2006-08-05

いつも共にいて下さるイエス

今日の朝は爽やかでした。
でも昼間はそれなりに暑かったです。
でもまた夜は爽やかです。

明日はもう少し湿度が上がるようです。
そして月曜日は湿度が上がり、その後雷雨と共に涼しくなる、
と予報が出ています。
JOYJOYキャンプが始まりますから、
本当にいい天気であって欲しいものです。

今日は朝の祈り会があって、
その後10時から夜の8時までJOYJOYキャンプの準備でした。
いよいよです。
今日一日でだいぶ進みました。
明日の礼拝後仕上げて、
月曜日65名の元気な子達を迎えます。
だから、今日はゆっくり休みます。

今年のテーマは「ジャングルぐるぐる探検隊」
テーマソングもできて、
教会のジムもジャングルになって、
気分が盛り上がってきました。

今日はマタイによる福音書28章。
マタイによる福音書の最後まで読みました。
イエスの復活の記事です。
復活のイエスが弟子たちに語る言葉の最後が心に留りました。
「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」
28章20節の言葉です。

復活されたイエスは今も私と共にいて下さる。
今も、私と共に歩んで下さる。

あさってからのJOYJOYキャンプのために祈らないではおられません。
何回やっても、始まる前は不安です。
でも、主が共にいて下さる。
主が共にいて下さって、支えて下さる。感謝。

今回のJOYJOYキャンプとも主が共にいて下さって、守って下さるようにと願います。

イエスさま、
あなたが私たちと共にて下さること、感謝します。
JOYJOYキャンプとともいて下さる、という約束を感謝します。
どうか私の歩みを支えて下さい。
キャンプを大きく祝福して下さいますように。
そしてこのキャンプを通して、続けて教会に来られる方が起こされますように。

2006-08-04

バカにされたイエス

今日も暑かったですが、
夕方からずいぶん楽になってきました。
湿度がぐっと下がってきているみたいです。

さて、今日からジョイジョイキャンプモードに入っています。
今日は朝から段ボールの引き取りと公園の使用許可証と買い物で時間が過ぎていってしまいました。
これから、今夜寝るまでの間に日曜日の説教の原稿を担当の方に送らなければいけません。
ちょっと焦っておりますが、神様が与えて下さった時間の中で、助けて下さるでしょう。

明日の朝は6時半からハドソン川のほとりで朝の祈り会です。
きっと気持ちのいい朝になるでしょう。

明日以降、キャンプのため、(毎日通うキャンプなのが救いですが)
もしかしたら、毎日更新は無理かもしれません。
ご了承下さい。

時間が限られていてもどうしても書きたいこと、
うーん、アメリカの役場だよなあ、という出来事。

2週間以上前にキャンプのために公園のフィールドを使う許可を申請しようと
電話を入れておきました。
担当者が留守だったので、メッセージを残したのですが、
1週間経っても返事がない。
それで、先週の頭にもう一回電話。
今度は留守番の人が出て、「伝えるから・・・」ということで、
珍しく、その日のうちに返信あり。
それで、申請書を提出。
これが先週の火曜日。

ユースのキャンプをやっている間に許可証が届いていると期待したのですが、
昨日オフィスに行っても何にもない。
で、役場に足を運びました。
「担当者に聞いたら、許可は出せるみたいだから、明日来て」と言われて、
今日行きました。

そしたら、

窓口の人、ちょっと戸惑った顔。


「ない・・・」



先方も申し訳ないと思ったのか、担当者と連絡を取ってくださいました。
それで、担当者が今、手が離せないから、担当者のいるところまで行くか?と言われ、
こっちもそんなに時間ないんだけどなあ、と思いつつ、
月曜日からのキャンプに必要だったので、
今日しかない、と行きましたよ。


