2008-11-22

まるで真冬。

今日も寒かったです。
朝は-6度。
でもそれよりも、昼間の寒さが異常でした。
最高気温が0.3度。
かろうじて真冬日を逃れました。


今、夜の12時前ですが、もうすでに-4.7度まで下がっています。
朝は-7度くらい。



明日は今日よりは暖かくなるでしょう。
でも、昼間もせいぜい5度止まり。


寒いです。
おかげであちらこちらで
「風邪ひいた」
「熱出した」
との声が挙がっています。
私は10日前の風邪がいつの間にか治っています。
いつ治ったかわかりませんが、
今日、「あれ、風邪が治ってる?」と思いました。
ありがたいことです。
神さまが与えてくださった健康に感謝。
これは特別なことだと思わされる今日この頃です。


でも、明日は教会の感謝祭礼拝。
礼拝後には愛餐会もあります。
たくさんの方々と礼拝を共にすることができますように。
心からの感謝を神さまと人々に表すことができますように。


今日は4回目のJOYJOYシンガーズ練習。
新人が3人!
常連が3人休みで、結局13人でしたが、
まだまだ「行く」発言がある方々がおられるので、
今後増えていくだろうと思います。


そして、初舞台は21日のJOYJOYクリスマス。
練習もあと4回です。
いよいよ詰めていかないといけません。
仕上げていかないと。
そしてみんな緊張するでしょうから、
緊張しても大丈夫なくらい、
ばっちり仕上げておかないと。


さて、今日の聖書は詩篇の66篇1-9節。


「さあ、神のみわざを見よ。
  神の人の子らになさることは恐ろしい。
  神は海を変えて、かわいた地とされた。
  人々は川の中を歩いて渡る。」(5-6節)

英語で読んだ時に、「Come and see」という呼びかけが心に留まりました。
来て、見てご覧なさい、というのです。
そしてそれは何かというと、
神さまが海を渇いた地にされた、ということ。

私たちの目の前に広がる困難、
それに、主は海を渇いた地にするように、
道を開いてくださる。

それをほんとうに信頼しました。
そのことを主がしてくださると。

だから踏み出していくことを恐れないでいたいと思います。
恐れないで踏み出していきたいと思います。
踏み出した時に開かれる道もある。
それまで見えなかったところに見えてくる道もある。
インディージョーンズにもそんな場面がありましたね。

主がそのようなことをしてくださいますように。

主よ、
あなたが海を渇いた地にしてくださる方であることを感謝します。
単に昔の出来事ではなくて、
どこかの信仰の勇者のためにしてくださったことではなくて、
私の人生にそのことを見せてくださいますように。

2008-11-21

とうとう負けた。

今日も寒かったですね。
朝は-5度くらい。
昼間は3度くらい。
雪の予報は完全に外れ、
夜になってぐんと冷えてきています。
今は真夜中の12時頃ですが、
-4.9度です。


明日の朝は、-7度くらい。
昼間も0度くらいまでしか上がらないようです。


いやあ、いきなり真冬です。


で、とうとう、今日からパッチをはき始めました。
今年はがんばろうと思って10月中は持ちこたえて、
11月も後半になったのですが、
さすがに昨日の夜から今朝にかけての寒さで足が冷えてしょうがない。


で、今朝、履きました。


あったかい、です。


これでもう3月までは離せません。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇の65篇。


「私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の
  良いもので満ち足りるでしょう。」4節。

私は神さまの良いもので満ちているだろうか、
霊的な良いもので満たされているだろうか、
自分の状態を省みる時を持ちました。

自分が満たされることが、
教会が満たされることにつながっていく、
教会の一人一人が満たされることにつながっていく、

だから、私自身が神さまの「良いもので満たされる」という経験を、
もっともっとしていきたいと思いました。

今朝の祈りの時も決して「豊かな一時」となっていないと感じていました。
でも、この言葉が心に響いてきた時に、
また応答として、「私を満たしてください」と祈り始めた時に、
神さまが引き寄せてくださっていることを、
神さまが御許近くに招いてくださっていることを感じました。

