2008-05-10

スペアはあるか?

今日は朝雨が残りましたが、
午後にはだんだん回復。
夕方には晴れてきました。

今夜はこのままスカッと晴れて、
明日も気持ちよく晴れそうです。

今日の夕方は、中高生の祈り会でした。
聖書の御言葉を真剣に分かち合い
祈っている姿の中に、
これからも大丈夫だ、と思わせるものがあります。

そのあと、Shopriteによって買い物をしたのですが、
その駐車場に、車のボンネットを開けて、
その中に買い物袋を入れている人がいます。
我が目を疑いました・・・。

レジ袋溶けるじゃん・・・。
走っているうちに下に落ちたりするでしょ。
あ、でも、温かいスープとかだったら、
エンジンルームの方がいいかも・・・。
そんなことが頭の中でぐるぐる回りました。

でも、次の瞬間に、
有名な小話を思い出しました。

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昔のWVビートル。
ドライバーが乗って、エンジンをかけようとしますが、
どういうわけか、動きません。
前に回って、ボンネットを開けてびっくり。
なんと、エンジンがありません。
「わー、大変だ!エンジンが盗まれた!」
大あわてで、他に盗まれたものがないかと、
後ろに回ってトランクを開けました。

すると、そこにちゃんとエンジンが鎮座しておられるではありませんか。
(そう、昔のビートルはエンジンが後ろだったんですね)

安心したドライバーが一言。
「ああ、良かった、さすがドイツの車、こんな時のために、スペアのエンジンも積んでるんだ!」

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で、あのShopriteの駐車場の車も実はエンジンが後ろだったんだ・・・と
思ってうちに帰ってから調べて見たんですが、
今どき、後ろにエンジンがあるのは、ポルシェくらいなんでしょうかね。

じっくりは見ませんでしたが、
あの車、ポルシェの911だったのでしょうか。

でも、ポルシェの911でShopriteで買い物ですか?

似合わねえ・・・。(笑)

わたしたちの人生、スペアがあるものばかりではありません。
家族、友人、周りの人、1人としてスペアはないのです。
そして、何よりも、自分の人生自体がスペアのないものですよね。

やり直しがきくこともたくさんある。

でも、取り返しのつかないこともまたたくさんあります。
大切に大切に、今の時を生かして歩みたいと思います。

さあ、今日の聖書。
今日からはサムエル第一です。1章1-18節。

「私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。」15節。

心を注ぎだして祈る、
どんな感じなんだろうかと思いました。
自分の心の中にあることを、全部、神さまの前に持ち出す。

今、弟子訓練の学びの中で、
お互いの前に自分の心を開くということの大切さを学んでいます。
心を開く時に、聖霊様がそこに働いてくださるというのです。

それもそうだと思いますが、
それと共に、いや、その前提としてでしょうか、
神さまの前に心を注ぎ出すことが、
大切なのではないかと思います。

何もHoldしないで、主の前に心を注ぎ出す。
悲しみや不安や、不満や、痛みや、
すべて主の前に持ち出して、主に知って頂く、
不平ではなく、つぶやきではなく、
自分の心の状態を知って頂く。

そのような「心を注ぎ出す」祈りへと、
主が招いておられるように感じました。

主よ、
あなたの前に私の心を注ぎ出します。
何も心にとどめておかないで、
心の中にしまっておかないで、
あなたに聞いて頂き、
あなたに知って頂き、
平安と確信を持って立ち上がらせてください。
このハンナの、その顔は「もはや以前のようではなかった」
という経験を私にも与えてください。

2008-05-09

人生を投資する。

今日は予報通り、一日雨。
よく降りました。

今、夜の9時過ぎですが、もう峠は越えたようです。
そして、気温も低かったです。
10度。昨日は25度でしたから、一気に15度も下がったことになります。

花粉症も、ずいぶん楽になってきました。
でも、明日、あさってと晴れて、また飛ぶんでしょうね。
こちらももう峠は越していると思いますが・・・。

月曜日の雨ですべてが流れてくれるようにと祈ります。

昨日の「買え買え」攻撃の話。
その後考えたのですが、私の今までの感性の中で、
「投資」という感覚があまり育ってきていなかったなあと思わされたのです。

単なる「節約」は守りの姿勢。
でも、それと共に「投資」という攻めの姿勢が必要なんじゃないかと。
この「投資」というのは、「株」とか「Mutual Fund」というレベルのことだけではありません。
時間の投資、能力の投資、自分への投資、子供への投資、将来への投資、社会への投資・・・。

