2008-01-05

「暖波」トーンダウン?

今日も穏やかな一日でした。
朝は-5.5度と天気予報通り冷え込みましたが、
昼間は6.4度まで上がりました。

今、夜の11時で、2.3度で雨が降っています。
でも、この雨もまもなく上がるようです。

2日前は最高気温が-6度だったのに、
今日は「雪」じゃなくて、「雨」だったりするのが、
こちらの天気ですよねえ。

今年はこういうパターンが多いようですね。
冷える時は冷えるけど、
降る時はみぞれか雨。

まだ本格的な雪は一度もありません。

で、今回の「暖波」ですが、
だんだん、「大して暖かくならない」という感じになってきました。
とても残念です。

「暖かくなるんだ」ととても楽しみにしていた分だけ、
「プチ暖波」では、ちょっと物足りなくて仕方がありません。

でも、それでも、明日は10度くらいまで上がるようです。
そして、火曜日くらいまでは暖かいようです。
そのあとはだんだん下り坂・・・。

15-18日くらいのどこかで雪が降るかもです。

今朝は月に一度の土曜日の早朝祈祷会。
「土曜日だけはゆっくり寝かしてほしい」という方の多い中で、
なかなか大人数とはいきませんが、
今日も祈るために集まりました。

その中で、今年JCCNJでまとめて購読している
「日々のみことば」について、
思わされたこと、励まされたこと、
分かち合ってくださる方々がおられて、
とてもうれしかったです。

そのような場が(このブログを含めて・・・)、
もっともっと起されていきますように。

さて、今日の「日々のみことば」
今日はルカによる福音書1:57-66でした。

「いいえ、そうではなくて、ヨハネという名にしなければなりません」60節の言葉です。

この「きっぱり」とした言い方に、心が留まりました。
その前後の「人々」の行動にもびっくりします。
時代と文化なんでしょうね。
親よりも「人々」が「ザカリヤという名前にしようとした」なんて。
そして、お母さんが「ヨハネでなければなりません」
と言うのに、人々が「そんな名前親戚一族にもおらんぞ」と反対するとか。

でも、それでも二人は神様に従った。

文化の中で、軋轢がある中で、
神様に従った二人。
そして、その時に、神様はザカリヤの口をもう一度きけるようにしてくださいました。
そして、彼は賛美にあふれました。

神様に従うってこういうことなんだと思わされました。

私たちは神様に従う時に、
このような戦いがあるだろうかと。

そのような時に本気で主に従えるか、
問われているように感じました。

主に従うものでありたいと思います。
明日の礼拝説教の聖書箇所もつながってきました。

「幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」ルカ11:28

神様、
あなたに従ったこの二人のように、
私もあなたに従う者でありますように。

軋轢を恐れないであなたに従う者でありますように。
口を開く時に、賛美があふれる者でありますように。

2008-01-04

熱心になっていい

今日は晴れて氷点下脱出。
1.4度まで上がりました。
昨日の最高気温が-6.1度でしたから、
ぐーんと上がったわけですね。

でも、やっぱり寒かったです。

今は夜の10時で、-0.4度。
明日の朝はまた-7度くらいまで下がる予想が出ていますが、
さあ、どうなるでしょう。

で、明日の昼間は7度くらい。
日曜日は10度くらい。
月曜日は13度くらい、とだんだん上がってくるようです。

でも、この「暖波」、残念ながら、
思ったより短くて、
1週間くらいのようですね。
来週の週末か、再来週の初めには、
雪になるかもしれません。
そして、再来週はちょっと寒いみたいです。

冬は冬らしくあってほしいと思う一方で、
やっぱり暖冬は助かります。

さて、明日の朝は早朝祈祷会なので、
今日は早速「日々のみことば」を書いて、速攻で休みます。

今日はルカによる福音書1章39-56節。

「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」
45節の言葉です。

ここを読みながら、
マリヤにとって、エリサベツはものすごい励ましの存在だったし、
エリサベツにとっても、マリヤはものすごい励ましになったのではないだろうかと思いました。