そして、言われたところに行ったら、そこに本当に担当者がおられました。


よかった。


でも、その担当者の方、
慌てて書類を出してのたまわった。


「ほら、見て、7月28日にはサインしたのよ。
でも、忙しくてコピーする時間もなくて・・・
申し訳ないけど、役場に戻ってコピーを取ってもらってくれる?」


ここまで来たら、「お安いご用」ですよね。


月曜日からフィールドを使わせて頂けるなら、何でもしますよ。


でも、ちょっとね。そこまでお願いされるとはびっくり。


役場に戻って説明したら、役場の窓口の方、
アメリカの役場の窓口ではありえないくらい、やたら恐縮しておられました。

でも、めでたしめでたし。この30分を返して欲しかったけど。

って書きながら、でも、それって、
役場の方が約束守らなかったんだから、
誰かがその担当者のところに行って、書類を受け取って、
コピーを取って、渡してくれれば、すむんじゃなかったのかなあ、と思い始めてしまいました。
それで、それを私が走り回ってやっていたかと思うと、
うーん、ちょっと悔しいですねえ。
ガソリン代高騰の折、
エアコンもかけないではいられない暑い日、
ちょっと損した気分ですねえ。



夕方の買い物でもちょっとした手続きのために待たされる待たされる。

この国では日本のせっかちの人は生き残れない。そう思います。

今日はマタイによる福音書27章、イエスの十字架の記事を読みました。
イエスが十字架にかけられたとき、
人々はイエスをバカにし続けました。
それをイエスは黙って耐えられました。
でも、今日はイエスが死なれて墓に葬られた後の、
祭司や学者達のイエスに対する言葉に目が留りました。

「あの、人をだます男」
なんてひどい言葉だろうかと思いました。

私がそんなことを言われていたら、どんなに頭に来るだろうかと思わされました。

そして、日曜日の聖書の言葉が心にもう一度浮かんできました。
「あなたが人々から迫害されたり、バカにされたりする時に、喜び踊りなさい」

自分は果たしてできるだろうか?

本当に侮辱された時に、「喜び踊る」ことができるだろうか?

イエスは本当に私たちのためにそれをして下さった。

そのことに感謝すると共に、
もしも、自分が侮辱された時に、この言葉を思い出すことができればと思わされた。

主よ、
私は何とプライドの高い人間なんでしょうか?
侮辱されたら、怒る人間です。怒らないではいられない人間です。
あなたはわたしのためにどんなにバカにされても、
それを黙って受けられました。
そして、「あなた方もそのような仕打ちを受けることがあるかもしれない」を言われました。
助けて下さい。
私が侮辱される時に、あなたの言葉を思い出させて下さい。

2006-08-03

いのちをこえるいのち

今日も暑かったです。
朝の気温が27度。 バリバリ熱帯夜でした。
そして、昼間の気温は37.4度。(うちの温度計)
午後にはにわか雨がありました。思ったほど激しくはありませんでしたが、
とにかく降りました。
そして、それから気温はぐんぐん下がって、今は夜の11時で24.8度です。
熱帯夜ではなくなりましたが、湿度は高いです。
べたーっとしています。

明日は31度くらいで湿度は高めだそうです。
でも夜からは湿度も下がり、
土曜日からはカラッとするそうです。
是非、当たって欲しいです。

今日はまたいつものような生活に戻り、朝と夜に個人的にお話をする方々が来られて、
日曜日の準備をして・・・でも今週は+JOYJOYキャンプの準備があります。
明日は段ボールを集めに回ります。
教会のジムにはJOYJOYキャンプ名物、段ボール迷路が建設されます。
今年はまたすごいのになりそうです。

かなりワクワクしてきました。

最初の日の聖書のお話の担当にもなっているので、
それも考え中・・・

今日の聖書。
今日はマタイによる福音書の26章を読みました。
今日は最後の晩餐から、ゲッセマネの祈り、そしてユダの裏切り、逮捕、そしてペテロの否認、とたくさんの出来事が出てきます。
その中で心に留った言葉が、イエスが逮捕される時に抵抗しようとした弟子たちに語った言葉です。
「剣を取る者はみな剣で滅びます」

あたっているかどうか確信はないのですが、
9/11以降のアメリカを見ていて、
世界を見ていて、
そしてその中で聖書を読んでいて、
だんだん自分の心の中で「絶対非暴力主義」に傾きつつあります。

