2007-03-17

神の怒り

今日はとにかく雪かき。
昨日も2回やっておいたのですが、
今日起きたら、またすげえ積っていました。
雪と言うよりはSleet。
めちゃくちゃ重いです。
そして、固くなっていました。

もっと悪いことに、
昨日はバスケをしていていなかったので、「今日はやってもらうぞ・・・」と思っていた息子が、土曜日の朝8時半から朝飯喰ってるではないですか?まさか、おぬし、どこかに行くのか?と聞いたら、9時から友達の家で宿題をすることになっている、なんてぬかすではありませんか。

「宿題」「勉強」という言葉にめっぽう弱い親。
「雪かきしてからにしなさい」と言えず、送ってきましたよ。
その途中で2回もスタック。
周りの人に助けて頂いて、なんとか愚息を送り、
一人黙々と雪かきしました。
でも、固い固い。朝飯前の仕事ではなかったので、
朝食食べて、再開。
午後は娘達にも手伝わせて、終わったら4時半になっていました。ふー。

息子がいないと労働力は半分ですからね。
娘達もがんばってはくれますし、
のんちも元気なときはやるのですが、
今日はちょっとダウン。

その息子も、友達の家の前が除雪してなくて、3回も車がその家の前で立ち往生して、
ヘルプに行ったそうです。「宿題なかなか進まなかった・・・」と5時頃に帰ってきました。

近所もどんどんsnow blowerを使う家が増えてきました。
ここに引っ越してきたときはそんなでもなかったですが、
今日などは、半分以上が機械を使って雪かきをしていました。

ま、うちは息子が家にいるうちは・・・あと冬2回?・・・スコップでがんばろうと思っています。

今日の聖書。
そんな一日ですが、朝はもちろん聖書でスタート。
今日は黙示録の15章を読みました。

「神の激しい怒りはここに窮まるのである。」

1節の言葉が心に留りました。

私は「神の怒り」という言葉からは意識的に目をそらしていたのかもしれません。余り得意な言葉ではありません。聖書の中に出てくる言葉なのですが、何とか見つめないようにしてきたのだと思います。でも、今日はこの言葉が心に留って、いろいろ思いめぐらさせられました。神は罪に対して、私たちの罪に対して、私たちが従わないことに対して、怒っておられるのだ、と言うことを考えさせられたのです。

そして、明日の子ども達のためのメッセージの中で、イエスが十字架にかかる前の夜の「ゲッセマネの祈り」のところをお話しするので、そのことを準備している中で、その「神の怒り」ということを考えさせられたのです。

イエスがあの十字架を前にして、それまでも何度もご自身予告しておられたし、そのためにこの世に来られたのに、十字架を恐れて、「悲しみの余り死ぬほどだ」とまで弟子たちに漏らされたイエス。それはこの「神の激しい怒り」を自分の身に負うことの恐ろしさから来ていたことを思わされたのです。イエスは私たちの罪を負われたときに、神の激しい怒りを受けなければいけないことを知っておられた。十字架に釘打たれることも、むち打たれることも、人々に侮辱されることも、もちろんそれら一つ一つが十字架の痛みだったと思いますが、私たちの罪に対する「神の激しい怒り」を受けなければならないということがどれだけの痛みだったかと思います。

その怒りを私のために負ってくださったイエスに感謝します。

私もその怒りを覚えるときに、その怒りを受け止められたイエスの痛みを覚えるときに、「すべての罪から離れたい」と思います。

主よ、
あなたが私のために罪を負ってくださって、
私が受けるべき神の怒りをご自分の身に負ってくださったことを感謝します。
どうか、私を罪から守ってください。
ホンの小さな罪からも、(ああ、そういう罪に大小をつけること自体が恐ろしいことですね)
私を守ってください。罪を甘く見ることがありませんように。

2007-03-16

イエスの行くところについて行く

雪だったのは2時頃までで、
その後はSleetがガンガン降っています。
全部で15センチくらいでしょうか?
もしもこれが全部雪だったら50センチくらいいっていると思います。

