2006-07-22

いったいどこから

右の方にカレンダーをつけました。
この日付をクリックするとその日の記事に飛びます。
マタイによる福音書1章が7月9日でしたから、
マタイ4章の場合は8+4で7月12日に出てきます。
今のうちはいいのですが、そのうち、計算が面倒になるでしょうから、
聖書のどこの箇所を何月何日に読んだか、読む予定か、
一覧表のリンクも作っておこうと思います。

今日もたくさん雨が降りました。
2日で100ミリくらい降ったのではないでしょうか?
庭に出しっぱなしになっている洗面器は水がいっぱいにたまっています。
ちなみに昨日は38.4mmの降水量。今日も同じかそれ以上降っているでしょう。
でも何だかやっと峠を越したようです。
今、夜の10時半ですが、これからはもう余り降らないでしょう。
そして明日からあさっては湿度もちょっと下がり、
ちょっと過ごしやすくなると思います。ちょっと。
期待も込めて・・・。

今日はマタイによる福音書15章を読みました。
最後の方にイエスが人々に食べ物を与えようとなさる様子が出てきます。
その時に弟子たちは、「こんなへんぴなところで、いったいどこから食べ物を調達するんですか」
というのです。
自分もそんなタイプだなと思います。
いったい、どこにそんな人材がいるのか、
いったい、どこにそんなお金があるのか、
いったい、どこから・・・と。
自分を見ても、周りを見ても、「無理をしない」ということが先ず頭にきます。
でも、イエスは他の供給源を見ておられた。
手許にあるパンを見ていたのではなかった。
手許にあるパンを用いて、
でも、それを何倍にもする力のある方であった。

私も自分の手の中にあるもの、
自分の周りにあるもの、
それを見るのではなくて、
神様を見ていこうと思った。
神様の奇跡を見せて頂きたいと思った。
「いったいどこから・・・」
それは神様から!
私たちの手の中にある小さなものも、
主の御手の中におちいる時には、
大きく用いて頂ける!
それを信頼していこうと思う。それを信じていこうと思う。

主よ、
あなたの御手にあれば、
私のこの手の中にある少しのものも、
ちいさなものも、
人々の心を、魂を満たすために用いられることを、信じます。
あなたの奇跡をなして下さい。
明日も、明日の礼拝でもあなたの奇跡を見せてください。

2006-07-21

大喜びで・・・

今日は朝も夕方もすごい雨でした。
そして今また夜11時50分ですが、
雷雲が南から上がってきています。
そして、温度は高くはないのですが、
蒸し暑いです。
今も23度くらい何ですが、とにかく湿度が飽和状態。
空気が肌にねっとりまつわりつく感じです。

明日も今日と同じような天気になりそうです。

大雨にご注意。

今日はさっそく聖書の話。
マタイによる福音書13章を読みました。
ここには「神の国のたとえ」がまとめて出てきます。
その中で今日心に残ったのは、その44節の宝物の話です。
ある人が畑を耕していて、宝物を見つけたら、
大喜びで全財産を投げ出して、その畑を買って、
宝物を手に入れる、という話です。
これは2通りの読み方があります。
一つは、この宝物は「福音」すなわち、
キリストの十字架の救いを表していて、
見つけた人は私たちです。
私たちはこの福音を見つけた時に、
すべてを犠牲にしても惜しくはない。
そして、それを「いやいや」ではなくて、
「大喜びで」するのです。
それくらい「神の国」「福音」には価値があるのです。

もう一つの読み方は、
この宝物は「私たち」です。
私たちのために、私たちをご自分の物とされるために、
イエスはすべてを犠牲にされた。
それも大喜びで・・・。

どちらもそうだなあ、と思います。
でも、今日は、この2つ目の読み方をして、感謝しました。
私たちのために大喜びですべてを投げ出してくださったイエスに感謝しました。

主よ、
あなたが私を宝物としてくださることに感謝します。
あなたが私のために、すべてを投げ出してくださったことに感謝します。
私も福音のために、すべてを投げ出していきたいです。
私の心の中をご覧になって、私がまだ投げ出していないもの、教えてください。

