2007-12-31

感謝。

昨日の予報はずれましたね。

昨日寝る時には2度で雨。
そして、朝起きたら1.2度で晴れ。

その間に何があったかはわかりませんが、
雪化粧はしていませんでした。

そして、今日は一日晴れ。
このあと曇ってきて、
明日は雨になるようです。

今は夜の10時45分。
今年もあと1時間あまりの時点ですでに
氷点下0.9度です。

今年一年を振り返って
やっぱり今日、感謝が湧いてきます。
もちろん、きついことや悲しいこと、
「どうして・・・」ということもありました。
まだ解決を見ていなかったり、
どのようにしたらいいか迷うこともあります。

でも、やはり感謝が湧いてきますね。

なんだろうと、
今日、車の中で、家族と話しながら、考えたら、
やはり新しい方向性が見えてきたことでしょうか。
何が教会にとって大切なことか、
見えてきたことでしょうか。

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」
ヘブル12章2節。

そのことの大切さが見えてきて、
何か本当に平安です。

だから、感謝します。
そして礼拝でお話ししたように、
主に祈りつつ進んでいきたいと思います。

やはり教会は神様の奇跡を見ながら歩まないと・・・。

それから、今年はちょっと健康のことも曲がり角。
基本的には元気なのですが、
今年は元旦から1週間、
それから5月の修養会の時、
1年で2回もかなりひどく体調を崩して、
教会の皆さんにご迷惑をかけました。

それから、膝の痛みがとにかく手すりがなければ階段が上れないくらいになってきました。
こんな小さないくつかの弱さも、なってみないとわからないものですね。

ちょっとくやしいというか、
でも、大切なことですよね、
その小さな弱さを受け入れていくこと。

(ホントは、明日教会でバレーボールができるように着替えと靴を持っていこうかと思っているのですが・・・。)

アレルギー以外でお医者さんに行くことも余り無かったのですが、
これからは、ちょくちょく、お世話にならないと・・・です。


さて、今年最後の聖書。
今日はガラテヤ人への手紙の6章を読みました。

「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。」14節。

私の好きな聖書の言葉の一つですが、
今日はその一番最後の「私も世界に対して十字架につけられた」という言葉も心に深く留まりました。

私と世界との関係にも、十字架が、イエスの十字架がそこに立っている。
そして、私もすでにこの世界に対して死んでいる。

世界に対して何か自分がアピールする必要もない。
何か認められる必要もない。
ただ、イエスの十字架が見られてほしい。
イエスの十字架に感動する人々が起されてほしい。

本当にそこに生きる、徹底的にそこに生きる者でありたいと思います。

主よ、
この一年に感謝します。
一つ一つの出会いに感謝します。
一つ一つの出来事に感謝します。
あなたとの関係がもっと深くなったことに感謝します。

どうか、これからも、あなたとの関係の中に
生きることができますように。

出会った一人一人のうちに神様、あなたの守りと祝福がありますように。

明日から、「日々のみことば」を使って、
聖書を読みます。
聖書箇所はこのページの右の上の方に出ています。

今11時24分・・・今年もあと36分です。

2007-12-30

あと1日。

今日は夕方からみぞれ、
でも、夜になって雪になるどころか雨になりました。
今、夜の10時で1.9度。
雨が降っています。

このあと、雪に変わる予報が出ていますが・・・。
10センチは行かないでしょう。

そして、明日は一日どんよりで、
夜はまた雨か雪。

今年も明日一日で終わりです。

元旦の朝も雨か雪。

今年の元旦は暖かかったですからねえ。
去年の大晦日は雨。
その前の年は雪。
3年連続の雨か雪の年越しみたいですね。

今日の礼拝、祝福の中で守られました。
語る中での自由も感じました。

その中でお話ししたBrooklyn Tabernacleの
Jim Cymbala牧師のお話がGoogle Videoにありました。

ちょっと長いですが、大晦日、新年で、
時間がある方は是非、ごらんになって下さい。

残念ながら英語のみなんですが、素晴らしいメッセージです。
このビデオ、直接頂いたので、
個人的に
コンピューターで日本語の字幕を入れて
教会の皆さん用にDVDにしようかとも思ったのですが、くじけました。

日本では出回っていないのでしょうか。

さて、今日の聖書。
今日はガラテヤ人への手紙5章を読みました。

「御霊によって歩みなさい。」16節。

ずーっと読んでいると、
神様に喜ばれるためには・・・と「律法」に縛られることと、
「なんでもいいや」と身勝手な生き方になるのと、
どちらに対する警戒も書かれているんですね。

で、最終的には、
「御霊によって歩む」ということが、
大切なんだと思います。

で、その結果は・・・
「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」
なんですね。

一つ一つの項目が心に留まりました。

聖霊様によってこのような歩みがしたいです。

逃げではない寛容。
我慢ではない自制。
軽薄ではない喜び。

聖霊様によってこれらの実を実らす者でありたいです。

主よ、
どうか、私を聖霊によって満たしてください。
どうか、御霊の実を結ばせてください。
御霊によって生きることを経験させてください。

元旦からは「日々のみことば」を読みます。
中身は著作権の問題があるので、
書けませんが、その日その日の聖書箇所は、
明日、表にしてアップしておきます。

2007-12-29

神の力

今日は暖かくなりました。
昨日の夜の雨も上がって、
晴れたせいか、暖かでした。

ほぼ一日教会オフィスでしたが・・・。

今は夜の11時半ですが、
1.7度。
今夜は氷点下でしょう。

そして、明日の夜は雪。
雨も混じるようですが、
まあ、雪のようです。

どれくらい降るか・・・。
まあ、10センチ以下だと思います。
でも、一瞬「降りしきる」ポイントがあると思います。
そして、大晦日の朝には上がります。

でも、またその夜から、元旦にかけては雪や雨。
こっちは大したことないみたいです。

そして、そのあと、2日から5日くらいは、
久しぶりの冷え込みになるようです。
朝晩は-10度近くまで下がって、
昼間も氷点下。

でも、でもですよ。
そのあとは、暖かくなるようです。
しばらく暖かいです。
「暖冬」の預言が実現する予感です(ちょっとあいまい)。

で、今日は教会に一つのDVDが届いていました。
アメリカの爆撃機で日本を空爆して、その後捕虜になり、
その収容所の中で、聖書によって、生まれ変わって、
日本に宣教師としてやってきた
デシェーザー氏のドキュメンタリーです。
英語なのが、残念ですが、
家族とか、戦友たちが出てきていろいろ証言をします。
私も何度か文章で読んでいましたが、
これはまた映像になるといいですね。

From Vegeance To Forgiveness
インターネット上で見れるみたいです。

日本語版はないのでしょうか。

でも、日本軍の捕虜として、ひどい目にあって、
戦友たちが何人も処刑されたり、
待遇の悪さに獄死したりという経験のある
彼が、日本を愛して、日本のために一生をささげたことは、
本当に信じられない思いです。

「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、わからないでいるのです」という十字架の上でのイエスの言葉が彼の心をとらえたのですが、それと共に、最後に奥さんが言っておられたのは、「赦す、ということでも最初の一歩を踏み出せば、あとは神様がやってくださる」んですね。神様の力はすごいなあと思います。

さて、今日の聖書。
今日はガラテヤ人への手紙4章でした。

「神は『アバ、父』と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。」
6節。

聖霊様の働きに目が留まります。
聖霊様が、私たちの心に神様のもとで、安心して休める、
信頼して安らぐことのできる平安を与えてくださる。

私たちは一生懸命、一生懸命、
神様に喜ばれようとしたり、
神様のために・・・とがんばったりするけど、
聖霊様は、私たちが安心して、主のもとで過ごすことができるように、
助けてくださる。

聖霊様をもっともっと求めたい気持ちになりました。
聖霊様に満たして頂きたいと思います。

今日見たそのデシェーザー宣教師の話の中にも、
彼に導かれた日本の方々が、
彼の中に何かがあふれていた、と話していました。

私の中に、聖霊様による平安があふれますように。

聖霊様、

どうか、私のうちにあふれ、
主の前に平安のうちに歩むことができるようにしてください。
安心して、主の御許で過ごすことができますように。

主よ、
感謝します。
あなたを父と呼べることのできる者としてくださったことを。

2007-12-28

ちゃんと寝ないと・・・

さて、今日はどんよりじゃなかったですね。
昼過ぎまで結構スカッと晴れていました。

朝は1度くらい。
そして昼間は8度くらいまで上がりました。

そして、夜は雨。

12時過ぎまで降り出さない、という話だったので、
休みなのにどこにも連れて行けない娘たちを、
今日の夜、先日、車の中で寝ていて見れなかった時のリベンジで、
ロックフェラーセンターのクリスマスツリーを見に、
連れ出しました。

ちょっと離れたところの路上に
車を停めて、歩いたのですが、
近くに行ったらまるで年の瀬のアメ横。
はぐれちゃいけないと、
6歳の娘の手をしっかり握って歩いていたら、
自分が子供時代を思い出しました。

マンハッタンのミッドタウンととアメ横。
全然違うのですが・・・。
グッチとか、カルチエとか、アメ横にはないし・・・。
おいてあったら、ちょっと怪しいし・・・。

でも、自分の印象の中ではなんだか重なっちゃいますねえ。

で、着いたら、いきなり雨。
ちょっとだけ見て、写真とって、
ちょっとだけ、Saksの外側見て、
(外側だけ。中はちょっとね・・・)
30分くらいで帰ってきてしまいました。

