2007-12-15

さて。

大きなことが2ついや、3つ重なりましたねえ。

一つはStorm。
今11時過ぎですが、-2.7度で、ちらほらと小雪が舞っています。
12時頃までには本格的に降り始めるでしょう。
でも、明日の朝には雨に変わるようです。

NY州ののずっと北の方とかは50センチくらいの雪、
それも吹雪になるかもだそうです。

こちらは祈りが聞かれたのでしょうか、雨が中心で、
「この雨が全部行きだったら大変だろうなあ」という感じのヤツです。

そして、2つ目はJOYJOYクリスマス。
いよいよ明日です。
たくさんの仲間に来てほしいです。
そして、楽しくて、
でも、それだけじゃなくて、神様に心が向く、
クリスマスとなるようにと願います。

もう一つは洗礼式。
今年3回目です。
ハレルヤ!
本当にうれしいです。

さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書の1章26-38節。

「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」
38節です。

明日の説教の所でもあるので、
深く読んだのですが、
このマリヤの言葉の原語の表現は、誇張して言うと、
「ご覧下さい、このわたしは主のはしためです。どうか、あなたが言われたとおりのことがわたしの人生に起こりますように」という積極的に、
神様の前に自分を差し出す表現です。

「あなたのご自由に・・・」という感じではなく、
「是非、わたしを使ってください。あなたのお役に立たせてください」という積極的な姿勢です。

是非、使って頂きたいと思いました。
そして、どこまでも、あくまでも、神の「しもべ」として。
神様が使いやすい、神様から見て、頼みやすい、そのような器になりたいと思います。

自分の好きなことをするのではなくて、
主の僕として生きたいと思いました。

主よ、
わたしもあなたのプロジェクトチームの一員にしてください。
でも、わたしが好きなことをするのではなくて、
あなたの願われるように、
あなたの僕として、用いられますように。

2007-12-14

神様の真実さ

今日はこれから教会で深夜祈祷会で、
「帰ってきてから更新」はちょっとしんどいので、
今のうちに・・・。

今日の朝はちょうど0度くらいでした。
それほど冷え込まなかったんですね。

でも、集会があってFort Leeの方に行ったら、
我が家の周辺よりもFreezing Rainの時間が長かったようで、
電線にはつららが下がり、
木々は太陽にきらきら光って、とてもきれいでした。

そして、昼間は暖かくなって8度くらい。
今、夜の9時前ですが、まだ、2.6度あります。

明日の朝は-5度くらいまで下がるという予報をどこでも出していますが、
どうなんでしょうか?
これから冷えてくるのでしょうか。

そして、明日の夜には雪が降り始めますが、
すぐにSleetに変わり、Freezing Rainに変わり、
日曜日の朝には雨に変わるようです。

多くても10センチ。

日曜日の教会は大丈夫でしょう。
日曜日はJOYJOYクリスマスです。
たくさんの子供たち、お父さん、お母さんたちがおいでになれますように。

お一人一人の心に神様が触れてくださいますように。

さて、今日の聖書。
今日は新約聖書にはいって、ルカ1:5-25。

「私のことばは、その時が来れば実現します。」
20節の言葉が心に留まりました。

ザカリヤにとって、その言葉が本当に実現することを信じることは、
どれほど難しいことだったかと思います。

そして、私たちにとって信じることが難しい言葉はどれほどたくさんあるでしょうか。

でも、神様を信じるって、
そういうことなんでしょうね。
人間の力の限界の向こう側が勝負っていうか、
当たり前のことではないんでしょうね。

そして、それを信じるのは、
私たちの決断よりも何よりも、
それを約束してくださった方の真実が土台だと思わされました。
その主の真実を信頼して歩んでいきたいと思わされました。

「静まって、わたしこそ神であることを知れ」
詩篇46篇8節。

主よ、
あなたを信頼します。
あなたがなさることを信頼します。

あなたの約束を信頼します。
あなたのわたしに対する愛を信頼します。

どうか、わたしをきよめ、
あなたと共に歩んでいる平安の中で生かしてください。

2007-12-13

留守番。

今日は午前中は雪で、
午後は「凍雨」。
Wikipediaでは「凍雨」は「Ice Pellets」の訳といわれていますが、
こちらでは、ice pelletsと言う言葉を使うこともありますが、
日常的にはSleetを使います。
透明な氷の粒がたくさん降りました。

そして、最後はFreezing Rain・・・こちらはウヒョー!と覚えやすい、「雨氷」。
これは少しだけだったら、木の枝がきらきらと光ってきれいです。
2-3日前にはオクラホマとかの方で、これがたくさん降って、
木が倒れたりして、大変だそうです。
停電して暖房が使えず、困っている方も多いそうです。

