2008-04-26

同意と信頼

今日こそ、追いつこうと思っていたのに、
こんな時間になってしまいました。

昨日までとうってかわって、
16-7度。まあ、丁度いい季候です。

明日も同じくらい。か、ちょっと低め。
明日の夜から月曜日の夜にかけて、
まとまった雨になりそうです。

久しぶりですね。
これで花粉がどーっと流れてくれるといいのでしょうが、
まだ、残っていると思います。

今度暖かくなるのは来週後半。
そこら辺が花粉のピークになりそうです。

今日は月に一度のユースの日。
中高生が10人あまり集まりました。

そこで、今日は「信じる」ということを語り合いました。
「走れメロス」の話をして、人間の弱さとそれにもかかわらず「信じる」ことの尊さ、
信じながらも、人を見る目を持って欲しいこと・・・(特に彼らの将来の交際相手について、「この人を信じていいんだろうか?」という目を持って欲しい・・・)
そして、神さまについて信じて、そうだそうだ、神さますごい、とファンのように応援することと、神さまをほんとうに信頼して、そこにかけていくことの違い。

特に最後のことはほんとうに大切だと思います。
神さまに「あなたには出来る!」と手をたたいて喜んでいることと、
神さまの背中に乗せていただいて、水の上を歩くこと。
全然違いますよね。

主を信頼して歩む信仰の醍醐味を、もっともっと知りたいし、
もっともっと味わわせて頂きたいです。

昨日の聖書。
昨日は出エジプト記の17章。

「モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった。」11節。

祈りの手を挙げ続けることの大切さを思わされました。

初代教会の指導者たちは、
教会の中のトラブルにも自分たちが対応することをしないで、
他の担当者を決めました。
そして、自分たちは「祈りと御言葉のご用に専念」したのでした。

それくらい、祈りは大切なのです。
祈りの手を挙げ続けることが、大切なことなのです。

それが私にも使命として与えられていると、思わされました。

そして、一人一人のお名前を上げながら、祈りました。
祈りの手を挙げ続ける、
疲れた時はサポートしてもらいながらでも、
とにかく手を挙げ続ける、
その祈りが教会を支えるのだと、思いました。

主よ、
祈ります。
教会の一人一人を守って下さい。
どうか、あなたの支えがありますように。
祈り続けることが、
手を挙げ続けることが出来ますように。

安息

ああ、また日付が変わってしまいました。
でも、これ以上ためると大変だから、まずは24日の分。

24日は出エジプト記の16:16-36

「主があなたがたに安息を与えられたことに、心せよ。」29節。

イスラエルの民は金曜日には2日分のマナを集めることが許されて、
土曜日は休むようにと言われた。

聖書の中では、
「休む」ということが大切なこととして、語られている。
忙しい私たちが忙しい中で、何かをやっているかのように感じることが
どれだけ多いことだろうか?

休みが与えられていることに、心せよ、
という表現はほんとうに強いと思う。

休めたら休む、じゃない。

主の休みなんだから、
主が休むように求めておられるのだから、
ただ、その故に休む。

走りすぎないこと。
ほんとうに大切だと思わされた。
心して、休む時を持とう。

主よ、
「心して休みなさい」という言葉にドキッとしました。
はい、休みます。
あなたのもとで、休ませて下さい。
では、お休みなさい。

2008-04-25

Paramusに熊出現!

そもう日付が変わってしまいましたので、
「今日の聖書」は、朝になってからにしますが、

ちょっと一言。

24日の夜、「Paramusに熊が出たんだって!」と聞いて、
調べてみると、確かに・・・

http://wcbstv.com/local/bear.paramus.nj.2.707444.html

今朝、ヘリコプターがぱたぱたやっていましたが、
そういうことだったんですね。

家から500メートル以内ですね。
345パウンドだというのだから、大体、150キロくらい?
大きな熊だったみたいです。

滅多にないことだとは思いますが、
ばったりであったらどうするんでしょうか?