で、今度の大晦日Stormというか、
Sunday Night Stormというか、
やっぱり来るみたいです。

でも、まだ東にそれる可能性も残っていて、
確率は60パーセントくらいのようです。

来ても、雪は6-9時間で終わる、
3インチくらいの、「ちょいStorm」みたいです。

詳しくはまた明日・・・

さて、昨夜は9時台に更新して、10時頃にはもう寝てしまいましたが、
今朝もしっかり6時台まで休んでいて、
「いやあ、よく寝た」という感じでした。

先日などは、3時間睡眠とか続けていたら、
人と聖書研究をしている最中に
睡魔に襲われて、
宿題を出しておいて、自分は、
「ちょっと休んでいいかな」と5分間だけ、
座ったままうとうととさせて頂きました。
そして、スカッと目が覚めて、
聖書研究を続けました。
人生初めてです。
人と聖書研究をしている最中に休ませて頂いたなんて。

つくづく、「寝不足はいかん」と思った次第です。

で、「寝る」つながりで、

最近聞いたH氏の話。

ちょっとのどを痛めたH氏。
咳き込んで、家族を起しちゃいけないと、
一人居間で寝たそうです。
ところが、ホットカーペットをつけていた。
本当に気持ちよく寝たそうな。
気持ちはわかります。
ホットカーペットは幸せな気分にしてくれます。
こたつなんかもそうですよね。

で、起きたら、背中がひりひり痛む。
なんだろうと思ったけど、
ホットカーペットのせいだなんて思ってもいなかったH氏。

なんと、こともあろうに、次の夜、
やはりホットカーペットの上でねたそうな。
今度は、ひりひり痛む背中をかばい、お腹を下にして・・・。

翌朝・・・そうです。
お腹もひりひりしていたそうです。

1週間両面ひりひり状態だったそうです。

でも、怖いんですよ、低温やけど。

お気をつけ下さい。

まあ、お元気そうですけどね。H氏。

長くなりました。
聖書に行きます。

今日はガラテヤ人への手紙の3章を読みました。

「あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。」
2節。

何度も何度も読み返しているうちに、
この言葉が響いてきました。

今、また聖霊様を与えられるためには、
たくさん条件があるような気がしている。

熱心さ、罪から離れること、祈ること、求め続けること・・・
どれも大切なことだと思うし、
またパウロが言うところの「律法を守る」ということとは全然レベルの違うことかもしれない。

でも、いつの間にか、自分のがんばりが大切であるかのような、
信仰になってしまいやすいことを感じる。

めぐみによる救い、
一方的な憐れみによる救いを忘れていないだろうか。

主のめぐみに心を留めて、
信じる者に、求める者に、
聖霊を下さる神様に祈り求めていきたいと思いました。

本当に聖霊様に満たして頂きたいです。
もっともっと喜びに満たし、
力に満ちあふれて歩みたいです。

主よ、
あなたを信頼します。
信頼して求めます。
どうか、私を聖霊様で満たしてください。
そして、そのことを私に、
そして、周りの人々に、
わかるように表してください。

めぐみに感動して、
歩む者にしてください。

2007-12-27

愚かになる

今日はまたどんよりな一日でした。
朝は2度くらい、昼間は5度くらい。

明日の朝は氷点下の予想が出ていますが、
今は夜の9時過ぎで4度あります。

明日の昼間は曇りのようですが、
夜にはまとまった雨になりそうです。

ところで、今、天気予報の世界では、
大晦日がどうなるかが、話題になり始めています。
Stormが東海岸に雪を降らせるかどうかです。

私は余り期待していないのですが、
可能性はあります。

さあ、どうなることでしょうか?
詳しくはまた明日に。

日本も年末年始は寒気みたいですね。

来年1月末から2月半ばまで日本を訪問します。
まだ詳しくは何も決まっていませんが、
東京圏と関西圏を中心に回ると思います。
また、詳しく決まり次第、予定をUPします。

余り寒くない2月となりますように。

今日、時間を作って、
(つまり、また後回しになってしまった仕事はあるのですが・・・)
右のリンクにあるCGNTVで、三浦綾子さんの特集を見ました。

その最後の方で、綾子さんが神を求め始める大きな転機となった
出来事を紹介しながら、「道ありき」から引用していた言葉が
心に深く留まりました。

「結局は、人間は死んでいく虚しい存在なのに、またしても何かを信じようとするのは、愚かだと思った。しかし、わたしはあえて愚かになってもいいと思った。」

彼女を導いた前川正さんの姿に綾子さんが「信じる」ことを取り戻すことができた出来事でした。

「愚かになってもいい」

そのように人に思わせるものがこの人の中にあった。それはまたその人のうちにある「愚かさ」だった。理屈は通らないんだけれども、信じてみようと思わせるものがあった。
そして、それはもっとさかのぼると、イエスの中にある、神の中にある「愚かさ」なのではないだろうか。

今、自分はもしかしたら、この愚かさを見失っているのかもしれない。
その神の愚かさに支えられて、造り替えられたのに、自分自身は愚かにならないようにがんばっているのかもしれない。損をしないように、バカを見ないように、愚かにならないようにがんばっているのかもしれない。

愚かになっていい。

いや、

愚かになりなさい。

そんな声を聞いたような気がしました。

さて、今日の聖書。

今日はガラテヤ人への手紙2章を読みました。

「いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」20節

自分の信仰が、いつもいつも十字架のめぐみに根ざしているようにと願いました。

時には、「~らしい」ということを求めている自分を感じるからです。
「牧師らしく」とか「クリスチャンらしく」とか。
そのように生きているだろうかと考えている自分がいます。

それが私自身の歩みの土台にすり替わっていないだろうかと。
それが自分の生活の原動力になっていないだろうかと。

ただただ、十字架のめぐみが自分を生かしている、
自分の生活を導いている、
そのような歩みをしたいと思います。

その中で、「どうせ赦されるから・・・」と神様の愛をなめる者ではなく、
主の喜ばれる歩みを求めていく者でありたいと思います。

主よ、
どうか、あなたの愛を、
あなたの十字架のめぐみを、
もっともっと味わわせてください。
そして、そのめぐみに心満たされて、
喜びにあふれて歩む者でありますように。

2007-12-26

NYのクリスマス

今日は朝出る時は-3度でした。
でも、それほど寒く感じませんでした。
風がなかったからでしょうか。

昼間は逆に肌寒く感じました。

そして、夕方からは雨やみぞれ。
今、昨日の記事を読むと
「ちょっと雨が降るかもしれません」なんて書いていましたが、
かなりザーザー降っています。
今も夜の11時で、1.6度で雨が降っています。
明日も曇り一時雨か雪です。
今日は今年最後のNYの日。
一日いろんな方々とお話をする時が与えられましたが、
NJだったら、我が家でも、教会のオフィスでも、と思いますが、
NYの場合は、「どこでお会いしましょうか」と迷うことがあります。
マクドナルドだったり、
スタバだったり、
ING Directカフェ(穴場)だったりするのですが、
夕方、ある方と待ち合わせに使ったのが、
Grand Central駅の隣の
Grand Hyattというホテルのロビー。


広々としたロビーで、ソファーがいくつも置いてあるし、
宿泊客じゃないからと文句を言われることもないので、
数年前から、たびたび待ち合わせなどに使わせて頂いています。
(毎週1回1時間で計7回、受洗準備クラスをやったことも・・・)

携帯カメラの映像なので、余りはっきりしないのですが、
冬の国のイメージで飾り付けがなされていました。

そして観光客でごった返していました。

試しに明日の宿泊はいくらか調べてみました。
今からでも予約を入れることができます。
一部屋479ドルです。

来年のクリスマスイブだったら200ドル台で予約できます。

でも、そんなお客様たちが払ってくださった宿泊費の一部で、
ちょっと申し訳ないような気持ちもしますが、
私の様な者も、ロビーのきれいな装飾を楽しむことができます。

昨日の夜は写真は撮れませんでしたが、
11時50分ぐらいにロックフェラーセンターのクリスマスツリーの前を
車で通ってきました。
女の子2人はもう寝ていましたが、
のんちとハジと私で「すげー」とか歓声を上げていました。
NYのクリスマスをちょっとだけ味わいました。

さて、今日から大晦日まではガラテヤ人への手紙を読みます。
ちょうど6日間で一日1章で読めるから・・・というのが、
選んだ理由です。

今日はガラテヤ人への手紙の1章を読みました。

「私が使徒となったのは、人間から出たことでなく、また人間の手を通したことでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったのです」1節。

パウロが使徒として歩んでいたのは、
人によってではなくて、
イエス・キリストと父なる神によって任命された、
ということによりました。

ここを読みながら、私自身のここでの働きのことも振り返っていました。
人によってではなく、人間から出たことでもなく、
主によって「頼むよ」と言われたような思いです。

おそらく、それがなかったら、本当にできなくなってしまうと思います。

人から頼まれたから、皆さんにそう言われたから・・・
ということだけでやっていたら、行き詰まってしまうと思います。

主がそのように任命されたから・・・。

自分自身の召命を再確認させられました。

主の召しに対して、従順であり続けたいと思いました。

主よ、
いつもあなたの声を聞いていくことができますように。
いつもあなたの導きに従っていくことができますように。
私を守り、導いてください。

2007-12-25

ほっぺたが落ちるのはこわい

今日は朝ちょっと冷え込みましたね。
確認するのはうっかり忘れていましたが、
朝、教会で祈るために外に出たら、空気がひんやりして、
残っていた雪もしまっていました。