でも、こちらは雪から凍雨、そして雨氷と変わりましたから
大して積もりませんでした。
だいたい3センチくらい。

でも、結構、道路はシャーベット状態でした。

で、午前中の祈祷会はもちろんやりましたが、
午後のJOYJOYキッズクラブは休み。
残念。

でも、私は個人的には、こういう時も、
必ず教会で留守番をしたいのです。

皆さんに連絡をして、「お休みですよ~」とお知らせしましたが、
それでも、留守番は必要だろうと思っています。

自分が聖書学院の一年生の時、
北海道のある小さな町の小さな教会に派遣されました。
この教会、長屋の一軒を使ってやっていた教会で、
2-3人の方が集まっていました。

夏の間に、2人の男の子と仲良しになり、
彼らはいつも教会に来るようになりました。
山田君と小沼君。
小学校6年生だったと思います。
今から21年前ですから、今33歳くらいですね。

で、この教会、いつもは牧師がいなくて、近くの都市の教会の牧師さんが
1時間かけて通っておられました。

彼らのうち小沼君は私が東京に帰った後も、
その牧師さんが来て、お話をしてくれるのが楽しみで、
毎週教会に通っていたそうです。

でも、ここは北海道でも寒さの一番厳しい地域。
ある日曜日猛吹雪で、さすがにその牧師さんも
あの「塩狩峠」をこえてその町の教会に行くことができなかったそうです。

吹雪が収まった後、その牧師さんがその町の教会に行った時、
一つの足跡が教会の入り口まで続いていたそうです。

そして、その次の週から、彼は教会に来なかったと、その牧師さんは私に話してくださいました。

雪の降る地域に住むようになって、
何年かに1回やってくる大雪、
1度だけ経験した(1996年)吹雪、
その大変さを知ると、1時間山を越えてその町に行くのは無理だったとわかります。
でも、できるだけ、教会の集会を中止する時も、
教会の留守番をしたい、そのように思わされています。

そして、実際に礼拝を中止した何年か前の日曜日、
教会の皆さんに電話をしてそのことをお伝えしたのですが、
近くの韓国の教会に行かれている日本語のわかる韓国人の方が、
ひょっこり教会に現れました。
留守番をしていた私はその方と一緒にお祈りをして礼拝を守りました。

だから・・・私は留守番が大好きです。

今度の日曜日。
なんだか、雪も降るようですが、どちらかというと雨がメインになる見たいです。
雪は積もっても5センチくらい。・・・かも。

でも、もう、あんまり心配していないで、
ここで「だいじょうぶ宣言」をしてしまいましょう。

きっと、今度の日曜日は大丈夫!

・・・たぶん・・・ね。

今日の聖書です。
今日はイザヤ書の43章14-21節。

「先の事どもを思い出すな。 昔の事どもを考えるな。」
18節の言葉が心に留まりました。

神様が新しいことをしてくださる。
それを待ち望んでいます。

そして、昔のことに捕らわれてはいけない、
そう思います。

でも、今日、ここを読んだら、
この「思い出してはいけない」といわれている「昔のこと」は、
悪い思い出、つらい思い出、ではなくて、
神様の救いの思い出なんですよね。

だから、神様のしてくださったすばらしいことさえ、
神様がこれからなそうとしてくださっている、
「新しいこと」を縛ってしまってはいけないのだと気づかされました。

そう、私たちは神様が過去にしてくださったすばらしいこと、
それさえも、神様がこれからしてくださることを制限するものとして、
使ってしまっていることもあるんですね。

神様は過去のことを超えてすばらしいことをしてくださる。
今まで経験した最高にすばらしいことをも超えて、
神様はすばらしいことをしてくださる。

その神様の力を信頼して歩んでいきたいと思いました。

主よ、
あなたの大きさを制限するすべてのもの、
あなたがなそうとしている新しいことを
押し込めてしまう枠となるすべてものを、
私は捨てます。

あなたがなしてくださる新しいことを
信頼します。

自分のちっぽけな経験に閉じこもったりすることがありませんように。

2007-12-12

うーん、危うし・・・。

今日の朝は暖かくて、
昼間もまあまあ良かったのですが、
夜になってからぐーんと冷えてきました。

今、夜の11時過ぎで、-0.4度です。
明日の朝は-4度くらいまで下がりそうです。

そして、明日の昼過ぎから雪。
キッズクラブの日なんですけどね・・・。
昨日は10センチくらいという「ちょい雪」の予報でしたが、
今日になってから15-25センチの予報。
そうなると、ちょっとキツイです。

