2012-04-26

自分の気持ちに目を向ける。

ちょっと久しぶりになりました。
今週は子供たちが休みなのですが、
私も妻も休めないので(あ、いやこの言い方あまりよくないですね、「休まない」です)、子供たちはウチでゆっくりの春休みです。火曜日なんかは、自分たちで献立を考えさせて、料理させました。学校お休みバンザイですね。

で、今週はずっと涼しいです。
昨日の朝は3.5度Cでした。
今日も涼しくて、15度くらい。
明日はもっと涼しいようです。
そして、明日の夜は霜が降りるくらいの寒さになりそうです。

5月になると暖かくなりそうです。

さて、先週のヒラタケですが、
土曜日に収穫しました。



4つの傘が開いていた株だったのですが、
一番大きいもので一番大きなところが10.5センチ。
かろうじて10センチを超えました。

まず、自分で小さな2本で毒味試食。

美味しかったし、笑いが止まらないこともなかったし、
お腹も壊さなかったので、
翌日、The BRAVE(子供のプログラム)の先生たちにお出ししました。


ドキドキだった先生たちもいたかもしれませんが、
なかなか美味しかったですヨ。

また生えて来ないかな。

来週、NYでもたれる
に行ってきます。

そのために
という本を読んでいるのですが、
今日読んでいる中で、勧められていた「自分の感情を無視しないで、そこに目を留めること」をしてみました。そしたら、やっぱり自分は自分の感情に対して、あまり注意を払って来なかったし、大切に思って来なかったし、否定してきた部分も多いなあと思いました。「大したことない」と軽く見ていたのだと思います。「自分の感情なんて、しょうもないものなんだから、振り回されたくない」と思っているのだと思います。がっかりしたり、怒ったり、うれしかったり、そういう自分の気持ちは放っておいて、理屈で自分のなすべきことをコントロールしてきたのだと思います。でも、そういう感情は無視されているなかで、溜まっていきますから、甘えた思いやいじけた思いが心の中に渦巻いてしまうこともあったと思います。そして、自分がそのようにしてきたことを周りの人にも期待してきたんじゃんじゃないかなと。ですから、人の気持ちを汲み取ることは、本当にできないでいました。そこらへんのこと、 全部がつながっているように感じました。

まだ、自分の感情を無視しないでそこに目を留める・・・ということは、自分にとってコワいことですし、まだ自分の思い=「わがままな欲望」みたいな感覚がありますし、戸惑うことばかりです。でも、少しずつ、この面にも神様が触れてくださるようにと祈ります。

今週の「日々のみことば」から。
今はヤコブの手紙を読んでいますが、日曜日に読んだ言葉から。

「人の怒りは、神の義を全うするものではないからである」1:20。

人のことはよくわかります。
ああ、あの怒りは義憤の形をしているけど、自分のための怒りだな。人を傷つけ、自分を傷つけ、関係を壊し、自分だけには見えていないだろうけど、バレバレだよ・・・と。

でも、自分が義憤だと思っていることはどうでしょうか?
私が怒りを感じていることはどうだろうかと。

私の怒りは義憤のように見えても、そのように思っていても、神の義とは違う。

自分の心が探られるような思いがしました。

神様、
私が怒りを感じる時、
その怒りを否定しないで、受け止めることができますように。
そして、それを人に向かってぶつけるのではなくて、
自分がどうしてそのように感じてしまうのか、
それを知ることができますように。
そして、それをあなたに取り扱っていただけますように。