でも、昼間は7度くらいまで行ったようです。

今は-1.5度。
明日の朝はこのまま-3度くらいまで下がるでしょう。

そして、明日は東の海上を低気圧が通ります。
ちょっと雨が降るかもしれません。

今日は朝教会でお祈りしたあと、
うちに帰ってまた一休みと思ったら、
昼前まで寝てしまいました。
そして、昼食を家族で食べていた時に、
「おいしいね」ということをどう表したらいいかと思って、
今風で言えば「これヤバイ」と言うことなんでしょうが、
昔はなんて言っていたかなあ思い出していたんですね。

そしたら、「おいしくてほっぺたが落ちる」という言葉を思い出したんですよ。

それはまだ私が大阪にいる頃ですから、
3歳か、4歳くらいの時だったのですが、
父がおやつに何か粉を溶いて・・・
考えるとホットケーキかクレープみたいなもんだと思うのですが、
何か作ってくれたんですよね。

でも、その時、父がつくりながら言った、
「これはおいしくてほっぺたが落ちるぞ」といった言葉で、
ものすごく怖くなってしまって、
「それなら、ボクは食べない」と言って、
兄や弟が食べているのをホラー映画でも見ているような気持ちで、
自分のほっぺたを押さえながら、柱の陰から見ていた記憶があります。

いや、本当に怖かったんです。

それから、しばらく甘いものとかほしくなかったですね。
マジでほっぺたが落ちる場面を想像していました。

でも、それを考えると、
いまの「これ、ヤバイ」というのは、
ちょっと表現としては余り内容がないですね。
自分も言葉が貧しいなあと思わされることが多いですが、
豊かな表現を身につけたいなあと思います。
子供に誤解されるのはまずいですが、
「誤解された時にコワイくらいの気持ちがする」言葉は貴重なんだと思います。

日本語を磨きたいなあ、と思わされた一時でした。

今日の聖書。

今日はアドベントの聖書日課の最終日。
マタイによる福音書2:1-15を読みました。

「そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。」
11節の言葉です。

この「拝んだ」という言葉が心に留まりました。

自分は本当に主を拝むような歩みをしているだろうかと。
イエスを礼拝しているだろうかと。
この博士たちは、十字架も知らなかった、
イエスのメッセージも知らなかった、
ただ、赤ん坊の、何もできない、とても弱い赤ん坊のイエスを
礼拝した。

自分は知っているのに、
自分はわかっているのに、
本当に礼拝しているだろうかと。

主を拝む、
本当に文字通り跪いて拝む歩みをしたいと思いました。

主よ、
今年のクリスマスをありがとうございます。
あなたの前に出て、
あなたと共に歩むことができたこと、
教えられた一つ一つのことに感謝します。
どうか、あなたを本当の意味で拝む者とならせてください。

このクリスマスの喜びを日々の歩みの喜びとしてください。

明日から大晦日までの6日間は
ガラテヤ人への手紙を一日1章ずつ読みます。

2007-12-24

メリークリスマス!

ここNJでは、今ちょうど夜の12時。
クリスマスの日を迎えました。

イブのキャンドルライトサービスには、
子供たちを入れると100人を超える方々が集われました。

特にJOYJOYキッズクラブや、
JOYJOYキャンプに来られているご家族が
たくさん来られました。

幸いな一時でした。

JCCNJのクリスマスのプログラムは
これですべて終わりました。
明日はそれぞれの家庭などで、
ゆっくりクリスマスを過ごすことになります。

今朝、優先順位を考えた時に、
どうしてもやはり他のことを後回しにしてでも
時間を作って、行きたいところがありました。
近所の老人ホームに入所しておられる
日本人のご婦人です。
90歳くらいで、ホームにも日本の方はおられません。

ですから、私の訪問を本当に全身で喜んでくださいました。
ほとんど寝たきりのような状態で、
車いすに乗せてもらって、動く程度です。

でも、ベッドに寝たまま、
何回もハグしてくださいました。
ずっと、いとおしそうに手を握ってくださいました。
「うれしいよお」と何回も言ってくださいました。

こちらの方が、元気をもらいました。

もっといつも来れなくてゴメンね、と心の中で繰り返していました。

近所なのに、時間も作らなければいけないのに、
ついつい、締め切りのあることに追われて、
大切なことが後回しになる。

大切なことは、本当に大切にしていこうと思わされました。

今日の聖書。
今日はルカの2章1-20節でした。

「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」15節。

聞いただけじゃダメ。
行かないと。
考えているだけがじゃダメ。
踏み出さないと。

ああ、主のなさる御業を見せて頂きたい。
主がなさる奇跡をもっともっと見せて頂きたい。
そのために信じて踏み出す者でありたいと思う。

主を信頼して、
そこに生きていこうと思わされました。
信頼したならば、そこにかけていこうと思わされました。

主よ、
あなたを信頼します。
あなたを信じます。

私の踏み出す一歩を守り、
そこに起こる嵐の中で、
あなただけを見つめて歩めますように。
あなたを信頼して歩めますように。

さて、明日はいよいよクリスマスの朝。

いのち

今夜は午後6時半から
キャンドルライトサービスです。
どうぞ、皆さんおいで下さい。

120 East Pleasant Ave.
Maywood, NJ 07607

201-712-9833

今朝は1.2度。
ずいぶん下がって、場所によっては
やはりblack iceでした。

今日は久しぶりに晴れて、
ちょっと風は強いようですが、気温は割合高くて、
日差しの分だけ、暖かく感じると思います。

昨日のクリスマス礼拝は、
新しい方々よりも、
久しぶりの方や、クリスチャンの方で
教会を探しておられる方が来られました。
70名あまり。

電話でお話ししていると、今晩来られる方々のほうが、
多いようですね。
やはり「イブを教会で・・・」なんでしょう。
会堂を使わせて頂いている英語の教会も、
この時は本当にたくさんの方々が来られるようです。

で、昨日は英語の方が多かったです。
中国系の方々で初めての方々が2人。
毎週来られるアフガニスタンの方や、
休みごとに来られる大学生や、
日本人の奥さんを持つ男性と、
そのお姉さん夫婦。

通訳の英語を電波で飛ばす機械が足りなくて、
通訳の奉仕の方の周りにたくさんの方々が集まる、
といううれしい悲鳴でした。

さて、昨日の聖書。
昨日はヨハネ3章16-21節でした。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
16節。

「永遠の命」のことを、思いめぐらしていました。
永遠の命は天国のことだけではありません。
この地上の天国もあるんです。
神様と共に歩む生涯。
4章に出てくる「いのちの水をいただいて、心の中に泉を持つ歩み」。

自分はどうだろうかと。

いろいろな戦いや、悩み、悲しみ、痛みもあるけれども、
その中で、主と共に歩んで、平安をいただいて、勇気をいただいて、
歩んでいくことができる。

それが永遠の命。

本当にその命に満たして頂きたいと思いました。
そのようないのちをいただく方々が起されるクリスマスとなるようにと、
お祈りしました。

神様、
昨日の礼拝にも感謝します。
集われたお一人一人に、
今日もみことばを通して語ってください。

今晩のキャンドルライトサービスを祝福してください。
会堂を聖霊で満たし、集う方々の心に触れてくださいますように。


また後ほど・・・

今夜は明日のイブのために一仕事していたら、
こんな時間になってしまったので、
また明日の朝更新します。

夜は暖かくて13度くらいありましたが、
今1時半で5度まで急激に下がってきています。

明日の朝は路面の凍結に注意かも。

では、お休みなさい。

2007-12-22

おっさん

今日は全然暖かくならないで、
最高気温も3度くらい。
一日中どんよりとしていました。

今、夜の11時前ですが、やっぱり3度。
今夜はこのまま行くみたいです。

明日は気温はぐっと上がって12度くらいまで行きそうですが、
雨がちょっと本格的に降るようです。

24日のイブ、25日のクリスマスはスッキリ晴れるようです。

今日は夕方、ユースグループ(BIG)のクリスマス会がありました。
いつもBIGの集まりはそうなんですが、
帰る頃になって盛り上がってきます。
いつもはバスケで、家でやる時はジェスチャーゲームなんですが、
今日は会場の都合でバスケができなかったので、円陣バレーが盛り上がりました。

バスケの場合は私はちょっと技術的に体力的に参加できないのですが、
バレーの場合は何とかなります。

私の時代の東京の中学は「球技大会」と言えばバレーでしたからねえ。
下町で、グランドがそんなに取れない。
いっぺんにたくさんの人数が参加できなければいけない。
だから、だいたいバレーだったんです。
もちろん「9人制」。
高校で、世田谷の学校に行ったら、田舎でグランドが広いので、
球技大会は「サッカー」でしたね。ハイ。

で、バレーだったら、ユースのメンバーの中に入っても、まあ、何とかなる。
でも、年の差30歳はやっぱり大きい。
自分の3分の1しか生きていない、
っていうか、自分が彼らの3倍生きてしまっている。

技術的にまだ通用しても、足腰が・・・。
途中で疲れがたまって、足が前に出ない。
それに加えて、一生懸命前に出ようとすると、
膝が「ぴきっ」って痛くなる・・・。

でも、どうにかこうにか、汗をかきかきプレーしました。
連続での最高記録は54回だったね。
次回は100回を目指してがんばろうと。
メタボ対策にもこれはいいかも・・・。

さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書1章1-18節でした。

「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」
5節の言葉です。

これは本当だろうかと思いました。
闇は光に打ち勝たない。
物理的にはそうでしょうが、
私たちの人生における光と闇は本当にそうなんだろうかと思いました。
光が無視され、ひどい目に遭い、
だんだんその光が弱くなって、消えてしまうことはないのだろうかと、
そして闇の力の方が、その勢いを誇っていることはないのだろうかと。

