どうしても更新、夜になりますね。
でも、寝る時間は大切なので、今日もショートバージョン。
今日の雪も、大したことはありませんでした。
明日の雪もそうです。
でも、来週の水曜日。またちょっと心配。
ってゆうか、今度はやたら天気予報が「big storm」と騒いでいる。
なんだかね。
自分的には月曜日くらいまで様子見。
さて、今日の聖書。
今日はマルコによる福音書9:30-37。
「みなに仕える人になりなさい」35節。
EC10の2回目のメッセージの中で、
「牧師の働きは仕えることだ。そのことが牧師になるまではわからなかった」と語りました。ほんとにそうです。
でも、今日またこの聖書の箇所を読む中で、
自分はホントに仕えることがわかっているんだろうか。
ホントに仕えているんだろうかと、
問われているように感じました。
チャック・スウィンドルの「仕える喜び」を何度読んだことでしょうか。
どれほど多くのことを学んだことでしょう。
どれほど、そこから語ったことでしょう。
1年半ほど前の「家の教会セミナー」の中で、
「相手が恥ずかしくなるくらい仕えなさい」と言われました。
おお、そうか、と思いました。
でも、どれほど仕えたか?
どれほど仕えているのか?
祈りにおいて、御言葉において、
具体的な働きにおいて、
自分はどこまで仕えているだろうか。
仕えるレッスン、まだまだこれからだと思います。
主よ、
仕えることを教えてください。
仕える者とならせてください。
2011-01-28
2011-01-27
なおりたいのか?
いやあ、朝起きたら、「結構降ったなあ」と思いましたが、
うちの近所よりも、ハドソン川沿いの方がかなり大雪だったみたいですね。
Mitsuwaのすぐそばの一本上の道を人を迎えに行ったら、
もう雪国のようでしたよ。
うちの方は昨日のうちに1回雪かきをしていた朝の分と合わせて30センチくらいだったでしょうか。でも、湿った重い雪を、自分の背の高さよりも高く放り投げて、雪かきをしていたら、肩の痛みは全くなくなっていました。単なる「PCのキーボードたたき過ぎ病」だったんでしょう。
ちなみに明日、明後日と小雪があります。
そして、来週の水曜日くらいにはまた次のstormです。
今回みたいなことはありませんが、
まあ、それなりに降ると思います。
昨日の宿題の「直りたいのか?」ですね。
火曜日にはこの言葉が「あ、自分は直りたいのだ」という38年間の時の長さ故になんだか、どこまで本気だったのかわからなくなっていた彼の気持ちが、最初のポイントに引き戻されるようなそんな言葉だったのではないだろうか、と思いました。
言葉では「だれも助けてくれない」なんて言い訳をしていたのですが、そんな中にも「ああ、直りたいんです」という思いが湧いて来たのではないでしょうか。
そんな、彼の気持ちを引き出すような、彼を原点に引き戻すようなイエスの言葉だと思いました。
そして、個人的には教会の会堂のことを思わされました。
「本当に、あなたは求めているのか?」「欲しいのか?」と問われたように思ったのです。
38年までは行きませんが、23年間、ずっと求め続けて、でもずっと与えられない中で、
「私たちはそこまで力はありません」
「いい物件が出てくると、他の教会が買ってしまうんです」
そんな言い訳をしながら、
いつの間にか、また、今の状況が居心地が良くなってしまったのではないかと思わされました。
そんな中で「直りたいのか?」と聞かれたイエスの言葉が、
私の心には「あなたはホントに会堂を求めているのか?」と聞こえて来ました。
「そうです、イエス様」と、そのように祈らされました。
さて、今日の聖書。
マルコ9:14−29。
「信じます。不信仰な私をお助けください。」24節。
この言葉も私の心からの言葉です。
自分の経験だとか、自分のイメージだとか、そんなものに縛られている私たちが神様を信じることは、イエスを信じることは、この言葉で表すしかないんじゃないかと思う。
私も自分の経験だけだと、語れないこともある。
でも、聖書の言葉は私の経験を超えている。
自分のちっぽけな経験よりも神様の言葉は大きいし確かだ。
自分から出る信仰ではなくて、
神様の与えられる信仰。
それを信じて行こう。自分の経験よりも、神のみ言葉を信頼していこう。
主よ、
あなたを信頼して行きます。