たぶん、武力は、「いのち」が一番大切だから、持たなければいけないと思うのだと思います。

攻められたら守れない、だから、強い武力を持たなければいけない、
敵の隠れているところを攻撃しなければいけない、
大量破壊兵器を秘密裏に持っている国はつぶさなければいけない、
そういうことを考えるのは、「いのち」が一番大切なんだ、という世界観に基づいているのだと思います。
もしも、そうでなかったら、恐れる必要なんかないんですから・・・。

でも、「いのち」を守るために持つ武力が、他の国の人々のいのちを踏みつぶしていきます。
自分たちの「いのち」を守るためには、他の国々の人々の「いのち」が犠牲になってもしょうがないのです。市民が犠牲になっても「遺憾の意」くらいで終わってしまいます。
ものすごい矛盾を感じます。

イエスはここで捕まれば、殺される、それはわかっていました。
でも、剣を抜こうとしませんでした。
「いのち」を超える「いのち」を知っていたからです。
そして、自分のいのちが取り去れることが、私たちに「いのち」を与えることを意味していると知っていたからです。

私には難しいことはわかりません。
自分が守るべき、家族、仲間、そのためにいのちを捧げる、という人々の思いもわかります。
自分が守らなければ、誰が守ってくれるんだ?というのもわかります。

でも、私はこの地上のいのちを超える「いのち」を知っています。

そちらを守ることの方に、そちらを語ることの方に使命を感じています。
この地上の肉体のいのちよりも大切なものがあることを語ることに使命を感じています。

イエスがここで剣を取らずに、自分のいのちを与えたことによって、
私たちにいのちを超えるいのちを与えて下さったことに感謝しています。
そして、私自身もそのように、生きるとしても、死ぬにしても、とにかく、この神様の愛が伝わって欲しい、そう思わされています。


イエスさま、
あなたが剣を取らないで、
自分のいのちを私たちに与えて下さったことに感謝します。
それによって私たちに、この世のいのちを超えた「いのち」を与えて下さったことに感謝します。
私もあなたと同じように恐れない心を与えて下さい。
そして、生きる時も、死ぬ時も、あなたのすばらしさを表すものとして用いて下さい。
そのために私を整えて下さい。

2006-08-02

喜びを共にして下さる神

そして、
これが水曜日、そう、今日の分です。
いやあ、暑いです。
言いたかないですが、暑いです。
今は夜の10時を過ぎていますが、
30度以上あります。

明日までこの暑さが続くようです。
月曜日、キャンプに出る時には、この暑さは水曜日まで、と言っていたのですが、
一日延びました。
まあ、是非、明日まで、ということでお願いしたいです。

今日はマタイによる福音書25章を読みました。
この章は、世の終わりまでの間の私たちの生き方、はどんなものが要求されるのか、
ということをイエスがたとえ話を使って、話されたところです。

3つのたとえ話が出てきますが、
その真ん中の話は「タラントのたとえ」と呼ばれるものです。
ある人がしもべ達にある人には5タラント、ある人には2タラント、そしてある人には1タラントを預けて、旅に出るという話です。旅に出る人、それはイエスのことを指しています。そしてそのしもべは、私たちのことを指しています。
5タラント、と2タラントの人はそれぞれそれを元手に商売をして、儲けました。
しかし、1タラントの人は、恐れて、その1タラントがなくならないようにと、
その1タラントを土の中に隠していました。

主人が帰ってきた時に、
最初の2人はほめられたのに、
最後の一人は叱られた、と言うのがイエスの話です。
「与えられたタラント(才能)を、神様のために使いなさい」というのが、イエスの語りたかった主旨だろうと言われています。
その中で、今日は21節の言葉「主人の喜びを共に喜んでくれ」が心に留りました。
日本語としてはおかしな日本語です。直訳調なんでしょう。
でも、その言葉が何だか心に留りました。
神様の喜びを共に喜ぶことができる、
そのように招かれている、
その幸いを覚えました。

神様が喜んでくださる、
それを共有することできる、
それはなんてすばらしいことなんだろうかと思いました。
私たちの喜びを主が喜んでくださるだけではなくて、
主の喜びを、私たちに分ち合ってくださる。
それは本当にうれしいことだと思いました。