イエスも大きなお金を任された人のなかで、それで商売をした人と、
恐れて地面の中に隠した人の話をされています。
そして、前者はほめられ、後者は責められるのです。

イエスはこの時、投資すべきものとして
神さまが一人一人に与えた才能のことを言っているんだと、
一般的に解釈されています。

そうだろうと思います。
でも、神さまが与えてくださったすべてなんでしょうね。
時間も、お金も、才能も、人間関係も、情熱も、性格も・・・
すべて「これを用いなさい」と言っておられるんだと思います。

だから、それをどこに投資するかが大切。
「買え買え」攻撃に負けないで、
何に使ったらいいのか、賢さが必要ですよね。

あと、ビジョン。

よく、スーパーなんかの「買え買え」攻撃に対する防御として、
「リストを作ってから、買い物に行きなさい。そしてそれ以外のものは買わない!」
なんてのが紹介されていたりしますが、

これって、ビジョンに通じるところがありますね。
「私はこれを買う!」ってのを決めてから、買い物に行くのは、
お店側に対して、受け身じゃなくて、自分の軸を動かさないで買い物ができる。

それと同じように、
「このように私の人生を投資するんだ」っていうビジョンがあると、
時間やお金や労力、才能を投資する時に、周りに振り回されない。

40代半ばにさしかかって、やっとそのことが実感としてわかってきました。

神さまに感謝。

この方に投資した人生。
ハイリターンが約束されています。
リスクは???
社会の常識からすると高いのかもしれないけど、
神の約束、からすると、リスクは全くないんですよね。

さて、今日の聖書。
今日は第1ペテロ5章でした。

「群れの模範となりなさい。」3節。

ほんとうに、アーメンと、襟を正される言葉です。
そのように歩みたいと思います。
主が歩まれた道を模範として、
私自身が、「神さまに従うってこういうこと・・・」
「神さまと共に歩むってこういうこと・・・」という
模範とならせて頂きたいと思いました。

主よ、
あなたに従います。
そして、群れの模範とならせてください。
そのように歩みたいと思いますから、
力を与えてください。
日曜日の説教のために、どうか、
あなたがわたしの心に語ってください。

2008-05-08

買え買え攻撃。

今日は朝のうちは雨。
昼頃から曇り空でした。
もっともっと降ってくれると思っていたのですが・・・。

今はまた曇っていますが、
明日は雨のようです。
「洪水注意報」なるものが出ています。

とにかく、花粉をすべて流してくれたら助かります。
私はまだ外に出ないので、
大丈夫な方かもしれません。

どうしても外に出なければいけない仕事とか、
子供たちとか、結構大変だろうと思います。
つらそうな方々が何人もおられました。

今日は夜になってから、
のんちとM's Dayのためのショッピングに行ってきました。
もう、明日は直前の金曜日なので、
日本のMたちに当日届くというのはあり得ないので、
申し訳ないのですが、いい買い物出来ました。

いつもは、「任せたよ」とついていかないのですが、
今日は着いていこうと思いました。
男性にとって、ご婦人の洋服系のショッピングにつき合うことほど、
しんどいものはないと思うのですが、
今日は不思議とそれほど思いませんでしたね。
のんちの方はプレッシャーを感じていたかもしれませんが・・・。

で、ショッピングモールなるところにいったのですが、
まあ、こんなところに行っていたら、
いくらお金があっても余ることはないだろうなあ、
と思いました。

いくらでも「買え買え」っていろんなものが呼びかけているんですから・・・。

お店のディスプレーとか見ていると、
「お、俺も、こういうのをこういう風に着こなすと、チョイ悪系のオヤジに見えるかも・・・」とか、
思っちゃったりしますよね。(笑)

お店だって、どうしたら売り上げが伸びるかって、
一生懸命だし、心理学なんかも総動員で
「買おうと思っていなかったものを買わせるためにどうするか」
って、やっているわけですよね。

