2013-04-19

7年生、生まれ変わる。

今日は暖かかったですね。
というか、生暖かかったと言うか。

そして夜遅くなってから雷雨になりました。
それほどひどくなかったですが、今も雨が降っています。
そして、明日からは冷えます。

明日の夜は0度くらいまで下がります。
野菜の苗とか、植えている人は要注意です。

来週は花粉警報ですね。はい。外出はできる限りしないようにします。

さて、何が生まれ変わったかって、
2006年に買った、のんちのPC。
最近、さわってみて、「これは何だ?」っていうくらい遅かったので、
聞いてみたら、最近特に遅くなったとのこと。

うーんと思って調べてみたら、ちょっとハードディスクがヤバくなり始めているみたい。
サポート切れまであと1年を切ったと話題のXPマシンだし、
新しくするか・・・と話したら、いやあ、もったいない、と。

それで調べてみてわかったのが、SSDつまり、フラッシュメモリに変えれば、まだまだ行けるとのこと。

なるほど、ということでeBayでそのPCのハードディスクと同じ大きさ80GのSSDが、中古なら、そこそこのが50ドルくらいで手に入るということで、1週間ほど前に落札。今日無事届いて、やってみたら、意外に簡単。あっという間に中身のコピーも終わって、快適に動くようになりました。新しいのを買ったら500ドルのところ、50ドルですめば、1−2年もってくれれば御の字ですね。

うーん、こんなに楽なら、4年生の自分のMacbookもSSD化してしまおうかなあ。

さて、今日の「日々のみことば」。
今日はサムエル記下の5章でした。

「主は、破り出る水のように、敵をわたしの前に破られた」20節。

ダビデは神様によって勝利を得ました。
それはやぶり出る水のようだったといいます。

普通はそうだと、次は「今度も大丈夫だ」と思います。
でも、ダビデは、やはり、その時、神に聞きます。
そして、神は前回の勝利とは違う方法での戦いを命じられるのです。

自分はどうだろうかと思っていました。
一度うまくいくと、次も大丈夫だろうと思います。
この間うまくいったから、今度もあれいこう、と思います。

でも、そのことによって神様に聞かなくなってしまったら、
それはとても危ないことだと思います。

いつもいつも謙遜に神様に聞いていく者でありたいと思います。

主よ、
あなたに聞く姿勢、それをなくすことがありませんように。
物事がうまく進んだときこそ、神様、あなたにもう一度聞くことができますように。

2013-04-18

がんばれ、ジョーさん。

今日3回目の更新で、やっと追いつきます。
夕方の方が肌寒かったでしょうか、
今、夜の11時20分、Yankeesが延長12回で負けたところですが、外は14度あります。

昨日はデンバーで雪でしたが、今日はミネソタで雪ですね。
いやあ、春がなかなか来ないで大変ですが、
こちらも、今週末は霜が降りるかもです。

野菜やお花の苗は家の中に入れたり、
覆いをかけなければ、いけませんよ〜。

昨日の夜、ちょっと買い物に、
みんな大好き「Trader Joe's」に行ってきました。
久しぶりにゆっくり歩いたのですが、
気がついたのがこんなのがあること。



天ぷらチキン?
甘酢味?

そして、それにつけられたブランドが「トレーダー・ジョーさん」?

よく見てみると、他にもイタリア系はTrader Giotto'sとか、
メキシカン系はTrader Jose'sとか、いろいろあるんですね。
楽しいですね。

Wikiによると、もっともっといろいろあるようです。
でも・・・なんで、日本食はTrader Taroじゃなくて、ジョーさんなんだ?と思いましたよ。

でも、それよりも、「ジョーさん」なんてブランドをわざわざ作るならば、ちゃんとした日本食を作れよ!とツッコミたくなりますよね。

それも最近始めたブランドじゃなくて、ウェブで探すと2010年頃には既に話題にしている人がいるから、その頃までには始まっていたようですが、なんだか、どこまで本気なのか、疑問ですし、他の国のモノも、同じ程度なのかな、と思ってしまいます。確かにホントの日本食品だと売れないのかもしれませんが。

ジョーさんにはがんばって、日本育ちのわれわれがうなるようなモノを開発してほしいものです。応援してます!

