2009-11-21

主の目が注がれる。

11月の下旬にしては楽ですが、
それなりに寒いですね。
朝は3-4度、昼間は13-4度です。


明日も午後からの雨もなくなって、
いい天気みたいです。


月曜日からはちょっとぐずつき気味のようです。
Thanksgivingのsnowstormはうーん、ちょっと可能性は小さいみたいです。


さて、明日は1時半から、Thanksgivingの礼拝です。
そして、礼拝の後は、愛餐会です。





是非是非、近くの皆さん、おいで下さい。
楽しいです。


祈って準備しています。
礼拝も、愛餐会もとても、素晴らしい一時となりますように。


さて、11月18日(水)の聖書。
エズラ5:6-17。


「しかし、バビロンの王クロスの第一年に、クロス王はこの神の宮を再建するよう命令を下しました。クロス王はまた、ネブカデネザルがエルサレムの神殿から取って、バビロンの神殿に運んで来た神の宮の金、銀の器具を、バビロンの神殿から取り出し、自分が総督に任命したシェシュバツァルという名の者にそれを渡しました。」13-14節。

これは、ユダヤ人の抗弁。
クロス王がこの命令を出したのです、
自分たちのしていることは正当なことなのです、
という弁論をしているのですが、
このような抗弁も、
5節にあったように、主の目が注がれていたが故に、
初めて意味があった。

人間の理論立った主張も、
ただ、神の守り、神の助けなしには何の力もない。
それを本当に感じさせられる。

明日の礼拝も人間の知恵の言葉ではなくて、
祈りと御言葉に支えられたメッセージを語ることができますように。
礼拝堂に入った瞬間に、神様の臨在が初めての方にも感じられるように、
主が豊かに働いてくださいますように。

主よ、
あなたを待ち望みます。
人間の知恵や理論も、
正当な主張も、
ただ、あなたの守りと助けがなければ、
何の力もありません。
あなたの導きを待ち望みます。
あなたが明日の礼拝も豊かに祝福してくださいますように。

御言葉によって立ち上がる。

今日も遅くなったのですが、というか、
もう土曜日の午前1時なのですが、
とにかく1回分更新。

外は5度です。
寒くなってきました。霜も降りるかも知れません。
今日(土曜日)は晴れて、いい天気の一日になりそうです。


日曜日から月曜日は雨。
そして、来週は寒くなりそうです。
Thanksgivingのsnowstormは、
「びみょう~」です。


可能性はあります。
いくつかのコンピュータモデルが、
ここら辺は雨か雪。
もう少し西の方で雪の予報を出してきています。
もう少し時間が必要みたいです。


さて、11月17日(火)の聖書。
エズラ5章1-5節。


「さて、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの、ふたりの預言者は、ユダとエルサレムにいるユダヤ人に、彼らとともにおられるイスラエルの神の名によって預言した。そこで、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアは立ち上がり、エルサレムにある神の宮を建て始めた。」1-2節。

民を立ち上がらせるのは神の言葉。
そしてそれを伝えるのは預言者の仕事。

人々が立ち上がるのは効果的なアジテーションではなく、
上手に人々をその気にさせることでもなく、
神の御言葉が語られること。
神の御言葉が語られる時に、
人々の心は奮い立たせられて、
立ち上がる人々が起こされる。

私にもその使命が与えられていると思わされています。
主が語られたことをストレートに伝えていく。
その責任を果たさせて頂けますように。

主よ、
あなたの与えてくださった使命と責任の大きさを思わされます。
あなたの言葉が人々を奮い立たせるのですから、
間違いなく、ストレートに語っていく者とならせてください。
そして、それ以前に、あなたのみ声を謙虚に聞いていく者とならせてください。

2009-11-19

また沈没。

はい、今日も一日、全て感謝。


- Posted using BlogPress from my iPhone

2009-11-18

どうして?

さて、10時過ぎに帰ってきましたが、
まだちょっと元気があるので、
もう一日分更新。


おととい、月曜日の聖書。
11月16日(月)はエズラ記4:11-24。


「彼らは急いでエルサレムのユダヤ人のところに行って、武力をもって彼らの働きをやめさせた。」23節。

日曜日のところとセットみたいなんですが、
神が御心によって始められたことが、
人々がそれに従ったにもかかわらず、
このように中断させられることを、
どうして神は許されたのか、疑問です。

神様が御心によって始められて、
人々がそれに応答して、従って、
だったら、万事順調にいく、と普通思うじゃないですか。

どうして、神は反対する者たちの働きを邪魔されなかったのでしょうか?