それで今は何でもクレジットカードで、
現金を使うことは滅多にないので、
どれくらいお金が残っているかわからない。
で、ついつい、「ま、何とかなるだろう、支払いは給料日の後だし・・・」となっていくんでしょうね。

まあ、国が「これを使いなさい」とお金を配ってでも景気を良くしたい時に、
こんなことを言っては「悪者」になってしまうのかもしれませんが、
本当に必要なものを見極める力が大切だと思いました。

「 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。・・・あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」マタイ6:31-33

さて、今日の聖書。
今日は第1ペテロの4:12-19
「ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行うにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。 」19節。

やっぱり主に委ねるって大切なことですよね。
主にすべてを委ねて善を行え。
本当にわたしたちにとってどんなに大切なことかと思います。

当時の人々は迫害がある中で、
どれほど悔しい思いをしたことか、
どれほど、「神さまどうして」と思ったことかと思います。
でも、聖書の「迫害された時に喜びなさい」と言われた主の言葉を思い出して、
ああ、これは自分が主に従っている時に与えられることなんだなあと、
受け止めて歩んだ、信仰の先輩たちのことを思わされます。

わたしたちはどれほど、周りの人に喜ばれる「キリスト教」を目指しているでしょうか?
どれほど周りの人にウケのいい教会を目指しているでしょうか?

評判は主に委ねて、ただ「善を行う」ことに熱い者でありたいと思いました。

主よ、
あなたにすべてを委ねます。
そして、私のすべきことをします。
すべてを守ってください。
委ねるとは、結果さえも委ねることなんですよね。
自分の願い通りに事が運ばない時にも、
それを受け止める力を下さい。

2008-05-07

神さまの力を信じる。

今日も暖かい一日でした。
そしてスッキリ青空が広がりました。
毎日こればっかりですが、
「これで花粉さえなければ・・・」です。

明日は曇りがちで、にわか雨も降る、
不安定な一日になりそうです。
気温は高め。
25度くらいまで行きそうです。

さて、今日から、友人の牧師に勧められた、
「Praying God's Word」という本を読み始めました。
・・・読みかけの本がどんどん増えています・・・。

その最初から、ちょっといい本だなあという予感。

その緒論にこんな内容のことが書かれています。


悪魔はわたしたちの心の中に、
要塞を持っている。
そして、それは神さまの力を持ってしても、
取り除かれない、破壊されない、要塞だと思いこませようとしている。
わたしたちはどれほどそれにだまされているだろうか?
本当は、神以上に力あるものなど、この世に存在しないのに・・・。


その要塞として、
「偶像礼拝」「不信仰」「プライド」「ウソ」「愛されていないという気持ち」
「拒否されているという気持ち」「依存症」「食べ物に関する問題」
「罪意識」「喪失経験からの絶望感」「赦せない思い」「落ち込み」
「性的な問題」
などが取り扱われているようです。(目次より)

そうですよね、神さまの以上に力あるものは存在しないのに、
自分はこれから解放されない、と決めてしまっていることが、
どれほどたくさんあることでしょうか?
神の解放を求めて祈っていきましょう。

さて、今日の聖書。
今日は第1ペテロの4章1-11節。

「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。」10節。

「神さまの恵みの良い管理者として」という言葉が心に留りました。
そして、その管理者として、自分の賜物は何だろうかと知らなければならないと思いました。
そして、自分を見つめてみると、
「よくわからない・・・」というのが正直なところです。

何かの本に「自分への神さまの賜物が何であるか3つすぐに思いつかないようでは困る」と言うことが書かれていて、「え~?」と思ったことがありましたが、それから全然前進していません。

いったい自分の賜物は何なんでしょうか?

