2006-12-22

12月ですが、雨の夜です

今年はほんとうに雪が降りませんね。
今夜も雨です。
ちょっと寒くはありますが、
でも、雪が降るような寒さではありません。

助かります。
でも、ちょっと物足りなくもあります。

今日、やはりアメリカは交渉が大切、
泣き寝入りはダメ!と感じることがありました。

子ども達が使っている携帯、娘の方はほとんど使わないくせに、
何だか間違って何かお金がかかることを申し込んでしまったみたいで、
先月から10ドルずつ請求が来ていた。
それを「返してくれ!」と電話をした。
そしたら、「お嬢さんに注意するように言っておいてね」とは言われたけれども、
2ヶ月分、約20ドル、返してもらえた。
自分的には「こっちのミスだから、これから先はキャンセルするとして、
ここまでの分はやっぱ返って来ないんだろうなあ」
と思っておりました。

でも、面倒がらずに言わなきゃダメですね。

そう、昨日は夏に買った150ドルくらいのものについて、
30ドルのmail in rebate(値引き返金)の申し込みをしていたのに、
「認められません」と返事が来たので、
「どうして?」と電話したら、「こちらのミスでした・・・」だって。

まあ、これも泣き寝入りをしないでよかった。

簡単に引き下がったり、
まあ、これくらい面倒だ、なんて言っていないで、
交渉しなきゃダメですね。

さあ、明日はアドベントの朝の祈り会の最終日。
早く寝て、「ぐっすり眠ると、すっきり目覚める」朝を迎えたいと思います。

さて、昨日木曜日の聖書。
昨日はガラテヤ人への手紙5章を読みました。

「 わずかのパン種が、こねた粉の全体を発酵させるのです。」9節の言葉です。

これは教会の中に入ってくる、不純なものについて警戒するようにとのパウロの言葉です。
ほんとうに小さなもの、
最初は「これくらい・・・」と思うようなものであっても、
それがいつの間にか大きくなって、全体に影響を及ぼしていく。

ユダヤ人の方は今でも過ぎ越の祭りの時には、家の中にパン種が全然ないようにと、
家中を徹底的に掃除するそうですね。

私たちは物理的にパン種があるかどうかは全く問題にしないわけですが、
それくらい厳しく、それくらい敏感に、それくらい注意深く、
それくらいspiritualなことに心を止めていくことの大切さを思わされました。

小さなことでも、見逃さない、
その様な霊的な敏感さを与えて頂きたいと思いました。

主よ、
どうか、あなたの愛してやまない教会をお守り下さい。
最初はそんなに気にならない問題であっても、
それが後では大きくなっていることがあります。
そんなことをしっかり見抜く目を与えて下さい。
きりきりするのではなく、
ほんとうにあなたを信頼する中に、
敏感な感性を与えて下さい。


2006-12-21

神の子の特権

昨日の夜もあれから温度は下がらなかったようです。
そして、今夜も夜の12時前でやっぱり0度。
今夜もこれ以上あまり下がらないと思います。

ほんとうに過ごしやすい冬です。

昨日はデンバーでは大雪だったようですが、
今年は今のところ、低気圧の通り道が西の方なので、
こちら側は「暖かい南風」が入ることが多くて、
雪はまだちらほら舞っただけです。

今日で今年のJOYJOYキッズクラブは終わりました。
全部で150人くらいの子ども達との出会いがありました。
そして、今年のクリスマスにはそこからもたくさんの仲間が来てくれました。
その「つながり」みたいなものがとてもうれしいです。

でもまだまだ、この地域に住む子ども達の数からするとほんの一部です。

もっともっといいプログラムをして、
たくさんの仲間が自分の集まりとして
楽しみにしてくれることを願います。

それからもっともっとスタッフが与えられて、
多くの場所で出来たらいいなと思います。

さて、
一日遅れの一日一章が続いていますが、
どうしても更新が遅いと一章分で精一杯です。
今日は今日で今日の所を読んでいるのですが、
なかなか更新が追いつきません。

で、昨日、水曜日の聖書はガラテヤ人への手紙4章でした。

「あなたがたは子であるゆえに、神は『アバ、父』と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。」6節の言葉です。

私たちは神様のことを、
「おとうさま」「おとうさん」「おとうちゃん」「とうちゃん」と呼べる者とされたのです。
ほんとうはそんなことを言うことなんて考えられなかったのに、
それが言えるような者へとして下さったのです。

そんなに簡単なことではないのです。
神様の大きな犠牲と愛があったのです。

そして、不思議と呼べるようにして下さる。
安心して信頼できるようにして下さるのです。

安心して泣くことが出来て、
安心してぶつかることが出来て、
安心してその腕に抱かれることが出来る。

自分はその様にしているだろうか。
自分は神様の胸に安らいでいるだろうか。

主よ、
あなたの胸に安らぐことが出来ること、
あなたに受け入れられていることに感謝します。
どうか、あなたから与えられる力で、
あなたへの信頼を胸に、
冒険をすることができる者となれますように。
あなたにもっと素直に、もっと近く、もっといつも、
語って、聞くことのできる者とならせてください。