どうして、その企てを止めさせなかったのでしょうか?

わかりません。
納得いきません。

でも、納得いかないことがわたしたちの歩みの中にはたくさんある。
だから、わたしたちに必要なのは、「本当に自分は神に従ってきただろうか?」と自省する心と、
本当に従っているならば、ただ、神を信頼して、忍耐することだと思う。

自分に今本当に必要なのは忍耐だと思う。

主を信頼して忍耐する。
そこに立っていきたい。

主よ、
あなたを信頼申し上げます。
あなたの御手を信頼して、
忍耐します。
どうか私の心を守ってください。
いつもいつもあなたに従っていくことができますように。
忍耐ができなくて、あなたに従うことを止めてしまうことがありませんように。

主に従う道。

今日から3夜連続で夜が遅いので、
もしかしたら、更新の元気がないこともありかと思い、
追いつくことも目指して、水曜日の午後に更新。

今朝は結構冷えて、
少し霜が降りていました。
昼間になってどんよりして、
肌寒いです。


明日は曇りのち雨の予報が出ています。


さて、11月15日(日)の聖書。
エズラ4:1-10。


「私たちの神のために宮を建てることについて、あなたがたと私たちとは何の関係もない。」3節。

協力したいという人々が出てきた時に、
リーダー達は、それを受け入れなかった。
それは冷たい言葉のような感じがする。

でも、彼らは拒否された時に本性を現わした。
彼らは神殿の建設を邪魔しにかかったのだ。
それも、役人を買収してまで、邪魔をしたという。

わたしたちも協力したい、と言う人々が居る時に、
どうしてもそれに頼りたくなるし、
その人々とのよい関係を持っていきたいと思う。
でも、本当に注意すべきことだと思う。
その「協力」の本当の目的をしっかりと見極める目を持たなければならない。
冷たいと思われようと、「納得いかない」と言われようとも・・・。

そして、注意していたが故に、
14年間の中断を余儀なくされる。
どんなにつらかっただろうか?
自分たちの判断が間違っていたのではないかと思ったこともあっただろう。

でも、そういうことがあったとしても、主に従う。

主に従うことの厳しさと、
その判断について、やはり流されない強さと、
何かがあっても動じない強さを与えて欲しいと思いました。

主よ、
どうか、私の目をきよめてください。
正しい判断をすることができますように。
あなたにまっすぐ従っていく者とならせてください。

2009-11-17

NYはやっぱり楽しい。

10時半になりましたが、
もう一つ更新。
気温は更に下がって、3.4度です。


先ほどの宝探しはNJの話題ですが、
広い意味でNYと考えると、
ホント、NYはいろいろ楽しい。







こういうの1回でいいから出会ってみたい。
でも、もっとすごいのはこちら。





知らなかったら、「自分も何かやらなきゃいけないのかなあ」と
一緒になって踊ってしまうかも知れない・・・自分・・・。


さて、まだまだ追いつきません。
先週の土曜日、14日の聖書。
エズラ3章でした。


「こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな、主を賛美して大声で喜び叫んだ。」11節。

人々の喜びに心が向きました。
どんなに大きな喜びだっただろうか?

ただ、基礎が据えられただけだったのに、
それでも彼らにとっては大きな喜びでした。

苦難の中を通ってきました。
涙の谷を過ぎてきました。
荒野を旅してきました。

だから、彼らの喜びはどれほどだっただろうかと思います。

わたしたちの喜びは、苦難を通る時に、
ホンモノになるんだろうなあと思います。

だから、苦難も喜びになります。
苦難自体も、希望への土台になります。
苦難がない方がいいに決まっている、ということはないのです。

ものごとがトントン拍子に行く時に、
「神様は祝福してくださっている」と勘違いすることがあります。
神様の祝福は試練という包み紙に包まれてやってくる。
本当にそうだと思います。

だから、感謝します。

主よ、
あなたが与えられる試練にはいつもいつも意味があることを思います。
どうか、あなたの祝福を見せてくださって、
試練の意味がわかりますように。
でも、わからなくても、あなたを信頼していくことができますように。

