2008-07-12

Quality Time

今、夜の11時前。
外の気温はまだ24.3度あります。
蒸し暑い夜になりそうです。


神様に祈るとき、ぼーっとしているときがあります。
ぼーっとしているとき、
自分は何をしているんだろうなあと思います。


でも、一冊の本を思い出しました。
「The Five Love Languages」
この本については去年も書きましたね。
http://njotenki.blogspot.com/2007/09/love-language.html 


自分のLove Languageは「Quality Time」なんで、
ぼーっとしている中にも愛を感じてしまうんですね。
ぼーっとさせてくれる神様に愛を感じてしまう。 
神様も、一緒にぼーっとしてくださるのかもしれない。



神様の愛も、「神様と一緒に夕日を見る」とか、
「神様、ちょっと今日はしんどいんで、ごろっとなりますよ」
っていうだらしないところも受け入れてもらっている、
ときに、感じるんですよねえ。


あ、もちろん、言葉で、熱く熱く祈るときにも、
祈りに導かれたなあ、と感じるし、
そこに神様の力を感じます。
「つきぬけた~」と感じるときもあります。


でも、神の前にぼーっとする、ということと、
神に熱く願いを祈ること、
その2つは本質的に違うんだろうと思います。

どっちも大切なんでしょうが、

何よりも、主の前に憩う。
それが幸せだと思います。
神様とのQuality Timeを大切にしていきたいと思います。


さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙7章8-16節。

「 なぜなら、信者でない夫は妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められているからです。」14節。


今日はご夫妻のうちどちらかだけで信仰を守っておられる方々のために祈りました。
その方の存在がそのご夫妻の祝福の基となっていることを思い、
その方が主の恵みがご夫妻の中に流れ込む拠点になっていることを思い、
お一人ひとりの信仰が守られ、支えられるように。

心に平安と勇気が与えられるように祈りました。


主よ、
私たちひとりひとりが神様の祝福の基であることに感謝します。
その方をあなたは祝福の流れ込むポイントとして用いられていることに感謝します。
これからも、もっともっと、あなたの恵みが流れますように。
流れ込みますように。

クレジットカードのお誘いに踊る。

あちいですねえ。
6月のあの熱波を経験していたら、
たいしたことはないですが、
でも、あちいです。


今日あたりから湿度も上がってきました。
日曜日の夜から月曜日にかけて雷雨があって、
その後、またドライになるみたいですが、
暑さは来週いっぱいくらい続くようです。

ま、夏だからいいですが・・・。


アメリカでは大人ひとりあたり平均7.6枚の
クレジットカードを持っているそうですが、
私はもっと持っていると思います。

今から12年くらい前、
アメリカに来て4年目くらい目までは、
ホントにクレジットカードを作りたくても作れない。
お誘いは時々来るのですが、
お誘いに応えて送ってみると
「残念ですが・・・」
と薄っぺらい手紙が来る・・・。

でも、今はもう作ろうと思うだけ作れてしまう。
昔の悔しい思いがあるから、作れるだけでうれしくなってしまう。

何で、って、カードによって特典が違うから。
こっちのカードは毎日のスーパーでの買い物で5%ポイントがつく、
こっちのカードはガソリンで5%。
こっちは郵便局が5%。
こっちは4-6月に限りデパートで5%。
こっちはAT&Tの支払いが10%OFF。
こっちはMITSUWAの買い物が8月の平日は10%OFF。

そして、今作ると最初の買い物で10000ポイントもらえる!

なんて、お誘いがあると、ホイホイ乗ってしまう。

どこでどのカードを使ったらいいか、
くらいなら、何とか、覚えていられるけど、
大変なのは、どのカードの支払いがいつか・・・。
もちろん、残高は例外なく全額払う。
そうしないと利子がついてしまいますから・・・。

最近は自動引き落としもだいぶ普及してきたけど、
あまりそれを利用しないので、
時々、支払いが遅れて、手数料を取られる。
だったら、ポイントもらっても意味ないじゃんと思うんですが、
交渉すれば、だいたい手数料を免除してくれる。

ということで、財布はこーんなに分厚くなっちゃうんですね。

で、アメリカのカード社会、
2004年の統計で、一世帯あたりの平均で、
信じられない・・・。

この借金、どこまで含むのか、と思うけれども、
Average households carry some $8,000 in credit card debt.
とあるのを見ると、車や家のための負債は入れないで、
純粋なカードの負債なんでしょうね。

よく読むと、家のための負債を入れないで
$18,654 per householdで、
その中の車のローンとかを除いた8000ドルくらいが
Credit Cardの残高であると・・・。