実は、自分は子供の頃から教会で育ってきて、
心のどこかで、「熱心になりすぎる」ことに反発を感じていました。
いつもどこかで醒めていた自分がいました。

信仰をちょっと斜に構えて見ている自分がいました。

「クリスチャンぽくない」とか
「牧師ぽくない」とか言われる時に、
「いいのかなあ」と思いながら、喜んでいる自分がいました。

そうでなければいけないのではないか、
それでなければ、この世の人々との接点ができないのではないか、
そう思っている自分がいました。

でも、このところを読んで、
エリサベツの熱さ、
またマリヤの熱さ、
その信仰の姿勢に、打たれました。

私もマリヤにとってのエリサベツのような存在になりたい。
エリサベツにとってのマリヤのような存在になりたいと思いました。

世離れしていると思われても、
ついていけないなあ、と思われても、

主を思い切り信じて歩んでいきたいと思いました。

熱心であってもいい、
神様の御言葉をまともに信じて歩んでいこうと思いました。

主よ、
あなたの僕としてください。
あなたの言葉を、まともに信じる者でありますように。
斜に構えていた私を赦してください。
あなたをまっすぐに前に見つつ歩む者とならせてください。

単純なまっすぐな、熱い信仰を与えてください。

2008-01-03

今日は寒い!

いやあ、今日は寒いですねえ。
朝は-11.3度。
そして、最高気温も-6.1度です。
さすがに寒い!と思いました。
別に外を歩くわけではなくて、
すぐ車に乗るのですが、
それでも、外に出るのがおっくうになります。

今、夜の10時ですが、-9度。
明日の朝はまた-12度前後でしょう。

フロリダの方まで氷点下の予報です。

でも、昼間はぐんぐん温度が上がって、
氷点下を脱出する予想が出ています。
すでに西の方から寒さがゆるんでいるようで、

昨日の11時に-13度だったシカゴも、
-17度だったミネアポリスも、
共に今は-6度と、こちらより暖かくなっています。

来週の「暖波」が楽しみです。

でも、去年の1月の記事を読むと、
「チューリップの芽が出た」とかありますから、
去年は「大暖冬」だったんですね。
それに比べると、
今年は、「プチ暖冬」といったところでしょうか。
今日はそんなこと忘れるくらい寒いですが・・・。

今日は、CGNTVより
「セミナー」の中から、
「QTの分かち合いと証し(2)」を見ました。
これは元々韓国語のセミナーを日本語字幕で見るので、
画面をしっかり見ていなければいけません。
つまりコンピューターの前に1時間座っていなければいけないわけです。
それが難しくて、なかなか見ることができない、と言う方もおられるでしょう。
でも、これ早回しができます。
1.5倍速くらい。つまり1時間番組を40分で見ることができます。
画面を右クリックして「Play Speed」からFastを選ぶと、
速くなります。

それから、やはり画面を右クリックして
ZoomからFull Screenを選ぶと、
画面いっぱいに広がるので、字幕が読みやすくなります。

「聖書を読んで、教えられたことを分かち合うこと」の大切さ、
また、それによって与えられる力について、
お話をしてくださっています。

「最近、聖書を読めないんですよねえ」ということさえ、
安心して分かち合える関係の大切さも語られます。

さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書の1章26節から38節です。

「 神にとって不可能なことは一つもありません。」
37節。

今日は、当事者であること・・・について思わされました。
私たちはどこまで行っても、この記事は、昔のことです。

「神にとって不可能なことは一つもありません」ということも、
当事者でない立場で言うことは、やはり簡単なんだろうと。
誰か他の人のこと、として聞いたり、言ったりすることは
簡単なんだろうと。

