2006-04-22

立ち帰れ

今日は寒い一日でした。
雨も降りました。
特に夜は運転していてヒヤッとするほど、降りましたね。
温度は5度まで下がり、
今、夜の11時半ですが、少しずつ上がっています。
明日は今日よりずっと暖かくなるようです。

ということで今日の収穫はなし。
でも、雨の後ですから、来週が楽しみです。

今日の夕方は中学生、高校生の集まり、
いつも彼らのエネルギーと、熱い思いには感心させられます。
教会にいつも来ているのは10人前後なのですが、
この月1回の土曜日の集まりは大体20人以上集まります。
そして、ほとんど大人は任せっぱなし。
一応スーパーバイザーなんですが、
まあ、正直、オブザーバーですね。

今週は、3年ぶりにめがねを新しくしました。
韓国人の眼医者さんなんですが、
「ちょっと近視、進みましたね、乱視も・・・そして、ちょっと老眼・・・」と、
いつも英語なのに、診断を出す時は日本語が混じります。
「ちょっとろうがん」
ああ、自覚はしていたのですが、
やっぱりそうか、と思いました。
できあがっためがねは遠近両用ではないようですが・・・。
40を超えて、さすがに「鍛えればのびる」という感覚はなくなりました。
「どうしたら、何とか衰えをゆっくりにできるか・・・」ですね。

でも、内なる人はますます豊かになる、そう信じて楽しみにしています。
主の御業を信頼して・・・

今日の聖書。
エレミヤ書の1-6章を読みました。
心に留ったのは3章に繰り返される、
「立ち帰れ」という言葉。
自分自身、主の元に帰って、
主から命と力とをいただいて歩んでいきたいと思います。
また、教会も主の元に帰って行くことができるようにと祈ります。
「教会はいつも楽しいところ」そう信じています。
それは単なる表面的な楽しさではなく、
心の深みにまで届く楽しさ、
心の底まで解放される楽しさ、を与えてくれることを期待しています。
そのためには教会が、礼拝が、一人一人が、また牧師である私自身が、
神様のもとに、命の泉を見いだしていくこと、
他の何かではなく、神様ご自身に語って頂くこと、
それが必要なんだなあ、と思います。

主よ、
あなたの元に帰ります。
私自身、先頭に立って帰ります。
主よ、もう一度新しくしてください。
新しい命を与えてください。
そして、主にある喜び、主にある楽しさ、を満たしてください。
私の人生の中に満たしてください。
私たちの家庭の中に、
私たちの教会の中に満たしてください。

2006-04-21

御言葉におののく

今日ももっと涼しい日になるかもと思っていましたが、
結構暖かく20度くらい。
朝も9度くらいでした。
でも今夜から雨で、明日は肌寒いみたいです。


最近、カミさんがCostcoで、サラダ菜を買ってきます。
とっても新鮮で、柔らかいです。
それもそのはず、根っこがついているんです。
そこで、食べた後、根っこの着いた芯を植えてみました。
これが植えたばかりのやつ。

3,4日経っているかな。少し芽が伸びていますね。
植えた時は、てっぺんが真っ平らだったんです。
そして、下の写真が、2週間くらい前に植えたもの。
こんなに大きくなりました。

でも、まあ、食べるにはもう後1週間くらいかかるかな。
でも、1週間おきに、「買って食べて植える」「育ったのを食べる」「買って食べたのを植える」「育ったのを植える」とか繰り返せば、ちょっと節約?