一年半前のこの記事を思い出しました。

とにかく無事に捕まったようで、よかったよかった。

2008-04-23

旅は道連れ世は情け

今日は暖かかったですね、
というか暑いくらいでした。
最高は28.6度。
でも、朝はひんやりでした。
ですから長袖シャツだけでは寒いくらい。

でも、帰る頃はNYではタンクトップの人もチラホラ。

バスは冷房かかっているし・・・。

そんなバスで、今日、隣に乗ってきた、
タンクトップのお姉さんともおばさんとも言い難いような、
そんな年齢不詳の方に話しかけられました。

「その本よさそうね」

そう、わたしは珍しく英語の本を読んでいたのでした。
Discipleship Essentials

「ちょっと見せて・・・」
・・・そう言って、本を手に取ったご婦人、SinとかGraceの項目を読んでいます。

さすがにこちらからも聞きました。
「クリスチャンですか?」
「うん、そう」

「あなたの名前は?」
「かきごおり!」(これはウソ、本名をこたえましたよ~)
「わたしはデボラ、よろしく」

か「どこの教会ですか?」
デ「Hawthorne Gospel Church」
か「あ、知っていますよ、208沿いの、素晴らしい教会ですよね」
デ「あなたは?」
か「Maywoodにある日本語教会です」
デ「へえ、日本語教会なんだ、わたし、日本語知ってるよ
  イチ、ニ、サン、シ、ゴ、ロク、シチ、ハチ、ク、ジュウ、ハジメ、ヤメ」
か「ワオ、どこで覚えたんですか?」
デ「KARATEでおぼえたの、4歳の時、パープルベルトで終わっちゃったけど・・・」
か「へえ」
デ「それから、すしも好き、わさびも・・・」
か「へえ」
デ「それからビビンバも、ブルゴキも・・・」
か「それはコリアンでしょ」
デ「あ、日本語教会と言えば、ウェインに大きな教会があるわよね」
か「・・・それもコリアン!」
デ「あ、でも、わたし今日ヘアカット、日本の美容院でやってもらったのよ、マジソンアベニューの『イチ』って美容院。上手だよ、すごいすてきでしょ」
か「へえ、そう、いや、ナイスだよ、その髪型。日本の美容院いいよね(・・・自分は行ったことがないけど・・・それにたぶん「みち」だろうなあ・・・)」
デ「で、名前なんだっけ」
か「かきごおり!難しいからね。覚えられないでしょ。」(またしてもウソ、ここでちゃんと本名を言いました)
デ「簡単だよ、『ハジメ』より簡単、空手の『ハジメ!』」(ジェスチャーつき)
か「あ、ハジメって、うちの息子の名前もハジメ!」
デ「え、そうなの、ハジメ!ハジメ!ハジメ!ハジメ!・・・・え、あなた子供いるの?あなた何歳?」(直球ですねえ。でも、How old?じゃなくて、How young?ってきかれました・・・一応)
か「44歳。」(マジにこたえてしまった・・・)
デ「え、ぜったい32歳だと思った」(なんだその細かい確信は・・・)
か「ありがとう」
デ「え、ホントだよ、すごい若く見える」
・・・・

ここら辺で止めますが・・・って、最後のが言いたかったみたいに読めてしまいますが、
一回り若く見られて、まあうれしく感じる歳になったってことかな・・・。

とにかく元気なお姉ちゃんかおばさんか、でした。
さすがにこちらから、レディーにHow young?は聞けずに、最後まで年齢不詳。

バス、乗り間違えたみたいで途中であわてて、降りていました・・・。

クリスチャンだと言っておられましたが、
またすぐ「神さま」という言葉を使うのですが、
言葉の端々に「ホントかなあ」という「香り」がしてくる感じ。
たぶん、今は教会に行かれていないかな、と思いました。

神さまが今日の出会いを用いて、
もう一度彼女を教会に導いてください、と祈りました。

さて、
そんな今日一日でしたが、
明日はまた今日と同じくらい、また暑く感じるくらいになりそうです。
Leoniaのキッズクラブの日。
汗をかいてしまうかも・・・。

さて、今日の聖書。
今日は出エジプト記の16章1-15節を読みました。

「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。民は外に出て、毎日、一日分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを、試みるためである。」(4節)

神さまの教えに従う。
それが試されているという。

ああ、また自分は何に聞いているのだろうかと思わされる。
自分は神に聞いているのだろうか、
それとも人に聞いているのだろうか?

