2011-03-26

日曜日のために。

明日の礼拝に備えて、
今日は(も?)更新はお休みしますが、
一言だけ、Rick Warren師のtweetから。

Pastors:Your sermon must always FIRST be your offering to God,
Only after that can it become a presentation to others.

祈りつつ。
祈ってくださいね。

2011-03-24

足踏み。

昨日は朝雪が降っていましたが、
昼間は雨。


でも、夜の7時半頃でしょうか、
雷を伴って激しいsleetが降って、
あっという間に道路はシャーベット状態。



めちゃくちゃ歩きにくかったです。


そして、帰ってきたら、雪。


一度やんだのですが、今朝がたまた降ったみたいで、
車はしっかり雪に覆われていました。


ま、すぐに融けた春の淡雪でしたが。


でも、これから数日、
春は足踏みです。


今夜の最低気温は-6度くらい。
昼間も10度以下の日が続きそうです。


今、多くの情報はtwitterから入ってきます。
そんなにたくさんの方々をフォローしているわけではないのですが、
なんだか、必要十分みたいな。
何百人フォローしている方々もおられるのですが、
これ以上増えたら、どうやって情報を取捨選択するんだろう、って感じ。
もちろん玉石混淆、かなり怪しい情報も入ってくるので、
これはまた難しいのですが、
そんな中で、昨日、おお、と思ったのはこの情報。


心理学博士からの、震災から心を守るメッセージ(三羽理一郎)


カルフォルニアの先生だそうですから、
やはり物理的距離のある所にいながら、この震災を受け止め、
その距離故に思うことなどもある中で、
日本の方々や、こちらの方々にメッセージを送っておられます。

だから、よけい共感するのでしょうか。

特に以下のくだりは、ずっと私も感じてきたし、語ってきたことです。

ひとつぜひ持って欲しい考え方は、「自分は自分の出来ることをするのが大切である」です。
被災地で救助に当たっている人たちだけが、今ここで重要なのではないのです。
あなた方ひとりひとりが、自分とその周囲をケアし大切にすることで、日本全体の回復・復活に役立ちます。

神様が一人一人を必要な所に生かしてくださっている。
復活のイエスに「私に従ってきなさい」と言われたペテロが、
「この人はどうですか?」と目に入ったヨハネのことを聞いたのに、
イエスは「それが、あなたと何の関わりがある?あなたは私に従いなさい」と言われた。

あなたは神様にどんな使命を与えられているか、
そこに堅く立っていくことの大切さを思わされます。

あと、今度の震災の中で、「聖書学院で共に学んだあの方はどうしておられるかな」と思っていた方のお一人は、宮古の岩塚牧師。
1学年先輩で、とてもお世話になった方。
福島県の海沿いの教会、いわき市だったかな、結婚式にも出させていただきました。聖書学院で共に学んだ仲間の代表みたいな感じでお招きいただいた記憶があります。

今日、情報が出てきたみたいです。いや、しばらく前に情報はちらほら出ていたようですが、今日、こちらに情報が出ていました。
なかなか、安否が確認できなかったみたいですが、
ご無事なようです。

正直、ここ数年ご無沙汰しておりました。
この情報を目にした、というのも神様の導きと信じて、
これを機会に、また、ご連絡してみようと思います。

さて、昨日今日の聖書。
昨日から今日にかけて、民数記の13章を読んだ。

「わたしが・・・与えようとしている・・・地」2節。

12人の人たちがカナンの地を偵察に行ったのは、
神様の命令に従ったことだったのだ。

時々思う。

なんで偵察に行ったんだろうか?
行かなければ、人々は「ダメだ、勝てない、もうやめよう」と言わなかったのではないか、
モーセは失敗したんじゃないかなあと。

でも、そうじゃなかったんだ。
神様が人々を偵察に行かせたのだ。

そして、既に神様はその土地を、彼らに与えると、約束をしておられたのだ。

もう既に与えられている。
なのに、この人々は、状況を見て、恐れた。

「日々のみことば」誌には以下のようにある。

「あなたは、目標達成のために調べたことが、いつの間にか自分の弱さのために消えかかったことがないでしょうか。」

本当に主を信頼するテストを受けいているんだろうと思う。
主を信頼することは何もしないことではない、
主を信頼することは信頼して従うことだ。

さあ、歩み出そう。

主よ、
どうか、あなたの導かれるところに行かせてください。
その道が厳しいならば、そこから逃げるのではなくて、
そこを行くために何が必要なのか、知ることができますように。
あなたを信頼して従って行くことができますように。