日々の祈りの時が、また日曜日の説教の準備が、
「良いもので満たされる」ところとなりますように。

主よ、
あなたは私を良いもので満たしてくださる方ですから、
感謝します。
どうか、あなたが明日の祈りの時も、
日曜日の準備の一時も、
あなたの持たれている、良いもので私の心を満たしてください。

2008-11-20

さぶいです。

今日も寒かったですね。
小雪も時々舞いました。


朝は-1度くらいでしたが、
風もあり、どんよりして、寒かったです。
最高は4.5度。
今は夜の9時半ですが、
すでに-1.5度に下がっています。


明日は今日よりももっと雪が降りやすく、
場所によっては薄化粧するかもしれません。


今晩の我が家での出来事。
JOYJOYキッズクラブを終えて、帰ってきて、
ちょっと遅めの夕食を食べようとみんな集まってきたところで、
突然、ハジが、一番下の妹サキに「今なんて言った?」って大声で怒っています。
英語で・・・。


いつも「やさしい or 無関心で我が道を行く」兄貴が急に大きな声を出したのでサキはちょっとびびっています。10歳年下の妹に対して突然声を荒げるハジにちょっと親もびっくり。


そしたら、真ん中のユキまで、「それはとってもbad wordだよ!」と言うではありませんか。・・・英語。


親は二人で「ぽかーん」です。はい。
サキがなんて言ったのか聞こえませんでしたし、聞こえていても全然「bad word」だとわからなかったでしょう。


「どんな意味かわからなかったんだよ」とサキ。・・・英語。


「だったら、とにかくその言葉は使うな。」とハジ+ユキ。高校生二人。・・・英語。


まだ言い訳をしようとしていたサキにちょっと助け船。


「こうやっていってもらえるのはいいことなんだよ。教えてくれなかったらわからないでしょ。さあ、ごめんなさい、だよ」と父。・・・日本語。はい、もちろん。


家は私ものんちも英語が苦手なので、
家の中は日本語と決めてあります。
ハジが結構日本語が好きなので、
英語ばっかりにはなりませんが、
でも、兄妹の中では英語が結構飛び交います。


親はわからないいろんな言葉が飛び交っていて、
時々は「どういう意味?」とか聞きますが、
相手も面倒だろうなあ、と、あんまりしつこくは聞きません。


でも、こうやって、お兄ちゃんやお姉ちゃんに何が言っていいことか、悪いことか、教えてもらえるサキはほんとうに幸せもんだと思います。
いつもは3人バラバラで、3人一人っ子を育てているみたいだ、なんて言っているのですが、なんか、やっぱり3人兄妹なんだよなあと感じた一時でした。


あと9ヶ月ほどで、ハジが大学に進んだら、こういうこともなくなるんだなあ、とちょっとしみじみ思ってしまいました。


さて、今日の聖書。
今日はマラキ書の最後、4章を読みました。


「しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、いやしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。」2節。

昨日に引き続き、「正しい裁きをされる主」ということを考えさせられました。
主は必ず正しい裁きをしてくださって、
私たちに太陽を昇らせ、私たちを喜びにあふれて飛び回るようにしてくださる。

だから、やはりどこまでも、ただ、自分にあたられた使命を、ひたすら、果たさせて頂きたいと思いました。周りに振り回されないで、主の使命を果たさせて頂きたい。

ただ主だけを見つめて、前進していきたいです。
主の正しさを信頼して、主の公平を信頼して、
前進していきたいと思いました。

主よ、
あなたの真実を信頼します。
あなたがいつも公平な方で、
正しいことをしてくださる方であることを信頼します。
自分のなすべきことを忠実に果たしていくことができますように。

寒い!

