いやあ、からだを甘やかせているので、
この、べと~、じと~という感じが、
きついですねえ。
今朝は20度くらいありました。
そして、今、朝の10時前ですが、29度くらいまで上がっています。
今日は30度を超えます。
でも午後から夜はまた雷雨。
それで明日からはまた朝晩15度くらいの
涼しい夏が続きそうです。
そして、来週後半からの予報は以下のようになっています。
これは参りましたね。
未だ先のことなので、全く変わる可能性もあるのですが、
気持ちがどんよりしそうです。
夏があるうちに、夏を楽しみましょう!
さて、7/13(月)の聖書。
7/13からはルツ記を読んでいます。
13日は1:1-14。
「ルツはすがりついていた。」14節。
ユダヤからやってきた一つの家族。
大黒柱を失い、二人の息子が母を支えていた。
その息子の一人、マフロンと結婚したルツ。
彼女はその母と兄弟の信仰の歩みを見て、
神を信じる者となっていた。
その家庭を襲った悲劇。
その兄弟が二人とも亡くなってしまったのだ。
残されたのは何の血のつながりもない女性3人。
当然、母は嫁達に、さあ、あなた方は未だ若い、
家に帰って、自分の人生を歩みなさい、
というわけです。
でも、そこで、ルツはナオミにすがりついていた。
彼女にとって、やはり、もう、この義母が頼るべき、
共に生きるべき、家族だったのだ。
そして、そのことが、この彼女の信仰の歩みの中で、
criticalな出来事になる。
わたしたちの歩みの中で、
ここだけは・・・というcriticalなポイントがあると思う。
それを外さない。
それを見逃さない、
そんな鋭さを持たせて頂きたいと思う。
主よ、
私もあなたを頼ります。
あなたのことを忘れないで、
いつもいつも前に置いて歩ませてください。
そして、ここぞ、というポイントを
見逃すことがありませんように。
2009-07-17
2009-07-16
早く休みます。
今日も充実した一日でしたが、
暑かったですね。
31度くらいまで上がりました。
夜の12時ですが、23.5度あります。
明日も暑いみたいです。
土曜日からはまた涼しい夏に戻ります。
何だか、最近朝起きるのがつらいので、
早く休みます。
「日々のみことば」、早く追いつきたいのですが、
また明日、日中に更新しようと思います。
では、夢の国に行って来ます・・・。
暑かったですね。
31度くらいまで上がりました。
夜の12時ですが、23.5度あります。
明日も暑いみたいです。
土曜日からはまた涼しい夏に戻ります。
何だか、最近朝起きるのがつらいので、
早く休みます。
「日々のみことば」、早く追いつきたいのですが、
また明日、日中に更新しようと思います。
では、夢の国に行って来ます・・・。
2009-07-15
ことばとおんがくとえのさんび。
今日も朝は涼しかったです。
昼間はソコソコ暑くなりました。
でもでも、今年の夏はとて~も過ごしやすいです。
明日は一時雷雨の予報です。
50パーセントを出してきているところもあり、
30パーセントを出してきているところもあり、
正直、わかりませんが、
覚悟は必要みたいですね。
さて、今日は久しぶりのクロッキー教室。
そして、人生初のモデル体験。
爆笑を誘いながら、皆さんに描いて頂きました。
照れますねえ。でも、うれしい。
皆さん、愛をもって描いてくださいました。
その中で話に出た、言葉と音楽とそして、絵で神様を賛美するパフォーマンスのビデオ。
すばらしいです。
本当に神様が与えてくださったすべてをもって賛美ですね。
3年前にアップされたビデオですが、300万回以上再生されています。
さて、7月12日日曜日、哀歌の最後の日です。
哀歌の5:11-22を読みました。
「 主よ。あなたのみもとに帰らせてください。私たちは帰りたいのです。」21節。
結局そこですよね。
わたしたちが神様の許に帰る。
神様と共に歩む、
それがわたしたちの望み。
そして、それがわたしたちが一番わたしたちらしい瞬間。
神と共に歩む喜びに生かして頂きたいです。
日曜日の朝に読んだので、
礼拝のことを覚えて祈りました。
本当に主のもとに集う、主の許に帰る、
そんな礼拝となりますようにと。
そして、それが毎日の歩みになりますように。
そして、今度の日曜日の礼拝も、
そのことを実感するときとならせてください。
主よ、
どうか、あなたと共に歩ませてください。
