2007-02-23

光の中を歩く

今日はまた寒くなりました。
日中も0度から2度くらいの間を上がったり下がったりでしたが、
夜になってから、ぐんと冷えて、今、夜の11時で、-6.1度Cでした。

明日も寒いでしょう。
そして、日曜日から月曜日にかけて、ちょっと雪も降るみたいです。
今回も大したことはないみたいですが・・・。

今日、ふと思ったのですが、
あの23年前の時、
私に「君は傲慢な人間だね」と言ってくださった先生、
ほんとうに感謝しています。
その言葉がなかったら、私はあの問題を乗り越えられなかったかもしれません。
適当にうまいこと「慰め」てくれていたら、
その場は何とか「良かった良かった」と思ったかもしれませんが、
神様の愛は分らなかったかもしれません。

もしかしたら、先生の方も勇気がいったんじゃないかと。

自分だったら言うことができるだろうかと。

「私を信頼して言ってくださったのだろうか」と思いますが、
そうじゃなくて、「神様の恵みを信頼しておられた」のだと思います。

私もそれができる者となりたいと思いました。
その人が受け止められるかどうかを考えるよりも、
神様の恵みを信頼する、
神様がその方の目を開いてくださる、という信頼をもって語っていきたいと思いました。

今日の聖書。
今日はヨハネ第1の手紙の1章を読みました。

「もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」6-7節。

光の中を歩く。
それが大切。
「神と交わりを持っている」と言うことは誰にでもできる。
でも、ほんとうに「光の中」を歩んでいるだろうか?
神様に隠れることなしに、
神様の前に真実に歩んでいるだろうか?

光に照られたものは、それがまた光となる。

いつもいつも真実でありたいと思います。

主よ、
あなたの前に真実であることができますように。
ウソのない歩みをあなたの前に守ることができますように。
どうか私の歩みを守ってください。
誘惑や怒りから守ってください。
あなたの愛で支配してください。
あなたの愛で満たして下さい。

2007-02-22

しみも傷もない者として

今日は朝の最低気温は-2.4度。
そこそこ冷え込みました。

昼間から雨が降ってきて、夜には雪になるだろうと言っていましたが、
それほど冷えずに今も夜の10時で、3度もあり、雨が降っています。

でも、明日はまた寒い一日になるようです。

今日はレオニアでのキッズクラブ。
最近、こちらは、ちょっと参加者が少なかったので、
心配しました。

でも、終わってみると楽しかったです。11名の子ども達が集まりました。
初めての子達も喜んでくれました。

またこれから、暖かくなって、もっともっと盛り上がっていくことを期待しています。

さて、今日の聖書。
今日はペテロ第2の手紙の3章。

14節の言葉が心に留りました。
「そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。」

「・・・しなければいけない」「・・・してはいけない」というところからイエスによって解放された私は、こう言う聖書の箇所にはあまり目を留めていませんでした。それよりも目をそらしていたのだと思います。そして、それから20年以上経って、今また、こういう聖書の言葉が心に迫ってきます。「しみも傷もない者となる」それを本気で求めて、与えられたいと思います。「人間はみんな罪人だから・・・」ということに立てこもり、「律法的になるといけないから・・・」とごまかしていたのかもしれません。聖書の言葉は神様からの言葉として、ストレートに受け止めて、「そうだ、しみも傷もない者になりたい」と思いました。

悔い改めて、悔い改めて、一つ一つ具体的に悔い改めて、
主に赦されて、きよめられて、
歩んでいきたいと思います。

主よ、
私をきよめて、
しみも傷もない者としてください。
悔い改めます。
今日、悔い改めて、あなたの赦しときよめを求めます。
どうか、全き者となしてください。

2007-02-21

何に支配されているか

今日は暖かな一日でした。
朝の最低気温はちょうど0度C。
昼間の最高気温は9.5度まで上がりました。

でも、今、夜の11時で、-0.8度。
さすがに夜には氷点下になりましたね。

明日は時々雨で、
夜には雪も混ざるようです。

おとといですが、夜、ゆっくり風呂につかりながら・・・アメリカの浅いバスタブなんですが、最近これにはまっています・・・雑誌のTimeを読んでいました。

その中に、アメリカで、今、「中絶反対運動」が変わりつつある、という記事がありました。ただ「反対」を叫んだり、クリニックの前で「殺人だ」と責めたりすることではなくて、つらい中、困難の中にいる妊婦の人々に救いの手をさしのべて、何とか思いとどまってくれるようにと励ますグループがどんどん生まれているそうです。ほんとうに大切なことだと思います。