一気に寒くなりましたね。
今朝(19日)は最低気温がいきなり-5.4度でした。


今日の昼間も風が強くて気温は低めでした。
というか、寒かったです。最高が2.3度。
今、夜の12時過ぎですが、-0.7度です。


明日は曇り一時雪。


また寒い一日みたいです。


今日は3つ集会がありましたが、
それぞれ味のある、いい集会でした。
お話ししている時も、神さまの助けを感じました。


主が祝福してくださっていることを感じます。
明日は祈り会とキッズクラブです。
大きく期待したいと思います。


さて、19日の聖書。
19日はマラキ書の3章13-18節。


「神に仕えるのはむなしいことだ。」14節。

神さまに従わない人も結構楽しくやっている。
神さまに従う人も、いろいろ苦しみがある。

だったら、なんのために従うのか、
そんなのはむなしいのではないだろうか。

そんな声に対する神の答えは、
「いつまでもそうなのではない」ということだ。

この言葉は口語訳では、
「神に仕えることはつまらない」と訳されている。

私自身はそこまで感じたことはないかな。
神さまに仕えて、他の人がもっと幸せそうに見えても、
自分とその人とを比べる、ということは全然思いつかない。
・・・と思う。

だいたいこういうことを書いた後には、
「ほんとうにそうか?」と問われるような事件が起こるものだ。

もしも、そういう出来事が起こった時にこそ、
この聖書の箇所を思い出そう。思い出させて頂きたい。

そして、決して貧乏くじを引いたのではない、
神さまの使命の中に生かされているのだ、
そしていつまでもこの状態が続くわけではない、
ということを信じて、ただただ、自分の使命に熱く生きていきたいと思います。

主よ、
今、「主に従うことはつまらない」とは思わないです。
エキサイティングです。そのような思いが与えられて感謝です。
どうか、これからの歩みの中で、そのような思いにとらわれた時に、
この聖書の言葉を思い出すことができますように。
あなたの真実を信じて歩むことができますように。




2008-11-18

My 初雪。

はい、とうとう、今朝、My 初雪 in winter of 2008-2009でした。


今朝、5時50分頃、家を出る時、ちらほら降っていました。


その後も降ったようですが、
気がつきませんでした。


今週、何度もチャンスがあるようですので、
personal 初雪がまだの方は、めげずに、窓の外に注目です。
特に木曜日の朝はビッグチャンスです。
あ、小雪ですけどね。


今朝は最低気温が-1.1度。
今日の昼間も4度くらいだったでしょうか。
ほんとうに寒い一日でした。


今、夜の10時半で-1.6度です。
-4度くらいまで冷えそうです。


さて、今度の日曜日はサンクスギビング礼拝。
その後には、愛餐会もあります。
ご近所の方、どうぞ。いえ、遠くからでも大歓迎です。




昨日の「iPhoneで~も~も一つになって・・・」という中で、
「楽器になる」というの、書かなかったですね。





もうちょっとそれっぽい音が出て欲しいような気がしますが、
これはまた楽しそうです。


Amazing Graceの吹き方なんかも出てきます。


有料ソフトなんで、まだ試してはいませんが・・・。
99セントなんですが・・・。


さて、今日の聖書。
今日はマラキ書3章7-12節。


「それは、十分の一と奉納物によってである。」8節。

今日はこれを英語で読んでみて、
気がついたことがあったのですが、
そこにはtithe and offeringと書かれていました。

titheは十分の一献金で、
与えられたものの十分の一を主のもとに持ってくる、という意味ですよね。
offeringはささげもの、
感謝と喜びを持って、主のもとに自発的に持っていくものですよね。

何か、今まで自分の中でこの二つが混乱していたのかもしれません。

子どもの頃から教会にいた私は、今までtitheになんの疑問を持ったことも、
もったいないと思ったことはありません。
ですから、いつも、titheはしてきました。
でも、果たしてoffering、つまり感謝と喜びをもって、
主にささげものをしているか、と問われたように思いました。

つまり、「とうぜんすべきもの」として献金をおささげしていますが、
それで終わってしまって、「感謝と喜びをもって自発的に」ささげものを主のもとに持っていっていなかったように思うのです。

感謝と喜びを表す者でありたいです。

主よ、
感謝します。
これから、心からの感謝と喜びを持って、
主に大切なものをおささげする喜びを経験させてください。
あなたの前に献身の思いを持って、出ていくことができますように。

2008-11-17

長いものには巻かれろ。かな?