2006-07-20

ただただ単純に語る

今日は午前中は風もあり、
気温も低く涼しいスタートでしたが、
午後は蒸し暑く、夜になってますますむっとしてきたように感じます。
最高気温は30.7度。
今も24度ありますが、それ以上に湿度が高いと思います。
明日から、日曜日までは雷雨もあり、ムシムシした天気、
月曜日からやっとカラッとするみたいです。

今日の夜9時頃、
カミさんが、みんなに見せたいものがあると、
散歩に誘いました。

何々?人面木かなにか?
と聞いたら、「いい線行ってるねえ」とほめられて、
連れて来られたのがこの木のところ。
「人面木」は多分、自然にできた模様が人間の顔みたいになっているんでしょうが、これはまさに、
「人面木キット」
木に釘を打って、そこに引っかけるようになっているので、
鼻水とよだれのように樹液が出てきて、ますますアブナイ感じですね。
写真を撮っていたら、この家の奥さんが、窓から、
「もう一セットあるから、持っていく?」と聞いてくださいました。
もちろん、「いいんですかあ?」(もちろん英語なので、Yes, thank you!と答えましたが、気持ちは「いいんですかぁ?」でした)と頂いてしまいました。

このところ毎日、4、5本ずつきゅうりが穫れていたのですが、今日はお休み。明日は多分2本。
ちょっと暑さで参ってしまったようです。ずいぶん枯れてきてしまいました。
3株で60本は行くと思うのですが、その後はどうかな。

今日の聖書はマタイによる福音書12章でした。
その中に人々がイエスに「何か奇跡を見せてくれ」と言います。
その要求に対して、イエスは、「メッセージを聞いて信じないならば、奇跡を見てもしょうがない」と言われます。
そして、旧約聖書の中でヨナという人がニネベという町の人々に、
メッセージを語った時に、彼らがそれに聞き従ったことを例に挙げています。
彼らは特に奇跡を見たわけではない。
でも、ヨナの警告のメッセージを聞いた時に、
自分の人生を方向転換をして、神に従って歩み始めた様子が書かれています。
ここを読んで、
自分の使命もこれだなあ、と思いました。
何か物珍しいことをするわけではない。
人が喜ぶような話をするわけでもない。
ただただ、聖書に書かれていることを愚直に語っていく、
それが自分の使命であり、
それが本当に大切なことであり、
それによって神の許に帰っていく人々がいることを、
思わされました。
人の影響を受けることも気をつけなければいけないと思いました。
今いろんな目新しい方法がはやってきています。
でも、そんなことに振り回されない、
単純な福音を語ること、
十字架の救いを語ること、の大切さを教えられます。

主よ、
ヨナが単純に警告の言葉を語った時に、
人々はあなたの元に帰っていきました。
私もそのような単純な者でありたいと思います。
神様が語れと言われたことを、単純に語る者でありたいと思います。
どうか、先ず私自身に語ってください。
そして、あなたによって語られたことを、
分ち合う者としてください。
日曜日のために、メッセージを与えて下さい。
あなたのメッセンジャーとして語らせてください。

2006-07-19

負いやすいくびき

今日も結構暑くなっています。
湿度もそんなに低くありません。
期待していた分だけ、暑く感じます。
最高気温は31.8度C。
それとも、昨日までエアコンがフル回転状態だったのが、
今日はそれほどでもないので、
湿度の分だけ家の中が暑く感じるのでしょうか?

今日、娘達がつけた巣箱に小鳥のヒナを発見。
わかります?巣箱の中の口ふたつ?
娘達大喜び。


去年のクリスマスに6年生の娘に「何が欲しい?」と聞いたら、
×ポッドとか、携×電話とかではなく、
「小鳥の巣箱」・・・と。
なんて経済的かわいいんでしょう!と喜んで買ってあげた巣箱、
カミさんと妹と一緒に色を塗って、パパと木に縛り付けておきました。
その後、しばらく「来ないねえ」と言っていたのですが、
春になってから、枯れ草が運び込まれている様子。
「巣を作ったみたいだよ・・・」
でも、親鳥の姿もヒナの姿もなく、「どうしたのかねえ」みたいな感じでした。
それが7月になってから、「ヒナ誕生!」ですから大喜び。
ヒナがしきりに口を開けて待っている様子、
親鳥が一生懸命エサを運ぶ姿、
人間社会とだぶります。ハイ。

