2010-01-02

神様からの預かりもの。

今日は朝教会にいくときには雪が降っていました。
まあ、雪自体は小雪が舞った、というだけだったのですが、
寒かったです。
というか、どんどん寒くなってきました。
朝起きたときは−2度くらいでしたが、
今、夜の11時で−9度です。
そして強い風が吹いています。
メイン州とか、北の方はひどい事になっているようです。


明日も引き続き寒くて風の強い日が続きそうです。


さて、昨日かえってきたハジですが、
「あれ、やばいよ」って言うくらい良かったみたいです。


クリスチャンの集まりに行って「あれ、やばい」というのは、
「狂信的で心配」って感じでしたけどね、僕らの頃は・・・。
言葉の使い方も変わったものです。


そのハジの話、特にこれからの自分の生き方をどのように考えているかを聞きながら、
神様に預かったこの子を、主の御手に返す時が来たんだなあ、と思いました。
親の希望とか、主義主張とか、そういうことよりも、
神様の導きを知って、それを聞いて、進んで行く。
そういうところに来たんだと。


もうすぐ19歳になりますが、19年の年月を共に歩めた事を主に感謝しました。


これから、もっともっと祈って行かなければ・・・
と思わされました。


そして、自分の使命も再確認させられました。
自分が牧師になる、と言い出したときに、
やはり牧師だった親はどんな事を思ったんだろうかと、
そんな事も思わされました。


さて、今日の聖書。
今日はマタイによる福音書1章18−25節。


「主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ・・・」24節。

1週間くらい前に読んだところだと思いますが、
また読んでみたときに、思わされたのは、
ヨセフの悩みでした。
ヨセフはもう「決心」していたのです。
もう決めていたのです。
でも、「思いめぐらしていた」とあります。
決めたんだけれども、やはり、いろんな事を考えないでいられなかったのです。
頭にどんな思いが巡り巡っていた事でしょうか?

でも、天の使いが語ったときに、
彼は単純に従いました。
神の語りかけがそれほど大きなものであるという事も言えるでしょうし、
それに応えたヨセフの信仰をも思わされます。

主が語ってくださる事はすばらしい事です。
語られたら、応えないではいられない、という事もあるだろうなあと思います。

でも、聖書の記述を読んでいると、
やはり、神様に語られたのに、そこに従えなかった人々の姿も出てきます。

ですから、やはり、語られる事は大きいでしょうが、
それを聞いたときに、従うことの大切さも思わされます。

本当に主に語っていただきたいし、
語られた事に対して、単純にしたがって行く者でありたいと思います。

主よ、
どうか、あなたの御言葉を与えてください。
そして、そこに従って行くものとならせてください。

2010-01-01

新年のサプライズ!

今日は朝起きたら、すっかり雪はあがり、
うっすらとつもっていただけだったので、
全く問題はありませんでした。
ハジも無事に帰ってきました。
とてもすばらしい経験をしたみたいで、
聞いていても、いろんな事を思わされて、感動ものだったのですが、
それはまた明日にでも・・・。


今は夜の11時前ですが、2.5度です。
明日からは風が強く寒くなりそうです。
時々にわか雪だそうです。


で、今日は朝の11時から元旦礼拝だったのですが、
本当にたくさんの方々がこられました。
そして、その途中にアメリカの教会ではよくあるのですが、
greeting互いに挨拶を交わす時間があります。
大きな教会では、だいたい、席を離れないで5人くらいの人たちと挨拶、
と言われるのですが、
私たちは大きな130人くらい入る会堂に、
子供を入れて50−70人くらいなので、
みんな席を離れて、歩き回ります。
「ちょっと長い」とか苦情が出るくらいですが、
そんな今日のgreetingの時に、
一人の青年が「Happy New Year!」じゃなくて、
「僕クリスチャンになる決心をしました、どうしたらいいですか?」って聞いてきたんですね。うれしいやら、戸惑うやら・・・。
「本当は今ここで、じゃあ祈ろう、と祈って、『みなさ〜ん、今から洗礼式をします!』と言ってもいいんだろうなあ」と思いながら、でも、「じゃあ、礼拝後に話そう」ということになって、礼拝後に信仰告白の祈りをして、3日の礼拝で洗礼式!という事になりました。


ハレルヤ!