神さまに従っているだろうか、
神さまに従うことを人々に勧めているだろうか?

もっともっと神さまに従うことに徹底して、
もっともっと神さまを第一とすることを大切にしていきたい。

主よ、
あなたに聞きます。
あなたに従います。
あなたの御心を教えてください。
いつもいつも御言葉によって語ってください。

私たちを癒す方。

今日は元気です。
昨日は「列王紀」を一気に読んで、まとめる、
という作業でどうやら燃え尽きてしまったようです。(笑)
今週の「信徒勉強会」の準備・・・。

「列王紀」はその文字通りユダヤの王様たちの歴史です。
紀元前900年代から500年代までの400年あまりの歴史の中で、
王たちがどのような政治をしたか、
「神の前にどうだったか」という視点で書かれている書物です。

400年の歴史の中で、
信仰者たちが戦ってきたことを、
レターサイズの紙、表裏にまとめるなんて、到底無理です。

でも、なんとか鳥瞰図を提示出来ればなあと思っています。

「わかりやすく伝えるためには、自分が理解していないとダメ」
「難しいことを言う人は、結局、自分で理解してない」

ということなんだろう、といつも思いながら、
とにかくまず、自分で理解すること、
そして、それをいかにわかりやすく説明出来るか、
チャレンジです。

昨日はアスパラガス5本収穫。
今日は夜明け前にあわてて家を出てきたので、
どうなっているか、わかりません。
明日まとめて収穫でしょう。

今日は暖かい、ちょっと汗ばむ陽気になりそうです。

さて、昨日の聖書。
昨日は出エジプト記の15章22-27節でした。

「わたしは主、あなたをいやす者である。」26節。

主は癒してくださる方。
単純にそれを信じて、祈ろうと思いました。
身の回りにいる、癒しを必要としている
お一人一人のためにお祈りしたいと思いました。

今まで信仰を持ちながら歩んできた中で、
どうして?と思う経験をたくさんしてきました。

祈ったのに、あれだけ信じて求めたのに、
どうして癒してくださらなかったんだろう、
そんな経験がたくさんあります。

「祈りが足りなかったから?」
「信仰が足りなかったから?」
「疑ったから?」
そうかもしれません。
誰が完璧だったと言えるでしょうか?
誰が「少しも疑わなかった」と言えるでしょうか?

今の自分よりも、信仰がなかったかもしれません、
今の自分ほど祈りの時間を取っていなかったかもしれません。

だから、「あんなに祈ったのに」なんて、
ホントは言えないのかもしれません。

でも、昨日思わされたのは、
「私は癒す者である」という方がおられて、
その方に願って、祈って、
でも、天に召されて行かれてたとするならば、
それは私たちの思いを遙かに超えた、
神さまのお考えがあるんだろうと、いうことです。

特別な意味があるんだろうと。

神さまの目からするならば、
癒されるという奇跡よりも、
もっと素晴らしい意味があるんだろうと、
思うのです。

その意味はもしかしたら、
この地上では最後まで「おぼろげに見る」(ローマ13:12)
だけなのかもしれない。
でも、それでもいい。

だから、祈りたい。
そう思いました。

癒しを必要としているお一人一人のために、
祈りました。

主よ、
あなたは宣言されました。
「わたしは癒す者」と。
ですから、あなたに祈ります。
どうか癒してください。
どうか、今、癒しを必要としている、お一人一人に、
あなたが触れてください。