それと共に私たちが神様に求める時に、
このように求めていいんだと思いました。
「あなたの口を広く開けよ、私はそれを満たそう。」詩篇91:10

今日の聖書はマタイによる福音書11章でした。
その最後にこんな言葉があります。
「私が与えるくびきは負いやすく、わたしが与える荷は軽い」
イエスは私たちいろんなストレスで重い荷を負って苦労している者たちに、
「わたしの所に来て休みなさい」と招かれます。
でも、それと共に、「私が与える荷を負いなさい」と言われるのです。
どっちなんだと思いますが、
両方なんでしょう。
イエスの下に休む歩みは、
イエスの与える荷を負って歩む歩み。
それは私のために特別に作られた、
カスタムメードの使命。
他の誰かではなく、私のために準備された荷物がある。
でも、それを負う歩みは、
負いやすい、軽い荷なのだと・・・。
喜びを感じる、平安を感じる荷なのだと・・・。

主よ、
あなたが私のために特別な使命を与えて下さっていることに、
心から感謝します。
その荷を喜んで負いたいと思います。
どうか、あなたが守り支えて下さい。
道を外れそうになる時に、教えて下さい。
逃げたくなる時に、「おまえ、違うよ」と語ってください。
あなたの与えて下さる荷なら、負うことができます。
私のためによく考えて、与えて下さる荷だから。

主のために

これは7月18日の分。
更新遅れました。
何でかというと、停電。
昨日の夜はすごい雷でした。
雨自体はそんなにたくさんではなかったのだと思いますが、
とにかく風と雷で、10時半頃停電してしまいました。
何時に復旧したかは不明。

ちょうどYがMに追いついたところ、
その後向こうも雨で中断になった頃でした。
「今日見に行った人は盛り上がっただろうなあ、でもこの雨で大変だろうなあ・・・、延長戦は明日に響くだろうなあ」と思っていた矢先、ぶちっと切れました。
「もう早く寝なさい」という神様からのメッセージだったのかも・・・。
その後すぐ家族みんなで寝てしまいました。

YがMに11回までやって勝ったことも、朝になってから知りました・・・、

昨日はその雨まではめちゃくちゃ暑かったです。
連日の37度台。
でも、今日からは何とか涼しくなるみたいです。
これは天気予報当たって欲しいです。

昨日は朝教会でお祈りの日。
午前中も、午後も個人的にお話をしました。
そして、一人の方に昨日の御言葉「あなたの罪は赦された」の祈りをする幸いを経験しました。
そして夜にも「洗礼を受ける決心をしました!」ともう一人の方からメールを頂いて、
本当に心から感謝をしました。

昨日はマタイによる福音書10章を読みました。
その中で、39節の言葉が心に留りました。
「自分のいのちを自分のものにする者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします」という言葉です。
「自分のいのちを自分のものとしていないだろうか」と問われたように思ったのです。
本当に自分は自分の命を主のために捧げているだろうか、
結局は自分のために使っているのではないだろうか・・・と。
求めていきたいと思いました。
もっともっと主のために生きるとは、主のために自分のいのちを与えるとはどういうことなのかを、
求めていきたいと思いました。
一つ、ヒントはイエスがこの後に語っていること、
人のためにすることはイエスのためにすること・・・。
人に仕えること、それを求めていこうと思いました。

主よ、
あなたに私のいのちを与えることを教えて下さい。
自分のために生きるのではなく、
あなたのために生きることができますように。
人に仕えることができますように。
仕えることを教えて下さい。

2006-07-17

あなたの罪はゆるされた

今日は暑かったです。
かきごおり家の温度計は37.2度まで上がりました。
下の娘とプールに行ったのですが、
お子ちゃまプールだったので、プールの水も生ぬるいくらいでした。