あなたの元でホッと休ませてください。
昼間はソコソコ暑くなりました。
でもでも、今年の夏はとて~も過ごしやすいです。
明日は一時雷雨の予報です。
50パーセントを出してきているところもあり、
30パーセントを出してきているところもあり、
正直、わかりませんが、
覚悟は必要みたいですね。
さて、今日は久しぶりのクロッキー教室。
そして、人生初のモデル体験。
爆笑を誘いながら、皆さんに描いて頂きました。
照れますねえ。でも、うれしい。
皆さん、愛をもって描いてくださいました。
その中で話に出た、言葉と音楽とそして、絵で神様を賛美するパフォーマンスのビデオ。
すばらしいです。
本当に神様が与えてくださったすべてをもって賛美ですね。
3年前にアップされたビデオですが、300万回以上再生されています。
さて、7月12日日曜日、哀歌の最後の日です。
哀歌の5:11-22を読みました。
「 主よ。あなたのみもとに帰らせてください。私たちは帰りたいのです。」21節。
結局そこですよね。
わたしたちが神様の許に帰る。
神様と共に歩む、
それがわたしたちの望み。
そして、それがわたしたちが一番わたしたちらしい瞬間。
神と共に歩む喜びに生かして頂きたいです。
日曜日の朝に読んだので、
礼拝のことを覚えて祈りました。
本当に主のもとに集う、主の許に帰る、
そんな礼拝となりますようにと。
そして、それが毎日の歩みになりますように。
そして、今度の日曜日の礼拝も、
そのことを実感するときとならせてください。
主よ、
どうか、あなたと共に歩ませてください。
あなたの元でホッと休ませてください。
2009-07-14
進出。
今日も朝は寒かったです。
長袖を着ても、外は寒いくらい。
昼間は夏らしい日でしたが、
夜になってまた冷えてきました。
今は11時前で19度。
明日の朝はまた10度台前半です。
そして、また昼間は晴れて、気持ちのいい晴れの日です。
今日、Fort LeeのNJ日米協会を使わせて頂いて、
聖書の学びのクラスをスタートしました。
予想を遙かに超える13名の方々が集って、
とても楽しい一時を持ちました。
今、NJの日本人人口は地域的に、
おそらく2つの集中している地域があって、
一つは、我が家のあたり。
日本語補習校もあり、
交通の便も便利。
でも、やはり車がないと生活出来ない。
もう一つはGeorge Washington Bridgeから南に広がる川沿いの地域。
MITSUWAという日本のスーパーもあり、
最近の建設ラッシュで、新しいこぎれいなコンドミニアムが並んでいる。
今回、集会をした日米協会は、後者の方にすむ人たちにとっては、
とてもいいところ。
車を運転しない人たちや、Highwayの運転はむり、という人も来ることができる。
だから、新しい方々も来られましたが、
それと共に、いつも教会に来られている方々のうちで、
そちら方面の人たちのうれしそうな顔を見て、
本当に良かったなあ、と思いました。
教会は前者の地域。
この両者は車で15分しか離れていないのですが、
人によっては心理的距離はもっとあるでしょうね。
この道を開いてくださった神様に感謝。
もっともっと主がこの地域の方々に福音を語らせてくださいますように。
「あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。」イザヤ54:2。
さて、7月11日(土)の聖書。哀歌5章1-10節。
「私たちの先祖は罪を犯しました。」7節。
先祖の罪を認める著者。
そこに自分が連なっていることを告白しています。
「私が悪かったわけではない」
そのように逃げたいのがわたしたちの常です。
「私は未だ生まれていなかった」
「先祖が勝手にやったことだ」と言いたい。
逆に告発することの方が簡単でしょう。
でも、そこに自分が連なる。
自分の罪として悔い改める。
自己保身に走らない。
そんな潔さ。
そんな気持ちをもって歩みたいと思わされました。
主よ、
私は連帯責任を負うことから逃げたい者です。
でも、そこに勇気と真実をもって、
連なることを恐れない者としてください。
先輩の罪、仲間の罪を、自分も負う勇気を与えてください。
いや、自分も状況さえ整えば、同じ罪を犯す弱さを持った者であることを、
自覚させてください。
長袖を着ても、外は寒いくらい。
昼間は夏らしい日でしたが、
夜になってまた冷えてきました。