去年は洗礼を受ける方が起こされなかったので、
本当に痛みを感じていました。
でも、主は今年は元旦から、このような方を起こしてくださって、
励ましを与えてくださいました。
天使たちの間でも大きな歓声が上がっている事と思います。
本当に感謝です。


さて、今年最初の聖書。
今日から「日々のみことば」はマタイによる福音書です。
1章1-17節。
いやあ、新年早々、いきなり「系図」ですか・・・


「サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを・・・」5節。

私たちは、旧約聖書のおかげで、
ラハブのストーリーも、ルツのストーリーも知っています。
でも、ここに出てくるたくさんの人々のストーリーは知りません。

でも、彼らにも同じように、大切な大切なストーリーがあった。
そしてその存在によって、この神様の計画が導かれてきた。

それを思っているときに、
私自身のためにも、たくさんの方々の人生があった。
たくさんの方々の人生が流れ込んで、今の自分の人生がある。
そんなことを考えさせられていた。

そんな事を思っているときに、聖書のことばが一つ心に浮かんできた。
「あなたは祝福の基となる」
私たちは、私たちの人生につながってくる多くの人々にとって、
祝福の流れ出す拠点となって行く。
その人々の祝福の流入口になる。

その約束を感謝しました。
そのように歩ませていただける喜びを思わされています。

神様、
あなたが私の人生も導いてくださっている事に感謝します。
与えてくださった、多くの人々の存在に感謝します。
そして、私たちも、神様の祝福の流れ出す器として用いてくださる事に感謝します。
どうか、あなたのすばらしさが周りの人々に伝わって行きますように。

謹賀新年。


アメリカの東海岸も2010年になりました。
今年も雪の中の年越しになりました。

まず、神の国と神の義とを求めなさい。
そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
マタイ6:33


今年もどうぞよろしくお願いします。

2009-12-31

感謝と祈り。

今、夜の9時半。
さっきからまた雪が降り始めました。
第2ラウンドが始まったようです。
でも、外の気温は1度くらいあります。
今回は2時間くらいでは通り過ぎないと思います。
雪の中でのカウントダウンになりそうですね。

2009年、やはり一つ一つの出会いに感謝。
教会にも新しく集うようになった方々もどれだけおられるでしょうか。
引っ越してこられた方、
ずっとこちらにすんでおられたけれども、
初めて教会に集うようになられた方、
教会に集っておられたけれども、
初めて、心を開いてお話をするようになった方。
一つ一つの出会いが神様に与えられてきたのだと思います。

そして、今年の場合は特に、これが新しい年につながって行く感じがします。

主がこれからどんなすばらしいことをしてくださるか、
楽しみにしています。

それから、大きなことは、
やっぱりハジが大学に行ったことでした。
18年間ずっと一緒にいた奴が、生活の拠点をほかのところに移したのですから、
それはやっぱり大きな変化ですよね。
神様がここまで導いてくださったことに感謝。

そして、この年末、
神様からのクリスマスプレゼント。
本当に感謝します。

新しい年、このメッセージに従って歩むことができますように。

さて、今年最後、今日の聖書。
今日は詩篇の84篇でした。

「なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路がある人は。」5節。

私は何を喜びとしているだろうか?
私の心の中には何があるだろうか。
神ご自身があるだろうか?
神様への愛があふれているだろうか。

いろいろ考えさせられた。

自分の心を占めているものは何だろうかと。
私の心は何に支配されているだろうかと。

本当に主ご自身に信頼して、
主に支配していただくものでありたい。

そう、来年の為に祈っていたときに与えられたのは、
「神の国と神の義とをまず求めなさい」という御言葉。

本当に神の支配が私のうちにあり、
私の家族や教会のうちにあり、
また周りの人間関係すべてにありますように。

主を第一として歩むことができますように。

主よ、
あなたがこの一年も、多くの出会いを与えてくださって感謝します。
あなたを第一として歩みます。
どうか、あなたの御手の中で歩む者でありますように。
あなたのことで私の心を満たしてくださいますように。