なぜ、こんなに不条理があるんだろうかと。

この世ではそう見える、
一時的にはそう見えることもある、
でも、究極的にはそのようなことはない、

いや、そのような暗闇のような中だからこそ、
イエスは私たちの所に来てくださったのです。

そして、今も光として輝いてくださっている。
イエスは光であって下さっている。

今日もこの光を証する者となりたいと思いました。
そして、この光をいただいて、
私も輝くものでありたいと思いました。
もっともっと神様のことで心いっぱいにして頂いて、
心からあふれるものが伝わっていく者でありたいと思いました。

主よ、
どうか、あなたがわたしを照らしてください。
あなたのことで心がいっぱいになりますように。
そして、あなたのことを伝える者とならせてください。
あなたの輝きをいただいて、
私も輝くことができますように。

クリスマスまであと3日。

闇と光

ということで、気持ちよく目覚めました。
昨日は一日どんよりした天気で、
気温も1度から2度くらいをうろうろ・・・。

今朝も1度です。

今日はもう少し暖かくなるようですが、
やはりどんよりした一日のようです。

そして明日の日曜日は雨。

今回は雪の心配は全くありません。
でも、雷が鳴るかもしれないようです。

クリスマスが近づくにつれて、
クリスマスの意味をいろいろ考えさせられます。
その中でここ2-3日思わされているのは、
「いつから、クリスマスは『幸せ』な人の祭りになったんだろうか」
ということです。

今朝、読んでいたインタビューの中で、
三浦綾子さんのご主人の光世さんが、こんな話をしておられました。
三浦家では40年以上、子供クリスマス会をして来られたそうです。
(その記事は5年くらい前のでしたので、今はどうされているかわかりませんが)

綾子さんが亡くなった年、1999年のことです。
10月になくなられたのですが、
「今年は子供クリスマス会はしませんよね、あんなことがあったから」
と言ってくださった方がおられるそうです。
もちろん、その方は光世さんを心配して言われたのだと思いますが、
やはり、身内に不幸があると、新年の挨拶と同じで、
クリスマスの祝いもするもんじゃないという感覚が
私たちのうちにあるかもしれません。
でも、イエスは平和な、家族がみんな元気な、
「幸せな」人たちに歓迎されるために、
来られたのではありませんでした。

暗闇に輝く光として来られたのでした。

そんなことを考えていると、教会のあり方も、
問われているように感じます。

痛みや悲しみの中にいる方々に届くクリスマスとなりますように。

ちなみに、光世さんはその年もクリスマス会をされさそうです・・・。

さて、昨日の聖書。
昨日はテトスの手紙2章11-15節でした。

「良いわざに熱心なご自分の民」14節。

イエスがこの世に来られたのは、
私たちを救うためだったけれども、
私たちが救われた後も、好き勝手に生きるためではなくて、
「良いわざに熱心な者」として生きるために、
来られたのだと、
もう一度思わされました。

そして、自分はそうだろうかと・・・。

良いわざに「熱心」だろうかと思わされます。

「縁があれば・・・」「出会いがあれば・・・」
そして、
「時間があれば・・・」と。

「熱心」とはほど遠いように思います。

行いよりも信仰だと、私たちは言います。
「私は良いわざをしている」と、
傲慢になってはいけないと思います。
「いい子」になってはいけないと思います。

でも、それが良いわざに熱心であることを
妨げてはいけないと思いました。
そして言い訳に使ってもいけないと・・・。

主よ、
あなたが私たちの所に来てくださって、
ありがとうございます。
あなたの愛を味わって、
熱い思いを持って、
人々の所に行くことができますように。

出会いを見つけ、
機会を見つけ、
時間を見つけて、

良いわざに熱心な者とならせてください。

2007-12-21

また明日。

今日はさっきまで集会があって、
たくさんの初めて会う方も来られて、
良かったです。

で、明日の朝、ちゃんと起きたいので、
今日はもう休みます。

アドベント期間中、「翌朝に・・・」はなかったと思うのですが、
明日の朝、ゆっくり書こうと思います。

ではでは~。

2007-12-20

祈られていること

今朝はちょうど0度くらい。
でも、またこれくらいの温度が、つるつる滑るんですよね。
昨日の夜ちょっと降った雨が凍って、つるつるしているところがたくさんありました。

昼間は7度くらいまで行ったでしょうか。
ほんと、だんだん寒さはゆるんでいますが、
それでも、底冷えのする一日でした。

今は夜の11時半ですが、1度です。
明日の朝は-2度くらいでしょうか。
「寒さがゆるむ」のも一段落。
風はないですが、昼間も2度くらいの寒い一日になるようです。

クリスマスがあと5日に迫ってきて、
クリスマスカードやレターが届くのですが
また自分たちも住所録の整理をしています。

普段、ちゃんとやってればいいのですが、
毎年、この時に「・・・この人引っ越したよねえ」「結婚したんじゃなかったっけ」と、
一生懸命Eメールの山を探して、「ああ、そうだった、そうだった」という再発見があります。

そんな風にして、クリスマスのお便りだけではなくて、
一年間のいろんな方々のお便りやEmailをもう一度読む中で、
多くの方々に自分は祈られているんだ、
NJの教会は祈られているんだ、と感じます。
忘れているんですよね。普段は。
でも、本当に多くの方々が愛してくださって、
祈ってくださって、
それで守られている教会であり、
自分なんだと思います。

普段も、忘れないでいたいと思いました。

いつの間にか、自分のがんばりとか、
自分の努力や能力とか、
そんなものでやってきている様なつもりになっていることが、
どれだけあるだろうかと。

とにかく、感謝。

さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第2の手紙8章1-15節を読みました。

「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。」
9節の言葉です。

この言葉を思いめぐらしている中で、
イエスが言われた、「富んでいる者が神の国にはいるのはなんと難しいことか」という言葉と、
それに対して「じゃあ、誰が救われるのでしょう?」と驚いた弟子たちに対して、
「神には何でもできる」というイエスの答えが心に浮かんできました。

まさにイエスが自分を与えられたことも、
また「なんと難しいことか」と言わなければいけないことだったのだと思わされたのです。

イエスが富んでおられたのに、つまり天国で富んでおられたのに、
私たちのために人となって、貧しさを味わってくださった。
それはとても難しいこと、とてもあり得ないことなんだけれども、
神様には不可能はないんだと、そのことをイエスの生涯全部が語っているのだと、
そう思わされたのです。

神様には不可能はない。
私はこの社会の中では決して「富んでいる」と言うほどではない。
でも、必要はいつも与えられている。
そして、世界全体を見るならば、
やはり、自分は「富んでいる」者なんだろう。

私ももっともっと主の力によって、神の力によって、
貧しい歩みをさせて頂きたいと思わされました。
人の力ではなくて、がんばりではなくて、
主の奇跡によって、主の力によって、
もっともっといろいろなことから解放されて、
自由にされたいと思います。

節約のことばかり考えていて、
そのことに捕らわれてはいけないと思います。
そうではなくて、イエスさまがそのようにされたように、
その足跡を歩みたいのです。

清貧が理想なのではない、と最近の教会ではよく言われます。

でも、本当に必要なものは決して多くない、
そのように思わされました。

主よ、
あなたは私たちのために貧しくなって下さいました。
それは神であるあなたが人となり
人から侮辱され、ののしられて、
捨てられたことの中に表されています。

私はそのような歩みに耐えられるのか、
全く自信はありません。
ですから、あなたの奇跡が必要です。

物も、プライドもささげる勇気を下さい。
あなたの奇跡で生かしてください。
捨てる自由、ささげる自由を与えてください。

2007-12-19

車の中で凍えた

今日は昨日よりもまたワンランク暖かくなりました。
朝は-2度くらい。
昼間は5度くらいまで上がりました。

今、夜の12時前で0.6度あります。
明日の朝は0度くらい。

週末に向けて、どんどん寒さはゆるみそうです。

大歓迎。

で、今日は夜NYで集会があって行ってきたのですが、
なんだか、車がおかしい。
とにかく寒い。

いつも車で動いているので、
スーツを着たら、もうオーバーも持たないで、車に乗って、
目的地に着いたら、そのまま走って建物の中に入るという生活をしています。

でも、今日はもしかしたら、近くに車を止められないかもしれない、と、
出かける間際になって、オーバーとマフラーを手に取って、車の中に積み込みました。
それが正解。

というか、もしも、これを持ってきていなかったらどうなっていただろうと思うとゾッとします。

とにかくヒーターを入れても全然暖かくならない。
エアコンを入れても涼しくならない・・・だったらまだわかるのですが、
ヒーターを入れても暖かくならないのは初体験。

でも、なんだか早く走ると暖かくなってくる。
たぶん、ラジエーターのファンが回っていないんですねえ。
で、渋滞にはまって、ノロノロ走っていると、
車の中は寒くなってくる+ラジエーターの水温が上がってくる。
走り始めるとラジエーターの水温がみるみる下がる+車の中が暖かくなる。

ということで、とにかく、行きが渋滞に次ぐ渋滞で、
凍えながら走りました。
マフラーを巻いてオーバーにくるまって、運転していました。

帰りは最初やっぱりどうなるかと思いましたが、
途中からすいすいになって、暖かくなりました。

明日の朝にでも車やさんに見てもらわなければ・・・と思います。

それから、これからは、冬、車に乗る時は、何かがあっても大丈夫なように、
ちゃんと暖かい格好をしようと思いました。
今の格好じゃあ、パンク一つで凍えてしまいますからね。