今日もアスパラ2本収穫。夕方にはもう一本大きくなっていました。
明日の朝は冷たい雨でしょうが、果たして収穫出来ますでしょうか?
2本、親指よりも太いのがのびてきています。
楽しみです。

今日は朝が祈り会。
夜は我が家で集会がある予定だったのですが、娘が熱が出ているので、お休み。

祈り会って、教会に来られたことのない方や来られて間もない方にとっては、
「どんなことやるの?」みたいな怖さがあるかもしれません。
でも、本当に大切な集まり+私の好きな集まりです。
いろんな生活の中での課題、教会の中での課題を出し合って、
語り合い、聖書に聞き、そして、心にあるままを祈る時です。
人の祈っているのを聞く、というのも意味のあることです。
私の好きなBTでは、祈り会はERのようなものだと言っています。
緊急の助けが必要な人がそこで神に出会って、生かされていく、そんなところだと言います。
私たちの祈り会も、お互いが新しく力をいただいて、立ち上がっていくような集まりになるように願っています。

で、今日の聖書。
今日はイザヤ書の61-66章を読みました。
イザヤ書が終わってしまいました。
心に留ったのは66章5節の言葉です。
「御言葉におののく人々よ」という神からの語りかけです。
自分は御言葉におののいているだろうか、と思わされました。
ストレートに問われました。
自分は御言葉を研究したり、意味を考えたり、説明したり、
それも大切な働きだけれども、
御言葉におののいているだろうか、と。
御言葉におののく者でありたいと思った。
その前にひれ伏し、そこに立ちつくし、
それに聞いて、従う、そのような姿勢を絶対に失わないようにしようと思った。
研究者になってはいけない、御言葉に従う者になりたい。
聖書の言葉を宣伝する者になってはいけない、
聖書の言葉に聞いて、そこに生きる者になりたい。

主よ、
御言葉に感謝します。
私の姿勢を正してくださったことに感謝します。
御言葉の前に立ちます。
御言葉を語ってください。
そして、そこに生きる者としてください。

2006-04-20

光を照らされて

ああ、今日はあと5分。
また間際の更新です。
昨日の鼻の話。誰からも「私も見えなかった!」という話がありませんねえ。
やっぱり私だけなのでしょうか?

今日は朝から家庭集会、その後キッズクラブと飛び回っておりました。
夜は金魚のために買い物と、水道の水がポタポタとたれるやつの修理。

そう、実は金魚を買い始めたのでした。
というのは、イースターの日曜日のエッグハントの景品で、
娘が「金魚鉢」をゲット。
大喜びだったので、親バカさんは、金魚を買ってあげたのでした。

で、金魚鉢はタダ。
金魚は一匹19セント。
3匹で57セントですよ。
すごい安い。

でも、でもですよ。
まず、水道水をそのまま入れられないので、塩素を抜く薬3ドルくらい。
それから、えさ、2ドルくらい。
それから、やっぱり金魚が酸素が足りないみたいで水面でパクパクはじめたので、
ポンプが12ドルくらい。
なんだか、安く買ったプリンターのインクが高くて大変なのと同じじゃん、て感じです。
タダで譲ってもらったコンピューターのためにソフトを買って大変になったり、みんな同じシステム。

そして、2人の娘達が大喜びでガンガンえさをあげまくっているので、
毎日のように水を換えなければいけなくなってしまっています。
フィルターが必要になるかも・・・。
で、今度はもっと大きな水槽が欲しい、熱帯魚がいいねえ、そのためにはヒーターも・・・
なんて話になるんではないかと恐ろしく思っております。

今朝、アスパラ5本。
暖かいので、すごい勢いで伸びました。
早くのびた分、柔らかく、おいしかったです。

キッズクラブはRidgewoodにしては少なめの20人くらい。
今日はみんな静かにお話を聞いてくれました。
でも、本当に子ども達に接していると、幸せな気持ちになってきますね。
あ、もちろん、大人の皆さんもそうですよ。
マジで、人と会うのは大好きです。
自分からどんどん話題を出して盛り上がるっていう人間ではないんですがね。

花粉症、始まったかもです。
かなり飛んでますよね。
でも、明日から急に涼しくなって、
土日は雨も降るので、楽になるでしょう。

ということで、聖書。
今日はイザヤ書の51-60章を読みました。
心に留ったのは60章の2節の言葉。
どんなに闇が地を覆っていても、
あなたには光が与えられているのだから、
その光をもって、世を照らしなさい、という言葉。
傲慢だと思われるかもしれない。
でも、あえて誤解を恐れないで、
照らされた光を輝かせる使命を果たしていきたいと思う。
光は私の中にあるのではない。
私が輝いているのではない。
ただ、私を照らしてくださる方がいる。
私を輝かせてくださる方がいる。
その方を指し示す働きをしたいと思う。