自分の経験や、自分の考えが砕かれなければ、あなたはお用いになれません。というか、自分の考えにとどまっているのは信仰ではありません。
自分の思いや経験を超えた神の言葉を信じよう。
うちの近所よりも、ハドソン川沿いの方がかなり大雪だったみたいですね。
Mitsuwaのすぐそばの一本上の道を人を迎えに行ったら、
もう雪国のようでしたよ。
うちの方は昨日のうちに1回雪かきをしていた朝の分と合わせて30センチくらいだったでしょうか。でも、湿った重い雪を、自分の背の高さよりも高く放り投げて、雪かきをしていたら、肩の痛みは全くなくなっていました。単なる「PCのキーボードたたき過ぎ病」だったんでしょう。
ちなみに明日、明後日と小雪があります。
そして、来週の水曜日くらいにはまた次のstormです。
今回みたいなことはありませんが、
まあ、それなりに降ると思います。
昨日の宿題の「直りたいのか?」ですね。
火曜日にはこの言葉が「あ、自分は直りたいのだ」という38年間の時の長さ故になんだか、どこまで本気だったのかわからなくなっていた彼の気持ちが、最初のポイントに引き戻されるようなそんな言葉だったのではないだろうか、と思いました。
言葉では「だれも助けてくれない」なんて言い訳をしていたのですが、そんな中にも「ああ、直りたいんです」という思いが湧いて来たのではないでしょうか。
そんな、彼の気持ちを引き出すような、彼を原点に引き戻すようなイエスの言葉だと思いました。
そして、個人的には教会の会堂のことを思わされました。
「本当に、あなたは求めているのか?」「欲しいのか?」と問われたように思ったのです。
38年までは行きませんが、23年間、ずっと求め続けて、でもずっと与えられない中で、
「私たちはそこまで力はありません」
「いい物件が出てくると、他の教会が買ってしまうんです」
そんな言い訳をしながら、
いつの間にか、また、今の状況が居心地が良くなってしまったのではないかと思わされました。
そんな中で「直りたいのか?」と聞かれたイエスの言葉が、
私の心には「あなたはホントに会堂を求めているのか?」と聞こえて来ました。
「そうです、イエス様」と、そのように祈らされました。
さて、今日の聖書。
マルコ9:14−29。
「信じます。不信仰な私をお助けください。」24節。
この言葉も私の心からの言葉です。
自分の経験だとか、自分のイメージだとか、そんなものに縛られている私たちが神様を信じることは、イエスを信じることは、この言葉で表すしかないんじゃないかと思う。
私も自分の経験だけだと、語れないこともある。
でも、聖書の言葉は私の経験を超えている。
自分のちっぽけな経験よりも神様の言葉は大きいし確かだ。
自分から出る信仰ではなくて、
神様の与えられる信仰。
それを信じて行こう。自分の経験よりも、神のみ言葉を信頼していこう。
主よ、
あなたを信頼して行きます。
自分の経験や、自分の考えが砕かれなければ、あなたはお用いになれません。というか、自分の考えにとどまっているのは信仰ではありません。
自分の思いや経験を超えた神の言葉を信じよう。
2011-01-26
ほらね。だから言ったでしょ。
昨日の夜の段階で、いくつの天気予報が30センチを予想していたでしょうか?
結構みんな10センチとか、15センチとか、控えめだなあと思っていたのでした。
そして、今日になってからみんな慌てて、30センチ以上を予想して来ました。
ハハハ!あたるも八卦、あたらぬも八卦のような、かきごおり天気予報でしたが、
見事あたりましたねえ。いやあ、ホントは昨日からわかっていたんだよ、こうなることは。
実際、午前中も10センチくらい。
夜には場所によってはthundersnowだったみたいです。
まだ激しく降っています。
合わせて30センチは堅いでしょう。
ハハハ、鼻高々です。
明日の朝にはすっかり上がって、晴れているでしょう。
金曜日、土曜日とも、ちょい雪の可能性はあります。
あと、来週の火曜日も・・・。
ふう。
昨日の集会で思わされたこと。
昨日の集会はヨハネによる福音書5章。
「ベテスダの池」の回廊に住み着いていた38年間病気だった人の癒しの記事。
イエスはなぜこの人に「直りたいのか?」と聞いたのか?
うーん、またゆっくり書きます。
今日はちょっと肩が痛いので・・・。
ん?40肩か!?