教会では結婚という枠の外での男女の体の関係は認められていません・・・というか、神は結婚を祝福されたわけで、不倫にせよ、婚前交渉にせよ、神の祝福を失うことです。

ほんとうに大きな誘惑はあるし、社会はそれを「時代遅れ」「化石」と呼びます。
「この歳で経験がないなんて恥ずかしい」なんてアホなことを思わせるような文化です。
でも、胸を張って宣言すべきだと思います。

そして、「第2のバージン」という言葉さえあります。
クリスチャンでありながら過ちを犯した人、クリスチャンではなかったので、そのような価値観を持っていなかったけれども、後にクリスチャンになって生まれかわった人が、悔い改めて、その時から、結婚まで慎む、という意味です。

でも、もう一つ大切だと思うことは、
「今まで純潔を守ったから、私たちの結婚はうまくいく」なんて安易に考えてはいけない、ということです。結婚はほおっておいて祝福されるものではないなあ、と思います。日々、神様から力を与えられて、互いを大切にしていいくこと、チャレンジです。

今日の聖書。
今日はペテロの第2の手紙2章でした。
きついことがどーっと書かれているところですが、
その中で、次の言葉が心に残りました。

「その人たちに自由を約束しながら、自分自身が滅びの奴隷なのです。人はだれかに征服されれば、その征服者の奴隷となったのです。」19節の言葉です。

自分はいったい何に支配されているだろうかと思いました。
ほんとうに神様の愛に支配されているだろうか。
神様の愛が私の心の隅々まで支配しているだろうかと。

他に私を捕らえてしまっているものはないだろうか、
もう一度心の中を探られました。
「完全な愛は恐れを取り除く」
私のテーマ聖句です。

主の愛に満たして頂きたいです。

主よ、
今日の一日を感謝します。
夜の集会を特別に感謝します。
どうか、明日もあなたの恵みでいっぱいにして下さい。
そう、あしたはキッズクラブです。
多くの子ども達との出会いがありますように。

2007-02-20

信じるところで留っていないで

今日は暖かな一日になりました。
夜のうちに気温が上がって、
朝にはもう氷点下を脱出。
そして、最高気温は8度まで上がりました。

今は夜の11時で3.3度。
暖かな夜です。
今、外は雨が降っています。
雪が混じるでしょうか?

明日も暖かな日になりそうです。

朝は、教会で祈り会があったのですが、
学校が休みのため、子ども達がゆっくり寝ていられるということで、
カミさんも来ました。
そして他に来られる方がおられなかったので、2人で祈りました。

教会の一人ひとりのことを覚えて
家で祈るときとはまた違った、
熱い祈りを捧げることができました。
とても新鮮な朝でした。

昨日29回目の洗礼記念日を迎えた彼女。
共に歩めることに心から感謝します。

午後には牧師のためのセミナーがあって、
ニューヨークに行って来ました。

行きはマンハッタンの北の方までバスで行って、
マンハッタンに入ったら地下鉄、と思っていたのですが、
何と警察が大集合していて、地下鉄が止っているとのこと。
ニュースにも何にもなっていなかったので、大事件ではなかったようですが、
バスで行ったら1時間以上かかって、大遅刻。

でも、セミナー自体は良かったです。
一つの伝道の方法を紹介するセミナーだったのですが、
その方法の中で、
「聖霊に満たされること」
が強調されていました。

ああ、それを求めていきたいなあと思いました。
日本では良く聞いていた言葉です。
でも、最近あまり耳にしなくなっていました。
いや、耳にしたり、歌の歌詞に歌われていたりしても、
意識していなかったのかもしれません。
how toとか知的な面に焦点が当たりすぎていたようにも思います。
「聖霊に満たされること」
聖霊なる神様に私のうちに満ちて頂いて、
あふれて頂いて、
それが人びとに伝わっていくような、
そのような伝道をさせて頂きたいと思いました。
教会にいつも来ておられる方々に対してもそうです。
私自身が聖霊様に満たされることを通して、
人々に神様の業が広がっていくような、
人々が造りかえられ、整えられていくような、
そのような教会となるようにと願いました。

