2009-04-25

夏が来ますよ~。

今朝は寒かったです。
「霜注意報」でしたが、
ホントに霜が降りていました。


でも、昼間はぐんぐん気温が上がって25度。
そして、明日は85度Fの予想をあちらこちらの天気予報が出してきていますが、
これはぎりぎり20度台。
86度Fが30度Cです。
まあ、ほぼ30度まで上がる、ということです。


でも、今日も感じたのですが、
このように急に暑くなると、
外は暑いんだけど、建物の中は妙にひんやりしていたりしますね。
着るものの調節が難しいです。
お風邪などおめしになりませんように。


日曜日、月曜日も同じくらいかそれ以上の暑さの予報です。


さて、今日は早速聖書。
昨日のところですね。


昨日はゼパニヤの1章14節~2章3節。


「主を尋ね求めよ。義を求めよ。柔和を求めよ。」3節。

ちょっと前に、「あなたは義を行っていない」と迫ってくる人がいました。
お話を聞きながら、あまりに一方的な、「義」の理解に閉口しました。
神様を利用して、自分の考えを押しつけるのが一番いけない、
と私たちはよく思うものですが、
自分がそこに陥っている時には、なかなかそれに気が付かないものです。

私たちが「義」を振り回す時に、
それが自分の考えた「正しいこと」になりやすいのが、私たちの常。

だから、本当に注意しなければ、と思います。
神の義を求める、それが大切だと思います。
自分がそう思うから・・・ということを超えて、
神様が願われるところに生きていく、
自分勝手な思いが忍び込んでくる危険をいつもいつも意識しながら、
だからといって、「わからないよ」とあきらめないで、
主が何を願っておられるのかを、ぎりぎりまで求めていく。

そのように主を求めていく者でありたいです。
神の義を求めていく者でありたいです。

そして、「柔和」を求める。
「何でもいい」じゃない、
ホントに人を愛して、人を受け入れていくのは、
無責任に「何でもいい」「何も言わない」のではないのです。
これも、主の柔和さを教えて頂きたいです。

主よ、
あなたの義を求めます。
自分の義ではなくて、
自分の考えではなくて、
あなたが願われること、
あなたの目に正しいことを、
行う者でありますように。

2009-04-23

NYの祈り会。

今日は夕方からきれいに晴れました。
明日の朝はちょっと寒くなるようで、
霜注意報が出ていますが、
昼間は暖かくなり、
月曜日にかけて30度を超える温度になるようです。


毎年のように、5月頃に「春がなくていきなり夏」みたいな日はあるのですが、
今年は4月のうちからそうなりそうですね。


さて、昨日から、毎月第4週の水曜日の夜7時から、
NYで祈り会が始まりました。
毎月どこかの祈祷会に出席して頂きたい、
と訴えながら、何年が経ったでしょうか。
NYでは朝7時半から2週間に一回祈り会を持っていますが、
朝は大変な方も多く、
今までの予定に加えて、
月に1回はNYで夜の祈り会をすることになりました。
NYに用事がない方も、
是非、この日についでを作って、
NYで共に祈りましょう。
場所はミッドタウンのデリの2階。
公共の場なので、余り派手にはできませんが、
それほど混んでいるわけでもなく、
共に近況を分かち合い、
聖書を読んで祈り合う分には問題はないと思います。


やがて、このような場所で、日曜日に礼拝ができたらなあ、
と思わされました。


さて、昨日の聖書。
昨日はゼパニヤ書1:1-13。


「その時、わたしは、ともしびをかざして、エルサレムを捜し、そのぶどう酒のかすの上によどんでいて、『主は良いことも、悪いこともしない』と心の中で言っている者どもを罰する。」12節。


結局神様はなにもしない・・・と思っている者たち、
それも、傲慢にそう思っている人たち、
なめてかかっている人たちのことを裁くと主は言われる。

これは、主は決してなにもなさらないのではない、
という決意の表れ、
主は断固として、正義をなさる、
はっきりと正しいことをなさる、という、宣言。

だから、私たちはそれに信頼して、
ただ、主から与えられた使命を果たしていく。
主が「あなたは私に従ってきなさい」といわれた言葉を、
他の誰でもなく、自分に対する言葉として、
受け取って、従っていく。
その大切さを思わされました。