でも、それが自分のことだったら、
そんなに簡単に聞いて受け入れることもできないだろうし、
そこにかけて生きていくことも簡単にはできないだろうと思う。

私たちにとっては、
この出来事は「イエスの誕生」だけれども、
マリヤにとっては「イエスの出産」なのだ。

さあ、自分にとって
「神様には何一つ不可能なことはない」とは、
具体的には何のことを言われているのだろうか。
それも問われたし、黙想に導かれた。

主の全能を信頼して、
そこにかけて歩む者でありたい。

主よ、
マリヤのように、
私もあなたの僕です。
あなたの願われるように導いてください。
あなたの全能を信頼します。
私の信仰を守ってください。

2008-01-02

沈黙の恵み

今日は寒い一日でした。
朝からずっと氷点下。
最高はちょうど0度くらいでしたが、
今は夜の11時で-9.1度です。

ちなみにシカゴは-13度。
ミネアポリスは-17度です。

明日の朝は-10度から12度くらい。
華氏で1ケタになるかもしれません。

そして明日の最高気温の予想は-4度くらいです。

寒い一日となるでしょう。

でも、その寒さも、金曜日にはゆるんで、
週末からは冬らしくないくらい暖かくなるようです。

そして、それが1週間以上続くようです。
助かります。

さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書1章18-25節。

「やがて彼は出て来たが、人々に話すことができなかった。」22節。

ザカリヤが口がきけなくなったことは、
「信じないことに対する罰」というイメージが強かったのですが、
今日、ここを読みながら、
「沈黙」の大切さを思いめぐらしていました。

私もコミュニケーションの大切さを感じていますし、
このように聖書を読んで感じたことを分かち合うようにと、
皆さんに勧めています。

腹を割って話し合うこと、
感じたことを腹の中にしまっておかないで、
話すことの大切さが、いつも語られています。

でも、というか、だからこそ、
「沈黙」がどれほど大切なのだろうかと思います。

ヨシュア記でエリコの町を攻略する時に、
話をすることが禁じられたのはどうしてだろうか、
と考えたことがあります。

おそらく、「何のためにこんなことしているんだろうなあ」という、
思いになって、そういう話が盛り上がることを、
神様は禁じられたのではないだろうかと思います。

沈黙を守っている中で、
自分が神様との関係の中で、
解決を頂けることも、
人に話す中で、
大きくなってしまうこともあります。

こう書きながら、「話をすることの大切さ」を
やっぱり感じている自分がいます。

でも、いや、だからこそ、
沈黙が与えられる時がある。
沈黙を守らなければならない時がある。

そう思いました。

ちょっと先のことを書きますが、
ザカリヤが再び口がきけるようになった時、
そこから出てきたのは神への賛美でした。

私もそのような者でありたいと思いました。

沈黙の中で神に向かい、
沈黙の中で、神と語り、
神に教えられ、
御言葉によって語られて、
解決をいただいていく、
そのようなことも必要だと思いました。

主よ、
沈黙の大切さを教えてくださりありがとうございます。
語るべき時と、黙るべき時、
あなたが教えてください。
あなたが導いてください。

そして、私があなたの導きに対して、
いつも敏感であることができますように。

2008-01-01

今日は何の日?

今日は午前中は雨。
昨日寝る時には氷点下だったのですが、
今日は朝からどんどん気温が上がって、
降り出しから雨でした。

そして、昼頃には上がりました。
これから、どんどん冷えてくるようです。
今は夜の9時頃ですが、
まだ4.0度あります。

でも、明日から金曜日の昼頃までずっと氷点下です。

お気をつけて・・・。

今日は教会での元旦礼拝。
子供までみんなで一緒に礼拝を守りました。
100人ほどの方々が共に新年、神様の前に出てスタートしました。

「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」(詩篇46:10)

主が私たちの思いを超えて、素晴らしいことをしてくださいますように。

さて、新年早々、親ばかネタを一つ。

3時頃に教会を片づけて、
車2台で行っていたので、
1台が男車、1台が女車で、帰りました。

着くなり、下の娘が泣いています。

何で泣いているのかと聞くと、お姉ちゃんとママが悪いそうで・・・。

もうちょっとつっこんで聞いてみると、
「『今日はサキのわんちゃんの誕生日だ』って言ったら、
ママとユキは笑った・・・」とのこと。

まあ、笑うはな、それは・・・。
そんなことでいちいち泣くな!という感じでしたが、
思いっきり優しいパパをやってしまいました。

実は今朝起きたら、「あけましておめでとう」も言う前から、
「今日は何の日だ?」って聞くんですよね。
「お正月でしょ」と答えたのですが、
「サキのわんちゃんの誕生日」