今は11時前で19度。
明日の朝はまた10度台前半です。
そして、また昼間は晴れて、気持ちのいい晴れの日です。
今日、Fort LeeのNJ日米協会を使わせて頂いて、
聖書の学びのクラスをスタートしました。
予想を遙かに超える13名の方々が集って、
とても楽しい一時を持ちました。
今、NJの日本人人口は地域的に、
おそらく2つの集中している地域があって、
一つは、我が家のあたり。
日本語補習校もあり、
交通の便も便利。
でも、やはり車がないと生活出来ない。
もう一つはGeorge Washington Bridgeから南に広がる川沿いの地域。
MITSUWAという日本のスーパーもあり、
最近の建設ラッシュで、新しいこぎれいなコンドミニアムが並んでいる。
今回、集会をした日米協会は、後者の方にすむ人たちにとっては、
とてもいいところ。
車を運転しない人たちや、Highwayの運転はむり、という人も来ることができる。
だから、新しい方々も来られましたが、
それと共に、いつも教会に来られている方々のうちで、
そちら方面の人たちのうれしそうな顔を見て、
本当に良かったなあ、と思いました。
教会は前者の地域。
この両者は車で15分しか離れていないのですが、
人によっては心理的距離はもっとあるでしょうね。
この道を開いてくださった神様に感謝。
もっともっと主がこの地域の方々に福音を語らせてくださいますように。
「あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。」イザヤ54:2。
さて、7月11日(土)の聖書。哀歌5章1-10節。
「私たちの先祖は罪を犯しました。」7節。
先祖の罪を認める著者。
そこに自分が連なっていることを告白しています。
「私が悪かったわけではない」
そのように逃げたいのがわたしたちの常です。
「私は未だ生まれていなかった」
「先祖が勝手にやったことだ」と言いたい。
逆に告発することの方が簡単でしょう。
でも、そこに自分が連なる。
自分の罪として悔い改める。
自己保身に走らない。
そんな潔さ。
そんな気持ちをもって歩みたいと思わされました。
主よ、
私は連帯責任を負うことから逃げたい者です。
でも、そこに勇気と真実をもって、
連なることを恐れない者としてください。
先輩の罪、仲間の罪を、自分も負う勇気を与えてください。
いや、自分も状況さえ整えば、同じ罪を犯す弱さを持った者であることを、
自覚させてください。
2009-07-13
サービスは大切。
去年、10年ぶりくらいにりんご社製品を使い始めて、
今日、初めて、サービスを利用したのですが、
とてもいいですね。
いや、Dellのサービスもいいですし、(特にチャット)
KmartやShopriteやHomedepotや、いろんなところのサービスカウンターや、
サービスセンターにお世話になっていますが、
今日はりんごストアで、10か月OLDの愛機を、
新品に交換して頂きました。
1ヶ月ほど前に、iPhoneの一番下のコネクターの裏に長さ1センチ足らずのひびを発見。
そういえば、ちょっと前から、コネクターの決まりが緩いような気がしていたのでした。
で、ネット上で調べたら、そういう症状がよくあって、
その場合、保証期間内だと、新品に代えてもらえる、
という記述もあり、(いや、私は何も保証しません、念のため)
今日、アポイントを取って行ってきました。
そしたら、両腕と肩にバリバリ入れ墨を入れているお姉ちゃんが、
OK、と簡単に無料交換に応じてくれました。
(念のために、水に濡れると反応するセンサーの色が変わっていないか、チェックはしていました)
ついでに、最近、断線しそうになっていた、コネクター用のケーブルの方も無料交換。
9月に1年の保証が切れるので、ぼやぼやしていると、時間切れアウト、もあるかと思って、
時間ができたときに、相談しに行ってよかったです。
細かいことを気にする人間ではないので、
別にひびが入っていてもそれほど支障があるわけではないのですが、
1年近く使っていると電池が弱くなってきています。
ですから、ここで交換してもらえるのは、すごく助かります。
今度のヤツのバッテリーがへたってくる、
来年の今頃には、また次のモデルに切り替わっているでしょうから、
そこまでもってくれればよし、ということで。
そして、帰って、データの復元をしたのですが、