誰かと比べる必要もない、
ただ、主に真実に従っていけばいい。
主は祈りに応えて正義をしてくださる。
それを信頼していきます。

主よ、
あなたの真実に感謝します。
どうか、あなたのめぐみを語り続ける者としてください。
あなたに忠実に従っていくことができますように。


また明日。

せっかく追いついたのですが、
また夜更かしになってしまわないように、
更新はまた明日にします。

では、おやすみなさい。

2009-04-22

アスパラとチューリップとりんご。

かきごおり家の庭の春の風物詩。
アスパラが芽を出してきました。
あと2-3日で初収穫です。


そして、ほったからかしのチューリップ。
新しい球根を植えても、リスにほじくられて、頭に来るばかりなので、
数年前に植えたあと、毎年そのままにしているのですが、
何とか、今年も花をつけてくれました。


庭掃除をしなければ・・・と思いつつ、
昨日の休日にできなかったので、ちょこちょこ時間を見つけて、
やらないと・・・です。


そして、りんごですが、
昨日の10億ダウンロード、
カウントダウンのサイトのカウンターではあと825万ダウンロードまで迫っていて、
今夜のうちかなあ、と思っているのですが、
これはどれだけリアルタイムなんでしょうか?


もちろん、一度読み込んだら、その読み込んだペースでカウンターは自動的にカウントしていくんでしょうから、正確な数は5秒おきとか10秒おきに再読込のボタンを押さなければいけないのだと思いますが、
だとしても、どこまで正確なんでしょうかねえ、これ。正確だとして、タイムラグはどれくらいあるのでしょうか?


「全然でたらめじゃない?」とかいうことも言われていたり、
「いやあ、ちゃんと正しい数を言っているでしょう、勿論、10億回目にヒットするかどうかは運次第だけどね」とか、言う人もあり・・・。


でも、世界で100万人の人(いや、もっと多いかも・・・)がこのカウンターを信じて今夜あと数時間起きていたとして(いや明日の夜かもしれません・・・今のペースのままだと28時間後。)、今だ!という瞬間にみんなが一斉にダウンロードしたら、どうなるんでしょうね。サーバーダウンしないのかな?そしてダウンしなかったら、一瞬に100万くらいカウンターが進む!と言うことが起るのでしょうか?ちょっと興味あり。


さて、今日の聖書。あ、やっと追いついた!
今日はハバクク書3章。


「 しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。」18節。

そう、私たちの喜びはどこまで行っても主にある。
主のもとにこそ、私たちの喜びがある。
他の楽しみ、他の喜びはその主の元にある喜びの前では全くかすんでしまう。

もっともっと主にある喜び、
もっともっと主のもとにある感謝、
感じていたいし、
表していきたい。

主が私と共にいてくださるから、
主が私を救ってくださったから。

主よ、
あなたが与えてくださる喜び、
あなたと共に歩む喜びの故に感謝します。
それをもっともっと表していくことができますように、
わたしの内にあなたの喜びを満たしてください。

2009-04-21

15年ぶりの・・・

今日は思ったよりも暖かくなって、
天気もほぼ守られて、今、夜の11時前ですが、
雷が鳴って、雨が降り出しました。


明日も今日みたいな天気でしょう。
大体一日大丈夫なんですが、
午後から夜にかけて雷雨。


なんて書いていたら、外は雹が降ってきました。


今日、ハジがアトランタから帰ってきました。
そして、夜家族会議をして、
もう、迷いはない、という、本人の気持ちを聞いて、
アトランタの大学に行かせることにしました。


早速デポジットを払ったのですが、
私自身が15年前に修士をもらった大学。
15年ぶりにその宛先を家計簿につけた時に、
さすがに感無量でした。


・・・まあ、この感無量・・・はたぶんこの一回だけで、
次回からは「え?また!?」と思うでしょうけど。(笑)


