2016-01-02

期待して祈る。信頼して待つ。

今朝は久しぶりに氷点下の朝。-2度C。
昨日の夜は星が瞬いていたので、今朝は快晴かと思ったら、薄雲が出て、朝焼けの朝。





今朝はルカによる福音書1:5-25を読んだ。

心に留まったのは、「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられたのだ。」という13節の言葉。

ザカリヤは祈りながらも、「もうそのようなことはありえない」と思っていたのだろう。信じられなかった。でも何度も何度も期待が裏切られていたら、そうなってしまう。「神様には、私たちの思いを超えた深いお考えがあるから」っていうことは確かなんだけど、それを、単に「諦め」のように言っていることはないだろうか。

思いめぐらしながら、思い出していたことがあった。

中学校の時にトロンボーンを始めた。学校に、あちこち凹んだ、緑青が手につくような錆び付いた楽器がいくつもあって、それで練習していた。今思うとそれのどこが悪い、と思うのだけれども、その頃、ピカピカのホルンをうん十万で親に買ってもらった同級生が羨ましかった。いつもYAMAHAのカタログを見ながら、いつか、ボクも買ってもらえないだろうかと思っていた。

でも、ある日、どんなきっかけかわからないけれども、親父に直訴した。「トロンボーンが欲しい」と。「無理だ」と言われて、「話も聞いてくれないのか」といじけて教会の三階の塔のような部屋に立て篭ったら、「いくらだ?」と聞いてきたから、「話を聞いてくれるんだ」と思って、「これが5万。でも、これはあまりにも安いので、こちらの9万のはどう?」と聞いた。そしたら、親父の答えは「バカ!」だった。

楽器の値段も想像できない家に生まれたんだと、そんな親父なんだと、本当に悲しくなった。

もうそれで諦めていた。

でも、何ヶ月か経ったある日、久しぶりに伺う家に連れて行かれて「これはどうだ?」と2台のトロンボーンを見せられた。実は親父は音楽のわかる人とか、宣教師の先生に相談して、中古のトロンボーンを探してくれていたみたいだった。そのうちの高い方、2万5千円のCONNのを選んだ。中古だけれども、緑青もなく、凹んでもいなく、明るいスッキリする音が出る楽器だった。

信じられなかった、あてにしていなかった、諦めていた。でも、親父の方は覚えていて走り回っていた。感謝。

諦めではなくて、神様への信頼の中で、「みこころがなりますように」と祈る者でありたいと思いました。

神様、
私の思いはあなたの思いとは違うことは知っています。私の思いをはるかに超えて大きなことを知っています。でも、それは私たちが諦めるべきことではなくて、信頼すべきことであることを教えてくださりありがとうございます。
あなたのみわざを、すばらしいみわざを心から待ち望みます!

2016-01-01

あけましておめでとうございます!

前回の更新が5月だったので、訪問される方もそれほどおられないとは思いますが、
あけましておめでとうございます。

今年も「日々のみことば」を新しく始めました。



ぜひご一緒に。
またemail配信もしておりますので、ご希望の方はご連絡ください。
去年までは1日1章でしたが、今年はもっとゆっくりと味わっていこうと思います。

元旦の聖書箇所はルカ1:1-4
ルカのこの書物を書いた目的が書かれています。

その中で心に留まった言葉は、
「御言に仕えた人々」2節。

本当に私はみ言葉に仕えているだろうか、思わされました。
み言葉に語られて、教えられて、感動させられて、その喜びをもって語らせていただきたいと思います。

それにしても、この冬はここまでは本当に穏やかな、いや気持ち悪いくらい暖かな冬です。
でも、夜7時ごろ家に帰ってきたら、小雪が舞っていました。
これからはもっと冬らしい冬になりそうです。

神様、新しい年、あなたのみ言葉によって歩むことをさせてください。
もっとみ言葉によって感動させられ、喜びにあふれて歩み出すことができますように。