ちょっと手間取り、またものすごい時間がかかっていましたが、無事終了。
ほとんど、今まで使っていたヤツと同じ環境が復元されていました。
これはまたすごい、と思いました。
私はいつもDisneyには感心するのですが、
りんご社のサービスもかな~りのものです。はい。
サービスは大切。
どんなに安く売っても、どんなにたくさん売っても、
いざというときに相談に乗ってくれない、
何もしてくれない、相談に行ったら嫌な気持ちになってしまう、
そんな、ことでは、お客さんはつながらないですよね。
そして、この会社のやり方は、普通の人が使うコンピューターのメーカーとしては、
特別なビジネスモデルですよね。
他のメーカーはWindowsという他の会社が作った共通のOSを走らせるが故に、
自由はいろいろ多い。私なんかでも、いろんな部品を集めて、一つの機械を作れる。
でも、トラブルが起ったときに、どこの責任がよくわからない。
でも、このりんご社製品は、ソフトもハードも両方作り、
そして、その使用条件も厳しくコントロールしている。
だから、トラブルが起ったときに、すべての責任を自分で負う。その潔さがある。
自分の働きのためにも、大切なことを学ばされたように感じました。
自分が責任を負いたくないが故に自由を与えている、ということがないだろうか、
本気でトラブルが起ったときに、その責任を負う準備ができているだろうか、
それほど、真剣に日々の歩みを歩んでいるだろうか、それを思わされました。
さて、今日2回目。
7/10金曜日の聖書。哀歌4:11-22でした。
「私たちの鼻の息である者、主に油そそがれた者までも、彼らの落とし穴で捕らえられた。『この者のおかげで、諸国の民の中でも私たちは生きのびる』と私たちが言った者なのに。」20節。
当てにしていた人、
あの人がいるから大丈夫、と思っていた人が、
穴に陥る、ということがある。
本当に主を信頼することの大切さを思わされます。
人を当てにして、
人に期待して、
あの人がいる限り、何とかなる。
あの人だけは助けてくれる、
そんな思いにとらわれたときは本当に気をつけなければ、
と思います。
人を信じることももちろんすばらしいこと。
でも、もしも人がいなくても主がいるから大丈夫、
人の背後には主がおられて、導いてくださっている、
そのように主を信頼して歩んでいこう。
主よ、
あなたが私を支えてくださる方であることに感謝します。
人ではありません。あなたです。
あなたが私を支えてくださっているから、
私は生きているのです。
どうか、人を信じるときにも、その人の背後におられるあなたご自身を見つめていくことができますように。
今日、初めて、サービスを利用したのですが、
とてもいいですね。
いや、Dellのサービスもいいですし、(特にチャット)
KmartやShopriteやHomedepotや、いろんなところのサービスカウンターや、
サービスセンターにお世話になっていますが、
今日はりんごストアで、10か月OLDの愛機を、
新品に交換して頂きました。
1ヶ月ほど前に、iPhoneの一番下のコネクターの裏に長さ1センチ足らずのひびを発見。
そういえば、ちょっと前から、コネクターの決まりが緩いような気がしていたのでした。
で、ネット上で調べたら、そういう症状がよくあって、
その場合、保証期間内だと、新品に代えてもらえる、
という記述もあり、(いや、私は何も保証しません、念のため)
今日、アポイントを取って行ってきました。
そしたら、両腕と肩にバリバリ入れ墨を入れているお姉ちゃんが、
OK、と簡単に無料交換に応じてくれました。
(念のために、水に濡れると反応するセンサーの色が変わっていないか、チェックはしていました)
ついでに、最近、断線しそうになっていた、コネクター用のケーブルの方も無料交換。
9月に1年の保証が切れるので、ぼやぼやしていると、時間切れアウト、もあるかと思って、
時間ができたときに、相談しに行ってよかったです。
細かいことを気にする人間ではないので、
別にひびが入っていてもそれほど支障があるわけではないのですが、
1年近く使っていると電池が弱くなってきています。
ですから、ここで交換してもらえるのは、すごく助かります。
今度のヤツのバッテリーがへたってくる、
来年の今頃には、また次のモデルに切り替わっているでしょうから、
そこまでもってくれればよし、ということで。