さて、今日の「日々のみことば」。
今日はサムエル記下の1章でした。

「どうしてあなたは手を伸べて主の油を注がれた者を殺すことを恐れなかったのですか」14節。

ダビデは、ダビデが喜んでくれることを期待していたアマレク人の若者に対して、厳しい処罰を与えました。

ダビデは本当に神様が油注がれた者を大切にする、それを尊重することを最後まで徹底しました。

ダビデは命まで狙われていたのです。
なのに・・・。

徹底することの大切さを思わされます。

神様、
どこまでもあなたの召命を大切にし、
あなたの導きに従っていけますように。

「力と愛と慎みとの霊」

木曜日の夕方ですが、ちょっと冷えて、小雨が降ってきました。
明日は暖かくなり、夜は雷雨の予報です。
週末はちょっと冷え込み、土曜日の夜と日曜日の夜は遅霜の可能性もあります。

今日の午後、ちょうど車で走っている時に、ボストンの爆弾事件の追悼式でオバマ大統領が、演説をしていました。

その中で、彼が聖書の言葉を引用していたのですが、

「神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。」テモテ第二の手紙1:7

という言葉でした。

私たちはこのような卑劣な行為に対して、それを恐れるのではなく、力と愛と慎みの心を持って応えることができる、というとても力強いメッセージでした。

正直、私はラジオでその演説を聴きながら、
来年の4月第3月曜日はボストンで過ごしたいと思いました。
できれば、あのマラソンのゴールラインで人々が情熱と誇りとをもってゴールするのを見たいと。

そして、いつか、そんな日が来たら、自分もそこにランナーとして挑戦できたらとまで思いました。(まあ、それはかなり厳しいでしょうが・・・。)

卑劣な行為に対して、善をもって応える、
恐れではなくて、誇りをもって応える、
そのような強さを持ち続けたいものです。

早く犯人が捕まりますように。

さて、昨日17日の「日々のみことば」。
昨日はサムエル記上24章でした。

「主が油を注がれたわが君に、わたしがこの事をするのを主は禁じられる。」6節。

自分の命を追っているサウルを殺害する最高のチャンスがダビデにやって来た時に、ダビデは、部下たちを制し、サウルに手を下すのを禁じました。

それはサウルが「神に油注がれた者」だったから。
ダビデは神の召しを本当に大切にした人でした。
そして、それは自分の神様からの使命に対しても、力を与えるものでした。
王を王として尊重しない人は、
自分が王として使命をいただいた時に、
人々が従わないことに対して何を文句が言えるだろうか?

私たちは自分のことはよく主張します。
「神様からこのような召しをいただいた」と。
「神様からこのような使命をもらっている」と。
それも試され、正当性が問われなければいけないと思うけれども、
私たちは、誰か他の人の召しに対して無頓着であったり、
それを尊重しないことがどれほどあるだろうかと思う。

主のなさることを重んじ、そこに謙虚に生きていくことができますように。

神様、
あなたの召しを感謝します。
私に、あなたの使命を与えてくださって、そこに生きる喜びを経験させてくださってありがとうございます。私も一人一人の神様からのCallingを尊重できる者とならせてください。

