2009-10-24
2009-10-23
歓待。
日本は土曜日の夜になりました。
セミナーもあと一日半。
昨夜は、実際にこの教会の皆さんがどのように、「家の教会」を実践され
ているのかを見せていただきました。
本当に「これ教会だなあ」と思わされます。詳しくは、またゆっくり書き
ますが、この4日間、たくさんの皆さんの証しをお伺いして、そして、
ホームステイ、食事などで歓待してくださっている姿に、励まされていま
す。
セミナーもあと一日半。
昨夜は、実際にこの教会の皆さんがどのように、「家の教会」を実践され
ているのかを見せていただきました。
本当に「これ教会だなあ」と思わされます。詳しくは、またゆっくり書き
ますが、この4日間、たくさんの皆さんの証しをお伺いして、そして、
ホームステイ、食事などで歓待してくださっている姿に、励まされていま
す。
このセミナーは、日曜日の礼拝でおわります。ともに集まる礼拝がまた喜
びの頂点だそうです。
楽しみです。
JCCNJの礼拝の祝福をも祈りつつ。
2009-10-22
からだの大切さ。
今日はお世話になっているお宅で、
PCをつながせていただいて、
PCで更新。
でも、もう遅いので、やっぱり一言だけ。
去年の合同ファミリーキャンプで、
朝の祈り会の後、体を動かすのを指導して下さった、
エアロビクスのインストラクターの方が、
その後帰国して、今、セミナーをしている教会に集っておられるのですが、
今日は、その方が、休憩時間に10分くらい、2回。
ストレッチの指導をして下さいました。
とても助かりました。
今日は、朝は3時間、午後4時間、夜2時間、
ずーっと講義で、座りっぱなしだったので、
本当に必要だったなあと思います。
で、あと、講師の先生が、
7年前に手術をされた時に祈られた祈り。
「神様、あなたからお預かりした大切なからだを大切にしなくてごめんなさい。」
そうなんですよね。
神様が管理を任せて下さった体。
大切にしなければいけませんね。
ということで、今日もこれで休みます。
皆さんのお祈りに感謝しつつ。
2009-10-21
たふ。
な一日でした。
日本にきたついでに…なんてことは考えられないくらいたふです。学びの
内容は、今日のところは、いままで先生から個人的にうかかってきたこと
だったので、明日からが楽しみです。
明日に備えて、休みます。
日本にきたついでに…なんてことは考えられないくらいたふです。学びの
内容は、今日のところは、いままで先生から個人的にうかかってきたこと
だったので、明日からが楽しみです。
明日に備えて、休みます。
2009-10-20
スタート
無事、日本につきました。
空港から、直接会場に行って、さっそく、セミナースタート。
消化するだけで精一杯で、ここで報告はできませんが、ひとつだけ、嬉し
いサブライズ。
駅から教会までの道の中で、意外な知り合いに会える、という印象が与え
られていたのですが、それは、JCCNJの元メンバーで、そのときは
駐在で来られていたのですが、帰国後、お仕事を辞めて神学校に行き、今
は牧師をされている方。
こどもたちもうちと同世代。ともに再会を喜びました。
これもiPhoneからの更新。
一週間ぼちぼち更新するかも、です。あんまり期待しないで見にきてください。
空港から、直接会場に行って、さっそく、セミナースタート。
消化するだけで精一杯で、ここで報告はできませんが、ひとつだけ、嬉し
いサブライズ。
駅から教会までの道の中で、意外な知り合いに会える、という印象が与え
られていたのですが、それは、JCCNJの元メンバーで、そのときは
駐在で来られていたのですが、帰国後、お仕事を辞めて神学校に行き、今
は牧師をされている方。
こどもたちもうちと同世代。ともに再会を喜びました。
これもiPhoneからの更新。
一週間ぼちぼち更新するかも、です。あんまり期待しないで見にきてください。
2009-10-19
明日からは集中。
してください・・・ということなので、
もしかしたら、日曜日くらいまで全くアップ出来ないかもしれません。
どんなネット環境になるかも全くわからないので・・・。
と言うことで、とりあえず追いついておきます。
あっと、1年余り前に来られた、レインボーの静さんが、
ラジオ番組に登場。
http://febcjp.seesaa.net/article/129702678.html
(ちなみにこのページの次のページには恩師のコバ先生が登場!)