そして、帰って、データの復元をしたのですが、
ちょっと手間取り、またものすごい時間がかかっていましたが、無事終了。
ほとんど、今まで使っていたヤツと同じ環境が復元されていました。
これはまたすごい、と思いました。
私はいつもDisneyには感心するのですが、
りんご社のサービスもかな~りのものです。はい。
サービスは大切。
どんなに安く売っても、どんなにたくさん売っても、
いざというときに相談に乗ってくれない、
何もしてくれない、相談に行ったら嫌な気持ちになってしまう、
そんな、ことでは、お客さんはつながらないですよね。
そして、この会社のやり方は、普通の人が使うコンピューターのメーカーとしては、
特別なビジネスモデルですよね。
他のメーカーはWindowsという他の会社が作った共通のOSを走らせるが故に、
自由はいろいろ多い。私なんかでも、いろんな部品を集めて、一つの機械を作れる。
でも、トラブルが起ったときに、どこの責任がよくわからない。
でも、このりんご社製品は、ソフトもハードも両方作り、
そして、その使用条件も厳しくコントロールしている。
だから、トラブルが起ったときに、すべての責任を自分で負う。その潔さがある。
自分の働きのためにも、大切なことを学ばされたように感じました。
自分が責任を負いたくないが故に自由を与えている、ということがないだろうか、
本気でトラブルが起ったときに、その責任を負う準備ができているだろうか、
それほど、真剣に日々の歩みを歩んでいるだろうか、それを思わされました。
さて、今日2回目。
7/10金曜日の聖書。哀歌4:11-22でした。
「私たちの鼻の息である者、主に油そそがれた者までも、彼らの落とし穴で捕らえられた。『この者のおかげで、諸国の民の中でも私たちは生きのびる』と私たちが言った者なのに。」20節。
当てにしていた人、
あの人がいるから大丈夫、と思っていた人が、
穴に陥る、ということがある。
本当に主を信頼することの大切さを思わされます。
人を当てにして、
人に期待して、
あの人がいる限り、何とかなる。
あの人だけは助けてくれる、
そんな思いにとらわれたときは本当に気をつけなければ、
と思います。
人を信じることももちろんすばらしいこと。
でも、もしも人がいなくても主がいるから大丈夫、
人の背後には主がおられて、導いてくださっている、
そのように主を信頼して歩んでいこう。
主よ、
あなたが私を支えてくださる方であることに感謝します。
人ではありません。あなたです。
あなたが私を支えてくださっているから、
私は生きているのです。
どうか、人を信じるときにも、その人の背後におられるあなたご自身を見つめていくことができますように。
父娘水いらず。
今朝はまた冷えましたねえ。
12度くらいまで下がりました。
寒いくらいでした。
でも、昼間はいい天気になって、
またまたさわやかな夏の一日。
夕方からまた涼しくなってきました。
明日の朝も、冷え込みそうです。
ひさ~しぶりの休日。
今年はJuly 4thも土曜日でしたし、
2週間キャンプが続きましたから、
3週間ぶり。
ということで、昨日のうちから、
子供たちに(のんちは仕事DAY・・・)、
「明日は何がしたい?たとえば・・・blueberry pickingとか・・・」
誘導尋問で聞いてきたのですが、
一番下の娘だけが乗ってきたので、
キャンプ疲れの残る高校生は家に残して、
父娘水入らずで行って参りました。
いろいろ調べて、北の方に1時間あまり走ったところにある、
Hodgson's Farm & Garden Center
に行ってきました。
今シーズン真っ盛りで、
たわわに実っています。
ほんと、「たわわ」って感じ。
ちなみに入園無料。
1パウンド(450グラムくらい)で、3ドルです。
味見は自由です。
昼頃に着いたので、
気持ち悪くなるくらい食べました。
この子の顔はほんとに「ハジそっくり」です。
「ハジ子」と呼んだりします。
自分でも、「ハジのまね」と、顔を突き出します。
なにもしなくても、そっくりなことを自分でも自覚しているようです。
子どもの時に、兄弟の中で一人だけ連れて行ってもらった経験、
親父にどこかに連れて行ってもらった思い出は、残っています。
だから、今年の夏休み、あんまりできないのではありますが、
子供たち一人一人と、「特別な時間」を作りたいな、と思わされています。