今、夜の9時45分ですが気温は-4度。
Sleetが激しく降っています。

究極の選択・・・

こんな天気の夜に運転するのは・・・

1.タイヤは新しいんだけどワイパーが動かない車
2.ワイパーは動くんだけど、タイヤの溝がかなり減っている車

今日の夜は集会を中止にしたのですが、
中止にしても連絡がつかなくて、来る人があったら申し訳ないし、
集中して祈る時を持ちたかったので、
教会に行って来ました。

でも、行こうと思ったら、教会の車のワイパーがなぜか動かない。
氷のせいだと思うのですが、動かないんです。
で、悩んだあげく、2を選択。
安全運転でいってきました。

基本的に雪の中の運転は好きな方なので、
「めちゃくちゃ急いでいる」とか
「めちゃくちゃひどい雪」
は、イヤですが、今夜くらいなら、楽しんでいます。

自分は安全運転なんですが、もらい事故はイヤですよね。
今日も横を大きなトレーラーがすごいスピードを出して追い越していきました。

また雪の下り坂で前の車が急ブレーキをかけたときはヒヤッとしました。
いつもの5倍くらい車間をとっているので、「ヒヤッ」だけで済むんですが。

でも、そんなにしていった教会での一時の祈りの時間。
とても幸いな時間でした。

さて、夜中の1時、昼の2時に続いて、今日3回目の「一日一章」。
やっと追いつきました。

今日読んだのは、黙示録の14章。
心に留ったのは4節の言葉。
今日はほんとうに深く深く探られました。

「彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。」

私たちがイエスさまの行かれるところについて行く。
私たちが行きたいところに、「イエス様、一緒に行ってください」とお願いするのではなくて、
私たちがキリストの行かれるところについて行く。
それはもしかしたら、あのペテロにイエスが言われたように、
「行きたくないところ」「望んでいないところ」かもしれない。
不本意かもしれない。

でも、イエスさまが共に行ってくださるならば、そこが天国。
それが喜び。
もしも共に行ってくださらないならば、そこは地獄。

今、不本意という言葉を書いて、
自分がNJに来たときのことを思いだしてしまった。
元々不本意だった。
他の大学に行きたかったのだった。
でも、今は主の導きを信じることができる。
はっきりそう言うことができる。

イエスさまを振り回すのではなくて、
イエスさまに振り回される生涯を送りたい。

イエスさまと太いパイプを持っていきたい。
聖霊様にいつも聞いて歩んでいきたい。

主よ、
どうか私の歩みを守ってください。
いつもいつもあなたの導きを尋ねていきますように。
あなたの導きを求めていきますように。
あなたの行かれるところにどこにでもついていきます。
ついて行かせてください。
「あなたの行かれるところ」を
敏感に知ることのできる者としてください。

忍耐と信仰

今日は本格的な雪。
今年、一番本格的な降り方なのではないかと思います。
でも、学校は平常通り。
早く終わるかと思っていたのですが、
何も連絡はありませんでした。

でも、教会の集まりは
午前中の「聖書を読む会」も、
夜の「レント集会」もお休み。

東京も16日、初雪だったみたいですね。

このあと、雪とsleetのMixが夜まで降り続くようです。
今午後の2時で10センチくらい。
30センチくらい積るでしょうか。

今日の第2回目の「一日一章」昨日の分。
昨日、木曜日の聖書箇所は、黙示録の13章でした。
「 ここに聖徒の忍耐と信仰がある。」10節、
「その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。」17節。

世の終わりに「666」のシンボルで表される「反キリスト」があらわれるという。
その時に、キリストに従っている者たちは、
ものを買うことも、売ることもできなくなる。
ビジネスにも行き詰まり、買い物もできない。
そんな中で、信仰を守り続けることができるだろうか、
そんなことも思わされる。
世界の大多数が、その「反キリスト」の支配のもとにあって、
「反キリスト」が圧倒的な人気があって、
でも、それでも、信仰を守り続けることができるだろうか?