あなたが私のために喜んでくださり、
その喜びをも感じることができる幸いを感謝します。
どうか、あなたの喜びを共有することができますように。
私のうちに喜びを満たし、あなたの喜びを教えてください。
人々との交わりをも祝福してくださって、それが神様の愛と守りとによって、
支えられていきますように。


思いがけない時に

そして、これが火曜日の分。
丸一日ユースのキャンプで過ごしました。
夜はキャンプファイヤー。
火って不思議ですよね。
特に、燃え上がった後に小さくなった火。
ずっとずっと見つめていたい気持ちになります。

そして、この日は、特に一対一で中高生達と祈る時を持ちました。
純粋な、熱い思い、そして、まるで大人と話しているかのような、
しっかりした考えを持ち始めた彼らの成長の姿に、
熱いものがこみ上げてくるのを感じました。
12年前にNJに来た時には、9年前にJCCNJの牧師になった時には
考えられなかったような祝福を頂いているなあ、と思いました。

この日、
留守番をしていた娘にきゅうりのカウントをお願いしてあったのですが、
この日の5本で、とうとう100本達成!
先週末に用事があって、○ツワで「特売!」というきゅうりの値段を見て、びっくり。

約1本1ドル!

しっかり元を取りました。

苗からではなくて種から、それも2年前に買った種が残っていたヤツ。

そこにはあまり投資していないのですが、
土や肥料、動物よけの柵、いろいろ考えたら、結構トントンかも。
でも、楽しいです。
とにかく、いろいろ動物にやられても、カリカリしないこと。
ナスなんかはなかなか収穫出来ないでいるのですが、
それでも、「ま、いいか」みたいな気持ちでいようと思っています。
今年は本当に守られています。

ということで「聖書」。
今日はマタイによる福音書24章を読みました。
これはイエスが世の終わりにどんなことが起るかを、話された時の言葉です。
その中で心に留ったのは、44節、「だからあなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから」という言葉です。

イエスがもう一度来られる時、それが世の終わりです。
どんな時にイエスが来られても喜んで迎えることができるように準備していなさい、というのがこのイエスの言葉の意味です。

この世の終わりは、誰も経験した人はいないので、どんなのかはわかりません。
でも、人生の終わり、は誰にでも来るのです。

それはある意味、「イエスがもう一度来られる」時ということが出来るのではないかと思います。
ならば、それがいつであっても、喜んでイエスを迎えることができるように、と思います。

今年は9/11に飛行機に乗ります。
日本に行く飛行機です。
いろんな事情を考えて、この日のチケットを取りましたが、
やはり、単なる事情以上の気持ちがあります。

あの日、飛行機に乗り合わせた人々も、
職場に向かっていった人々も、
今日が、自分の人生の最後の日だとはまさか思っていなかったでしょう。

私も、今日も、今日が人生の最後の日だとなんて思っていません。
でも、もしかしたらそうかもしれないんですよね。
日々にそうなんですよね。一瞬一瞬がそうなんですよね。

そして、決して、「今日であっては困る」生き方をしてもいけないし、
反対に、「今日でなければ困る」生き方をしてもいけない。

そのような気持ちを大切にしたいと思いました。

主よ、
私の人生にいつ終止符が打たれようとも、
いつ、あなたが私をお迎えに来て下さったとしても、
喜んで、あなたが来られるのを迎えることができるように、
歩みたいと思います。
どうか、私の心を守り、支えて下さい。
今年の日本帰国の予定も守って下さい。
その飛行機に乗ることを通して、何かが見えるように、なりますように。


あつーい!