さて、今日の聖書。
今日はピリピ人への手紙2章1-11節でした。

「死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」
8節。

徹底的に父なる神に従った、イエスの姿を見ました。

主に従うことが難しいこともあります。
でも、従わないでいるのは、つらいです。

自分は人とうまくやっていこうと思う気持ちが
強すぎるように感じることが多いです。

それも、その「うまくやっていこう」というのが、
しばしば、人を思う気持ちではなくて、
自分を守る気持ちだったりするので、また問題です。

本当に主に従う者でありたいと思います。
主を信頼して主に従う者でありたいと思います。

このところずっと、
マリヤの信仰に学ばされています。
ヨセフの理解が与えられたから神様に従ったわけではなかった。
反対に、マリヤが主に従った時に、
ヨセフの理解が与えられた。

でも、マリヤはヨセフを失うことをも覚悟で、主に従った。

結果として、ヨセフは良き理解者となってくれたのだが、
そうなる前にマリヤは神に従ったのだ。
もしも理解されなくても、主に従ったのだ。

主よ、
わたしもあなたに従いたい。
あなたに従って歩みたい。
どうか、マリヤの様な信仰を持って歩めますように。

2007-12-18

国際電話

今日は朝は昨日より寒くて-6.5度。
でも、風がなかったので、
「ぴーんと空気の澄んだ気持ちいい寒さ」でした。
そして、昼間は3度くらいまで上がりました。

おかげでドライブウェーの氷割りはほぼ終わりました。
昨日とは大変さが大違い。
こんなに違うなら、昨日何もしないで休んでいれば良かった、
なんて思ってしまいます。
(なんて考えていると、春まで放っておこうか、って気分になってきます・・・)

あ、ちなみに、あの氷を割るヤツは、
メーカーのサイトを見ると、
"Ice Scraper"になっていますね。
感覚としては「scrape」しているって感じじゃないんだけどねえ。

まあ、いいですけど。

今夜は今10時半ですが、-1度くらい。
そして、明日の朝も-3度くらいでしょう。
ぐっと寒さがゆるみます。
そして、昼間は5度を超えてくれるようです。
氷はどんどん融けてくれることでしょう。

さて、そうやって昼間氷割りに2時間くらい使ったおかげで、
夜、やるべきことがたくさんたまっています。
で、まず電話。
今夜は気になっていた日本の方々何人かに連絡をしました。

でも、今から15年前、日本から来た時は、
ふつうにかけたら、一分間1ドル半くらいしたでしょうか?
そして、プロモーションで安い時間帯とかあって、
「何時から何時まではなんと1分間75セント!」という宣伝があったような。

今、いつかけても一分間4セントとか、5セントですもんね。
Skypeとか使ったら、テレビ電話でもタダでできてしまう。

さっき書いたメールへの返事がすぐ来てしまう。

ちょっと「楽しみに待つ」というのがないのが残念ですがね・・・。

ですから、この季節、クリスマスカードや年賀状を「楽しみに待つ」って感じ、いいですよね。

さて、今日の聖書。
今日はマタイによる福音書1章を読みました。

「恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。」
20節。

一昨日も書きましたが、
マリヤが従った時に、
神様はヨセフにまで手を回してくださっている。
マリヤがどんなに説明しても、
たぶんヨセフは納得しなかっただろうし、
説得されなかっただろう。

マリヤがどんなに自分の正しさを、
自分の身の潔白を主張しても、
信じてもらえなくて、傷つく一方だっただろうと思う。

だから、神はヨセフに直接語られた、
そして、ヨセフが翌朝、すぐに行動したような、
はっきりとした確信を与えるような仕方で語ってくださった。

この神様を信頼して歩んでいきたいと思いました。
この神様の信じて、
ヨセフにも語ってくださった神様を信頼して、
自分自身が神様に従って歩んでいきたいと思いました。

主よ、
平安と確信を感謝します。
あなたはわたしがあなたに従うことを求めておられることがわかりました。
他の誰かではなくて、
わたし自身があなたに従うことの大切さを教えられました。

従います。

あなたを見上げて歩んでいきます。

導いてください。

2007-12-17

雪割り

今朝は-4.4度まで下がりました。
風も強くてホント寒かったです。
昼間も1度くらい。

昨日のシャーベットはがちがちに凍って、
今日も余り気温が上がらなかったので、
ぼちぼち雪割り。
凍ってしまった雪を割るための専用の、
なんて言うんでしょうねえ、勝手にice breakerと呼んでいるのですが、
それで検索すると「雰囲気を和ませるために・・・」というのばかり出てきます。

「雪割り」とか「雪割りバール」
「氷割り」とか「アイスピッケル」とか
「スノーカッター」とか、
日本語ではいろいろな呼び方が出てきます。

まあ、ガンガンやってもまだまだ途中なのですが、
握力がなくなったので止めました。

で、コンピューターのキーボードも打ちづらい・・・。

明日の朝はもっと冷え込みそうです。
-6度くらい。

今11時過ぎでもう-3.3度まで下がっています。

昨日はJOYJOYクリスマスがあったので、
帰ってから重いシャーベットをかく元気がなかったですが、
やっぱり降った日にかいておく、これ、鉄則ですよね・・・。

さて、今日の聖書。
今日はルカ1章57-80節。

「すると、たちどころに、彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるようになって神をほめたたえた。」
64節。

ザカリヤは口がきけるようになって最初に出てきた言葉が、賛美だった。
神をほめたたえる言葉だった。

自分はどうだろうかと思わされました。

人は心にあることが口に出てくる。

心を守って頂きたい。
心を聖霊様に満たして頂きたいと思いました。
そして祈りました。

とにかくわたし自身を聖霊様の支配の中に守って頂きたい。
そして、一人、また一人と、聖霊様の支配の中に入れられていく人々を
起こしてください、と祈りました。

私たちの心がどこに向いているか、
自分の心が何に満たされているか、

賛美があふれ、祈りに導かれる日々を過ごしたいと願います。

主よ、
わたしの心があなたへの賛美であふれますように。
わたしの心が聖霊様に満たされますように。
そして、一人、また一人と、聖霊様によって導いてくださいますように。

マリヤのために、ヨセフに夢まで使って語ってくださった主が、
今日も、お一人一人の心にみことばを通して語ってくださいますように。

2007-12-16

教会のクリスマス

今日は本当に天気が守られて、
大雪になることなく、
道が大変になることなく、
JOYJOYクリスマスが持てました。

帰ってきたら、ドライブウェーはシャーベット状で
グジャグジャでしたが・・・。

とにかく守られて、感謝。

今は夜の10時過ぎですが、
まだ0.8度あります。

明日、ドライブウェーの除雪をすることを考えると、
あんまり冷え込んでほしくないのですが・・・。

さて、今日の礼拝。
中学生以上の人数で80人以上の方々が集まりました。
子供が40人近かったと思いますから、
全部で120人くらいだったでしょうか。
年によっては、礼拝後のJOYJOYクリスマスに間に合うように
来られる方々がほとんど、と言う年もあるのですが、
今年は礼拝から来られる方々が多かったです。

そして、洗礼式。
本当にうれしいですよね。
一人の人が悔い改める時に、
天国ではものすごい歓声が上がっている、と言いますが、
今日も、本当にうれしかったです。

洗礼を受けられたのはご婦人だったのですが、
ご家族で礼拝に来られました。

そして、礼拝後のJOYJOYクリスマスは子供だけで約50人。
自分が子供の頃は、小さな教会堂に100人すし詰めでしたから、
まだまだだなあと思いますが、
JOYJOYキャンプやキッズクラブで会ったことのある子たちを中心に、
たくさんの子供たちが集まってくれて、
そこで中高生たちが、ストレートに福音を伝える劇をやってくれる、
という理想的な展開でした。

自分たちで考えて台本を作って、演出もやって・・・
練習は大人はほとんどノータッチ。

頼りになります。

そして、彼らがやるとまたいいんですね。
子供たちも、親も、またしーんと見ている。

以前、教会学校の子供たちに劇をやってもらったことがありました。
学芸会か、発表会みたいな感じで・・・。

でも、それをやると、ビデオカメラが並ぶんですよねえ。
誰のためにやっているのかなあ、という感じになる。
いまいち子供の声も小さくて、はっきりと聞こえない、と言うこともありました。

でも、ここ3年くらい中高生がやってくれると、
始めてきてくれた子供たちへのメッセージにもなる。

そして、その中には「自分たちも中高生になったら、ああいう風に劇をやるんだ!」と
楽しみになってくる子もいる。

本当のクリスマスの意味は・・・というテーマで、
主人公の二人組が、クリスマスを台無しにしてやろうと、
みんなのたいせつにしているものを盗んでいく、
プレゼントとか、食べ物とか、音楽とか、お店の品物とか・・・
でも、そんなことでクリスマスの喜びは台無しになんかならない。
みんな喜びにあふれている。

なぜならば・・・という展開なのです。

子供たちの心に聖書の言葉が留まって、
芽を出して、実を結びますように。

さあ、今日の聖書です。
今日はルカによる福音書1章39-56節です。

「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」
45節。

この「信じきった」という言葉が心に留まりました。
どうしてこういう言葉を訳す人が使ったんだろうか、
「信じた」ではなくて「信じきった」なのだろうかと、
原典を見てみました。

「ピスチューササ」と「アオリスト分詞」が使われています。
アオリストが過去に1回の出来事として起こったこと、を表すので、
マリヤが「だんだん信じられるようになった」とか、「いつの間にか信じていた」とか
「何度も信じる決断をしてきた」ということではなくて、
「決定的な信じる決断をした」ということなのだと思います。

信じるって、ある時はそうなんだと思います。
一つの決断であって、「信じよう、信頼しよう」と決心することなのだと思います。

私たちは信じた後も「やっぱりなあ」と心が揺れてしまうことがあります。

でも、マリヤはここで、本当に主が信頼できる方だと、本当に信じた。

わたしも今朝、そのように主を信じようと思いました。

そして、今日礼拝でお話ししながら、
「マリヤが信じて従った時に、神様はエリサベツを備え、また一番の懸念であっただろうヨセフにも夢で現れるまでしてくださって、道を整えてくださった。」ということに目が開かれました。