1年前、レコーディングをしたものを中心にしたCDもいよいよみたいですね。
この「いよいよ」からも長い道のりがあるのだと思いますが・・・。
「お天気の歌」も今度出る「ピアノCD」に入るという話もお伺いしています。
楽しみです。
今日の聖書。
今日はエレミヤ22章1-9節。
「公義と正義を行い・・・」3節。
主が正義を求めておられる。
それは弱い者が、無視されたり、取り残されたりしない正義。
わたしも鈍い人間なので、声を挙げてくれる人の言葉には、
耳を傾けることができても、
上げる声がない、どうしていいのかわからない人々の心の叫びには、
なかなか気がつきません。
自分が言えないのが問題だ、
それもあるでしょう。
でも、言いたくても言えないところがあるのです。
わたしもそうでした。
甘えと言えば甘えかもしれません。
わたしの場合はそうだったでしょうね。
でも、本当に言いたくても言えない。
声を挙げても、小さくて、誰も気がつかない、
声さえ出ない、
そういうところにも目を留めるような正義。
課題としては大きくて難しいですね。
でも、そういうことに目を留めるチャンスを与えてくださった主に感謝。
主よ、
どうか、正義を行わせてください。
弱い小さな声に耳を傾ける正義を行わせてください。
大きな声ばかりに振り回されることがありませんように。
2009-10-18
いよいよ。
今日も肌寒い天気でした。
でも、雨も大したことはなく、
夜には止んでいます。
明日からは天気も回復してそこそこ暖かくなる見たいです。
そして、20-27日の関東は
朝が15度くらい、昼間は20度くらいという、
とんでもなく快適な天気が続く予報が出ています。
傘のいらない1週間になりそうです。
さて、いよいよ明日、日本に出発します。
一昨年に初めて牧師のためのセミナーでお会いして、
大きな励ましを頂いて、今年の3月に個人的にお会いして、
そして、9月に修養会に来ていただいた趙先生が中心になって
導いてくださるセミナーです。
楽しみにしております。
また、与えられた時間、教会のために集中して祈ることができるようにと願っています。
また、その川崎の教会の方々との出会い、
また他の牧師の参加者の方々との出会いも楽しみです。
恒例、飛行機が長い+眠れないのがちょっとしんどいですが・・・。
さて、昨日、10月17日(土)の聖書。
エレミヤ21:1-14。
「見よ。わたしはあなたがたの前に、いのちの道と死の道を置く。」8節。
命の道は降伏の道、
死の道は徹底抗戦の道。
でも、エレミヤの時はそうだったけれども、
イザヤとヒゼキヤの時は、「わたしを信頼して堅く立ちなさい」と言われました。
それが命の道でした。
だから、表面的に聖書を読んで、
それを守っているから、神様が喜ばれるわけではないのです。
エレミヤの時代にも、
「神様が守ってくださるから大丈夫」という人々がいました。
でも、彼らは神様に従っていなかったのです。
神様を信じていなかったのです。
でも、いざというときには、「神様がいるから大丈夫」と言っていました。
でも、それは命の道ではなくて死の道だったのです。
だから、本当にわたしたちはいつもいつも神様がどう思われているかを、
探っていくことが大切だと思います。
慎重に慎重に神様の声を聞き分けることができる者でありたいと思いました。
神様、
あなたがわたしの主であって下さるから感謝します。
本当にあなたを主として従っていくことができますように。
あなたを信頼して歩んでいくことができますように。
そして、御心見極めることができますように。
見極める慎重さと、信じて従う大胆さを与えてください。
でも、雨も大したことはなく、
夜には止んでいます。
明日からは天気も回復してそこそこ暖かくなる見たいです。
そして、20-27日の関東は
朝が15度くらい、昼間は20度くらいという、
とんでもなく快適な天気が続く予報が出ています。
傘のいらない1週間になりそうです。
さて、いよいよ明日、日本に出発します。
一昨年に初めて牧師のためのセミナーでお会いして、
大きな励ましを頂いて、今年の3月に個人的にお会いして、
そして、9月に修養会に来ていただいた趙先生が中心になって
導いてくださるセミナーです。
楽しみにしております。
また、与えられた時間、教会のために集中して祈ることができるようにと願っています。
また、その川崎の教会の方々との出会い、
また他の牧師の参加者の方々との出会いも楽しみです。
恒例、飛行機が長い+眠れないのがちょっとしんどいですが・・・。
さて、昨日、10月17日(土)の聖書。
エレミヤ21:1-14。
「見よ。わたしはあなたがたの前に、いのちの道と死の道を置く。」8節。
命の道は降伏の道、
死の道は徹底抗戦の道。
でも、エレミヤの時はそうだったけれども、
イザヤとヒゼキヤの時は、「わたしを信頼して堅く立ちなさい」と言われました。
それが命の道でした。
だから、表面的に聖書を読んで、
それを守っているから、神様が喜ばれるわけではないのです。
エレミヤの時代にも、
「神様が守ってくださるから大丈夫」という人々がいました。
でも、彼らは神様に従っていなかったのです。
神様を信じていなかったのです。
でも、いざというときには、「神様がいるから大丈夫」と言っていました。
でも、それは命の道ではなくて死の道だったのです。
だから、本当にわたしたちはいつもいつも神様がどう思われているかを、
探っていくことが大切だと思います。
慎重に慎重に神様の声を聞き分けることができる者でありたいと思いました。
神様、
あなたがわたしの主であって下さるから感謝します。
本当にあなたを主として従っていくことができますように。
あなたを信頼して歩んでいくことができますように。
そして、御心見極めることができますように。
見極める慎重さと、信じて従う大胆さを与えてください。
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