出足が鈍りそうです。

で、問題の日曜日。
今夜のGFSでは、降り出しは15日の夜中で雪。
そして、16日の明け方には雨に変わって、
お昼頃には雪に変わる・・・ダメじゃん。

でも、このパターンだと60センチはありません。

でも、まだ水曜日。
わかってくるのは金曜日くらいです。

とにかく低気圧の通るところが
海岸に近くなるか、ちょっと離れるかで、
全然違ってきます。
もしも低気圧が海岸に近く進んできた場合、
海からの比較的に暖かな空気が入ってくるので、
雨に変わります。

今回の場合、特にカリブの方に発生した
「半熱帯低気圧」(造語)のエネルギーを取り込むので、
特に暖かな空気が入ってくる可能性があります。

なんとか、余りひどいことにならないようにと願います。

さて、今日の聖書。
今日はイザヤ書の40章1-11節。

「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」
8節の言葉です。

すべてのものは変わっていく、
でも、神の言葉は変わらない。

それが私たちの平安の基盤です。
希望の根拠です。

イザヤが預言をした対象は、
アッシリアであり、バビロンでした。
イスラエルから見るならば、超大国。

でも、その超大国の滅亡も見えていたのです。

ソ連の崩壊は私の世代にとっては大きなことでした。
ロシアがまた台頭してきましたが・・・。

これからも「あの国が・・・」という国も衰えてくるかもしれません。

でも、どんなに時代が変わっても、
変わらないものがある。

どんなに不安なことが起こっても、
私たちを支えるものがある。

それが神の言葉だとイザヤは言うのです。

それをいただいていることはなんという幸いだろうかと思います。

主よ、
あなたのみことばが頼りです。
あなたのみことばが力です。
どうか、みことばに信頼する者たちの祝福を経験させてください。


2007-12-11

いいところと問題と。

今朝も結局余り冷え込みませんでした。
2度。
そして、昼頃にはちょっと日も差しました。
それだけでもずいぶん暖かく感じます。

でも、3時頃から雨。
温度は高めで今、夜の10時半ですが、5.4度。
明日の朝にかけてもう少し気温は上がるようです。

今週はずっとこのまま暖かめで行くのかなあと思っていましたが、

どうやら明日の夜には冷えてきて、
あさっての午後には雪になるようです。
10センチくらいの、ちょっとした雪でしょう。

で、週末ですが、
どうやらStormが来るのは来るようですね。
60センチは最大のパターンのようで、
「15センチくらいで、朝のうちに終わる」とか、
「始めと終わりは雪だけれども、大部分は雨」とか、
そんな可能性もあります。

昨日だったのですが、
お休みで、ちょっとあっちこっち遊びに行っていたのですが、
ミラノにも遊びに行きました。
このuttie宣教師ご夫妻、
去年の日本訪問の時に、偶然お会いして、
10月の牧師セミナーで1年ぶりの再会。
今回は少しゆっくりお話しするチャンスがありました。

で、沖縄に行かれていた時の記事の一文が、
ちょっと心に留まりました。

「人々のエゴを受け止めながらも、どこか力強い島」

読みながら、この言葉が締めに出てきたことに、
ちょっと意表をつかれたのでした。
「こんな美しい島に、開発の波が及んで・・・」みたいな、
問題を考えさせられて終わるのかと思いきや、
「それでも強い島」という締めは、とっても前向きにさせられる感じがしました。

自分はどちらかというと、問題を見てしまう方かもしれません。
問題を見ないでいることがまずいかのような、
「わかっていない」と思われるんじゃないかというような、
そんな気持ちがしているのかもしれません。
そうして「わかっているんだよ」と自己弁護をしているような。

でも、そんな必要ないんですよね。
問題なんてあるのは決まっている。
でも、その中で、神様が与えてくださっている良いことを見ていく、
主が与えてくださった、良いことを数えていく、
そのような歩みをしたいと思いました。