今日の聖書。
今日はペテロの第2の手紙に進んで、
1章を読みました。

「こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。」5-8節。

信仰をもったら、救われたらそれで終わり、ではなくて、
その後にはまたいろんな課題がある。
いや、救いがタダで与えられるから、
その後の課題を感謝して歩んでいくことができる。
「徳」「知識」「自制」「忍耐」「敬虔」「兄弟愛」「愛」といくつものステップがある。

自分はどこにいるだろうかと思わされました。
大体、自分はこれをほんとうに求めてきただろうかと思いました。

「証し」に書いてきたように、
自分は「・・・しなければならない」というところから解放されたのですが、
その影響で、ほんとうにすべての「・・・しなければならない」というものを
捨ててしまったように思うのです。
愛されているから、救われたから、
喜びがあるから、
「このような歩みをしなさい」
といわれても、そこに生きていくことができるのに、
それさえも拒否していたときもあったと思います。

一つ一つ求めていきたいと思いました。
「徳」といわれるもの一つ一つを先ず求めていきたいと思いました。

主にあって成長させて頂きたいと思います。

主よ、
感謝します。
私を救って下さったことに感謝します。
感謝して、「徳」を求めて参ります。
どうか、一つ一つ教えて下さい。
経験させて下さい。
与えて下さい。

2007-02-19

神が心配して下さっている

今日は一日氷点下でしたが、
ほんとうに明るい一日。
日が長くなってきたので、
寒々とした日ではありませんでした。
今、夜の10時過ぎですが、
-4度で、7時頃から下がっていません。
今夜はこのままこれくらいの温度で推移するでしょう。
もう、先週までの2週間のような寒さはさよならです。
一歩一歩春に近づいています。

今日は丸まるお休みだったので、
今頃、2006年の紅白歌合戦のビデオを見ています。
あまり評判の良くなかった昨年の紅白ですが、
良くない評判ばかり聞いていたからでしょうか、
「そうでもないじゃん」と思います。
もちろんすべてではないですが、
一つ一つの歌の歌詞に共感を覚えながら聞いています。

若い人たちの歌も捨てたもんじゃないと思いますし、
だんだん、「演歌を早回しするのはもったいない」
という感じになってきました。
「兄弟船」とか「おふくろさん」とか、いいですねえ。
逆に「軽い」曲についていけないですねえ。
そういう歳になってきたんだなあ、と思います。

そして、何よりも「ハレルヤ」とか、何か違うところで使われてたりすると、
何だかなあ、と思います。
「ハレルヤ」は調子のいいかけ声ではなくて、
「主をほめたたえよ」という言葉です。
神様のすばらしさをたたえよう、という招きです。
ヘンデルのメサイアのハレルヤコーラスを聴いたイギリスの王様が立ち上がらないでいられなかったといいますが、そういう厳粛なもんなんだろうと思います。

日本で大きな教会の副牧師をしていたときに、
教会に来ていた高校生の女の子達に頼まれて、
カラオケボックスへ連れて行ってあげたことがあります。
歌とか好きでしたし、いくつか歌える歌もあったのですが、
なんだか、歌詞を味わっていたら、とっても虚しくなったのを覚えています。

心から歌うことのできる歌である賛美の歌が与えられているのに、
全然共感できない歌詞を歌っている自分はいったい何をしているのだろうかと・・・。
それも、彼女たちを導く立場にいながら、
「連れて行く」「監督する」という名目で、
実際は「ついて行った」だけだったんですよね。

心から歌える歌を求めて、
心から歌える歌を口ずさんでいきたいと思います。

今日の聖書。
今日はペテロの第1の手紙5章を読みました。
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」7節の言葉です。

特に後半の「神があなた方のことを心配して下さる」という言葉が心に留りました。
私にも思い煩うことがあります。
心配になることがあります。
でも、私が心配する以上に主が心配して下さっている。
主が気にかけて下さっている。
だから、主の御手に心配事を委ねていいと言っている。
じゃあ、委ねようという思いになりました。

主が導いて下さる道を、
主が与えて下さることを、
受け取っていきたいと思いました。

主よ、
あなたの御言葉に感謝します。
あなたが私と教会のことを心配して下さっている。
だから、思い煩わないで、私に任せなさい、と言ってくださっている。
感謝します。
あなたを信頼します。
あなたをもっともっと信頼させてください。