暑い時に「暑い!」って言うな!
という乱暴な話がありますが、
そんなことをもものともしない暑さです。
前回の熱波もすごかったですが、
今回もすごいです。

今日、ユースのキャンプから帰ってきました。
キャンプの施設ですが、
一カ所だけエアコンのある部屋があって、
その部屋の存在は「救い」でした。

暑かったですが、
本当にいいキャンプでした。
もっとずっとそこにいたくなるキャンプでした。
来年はきっともっと長くなるでしょう!
いや、「たぶん」、いや「もしかしたら・・・」かな。

9人の新6年生から新12年生までが参加しました。
みんな本当に成長しているなあ、と思います。
どんどん大人の会話ができるようになってきました。
またこれからが楽しみです。

で、まず月曜日の分。
月曜日はマタイによる福音書23章を読みました。
この章はイエスが偽善者達を非難される箇所です。
その中の26節が心に留りました。
「まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。」
外側ばかり気にする自分。
でも、何よりも気にすべきなのは内側であり、
内側が整えられていく時に、
外側も整えられていく、
出る言葉、行動、態度、
それを何とかコントロールしようとすることがある。
でも、聖書はここの内側に注目しなさい、注意しなさい、
そうするならば、外側は整えられていくのだ、というのです。

何か気持ちが楽になりました。
先ず、内側に注目していこうと思いました。
そして、そこから出てくる、自然に出てくるもので十分だと思いました。
立派でなくてもいい、
やたらにポジティブではなくてもいい、
ただ、心にあるものが出てくるだけでいいと思いました。

主よ、
私の心を守って下さい。
わたしの心をきよめて下さい。
私の心を整えて下さい。
それが自然と外に出てくるような、そんな働き人にして下さい。
今はやりの方法ではないかもしれない。
でも、私はこちらの方に魅力を感じます。
聖霊様によって、聖書の方法によって、私の心を整えて下さい。

2006-07-31

ユースのキャンプ

今日、これからユースのキャンプですので、
次の更新は水曜日の夜です。

暑い日が続きそうです。
熱いキャンプになりますようにお祈り下さい。

ではでは。

2006-07-30

神のものは神に

今日も暑かったですね。
最高気温は33.2度C。
今も8時半ですが、29度くらいあります。

この後熱波の予報が出ています。
明日は今日と同じくらいのようですが、
火曜日と水曜日は37度Cです。

でも、来週、JOYJOYキャンプの頃には30度以下に下がるみたいです。ホッ。
まあ、いつも8月になると秋風が吹き始めるので、今年も平年並みというところでしょうか。

JOYJOYが涼しくなると助かります。

今日、もう眠くなってきています。
早く休んで明日の朝、早起きしようかと思います。

今日の礼拝、だんだん皆さんが日本への里帰りや旅行から帰ってこられて、
戻ってきました。
来週、再来週とどんどん平常に戻ってくるでしょう。

今日の聖書はマタイによる福音書22章でした。
その中の22節の言葉が心に留りました。
「神のものは神に返しなさい」。
この言葉はそのころユダヤを支配していたローマ帝国に税金を納めるかどうかを、
イエスに聞きに来た人々に対して、イエスが語られた言葉です。
民衆はイエスが自分たちをローマ帝国から解放してくれる救い主であることを期待していました。
ですから、ここでイエスが「税金を納めなさい」と言ったら、人々を失望させることになる、
もしも、「納める必要がない」と言ったら、イエスを反逆罪でローマ帝国に訴えようと思っていたようです。
だから、どっちに答えても、イエスをおとしめられる、と思ったようです。
でも、イエスはそのコインの肖像を見て、「皇帝の肖像があるものは皇帝に返しなさい、そして、神の肖像がある自分自身を神に返しなさい」と言われたのでした。
そう、私たちには神の肖像が刻み込まれている。
その神のものである自分自身を神に返す、そのように招かれているのです。
私はまた今日もこれをパーソナルに受け取りました。
私自身に対して、神が「あなたは私のものなんだから、自分のために生きるのではない、わたしのもとにあなたのすべてを持ってきなさい」と言われたように思ったのです。
そのようにしたいと思って祈りました。
昨日、今日と、本当に主が私を近くに引き寄せようとしておられることを感じます。

主よ、
私自身を、私の存在を、
私の時間を、私の趣味を、私のお金を、あなたの喜ばれるように用いたいと思います。
主よ、どうか教えてください。私の存在すべてをあなたにゆだねます。捧げます。
どうかなすべきことを教え、導いてください。
私の夢や希望もあなたの御手にゆだねます。
生き方を教えてください。