感想は、
「虫がでかい」「虫が多い」だそうです。
忘れていましたが、そうでしたね。
夏の間は fire antに大騒ぎをしていたことを覚えています。


いい経験をしてくれることを祈ります。


さて、昨日の聖書。
昨日はハバクク2:12-20。


「 まことに、水が海をおおうように、地は、主の栄光を知ることで満たされる。」14節。

この地に主の栄光があふれる。
人々が主の栄光を見る。
それは本当に私たちの希望、私たちの夢。私たちの祈り。

本当にその日が来て欲しいと思う。
神様がご自身のすばらしさを表してくださって、
私たちが一生懸命「神様はね・・・」って言わなくても、
人々が「主はすばらしい」と言うような時が。

ここまで書いて、
でも、主はやはり、私たちの姿を通して、
私たちの言葉を通して、
私たちの生活を通して、
その栄光を表そうとされている、
そのことを思わされました。

ですから、私の祈りは、
あなたの栄光を表す時に、
私の存在も、是非、是非、用いてください。
神様、あなたにとってはその必要はないかもしれませんが、
是非、私をも用いてください。

主よ、
どうか、あなたの栄光を表してください。
できれば、その時に、
私の存在も、そのために用いてください。


2009-04-20

いびき感知ソフト。

でた~!
こういうの待っていたのです。
いびき感知・抑止ソフト・・・iPhone用。 
いびきを感知したら、バイブレーションで刺激を与えてくれるだけではなくて、
回数、時間、音の大きさを記録してくれる。


録音まではしてくれないようですが、
99セントなんで、早速今夜から使ってみようと思います。
え、記録を公開?それはちょっと・・・。考えてみます。


ん?でも公開が4月1日?怪しい?


あと、このApp Storeですが、
10億ダウンロードを記念して、
10億回目のダウンロードをゲットした人が10万ドル分の・・・うそ、1万ドル分の商品券とコンピューターなどをもらえるプロモーションをしています。
ただいま(午後10時28分)986,175,×××ダウンロードまで行っています。 
あと1380万回のダウンロードが進むのはいつなんでしょうか?
明日あたりと考えているのですが・・・さてどうなるでしょうか?
直前になるとねらいを絞ってスピードが落ちるのか、それとも、世界中からのアクセスでスピードが上がるのか・・・。


私も今夜これから1回分、貢献することにします。AntiSnore。


さて、今夜3回目の「日々のみことば」の更新。
昨日、4月19日の聖書。
昨日はハバクク2:2-11。


「もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない。」3節。

私たちの時間の物差しはとても短くて、なかなか待てない。
「どうしてですか?」「いつまで待てばいいのですか?」「あなたは聞いてくださらないのですか?」と何度主に叫んだことでしょうか?

でも、主は主の決められた時に、必ず主の御業をなしてくださる。
このハバククにとっては、カルデヤ人に対する正しい裁きだけれども、
私たちにも主はその御業をなしてくださる。

だから、安心して、信頼して、祈り続けよう。
主の時がやってくるのを、
主が御業をなしてくださって、
私たちがそれを見ることができるのを・・・。

主よ、
私の時間の物差しと、
あなたの時間の物差しの違いをいつも覚えていることができますように。
あなたが応えてくださることを、あなたの御業をなさることを、
待ち望んで祈っていきます。

安全地帯。

今日、2回目の更新。


さっき、2週間前の「プロフェッショナル」を見ていました。
「人を育てる」という特集。


その中で出てきたのは「安全基地」になる、ということ。


子供なり、仕事上の部下なりが挑戦できるように、
安全基地になることが大切。
「うまくいかなかったら、あそこに帰ればいい」と思うと、
新しいところに挑戦ができるようになる。


そうですよねえ・・・。


神様が安全基地、
教会が安全基地、
かきごおり家が安全基地、


そんな風になればいいなあと思います。


自分はやっぱり神様が安全基地かな、
だからrisk-takingができる。

主に育てて頂いています。ハイ。


10時前から雷雨になっています。


さて、土曜日、4月18日の聖書。
ハバクク1:12-2:1。


「 彼は、このすべての者を釣り針で釣り上げ、これを網で引きずり上げ、引き網で集める。こうして、彼は喜び楽しむ。それゆえ、彼はその網にいけにえをささげ、その引き網に香をたく。」15-16節。