祈りのために

子ども達は今日から1週間学校お休み。
今日はPresidents Dayで祝日です。
そして、今日は月曜日なので、週に一度のお休み。
ゆっくり寝坊できるかなあ、と思っていたのですが、
やっぱり7時には目が覚めました。

朝起きたら-12度C。
冷え込みましたねえ。
今日は一日中氷点下。
でも、今回はもう明日には暖かくなるみたいで、
「雨」の予報も出ています。

今朝起きたら2通「証し」の原稿が届いていました。
昨日、私が寝るときに一生懸命やっていたウチの高校生2名。
一人は息子で、一人は教会に出るために週末泊まりに来る寮生活をしてる子
夜の11時半までプロバスケットのオールスターゲームを見ていたのに、
それから一生懸命書いたみたいです。
もっとこつこつやってればいいのに、
期限直前になってから慌てるんだから・・・。
でも、意外と真面目なんだなあ、と。

自分の高校時代を思い出すと、
彼らもこれからガンガン悩むのかもしれませんが、
何よりも、本音でいろいろ話し合ったり祈り合ったり励まし合ったりできる
クリスチャンの同世代の親友がいるというのはホントにうらやましい話です。

さて、昨日、日曜日の聖書箇所。
昨日はペテロ第一の手紙4章でした。
「祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」
7節の言葉が語られました。

祈りのためにそれなりの備えが必要だということ。
生活の整理。
生活のリズムを作ること。
必要のない部分を削ること。
いろいろ大切なものがあると思います。

もっと祈りたい。
そのような願いを持つだけで、
そのために動き出すことがなかなか難しいのですが、
難しい、を続けていてはいけないと思いました。
ほんとうに祈りのために他のものを整理して、
祈ることを大切にしていこうと思います。

思うのではなく、祈ること。
考えるのではなく、祈ること。

主よ、
御言葉に感謝します。
あなたが語ってくださったことに感謝します。
私自身が「祈りの家」となりますように。
私の生活自体が祈りに支配されますように。

2007-02-18

内なる飾り

今日は一日寒くもなく暖かくもなく、
まあ、典型的な冬の一日だったのですが、
夜になって急に冷え込んできました。

今日の最高気温は2度まで上がりました。
でも、今は夜の10時半で-7.7度です。
そして今もどんどん気温は下がっています。
この調子で行くと明日の朝は-10度以下ですね。

火曜日の夜から水曜日の朝にかけて、
ちょっと雪が降るかもしれません。
大したことはありませんが・・・。

今日は洗礼式がありました。
今年初めての洗礼式。
4ヶ月ぶりでした。
やはりうれしいですね。

今日洗礼を受けた方は音楽をする方。
洗礼を受けられて、これから、どんな音楽をなさるか、また楽しみです。

今、教会の皆さんに「救いの証し」を書いて下さるように、
お願いしています。
とりあえず、締め切りが今日。
10数名の方が出して下さいました。
あと1時間。
まあ、無理はしないで欲しいのですが、
期限を決めないと、「いつかやろう」と思ってしまうでしょうから、
決めてよかったのだと思います。
あと1時間で何通届くでしょうか?

でも、皆さんのお証を読んで励まされますし、
またお一人一人自分で今まで歩んできた道を振り返る時が持てるのはいいのではないかと思います。
そして、神様がどんなにすばらしいことをして下さったか、
それを味わうのは何とすばらしいことでしょうか?

そして、それを15分に収めるのも大切なプロセスです。

まだの方、これを読まれたら、是非、取りかかって下さい。

昨日の聖書。
昨日はペテロの第1の手紙3章でした。
その中で特に心に留ったのは3-4節の言葉です。

「あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。」

これは直接的には女性に対して語られたことですが、
私は男性ですが、やはりそのようになりたいと思いました。
「心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい」と。
そのように内なる人が美しくなりたいと思います。
内なる人が強く、内なる人が豊かになりたいと思います。

肩の力を抜いて、
主がなさることを待ち望み、
主がして下さった一つ一つのことを感謝しながら、
内なる人が豊かになっていくのを求めていきたいと思いました。

主よ、
私の内なる人を探って下さい。
そして、私の内なる人をきよめて下さい。
内なる人を美しくして下さい。
内なる人を豊かにして下さい。