2011-02-19

とりあえず、寒さ情報。

明日に備えて寝ますが、
ここの天気情報を頼りにされているNY/NJ地区の皆さんのために寒さ情報更新。


かなり寒いです。(わかっているか・・・)


今、夜の11時過ぎですが、-5.7度。
そして、月、火の雪ですが、どうやら、
明日の夜が中心になりそうです。
月曜日の明け方には峠を越して、
月曜日の夜から、火曜日にかけては、
ただ、寒い!という天気みたいです。


一度暖かいのを経験してしまった体にはホントに堪えます。


皆さんお風邪など引かれませんように。

2011-02-18

たましいが喜ぶこと。

今日は暖かかったです。
18度Cまで上がりました。
でも、午後3時頃からはどんどん気温が下がって、
今は夜の8時過ぎですが、
11.4度C。まだまだ十分暖かいですね。
ほぼ、雪も融けて、芝生も所々見えて来ています。


でも、とにかく暖かさも今日までで、
明日からは現実に戻ります。
今夜これからぐんぐん気温が下がって、
明日の朝の予想は0度Cくらい。


で、その後の予報ですが、
日曜日の夜は雪やみぞれ、sleetなど。
月曜日も雨や雪だと思います。
たくさん積もることはないと思いますが、
火曜日も朝のうち雪かな。


今日も午前中は祈り会。
そして、午後は祈り、本を読み、また日曜日の準備をしながら過ごしました。
今、本当に大切にしなければ、と思わされているのは、
自分の「たましい」が喜ぶこと。


それは「自分のことしか考えない」とか「自己中心に生きる」ということとはちょっと違う感覚で、ホントに神様の喜ばれる歩みは、好きなこととは違って、放っておいても、自分の生きたいように生きれば、神様が喜ばれるという訳ではなくて、そういうことじゃなくて、でも、ある意味「十字架を負うような歩み」なんだけど、それでいて、「たましい」の深いところに喜びを感じるというか、「なんだかなあ」というんじゃなくて、深い喜びがあるような、そんなことを大切にしたいと思うんです。


うーん、伝わるかなあ。


無理している時って、「神様に従っている」感もない時があるんです。「ああ、自分は人に気を遣ってこれやっているよな。そして、これ、自分的にもしんどいし、神様も喜んでおられないんじゃないかな」的なこと。


逆に、「神様に従っている」感があることなら、自分的にしんどくても、評判がどうでも、大丈夫。それが「たましいの喜ぶこと」かな。あ、でもその「神様に従っている」感があることも、いつも聖書によってチェックされ、祈ってくれている信頼できる人によって確認されることも大切だと思うけど。


さて、今日の聖書。
今日はアモス8:1-14。


「彼らは海から海へとさまよい歩き、北から東へと、主のことばを探し求めて、行き巡る。」12節。

このアモスの預言は、「みことばのききん」について語っている。
つまり、人々が求めても、神の語りかけを頂けない時が来る、という預言だ。
アモスの言葉自体が神からの語りかけを預かって、人々に伝えているのだから、問題は、「やがて御言葉が聞きたくても聞けない時が来る」ということ自体よりも、今、神の言葉を聞けているときに、聞こうとしない姿勢なんだろうと思う。

そうなんだよねえ。
神様は語ろうとしておられるんだよねえ。
なのに、自分はちゃんと聞いているだろうか。

他の何かによって心を満たそうとしていないだろうか。

日曜日のために、御言葉を待ち望みながら、
本当に自分の信仰の姿勢を問われるような思いがしました。

主よ、
あなたのみことばを与えてください。
そして、私があなたの語りかけを聞くことができますように。
その飢え渇きと、敏感さを与えてください。

2011-02-17

巡り巡って。

今日は暖かくなりました。
午前中は曇っててちょっと肌寒かったですが、
午後は晴れて暖かくなりました。


そして、明日はもっと暖かくなりそうです。


でも、土曜日から寒くなって、
来週はずっと肌寒いかな。
月曜日、火曜日はstormが来るかな。
特に火曜日は雪の可能性もあり。


昨日の夕方は、15年くらい前に、同じ大学院で勉強していたんだ、という方にお会いした。どういうわけだか、15年前はお会いしたことがないのだけれども、共通の知り合いもあり、大学院の話もあり、ホント不思議に神様が出会わせてくださったんだと思わされた。