2011-03-22

ふとした偶然で・・・。

昨日、はちこさんがFB上で紹介していた
KOKIAの「私にできること」を聞きながら、
「ふとした偶然で今交わった人生」のところで、
震災の1週間前にTwitter上で久しぶりにやり取りをした
KEN(http://twitter.com/KENGKONG213)のことを思い出していた。

ずいぶん前、こんなに有名になる前だけど、
KOKIAは友達のところに来たときに、
NJの家庭集会に一回来てくれたことがあった。
それから、ちょっと気になるアーティストだ。
いや、それがなくても、彼女の歌はいい。

この歌は中越沖地震のときに被災した柏崎のファンのために個人的に送った曲だという。
これはぜひご自分でyoutubeで検索してほしい。

あ、あの時も東電の原発では火災が起き、放射能漏れを起こしている。
3年半で、地震対策を万全にしろと言っても酷な話だろうけど、
何なんだろうなあ、と思う。
まあ、原発のことは本題から外れるから、置いておいて・・・

「遠く離れていても」
「私にも何かできることがあるかな」
などの言葉が、今の自分たちの状況にあまりにも重なって、
KENにメッセージを送らないではいられなかった。

彼は、利府という仙台の北隣の町に住んで、
牧師をしている兄を支えている。

3年くらい前だろうか、
NYに来たときに、ちょっと滞在してくれた。
子供たちのために働きをしたい、というゴツイ若者だった。
それからほとんど互いに連絡も取っていなかったんだけど、
Twitterでちょっと前にフォローしてくれて、
震災の1週間前にはメッセージを送ってくれた。

正直、自分は思い出すまでにはちょっと時間がかかったのだが、
のんちの方はほぼ、完璧に覚えていた。

「超人的に思える妻の記憶力に当惑しているあなたは、これは妻の女性という人格のなせるわざで、『忘れる』ことはできないのだと受け入れるしかありません」という「愛されたい妻と尊敬されたい夫」の一文を思い出さないではいられなかった。

あ、また横道にそれた。

利府の町自体はそれほど家屋の倒壊はなかったそうだ。でも、燃料不足、断水、食料不足が続いているらしい。

そして、何よりも、彼の車は津波で流されてしまったそうだ。
援助のために走り回りたいけど、車もなく、燃料もない。
だから、今は自分が今ある所で、光として輝きたいと。

今日は誕生日だったらしい。
そして、もうすぐ、ベビーも生まれるらしい。

こうやって海を越えて繋がることができたのは、
「ふとした偶然」とも思えるけど、
きっと偶然ではない。

もっともっとそのつながりを太くすることができれば・・・と思う。
祈っている。あのNJでの出会いも、震災の1週間前のtwitter上での再会も、神様の導きだと思うから。

今、夜11時で5.4度C。今夜は気温が下がって、これから雪。
みぞれになったり、雨になったり、しながら、
5センチくらい積もる予報が出ています。


今日の「日々のみことば」より。
民数記12:1-16。


「『主はただモーセとだけ話されたのでしょうか。私たちとも話されたのではないでしょうか。』主はこれを聞かれた。さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙虚であった。」2-3節。

「神はこう言われた」「私はこう示された」というときに、
よっぽど気をつけなければいけないと思う。

だって、神様が言われた、と言えば、わがままだって通せる。
自分の野望だって正当化できる。

だから、本当にこの「謙虚」って大切ですよね。
神様の前に砕かれて、いつでも神様に聞いて行く。
自分の思いではなくて、神様の思いが実現されることを求めて行く。

課題だ。

主よ、
私を謙遜な者とならせてください。
でも、大胆にあなたが語られたことを語ることができますように。

2011-03-20

次の世代のために。

今日は朝はちょっと氷点下。
で、昼間はずいぶん暖かくなりましたが、
夜になって、また冷えてきました。
今は夜の10時で、4.1度C。
これから明日は雨で、朝のうちは雪も混ざるようです。


今朝はまだ起きる前、ベッドの中でメールを見たら、若い男の子たちから、2つのメール。
一つは去年の元旦に信仰に導かれて、3日に洗礼を受けてロンドンに住んでいる子。
そこにはこんなビデオへのリンクが貼られていて、
今の日本のために、少しでも人々を元気づけることができるようにと、
教会の祈り会の様子かな、若い人たちの集まりの様子かな、
映像、という彼のできることで、正しいことをしたい、と思ったということでした。