今の信仰が問われていると思う。
今、この現在の時点で、
周りに流されたり、
周りに合わせてしまったりすることのない、
いつも変わらないものを信じ続ける、
確かな信仰が大切だと思う。

主よ、
どうか、私の信仰を導いて下さい。
どんな中にも、周りに流されることのない、信仰を与えて下さい。
70年前、日本でもドイツでも、多くの信仰者達が、
周りに流されていきました。
9/11の時はどうだったでしょうか?
多くの人々が周りに流されていきました。
その中で確かな動かないものを持ち続ける者であり続けることができますように。
いつもいつもあなたの御言葉を中心に歩む者でありますように。

戦いに勝つもの

もう16日になりましたから、「今日」ですが、
今日は大雪でしょう。

どれくらい大雪かは天気予報によって違いますが、
一番少なめに見積もっているところは3-6インチ。
多めに見積もっているところは8-12インチです。
もっと行く可能性もあります。

今は夜の12時50分ですが、
2.5度で雨が降っています。
明日の朝には氷点下に下がるようです。

昨日はNYでいろいろ考えさせられ、祈らされましたが、

心に響いてきた聖書の言葉は、
「彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。そのころ、百二十名ばかりの人々が、一団となって集まっていた」使徒行伝1章14-15節の言葉です。

120人の熱い祈りを捧げる人々がいた。
そこに聖霊様が注がれて、
3000人の人々が救われた。
そして、教会が誕生した。

単純に思わされ、祈らされました。
120人の、訓練された、祈りの人を送って下さい、と。
与えて下さい、と。

そして、先日から思わされていること。
「箱をかく者がヨルダンにきて、箱をかく祭司たちの足が水ぎわにひたると同時に、――ヨルダンは刈入れの間中、岸一面にあふれるのであるが、――上から流れくだる水はとどまって、はるか遠くのザレタンのかたわらにある町アダムのあたりで、うず高く立ち、アラバの海すなわち塩の海の方に流れくだる水は全くせきとめられたので、民はエリコに向かって渡った。」ヨシュア記の3章15-16節。

神様が導いて行かれるとき、
祭司達が先頭に立っていった、
決してみんな横一列に並んでいたわけではない。
祭司が前に進み、
その足の裏が水際に浸ると同時に、
川の水は涸れた、という。

指導者の責任を感じました。
ここ一番というとき、
やはり勇気を持って進んでいくのは指導者達だと、
横一列に並んでいたわけではなく、
指導者達が勇気を持って踏み出したときに、
人々は川を渡ることができたと。

でも、決して民のことを無視していたわけではなくて、
民の備えもできていた。
民の備えと、指導者が先頭に立つこと。
この両方が必要なんだと思いました。

一昨日、水曜日の聖書。
一昨日は黙示録の12章でした。

心に留ったのは「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。」11節の言葉です。

私たちの勝利は、こひつじの血、つまり、イエスの十字架、
そして、「自分たちの証の言葉」のゆえ、だといいます。

イエスの十字架は分ります。
でも、自分たちの証の言葉とは何でしょうか?
イエスのことを証しする言葉、
メッセージ。
イエスが私の人生の中にどんなすばらしいことをして下さったか、
ということです。

それが私たちに勝利を与える。
証をすることは大切なことです。
もっともっと周りの人々に、
もっともっとこの地域の人々に、
この方のお証をしていこうと思います。
もっともっと大胆に伝えていくことができますように。

主よ、
私も「証の言葉」によって勝利を頂きたいです。
もっともっと証をさせて下さい。
私にさせて下さい。
そして教会のお一人一人にそれが広がりますように。
証の波が広がっていきますように。
証をしよう、といううねりが広がっていきますように。