今朝は0.4度。惜しかったですね。
でも、今夜は絶対氷点下、
っていうか、夜の11時で0.2度。


今夜は20パーセントで雪の確率さえあります。


さあ、明日の朝、どうなっていることでしょう。


今日、やっと家の落ち葉集めがほぼ終わりましたが、
これ、早く持っていってくれないと、
その前に雪が降ると、めんどくさい。
というか、除雪で葉っぱもどけられて、
きたなくなる・・・。
明日来てくれないかなあ。落ち葉集めのトラック。


昨日、「桶の水は流しても赤ちゃんは流すな」とよく言われますが・・・
と話したら、そこにいた方はだれもご存じなかった。
そういう時って、「えっ、間違って使ってるかな?」って不安になります。
でも、今回は、私の正解。

Don’t throw out the baby with the bath water.


ってのがあるみたいです。
http://www.bartleby.com/59/3/dontthrowout.html

問題があるからといって何かを捨てる時に、
捨ててはいけない大切なものを一緒に捨てることがあるから、
気をつけろよ、
そういう意味の言葉です。


「長いものには巻かれろ」
これは、強いものには従っておいた方がいい、
ということなんでしょうかね。


ちょっとそれとは違うかなあ、とも思うんですが、
「多数派につくのは、結構いいことなんだ」ということが
世の中には時々あります。


だいたいは間違っているのですが(これは変な信念かも・・・)、
時々、ホントにそうだなあと思います。


子どもの頃から、結構みんなと同じのがいやだったと思います。
東京に住んでいながら、
自分が大阪生まれという自覚があったからか、
「近鉄ファン」。


仮面ライダーよりも、連想ゲームの方が、
あ、もっというならば、天気予報の方が好きな子どもでした。


中学や高校で何かテーマを決めて調べる時にも、
ちょっとみんなと違うことをやってみたい方でした。
だれも選ばないようなことを選んでいました。


そんなんでしたから、
2年前に携帯で日本語が通るようにしようと思った時に、
Symbian OSのNokiaを使い始めた時は、
少数派の機種を使っていることに結構誇りを持っていました。
http://njotenki.blogspot.com/2006/10/blog-post_22.html

とか
http://njotenki.blogspot.com/2006/11/blog-post_116287371776741356.html



でも、なかなか完全とは行かなくて、
日本語はあまり使い物にはなりませんでした。
日本語でメールを打つと、出す直前に落ちるのです。
一生懸命打ったのに(それもテンキー入力)、
それがパーになってしまう。それがあるともう怖くて、
携帯ではメールは送らなくなっていきました。


それに何よりも参ったのは、
それまでClieでうまく使っていた、
住所録が、あまり管理できなくなってしまったこと。
PCとの同期とかでいろいろトラブルが多すぎました。


そして、Symbianで日本語を使う人の絶対数が少なすぎる。
少ないと情報も少なく、解決法もなかなか見つからない。


で、何事もなく2年が過ぎたので、機種変更。
今回、2ヶ月ほど前から
リンゴ印の携帯をつかうようになってから、
標準で日本語が使える ことがこんなに楽なことかと、
感じています。


日本に住んでいる方には、こいつは決してそれほど魅力的ではないようですが、
アメリカに住んでいる日本人にはホント魅力的です。
何をしたいかにもよりますが、
日本語と英語の住所録が一括管理できて、
並び順もばっちり(今までは、日本語はめちゃくちゃ)。