準備万端。


いつでも行けますよって感じですよね。
Oak Treeの花。

さあ、いつ開花宣言となるでしょうか。

さて、16日(火)の「日々のみことば」。
サムエル記上18章でした。

「主がサウルを離れて、ダビデと共におられたので、サウルはダビデを恐れた。 」12節。

サウル王は、自分よりもダビデがほめられることに、ねたみを感じました。
そして、神様がダビデと共におられることに恐れを感じました。

自分も悔い改めることができれば良かったのですが、
悔い改めようとはしなかったのです。
そして、邪魔になったダビデを殺そうとするのです。

なんてことだろうと思います。

自分の神様からの使命、自分が神様にいただいていること、
そこに目を留めるならば、人がどのような用いられ方をしても、
感謝できるだろうに。

それに振り回されないだろうに。

自分自身も、主から与えられている使命に感謝しながら、そこに焦点を当てて歩む者でありたいと思いました。

主よ、
あなたに与えられた使命に忠実なものでありますように。
人を見るのではなくて、あなたを見て歩ませてください。

2013-04-16

幼子のような信仰

昨日、今日と暖かな、穏やかな日が続いています。
明日も暖かい日になりそうです。

昨日はあまりの悲しさと怒りに、日常的なことを書く気にはなれなかったのですが、
実は、昨日は休日で、前々から作りたいと思っていた、肉まんに挑戦。
これがなかなかうまくて、でも、もうちょっといろいろトライしてみたくて、ちょっとやる気になっています。

で、昨日、豚ひき肉を買ったついでに、庭にニラが生えて来たから、ギョウザでも作ろうと思っていたスーパーでの買い物の帰りに、ラジオから流れて来た、悲しいニュース。

到底、ギョウザまではできずに、今日の宿題に。

ちょうどのんちが夕方まで仕事だったので、
娘たちに手伝ってもらって、作りました。
夜は集会があったので、帰って来てから、
自分の分の皮を延ばして、包んで、かりっと焼き上がり。
(留守番の子供たちは勝手に食べてて、のんちは、さすがにこの時間にそれほど食べれず、1個だけ。残りは全部食べました。15個くらい!


どんどん生えてくるニラは
どんどん食べて差し上げましょう。

さて、昨日15日の「日々のみことば」。
昨日はサムエル記上の17章。
ダビデが巨人ゴリアテを倒すところです。

「行って、あのペリシテびとと戦うことはできない。あなたは年少だが、彼は若い時からの軍人だからです」33節。

サウルは戦いの厳しさを知っていました。
だからこそ、ダビデが戦いに出て行けるとは思っていませんでした。

でも、ダビデは戦いの厳しさを知らなかった代わりに、
神様の力を知っていました。
羊飼いをしながら、神様の力を経験していました。

私たちが戦いの厳しさを知っていることはしばしば、私たちの目を神様にではなく、問題の大きさ、戦いの厳しさに向けてしまいます。
そして、神様の大きさを見えないようにしてしまうのです。

戦いの厳しさを知っているかどうか、よりも、神様の大きさを知っているかどうかの方がずっとずっと強いのです。

私ももしかしたら、サウルのようになっているのかもしれません。

戦いの厳しさを知っている中で、
神様の力を見失っている、そういうことにならないように、
ダビデのような幼子のような心で、出て行くことができますように。

神様、
あなたの力を信頼します。
あなたの御業を見せてください。
あなたのみ力を表してください。

2013-04-15

悲しみと怒り。

きょうのボストンマラソンのゴール付近での爆弾事件。
本当に悲しいし、怒りが湧いてくる。
先日、神の霊によって怒りが湧いてくることがある、
というところを聖書で読んだけれども、
本当に怒りが止まらない。
街の人々が愛し、誇りとしているイベント、
そして、世界中から、そこ舞台で走ることを夢見て、
トレーニングを積んで来た人々がやっとそこにたどり着いた、
その場を血に染めるようなことを考え実行する人の存在に怒りが湧いてくる。

今も、大切な人を失った人々のために、
また、不安な夜を過ごしておられる方々のために祈る。

昨日、4月14日の「日々のみことば」から。
昨日はサムエル記上の16章。

「この日からのち、主の霊は、はげしくダビデの上に臨んだ。」13節。

聖霊様は静かに注がれるときもあれば、
激しく注がれる時もある。

激しく注がれるときってどんな感じなんだろうか、
それも味わわせていただきたいように思わされた。
祈れば必ずそれを経験できる、というのではないだろう。
でも、主が許したもうならば、
聖霊様が激しく注がれて、ダビデを用いたように、
怒り狂い、不安にさいなまれるサウルの心に届く働きができたように、
神さまに用いていただきたいと思わされた。

主のみ許しあれば。
反対に、聖霊様の働きを静かな働きだけに閉じ込めてしまうのも不信仰なんだろうと。

神様、
あなたの霊を激しく注いでください。
そして、あなたの御用のために、あなたの栄光のために用いてください。