わたしもそのように信じて、人の心にも働いて道を備えてくださる主を信頼して、
そう、「たとえそうでなくても」・・・つまりマリヤの立場だったら、ヨセフが信頼してくれなくて、ヨセフを失うことになったとしても・・・主を信頼して歩んでいきたいと思いました。

主よ、
わたしもあなたを信頼します。
マリヤの信頼を持ちたいと思います。
ヨセフの理解を得る前から、
神様を信頼したマリヤの信仰を持ちたいと思います。
どうか、あなたが導いてください。
勇気を与えてください。



氷点下脱出

6時 -4.5度
7時半 -1.7度
という気温の上がり方だったので、
すぐにでも雨になるかと思っていたら、
その後、雪に変わって、
しばらく気温は上がりませんでした。

でも、10時に無事に氷点下脱出。

皆さん無事に教会においでになれますように。

storm峠を越える

今朝6時の気温は-4.5度。
正直、朝起きて温度計を見てびっくりしました。
朝にはもう温度が上がっている、と予想されていたのに、
昨日の夜12時よりも下がっていたので・・・。

で、激しくSleetが降っていました。
路面も真っ白。
冒険を楽しみながらアドベントの朝の祈りに教会に行って来ました。

でも、7時半に帰ってくる時にはSleetも小雪に変わり、
路面も主要道路は全く問題ありませんでした。

朝の7時半で-1.7度。

昨日の夜の予想では今朝の6時から9時が一番激しく降る、と言っていたのですが、
どうやら予想よりも早く峠を越えたようです。

多くの皆さんと教会でお会いできますように。

2007-12-15

さて。

大きなことが2ついや、3つ重なりましたねえ。

一つはStorm。
今11時過ぎですが、-2.7度で、ちらほらと小雪が舞っています。
12時頃までには本格的に降り始めるでしょう。
でも、明日の朝には雨に変わるようです。

NY州ののずっと北の方とかは50センチくらいの雪、
それも吹雪になるかもだそうです。

こちらは祈りが聞かれたのでしょうか、雨が中心で、
「この雨が全部行きだったら大変だろうなあ」という感じのヤツです。

そして、2つ目はJOYJOYクリスマス。
いよいよ明日です。
たくさんの仲間に来てほしいです。
そして、楽しくて、
でも、それだけじゃなくて、神様に心が向く、
クリスマスとなるようにと願います。

もう一つは洗礼式。
今年3回目です。
ハレルヤ!
本当にうれしいです。

さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書の1章26-38節。

「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」
38節です。

明日の説教の所でもあるので、
深く読んだのですが、
このマリヤの言葉の原語の表現は、誇張して言うと、
「ご覧下さい、このわたしは主のはしためです。どうか、あなたが言われたとおりのことがわたしの人生に起こりますように」という積極的に、
神様の前に自分を差し出す表現です。

「あなたのご自由に・・・」という感じではなく、
「是非、わたしを使ってください。あなたのお役に立たせてください」という積極的な姿勢です。

是非、使って頂きたいと思いました。
そして、どこまでも、あくまでも、神の「しもべ」として。
神様が使いやすい、神様から見て、頼みやすい、そのような器になりたいと思います。

自分の好きなことをするのではなくて、
主の僕として生きたいと思いました。

主よ、
わたしもあなたのプロジェクトチームの一員にしてください。
でも、わたしが好きなことをするのではなくて、
あなたの願われるように、
あなたの僕として、用いられますように。

2007-12-14

神様の真実さ

今日はこれから教会で深夜祈祷会で、
「帰ってきてから更新」はちょっとしんどいので、
今のうちに・・・。

今日の朝はちょうど0度くらいでした。
それほど冷え込まなかったんですね。

でも、集会があってFort Leeの方に行ったら、
我が家の周辺よりもFreezing Rainの時間が長かったようで、
電線にはつららが下がり、
木々は太陽にきらきら光って、とてもきれいでした。

そして、昼間は暖かくなって8度くらい。
今、夜の9時前ですが、まだ、2.6度あります。

明日の朝は-5度くらいまで下がるという予報をどこでも出していますが、
どうなんでしょうか?
これから冷えてくるのでしょうか。

そして、明日の夜には雪が降り始めますが、
すぐにSleetに変わり、Freezing Rainに変わり、
日曜日の朝には雨に変わるようです。

多くても10センチ。

日曜日の教会は大丈夫でしょう。
日曜日はJOYJOYクリスマスです。
たくさんの子供たち、お父さん、お母さんたちがおいでになれますように。

お一人一人の心に神様が触れてくださいますように。

さて、今日の聖書。
今日は新約聖書にはいって、ルカ1:5-25。

「私のことばは、その時が来れば実現します。」
20節の言葉が心に留まりました。

ザカリヤにとって、その言葉が本当に実現することを信じることは、
どれほど難しいことだったかと思います。

そして、私たちにとって信じることが難しい言葉はどれほどたくさんあるでしょうか。

でも、神様を信じるって、
そういうことなんでしょうね。
人間の力の限界の向こう側が勝負っていうか、
当たり前のことではないんでしょうね。

そして、それを信じるのは、
私たちの決断よりも何よりも、
それを約束してくださった方の真実が土台だと思わされました。
その主の真実を信頼して歩んでいきたいと思わされました。

「静まって、わたしこそ神であることを知れ」
詩篇46篇8節。

主よ、
あなたを信頼します。
あなたがなさることを信頼します。

あなたの約束を信頼します。
あなたのわたしに対する愛を信頼します。

どうか、わたしをきよめ、
あなたと共に歩んでいる平安の中で生かしてください。

2007-12-13

留守番。

今日は午前中は雪で、
午後は「凍雨」。
Wikipediaでは「凍雨」は「Ice Pellets」の訳といわれていますが、
こちらでは、ice pelletsと言う言葉を使うこともありますが、
日常的にはSleetを使います。
透明な氷の粒がたくさん降りました。

そして、最後はFreezing Rain・・・こちらはウヒョー!と覚えやすい、「雨氷」。
これは少しだけだったら、木の枝がきらきらと光ってきれいです。
2-3日前にはオクラホマとかの方で、これがたくさん降って、
木が倒れたりして、大変だそうです。
停電して暖房が使えず、困っている方も多いそうです。

でも、こちらは雪から凍雨、そして雨氷と変わりましたから
大して積もりませんでした。
だいたい3センチくらい。

でも、結構、道路はシャーベット状態でした。

で、午前中の祈祷会はもちろんやりましたが、
午後のJOYJOYキッズクラブは休み。
残念。

でも、私は個人的には、こういう時も、
必ず教会で留守番をしたいのです。

皆さんに連絡をして、「お休みですよ~」とお知らせしましたが、
それでも、留守番は必要だろうと思っています。

自分が聖書学院の一年生の時、
北海道のある小さな町の小さな教会に派遣されました。
この教会、長屋の一軒を使ってやっていた教会で、
2-3人の方が集まっていました。

夏の間に、2人の男の子と仲良しになり、
彼らはいつも教会に来るようになりました。
山田君と小沼君。
小学校6年生だったと思います。
今から21年前ですから、今33歳くらいですね。

で、この教会、いつもは牧師がいなくて、近くの都市の教会の牧師さんが
1時間かけて通っておられました。

彼らのうち小沼君は私が東京に帰った後も、
その牧師さんが来て、お話をしてくれるのが楽しみで、
毎週教会に通っていたそうです。

でも、ここは北海道でも寒さの一番厳しい地域。
ある日曜日猛吹雪で、さすがにその牧師さんも
あの「塩狩峠」をこえてその町の教会に行くことができなかったそうです。

吹雪が収まった後、その牧師さんがその町の教会に行った時、
一つの足跡が教会の入り口まで続いていたそうです。

そして、その次の週から、彼は教会に来なかったと、その牧師さんは私に話してくださいました。

雪の降る地域に住むようになって、
何年かに1回やってくる大雪、
1度だけ経験した(1996年)吹雪、
その大変さを知ると、1時間山を越えてその町に行くのは無理だったとわかります。
でも、できるだけ、教会の集会を中止する時も、
教会の留守番をしたい、そのように思わされています。

そして、実際に礼拝を中止した何年か前の日曜日、
教会の皆さんに電話をしてそのことをお伝えしたのですが、
近くの韓国の教会に行かれている日本語のわかる韓国人の方が、
ひょっこり教会に現れました。
留守番をしていた私はその方と一緒にお祈りをして礼拝を守りました。

だから・・・私は留守番が大好きです。

今度の日曜日。
なんだか、雪も降るようですが、どちらかというと雨がメインになる見たいです。
雪は積もっても5センチくらい。・・・かも。

でも、もう、あんまり心配していないで、
ここで「だいじょうぶ宣言」をしてしまいましょう。

きっと、今度の日曜日は大丈夫!