2007-03-14

怒り

今日はNYDayです。
一日一章が一日遅れですし、
夜遅くなると、また更新が億劫になってしまうので、
今のうちに1回分。

今日はほんとうに暖かいです。
朝は3度くらいでしたが、
今はもう20度あります。
パッチを履くかどうか悩んだくらいです。

でも、金曜日から土曜日の朝にかけて
雪の予報が出始めています。

結構降るかもしれませんが、
今のところ、1-3インチという予想です。

こんなに暖かいのに?
という感じかもしれませんが、
奇しくも昨日はsuperstorm '93の14周年記念日。
アトランタに住んでいて、
大学の休暇を利用して、
2歳の長男を連れて3人でフロリダに行きました。
1週間の休暇だったのですが、
火曜日までに宿題を終わらせて、
水曜日に出発。
その時には70度F、つまり20度C以上ありました。
天気予報では「週末はみぞれかも・・・」みたいな予想を出していましたが、
「まさか・・・」って感じでしたね。

そして、木、金と滞在して、
金曜日のうちにアトランタに電話したら、
みぞれが降っているとのこと・・・。

わあ、と思って、土曜日は早めに出ました。
金曜日の夜はフロリダは大嵐だったのですが、
ハイウェイで北上する中で、
道路沿いに竜巻の爪痕もありました。

ところが、アトランタは吹雪だったようで、
途中で帰宅断念。
日曜日は軒並み教会も休みだったみたいです。
日曜日に帰ったら、15センチくらい積っていました。
そして、あそこらへんは除雪車がないから、大変。
道路でも日陰はしばらく雪が融けないで残っていました。

まあ、今回のstormはそこまですごいものではないと思いますが、
暖かいときの方が低気圧が発達しやすいので、要注意です。

そうそう、私が大学を卒業して、
聖書学院に入る前の3月の末に、東京でやっぱりそういうのがありました。
暖かい日が続いて、もう春だね、と言っていたら、
急に寒くなって、大雪。
1986年3月23日でしたね。
その日、日曜日だったのですが、
ホーリネス教団という150くらいの教会が集まっている団体の、
大会があって、みんな東京の青山に行ったのですが、
私は「誰か来られるとまずいから・・・」と教会の留守番を買って出ていました。
雨がざあざあ降っていて、
どなたも来られなかったのですが、
昼にちょっとテレビをつけると、
雪の映像。
どこかな?
と思って見てると、渋谷じゃないですか?
深川と渋谷でそこまで違うか!?と思いました。
吉祥寺とか、練馬とか、東村山とか、立川とか、八王子ならわかりますが、
渋谷が雪で、深川が雨?
と思ってみていたら、みるみる深川も雪に変わりました。

都心は数センチでしたが、
多摩地区は30センチくらいだったみたいですね。

今年、東京はまだ雪が降っていないようですが、
さてどうなるんでしょうか?金曜日には「一時雨か雪」と出ていますね。

長くなりました・・・。

昨日、火曜日の聖書。
昨日は黙示録の11章を読みました。

「諸国の民は怒りました」18節。

どうして怒ったのか、考えました。
やはりいろいろな災害のゆえだと思います。
私たちはいろんな災害が起こるたびに、
「神も仏もあるものか」と言います。
「神がおられるなら、どうしてこんなことが起こるのでしょう」と言います。

そういう怒りなのかと思います。
こんな苦しみを与える神は分らない。
そんな神は信じたくない。
そういう怒りなのだと思います。

テロリストの行為なら、
殺人犯の行為なら、
そこに怒りを向けます。
誰かの過失でも、不注意でも、
そこに怒りを向けるでしょう。

でも、天変地異の場合、
自然災害の場合、どこにも怒りを向けられません。

そして、自然をも支配しておられる神に怒りを向けるのです。

聖書は、自然災害も人間の罪の結果の「被造物のうめき」だといいます。
神様の意図されたものと言うよりも、
私たちの罪の結果です。

でも、自然界をも神様が支配しておられることを思うと、
そこでも神は悔い改めを願っておられるのだと思います。
「力を合わせて乗り切れ」ではなくて、
「悔い改めてわたしの所に帰ってきなさい」と。

主よ、
私の歩みを守って下さい。
自然界をも通して、あなたは私たちに語ってくださっていることを、
私が忘れないように、守ってください。
あなたに怒りをぶつけるのではなく、
あなたの悔い改めへの招きを聞き取ることができますように。