2008-04-22

また明日

久しぶりに今夜はギブアップ。

無理は禁物。
元気な明日のために、無理はしません。

明日の昼頃できればアップします。

今朝、結構寒かったですよね。
5度くらいだったでしょうか。
今日の昼間は22度くらい。

明日はもっと暖かくなるみたいですよ~。

2008-04-21

忘れられない・・・。

今日は昨日よりも少しだけ天気が良くなって、
昨日よりも少しだけ暖かくなりました。

でも、このころになると細かい気温はどうでも良くなります。

どうやら、他の「お天気きちがい」もそうらしいのですが、
寒さとか、大雪とか、雷雨とか、雹とか、極端な天気にアドレナリンが出てしまうみたいです。
ですから、今の普通の人にとって「ちょうどいい」という天気が「どうでもいい」になってしまうみたいです。

ですから、今日はまあ、半袖ではちょっと風が冷たかったですが、
上着を羽織ればちょうどいい、ほんとうにいい天気でした。

アスパラ、今朝は太めのが1本、細いのが2本。
明日はまたいいのが穫れそうです。

今週一週間は子供たちが休み。
で、今日は私も月曜日のお休み。

今日はまた久しぶりの完全なお休みだったので、
5月の初めにあるいろんなテストの準備で「ボクは勉強しなければ・・・」などと、
尻に火がついている息子を置いて、
下の二人を連れて出かけてきました。

そこでひょんなことから、のんちが子供の頃に夢を見て、
それからずっと、一回やってみたかった、という40年越しの夢が実現!

それで、「子供の頃の夢」の話になりました。
13歳のユキは、「全然覚えていない・・・」そうです。
「すぐ忘れるタイプだから・・・」
うーん。まあ、夢ってそうなんですけどね。
でも、時々、もうどうしても忘れられない夢ってありますよね。

何年か前に一度見たいと思っていた、
「空を飛ぶ夢」を見ました。
まあ、ほんとうに気持ちよかったです。
「現実でいろいろ抑圧されているんじゃないの?」
なんて、本やネットに書いている人もいますが、
まあわかりません。
高所恐怖症の私でも、とにかく気持ちよかったです。

でも、どうしてもやっぱり現実の世界で
ハンググライダーやスカイダイビングをやってみたいとは
思いません。

一方、子供の頃の夢で、今でも鮮明に残っているのは、
あまりいい夢ではなくて、コワイ夢でした。
それは、女の子が誘拐されるその現場を目撃する、という夢でした。

小学校に入るか入らないかという頃だった私は、
「誘拐に会わないように」という教育を受け始めた頃だったのだと思います。
「知らない人についていかないように」
「おもちゃとか、お菓子につられてはいけない」
「知っている人でも、親の許可なく車に乗ってはいけない」
「お父さんが怪我をしたんだ、病院に連れて行ってあげる、なんて言われても車に乗ってはいけない」
いろんなことを言われましたよね。
たぶんそれが強烈に心に残っていたのでしょうか。

近所のポストの横に車が止っていて、
かくれんぼか何かで、車の陰に隠れて、
・・・これも、今考えるとゾッとするほど危ないですが、結構やっていましたよね・・・
その時、偶然、車の中に閉じこめられている女の子を見つけてしまったのでした。
ドキドキしました。
自分も捕まるかもしれない。
でも、自分はこの現場を見てしまった。
でも、怖くて、何もできなかった。
誰にも言えなかった、
そんな夢でした。

何もできなかった、何も言えなかった自分に、
ものすごい罪悪感を感じた夢でした。

だから、たぶん、私の40年越しの夢の実現は、
夢の中でできなかったことを、ちゃんとする、ということなんだと思います。

神さま、いつも勇気と強さを下さい。

さて、今日の聖書です。
今日は出エジプト記15章1-21節。

「あなたは彼らを連れて行き、あなたご自身の山に植えられる。」17節。

主は私たちをご自身の山に植えられる。
この「植える」という言葉、
最近いろいろ考えさせられます。

ある先生は、「この教会に植えられる」ことの大切さを説かれます。
私たちの信仰は個人のものだけれども、
一人一人教会に導かれて、そこに植えられるのだと。

もちろん、この聖書の箇所は直接にはイスラエルの民を、
今のユダヤ・パレスチナ地方に植えられる、ことを指しています。

クリスチャンが自分自身に当てはめてみると、
それはまた、神さまにつながることであり、
やがての時に天国迎え入れられることでしょう。

私はいつもいつも主から栄養をいただいて歩んでいきたいと思います。
でも、それと共に、主が私をここに置いてくださった、
主が私にこの地でこのように共に歩む仲間を与えてくださった、
それも主の導きの中にあることだと思うのです。