そして、今日の夕方は久しぶりにある方とゆっくりお話しすることができた。3年ぶりか、4年ぶりか。今日も本当に神様が導いてくださったことを感じた。


一つ一つのことに神様の導きを感じる。
だから、自分のすべきことは「何かをする」こと以上に、出会いが与えられたときに、それを喜んで受け止めることのできる心の状態の自分でいること、そっちの方がずっと大切なような気がして来た。


明日はまた違うことを言っているかもしれませんが、今日の自分は「一生懸命走り回って伝道することよりも、神様が出会いを与えてくださったときに、それを喜んで受け止めることのできる心の状態をキープすることの方が大切なんじゃないか」ってつくづく思わされています。もちろん、「あれかこれか」ということではなくて、両方なんでしょうけどね。


でも、本当に自分の力を超えた神様の御業に感謝。


さて、今日の聖書。
今日はアモス書7:10-17。


「今、主のことばを聞け。」16節。

牧者・・・つまり羊飼いで、
神から預言者として召されたアモスは、
祭司から「ここで預言するな」と言われた。

でも、彼は、「神が語れと言われるのだから、私は黙らない」とそれを拒否する。神のメッセージを語る者の責任を思わされた。
そんなことを語るな、そのことを言うな・・・。
そういう声も聞こえてくることもある。

でも、主が語られたことを語るのは私達の使命。

恐れない強さを、
主が語ってくださったと言える主との関係を、
与えていただきたいと思わされた。

主よ、
あなたの御言葉に従うことを教えてください。
あなたに語られたことを語らせてください。
勇気と確信を与えてください。
一つ一つの出会いに感謝します。
明日もあなたの導きを味わわせてください。

2011-02-16

自立のストーリー。

NYで一日を過ごす日。
今日はこの後、ちょっと予定があって、
夜には祈り会があって、
帰ってからではまたしんどいので、
今のうちに更新。


今朝も寒かったですね。
でも、もう風は収まっていて、
きょうは暖かくなるとわかっていたので、
らくちんでした。


明日、明後日とあたたかな日が続きます。
もちろん、いつまでもは続きませんから、
楽しまないとね。
ミッドタウンにいますが、この後の予定までは歩いて移動。


太陽に当たって、脳内物質のバランスを回復させて、脂肪も燃やす。
大切ですよね。


さて、去年の秋頃に初めて聞いたのですが、
「トイレの神様」が1月末に見た「紅白」のおかげで、
我が家でブレイク中。おそ〜、とか言われそうですが、
まだ、「知らない」という方々が周りにおられるので、
遅ればせながら、埋め込んでおきますね。
約1000万回の再生の中で、20回くらいは、うちの家族。







特に、サキがえらく気に入ったみたい。
一番好きな歌手はJustin Bieberという、
典型的なミーハー娘なんですが、
日本の歌は、こうゆうのが好きみたいで。
去年はアンジェラ・アキでしたからね。
一応「嵐」とかも、知ってはいるのですが・・・。


で、「トイレの神様」の話ですが、
人によって、感じる部分が違うんでしょうが、
私にとっては、「自立」の歌であり、
自分の親や周囲に対する「反発」と「感謝」を思い出させてくれる歌です。
勝手な思い込みだとしても、
「いつの間にかマイ・ストーリーを歌ってくれている。」
そんな気がします。


「どうしてだろう?」と歌われていますが、
絶対、彼女はおばあちゃんのもとを去らなければいけなかった。
出て行かなければならなかった。


「大切なものをなくして行く・・・」と歌っているけど、
確かになくしたものはたくさんあったけど、
何かをなくしてでも得なくてはならないものがあった。


ぶつからなければならなかった。
うまくやっていてはいけなかった。


でも、そこにはやっぱり「悪かったな」と思う思いがある。
だって、育ててくれたんだから。
愛してくれたんだから。
厳しい言葉だって、大切な存在だからこそ与えてくれたんだから。


そして、人の命には限りがある。
だから、「何でもっと優しくできなかったんだろう」
そういう経験をする。


でも、きっといいのだと思います。それで。


神学校にいたころに、
心理学の先生が言っておられました。


「思春期、青年期に、子供たちは親の作った小屋を壊して、自分の家を建てなければいけない。だから、親があんまり立派な家を建ててしまうと、それを壊すのにものすごいエネルギーがいる。反対に親の作った小屋があまりに不安定だと、どうしていいかわからなくなる。」