2007-03-13

時が延ばされなくなるとき

今日はまた暖かかったです。
朝は0度くらい。
昼間は18度くらいまで上がりました。
明日も暖かな一日で20度を超える予想が出ていますが、
雨も降りそうです。

そして、金曜日から寒くなって、
注目は土曜日。
もしかしたら、NJ沖を低気圧が通って、
雪になるかもしれません。

最近、夜、ゆっくりバスタブ(湯船)につかる(といっても半身浴)のが、
楽しみになってきて、昨日もTime誌を片手に浸かっていました。

そしたら、小さな記事なんですが、
国際捕鯨委員会の総会が5月にある、
最近、風向きが変わってきて、
捕鯨国の味方をする国々が増えている、
ということが書かれていました。
でも、商業捕鯨再開のためには加盟国の4分の3の賛成が必要だそうで、
それは無理だろう、とも書かれていました。

日本は調査捕鯨をしていて、ノルウェーとアイスランドは捕鯨禁止を無視している、
ということも書かれていました。

一部の「反捕鯨国」の主張が通って、
それを文化にしている国々の立場が隅に追いやられているのは、
おかしいよなあ、と思っていますが、

今日の朝のニュースで、
入り江に迷い込んでしまった鯨を沖に返そうとした、
人々の中の3人が海に投げ出されて、
そのうち一人の方が亡くなられたというのをやっていました。

それで、もっと、なんだか、おかしいよなあ、と思いました。

無理して海に返そうとして、
それで人が亡くなってしまうなんて・・・。

そこで鯨が死んでしまったら、
そして、その鯨をありがたく食用なんかにしてしまったら、
(40年前までは当たり前だったと思いますが)
世界中から非難を浴びるから、
一生懸命海に返そうとするんだと思いますが、
それって、人の命を危険にさらしてまでするべきことなんでしょうか?

とっても痛ましい、とっても疑問を感じるニュースでした。

さて、昨日の聖書です。
昨日(月曜日)はヨハネの黙示録の10章を読みました。

「もはや時が延ばされることはない。」
6節の言葉が心に留りました。

私たちは、神様がいつまでも、忍耐を持って待っていて下さる、
と思っています。思いこんでいます。
私たちの準備ができるまで待っていて下さると思っています。
でも、それはもしかしたら、大きな誤解であり、
ものすごい甘えなのかもしれません。

確かにペテロの手紙の中には、
神様はあなた方のために忍耐をしておられる、と書かれています。
でも、それはいつまでも待っていて下さるといっているわけではありません。

私たちの人生の最後の日が、「まだ来ないだろう」と思いつつ私たちは生きていますが、
必ず「今日が最後だよ」という日が来る、という厳粛な事実を忘れてはなりません。

自分が決断できないでいる一つ一つのことも、
「もう時は延ばされないんだよ」という時が必ず来ることを忘れないでいたいと思います。

主よ、
御言葉に感謝します。
あなたがもう一度、
「もう時は延ばされないんだよ」という時が必ず来るのだ、
ということを思い出させて下さったことに感謝します。
どうか、時を見る目を与えて下さって、
決断をさせて下さいますように。

あなたの導きを見逃すことがないように、
敏感な目を与えて下さい。

2007-03-12

苦しみにあったとき

今日はずいぶん暖かくなりました。
朝は-3度くらいまで下がりましたが、
昼間は16度まで行きました。
建物の中にいた方が肌寒いくらい。
車に乗ると汗ばむほどでした。

明日まで暖かくて、
水曜日からは雨。
最初は暖かい雨ですが、
金曜日は冷たい雨になりそうです。
雪の可能性だってあります。

そして、週末は寒いみたいです。

そうそう、日本も寒の戻りみたいですね。
「暑さ寒さも彼岸まで」とはいいますが、
3月中は何があるか分りませんね。

今日は週末からのリカバリ中。

でも、本来月曜日は週に一度の休みなんですが、
今日は牧師会で朝から出かけておりました。
同じ思いで、この地域の日本語を使う方々に
どのように福音を伝えるかということに、
日々腐心している戦友なので、
大切なときだと思います。
自分にとっても大切だし、
自分の存在が周りの仲間の励ましになれば、
という思いもあります。