語ることや聞くこと、使命だとは思いますが、
「賜物」?と考えると、それほど確信はありません。

何なんだろうかと思いました。
「管理人」の役割をちゃんと果たしていないなあと思いました。

真剣に神さまに求めて、また信頼出来る周りの人々にも聞いてみようと思います。
「私の賜物は何だろうか?教えて欲しい」と。

主よ、
私は「神の恵みの良き管理人」にはなっていませんね。
あなたが託してくださった賜物が何であるかわかっていません。
どうか、教えてください。
そして、その賜物を、正しく用いて、
あなたの素晴らしさを周りの人々に表していく者にしてください。


2008-05-06

イエスを見つめて

今日もいい天気で、花粉日和でした。

かなーり、キツイです。
夕方、運転していたら、くしゃみ6連発とかありました。
前との車間をしっかり取って、
できる限り目をつぶらないで、くしゃみをする。
安全運転を心がけさせられます。

明日まで晴れ。
きょう、Oakの花が落ち始めていましたから、
明日、かなり落ちてくれるでしょう。
そして、木、金の雨で流れてくれる、
なんてすてきなシナリオでしょう。(きらりと涙目が輝く!)

ほんとうにそうなってくれることを心から祈ります。

さて、今日の聖書。
今日はペテロ第1の手紙の3章13-22節。

「彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。 むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。」14-15節。

どんなに動揺しやすい人間かと思わされます。
動揺しないためには、いつもいつも心の中で主をあがめること。
主に焦点を合わせ続けること。

そのことをここ数ヶ月、何度も何度も教えられています。

イエスさまから目を離さないでいなさい・・・
子供たちのために作られた歌ですが、
大人のわたしたちにもほんとうに語られる大切なメッセージだと思います。

いや、大人はいつも子供たちに見習わなければいけない、
そうですね。

イエスさまに目を注いでいれば大丈夫。
いろんなことで動揺されなくていい。

主よ、
感謝します。
あなたに目を注ぎます。
あなたを見つめて歩みます。
どうか動揺させられないで、歩むことができますように。
どうか、主の守りの中で歩むことができますように。
あなたから目を離さないで歩めますように。

2008-05-05

5月5日

今日は5月5日、こどもの日。
それと共に、我ら夫婦にとっては1年に一度の特別な日でもありました。
子供たちにとっても、自分の存在の根拠になる日。

この日が月曜日=私の休日に重なることは数年に1回。
(ま、これは誰でもそうでしょうが・・・)
で、今年は、昼間・・・のんちは用事があっていない。
夜は私が用事があっていない・・・すれ違いだったんですね。
朝8時に見送ったら、夜10時までは会わない。

でも、昼間、家にいる方がこれは有利。

なんだか、久しぶりに朝から、
「どうすれば、疲れて帰ってきたのんちが喜ぶかなあ・・・」で、
考えました。

ピントはずれかもしれませんが、
今日のキーワードは「家事をする」夕食の準備・掃除・洗濯。
・・・この3つをやってから夕方NYに出かける・・・という作戦を練りました。

でも、朝から、トラブル。
・・・シャワーが壊れる。
ああ、このシャワー、この1年で何回目だ!

前回は何と、私が日本に行っていなかった時に水が止らなくなって、
自分で直せば、部品の買い置き(1コ3ドルくらい)があったので、
お金はかからないのに、業者に来てもらったので、
部品はうちの買い置きのを使ったのに、280ドル!
(あ、もう一カ所直してもらったんだったっけ・・・)

今度は違うところなので、部品の買い置きはない・・・。
こんな時はHome Depotですよね。でも・・・ない・・・。
で、店員さんに聞く。

この手の店の店員さんは素人に毛が生えた程度の人が多い中で、
私が聞いた人は「あたり!」だったみたいで、
「あ、この部品はうちにはないなあ、
Davidsonで聞いてみな」って教えてくれました。
Davidson?何それ?という私に

「お店の名前だよ。この反対側、もうちょっと南にレッドロブスターがあって、その隣。」と教えてくれました。

そんなのあったっけ?と運転していったら、
「あ、これか!」という店。
今まで勝手に「ハーレー・ダビットソン」を連想して、
「バイク屋?」と思っていました。

水道関係専門店だったんですね。

そこで、部品を見せたら、
「あ、これね」とカウンターの中のロッカーから見つけ出してくれました。
ここの店員さんはまさに「プロ」。

おかげで5ドルで無事修理完了。
いいお店を教えてもらいました。

修理後のシャワー、今いちの部分もあるのですが、
それが280ドルか5ドルかの違いなんでしょう。
目標はその差を限りなくゼロに近づけること。
DIY Life今後ともがんばります。

買い物行って、料理して、洗濯回して、掃除して、準備万端で、NYへ。

相手が喜ぶのを想像しながら動くって、楽しいですね。
でも、「気をつけなければ・・・」と思ったのは、

あんまり気持ちが先走って、
期待通りの反応がなかった時に、がっかりしないこと・・・。

相手が喜ぶのを見て自分が満足するなら、
結局それは自分のため?