小屋を壊してよかったんだって。
壊したからこそ、「ありがとう」って思いがわいてくる。


振り返って親としての立場に立つと、
基本的に何でもOKの親ですが、
頑固な部分もしっかり持っていないとな、と思っています。
そして、自分たちが作った小屋を子供たちが壊して、自分の家を建てたときに、
それが痛くても「おめでとう」と言ってやれることができるように。


ということで、そんな親の元で、
この歌、子供たちはどんな気持ちで聞いているんだろうなあ、と思います。
大人の自分たちがわからない、いや、忘れてしまった、
心動かされるポイントがあるんでしょうね。


でも、面白いことに、この2週間、毎週日曜日に、教会から帰ると、みんなでトイレ掃除をするようになりました。これが一番の収穫、かな。あと、「おばあちゃんに会いたいか?」と聞くと、涙目で「うん」とも。


さあ、おばあちゃんたちにはしっかり五目並べを練習してもらっておかないと・・・。
次に会わせてあげられるのは、いつになるかわからないけど。


さて、今日の聖書。
今日はアモス7:1-9。


「神、主よ。どうぞお赦しください。ヤコブはどうして生き残れましょう。彼は小さいのです。」2節。

アモスのとりなしの姿。
必死になって、神の前に民のために取りなしをした。

預言者の本来の働きは、
神の側に立って、神のメッセージを人々に伝えること。
けれども、ここで、アモスは、
人々の側に立って神にとりなしをするのです。

自分もとりなしの使命が与えられているんだよなあと思わされました。
そう、神様の前に立って、執りなす者とならせていただきたいです。
神様はそのような者を探している、とも言われました。

人々への愛。
人々への関心。

私もとしなしの使命を果たさせていただこう。

主よ、
どうか、今日、この地で歩む人々、
ここに生きる人々のために、守りを与え、
赦し、生かしてくださいますように。
私をもっともっととりなしの祈りの世界に引き入れてください。

寒かったねえ。

いやあ、一度暖かいのを経験しちゃうと、
-5度とか、ちょー寒い、って感じになりますね。
12時回ったんで、昨日ですが、昨日の朝は、
「なんでこんなに寒いんだ!!」と怒りながら、運転していましたよ。


昼間もほとんど氷点下。


今は夜の12時半。なんと-4.8度C。


朝には-7度Cくらいまで下がるでしょうね。
でも、午後には暖かくなって、
そのあと、土曜日の夜くらいまでは氷点下にならないみたいです。


金曜日、どこまで暖かくなるか、楽しみですが、
多分15度Cくらいまで。いや、もっとかな。


昨日は個人的に、ホントにすばらしい証しを伺いました。
神様はすばらしい。聖書の言葉には力がある。


もっともっと御言葉を信頼して、神様を信頼して、
ひととき、問題がなかなか解決しないと思っても、
希望を持って、最善をなさる主を信頼して、
歩んで行きたいと思いました。


昨日の聖書。アモス6:1-14でした。


「あなたがたは、わざわいの日を押しのけている、と思っているが、暴虐の時代を近づけている」3節。


なかなか自分のしていることには気がつかない。
自分では神に従っているつもりだったり、
回復に向かっているつもりだったり、
前進しているつもりだったりしても、
正反対のこともあるんだろう。

だから、本当に謙虚さを忘れないでいたい。
主に従っている、と信じている時こそ、
謙虚さを忘れないでいたい。

私に対するメッセージだと思った。
本当に主の前にへりくだって、
主の導きを求めて、歩んで行きたい。

主よ、
あなたの前の謙虚さを忘れることがありませんように。
自分があなたに従っていると思っているときにこそ、
心をあなたに探っていただくことができますように。


さて、4時半後には起きて、NYC行きのバスだ!

2011-02-14

助けられてた。

今日は暖かかったですねえ。
ホント、外に出るのが楽しみ!
ってくらいでした。
14度くらいまで上がりましたね。
雪もずいぶん減って、
もしかしたら、今度の週末には、
地面が6週間ぶりに芝生が見えるかも。


でも、今夜はぐっと冷えて来ています。
今、夜の11時半ですが、2.4度。
明日の朝は-5度くらいでしょうか。


今日の夜は、NYCの教会で、集会がありました。
メッセージをされたのは、今週末に帰られる日本語の先生。
メッセージを聞きながら、16年前のことを思い出していました。
そう、すっかり忘れていたのですが、
アトランタから一人でトラックを運転して、
引越して来た自分。
こちらには一人も知り合いもいなくて、
頼ったのは弟を知っているという牧師さんで、
その知り合いの神学生が同じ大学の構内にいる、
ということで、紹介していただいたのでした。