今真夜中12時ですが、外の気温は27.7度。
熱帯夜になるかもですね。

明日ももう一日37度まで上がって、
その後、30度くらいの日に戻るようです。

夜はYの応援に行ってきました。(多分3年ぶり)
対戦相手のMが今年は迫力がなくて、ちょっと楽勝パターンでしたね。
両チーム合わせて7つのエラーが飛び出す始末でしたが、
とにかく最終回が盛り上がったので楽しかったです。
バットが一本スタンドに飛び込みましたが、
今度はわたしのところではありませんでした。上の方だったしね。
でも、ホント、あの大きなスタンドを見ると、あの3年前バットが飛んできた、
ことのすごさを思わされます。
今度はイチローのがいいかな。

今日は午前中ちょっと打ち合わせがあって、
夕方、プールから帰ってきたら、
サプライズゲストが来られていました。
明日もいくつか人にお会いするお約束があります。
幸いな働きをさせて頂いています。

今日の聖書はマタイによる福音書9章。
その2節には「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦されたのだ」という言葉があります。
日曜日の洗礼式で、2回、この言葉を語る幸いを経験させて頂きました。
本来、このパリサイ派の人々が言うように、そんなことは私たちが言えることではありません。
神様以外に言うことのできる人はいない。
でも、イエスが十字架の上で私たちの罪を背負って下さったがゆえに、
そのように語ることができる幸いを今日も感じました。
本当はそんなこと言えない。
でも、言うことが許されている、
いや、私たちはこの言葉を語る責任、使命がある。
その幸いを思いました。
責任の重さも思わされました。

主よ、
私にも、この言葉を語らせてくださっている幸いを感謝します。
これからも多くの方々に、この赦しの福音を語ることができますように。
赦しの宣言を語ることができますように、
私を用いてください。
多くの方々があなたによって救いにあずかることができますように。

2006-07-16

私をきよめることができます

今日は暑かったです。
35度。でもずっと教会にいたので、よくわかりませんでした。
教会エアコン効き過ぎ。
日本人が使う時は調整して上げておくのですが、
教会を持っているアメリカ人の教会が71度F=22度Cに設定しているので、
「もったいない!」とか言いながら、「寒い!」と言いながら、78度Fとかに上げて回っています。
日本では28度Cですよね。ということは82度Fくらい。
それはちょっと暑いかな・・・。

明日は36度位の予報。
うちの温度計は大体予報の2-5度上だから、40度も夢ではありません。

今日のメインイベントは「洗礼式」。
良かったですよ。
二人の方が洗礼を受けられました。
感謝。
その様子をご覧になって、
「私も受けたい・・・」と来られた方もおられました。
そのような祝福に溢れた一日でした。

そんな心地よい一日の後、
今日からの帰り道。
今日は車2台で教会に行ったのですが、
途中で、前を走るカミさん運転の車のタイヤがフラットになっているのを発見。
停めて、その場でタイヤ交換。
真っ昼間ではなかったのが救い。
でも今回は高校生を乗せていなかったので、
一人でやりました。
大汗をかきました。
何か、最近多いなあ。前回は4月だから、3ヶ月で2回!

9時頃眠かったのですが10時頃から復活。
でも、まあ、早く休もうと思います。
基本は月曜日が休日なのですが、明日の午後は娘達とプールの約束。
夜は久しぶりのYの応援。旅行会社のプロモーションでいただいた券ですが、
とても高いところです。(値段じゃなくて物理的な高さが・・・)

今日の聖書。
マタイによる福音書8章を読みました。
その2節の病気を治してもらう人の言葉が心に留りました。
「主よ。お心一つで、私をきよめることがおできになります。」
この信仰をもちたいと思いました。
それととも自分が本気で主の前に出ているかが問われているように感じました。
何か甘えの気持ちがあるのではないか、
逃げの気持ちはないだろうかと思わされました。
そして、この祈りを捧げたいと思いました。

主よ、
どうかわたしをきよめてください。
私の心の奥底までも、聖霊様の炎で焼き尽くしてください。
あなたにはそれができると信じます。
不信仰な私を、助けてください。
甘えている心を、焼き尽くしてください。