ついに年内クリア。

日本は新年になりましたね。
日本のみなさま、あけましておめでとうございます。
2010年もどうぞよろしくお願いします。


今朝は7時から9時くらいまでの間にあっという間に白くなりました。
去年の今頃、どんなこと考えていたかなあ、と見てみたら、
やっぱり雪が降ったんですね。


今夜第2ラウンドがあって、2-3センチつもるとか言っています。


さて、2009年を振り返るのは3時間後くらいにとっておいて、
とりあえず、pearlがついに出てきたという報告です。
なんと121回目。ふう。


子供たち(サキの友人たちを含む)にいろいろ言われて、つくづく自分の発音のいい加減さを思わされたのですが、まあとりあえず、どんなのが出てきたのか、順番に並べてみました。




pa
bar
pa
paul
mama
pa
pa
font
hong
art
burger
ga
pa
army
pa
r
pa
polyp
bar
paul
bar
r
bourne
florida
boa
va
buy
palms
ferrari
paul
tara
pariah
ferrari
bar
pan
bongs
laura
barack
pan
barack
torrent
forum
bar
world
pan
parent
car
kara
panic
pan
berlin
forum
paul
###
laurel
paul
forum
harlem
####
error
forum
####
dora
world
paul
army
r
forum
forum
orion
honet
orem
parlay
tara
forum
polar
car
tara
power
phone
laura
peru
conner
paba
aura
iowa
orion
tara
car
parliament
pa
mom
world
car
ferrari
car
car
varada
car
long
r
tara
tara
forum
aurora
florida
girl
haro
tara
haro
car
####
####
faro
haro
tara
tara
paul
####
world

pearl



さて、回数順ですが、3回以上を見てみる・・・
3回 
haro(ガンダムに出てくるテニスボールみたいなペットらしい)
ferrari (うーん、何度も車の購入交渉のために使った言葉ですからねえ・・・)


4回 
pan(Pは合っていますから・・・)
r(Rは合っていますから・・・)
world(RとLは合っていますから・・・)


5回
bar (どうしても-ear-の発音が明るくなってしまうらしい。)
####(意味不明・・・エラーや解読不能の場合はそのメッセージが出るので、そういう訳でもないようだ)


6回がなくて7回
Paul (PとLは合っているのですが・・・)


8回
pa(Lを「ル」と発音しないようにという気持ちが強いんでしょうか。Lを音にするのが難しい)
forum(なんででしょうねえ。もう訳わかりません。はい、これも共通点はRだけです。)
car(はい、車です。高い、というところは同じか。ちなみにこちらのサイトによると、世界最大の真珠は7キロあって、60万ドル≒55億円だそうです。)


そして堂々の1位、9回出てきたのは・・・
tara(人の名前ですね、これは。サザエさんにも出てきます。でも、あちらは男の子ですが、英語では女性の名前ですね。あ、そういえば、昔、「太陽にほえろ!」の主題歌に「たらちゃん」が出てくる、という話を聞いたことがありますが、知っていますか?)


はい、そして、121回目で、めでたくpearl が出てきました。

はい、今日の「日々のみことば」も、夜10時頃・・・。

2009-12-30

あと24時間。

00z のGFSもNAMも共に、
明日の昼前後の雪、元旦の雪なし、を予想しています。
でも、2日から3日にかけて、風が強く、不安定で、時々にわか雪、という天気になりそうです。


さあ、今年もあと、24時間。
年内になんとか仕上げたかったJOYJOYキャンプのビデオ、年越し確実な情勢です。楽しみにしている皆さん(・・・ってもうあきれていますよね・・・)、すみません。
"pearl"の年越しも、あるかもしれません。
 明日の夜、プロモーションでタダが続いているTVJapanで紅白を見て、一年の感謝を捧げて、年越しそばを食べて(あるかな?)・・・そして、"pearl"に最後の挑戦です。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇の83篇。