うーん、うちのペットはヤドカリ2匹・・・。

でも、サキはぬいぐるみの犬をペットのようにかわいがっています。

で、「どうして?」って聞くと、
「ワン、ワン」だから・・・だそうです。



幸せもんだなあ、おまえは・・・。

(2日連続で、サキ、ハジ、私の3人でUNO。
昨日はサキが勝ち、今日はハジが勝ちました。
ホントは強いはずなんですがねえ・・・)

さて、今日の聖書。今日から「日々のみことば」を使って読みます。


いろんな、「デボーションガイド」があります。
これは毎日聖書を読むために励みになるように、
「今日はここを読みましょう、ここはこう言うところで・・・」
と説明が書かれているものです。

そんなデボーションガイドの中には、
「ちょっといい話」が書いてあるのもあります。


それもいいのですが、
それを使っていると、
なんだか、その「ちょっといい話」の方ばっかりに心が行って、
聖書の言葉から聞こうとする姿勢が育たないような気がします。


ですから、今年はこれを選びました。

これだけ読んでも、ちっともおもしろくない本です。

聖書と一緒に読むと、いろいろ目が開かれていきます。

少しでもお互いの励みになればいいなと思います。

手許に「日々のみことば」がない方のために、
毎日の聖書の箇所が、
このページの右の上の方に書いてあります。

今日はルカによる福音書1章1-17節。

最初は、神様が、その大きな働きを始めようとされる時には、
そのことを予告される、ということを思わされました。

アブラハムは神に、「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。」(創世記18:17)と言われます。

また、アモス書の3章7節には、「まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。」とあります。

是非、主にその心の中を開いて頂けるような、そんな関係を持たせて頂きたいと思いました。

また一番心に留まった言葉は「逆らう者を義人の心に立ち戻らせ・・・」17節の言葉です。


主はそのことをなされる。
そのことをされる力を持っておられる。

あの日曜日のJim Cymbala牧師のお嬢さんの話も思い出させられる。
主はそのことをしてくださる。

そのことをもっともっと祈っていこうと思いました。

神に逆らって歩んでいる人々に、
主が語ってくださるように。

どんなに神様に逆らっている人々も、
主に帰ってくることができる、

そのことを信じて、また見せて頂きたいと思いました。

今年の一年を通して、そのことを経験させて頂きたいと思いました。

主よ、
新しい年、歩みをスタートすることができて感謝します。
どうか、共にあって導いてください。
一歩一歩御言葉によって語られて歩む、私でありますように、
一歩一歩御言葉によって語られて歩む、教会のひとりひとりでありますように。

謹賀新年

あけましておめでとうございます。

米国東部時間も新しい年になりました。

本年もよろしくお願いします。

「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」詩篇46:10

神の御業を見せて頂く一年でありますように。

今日は11時から教会で元旦礼拝です。

2007-12-31

感謝。

昨日の予報はずれましたね。

昨日寝る時には2度で雨。
そして、朝起きたら1.2度で晴れ。

その間に何があったかはわかりませんが、
雪化粧はしていませんでした。

そして、今日は一日晴れ。
このあと曇ってきて、
明日は雨になるようです。

今は夜の10時45分。
今年もあと1時間あまりの時点ですでに
氷点下0.9度です。

今年一年を振り返って
やっぱり今日、感謝が湧いてきます。
もちろん、きついことや悲しいこと、
「どうして・・・」ということもありました。
まだ解決を見ていなかったり、
どのようにしたらいいか迷うこともあります。

でも、やはり感謝が湧いてきますね。

なんだろうと、
今日、車の中で、家族と話しながら、考えたら、
やはり新しい方向性が見えてきたことでしょうか。
何が教会にとって大切なことか、
見えてきたことでしょうか。