なぜイエスはそんなことを言われたのか、皆さんも考えてみてください。
さて、今日の聖書。
今日はマルコ9:2-13。
「ペテロが口出ししてイエスに言った・・・」5節。
この「口出し」という言葉が心に引っかかりました。
へえ、ペテロは「口出し」したんだと。
それに対する神様の答えは、
7節の「彼の言うことを聞きなさい」だった。
聞くことよりも口出しをしたい私たち、
でも、神様は「聞きなさい」と言われる。
聞くことだなあ。
とにかく聞くこと。
「自分のビジョン」「自分の考え」「自分の経験」・・・
そんなものの方が、主の前に静まって聞くことよりも大切になりやすい。
主の前に静まって、聞くことをしたい。
主よ、
あなたの前に静まる者とならせてください。
私があなたに口出しするのではなく、あなたに聞く者にならせてください。
結構みんな10センチとか、15センチとか、控えめだなあと思っていたのでした。
そして、今日になってからみんな慌てて、30センチ以上を予想して来ました。
ハハハ!あたるも八卦、あたらぬも八卦のような、かきごおり天気予報でしたが、
見事あたりましたねえ。いやあ、ホントは昨日からわかっていたんだよ、こうなることは。
実際、午前中も10センチくらい。
夜には場所によってはthundersnowだったみたいです。
まだ激しく降っています。
合わせて30センチは堅いでしょう。
ハハハ、鼻高々です。
明日の朝にはすっかり上がって、晴れているでしょう。
金曜日、土曜日とも、ちょい雪の可能性はあります。
あと、来週の火曜日も・・・。
ふう。
昨日の集会で思わされたこと。
昨日の集会はヨハネによる福音書5章。
「ベテスダの池」の回廊に住み着いていた38年間病気だった人の癒しの記事。
イエスはなぜこの人に「直りたいのか?」と聞いたのか?
うーん、またゆっくり書きます。
今日はちょっと肩が痛いので・・・。
ん?40肩か!?
なぜイエスはそんなことを言われたのか、皆さんも考えてみてください。
さて、今日の聖書。
今日はマルコ9:2-13。
「ペテロが口出ししてイエスに言った・・・」5節。
この「口出し」という言葉が心に引っかかりました。
へえ、ペテロは「口出し」したんだと。
それに対する神様の答えは、
7節の「彼の言うことを聞きなさい」だった。
聞くことよりも口出しをしたい私たち、
でも、神様は「聞きなさい」と言われる。
聞くことだなあ。
とにかく聞くこと。
「自分のビジョン」「自分の考え」「自分の経験」・・・
そんなものの方が、主の前に静まって聞くことよりも大切になりやすい。
主の前に静まって、聞くことをしたい。
主よ、
あなたの前に静まる者とならせてください。
私があなたに口出しするのではなく、あなたに聞く者にならせてください。
2011-01-25
嵐が来るぞ〜。
明日の雪ですが、
オオカミおじさんになることを覚悟で発表すると、
はい、大雪です。
明日の夕方から、夜にかけて、
ドーッと降りしきって、30センチになります!
・・・外れたらごめん。
というか、明日のstormは、
どんな行動をするか、予測ができない、
ホントに複雑なstormです。
説明はうまくできないのですが、
一つのまとまった低気圧というよりは、
上空のいろんな力が、影響し合って、
発達途中の若者的低気圧が通って行くのです。
だから、若者的エネルギー爆発であえて30センチ。
でも、そういうのですから、「やってらんないよ」って、
バラバラになってしまうかもしれません。
東海上で大人の低気圧になりそうです。
あんまり論理的裏付けのない話で申し訳ないのですが、
そこまでちゃんと天気予報を勉強していないし、
勉強しても、もういろんな可能性が出ているので、
ま、そんな言い方でいいかな、と思いつつ・・・。
雪の話題で、もう4−5日前の話ですが、
ブータンでは初雪の日は祝日になるそうです。
http://d.hatena.ne.jp/Bhutan_Tamako/20110120
これはいい!