今日も、子ども達にお話をしながら、
本当にこの子ども達が、孤独を感じた時や、
いじめられて、もう生きるのが嫌になった時に、
大人になって行き詰まった時に、
思い出して欲しいと思った。
「私は世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる」と言われた方がいることを。
そのことを伝えることが使命なんだと思った。
今すぐに答えが出なくてもいい。
何か目に見える成果がなくてもいい。

私を照らしてくださる光を紹介したいと思った。

神様、
あなたが与えてくださる光を感謝します。
あなたが照らしてくださることに感謝します。
あなたを指し示す道具として、私を使ってください。
そして、一人の人の人生に光を与える働きをさせてください。





2006-04-19

水がほとばしる

いやあ、今日もあと20分で終わりです。
遅くなりました。
めちゃくちゃ忙しい一日という訳ではなかったのですが、
タイミングが難しかったですね。

今朝は8度、そして、晴れて風の強い日でした。
暖かく23度まで上がりました。
でも、穏やかと言うより、渇いた熱風に近い風が吹く一日でした。
夕方には「バチバチ」と電気が切れる
「瞬間停電」みたいになりました。

明日はもっと暖かいようです。
そしてあさってからはぐんと肌寒くなるようです。
そして週末は雨。
来週初めは休暇なんですが、
天気はどうなんでしょう。
ぽかぽか陽気になって欲しいのですが、
それは無理かも・・・。

今朝、またアスパラガスを2本収穫。
一本は細かったのですが、
もう一本はまずまずの太さ、鉛筆くらいかな。
まあ、おいしかったです。
でも、本当に「おいしかったあ!」となるためには
一遍に10本くらい収穫出来ないとねえ。
ちょっとせこいですよね。

今日はまたうれしいことがありました。
夜のNYの集会で、一人の方が、「洗礼を受けますよ、私は」宣言。
以前一緒にお祈りして、キリストを救い主として受け入れておられたので、
その後どうなっちゃったのかなあ、と思っておりましたが、
今日また、「私はイエスを信じております」ときっぱり。
いいですねえ。月曜日といい、今日といい、
日々、信仰をもつ方が起こされていくのはうれしいです。

朝は隣の教会のプログラムの最初に15分の入門コース・ショートメッセージ。
「私たちは神様に造られたんだ!」とお話ししました。
お話ししながら、子供の時のことを思い出して、紹介しました。
皆さん、鼻の頭っていつから見えるようになりました?
小学校の3年生くらいの時に、女の子に、
「ベビー(これ、当時の私のあだ名)、自分の鼻見えないだろう?」って言われました。
私は、「何いってんだこいつ、見えないのが当たり前だろ」と思いました。
中学生くらいの時に、だんだん鼻が大きくなって(高くなって・・・じゃなくてね)、
ちょびっと見えるようになった時、初めてその女の子が何を言っていたのかわかりました。
皆さんはどうでした?
自分の鼻って見えますか?いつから?

今日の聖書はイザヤ書48-50章。
ここもいろんな言葉が心に留る中で、
あんまり進めません。
特に48章の21節の「岩が裂け、水がほとばしる」という言葉に、
目が釘付けになりました。
神様は砂漠の中で、岩を裂いてくださる、
厳しい状況の中で、一番大きな障害、その大きな障害自体から、
水をほとばしらせてくださる。
涙は賛美の泉、と歌うけれども
自分はやっぱり苦しみは苦手だ。
逃げたくなるし、ため息が出てくる。
でも、そこがまた泉のわくところとなるのだ。
今度、次に砂漠の中の岩に出会う時に、
涙の谷を行く時に、
そのことを思い出して祈ろう。
そのことを感謝して祈ろう。
それが本当なんだと、経験させて頂こう。