「こうして彼らが知りますように。その名、主であるあなただけが、全地の上にいますいと高き方であることを。」18節。

神様の主権をどこまで自分も信じているのだろうか。
神様の支配の中に生きることをどこまで喜んで受け入れているだろうか。

口で言うのは簡単だ。
でも、本気で神様が主権を持っておられることを信頼して、
そこに生きているだろうかと思わされる。
自分でなんとか道を整えようとして、
なんだか、自分で神様のために道を造ろうとしていないだろうか。

自分がかみさまの御手の中にあることを、
本気で信頼して、
安心して、主に従って歩みたい。

新しい年のために祈らされた。
主の支配のもとに安心して歩む者でありますように。
主の御手の中に安心して生きて行く者でありますように。

主よ、
あなたの支配を求めます。
あなたの支配の中に安心して、信頼して歩む者でありますように。
平安と喜びで満たしてください。
今年の最後の一日を守り、祝福してください。
新しい年に、主がすばらしいことをしてくださいますように。
主の恵みをもう一度覚えて、新しくスタートできますように。

物事を理解する軸。

今朝は寒かったですね。
でも、昼間は昨日に比べればぐっと楽になりました。
今、夜の10時半ですが、-0.8度。
気温が上がると天気が悪くなることが多いです。


明日は朝から昼過ぎまで雪。
数センチくらいつもるかもしれません。
全然大したことないかもしれません。


そして、元旦は大丈夫でしょう。
はい、予定通り、10時から祈り会、11時から元旦礼拝。
そして、その後はみんなでつきたてのお餅をいただきます。
はい、つくのは機械ですが・・・。


今朝のFuji-Sankeiの日本語放送。
7月のウイグル自治区の暴動を特集していました。
その中で取材されていた、ウイグル族のご婦人の言葉が心に留まりました。


「テレビのニュースで『ウイグル族が漢族を殺した』と言っていた。『終わった』と思った、数十年続いてきた互いの関係が終わったと。『暴徒が暴動を起こした』と言ってほしかった。暴動を起こしたのは『民族』ではなくて『暴徒』なのです。」と。


このご婦人はとても鋭い、と思います。
特別な教育を受けていたとも思えませんし、
世界情勢、政治情勢に詳しいのでもないかもしれません。
でも、このご婦人は正しいと思いました。


もちろん、民族の問題や経済格差の問題、少数民族への差別の問題あると思います。そういうことを無視してはいけないでしょう。


でも、ことさら、「ウイグル族が漢族を・・・」と報道することによって、どれだけ、一つの見方を固定してしまうことでしょうか?
両方の民族の人々に、どれほど相手の民族への偏見や恐れを根付かせることになったでしょう。


8年前、テロリストがWorld Trade Centerや米国の国防総省に旅客機で突っ込んだときも、
アメリカ中でGod Bless Americaが歌われていました。
私はものすごい違和感を覚えていました。
自分がここの人間ではない、ただの「寄留者」だということもあるのかもしれませんが、
私はどうしてもアメリカに対するイスラム原理主義の攻撃だとは思えなくて、
「アメリカ」が攻撃されているとは思えなくて、
「世界」が攻撃されていると思っていて、
「憎しみの力」「恨みの力」の攻撃だと思っていて、心を痛めていたので、
なんで、God Bless Americaなんだ?と思っていました。
攻撃されているのはUSAだけじゃないぞ、世界だぞ!と。
攻撃したのは原理主義の人たちみんなじゃないぞ、一部のテロリストたちだけだぞ、と。
でも、あのときは(今でもそうかも知れませんが・・・)、それはちょっとほのめかすだけでも、叩かれることでした。なかなか理解してもらえなかったことでした。


当時の大統領の世界観もあったと思いますが、
「アメリカとイスラム原理主義との対決」という図式ができてしまったように思います。
そして、それは結局はテロリストたち、の思うつぼだったのだと思います。「反米」はある人々にとっては暴力を正当化する大義名分になって、味方を増やすことができる訳ですから。