でも、可能性のある月曜日もあと4回かな。
一回一回大切に過ごしたいと思いました。
さて、7月9日木曜日の聖書。
7/9は哀歌の4:1-10。
「乳飲み子の舌は渇いて上あごにつき、幼子たちがパンを求めても、それを裂いて彼らにやる者もない。」4節。
こんなことがあるのだろうかということが、
ここには書かれています。
でも、限界状況を経験したことのない私には想像出来ないようなことが、
限界状況では起るのだろうと思います。
自分は根本的に、人の善意を信じたい方です。
でも、そう楽観的に、無邪気に言ってはいられない、
というのが現実なのでしょう。
人の愛の限界、人の愚かさを思わされました。
そしてそれは自分もそう。
ただただ、主の憐れみを慕うのみです。
主よ、
人の愛の限界を忘れることがありませんように。
そして、あなたの愛を見上げ、信じる者とならせてください。
あなたの真実を、信頼しています。
12度くらいまで下がりました。
寒いくらいでした。
でも、昼間はいい天気になって、
またまたさわやかな夏の一日。
夕方からまた涼しくなってきました。
明日の朝も、冷え込みそうです。
ひさ~しぶりの休日。
今年はJuly 4thも土曜日でしたし、
2週間キャンプが続きましたから、
3週間ぶり。
ということで、昨日のうちから、
子供たちに(のんちは仕事DAY・・・)、
「明日は何がしたい?たとえば・・・blueberry pickingとか・・・」
誘導尋問で聞いてきたのですが、
一番下の娘だけが乗ってきたので、
キャンプ疲れの残る高校生は家に残して、
父娘水入らずで行って参りました。
いろいろ調べて、北の方に1時間あまり走ったところにある、
Hodgson's Farm & Garden Center
に行ってきました。
今シーズン真っ盛りで、
たわわに実っています。
ほんと、「たわわ」って感じ。
ちなみに入園無料。
1パウンド(450グラムくらい)で、3ドルです。
味見は自由です。
昼頃に着いたので、
気持ち悪くなるくらい食べました。
この子の顔はほんとに「ハジそっくり」です。
「ハジ子」と呼んだりします。
自分でも、「ハジのまね」と、顔を突き出します。
なにもしなくても、そっくりなことを自分でも自覚しているようです。
子どもの時に、兄弟の中で一人だけ連れて行ってもらった経験、
親父にどこかに連れて行ってもらった思い出は、残っています。
だから、今年の夏休み、あんまりできないのではありますが、
子供たち一人一人と、「特別な時間」を作りたいな、と思わされています。
でも、可能性のある月曜日もあと4回かな。
一回一回大切に過ごしたいと思いました。
さて、7月9日木曜日の聖書。
7/9は哀歌の4:1-10。
「乳飲み子の舌は渇いて上あごにつき、幼子たちがパンを求めても、それを裂いて彼らにやる者もない。」4節。
こんなことがあるのだろうかということが、
ここには書かれています。
でも、限界状況を経験したことのない私には想像出来ないようなことが、
限界状況では起るのだろうと思います。
自分は根本的に、人の善意を信じたい方です。
でも、そう楽観的に、無邪気に言ってはいられない、
というのが現実なのでしょう。
人の愛の限界、人の愚かさを思わされました。
そしてそれは自分もそう。
ただただ、主の憐れみを慕うのみです。
主よ、
人の愛の限界を忘れることがありませんように。
そして、あなたの愛を見上げ、信じる者とならせてください。
あなたの真実を、信頼しています。
2009-07-12
みっどらいふくらいしす・・・そのご。
今朝、起きたときは、空がどんよりしていましたが、
今、8時半ですが、スカッと晴れています。
行楽礼拝日和です。
気温はソコソコ上がると思いますが、
湿度はそれほど高くなく、さわやかな夏の日になりそうです。(^^)
今年の2月にみっどらいふくらいしすのこと書きましたが、
・・・2/22の記事、2/23日の記事・・・
40歳を過ぎた頃から、自分の人生は今までの人生の延長の上にあると思ってきました。
それまでの全能感、そうですね、
「がんばれば何でもできる・・・」みたいな、
「ホントのオレはこんなもんじゃない」みたいな、
そんな感覚から、「自分の人生を受け入れる」みたいな感覚に移ってきたんですね。
でも、またここのところ、何だか、新しいことが起るような、
ワクワク感が生まれてきました。