自分のためじゃなくて、
何とか、相手の心に触れることを求めて、動いていくこと、
たとえ、自分が期待していた様な反応がなくても、
「こんなに考えたのに・・・」なんて言わないで、
そんなこと思わないで、次に生かしていくことができるように・・・。

ここまで3時半頃の文章。

で、帰ってきました。今11時前。
喜んでくれましたヨ。

さて、今日の聖書。
今日は第1ペテロ3章1-12節。

「同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。」7節。

今回、本当にそうだなあと思いながら、教えられました。
主が語ってくださったのだと思います。

「妻の方が弱い」なんて性差別だと言われてしまうかもしれませんし、
「あなたは妻によって支えられているでしょ」と言われたら、
まさにその通り、と言わなければいけません。

でも、それと共に、「自分より弱い器」ということも、
ほんとうに意識していかなければいけないと思わされたのです。

それを忘れた乱暴さ、
それを忘れた言葉、
それがどれほど、妻を傷つけ、苦しめてきたか、
そのことを思わされたのです。

だから、そのことを覚えながら、
「尊敬」させて頂きたいと、18年目の今日、思わされました。

主よ、
あなたの与えられた妻のゆえに感謝します。
ここまで守ってくださったことを感謝します。
どうか、わたしたちを守ってください。
どうか、私の心を守ってください。
愛する、ということを、もっと学ばせてください。

2008-05-04

NOと言わない日本人。

今日は朝は雨が残っていましたが、
昼頃には晴れ。

暖かくなってきました。
明日も気持ちよく晴れるみたいです。

朝は7-8度。でも日中は20度を超える予報が出ています。

花粉大量飛散日です。

今日の夜の集会に、
ちょっと前から礼拝に来られているアメリカ人の方が来られました。
日本に学校の先生で行かれていて、
日本語もかなりわかります。

お話の中で、
日本人がNOと言わない、という話題がツボにはまりました。

彼女にとっては、
YESはYES、NOはNOとはっきり言うのが当たり前。

でも、日本に行った時、
みんなNOは言わない。
行く前から「それには注意しなさいよ」と言われていたそうですが、
ほんと、困ったそうですね。

そして、人によってNOの表現が違う。
そして、その表現を読んで「ああ、NOなんだなあ」と受け取らなければいけない。
・・・んだそうです。

「うーん」と難しい顔をするのがNOの人もいれば、
「そうねえ」がNOの人もいる。
「それはちょっと・・・」がNOの人もいる。

彼女、その日本人のNOのまねがとっても上手。

自分は結構もう日本的感覚を忘れているかもしれない、
と話を聞きながら思いました。
NOも言っちゃうし、表現を読むのも「え~、そこまでしないといけないの?」
って感じです。

人生の3分の1以上こっちになっちゃいましたからねえ・・・。

さて、今日の聖書。
今日はペテロ第1の手紙の2章11-25節。

「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。」23節。

イエスは悪口を言われても、侮蔑されても、
言い返さず、神さまに裁きを任しておられました。

これがわたしたちの手本だと言われます。

裁きをするのはわたしたちではなくて、
神さまご自身。

そこに委ねて、わたしたちは自分の道を歩んでいけばいい。
自分の道を歩んでいくことが大切。

そして、わたしたちは「正しく裁く」ことができないんですよね。元々。
だから、主にお任せしていく。
自分の不完全さを認めて、
正しい方に、任せていく。
そして、その方の判断には間違いがない、ということを認めて、
そこに生きていくんでしょうね。

どこまで主を信頼するか、問われているように思いました。

主よ、
あなたを信頼します。
あなたのなさることはいつも最善で、
いつもあなたの裁きは正しいことを認めます。
平安を満たしてください。
私の心をいつもあなたの平安で満たしてください。