それまでは、ずーっと氷点下です。

明日の朝はやはり今朝と同じくらいの-14度くらいでしょうか?

明日の早朝祈祷会、気合いが入りそうです。

今日はVIP-NYの集会でお話をしてきました。
人数は多くはなかったのですが、
お一人一人との出会いに感謝しました。

で、昨日、日曜日の聖書。
ヘブル人への手紙の8章を読みました。
「わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、もはや、彼らの罪を思い出さない」
12節の言葉が心に留りました。
これは旧約聖書のエレミヤ書の言葉の引用です。

私の罪を今日も忘れてくださる方がいる。
自分では忘れられない。
自分の心からは消え去りはしない。
でも、神様は忘れてくださる。
思い出さない、と言ってくださる。

感謝。

私も人の悪を思い出さない者になりたい。
すぐ忘れてしまう者になりたい。
「バカ」と言われたい。
「脳天気」と言われたい。
すぐに忘れてしまいたいと思う。

でも、傷ついている人のことが分る者になりたいと思う。
自分の傷は忘れてしまうのだけれども、
人の傷には敏感な者になりたいと思う。

主よ、
あなたが私の罪を忘れてくださる方であることを、
イエスさまによって完全に赦してくださる方であることを、
感謝します。
私も人の罪を忘れる者となることができますように。
でも、人の痛みに気づく者でありますように。

2007-02-04

イエスのとりなし

今日は礼拝の日。
主を賛美すること、喜びとすること、力です。
多くの方々と共に礼拝が守れることは喜びです。

年末から1月にかけて、
毎週礼拝に来られる方々大人4人、子供3人が日本に帰られました。
週平均で大人4人減るのは大きいですよね。
「送り出す教会」ではありますが、
やはり痛みがないわけではありません。
まだまだ残っている教会の空間が早く埋まるようにと願います。

礼拝後は、
教会の今後について、
牧師としてのビジョンや思いを分ち合うときが与えられました。
とても、緊張して一週間を過ごしましたが、
終わってホッとしています。
また伝わった手応えも感じています。

・・・ここを読んでおられる教会の方々で「え?」と感じられる方がおられたら、
また教えて下さいね・・・もしも、私が勘違いしているとするとまずいから・・・。

『するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。』(マタイ14:28-29)

そして、土曜日の聖書。
昨日はヘブル人への手紙の7章。

心に留ったのは
「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」25節の言葉です。

イエスさまは今もとりなして下さっている。
私のことをとりなして下さっている。
何度も失敗をして、
何度も自己嫌悪におちいる私をも主はとりなして下さっている。
今も。

ご自身の血潮をもって、
とりなして下さっている。

この方がおられなかったら、
自分は今生きていないかもしれないと思う。
そう「証し」の続きの中で書きたいと思うけれども、
イエスの十字架がなかったら、
今の自分はいなかった。

今もとりなして下さっていることに感謝。
今も見捨てないで覚えていて下さることに感謝。

主イエスよ、感謝します。
私のためにあなたが今もとりなして下さっていることに感謝しています。
どうかこれからもあなたの恵みの中に歩むことができますように。
教会を守り、祝福して下さい。
教会に集う一人ひとりを祝福して下さい。

主への熱心

一日中氷点下の「真冬日」第2日目。
今朝は-9.4度まで下がり、
昼間も-4.1度止まりでした。

今は夜の8時半で-6.8度でした。

明日の朝の予想はズバリ-13度。
寒い一日でしょう。
雪はありません。

天気予報的には「楽勝」の天気が続くようです。
「寒い」+「晴れ」

さて、3日分たまってしまった聖書。
もちろん、その日には読んでいるのですが、
それがまた記憶が薄れてくるんですよねえ。

ヤコブの手紙の1章の言葉、身につまされます。

「みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。」ヤコブ1:23

そして、実際に金曜日に読んだのは、
ヘブル人への手紙の6章でした。
「神は正しい方であって、あなたがたの行ないを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。そこで、私たちは、あなたがたひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について十分な確信を持ち続けてくれるように切望します。」10-11節

ユダヤ人クリスチャンの人々の愛、それを主はお忘れにならない。
その熱心さ、その情熱を主はお忘れにならない。

「熱心さ」はあまり肯定的に言われないときもある。
ペテロは熱心だったけれども、人間的な熱心さで、
「あなたにどこまでもついていきます」と言ったときには、
そのイエスに「あなたはわたしを3度知らないと言う」と言われて、
実際にそのような失敗をしてしまいました。
「熱心さ」にはそのようなイメージがあるので、
ネガティブな印象もあるのですが、
この所ではポジティブですね。

自分のがんばりの熱心さじゃなくて、
主の御手の中にある熱心さがあるのだと思います。
そんな情熱があるのだと思います。

そう、わがままな熱さではなくて、
主の導きに従った情熱。

それを味わわせて頂きたい、
そこに生かして頂きたいと思います。

主よ、
どうか、私を熱い者として下さい。
情熱を与えて下さい。
あなたの使命に従う、
わがままな、自己中心的な熱心さではなくて、
あなたの御手の中にある、
あなたの導きに従った熱心さを与えて下さい。