たくさんのソフトも入れられるし。


口語訳の聖書なら、タダで、持ち運びできますし。
英語の聖書はいろいろたくさん。
ギリシャ語の聖書も最新の研究が反映されているものをのぞけば、無料で持ち運びできます。
電子辞書も入れることができますね。(まだ検討中)


ネットで検索をすれば、いろんな情報が見つかるし。

たくさんの人が使っているものを使うのは、こんなにいいことかと
実感しています。



ちなみに9月下旬のミシガンの結婚式の写真は
iPhoneで写真を撮って、
そのままメールでコメント付きで送ったもの。

予定表も標準のはあまり見やすくないですが、
「さいすけ」を入れたら、
これ一つでいいかな、と思います。
(今まではまだ紙の手帳の方がいいかな、と思っていました)

迷った時には自分の居場所を教えてくれます。
カーナビまでは行きませんが、目的地までの経路は教えてくれます。
(この先100メートルを右折です、とか言ってくれません。今のところ)

手帳と携帯と電子辞書と聖書と地図とmp3Playerと目覚ましとカメラ(あんまり性能は良くない)と写真入れと、もっといろいろ、みんな一つですむんですからね。助かっています。ま、確かに日本の携帯のように「財布」「定期券」までこれに統合できたら、これはまたすごいことですよね。NYの地下鉄とか、いつかはそんな日が来るんでしょうか・・・。(あと、アイロンとドライヤーと歯ブラシあたりも統合されたらいいのに)

さて、今日の聖書。
今日はマラキ書の2章17節~3章6節。

「さばきの神はどこにいるのか」2章17節。
これまで、こういうところ、つまり
「正しい裁きを与えてください」
という言葉を読むと、
自分が正しくて、向こうが間違っている、
ということを決めつけているかのように思えて、
「そんなことを祈っていいのだろうか」と思っていました。
でも、今はそれはあまりにナイーブな考え方だと思います。
今朝も、ひき逃げのニュースをやっていました。
酒を飲んで運転して、逃げて、何キロも引きずって殺してしまう酔っぱらい。
ひどすぎる。
また北朝鮮に子どもを拉致されたお母さんが90代でなくなったというニュースもやっていました。どんなに怖く、不安で、孤独で・・・と思うといたたまれなくなります。
正しい裁きが必要です。
正しい裁きを求めます。
神さまが正しく裁いてくださいますように。
私もこのマラキ書に出てくる人々のように
正しい裁きを求める自分がいました。
自分が痛みを覚えないと、わからないと思います。
正しい裁きを求める祈り。
自分が不当な扱いを受けたり、中傷されたりしないとわからないと思います。
正しい裁きを求める祈り。
主よ、
正しい裁きをなさってください。
あなたを信頼します。
あなたのなさることを信頼します。
隠れたものはいつかは明らかにされる。
そのような御業をなしてください。

2008-11-16

御声に従う。

今日、礼拝や教師会で分かち合ったのですが、
金曜日の夜から、今朝にかけて、
「十字架と飛び出しナイフ」という本を読みました。
Times Square ChurchのDavid Wilkersonという有名な伝道者の、
NYでの働きの始まりについて書いた本です。


元々、ペンシルベニアの山間の小さな町の教会の牧師であった彼が、
どうしてNYでの働きを始めたのか、
今から50年も前の話ですが、
とても大きな感動を覚えながら読みました。


子どもの頃から親父の書斎の中にあった本で、
なんで今まで読まなかったんだろうかと思いますが、
金曜日の夜に読むきっかけが与えられたのは、
ほんとうに神さまの導きだと思います。


さすがに翻訳とか、ちょっと古くて、
またNY近郊に住んでいる者にとっては、
この地名の訳し方、何とかしてくれよ、と思うのですが、
閉口しながらも、その内容に圧倒されていました。