彼に与えられているものが、神様のためにもっともっと用いられるようにと祈ります。


そして、もう一人は、今年の1月にウチに泊まりにきた、ハジの友達の大学生の子。
あのアトランタの雪のおかげで、飛行機がキャンセルになって、
「わおー、どうしよう・・・」とハジと二人でばたばたしたあの若者。
1月11日の日記。


その彼が、「ハジから聞いているかもしれませんが、バプテスマを受けることになりました」というメールでした。


そして、NJに来ておられたときに神様から背中を押された経験のことも。


ハジから何にも聞いてねえ。
でも、本当にうれしかったです。


次の世代のために・・・ということを切実に感じることの多い、今日この頃。
息子の世代の若者たちの中に起こっていることに本当に心が震える思いです。


大感謝!!!!


今日の週報のコラムにはこんなことを書かせていただきました。


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あの地震から9日がたちました。
今日もまた瓦礫の中から発見された方々がおられたそうです。今も救出を待っておられる方々のために、救出のために尽力されている方々のために、避難生活を送っておられる方々のために、大切な方をなくされ方々のために祈ります。
また、この9日間、不眠不休で福島の原子力発電所の制御のために命をかけて尽力されている方々のために祈ります。
緊急援助、復興援助のための働きが広がりを見せていることを感謝します。瞬発力が与えられている方々がおられます。神様はあなたを用いておられます。スタートダッシュは本当に大切です。あなたのおかげで多くの「何かしたいけど・・・」という人々が、その何かを見つけることができました。「瞬発力はないけど持久力が与えられている方、神様は、日本はあなたの存在をどれだけ必要としていることでしょうか。この先の道のりは本当に長いです。苦難が続きます。注目する人もどんどん減っていくでしょう。あのスマトラの大津波の後の地域のことを私たちのほとんどの者たちが忘れているように。でも、その中で力を発揮するのは持久力のあるあなたのような方々です。若い方々、皆さんの情熱に感謝します。あなたがたの力がなければ、日本の将来はありません。これからの復興の原動力は皆さんの力です。年長の皆さん、あなた方の叡智に感謝します。そのたくましさ、しなやかさ、それはあの戦争の中を通ってきたからでしょうか?戦後の復興を見てきたからでしょうか?あなたがたの知恵を私たちのために使ってください。
一人一人働きが違います。ある特別な人々がHeroとして注目されます。でも、みんな、一人一人役割を担っているのです。自分の与えられたところで与えられた役割を果たしていくこと、そして、日常のコミュニティーの中に生きていくことを大切にしていきましょう。

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本当に一人一人が自分に与えられた人生を生きることができますように!


今朝は、東電の原発のすぐそばにある福島第一聖書バプテスト教会の佐藤彰先生のメッセージを聞きました。今は避難されて、山形県の米沢に教会の50人くらいの方々とともに身を寄せておられます。教会の皆さん、先生ご自身、どんな所を通って来られたか想像できません。本当に暖かい、明るい先生で、私も5年前にお会いしたときに、たくさんアドバイスをいただいて、励まされたのですが、今回も「『福島第一』の名前は原発よりも教会が先だ!」とか、いくつもの笑いを交えながら、お話しされて、本当に励まされたのですが、その中の「私達が礼拝ができるのは当たり前じゃないことを思わされた」という言葉、心に留まりました。そうなんですね。私達が礼拝をできるのはあたりまえじゃない。本当に神様の守りと導きの中で起こること。そして、何よりもイエスの十字架故に与えられていること。


今日の礼拝を心から感謝しました。


さて、今日の聖書。
今日は民数記の11:16-25。


「主の手が短いというのか。」23節。

昨日の11章1節からのと、明日の今日の続きも一緒に読んだ方がいいと思うのですが、多くの人々の必要の前に、モーセは「自分で背負わなければいけない」という思いでつぶれそうになっていました。人々の愚痴をまともに受け取って、「自分にはできない!」とパニックを起こしていました。でも、そのモーセに向かって、神は、「あなたではない、私がするんだよ」と言われたのです。

主を信頼すること。
主がしなさい、と言われたら、「私は感知しない」ではなくて、どこまでも支えてくださること、主ご自身がなさることを、私達は信頼して、ついていけばいいのだということ。それを信じて従うことが大切なこと、思わされます。

主の御業を見せていただきたい、そう思います。

主よ、
あなたの若い男の子たちのうちになしてくださった大きなことの故に心から感謝します。どうか、これからも、次の世代の人々に大切なことを伝える働きをさせてください。あなたのみ手を信頼して歩ませてください。