これ笑っちゃいますよね。
網に生け贄をささげるだなんて・・・。

でも、私たちは結構これをやっているかもしれませんね。
神様以外のものを神様にする・・・。

神様の道具を神様よりも大切にする。
それは誰か人間だったり、組織だったり、
モノだったりする。

ただ神様だけを頼りにして、
神様だけに目を向けていくことができますように。

主よ、
どうか、私があなたの道具をあなたよりも大切にすることがありませんように。
あなたを信じ、あなたに仕えていくことができますように。

元気がない時に行きたいところ。

今日はホントに寒いですねえ。
一日10度未満。
今、夜の8時半ですが、6.8度。
一日雨でした。


でも、明日は雨も降りますが、ずっと降っているのではなくて、
温度もぐっと上がりそうです。


でも、雷雨もあるかも。


今日は地区の日本語牧師会があったのですが、
まだまだ、なんだか、いつまでもですが、
日本の時からの疲れを癒し中、リハビリ中で、
月曜日が唯一の休みの自分は、
できれば休みたかったです。


そりゃ結局は行ったのですが、
そんな時に行きたいところはどこだろうか、
そんな時に、「そうだ、こんな気分の時は、あそこに行きたい・・・」と思うような場所に
教会がなっているだろうか・・・そう考えさせられました。


そして、たとえ、その時は「あんまり気が進まないけど・・・」と足を引きずりながら行ったとしても、
帰る時に「ああ、行ってよかったなあ」と思えるような空気や言葉ってなんだろうと思いました。


それは「自分が弱さを告白しても受け入れられるところ」なのかな、と思います。
弱さを認めても、安全なところ。攻撃されないところ。
あからさまな攻撃がないだけじゃなくて、「今日の自分みたいなネガティブモードに入っている人間には居場所がないよねえ」と思わされないところ。


「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」とのイエスの言葉を思い出させられます。


そう、こんなこと書くと、「だいじょうぶ?」って心配されちゃうかもしれませんが、「心配」さえもされないで、「そういうこともあるよねえ」とさらっと流してもらえるようなところかな。だって心配されるってことは「期待」に沿っていないことだし、「本来のあるべき姿」から落ちているということだもんね。そして、心配される側が心配する側よりちょっとレベル的には「下にいる」って感じもするし・・・。でも、それがやだというならば、それはとってもプライド高いから?


ああ、でも書きながら、「牧師らしくないじゃん」と言い始めるもう一人の自分がいたりする。


まあ、とどのつまりは、そんなことまで全部含めて、「そういうときってあるよねえ」ですませてくれるようなところ。


地区の日本語牧師会もそのような場になりますように。


さて、先週金曜日、4月17日の聖書。
金曜日からは「ハバクク書」に入りました。
まずは1:1-11。


「驚き、驚け。わたしは一つの事をあなたがたの時代にする。それが告げられても、あなたがたは信じまい。」5節。

神様は私たちの考えを遙かに超えてことをなしてくださる方。
私たちは神様に自分の考えを押しつけることがどれだけあるだろうかと思う。
でも、主はその私たちに対して、
どこまでも、驚くようなこと、
私たちの考えを超えるようなことをしてくださる。

今までもどれほどそんなことがあっただろうか?

だから、これからもその神様の御業に驚いていく人生を送らせて頂きたい。

主よ、
あなたが驚かせてくださることに感謝します。
どうか、私の人生、もっともっと驚きが与えられますように。

家族。

今日は思ったほど寒くはならなかったけれども、
昨日までの暖かさが一段落。


明日はやはり雨で、冷えそうです。


今日はイースターの次の日曜日。
私はいつもこの日曜日はトマスの日曜日だと思って過ごします。
イエスがよみがえった日の夕方に弟子たちに現われたところに、
たまたまトマスがいませんでした。


トマスはイエスのよみがえりを喜ぶ他の弟子たちの言葉が信じられなくて、
「私には信じられない。そのイエスの手の釘あとに、脇腹の傷に手を入れてみないと、信じない。」そういいきりました。