主によってここに植えられている、ということを感謝すると共に、
もっとその意味を教えて頂きたいと思いました。

神さま、
私をここに植えてくださったのはあなたです。
私の思いを遙かに超えて、
あなたは導いてくださいました。

だから、感謝します。
平安があります。
どうか、ここに植えられていることの意味を
もっともっと知ることができますように。

2008-04-20

JOYJOY Brainstorming DAY

今朝は10度くらい。
一昨日の30度から、昨日は26度、そして今日は20度。
決して寒くはありませんが、肌寒く感じます。

今は夜の13度。
今夜もあまり冷え込まないようです。

そして、写真も撮らずに食べてしまいましたが、
今朝はアスパラガス初収穫。2本。


今年は植えてから4年目なので、
去年までに比べても、太いのがにょきにょき出てきています。
コーンとアスパラは「穫ってからすぐゆでる」がほんとうに甘い野菜です。


おいしくいただきました。

今日は朝も、夕方も、
JOYJOYキャンプのテーマを相談しました。
結局結論出ず・・・。

ずーっと、brainstormingです。
頭に浮かんだことをすぐ口に出した方がいいので、
結構、言ってから恥ずかしくなります。
私でも・・・。
子供たちがわくわくするような、
でも、キャンプの内容を的確に言っているような
そんなキャッチフレーズを考えています。

2007 ワンダー博士の大冒険
2006 ジャングルぐるぐる探検隊
2005 カラダだカラダ・・・ん? カラダだからだ? ひらがなとカタカナの関係はわすれてしまいましたが、とにかく「からだだからだ」でしたね。
2004 おもかじいっぱい、おもしろいっぱい。
2003 ギャラクシーエクスプレス
2002 めっちゃ好き、地球。
2001 わくわくタウン
2000 宝を探しに行こう
1999 不思議チャレンジ
1998 タイムマシンに乗ろう!
1997 宇宙はでかいぞ!
1996 神さまの船に乗ろう!

と歴史をたどっていくと、2002年くらいから、妙にひねるようになってきていますね。
子供のことを考えている、というよりは、
大人がいろいろ楽しみながら考えている、というのが実際のところのようです。

結局もうみんなで頭を寄せ合って考えるのは終わり。
で、あとは、メールでのやりとりです。
必ず今週中には決めて、
来週には案内開始です。

さて、今日の聖書。
今日は出エジプト記の14:16-31

「なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。イスラエル人に前進するように言え。」16節。

最近、私の中で、ほんとうにこのように主の前に出ることが、
主と共に時間を過ごすことが楽しくなってきています。
そんな中で、12月の最初の土曜日の早朝祈祷会の時に与えられた言葉がもう一度心に響いてきました。
それも前とはまた違った意味を感じさせながら。

イエスが山に登って姿が変わって輝いた時、
そこでモーセとエリヤと共に語り合っていた時、
それを見ていたペテロは、ずっとここにいたいと思いました。

でも、それは許されませんでした。
そして、山の下に降りてきました。
その時に、待っていたのは、不信仰な弟子たちと、
問題で苦しんでいる家族でした。

神に祈ってばかりではなくて、
人に語りなさい。人を動かしなさい。
そのように主はモーセに言われました。

そのような使命をいただいていると思いました。

主に助けて頂かなければ・・・。

主よ、
ありがとうございます。
あなたと共に過ごす時間はほんとうに幸いです。
でも、あなたはそこばかりにいることを許されませんでした。
主よ、お助け下さい。
力を与えて使わしてください。
聖霊様の力をいただいて、出ていくことができますように。