「初雪の日、おめでとう!」ってこのノリがいいです。
私もそういうタイプの人間なので・・・。
ぜひ、次の冬からNJでも取り入れてほしいです。
NJの場合は「10回目の雪おめでとう!」とか、
「積雪30センチおめでとう!」とか、
「華氏一けたおめでとう!」とか、
そういうのやってほしいですね。
さて、今日の聖書。
今日はマルコ8:27−9:1でした。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い・・・」34節。
ペテロが「あなたこそ神のキリストです」という信仰告白をしてから、
イエスは自分が苦しむことを、十字架にかけられることを語り始めます。
それに対して、ペテロはどうしても納得できなくて、
イエスを諌めるのです。
おそらくペテロはイエスより年長。
「そんなんじゃ困ります」と、諌めたのでしょう。
でも、イエスははっきり言われます。
「あなたは神のことを思わないで人のことを思っている」と。
そして、十字架を負って歩む道を示されたのです。
ここまで考えると、1章1節の「イエス・キリストの福音の初め」ということの意味を思わされます。
イエスの福音にとって、「あなたのこそ、救い主、我が主、神の子キリスト」というのは入り口なんだなあ、と思います。自分の十字架を負っていくことなしに福音の全体像はわからないんだ、と。
福音をあまりに小さなパッケージの中に押し込めていることが多いな、と思います。
福音の広さ、深さ、奥行き、教えていただきたいと思います。
自分の十字架を負って、歩んでいる中で、
福音の大きさを教えていただきたいと思います。
主よ、
わたしはもしかしたら、福音の入り口でうろうろしているのかもしれません。
福音の広さ、大きさ、深さ、奥行き、もっともっと味わわせてください。
オオカミおじさんになることを覚悟で発表すると、
はい、大雪です。
明日の夕方から、夜にかけて、
ドーッと降りしきって、30センチになります!
・・・外れたらごめん。
というか、明日のstormは、
どんな行動をするか、予測ができない、
ホントに複雑なstormです。
説明はうまくできないのですが、
一つのまとまった低気圧というよりは、
上空のいろんな力が、影響し合って、
発達途中の若者的低気圧が通って行くのです。
だから、若者的エネルギー爆発であえて30センチ。
でも、そういうのですから、「やってらんないよ」って、
バラバラになってしまうかもしれません。
東海上で大人の低気圧になりそうです。
あんまり論理的裏付けのない話で申し訳ないのですが、
そこまでちゃんと天気予報を勉強していないし、
勉強しても、もういろんな可能性が出ているので、
ま、そんな言い方でいいかな、と思いつつ・・・。
雪の話題で、もう4−5日前の話ですが、
ブータンでは初雪の日は祝日になるそうです。
http://d.hatena.ne.jp/Bhutan_Tamako/20110120
これはいい!
「初雪の日、おめでとう!」ってこのノリがいいです。
私もそういうタイプの人間なので・・・。
ぜひ、次の冬からNJでも取り入れてほしいです。
NJの場合は「10回目の雪おめでとう!」とか、
「積雪30センチおめでとう!」とか、
「華氏一けたおめでとう!」とか、
そういうのやってほしいですね。
さて、今日の聖書。
今日はマルコ8:27−9:1でした。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い・・・」34節。
ペテロが「あなたこそ神のキリストです」という信仰告白をしてから、
イエスは自分が苦しむことを、十字架にかけられることを語り始めます。
それに対して、ペテロはどうしても納得できなくて、
イエスを諌めるのです。
おそらくペテロはイエスより年長。
「そんなんじゃ困ります」と、諌めたのでしょう。
でも、イエスははっきり言われます。
「あなたは神のことを思わないで人のことを思っている」と。
そして、十字架を負って歩む道を示されたのです。
ここまで考えると、1章1節の「イエス・キリストの福音の初め」ということの意味を思わされます。
イエスの福音にとって、「あなたのこそ、救い主、我が主、神の子キリスト」というのは入り口なんだなあ、と思います。自分の十字架を負っていくことなしに福音の全体像はわからないんだ、と。
福音をあまりに小さなパッケージの中に押し込めていることが多いな、と思います。
福音の広さ、深さ、奥行き、教えていただきたいと思います。
自分の十字架を負って、歩んでいる中で、
福音の大きさを教えていただきたいと思います。
主よ、
わたしはもしかしたら、福音の入り口でうろうろしているのかもしれません。
福音の広さ、大きさ、深さ、奥行き、もっともっと味わわせてください。
2011-01-24
さむい(終わり)!