彼が神さまに従った時に、
最初は「どうしてこんなことになってしまったんだろうか」と、
自分の失敗に落ち込んだようですが、
それが神さまの御手の中で、決して失敗ではなくて、
彼がNYでギャング団の若者たちとのつながりを持っていくために、
用いられたことだったのだということに、
表面的な成功失敗ということにとらわれないで、
目的がよくわからなくても、
ただ、聖霊様が語ってくださることに、
忠実に従っていくこと、
その大切さを思わされました。


単純に、神さまが語ってくださることに、
従う者でありたいと思います。


理屈で考えすぎているかもしれません。
今の私たちは。


さて、今日の聖書。
今日はマラキ書の2:1-16でした。


「『なぜなのか』とあなたがたは言う。それは【主】が、あなたとあなたの若い時の妻との証人であり、あなたがその妻を裏切ったからだ。彼女はあなたの伴侶であり、あなたの契約の妻であるのに。神は人を一体に造られたのではないか。彼には、霊の残りがある。その一体の人は何を求めるのか。神の子孫ではないか。あなたがたは、あなたがたの霊に注意せよ。あなたの若い時の妻を裏切ってはならない。」14-15節。

心の純潔、ということを思わされました。
カラダの純潔ということはもちろんですが、
心の純潔も大切だと思いました。

心の思いの面でも、妻を裏切ることがないように、
守って頂きたいと思いました。

神さま、
どうか、私の心を守ってください。
純潔を守らせてください。
弱い、愚かな、危うい私を、あなたが守ってください。

平安。

昨日は、早く休みたかったので、
更新を休みました。
今朝、起きたら3時でしたが・・・。
まだ、こんな時間かと、ベッドの中でぐずぐずしていましたが、
神さまに「そろそろ起きたら?」と言われたような気がして、
起き出しました。


ちょうどそのころ、寒冷前線が通った頃だったようで、
気温は10度以上ありましたが、
5時半に教会に行く頃には7度まで下がっていました。


今、夜の9時半ですが、4.4度です。
明日の朝は氷点下に下がるんじゃないかと思います。


今週はずっと寒いようです。


何回か小雪の予報が出ていますが、
MY初雪はどうなることでしょうか?


GFSでは土曜日の夜から日曜日の朝にかけて
snowstormの予報さえ出ています。


ちょっと要注目です。


「しまじろう」以来、
ちょっとねらいすぎているかなあ。自分。
逆に何か書きづらくなってきてしまっています。
まだまだ青いですねえ。

自然体で、「日々の祈り」に焦点を当てて、
つづっていきたいと思います。


そういう自分の気持ちを認めようと思ったら、
ちょっと楽になりました。


平安。


今日の一日を感謝します。
平安のうちに日曜日の夜を迎えられることに感謝します。


さて、昨日、土曜日の聖書。
土曜日はマラキ書の2章1-9節。


「祭司のくちびるは知識を守り、人々は彼の口から教えを求める。彼は万軍の主の使いであるからだ。しかし、あなたがたは道からはずれ、多くの者を教えによってつまずかせ、レビとの契約をそこなった。」(7-8節)

私も一人の説教者として、
神さまのメッセージをストレートに語っているか、
問われたように思いました。

また、今日、この聖書の箇所をここに書きながら、
今日の礼拝において、
この点について忠実だっただろうかと問われているように思いました。

主が語ってくださったと思うことを語る。
主が示してくださったことを語る。
そのようにしたいと今日は本当に心から思わされました。

「今日はこの聖書箇所だから、このことを語る」という
何か機械的なことではなくて、
主がその中で、私自身を取り扱ってくださったことを、
語らせて頂く、
そのような情熱と喜びにあふれたご奉仕をさせて頂きたいと思います。

主よ、
私はあなたのメッセージを語ったでしょうか?
私はあなたのメッセージを語っているでしょうか?
忠実な者、誠実な者としてください。
表面的なところに終わってしまうことがないように、
私の心の深みまで、触れてください。