(いろいろ調べてみると、ホントは2000ドルくらいじゃないかという説もありますね。自分は5000ドルだから、アメリカ人の平均より少ない、なんて思わない方がいいです・・・)

気をつけなければ・・・と思います。
日本の「節約術」とかで、
項目ごとに現金を封筒に入れて、
それ以上は使わないようにする、
というのがありますが、
カードを使っているとなかなかそれもできない。

与えられたものを正しく使う。
もう、あまり、「カード作りませんか?」の
お誘いにホイホイと乗らないようにしないと・・・。
(この「あまり」というのがくせ者でしょうが・・・)



さて、昨日、金曜日の聖書。
昨日はコリント人への第1の手紙7章1-7節。

「妻は自分のからだに関する権利を持ってはおらず、それは夫のものです。同様に夫も自分のからだについての権利を持ってはおらず、それは妻のものです。」4節。

この聖書の言葉は本当に印象に残るので、
よく覚えている言葉です。
でも、「妻のからだは夫のもの」という
夫にとってとても都合のいいところに目をとめるんですね。

でも、昨日は違いました。
夫のからだの権利は、妻にある・・・。

これってどういうことかなあと思いました。

朝、これを読んだときは、
妻のために自分のからだを使おう、
と思いましたが、
一日終わって、今翌日になって、
どうだったかなあ、と思い反省しています。

つくづく自分勝手な自分です。

愛することを教えてほしいと思います。

主よ、
自分のからだが妻のものであると、
そのことを具体的に実行していくものでありますように。
自分勝手な思いから解放して、
仕えることができますように。

2008-07-10

アメリカの靴下。

今日はぐっと湿度が下がって朝晩はさわやかです。
でも、昼間は暑かったです。
ドライだけど、暑い。

今、夜の10時過ぎですが、22度まで下がっています。
明日の朝は13度くらいまで下がる予報が出ています。
それはホントに肌寒いくらいですね。


そして、昼間は今日同様、暑い一日になるでしょう。


さて、今日の夕食時。
サキが、「パパとママこれからどこか行くの?」と聞いてきます。
それにたたみかけるように、「You guys need some private time.」だって。
なんでしょう?テレビかどこかで聞いたのかなあ。


で、その声に励まされて、夜8時半過ぎから二人で買い物へ。


目的は「靴下を買う」。

最近、靴下を買っていなくて、
軒並み靴下に穴が空いています。
子供の頃は、穴をふさいではいたりしましたが、
さすがに、今はしません。


でも、私は基本的に穴が空いていてもOKです。
気にしません。
アメリカでは日本みたいに靴脱がないし、
脱いでも椅子に座っている分にばれません。


で、結構穴が空いたまま使っていた靴下もあったのですが、
さすがに直径が5センチを超えると、「こりゃもうそろそろ寿命かな」
と思うわけですよね。


で、最近バンバン捨てていっているんですが、
そうすると、靴下がたりなくなってくる。
で、暑いのに冬用の靴下しかない、なんてことになって、
さすがに買わなきゃいけなくなったわけです。


でも、日本とアメリカで違うものがたくさんありますが、
その中でもこっちの生活で、かな~り不満なのが、靴下。


日本に行ったときには必ず買いたくなるくらい、こっちのはイヤです。


理由は主に二つありますが・・・


1.あんまり安いのは「かかとがない」
  うーん、5足で7ドルとか袋に入っているのは、
  なんだか、ただの筒?みたいなやつもあります。


  でも、これは安いのを買わなきゃいい。
  で、本当に困るのはもう一つの理由。


2.サイズがない。
  これはホントに何とかしてほしいです。私の足は24センチ。
  男性としては日本でも小さい方ですが、
  アメリカに来るとまさに1footで30センチくらいの人もざら。
  ですが、それでも靴はちゃんとサイズがあるんですが、
  靴下はないんですよね。
というか、一つのサイズでみんなをカバーしようとしている。

  One Sizeとか、「靴のサイズ 6-12用」とかあります。
  靴のサイズの6って22センチくらいでしょう。
  そこから30センチくらいの人までワンサイズって、いったい、何?
  そういうのを買うと、かかとが足首のところに来ます。
  だったら、1の「かかとがない靴下」の方がずっとまし・・・。