・・・たぶん・・・ね。

今日の聖書です。
今日はイザヤ書の43章14-21節。

「先の事どもを思い出すな。 昔の事どもを考えるな。」
18節の言葉が心に留まりました。

神様が新しいことをしてくださる。
それを待ち望んでいます。

そして、昔のことに捕らわれてはいけない、
そう思います。

でも、今日、ここを読んだら、
この「思い出してはいけない」といわれている「昔のこと」は、
悪い思い出、つらい思い出、ではなくて、
神様の救いの思い出なんですよね。

だから、神様のしてくださったすばらしいことさえ、
神様がこれからなそうとしてくださっている、
「新しいこと」を縛ってしまってはいけないのだと気づかされました。

そう、私たちは神様が過去にしてくださったすばらしいこと、
それさえも、神様がこれからしてくださることを制限するものとして、
使ってしまっていることもあるんですね。

神様は過去のことを超えてすばらしいことをしてくださる。
今まで経験した最高にすばらしいことをも超えて、
神様はすばらしいことをしてくださる。

その神様の力を信頼して歩んでいきたいと思いました。

主よ、
あなたの大きさを制限するすべてのもの、
あなたがなそうとしている新しいことを
押し込めてしまう枠となるすべてものを、
私は捨てます。

あなたがなしてくださる新しいことを
信頼します。

自分のちっぽけな経験に閉じこもったりすることがありませんように。

2007-12-12

うーん、危うし・・・。

今日の朝は暖かくて、
昼間もまあまあ良かったのですが、
夜になってからぐーんと冷えてきました。

今、夜の11時過ぎで、-0.4度です。
明日の朝は-4度くらいまで下がりそうです。

そして、明日の昼過ぎから雪。
キッズクラブの日なんですけどね・・・。
昨日は10センチくらいという「ちょい雪」の予報でしたが、
今日になってから15-25センチの予報。
そうなると、ちょっとキツイです。

出足が鈍りそうです。

で、問題の日曜日。
今夜のGFSでは、降り出しは15日の夜中で雪。
そして、16日の明け方には雨に変わって、
お昼頃には雪に変わる・・・ダメじゃん。

でも、このパターンだと60センチはありません。

でも、まだ水曜日。
わかってくるのは金曜日くらいです。

とにかく低気圧の通るところが
海岸に近くなるか、ちょっと離れるかで、
全然違ってきます。
もしも低気圧が海岸に近く進んできた場合、
海からの比較的に暖かな空気が入ってくるので、
雨に変わります。

今回の場合、特にカリブの方に発生した
「半熱帯低気圧」(造語)のエネルギーを取り込むので、
特に暖かな空気が入ってくる可能性があります。

なんとか、余りひどいことにならないようにと願います。

さて、今日の聖書。
今日はイザヤ書の40章1-11節。

「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」
8節の言葉です。

すべてのものは変わっていく、
でも、神の言葉は変わらない。

それが私たちの平安の基盤です。
希望の根拠です。

イザヤが預言をした対象は、
アッシリアであり、バビロンでした。
イスラエルから見るならば、超大国。

でも、その超大国の滅亡も見えていたのです。

ソ連の崩壊は私の世代にとっては大きなことでした。
ロシアがまた台頭してきましたが・・・。

これからも「あの国が・・・」という国も衰えてくるかもしれません。

でも、どんなに時代が変わっても、
変わらないものがある。

どんなに不安なことが起こっても、
私たちを支えるものがある。

それが神の言葉だとイザヤは言うのです。

それをいただいていることはなんという幸いだろうかと思います。

主よ、
あなたのみことばが頼りです。
あなたのみことばが力です。
どうか、みことばに信頼する者たちの祝福を経験させてください。


2007-12-11

いいところと問題と。

今朝も結局余り冷え込みませんでした。
2度。
そして、昼頃にはちょっと日も差しました。
それだけでもずいぶん暖かく感じます。

でも、3時頃から雨。
温度は高めで今、夜の10時半ですが、5.4度。
明日の朝にかけてもう少し気温は上がるようです。

今週はずっとこのまま暖かめで行くのかなあと思っていましたが、

どうやら明日の夜には冷えてきて、
あさっての午後には雪になるようです。
10センチくらいの、ちょっとした雪でしょう。

で、週末ですが、
どうやらStormが来るのは来るようですね。
60センチは最大のパターンのようで、
「15センチくらいで、朝のうちに終わる」とか、
「始めと終わりは雪だけれども、大部分は雨」とか、
そんな可能性もあります。

昨日だったのですが、
お休みで、ちょっとあっちこっち遊びに行っていたのですが、
ミラノにも遊びに行きました。
このuttie宣教師ご夫妻、
去年の日本訪問の時に、偶然お会いして、
10月の牧師セミナーで1年ぶりの再会。
今回は少しゆっくりお話しするチャンスがありました。

で、沖縄に行かれていた時の記事の一文が、
ちょっと心に留まりました。

「人々のエゴを受け止めながらも、どこか力強い島」

読みながら、この言葉が締めに出てきたことに、
ちょっと意表をつかれたのでした。
「こんな美しい島に、開発の波が及んで・・・」みたいな、
問題を考えさせられて終わるのかと思いきや、
「それでも強い島」という締めは、とっても前向きにさせられる感じがしました。

自分はどちらかというと、問題を見てしまう方かもしれません。
問題を見ないでいることがまずいかのような、
「わかっていない」と思われるんじゃないかというような、
そんな気持ちがしているのかもしれません。
そうして「わかっているんだよ」と自己弁護をしているような。

でも、そんな必要ないんですよね。
問題なんてあるのは決まっている。
でも、その中で、神様が与えてくださっている良いことを見ていく、
主が与えてくださった、良いことを数えていく、
そのような歩みをしたいと思いました。

uttie先生に感謝。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の24篇。

「地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。」1節。

もう最初から、私は主のものなんですよね。
そのことを、今朝、ここを読んで、ドーンと、語られました。

自分の自発的な気持ちで、主に従うことが大切
それは思います。
でも、それが当たり前じゃない。
本当は、私たちは元々、主のもの。

主を受け入れることも、
主を自分の人生の王とすることも
主に従って歩むことも、
すべてをおささげすることも、
なんてことはない、
当たり前のことなんですよね。

ちょっと勘違いをして、
何かをしたつもりになってはいけないなあと思います。
主のために何かをしたような気になってはいけないなあと思います。

主よ、
私自身もあなたのものであることを、
忘れることがありませんように。

感謝します。

あなたのものであることを。
あなたのものであることのすばらしさを
もっともっと味わうことができますように。



2007-12-10

危うし!JOYJOYクリスマス。

今日は朝から2度あって、

昼間も5度くらいまで上がったのですが、
なんといっても、どんよりした一日でしたので、
「底冷え」という感じでした。
何年かぶりに「こたつ」を出しました。

はまっています。



今は夜の10時で3.4度。
この後、空が晴れてくるので、
氷点下に冷えそうです。
そう、昼間は晴れている時の方が暖かいかもしれませんが、
夜は晴れている時の方が冷え込みます。
雲が毛布のような役割をするので、
それがないと冷えてしまうんです。

で、表題ですが、


今日の夕方のGFS(Global Forcast System)の計算で、
こんな天気図が出てきました。



アメリカ東部の地表の天気図なんですが、
これは2007年12月16日午後1時の予想図なんです。

そう、ちょうどJOYJOYクリスマスの始まろうという時の天気予想図なんです。見てわかりますか?これはヤバイです。まずいです。これが本当に起こってしまうと、60センチです。Blizzardです。

いつもはこういう天気図を見るとわくわくしてしまうのですが、JOYJOYクリスマスにぶつかるとは・・・。

過去に1回ありました。JOYJOYクリスマスの日に大雪で中止だったこと。自分たちの予定がある時だけ、外れてほしいというのはあまりにもわがままなような気もするんですが、なんとか、外れてほしいものです・・・。神様はいつも最高のことをしてくださると信じますが・・・。

まだ6日後のことですから、いつものように、「わかってくるのは2日前」の法則に従って、あまりパニックを起さないで祈りつつ待ちたいと思います。

さて、今日の聖書。
今日はミカ書5章1-4節でした。

「彼は立って、主の力と、彼の神、主の御名の威光によって群れを飼い、彼らは安らかに住まう。」
4節の言葉です。

イエスによって、私たちが「安らかに住まう」という言葉が心に留まりました。

神様によって、イエスによって与えられる平安。
ありがたいと思いました。

私たちはまた他のものによって平安を得ようとすることがいかに多いことかと思います。平安を得るために一生懸命人と話をしたり、賛成を得ようとしたり、わかってくれる人を得ようと思います。でも、それによって得られる平安は、ちょっとした安心感というものは、主が与えてくださる平安とはレベルが違います。それを私たちはどれほど多くの場合に、「主が与えてくださる平安」と思いこんでしまっているだろうかと思います。また、違うとわかっていても目に見える人の言葉に頼ってしまうことがどれほど多いことでしょうか?