今朝はまた寒かったですね。
最低気温は-16.9度Cでした。
昼間は-6度どまりでしたが、
その後、-9度くらいまで下がった気温が上がり始めて、
今は夜の10時過ぎですが、-7度まで上がってきています。
この寒さも今朝がピークで、
明日はついに氷点下脱出確実です。
明日の天気は小雪。
ま、全然大丈夫です。
午後には晴れてくるでしょう。
で、問題は水曜日の夜から木曜日の朝。
このstormがどうなるか、本当に振り回されています。
(いや、振り回されなくていいんで、勝手に振り回されているんですが)
はい、「何にもない」のも、「雨だけ」もなくなりました。
確率的には、「大雪」が50パーセント以上じゃないかな。
もしかしたら、クリスマスの時のを超えるような
大雪になるかもしれません。
まだ、2日先なので、はっきりしないのですが、
明日には見えてくるでしょう。
さて、今日の聖書。
今日はマルコの8章14−26節でした。
「そして、彼が見つめていると、すっかり直り、すべての者がはっきり見えるようになった。」25節。
この人は一気に見えるようになった訳ではなかった。
他には一気に見えるようになった人もいた。
瞬間的にいやされた人もいた。
でも、イエスも、あるときには時間をかけていやされた。
段階を踏んでいやされた。
だれもが「瞬間的」な御業を見たい。
あり得ないくらい、一気に解決することを見たい。
そういう人の証しを聞くと、なんか自分は半端なような気がすることがある。
神様の奇跡を経験していないような気がする。
でも、この聖書の箇所を読むと、そんなことはないようだ。
神様は時々、時間をかけて御業をなさる。
それは神様の自由だ。
私が何を望もうと、それは神の領域だ。
それを信頼して歩んで行きたいと思った。
主がなさることを信頼して行こうと思った。
時間がかかっても、それは神のなさることだ。
自分が焦る必要も何もない。
信頼して行こう。
主よ、
あなたが瞬間的に、人を造りかえるときに、
それを人は「神業だ」「奇跡だ」と呼びます。
でも、あなたが奇跡をなさるときには、
私たちが見てどう感じるかではなくて、
あなたの方法でなさるんですよね。
あなたにゆだねます。
あなたの方法で、私を造りかえ、あなたの方法で教会の一人一人を造りかえてください。あなたを信頼します。
最低気温は-16.9度Cでした。
昼間は-6度どまりでしたが、
その後、-9度くらいまで下がった気温が上がり始めて、
今は夜の10時過ぎですが、-7度まで上がってきています。
この寒さも今朝がピークで、
明日はついに氷点下脱出確実です。
明日の天気は小雪。
ま、全然大丈夫です。
午後には晴れてくるでしょう。
で、問題は水曜日の夜から木曜日の朝。
このstormがどうなるか、本当に振り回されています。
(いや、振り回されなくていいんで、勝手に振り回されているんですが)
はい、「何にもない」のも、「雨だけ」もなくなりました。
確率的には、「大雪」が50パーセント以上じゃないかな。
もしかしたら、クリスマスの時のを超えるような
大雪になるかもしれません。
まだ、2日先なので、はっきりしないのですが、
明日には見えてくるでしょう。
さて、今日の聖書。
今日はマルコの8章14−26節でした。
「そして、彼が見つめていると、すっかり直り、すべての者がはっきり見えるようになった。」25節。
この人は一気に見えるようになった訳ではなかった。
他には一気に見えるようになった人もいた。
瞬間的にいやされた人もいた。
でも、イエスも、あるときには時間をかけていやされた。
段階を踏んでいやされた。
だれもが「瞬間的」な御業を見たい。
あり得ないくらい、一気に解決することを見たい。
そういう人の証しを聞くと、なんか自分は半端なような気がすることがある。
神様の奇跡を経験していないような気がする。
でも、この聖書の箇所を読むと、そんなことはないようだ。
神様は時々、時間をかけて御業をなさる。
それは神様の自由だ。
私が何を望もうと、それは神の領域だ。
それを信頼して歩んで行きたいと思った。
主がなさることを信頼して行こうと思った。
時間がかかっても、それは神のなさることだ。
自分が焦る必要も何もない。
信頼して行こう。
主よ、
あなたが瞬間的に、人を造りかえるときに、
それを人は「神業だ」「奇跡だ」と呼びます。
でも、あなたが奇跡をなさるときには、
私たちが見てどう感じるかではなくて、
あなたの方法でなさるんですよね。
あなたにゆだねます。
あなたの方法で、私を造りかえ、あなたの方法で教会の一人一人を造りかえてください。あなたを信頼します。
2011-01-23
さむい2。
もう遅いので、ショートバージョンで行きますが、
今日は寒かったです。
朝の最低気温は-16.2度Cでした。
そして、最高気温が-4度C。
昨日サキが車の中に置きっぱなしにした、お弁当の残り、カチカチに凍っていました。