で、今日、お店行ったら、やっぱりないんですよねえ。
ちょうどいいサイズの靴下。
男用のSとか・・・。


で、のんちのおすすめで女性用を買いました。
ま、花柄とかじゃないですよ、ピンクとかでもなく・・・。
リボンもフリルもついてないやつ。

もちろん、あの強盗が頭にかぶる「ストッキング」(日本語の・・・)でもなく。


男女どっちでも大丈夫なようなやつ。


自分ひとりじゃ、婦人用を買う勇気はないですが、
のんちが「これがいいんじゃない?」と言うので、買ってみました。


まあ、考えてみたら、ご婦人でも私よりも足の大きい方は、
アメリカにはいくらでもおられるわけで・・・。

でも、何とかしてほしい・・・。



さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙6章12-20節。

「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり・・・」19節。


今日は自分の身をきよく保つことの大切さを戒められましたが、
(実際の姦淫はもちろんのこと、心の中の姦淫、目が犯す姦淫を含めて・・・)
でも、それ以上に、「聖霊様に住んでいただくこと」の大切さを思わされました。


そして、今、自分が実感として、「ああ聖霊様が住んでくださっているなあ」と感じているかというと、
実はそうではなくて、「私が気がつかなくても、意識していなくても聖霊様はいてくださる」と聖書から教えられているわけです。
で、今朝は「もしも実感として感じることが大切ならば、それを教えてください」と祈りました。
でも、今朝は「これだよ」と教えていただけなかったように思います。
そのときに、「ああ、これも聖霊様の自由な働きなんだろうな」と思いました。
自分が一生懸命求めたから、とか、
神様に喜ばれる歩みをしているから、とか、
実感として感じさせてくださる、のではなくて、
ある時には「実感として聖霊様の働きを感じる」ということを経験させてくださって、
ある時には、「自分の実感を頼りにするんじゃなくて、私の言葉である聖書を頼りにするんだよ」と教えてくださる。


でも、自分が気がつかないときにも、
もうすでに聖霊様は働いてくださっているんだ、
今日はもう一度そのことを感謝しながら、
もっともっと教えてください、と祈らされました。


聖霊様、
あなたの導きが必要です。
あなたがもっともっと圧倒的な力を持って私を満たしてくださることを求めます。
どうか、あなたの自由な働きで、私を導いてください。
私が主人になってあなたを利用するのではなくて、
あなたが私の主人となって、私を振り回してください。

2008-07-09

苦言を呈する気持ち、苦言を受ける気持ち。

今日はたぶん、夜遅くなると思うので、
今のうちにNYPLで更新。

昨日に比べるとずっと涼しくなりました。
でも、まだ乾いた空気は入ってきていません。
今夜これから雷雨があって、
そして、明日からはドライになると思います。


今、午後の4時頃ですが、
レーダーを見ると、NJの真ん中くらいまで雷雲が近づいてきています。
1時間後にはNYもにわか雨がありそうです。

NYに来たとき、

日系のお弁当でもいいんですが、
図書館のそばの日系のお店は混んでいるので、
どうしてもアメリカ系のファーストフードになってしまいます。


でも、最近その手の話がうちで話題になるんですが、
やっぱりカロリーとか、
脂肪分とか考えると日系の方がいいかな、と思って、
今日はランチが2時半になったので、
ランチの時間を過ぎて、ずいぶんすいていた日系のところに行きました。


お弁当買って、コーヒー買って、
食べてたんですが、
コーヒーがひどい。
濃いのか煮詰まったのか、
とにかく飲めない。


かなりStrongなコーヒーが好きな私でも
どうしても飲めない。



で、ちょっと手の空いていた店員さんに、
「あのコーヒー、なんだかものすごい濃いんですが・・・」と
これからくるお客さんのために、
またお店の評判のために、

半分親切心でお伝えしたんですが、
機械の方をチェックもせずに、
「ドリップしている途中のを入れたんじゃないですか?お湯で薄められますよ。」だって。


そこで反論する気も失せてしまって、
お湯で半分くらいに薄めて、クリームと砂糖をどぼどぼ入れて、
それでも濃かったです。


考えてしまいました。
自分は苦言を呈されたときに、どんな風に聞いているだろうか、
そして、苦言を呈する方はどんな気持ちでそれを話すか、
そのことを考えて聞いているだろうかと。

苦言を呈する方は、もう、どうでもいいかな、と思いながら、
やっぱりちょっと言っておこう、ということもたくさんあると思うんですよね。
自分が収まりつかない、って時もあるかもしれないけど、
それだけだったら、どっかで愚痴ればいいのかもしれない。
だから、苦言を呈するのは、「聞いてもらえる」「言って価値がある」と思うときですよね。
つまり「希望を持っている」時。