神様、
今日の一日を感謝します。
今日も一人の方が、洗礼を決意されたことに心から感謝します。
更に信仰に導かれる方々を起こしてください。
強制ではなく、喜んでそのようにする方々を起こしてください。
そして、次に私の人生の砂漠を通る時に、
岩にぶち当たる時に、そこが泉のわくところとなることを、
経験させてください。
この御言葉を思い出させてください。



2006-04-18

私を造った方

昨日の興奮冷めやらないうちに、
今日になりました。
今日は朝から集会がありました。

いつもは金曜日なんですが、
子ども達の学校の都合もあり、今回は火曜日。
とてもいい集まりでした。
今ここに生かされていることの意味をもう一度思わされています。
誰かと出会うために、ここに生かされているんだなあと思います。

今朝は、8度くらい。
ずいぶん冷え込みは弱くなりました。

そして昼は22度。
どんどん花が咲いています。
薬は飲んではいるのですが、
今年は今のところ花粉症がひどくならないで済んでいます。
まだこれからかもしれませんが・・・。

あした、あさってとどんどん暖かくなる予報。

そしてとうとうアスパラガスの初収穫してしまいました。
写真はあまりよく撮れませんでしたが、一応それっぽいですよね。
でも、「細い!」
4本中一番太いのでも鉛筆くらい。
さっそくいただきましたが、
もうちょっと太くないと、「おいしい!」とは言えないですね。

でも、これから伸びてくる芽は、ちょっと太めのがいくつかあります。
これから・・・そして、来年以降に期待。
でも、教会は会堂買いたいので、あんまりいつまでもこの家に住むとは考えていないのですが、
まあ、その時はその時、掘り返して、持っていきましょう。

今日の聖書、
今日はイザヤ書の43章から47章を読みました。
いきなり43章の最初の言葉が心を捕らえました。
「あなたを創造した主」。
私は主によって作られた。
そしたら、主が私の人生に意味を与えて下さる、
必要とされて造られた存在なんだ、
と思わされました。
使命が与えられている、
出会いが与えられている、
そのように思いました。
一つ一つの出会いや出来事が、
与えられて、そして、その中で、自分の役割があるんだと思いました。
自分の内側を見ると、落ち込むこともあります。
でも、聖書を読むと、もう一度、立ち上がる力を与えられます。

主よ、
今日も朝から、このように元気が与えられていること、
感謝します。
どうか、自分の内側を見ることばかりに縛られないで、
あなたの語って下さることを聞くことができますように。
自分は弱い者です。
でも、あなたには力がある。
そして、あなたはわたしに使命を与えた。
使命を果たす力をも注いで下さい。
一つ一つの出会いに感謝しつつ。


2006-04-17

一番の喜び

今日はうれしいことがありました。
野菜の収穫じゃないですよ。
もっとすばらしいこと。

そう、一人の方がイエス・キリストを救い主として信じてスタートされました!
ハレルヤ!!!

「一人の人が悔い改めるなら、天では大きな喜びがあるだろう」とイエスは言われましたが、
その喜びにあずかることができて、本当にうれしい日でした。
喜んでおられるご本人のゆえにまた感謝。
ホント感謝、感謝、大感謝!
教会が用いられていること、
一人一人が用いられていることをも感謝しました。
自分を見たら、弱いし、失敗ばかり。でも、主は用いてくださるんですね。

チューリップ2号、3号が喜びを共にしてくれました。

昨日のイースターは80人くらいの大人(中学生以上)、
30人くらいの子どもたちが集まって、
楽しいイースターとなりました。
初めての方々もたくさん来られて、にぎやかでした。
大人だけで100人を超えることもあったので、
今年はいつもより少なかったかもしれません。
でも、内容はいつもにまさって、充実していたと思います。