uttie先生に感謝。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の24篇。

「地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。」1節。

もう最初から、私は主のものなんですよね。
そのことを、今朝、ここを読んで、ドーンと、語られました。

自分の自発的な気持ちで、主に従うことが大切
それは思います。
でも、それが当たり前じゃない。
本当は、私たちは元々、主のもの。

主を受け入れることも、
主を自分の人生の王とすることも
主に従って歩むことも、
すべてをおささげすることも、
なんてことはない、
当たり前のことなんですよね。

ちょっと勘違いをして、
何かをしたつもりになってはいけないなあと思います。
主のために何かをしたような気になってはいけないなあと思います。

主よ、
私自身もあなたのものであることを、
忘れることがありませんように。

感謝します。

あなたのものであることを。
あなたのものであることのすばらしさを
もっともっと味わうことができますように。



2007-12-10

危うし!JOYJOYクリスマス。

今日は朝から2度あって、

昼間も5度くらいまで上がったのですが、
なんといっても、どんよりした一日でしたので、
「底冷え」という感じでした。
何年かぶりに「こたつ」を出しました。

はまっています。



今は夜の10時で3.4度。
この後、空が晴れてくるので、
氷点下に冷えそうです。
そう、昼間は晴れている時の方が暖かいかもしれませんが、
夜は晴れている時の方が冷え込みます。
雲が毛布のような役割をするので、
それがないと冷えてしまうんです。

で、表題ですが、


今日の夕方のGFS(Global Forcast System)の計算で、
こんな天気図が出てきました。



アメリカ東部の地表の天気図なんですが、
これは2007年12月16日午後1時の予想図なんです。

そう、ちょうどJOYJOYクリスマスの始まろうという時の天気予想図なんです。見てわかりますか?これはヤバイです。まずいです。これが本当に起こってしまうと、60センチです。Blizzardです。

いつもはこういう天気図を見るとわくわくしてしまうのですが、JOYJOYクリスマスにぶつかるとは・・・。

過去に1回ありました。JOYJOYクリスマスの日に大雪で中止だったこと。自分たちの予定がある時だけ、外れてほしいというのはあまりにもわがままなような気もするんですが、なんとか、外れてほしいものです・・・。神様はいつも最高のことをしてくださると信じますが・・・。

まだ6日後のことですから、いつものように、「わかってくるのは2日前」の法則に従って、あまりパニックを起さないで祈りつつ待ちたいと思います。

さて、今日の聖書。
今日はミカ書5章1-4節でした。

「彼は立って、主の力と、彼の神、主の御名の威光によって群れを飼い、彼らは安らかに住まう。」
4節の言葉です。

イエスによって、私たちが「安らかに住まう」という言葉が心に留まりました。

神様によって、イエスによって与えられる平安。
ありがたいと思いました。

私たちはまた他のものによって平安を得ようとすることがいかに多いことかと思います。平安を得るために一生懸命人と話をしたり、賛成を得ようとしたり、わかってくれる人を得ようと思います。でも、それによって得られる平安は、ちょっとした安心感というものは、主が与えてくださる平安とはレベルが違います。それを私たちはどれほど多くの場合に、「主が与えてくださる平安」と思いこんでしまっているだろうかと思います。また、違うとわかっていても目に見える人の言葉に頼ってしまうことがどれほど多いことでしょうか?

本当に主の平安を経験していこうと思いました。

主の平安によって生かされていきたいと思いました。

教会の中にもそのような平安によって歩んでいく喜びがあふれるようにと思います。

主よ、
あなたの与えてくださる平安に感謝します。
その平安を求めます。
その平安に期待します。
人との関係によって与えられる平安で満足することがありませんように。

そこでスタートしても、そこに留まることがありませんように。
あなたの平安で守ってください。

2007-12-09

主にかばわれて

今日はどんよりとした一日。
雨も降りました。

朝も1度くらいでしたが、
今、夜の10時20分で1.5度。

今夜から明日にかけても雨。
火曜日も水曜日も木曜日もずっと一時雨。

ちょっとスッキリしない日が続くみたいです。

でも、こういう時は、余り冷え込まないので、助かります。

今日は9日。
今度の日曜日はJOYJOYクリスマスです。
今年も楽しいプログラムになりそうです。

それと共に、クリスマスの「礼拝」の意味を今日の礼拝で思わされました。
楽しいこともたくさんあっていい。楽しいこと大好きです。
でも、いつでも中心は神様の前にひれ伏すことでありたいと思います。

クリスマスまであと16日。
クリスマスの意味を深く思いながら過ごしたいと思いました。

今日の聖書。
今日はエゼキエル書の37章24-28節でした。

「わたしは彼らをかばい・・・」
27節の言葉です。

口語訳では「祝福し・・・」と訳されていますが、
新改訳では「かばい・・・」です。

主が私のことをかばってくださる。
なんだか、それだけで力が湧いてきました。

私たち一人一人のことをかばってくださる、
なんとうれしいことだろうかと、
思います。

主よ、
感謝します。
あなたがかばってくださるから。
それだけで十分です。

どうか、私があなたにかばわれたように、
ひとをかばうことのできるものとならせてください。