でも、自分が聞く側に立つと、そんな気持ちがなかなか伝わらなくて、
素直に聞けなかったりする。
こっちはプライドの問題でしょうね。
それはまた不安の裏返しみたいなもんで、
自信がないときほど人の話が聞けなかったりする。


「あの人には何を言ってもしょうがない」と言われないように、
聞く耳を持ちながら、でも、ロバを売りに行った親子のように、
周りの声に振り回されないように、大切な軸はしっかり持ちながら、
歩みたいと思いました。


さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙6:1-11


「そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。」7節。

自分が損をすることでも、だまされていることができるでしょうか。
そしてだまされていていいんでしょうか。


考えさせられました。

これは教会の中でのことですよね。


よけい、ん~と考えてしまいました。

実際に自分が損をした時に、
この言葉の意味がわかるだろうと思います。


今までの私だったら、平気で「損をしよう」と言っていたと思います。


どうなんでしょうね。
これは宿題。ここで無理に何かを言おうとしないで、
自分が実際にこのような出来事に出会ったときに、
このみことばに従って与えられる恵みがあったら、
どこかで分かち合えるかもしれません。


でも、主が語ってくださったことは、
語ってくださったこととして、心にとめておきます。


主よ、
私はこのようなことに巻き込まれたくありません。
でも、巻き込まれたら、どのように反応するでしょうか?
私が将来、このようなことに巻き込まれたときに、
このみことばを覚えていることができますように。
そして、ただ、覚えているだけではなくて、
言い訳をしないで、抜け道を造らないで、従うことができますように。

2008-07-08

16年。

今日は朝から晴れて、めっちゃくちゃ暑くなりました。
今、夜の11時ですが、29度もあります。
東京みたいです。

明日は蒸し暑いですが、
雲も多く、今日のように暑くはならないと思います。
そして、午後からは雷雨。
木曜日からは湿度が下がって楽になりそうです。

昨日気がついたのですが、
この間の日曜日、7月6日は、
アメリカに来て、まる16年になる記念日でした。

16年前、まだ20代だったんですね。
3人家族でサンディエゴの空港に降り立ちました。

そのとき、どんなこと考えていたかなあ、と思い出していました。

2-3年勉強して帰ろうと思っていました。・・・これはNJに来て変わりました・・・。
そのころから、日本語教会で奉仕をしたいと思っていました。・・・これは今も変わりません。
英語がわかるつもりでした。・・・これは来てすぐ打ち砕かれました。ハイ。
学費は別として、家賃を入れて1000ドル以内、できれば800ドルくらいで生活できるようにとがんばっていました。・・・これは今思い出してもすごい、と思う。ときどき、「あのころを思い出せ」と思います。でも、やっぱり学生だからできたのかも・・・。


4人家族になって、NJに来て、
今の教会との出会いがあって、
11年前に牧師になって、
5人家族になって、
いろんなことがありました。


でも、この16年で、一番自分の中で変わったのは、
牧師の働きを甘く見なくなったことでしょうか。
16年前、学生ですから、自由奔放でした。
生意気なことをいろいろ考えていました。
今考えると赤面ものです。



なめちゃいけないですよね。
甘く見ちゃいけない。
今、牧師としての働きに恐れを感じます。 
神様の助けなしにはできない、実感を持って感じます。

ホントに謙虚に、主の助けを待ち望んで、
これからも仕えていきたいと思いました。


さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙5章。

「古いパン種を取り除きなさい。」7節。

教会で「愛」を盾に、いろいろな問題が取り扱われないで、
すんでしまうことがどれだけあるでしょうか?
本当はそんなのは愛ではなくて、
事なかれ主義で、自分が傷つきたくないだけで、
ただ、逃げているだけ、ということがどれだけあるでしょうか?

古いパン種を取り除く。
放っておいたら、全体に影響があって、
取り返しのつかないことがある。


自分を守ろうとしないで、
逃げないで、
古いパン種を丁寧に取り除いていく、
そのような知恵と勇気を与えていただきたいと思いました。


自分の人生を通じての課題だと思います。
愛するが故に対決する。
対決しつつ、愛する。

その大きさと強さを持たせていただきたいです。


主よ、
古いパン種を丁寧に取り除かせてください。
問題を問題として、取り扱う勇気を与えてください。
本当に愛を持って問題に立ち向かう強さを与えてください。

2008-07-07

JOYJOYキャンプモード

今日も蒸し暑かったですね。
「ガソリン燃やさず、体脂肪燃やせ」のスローガンのもと、
今朝、サキを町のデーキャンプに連れて行くとき、歩いたら、汗びっしょり。


この蒸し暑さはあと2日くらい続いて、木曜日からましになるようです。

ホントかな?