自分はどんな軸をもって一つ一つの出来事を見ているだろうか、
考えさせられました。


さて、昨日の聖書。
昨日は詩篇82篇。


「神よ、立ち上がって、地をさばいてください。」8節。

私たちの祈りは結局ここに行き着くのだと思う。
自分の正しさとか、自分の利益だとか、そんなことはどうでもいい。

神様が正義を打ち立ててくだされば、
もしも、そのときに、自分がさばかれることになったとしても、
自分の願っていたと違う結果になったとしても、
それを受け入れることが幸せになってくるだろう。

だから、やはり神様の正義が、神様の御心がなされることが、
私たちの祈りなのだと思う。
「主の祈り」の
「御心の天になるように、地にもなりますように」という祈りは、
本当に大切な祈りなのだと思わされた。

私もこの詩人とともに祈りたい。
神様、あなたの正義を、
私の正義ではなく、人間の正義ではなく、
あなたの正義を打ち立ててください。
この地に正義を行ってください。

主よ、
あなたの御心がなされますように。
私がそれに従うことができますように。
それが私の願っていることと違っていても、
それを受け入れることができますように。

2009-12-29

chair と ash tray

今日は休日の中日。
でも、ずーっと、3日後の元旦礼拝のメッセージと、
5日後の日曜礼拝のメッセージの準備が頭の隅っこにあります。

出先ですので、一言だけ。

今日、あるところでtwo chairs を頼んだら、
two ash traysを持ってきてくれました。

もうgoogle音声検索どころの問題ではありません。
真面目に英語の発音を鍛えなければ・・・。

大晦日から週末の天気も、
もう、なんだか全然わかりません。
コンピューターモデルもバラバラ。


まあ、つまりdisorganized stormなのではないか、
東海上、またはメイン州の方に進んで行って、
『爆弾低気圧」状態になるのでは・・・
という感じです。


ですから、元旦は全然大丈夫かも。


明日の夜、まとめて更新します。

2009-12-28

Pearl

今朝は雪はほとんど降りませんでしたね。
そして、昼間はそれほど寒くなかったのですが、
夜になって冷えてきました。
今は夜の12時ですが、-2.1度です。
明日の朝は-7-8度まで下がると思います。
明日は寒い一日になりそうです。


New Year's Storm 2010ですが、
んー、わかりません。まだ。
今夜の00zのGFSでは、大晦日の夜雨で、
元旦には小雪になって終わる、という感じです。


あと3日ですから、そろそろわかってくると思うのですが・・・。


さて、3連休の初日ですが、
子供たちは休み+のんちは仕事、ということで、
子供たちとゲームをしたり、夕食の準備をしたり・・・の一日でした。
夜はゲストとゆっくりお話をするときが与えられました。
しばらく、このような時が持てないでいたのですが、
クリスマスが終わって、やっと時間を作りました。
このような時がどれほど大切か、と思わされます。
導いてくださった主に感謝。


そうそう、先週、中高生と大学生でNYに行ったときに、
帰りにピックアップをして、車で5th Avenueのブランドショップ街を通ったのですが、
そのとき、みんながMIKIMOTOを見つけて、
「これって、pearlとか売っているんでしょ」
という話になって、はい、お約束の「かきごおり牧師の英語の発音を直してあげましょう」タイムへと進んで行きました。


それで、Google音声検索。
pearlがまたむずかしい。
なんと80回以上やっているのですが、
正解が出ません。
「認識」の方の問題かも、と思って、ハジにやってもらったら、
一発で認識、サキも2回目で認識でした。


さすがに週末にはそんなことをしている暇はなく、
まだ持ち越しです。もしかしたら、「年越し」の可能性もあります。


晴れて認識されたら暁にはまた詳細を報告します。
いやあ、勉強になります。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇の81篇。