昨日も書いたように、新しいことに挑戦しようかとか、
神様はどんなことをしてくださるんだろうかとか、
そんな感じがあります。
特別に目が開かれるような経験があったわけではありません。
でも、いろんなことを通して、主が語ってくださっていると思います。
このブログもそうですし、弟子訓練のプログラムもそうですし、
「日々のみことば」もそうです。
もちろん、これで、あっさり、「みっどらいふ・・・」を超えたわけではないと思います。
盛り上がったり、盛り下がったり、いろんなところを通ると思います。
いや、それどころか、これからが本番で、私は今入り口にいるのかもしれません。
でも、ここ数年の中で、このワクワク感は不思議な感覚です。
そして、この先も、主が守り支えてくださることを、安心して信頼出来ます。
先の事どもを思い出すな。
昔の事どもを考えるな。
見よ。わたしは新しい事をする。
今、もうそれが起ころうとしている。
あなたがたは、それを知らないのか。
確かに、わたしは荒野に道を、
荒地に川を設ける。
(イザヤ43章18-19節)
今、8時半ですが、スカッと晴れています。
行楽礼拝日和です。
気温はソコソコ上がると思いますが、
湿度はそれほど高くなく、さわやかな夏の日になりそうです。(^^)
今年の2月にみっどらいふくらいしすのこと書きましたが、
・・・2/22の記事、2/23日の記事・・・
40歳を過ぎた頃から、自分の人生は今までの人生の延長の上にあると思ってきました。
それまでの全能感、そうですね、
「がんばれば何でもできる・・・」みたいな、
「ホントのオレはこんなもんじゃない」みたいな、
そんな感覚から、「自分の人生を受け入れる」みたいな感覚に移ってきたんですね。
でも、またここのところ、何だか、新しいことが起るような、
ワクワク感が生まれてきました。
昨日も書いたように、新しいことに挑戦しようかとか、
神様はどんなことをしてくださるんだろうかとか、
そんな感じがあります。
特別に目が開かれるような経験があったわけではありません。
でも、いろんなことを通して、主が語ってくださっていると思います。
このブログもそうですし、弟子訓練のプログラムもそうですし、
「日々のみことば」もそうです。
もちろん、これで、あっさり、「みっどらいふ・・・」を超えたわけではないと思います。
盛り上がったり、盛り下がったり、いろんなところを通ると思います。
いや、それどころか、これからが本番で、私は今入り口にいるのかもしれません。
でも、ここ数年の中で、このワクワク感は不思議な感覚です。
そして、この先も、主が守り支えてくださることを、安心して信頼出来ます。
先の事どもを思い出すな。
昔の事どもを考えるな。
見よ。わたしは新しい事をする。
今、もうそれが起ころうとしている。
あなたがたは、それを知らないのか。
確かに、わたしは荒野に道を、
荒地に川を設ける。
(イザヤ43章18-19節)
ただただ、主に感謝。
さて、7月8日(水)の聖書。
7月8日は哀歌3:55-66。
「私があなたに呼ばわるとき、あなたは近づいて、『恐れるな』と仰せられました。」57節。
主が近づかれる。
主はいつも共におられる、という感じがある。
でも、この聖書の箇所を読むと、
主が近づかれるとあるから、逆を読むと、主が遠ざかれるときもある、ということだろうか。
この著者が、そう勘違いしているのか、
それとも、私が勘違いしているのか・・・。
主がいつも共にいてくださる、それは確か。
でも、その神様との距離は近づいたり、遠ざかったりするのだろうか。
今の自分はどうだろうか?
私の方が神様のことを忘れて、
他のことに心を奪われてしまうことはないだろうか?
でも、わたしたちが神様に目を向けるときに、
神様に叫ぶときに、
主が近づいてくださる。
そして語ってくださる。
「恐れるな」と。
今日も恐れないで歩もう。
恐れが湧いてきたときには、
また主に目を留めよう。
主に向かおう。
主に叫ぼう。
そして、主に語って頂こう。
主よ、
私がどんな気持ちの時にも、
あなたは共にいてくださることに感謝します。
主よ、
どうか、今日も、私をあらゆる恐れから守ってください。
そして、必要な助けを与えてください。
あなたがしてくださる新しいことに感謝し、期待します。
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