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」
ヘブル12章2節。

そのことの大切さが見えてきて、
何か本当に平安です。

だから、感謝します。
そして礼拝でお話ししたように、
主に祈りつつ進んでいきたいと思います。

やはり教会は神様の奇跡を見ながら歩まないと・・・。

それから、今年はちょっと健康のことも曲がり角。
基本的には元気なのですが、
今年は元旦から1週間、
それから5月の修養会の時、
1年で2回もかなりひどく体調を崩して、
教会の皆さんにご迷惑をかけました。

それから、膝の痛みがとにかく手すりがなければ階段が上れないくらいになってきました。
こんな小さないくつかの弱さも、なってみないとわからないものですね。

ちょっとくやしいというか、
でも、大切なことですよね、
その小さな弱さを受け入れていくこと。

(ホントは、明日教会でバレーボールができるように着替えと靴を持っていこうかと思っているのですが・・・。)

アレルギー以外でお医者さんに行くことも余り無かったのですが、
これからは、ちょくちょく、お世話にならないと・・・です。


さて、今年最後の聖書。
今日はガラテヤ人への手紙の6章を読みました。

「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。」14節。

私の好きな聖書の言葉の一つですが、
今日はその一番最後の「私も世界に対して十字架につけられた」という言葉も心に深く留まりました。

私と世界との関係にも、十字架が、イエスの十字架がそこに立っている。
そして、私もすでにこの世界に対して死んでいる。

世界に対して何か自分がアピールする必要もない。
何か認められる必要もない。
ただ、イエスの十字架が見られてほしい。
イエスの十字架に感動する人々が起されてほしい。

本当にそこに生きる、徹底的にそこに生きる者でありたいと思います。

主よ、
この一年に感謝します。
一つ一つの出会いに感謝します。
一つ一つの出来事に感謝します。
あなたとの関係がもっと深くなったことに感謝します。

どうか、これからも、あなたとの関係の中に
生きることができますように。

出会った一人一人のうちに神様、あなたの守りと祝福がありますように。

明日から、「日々のみことば」を使って、
聖書を読みます。
聖書箇所はこのページの右の上の方に出ています。

今11時24分・・・今年もあと36分です。

2007-12-30

あと1日。

今日は夕方からみぞれ、
でも、夜になって雪になるどころか雨になりました。
今、夜の10時で1.9度。
雨が降っています。

このあと、雪に変わる予報が出ていますが・・・。
10センチは行かないでしょう。

そして、明日は一日どんよりで、
夜はまた雨か雪。

今年も明日一日で終わりです。

元旦の朝も雨か雪。

今年の元旦は暖かかったですからねえ。
去年の大晦日は雨。
その前の年は雪。
3年連続の雨か雪の年越しみたいですね。

今日の礼拝、祝福の中で守られました。
語る中での自由も感じました。

その中でお話ししたBrooklyn Tabernacleの
Jim Cymbala牧師のお話がGoogle Videoにありました。

ちょっと長いですが、大晦日、新年で、
時間がある方は是非、ごらんになって下さい。

残念ながら英語のみなんですが、素晴らしいメッセージです。
このビデオ、直接頂いたので、
個人的に
コンピューターで日本語の字幕を入れて
教会の皆さん用にDVDにしようかとも思ったのですが、くじけました。

日本では出回っていないのでしょうか。

さて、今日の聖書。
今日はガラテヤ人への手紙5章を読みました。

「御霊によって歩みなさい。」16節。

ずーっと読んでいると、
神様に喜ばれるためには・・・と「律法」に縛られることと、
「なんでもいいや」と身勝手な生き方になるのと、
どちらに対する警戒も書かれているんですね。

で、最終的には、
「御霊によって歩む」ということが、
大切なんだと思います。

で、その結果は・・・
「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」
なんですね。

一つ一つの項目が心に留まりました。

聖霊様によってこのような歩みがしたいです。

逃げではない寛容。
我慢ではない自制。
軽薄ではない喜び。

聖霊様によってこれらの実を実らす者でありたいです。

主よ、
どうか、私を聖霊によって満たしてください。
どうか、御霊の実を結ばせてください。
御霊によって生きることを経験させてください。

元旦からは「日々のみことば」を読みます。
中身は著作権の問題があるので、
書けませんが、その日その日の聖書箇所は、
明日、表にしてアップしておきます。