「しかし主は、最良の小麦をイスラエルに食べさせる。『わたしは岩の上にできる蜜で、あなたを満ち足らせよう。』」16節。

神様は私たちを豊かなもので養ってくださる方。
最高のもので養ってくださる。

でも、それは「岩の上の蜜」。
試練や悩みの中で、主は養い、必要なものを与えてくださるのだ。
やはり、私たちは万事順調であってほしい。
波風はない方がいい。
荒野の中を歩きたくはない。
暗闇の中を歩きたくはない。
でも、そのような中にこそ、神様は最高の蜜を準備されている。

「大胆に求めよ」と言ってくださる。

だから、試練の中でも、
戦いの中でも、
物事が順調に進まない中にも、
大胆に主に求めて行こうと思う。
いや、順調にいかないときにこそ、
神様に大胆に求めて、御業を見せていただきたいと思う。

主よ、
あなたの御業を拝させてください。
あなたが荒野の中で養ってくださるお方であることを、
経験させてください。
あなたを信頼して求めます。







2009-12-27

2009年最後の日曜礼拝。

今朝は暖かかったです。
起きたときは11度もありました。
でも、今は夜の10時前ですが、1.5度まで下がってきています。
明日の朝は多分雪が舞っているでしょう。


New Yeart Storm 2010(既に勝手に命名)ですが、
今日の12Zと18ZのGFSでは、元旦の明け方が雪のピークで、
big stormではない予報です。


5日後になりました。
要注目です。


今日は今年最後の日曜日、
旅行に出かけている方々も多かったのですが、
旅行で来られている方々も多く、
ゲストがたくさんの、明るい礼拝となりました。


聖霊様による自由を感じながら、礼拝を守らせていただきました。


その中で、またまた神様からのプレゼント。
今年は1年間、洗礼を受ける方が一人もおられないで、
私の牧師としての歩みの中でも、
また教会の22年間の歴史の中でも、
初めての経験で、ちょっと残念な思いがあったのですが、
今日の最後の礼拝に、今から12年前、私が初めての洗礼式をした時、洗礼を受けた姉妹が、数年ぶりに出席されました。
日本に帰っておられて、教会にも通うことができないでおられたのですが、
今年の秋からCAの方に留学のためにこられていて、
おとといからNYに旅行でこられていたそうです。
実は昨日クリスマスカードが届いて、そこに電話番号が入っていて、
「NYに行きます」ということだったので、
「携帯番号だったらいいなあ」と思って電話したら、ばっちり通じたのでありました。
そして、アメリカに来てから、友達に誘われて、また教会に通うことになった、
といううれしいニュースも聞きました。


一人の方の人生に奇跡を起こしてくださった主が、
またこれからも、多くの方々の心に触れてくださることを信頼させていただくひとときでした。


新しい年に大きく期待です。
月曜日の週休に加えて、火、水とお休みをいただいていますが、
まだ金曜日の元旦の礼拝も、日曜日の礼拝もどこからメッセージをするかさえ、
何も決まっていない状態+JOYJOYキャンプのビデオの編集を
年内締め切りと勝手に決めて、準備しているので、
まあ、祈りつつ、こそこそ仕事をしつつ、
主の前に静まって過ごしたいと思います。


さて、今日、12月27日の聖書。
今日は詩篇の80篇でした。


「あなたの右の手の人の上に、御手が、ご自分のために強くされた人の子の上に、御手がありますように」17節。

主の御手があること。
主が御手をおいてくださっていることが、
私たちの救いだ。

私たちの力だ。

私たちは自分の中に力がある訳ではない。
今日の礼拝でも語らせていただいたが、
聖霊様が働かれるときに、
自由に働いていただけるときに、
御業が起こされる。

私たちのがんばり伝道ができる訳ではないし、
神様に従って歩むことができる訳でもない。

主の恵みなのだ。

だから、私は祈る。
主の御手がおかれますように。
私の上に、私たちの上に、
教会の上に主の御手がおかれますように。

主よ、
どうか、あなたの御業がなされますように。
あなたが御手をおいてください。
そして、「信じて主に帰依する者の数が多かった」との使徒行伝の11:21の御言葉が、現代にも真実であることを見せてください。