宝探し。

夜になりました。
9時半を回ったところですが、
外は4度まで下がってきています。
明日の朝は久々の冷え込みとなるでしょう。


さて、いま、わたしたちの住んでいるニュージャージー州のバーゲン郡は
「宝探し」の真っ最中です。


家よりもちょっと北西に行った、Wyckoffという町の宝石屋さんが、
今週、開店30周年を記念して、合計200万円以上の価値のある宝石を、
隠していくそうです。


ニュースの記事(英文・・・こちらに袋の写真もありますから、近くの人は見ておいた方がいいかも)。


おもしろいですねえ。太っ腹ですね。


最初に見つけた人が「Diamond」さん、だなんて、これ本名なのかなあ。
それとも、匿名さん?
このダイヤモンドさん、車で走っている時に、白い袋を見つけたときには、
急ブレーキをかけて、孫がフロントガラスに頭をぶつけそうになったってんだから、また、これはすごいですね。神を知る喜びもそれと同じようなものだと、イエスは言われました。


「天国は、ある人が畑の中で見つけた宝のようなものです。 見つけた人は、もう大喜びで、だれにも知らせず、全財産をはたいてその畑を買い、宝を手に入れるに違いありません。」マタイ13:44。


宝石が見つからなかったという皆さんも、
見つかった!という貴重な経験をされた皆さんも、
次の日曜日は、教会でThanksgivingの礼拝と愛餐会です。
是非、もう一つの宝を見つけに、おいで下さい!
神様は宝石屋さんよりも太っ腹ですよ~。


さて、11月13日(金)の聖書。
エズラ記2章。


「一族のかしらのある者たちは、エルサレムにある主の宮に着いたとき、それをもとの所に建てるために、神の宮のために自分から進んでささげ物をした。」68節。

進んでささげものを持ってきた人々。
それがいいんでしょうね。
変なプレッシャーではなくて、
義務感ではなくて、
心からのささげものを持ってくる人々。

それが用いられるためには、
また紆余曲折あったわけですが、
それはまた「主にささげたもの」。
時間が経ったとしても、
願ったようなことにならなかったとしても、
そういうことも主にゆだねて、
とにかく進んで持ってきた人々。

主の御業はそれによって進んでいくのだと思います。
大きく主に用いられることを期待して、
1ブロックすべてを買った信仰の先輩達の遺産に
支えられている教会の存在も聞きます。

もちろん、モノを生かす人が必要で、
ノムさんが言っていたように、
「財を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すは上なり」ということで、
その信仰の先輩達も、人を育てたのでしょうが、
「人を育ててくださる主」を信頼して、
自分のできることをしていくことがまた必要なんでしょうね。

主よ、
ささげる喜び、進んでささげる喜びに生かしてください。
その祝福をいっぱいに頂くことができますように。

「何が一番大事?」

火曜日の夕方、教会で新しいコピーマシン納品の待機中。


今日は昨日に比べるとぐっと冷えて、
とてもひんやりする一日です。
それでも10度以上はあるのですから、
昨日までが本当に暖かかったということですよね。


来週の後半、ちょうどサンクスギビングの日か、翌日頃、
Snowstormの可能性が出てきました。
はい、まだまだ先なので、毎日予報が変わるのですが、
さて、どうなるか、注目です。


日曜日には久しぶりの会堂候補物件見学でした。
教会が21年前に始まってから、ここまでずっと
現地の英語の教会の教会堂を借りてきています。
貸してくださっている教会に、ある程度の感謝献金をささげていますが、
本当に愛されて、支えられてきました。
大切な会堂を貸してくださるという、この援助なしにはここまでの歩みはあり得なかったでしょう。
Zion教会の祝福を祈ります。


でも、日曜日の朝のことなのですが、自分は今までどれほど、Zion教会の祝福を本気で祈ってきたか、近年どんどん集う方々が少なくなってきているZion教会の祝福をどれほど本気で祈ってきたか?ということについて悔い改めさせられました。「やがて、この会堂を買ってくれ、と言ってくるのではないか・・・」などという声が聞こえてきても、それに対して、はっきりと「そうではなくて、祝福を祈るべきでしょう!」と大きな声で明言してこなかった、いや、自分の中にも少しもそんな気持ちがなかったかと言えば、やはりなかったとは言い切れない、自分の愚かさも悔い改めさせられました。


そして、日本語教会の会堂のためにも、ずっと祈られてきましたし、
たくさんのささげものがささげられてきました。
この地に来られて、ここで礼拝をささげられた何百人という方々が、
どれほど祈り、どれほどささげものを積み立てられてきたか?


