2011-10-05

生きること。

夕方、スティーブ・ジョブズ氏が亡くなったというニュースが流れて、
FacebookもTwitterもその話題一色になった。

世界中のブロガーたちも追悼の文章を書いていることだろう。

自分もいろんなことを考えさせられていた。

今日の午前中は、ちょっと久しぶりに、のんちが被災地でのボランティアの経験の報告をする予定があったので、昨日の夜遅くまで、それを準備したり、いろんなことを思い出していた。

なので、おなじ一人の人の死でありながら、
ここまで世界中の人が悲しみ悼む死ってなんだろう、
ということも考えさせられていた。

でも、自分自身も惹き付けられていた。

ま、84年にマックが世に登場した時には、
それともまだ無縁の世界に行きていて、
日本で「ワープロ」とか一家に一台あればいい?
って感じの時だったので、何も知らなかった。
もちろんApple II とかは今見ても「これ何?」だ。

初めてアップル社の製品を手に入れたのは1992年だから、
スティーブはアップル社にはいない時代だ。
その後、進んだ大学は「マックなんて小学生じゃないんだから・・・。PCじゃないと論文書けないだろう!」という偏見の固まりのようなところだったし、その後のマックのマイナー化の波に乗り、ウィンドウズマシンを遍歴して来た。

そしてその次に手にするのは2008年まで下る。

だから、TwitterやFacebookで思い出を語る人々とは
ちょっと思い入れが違うことは確かだ。

でも、自分自身も彼には惹き付けられていた。

特にあの有名なスタンフォード大学でのスピーチは時々思い出しては聞いている。

その中の「もし今日が自分の人生の最後の日だとしたら、今日やろうとしていることを私は本当にやりたいだろうか?」という問いかけを、時々、自分に対して投げかけている。もちろん、クリスチャンである私にとってはそこに、「そして、それが神が私に対して求めておられることだろうか?」という問いかけも含まれるわけだが・・・。

だから、自分にとっては、彼の死は、「自分は生きているだろうか?」というチャレンジを与える。

それは、日本の震災の中で亡くなった方々や、またそこから立ち上がろうとしている方々から問いかけられていることでもあると思わされる。もちろん、神様からも。

「オマエは生かされて、そこに置かれている。オマエは『生きている』か?」と。

青空の中に。

・・・やはり、昼夜逆転中です。

昼間はぼーっとして効率が上がらず、
夜は元気で、寝るのがもったいないです。

ま、寝ますけど。

今までの経験では、がんばりすぎないでやらないとつぶれる、ので、少しずつ日常を取り戻そうと思っています。

この間の日曜日は午前中は近くの牧師不在となった教会の礼拝のメッセージのご奉仕をして、午後にはJCCNJの礼拝のメッセージ。

その午後のメッセージで最後のポイント、「神に聞くことの大切さ」を話しながら、自分はどこまで聞くことをしてきたか、と問われているように思いました。

やはり、じっとしているよりも動いている方が何かしている気分になる。
時間的な余裕なく動いていた方が、自分に価値があるような気持ちになる。

そんな中で、主に聞くことを大切にして、
主の許に休むことを大切にして、
そこから立ち上がって、いくことができるようにと、
自分の価値は、ただ、主に愛されていることの中にある、
そこから立ち上がって行くことができるようにと、
心から願わされます。

今回、ご訪問した方々の中に、
教会も自宅も流されてしまった牧師がおられました。
ご一家で他の場所に会堂を借りて、働きを続けておられます。

仙台市内の「その場所」に連れて行っていただきました。

初めてお会いした先生。
しばらくお話をした後、
遠慮がちに「行きますか?」と聞かれました。
私もお忙しい先生に運転手のようなことをお願いするのは申し訳ないと思いながら、それ以上に見物でもするかのように行くのは申し訳ないと思いながら、「もしよろしければ・・・」とお願いしました。お互いに心の距離感をはかりながら・・・。

「僕も久しぶりに行くんです。台風の後は初めてかな・・・」と言いながら、車の中で、二人きりで少しずつ少しずつ、思いを語ってくださいました。

わかっていました。
映像でいろいろ見ていました。
宮古でも壊滅的な被害を受けた町を訪問していました。
でも、山が海岸まで迫っている宮古と違い、
平野が広がる仙台の海岸部では、
「ここらへんは床上浸水」「ここは一階が水につかった」「ここは二階まで来た」・・・と少しずつ、海に向かって少しずつ被害が大きくなっていき、半壊の建物があちらこちらに残っているのが、リアルに津波の恐ろしさを感じさせられます。何百人も人々が避難した小学校も2階までガラスが割れたまま残っています。

正直に告白しますが、ちょっとだけ、「自分はまだあの余震の続いている中で、妻をこういうところに送っていたのか」と、何もわかっていなかったんだな、と思いました。

・・・そして、その先は草むらの中に家の土台だけが残った土地が広がっていました。

先生はいくつかの思い出を語られた後、言われました。

「私は、ここにお連れしたみなさんにお願いしているのですが、ここで一言、祈ってくださいますか?」

単なる巡礼地や、シンボルのように受け止めてはいけない、
ここには生活があり、宝物があり、思い出が詰まっていたところ、
それがなくなってしまったんだから・・・。
そのように思います。

でも、そのように思うからこそ、青空の中に高く掲げられた十字架こそが、
人々の希望となりますように、と祈らされました。祈っている中で熱い思いがこみ上げて来ました。

連れて来ていただいて、ありがとうございます。


シーサイドバイブルチャペルの内藤牧師と、教会のために、大きな痛みの中にある地区の皆さんのために祈ります。そして、この十字架が多くの人々の希望となりますように。この十字架によって立ち上がる方々が起こされますように。