で、トラックだったんですが、
その頃はカーナビもなく、インターネットも、
文字データが主流の時代。


Mac はSystem 7とか、漢字Talk。
Windowsは3.1でした。


で、アトランタからNJまでのルートをAAAで教えてもらって、
来たんですが、トラックだと言わなかったもんだから、
Gardens State Parkwayを使うルートを教えてもらったんですよね。
で、そこに入ろうと思ったら、「NO Truck」ってあるじゃないですか。
「えー、これトラックかなあ?2トン車だからまあいいか。トラックってのは、車輪が18個あるヤツだよねえ。18 wheelerっていうし。」ととんでもない解釈をして、その有料道路に入ったら、上を通っている橋が低い低い。
ヒヤヒヤしながら、いくつもの橋をくぐって、周りを見回しても、自分と同じサイズの車は全く走っておらず、料金所で「どうしてココ走ってるんだ?」と言われながらも、捕まることもなく、「やっぱり知らないところは大変だなあ」と思いながら、着いた大学で迎えてくれたのが、今日メッセージをしてくださった先生なんですねえ。(説明長っ)その頃、神学生で同じ大学におられたんです。


ホントに心強かったです。


だって、一人でトラックに乗って来たから、
トラックは返さなければいけない、車はない・・・ですからね。
それまで、サンディエゴに来た時は兄がいたし、
アトランタには弟と先輩がいた。
でも、NJはホントに知り合いいませんでしたから。
留学生オフィスも全然手取り足取りではなかったでしたから。


でも、そんなこと思い出していたら、
ホントにここまで、多くの方々の助けで来たなあと思います。


そして、そういう助けに図々しく甘えて来たなあと。


これからも、知り合いの全くない中で、
こっちに来る人たち、若い人たちのために、
私がしてもらったように、できる者になりたいと思います。


あ、それで、集会が終わって帰ろうと思って、
車に戻ったら、なんと消火栓の真ん前に駐車してるじゃん自分。
歩道に積んであったゴミに気を取られて、消火栓に気がつきませんでした。
どこかに駐車違反のチケットが挟んでないか、心配でしたが、
大丈夫だったみたいです。奇跡。ホッ。


なんだか交通違反告白日記みたいになっちゃいましたね。


さて、今日の聖書。
今日はアモス5:18-27。


「公義を水のように、正義をいつも水のながれる川のように、流れさせよ。」24節。


熱心さも、熱心さだけでは、それが的外れだったら、
神は喜ばれない。
神様の願われることを聞くこと、求められることを聞くこと。

私たちの情熱や捧げものや音楽やそういうものではなくて、
神様に聞いて従うこと。
それを主は喜ばれる。

御言葉に従うこと、語られたことに従うこと。

信仰は気持ちの問題ではない、
行動の問題。信頼して、勇気を持って踏み出すこと。

主よ、
あなたの導きに従わせてください。
あなたの願う道に導いてください。
従うことを教えてください。

2011-02-13

Winter Is Over.

今日は暖かくなりました。
夜の11時になろうとしているのに、
2.7度もあります。


で、ここでまた大胆に預言しますが、
もう今年の冬は終わりました!


雪が降ったり、氷点下になったりは
これからもちょっとはあるかもしれませんが、
もう冬ではありません。


春の雪だったり、春の中に「寒の戻り」がある感じです。


やったね。春だね。


今週の後半はもう15度くらいまで上がるかもですよ。


今日頂いた平安。
本当に神様に従っている平安。
今までの人生の中でなかったような感覚。
主に従うことはこんなことのなのか、とわかる。
人に動かされるのではなくて、
主に動かされる。


逆風が吹いて来ても、
思い通りにならなくても、
主がしてくださることを信頼して歩める。


主の前に畏れつつ。


さて、早速今日の聖書。
アモス書の5:1-17。


「わたしを求めて生きよ。ベテルを求めるな。ギルガルに行くな。」4-5節。

他のところに答えを求めるな。
他のところに救いを求めるな。
神様に答えがある。
神様にいのちがある。

そこに歩んで行けば大丈夫。

そうなんだなあと思う。

危機に、きついときに、つらいときに、
私たちは神以外のものに目が向く時がある。
神以外のものに救いを求めたくなる時がある。

だからこそ、いつもいつも主に目を向ける。

主よ、あなたを求めます。
あなたにいのちを求めます。
救いを求めます。