でも、主はそのトマスにも現われてくださった、
それがイースターから1週間後の日曜日。

私の大好きな日曜日です。


今日のメインイベントは一人の姉妹の教会への転入会でした。
私は教会員かどうかが大きな壁になってはいけないと思っています。
できる限り壁は取り除きたい。そのように思っています。
ですから、イースター礼拝に教会員の数の倍の人数が出席されたことは、
私たちにとって、大きな希望であり、誇りです。


でも、教会員になられた方々は、
やはり教会を特別に愛し、仕えることを表明された方々。


今日、その姉妹がメンバーになられたことを、
心から喜びました。


今日はハジを大学見学に送って、いよいよアイツを他の地に送り出すことが現実のものになってきたことを、心から感じた日。その日に、新しい姉妹をお迎えしたことはこれからの私たちの歩みのための神様の約束を感じさせられる出来事になりました。


さて、先週水曜日の聖書箇所は当日に分かち合っているので、
先週木曜日、4月16日の聖書。ヨハネ21:15-25。


「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」22節。

私も、すぐに「あの人はどうなんですか?」と思いやすい方だ。
すぐ人のことが気になる方だ。
でも、イエスは言われている。
「あなたは私に従いなさい」と。

他の人にはその人への主の導きがある。
主の用い方がある。
私はただ、主に従えばいい。
自分の与えられた使命に生きていけばいい。

自分と神様との関係に生きることの大切さを思わされる。

主よ、
あなたが共にいてくださること、
あなたとの関係に生かされていることに感謝します。
人の人生を尊重すると共に、
自分の人生をあなたの導きに従って歩んでいくことができますように。



2009-04-19

まるで夏。

今日は予想通り25度を突破。
我が家の庭の最高気温は27.2度でした。


これは6月並の気温です。


いやあ、ここまで暖かくなると解放感に満たされます。


なんだか、もう野外礼拝をしたい!
バーベキューをしたい!
JOYJOYキャンプをしたい!
って感じですが、


この天気も今日まで。
明日からはまた10度台前半の天気が続きそうです。
そして、月曜日に至っては、7度だそうで。それも一日雨。
雪にならないのが救いって感じでしょうか?


ハジは今日の午後、一人でアトランタに出発しました。
明日は3歳まで通っていた教会の礼拝に出る予定です。
去年、その教会の牧師をされていたご夫妻にはお会いしたのですが、
礼拝に出るのは15年ぶり。
「ボクのこと知っている人いるかなあ。『覚えている?』って聞かれたらどうしよう?」と心配していましたが、まあ、アメリカの日本語教会は入れ替わりが激しいので、ほとんどおられないと思いますし、3歳のことを覚えていなかったからといって問題になることは何もありませんが・・・。でも、覚えていてくださる方々がおられたら、私たちはホントに心強いです。
いい経験をしてきてくれることを祈ります。


さて、4月14日(火)の聖書。
4/14はヨハネ20:24-31


「私の主。私の神。」28節。


これはトマスの「神の前の畏れ」を表す言葉だと思う。
あの「俺は絶対信じない、イエスの手の釘あとに手を入れてみない限り・・・」と啖呵を切っていたあのとき、あの場所にも、目に見えなくても、確かにイエスはおられて、私の話を聞いておられた、私の話をただ、黙って聞いておられた。それを感じたのではなかっただろうか?
本当だったら、あそこで私は神に撃たれて死んでいても文句は言えないのに、主は私を赦してくださった、そんな思いもあったかもしれない。

復活のイエスにお会いする、
それはうれしいことだけれども、
わくわくすることだけれども、
ただ、それだけですむことはない。
やはり、そこには聖なるものに触れる恐れがある。

明日の礼拝も、そのような聖なる方に触れる時となりますように、
復活の主にお会いする喜びと共に、
「我が主よ、我が神よ」とひれ伏す者たちが起こされますように。
明日、網をおろす勇気を与えてください。
そして、網が一杯になるように、あなたが御業をなしてください。

主よ、
明日の礼拝を祝福してください。
あなたの臨在を経験する時となりますように。
「我が主よ、我が神よ」との信仰告白を与えてください。