これはホントに当たってほしいです。


さて、今日は牧師会で一日出ていましたが、
頭の中は、どちらかというと、JOYJOYキャンプモード。
あと5週間しかないので、
かなり追い込んでいます。


で、これは去年のテーマ(ワンダー博士の大冒険)だったらよかったのになあ、
去年、見ていたらなあ、と思った映像。
去年静電気の実験をしましたが、ここまで面白い方法があるとは・・・。

今年のテーマ(きらリンピック)でも工作で使えるかな。
「体操の選手」とかで・・・。



昨日の「でんじろう」先生が今日も登場です。







情報をたくさん集めて、その中でどれを使うか、
何よりも子供たちの目の輝きを思いながら選ぶ、それが本当に大切ですね。
テレビよりも楽しく、ビデオゲームより引き込まれ、
でも、思いっきり、神様のことを伝えられるキャンプとなりますように。


さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙4章6-21節。


「私がこう書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、愛する私の子どもとして、さとすためです。」14節。

自分はいったいこの愛を持っているだろうかと思いました。
この手紙の中でパウロはかなりきつい態度を取り、
きつい言葉を使っています。

でも、それは愛ゆえだったんですね。
その愛を自分は持っているだろうか。
考えさせられました。
「神様にゆだねる」という言葉を使いながら、
本当は面倒から逃げている。
対決する愛から逃げている。

愛することをもっともっと教えてほしいと思いました。

主よ、
私に愛を与えてください。
人を愛する愛を満たしてください。
逃げないで、語る愛を与えてください。

2008-07-06

もりだくさんの日曜日。

今日は昼間はどんよりとして蒸し暑い日でしたが、
夕方から、雲も切れてきて、
湿度もちょっと下がってきました。

そんな中で、夜は町の花火を見に行ってきました。
去年、ずいぶん派手になったので、「おー」と思ったのですが、
今年は去年並かちょっとおとなしめ。


でも、十分楽しみました。

それからテレビで野球観戦。
テレビをつけたら7回で4-4の同点。

そのあと、両者譲らなかったのですが、
延長10回サヨナラ勝ち。
やっと溜飲が下がった感じ。



そして、やっとこのページに取りかかったところです。

今、夜中の12時前ですが、外は23度くらい。
明日もまだ雷雨が降りやすい、蒸し暑い一日になりそうです。


今日の教会は夏休みで日本に帰った方も多く、
連休でお出かけの方もおられて、
来られた方は、いつもより、少なかったですが、
それでも、本当に幸いな日曜日になりました。
ひとりひとりが共に祈り、
みことばに応答している姿に励まされます。

あと、子供たちにも聖餐式の意味を話すときが与えられました。
サキに「わかった?」と聞いたら、「うーん・・・」という返事でしたが、
大切な一時だったと思います。
来週はThe BRAVEの先生が、洗礼式の話をしてくださいます。
子供たちがそれらのことを少しずつ、消化してくれますように。



JOYJOYキャンプもあと5週間になり、
これから追い込みです。
今日もミーティングをしました。

テーマソングの録音も着々と進んでいる・・・ようです。



結構何回もやってきた、
空気砲という工作があります。
JOYJOYでは、子供の発明なのですが、
その上にコップを乗せて、「空気砲ロケット」で遊んでいます。


で、今日、こんなビデオを見つけました。





うーん、いつか、JOYJOYキャンプでもやってみたい・・・。

さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第一の手紙の3章16節から4章5節。


「しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。」4:3-4

きょう、ここを読みながら、自分はこのように言えるだろうかと思いました。
そして、まだ、私の心の中の「謙虚さ」とか「傲慢さ」の基準が、
人間同士の中での関係にどれほど支配されているかと見せつけられました。

結構衝撃的でした。



自分はまだ、人との関係で、「謙虚」になりたいと思い、「傲慢」と思われたくない、
と思っているのではないだろうか。
また人を見るときに、人間関係の中での謙虚さや傲慢さの方に目が留まって、
その人が神様の前に謙虚であるかどうか、をちゃんと見ているだろうかと。

神様の前の謙虚さ、神の前にへりくだっていること、
それが大切なんだと、今日は思わされ、
どこまでも、主の前にへりくだった歩みをさせていただきたいと思いました。


主よ、
どうか、あなたの前に謙虚な者としてください。
人との関係が前に出て、
あなたとの関係から目が離れてしまうことがないように、
どうか、私の歩みを守ってください。
今週一週間も、なすべきこと、一つ一つ教えてください。
一つ一つの出会いが祝福されますように。