本当に主の平安を経験していこうと思いました。

主の平安によって生かされていきたいと思いました。

教会の中にもそのような平安によって歩んでいく喜びがあふれるようにと思います。

主よ、
あなたの与えてくださる平安に感謝します。
その平安を求めます。
その平安に期待します。
人との関係によって与えられる平安で満足することがありませんように。

そこでスタートしても、そこに留まることがありませんように。
あなたの平安で守ってください。

2007-12-09

主にかばわれて

今日はどんよりとした一日。
雨も降りました。

朝も1度くらいでしたが、
今、夜の10時20分で1.5度。

今夜から明日にかけても雨。
火曜日も水曜日も木曜日もずっと一時雨。

ちょっとスッキリしない日が続くみたいです。

でも、こういう時は、余り冷え込まないので、助かります。

今日は9日。
今度の日曜日はJOYJOYクリスマスです。
今年も楽しいプログラムになりそうです。

それと共に、クリスマスの「礼拝」の意味を今日の礼拝で思わされました。
楽しいこともたくさんあっていい。楽しいこと大好きです。
でも、いつでも中心は神様の前にひれ伏すことでありたいと思います。

クリスマスまであと16日。
クリスマスの意味を深く思いながら過ごしたいと思いました。

今日の聖書。
今日はエゼキエル書の37章24-28節でした。

「わたしは彼らをかばい・・・」
27節の言葉です。

口語訳では「祝福し・・・」と訳されていますが、
新改訳では「かばい・・・」です。

主が私のことをかばってくださる。
なんだか、それだけで力が湧いてきました。

私たち一人一人のことをかばってくださる、
なんとうれしいことだろうかと、
思います。

主よ、
感謝します。
あなたがかばってくださるから。
それだけで十分です。

どうか、私があなたにかばわれたように、
ひとをかばうことのできるものとならせてください。

2007-12-08

心に留めない

今日の朝は結局氷点下に下がらず、+0.2度。
昼間も7度くらいまで行きました。

でも、今は夜の10時で-0.8度。
冷えてきました。
明日の朝は-2度くらい。
そして、午後からは雨になりそうです。
ちょっとSleetが混じるかもしれません。

このSleetは透明の氷の粒で、日本語では「凍雨」というらしい。
あられだと思っていたけれども、Wikipediaで調べていたら、
そう言う言葉が出てきた。
初めて聞いた。
変換候補にも出てこなかった。

知らなかったということ自体が、

・・・かなりくやしい。

そして、Freezing Rainのことを、
雨氷というらしい。
これは「うひょう」と呼ぶらしい。
これは一発で変換された。

または、「あめごおり」と読むこともあるらしい。

ちょっと親近感。

これは氷点下の中で雨が降って、
過冷却された水が、落ちた瞬間に凍る現象。
ふつうは-1度とかで、起こるのですが、
時々-5度くらいでも、起こることがあります。
それはホント大変です。
歩道がスケートリンクになります。
もちろん、車道もそうですが、
車が通るとでこぼこになります。

でも、NJの歩道は人が余り通らないので、
みごとにスケートリンクになります。
そうなると、ほとんど歩けません。

いつだったか、朝教会に祈りに行って、そういうことがありました。

1998年1月のモントリオールからオタワでのFreezing Rainは7日間に渡って降り続き、
最大で12センチの厚さの氷のシートができたらしい。
枝につくと、単純計算で、直径24センチ。
ほぼ、足のサイズ。

ウヒョー!


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ書の31章31-34節。

「再び彼らの罪に心を留めることはない。」
34節の言葉です。

主の赦しの恵みは、
私の罪を「心に留めない」ほどなんだと、うれしくなりました。

私たちは、人の過ちを赦しても心には留めておくものです。
なかなか忘れられないものです。
忘れるもんか、なんて思うこともあります。
忘れてやるもんか、絶対忘れない・・・と。

でも、主は私の罪をもう心に留めないでくださる。
自分ではいつまでもいじいじしているかもしれない。

でも、主は心に留めないでいてくださる。

なんとありがたいことでしょうか。

主よ、
あなたがわたしの罪を心に留めないでいてくださることに、
心から感謝します。

あなたの赦しの恵みに感謝します。

そこに感謝して、歩む者としてください。
喜びにあふれて歩む者としてください。

主は待っておられる

日付変わっちゃいましたが、
7日のつもりで書きます。

今日の朝は冷え込んで-6.4度。
昼間も1.4度までしか上がりませんでした。
そして、2時半頃から雪。
またうっすらと雪化粧しました。

でも、今夜は冷え込みがゆるんで、
今、夜の12時過ぎですが、0.7度と0度を超えています。

明日はこのところの寒さからするとずいぶん暖かくなりそうです。
でも、10度までは行かないでしょう。
やっぱり冬ですから・・・。

で、数日前に、
winter is over(冬は終わった)と言っていた、天気予報のおじさんが、
「冬の寒さが厳しくない、ということは、暖かい空気と、冷たい空気がぶつかるので、
雪が多いかもしれない・・・」なんて言い出しました。

ずるい・・・。

でも、確かにそれは一理あります。
東京の雪が2月に多いのも、同じことなんですが、
冬の寒さが厳しいと、南の海上を低気圧が通ることが少ない、

こちらでも、冬の寒さが余り厳しいと、東の海上を低気圧が通ることが少ない・・・のかなあ。
でも、1995年11月から1996年2月の雪の多さは、
厳しい寒さの中を、東の海上を低気圧が通ったからで、
やっぱり寒さの厳しい冬の方が、雪が多いように思いますが・・・

まあ、どうなることでしょうか。
個人的には今日みたいなうっすら雪化粧、みたいな雪の降り方が、
風情があっていいと思うのですが・・・。

さて、今日の聖書。
今日はイザヤ書の30章8-17節でした。

昨日見た、QT基礎セミナーの学びを生かして、
「何か適用を見つけよう」と一生懸命になるのではなく、
神様と共に時間を過ごし、神様に話しかけながら、読みました。

「それゆえ、主はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。」
17節です。

アドベントです。
自分が神様を待ち望んでいるかのように思っていました。
自分が祈りながら、クリスマスを待ち望んでいるつもりでした。

でも、主が私のことを待っていてくださる。
毎朝、毎朝、主が私が主のもとに行くのを待っていてくださる。

私が主の胸に飛び込むのを、
ずっと待っていてくださった。

ちょうど、放蕩息子のお父さんが、
お兄さん息子を待っていたように。
自分の胸に飛び込んでくるのを待っていたように。

そう、お兄さん息子の方。

主が待っていてくださることに感謝しました。
努力してそのことを思い出そう、というよりも、
一日の歩みの中で、
「ああ、主は今も私を待っていてくださるんだなあ」と何度も思いました。

「私たちに正しいことを預言するな。私たちの気に入ることを語り、偽りの預言をせよ。」
という人々の預言者に対する言葉、10節の言葉も心にぐさっと来ました。

主の語られることに、
主が語られることに、
主が命じられることに、
忠実に聞いていくものでありたいと思います。

主よ、
待っていてくださるあなたに感謝します。
待っていてくださるから感謝します。
どうか、語ってください。
そして、あなたに語られたこと、
大胆に語る者とならせてください。

2007-12-06

ハワイで吹雪

今日は寒い一日でした。
朝の最低気温は-7.2度。
昼間も、何とか0度は超えましたが、
1.5度止まり。
今は、夜の9時半を回ったところですが、
-4度まで下がってきています。

明日の朝も-6度くらいでしょう。

ハワイで吹雪だそうです。
Big Islandにある二つの高い山は富士山級。
とゆうか、富士山より200メートルくらい高い。

で、今2100メートル以上の所は雪になっているようです。
こちらでもなかなか出ないBlizzard Warningが出ています。

下の方は大雨だそうです。
そちら方面の方、お気をつけて。

今日は子供のプログラムのために、
材料を探しに、模型やさんに行ってきました。
Ramsey, NJの17号線沿いにあるHi-Way Hobby.
鉄道模型や、プラモデルなどいろいろあります。

日本にはたくさんあるこの手の店をこちらで探すのは、
結構大変です。
日本ではおもちゃ屋さんでもプラモデルは売っていますが、
こっちはそんなのありません。

で、結構見入ってしまいました。
TAMIYAのプラモデルや、
モーターのセットとか、
そうそう、何年か前に「モーター」をさがして、
(これも子供のプログラムのため)
やっぱりなかなかなくて、何時間もかけて1個見つけた覚えがありますが、
ここにはあります。
「ガンダム」のプラモデルもいろいろあります。

小学生の頃、友達の誕生日に呼ばれたら、
「戦車のプラモデル」を持っていくのが定番でした。
戦車には余り興味はなかったですが、
それでもいくつか作りました。

そのころは、「リモコン」の戦車のプラモデルもありましたが、
今日は見あたらなかったですね。
でも、ちょっとはまってしまうかもしれません。
プラモデルの世界。

あ、あと、アメリカらしいのでは、
「ノアの箱舟」のモデルもありました。
プラモデルじゃなくて、木でできたキット。

探していた材料は見つからなかったのですが、
後学のためにかなり勉強になりました。

いつか紹介したCGNTV。
(右にもリンクを貼りました)
今日、ちょっと時間を作って、
QT基礎セミナーのQTの分かち合いと証し(1)を見ました。
こちらが前半。(リンクをクリックすると音が出ます。注意)
こちらが後半。(リンクをクリックすると音が出ます。注意)

本当に良い内容です。
韓国語に日本語の字幕なので、
ずっとコンピューターの前に座っていなければいけないのが、
結構大変なのですが、その価値はあります。

QTとはQuiet Timeの略で、
クリスチャンの人が、聖書を開いて祈って過ごす一時のことです。

この方は、本当に神様と過ごす一時を楽しんでおられると感じました。
そして、それが生活の一部になり、生活にimpactを与えているんですね。
そのような神様との一時を持てるようにと願いました。

さて、今日のわたし自身のQTから。
今日はイザヤ書の42章を読みました。

「彼は衰えず、くじけない。」4節。

イエスは私たちのために忍耐して、歩まれた。
そして、十字架の勝利を得られた。
そのことを思わされました。

今のわたしにもどれだけ忍耐してくださっているだろうかと思いました。
どれだけ、耐えて、待っていてくださるだろうかと。

歩みの遅いわたしのために、
失敗ばかりで、
試行錯誤ばかりで、
あっち行って、失敗して、
こっち行って、失敗しているわたしのために、
どれだけ忍耐してくださっているか。

でも、あきらめないで待っていてくださる。
十字架の道を開いて、
今も待っていてくださる。

そのことに心から感謝しました。

主よ、
あなたの忍耐に感謝します。
あなたがわたしのことを見捨てないでいてくださることに、

心から感謝します。
どうか、これからも、よろしく、一緒に歩んでください。
あなたがいてくださることに、心から感謝します。