それでも、日本よりも教会として使う建物の基準
(駐車場の広さとか、前の道路の幅とか・・・)
がとても厳しい、この国で、その基準を満たす土地や建物を見つけたり、
許可を取ったりするのはとても大変なことです。


でも、主が導いてくださるならば、
すべては守られるでしょう。道が開かれるでしょう。


だからこそ、わたしたちが今目を留めるのが、
「神の国と神の義とをまず求めなさい。そうすれば、それらのもの(必要なもの一切)は添えて与えられるであろう」というイエスの言葉であると思います。


神様が与えてくださるオマケの方に目を留めるのではなくて、
何よりも、「神の国と神の義」を求める。
神の愛が私たちの心を支配するように、
神の恵みがわたしたちの心にあふれるように。
感謝があふれるように。
わたしたちのお互いの関係の中に、神の愛があふれるように、
そして、神様に救われた喜びがあふれるように。
主に従う歩みをしていくことができるように。


オマケをもらうために「神の国と神の義」を求めるのではなくて、
本気で、神の支配を求めていく。


そのように求めていこうと思います。
そのように教会のメンバーの視点が主からずれないように導くのが牧師の使命であると思わされます。


さて、11月12日(木)の聖書。
エズラ記1章でした。


「そこで、ユダとベニヤミンの一族のかしらたち、祭司たち、レビ人たち、すなわち、神にその霊を奮い立たされた者はみな、エルサレムにある主の宮を建てるために上って行こうと立ち上がった。」5節。

やはり「主にその霊を奮い立たされる」と言うことが大切なんだと思う。
人の言葉ではなく、アジテーションではなく、
主がわたしたち一人一人の心に語ってくださって、
奮い立たせてくださる。
それがわたしたちの歩みを決めていくのだと思う。

だから、人間的な知恵に頼るのではなく、
神の知恵に頼っていきたい。

人間的な考えで、そして努力で、
何とか人を立ち上がらせようとするのではなく、
主が奮い立たせてくださるのを、見せて頂きたい。

人との会議ではなく、
主との会議を何よりも大切にして、
主が指揮者であることを信頼して、
一人一人に触れてくださるようにと、
一人一人を奮い立たせてくださるようにと、
祈らされる。

主よ、
どうか、今、私の霊を奮い立たせてください。
教会の一人一人の霊を奮い立たせてください。
あなたのみこころを見分ける目を与えてください。
あなたに御声を聞く耳を与えてください。

2009-11-16

子供たちの教育も楽しそう。

昨日、今日と暖かい日となりました。
でも、明日からは晩秋らしい涼しさになりそうです。
そして、来週後半からは冬になりそうですね。
サンクスギビングの頃には冷え込むものですが、
今年もそうなりそうです。


土曜日、ほぼ毎週弟子訓練のプログラムをもっているのですが、
おとといは本当に久しぶりに、一つのグループも持てずに、
時間ができました。


丁度、下の娘の日本語補習校の参観日と懇談会がありまして、
これは、「行ってこい!」という神様からの命令かと思って、
行って参りました。


先生と子供たちのやりとりを見ていて、
ちょっと羨ましくなりました。
やってみたいなあと思いました。


あちらこちらで、牧師さんが日本語補習校の先生をやっているという話を聞きます。
校長を頼まれた、なんて話も聞いたことがあります。
いろいろ苦労はあると思います。
楽しいだけではないと思います。
でも、楽しいだろうなあと思います。
今の自分の時間の使い方ではどうしても無理ですが、
そんな道も開かれないかと思い始めました・・・。


さて、だいぶたまってしまいましたが、
11月11日(水)の聖書。
ヤコブ5章13-20節。


「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。」16節。

これは交わりですよね。
交わりは「あそこの店が安い」とかそんなこともあるかも知れませんが、
本当は、罪を告白もできるような、
そういう者であるべきなんでしょう。
互いに、恥をも分かち合えるような空気。
そして、「私のために祈って欲しい」と言える勇気。

そう、日曜日の礼拝でもお話ししましたが、
「あの人のために祈りましょう」と言うことよりも、
「私のために祈ってください」と言うことの方が
数段難しいです。

自分を人の前に開かなければいけないからです。

自分の弱さを人の前に出さなければいけないからです。

弱さを見せたらつけ込まれる。
弱さを見せたら甘く見られる。
弱さを見せたら負け。

そんな社会に生きている私たちにとって、
とても勇気のいることだと思う。

でも、主は教会にそれを求められる。
私から始めて行こうと思う。

主よ、
本当の教会を築かせてください。
本当の教会を建て上げさせてください。
信仰を土台にした、
あなたを中心にした、
交わりを経験させてください。

2009-11-15

再び連敗中。

今年何回目かわかりませんが、
連敗中です。

元気でやっています。
でも、優先順位の問題で、
今夜ももう寝ます。

今週一週間が神様の守りの中に支えられた、
主のいやしに満ちた週になりますように。