朝は4度まで下がり、暖房が入るほどでした。
でも昼間は18度。昨日も19度ですから、
快適な気候です。

今晩も同じくらい冷えるようです。

あと、庭に生えてきたニラも初収穫。

こちらは食べたいなあ、と思うたびに収穫してもまたのびてきます。

アスパラは明日までお預け。基準の27センチに達したのが一本。
あと、もう少しなのが2,3本。なので明日まとめて収穫しようかなあ、なんて思っています。

今日の聖書はイザヤ40-42章を読みました。
ここら辺は内容が濃くて、一気に読み進むことなどできません。
やっと3章読みました。
40:8が一番心に留りました。

どんなに魅力的な、力のある存在があっても、
それが一つの国であっても、会社であっても、団体であっても、
「やがて草は枯れ、花はしぼむ」
でも、「神の言葉はとこしえに変わることがない」

本当にすごい約束だと思いました。

そして、戒めだと思いました。
神様を信頼していこう、土台にしていこうと思いました。
他のものをあてにしないで、神様をあてにしていこうと思いました。

神様、
あなたを信頼して、
あなたを、あなたの御言葉を信頼して歩みます。
他のものが魅力的に感じる時に、
あなたのところに引き戻してください。
他のものではなく、あなたを信頼して歩むことができますように。
御言葉の確かさを教えてください。
今日はすばらしい出来事に感謝します。
更に信仰に導かれる方々が起こされていきますように。


2006-04-16

熱い神

Happy Easter!
今日もいい天気ですね。
朝は10度くらい。今10時半で15度です。
昨日はなんと27度まで行って、初夏のようでしたが、
今日は普通の春の日です。
ちょっとだけ風があるようですね。
さわやかな朝です。これから教会でイースターの礼拝です。

昨日の夜、教会での祈り会の後、帰ろうと思って車に乗ったら、
なんか、おかしい、まさか、と思いつつ出てみると、
右の前輪がパンクしているではありませんか・・・。
でも、雨でもなく、寒くもなく、暑くもなく、
駐車場でそこそこ明るく、
おまけに車の中にはそこそこ頼りになる高校生の男が2人。
今まで経験したパンクの中で一番楽勝のパターンでした。
「君たちがこれから、車を運転するようになったときに困らないように、
タイヤ交換を経験させてあげよう!」と言いながら、3人で交換しました。
スペアタイヤのちっちゃいこと。それに空気もイマイチ抜けてたし・・・。
でも、無事交換して、近所のガソリンスタンドで空気入れて、
無事帰りました。
水曜日のミラーはかきごおり家の車だったのですが、
今回は教会の車、金曜日の夜は携帯電話のアンテナが「ポロッ」と取れるし、
いろんなことが続きますが、守られていることは感謝。感謝。

でも、タイヤにはスペアがあっていいですよね。
これがなかったら、ホントに困ると思います。
備えあって憂いなし。
でも、人生にはスペアがない。
いつからでも、もう一度やりなおしはきく。でも、リセットはできない。
与えられた時を、大切にしたいと思う。

やり直しで思い出した。
元ヤクザの牧師さんがまたNY/NJに来る。
うちの教会には来られないんだけれども、是非、お話を聞いてみたい。


今日はさっそく聖書。
今日はイザヤ書の34-39章を読みました。
今日は37章35節の言葉、
「わたしはこの都を守り抜いて救う」
という神様の言葉に心が留りました。
32節には「主の情熱」と言う言葉があります。
主は、「何としてでも守る!」という熱い思いを持っておられたのです。

その神様の熱さは、イエスの十字架のうちに頂点に達します。
そう、神様の熱い思いは、イエスの十字架のうちに一番表されているのです。
今も、私に対して、主は熱い思いを持っていてくださる。
主は熱い思いを持っていてくださる。
私に対して。
それを今日は感じました。
「断固として守る!」と今日の私にも語られているのだと思います。
感謝しました。

主よ、
あなたの愛を感謝します。
あなたの熱さを感謝します。
あなたの情熱を思わされました。
私もあなたに対して、
教会の一人一人に対して、
そして、出会う一人一人の方々に対して、
そのような熱さを持つことができますように。