今年の秋には、フィラデルフィアの日本語の達者な韓国人の牧師さんが、
牧師のためのrefreshとempowermentの集まりを開いてくださいます。
日本にいると、確かにそのような集まりは年に何回かあるのですが、
こちらで日本語でそのような集まりを持つのは初めてではないかと思います。
今から楽しみにしています。

牧師が、いつもいつも神様からのpowerをもらっていないと、
教会がダメージを受けます。おかしくなっていきます。

この地域の10数個の日本語教会のために、牧師達のために祈ることの大切さを思います。

昨日、日曜日の聖書。
昨日は黙示録9章でした。
災いが続くところです。
余り読んでて気持ちのいいところではありません。

その中で心に留ったのは、
「これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。」20-21節の言葉です。

人々が、
「苦しみにあっても悔い改めようとしなかった」
ことがここに書かれています。

どうしてだろうと思います。
でも、考えてみると、
自分が苦しみにあったときに、
「悔い改めよう」と思うだろうかと思いました。
今、人々は「どうしてこんなことが起こるんだろうか」と思います。

9/11の時にも、
「悔い改めなさい!」と叫んだ人々がいました。
その人々のことを自分はどう思ったか思い出すと、
「こんな時に・・・」と思ったように記憶しています。

いろんな困難の中で、
悲劇的な出来事の中で、
「これは神様が私たちを悔い改めに招いているんだ」
と果たして思えるだろうかと思いました。
いつもいつもそうであるかというと、そうではないんだろうと思います。

でも、「そうかもしれない」
と受け止めることは大切なんだ、聖書的なんだと思います。
「主よ、悔い改めるべきことがあるならば、教えてください」と祈るべきなのだ、
と思いました。

主よ、
苦しみにあったとき、
あなたが私を悔い改めに導いておられるかどうか、
そのことを祈り求めることを、私はできるでしょうか?
どうか、私にこのことを思い出させてください。
苦しみに遭うときに、
あなたのメッセージを聞くことができますように。
そして、「悔い改めを迫られている」と気がついたときに、
素直にあなたの前に出ることができますように。



太陽も月も

昨夜は帰ってきたのが1時過ぎになって、
今日も12時前になって、ちょっときついですが、
たまるとまたきついので、昨日の分の更新。

結婚式、いやあ、僕ら夫婦と花嫁は別に親子ほどは年は離れていないのですが、
ちょっとそんな気持ちもあり、神様に感謝しました。
これからがスタートなんでしょうが、
とにかく、守られてきたなあ、と思いました。

そして花婿氏も、1週間前にゆっくりと結婚前カウンセリングをしたこともあり、
とっても親しくなったような気分です。
今日も教会に一緒に来て下さいましたが、
結構、こちら的には仲間意識ができてしまいました。

祝福を祈ります。

さてさて、昨日、土曜日の聖書箇所。
昨日は黙示録の8章でした。
その中の12節には「すると、太陽の三分の一と、月の三分の一と、昼の三分の一とが打たれたので・・・」とあります。

これを読むたびに、また黙示録のいろんな記事を読むたびに、
こんなことほんとうに起こるんだろうかと思います。
それほど、太陽も、月も、星も、私たちは「かわらないもの」として見ているんでしょうね。
それもやがて、「打たれる」時が来る。
「天地は滅びるであろう、しかし、わたしの言葉は変わることがない」と聖書にはあります。
この天地さえも滅びてしまう。
そんな日が、そんな信じられないようなことが起こるのだ、
でも、それでも、主は変わらない方としておられる。
変わらない方として、共にいて下さる。
主のみことばは変わらない。

そこを信頼して、そこに希望を持って、
それを私たちの寄って立つ土台として、歩んでいきたいと思う。

主よ、
どうか私を守って下さい。
太陽も月も打たれるときに、
あなただけを、あなたご自身を信頼して歩ませて下さい。
あなたご自身を土台として歩んでいく祝福を経験させて下さい。