3日分たまってしまいましたが、
3日とも祭司や祭壇の聖別の聖書箇所なので、
まとめて1回分で更新します。
6日(土)から今日8日(月)までかけて、
出エジプト記の29章でした。
「あなたはその雄羊をほふり、その血を取って、アロンの右の耳たぶと、その子らの右の耳たぶ、また、彼らの右手の親指と、右足の親指につけ、その血を祭壇の回りに注ぎかける。」20節。
土曜日の朝は早朝祈祷会もあって、
そこではレビ記の4章が開かれました。
その最初には、このように書かれています。
「すなわち、油注がれた祭司が罪を犯して、とがを民に及ぼすならば・・・」
つまり、祭司が罪を犯すときに、
それは自分だけの問題ではなくて、
民全体の問題となるということです。
この祭司の聖別のためにどれだけ注意深く命令されているか、
一つ一つの言葉が心に留まりました。
祭司は今の私たちに当てはめると、
クリスチャン全員です。
でも、やはり私自身はここを読んで、
牧師の責任を思わされました。
自分の罪が自分の問題だけではない。
自分の不信仰が、自分の不実が自分の問題だけではない。
その深刻さを忘れないようにしたいと思いました。
そして、今日のところでは、
「七日間にわたって祭壇のための贖いをしなければならない。あなたがそれを聖別すれば、祭壇は最も聖なるものとなる。祭壇に触れるものもすべて聖なるものとなる。」37節。
この祭壇は祈りの祭壇。
エリヤの時代、主の祭壇が崩れかけ、繕われなければならない状態だったことが記されていますが、本来祭壇は長い時間かけて整えられるもの。
私の祈りの祭壇も整えて頂きたい。
時間をかけて聖別してしていくことの大切さを思いました。
主よ、
あなたのために生きているでしょうか?
あなたのために時間を使っているでしょうか?
あなたのものを盗んでしまうことがないように、
今夜も、明日も、あなたの守りの中で歩ませてください。
そして、あなたの使命に生かしてください。