朝、6時に教会に行く車の中は、「息をしたら、肺の細胞が30個くらい壊れる」って実感があって、しばらく息止めていましたよ。
やっぱり、確実に-10度よりも-16度は寒いですね。
体感気温違いました・・・。
そして、今は夜の11時20分くらいですが、既に-12.7度Cまで下がってきています。
明日の朝は−18度、華氏でもサブゼロにいくんじゃないかと思います。
この寒波の底は明日。
昼間も-5度C以下の寒さでしょう。
火曜日からはこの寒さも緩んで、水曜日は雪みたいです。
これがまたどれくらい降るのかで、天気予報フリークは今大騒ぎです。
ホントにモンスターみたいな低気圧が進んでくる可能性もあり。
コースによっては、NYC直撃ですから・・・。
でも、なんで大騒ぎかって言うと、たくさんのコンピューターモデルが、みんな違う予想を出してくるから。「これはおかしい!」とか、「このモデルは無視する!」といか、「このモデルが最高だ!」とか。理由を説明するのも、ほとんど「希望的観測」みたいなのが結構多くて・・・。
たのしいです。
今日の礼拝はたくさんの新しい方々が来られて、また新しい風が吹いてきそうです。
ペンテコステの教会は120人で3000人の新メンバーを迎えた、といいます。
どんなに大変だっただろうかと思います。聖霊様の守りですね。
神様に祈って期待して、守っていただきたいです。
感謝しつつ。
さて、ショートバージョン、と言いながら長くなりました。今日の聖書。
今日はマルコの8章1−13節でした。
「いったいどこからパン を手に入れて・・・」4節。
弟子たちはイエスの奇跡をたくさん見てきて、
5000人の人々が5つのパンと2匹の魚で満腹になる奇跡も見ているのに、またここでも、「どうやって・・・」なんて話をしている。私もいくつも神様の御業を見ているのに、いつまでも、神様のことを本気で信じられないでいる。
馬鹿みたいに単純に、
阿呆みたいに愚直に、
神様の真実を信じて、単純に信じて、歩んで行きたいと思う。
主のしてくださった良いことを何一つ忘れるな、
それをほんとうに実践して行こうと思う。
主よ、
あなたを信頼して歩ませてください。
あなたの御業を忘れないで、
これからもあなたの御業を信じて歩ませてください。
今日は寒かったです。
朝の最低気温は-16.2度Cでした。
そして、最高気温が-4度C。
昨日サキが車の中に置きっぱなしにした、お弁当の残り、カチカチに凍っていました。
朝、6時に教会に行く車の中は、「息をしたら、肺の細胞が30個くらい壊れる」って実感があって、しばらく息止めていましたよ。
やっぱり、確実に-10度よりも-16度は寒いですね。
体感気温違いました・・・。
そして、今は夜の11時20分くらいですが、既に-12.7度Cまで下がってきています。
明日の朝は−18度、華氏でもサブゼロにいくんじゃないかと思います。
この寒波の底は明日。
昼間も-5度C以下の寒さでしょう。
火曜日からはこの寒さも緩んで、水曜日は雪みたいです。
これがまたどれくらい降るのかで、天気予報フリークは今大騒ぎです。
ホントにモンスターみたいな低気圧が進んでくる可能性もあり。
コースによっては、NYC直撃ですから・・・。
でも、なんで大騒ぎかって言うと、たくさんのコンピューターモデルが、みんな違う予想を出してくるから。「これはおかしい!」とか、「このモデルは無視する!」といか、「このモデルが最高だ!」とか。理由を説明するのも、ほとんど「希望的観測」みたいなのが結構多くて・・・。
たのしいです。
今日の礼拝はたくさんの新しい方々が来られて、また新しい風が吹いてきそうです。
ペンテコステの教会は120人で3000人の新メンバーを迎えた、といいます。
どんなに大変だっただろうかと思います。聖霊様の守りですね。
神様に祈って期待して、守っていただきたいです。
感謝しつつ。
さて、ショートバージョン、と言いながら長くなりました。今日の聖書。
今日はマルコの8章1−13節でした。
「いったいどこからパン を手に入れて・・・」4節。
弟子たちはイエスの奇跡をたくさん見てきて、
5000人の人々が5つのパンと2匹の魚で満腹になる奇跡も見ているのに、またここでも、「どうやって・・・」なんて話をしている。私もいくつも神様の御業を見ているのに、いつまでも、神様のことを本気で信じられないでいる。
馬鹿みたいに単純に、
阿呆みたいに愚直に、
神様の真実を信じて、単純に信じて、歩んで行きたいと思う。
主のしてくださった良いことを何一つ忘れるな、
それをほんとうに実践して行こうと思う。
主よ、
あなたを信頼して歩ませてください。
あなたの御業を忘れないで、
これからもあなたの御業を信じて歩ませてください。
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