2006-12-20

キリストがのろわれてくださった

今朝はまたちょっと冷えて-2.3度。
今晩も今のところ0度ですが、どこまで冷えるでしょうか?
あんまり冷えない予想が出ていますが・・・。

さて、
今度の日曜日はクリスマスイブ。
いつもはクリスマスイブは夜6時とか、6時半とかにキャンドルライトサービスをするのですが、
今年は日曜日とぶつかったので、いつもの礼拝の時間に、
キャンドルライトサービスをしてしまおうということに・・・。
午後1時半からです。
ちょっと真っ暗というわけにならないので、雰囲気は出ないかもしれませんが、
NJ・NY地区在住の皆さん、是非、お出かけ下さい。

明日は今年最後のKids Club。
たくさんのみんなが集まることが出来ますように・・・。

昨日、火曜日の聖書。
ガラテヤ人への手紙3章を読みました。

心に留ったのが、
「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって・・・」という13節の言葉です。

「キリストが私たちの罪のために十字架に死なれた」とは、よく言われますが、
「のろわれた者となった」という表現は余りなくて、
どきっとします。
でも、ほんとうにそれほど深刻な、それほど深い、
それほど大きなことだったんだと思います。

主が呪われて下さった。

それによって、自分が呪われないで済む。
ほんとうにそれを甘んじて受けられた、
いや、自分から進んで受けられたイエスの熱い思いを思わされます。
そんな熱い愛で愛されていることに感謝と喜びを感じます。
そこまでして頂いたことが、うれしいとと共にかたじけないと思います。

この愛されていることの大きさ、喜びをいつもいつも心に感じていたいと思います。
また、自分の罪の深刻さを忘れないでいたいと思います。

主よ、
感謝します。
あなたの愛に感謝します。
あなたの情熱に感謝します。
いつも喜びを与え続けて下さい。
いつも感謝を忘れないように、思い出させて下さい。
罪の深刻さを忘れることがないように、示し続けて下さい。

あなたに感謝します。

2006-12-19

恵みを感謝して

ということで、Brooklyn Tabernacleのクリスマスプログラムに行ってきました。
15分前くらいに会場に入ったのですが、もう2階席、3階席までいっぱいでした。
4000人入るみたいですが、いっぱいでした。

内容は・・・2回目で、たぶん、前回は2年前だと思うのですが、
ずいぶん、エンターテインメント的な要素が強くなったなあ、と思いました。
みんなを楽しませようという方向性に行っているように感じました。

中高生の息子と娘はげらげら笑いながら見ていましたが、
私は英語の問題、文化の問題で、笑いきれなかったので、
その部分がちょっと長かったように感じました。

Brooklyn Tabernacleは、
祈りと御言葉と神への賛美でぐんぐん押してくる、という感じだったので、
ちょっとその点では物足りなく感じましたが、
新しい方々へのメッセージを考えるとああゆうアプローチになるんでしょう。

実際JCCNJも似た様なアプローチじゃん(ってレベルは違いますが)、
と言われそうですが、
私にとってのBTの魅力は、そういう「人を楽しませよう」みたいなこととはまた違った
spiritualな深さだと思ってきたので、これから、そっちの路線に行ってしまうのは、
残念なような気がしています。・・・って勝手なこと言っていますが・・・。

それでも、現代の街角の場面で、ダンスが始まった時には、
ああ、これがこのNYの文化なんだよなあ、と思いました。
今まで、この地に教会がありながら、このようなものが用いられてこなかったことの方がおかしい、
この教会も今次のステップに行こうとしているんだ、と楽しみにもなりました。

今日は8度止まり。
そして、今夜は真夜中12時で0度くらい。
明日の朝は-2度くらい。

でも、この「涼しさ」も明日までで、
木曜日はまた暖かくなるようですね。

年内は雪もないんじゃないかと思います。
助かるような、寂しいような。

で、月曜日の聖書。
昨日、月曜日はガラテヤ人への手紙2章でした。

「私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」21節の言葉です。

この章というか、この手紙は、よい行いをすることによって、私たちが神様の前に正しい者と言われるわけではない、信仰によって、キリストの十字架によって、私たちは初めて神の前に正しい者と言って頂けるのだ、ということが書かれています。

そのことが、ここでも、「私は神の恵みを無にしません」という言葉で表されています。
もしも、「一生懸命よい行いをすれば救われる」のであれば、イエスは十字架にかかる必要がなかったのだ、というのです。

そう、ほんとうに、そう思います。
自分ががんばって何とか、神に喜ばれる歩みをすることが出来るなら、
神の前に正しい者だと言えるなら、
神の恵みは必要なかった、
キリストの十字架は必要なかったのです。

自分の罪深さが分った時に、
神の愛が分った、
その時のことを思い出しました。

主によって生かされていることを心から感謝します。

神様、
あなたの愛に感謝します。
あなたの愛に感謝して、
その喜びに支配されて、
歩む者としてください。




Brooklyn Tabernacleのクリスマス最終日

あ、書くの忘れましたが、
火曜日19日はBrooklyn Tabernacleのクリスマスプログラムの最終日。
いってきます。

「一日一章」追いつくのは明日以降ということで・・・。

2006-12-18

目を留めておられる神

今日も暖かかったですが、
これもおしまい。
今は夜の11時ですが、6度くらい。
明日の朝は0度くらいまで下がるでしょう。
昼間も10度以下。
ちょっと東京の冬かな、って感じですね。

今日はさっそく聖書。
でも、一日遅れなので、昨日の箇所。
昨日はガラテヤ人への手紙1章を読みました。

心に留ったのは、
「生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった方」という15節の言葉です。

そうなんだなあ、と思いました。
わたしも神様に目を留めて頂いて、
恵みをもって召してくださったのだと。
自分が気がつかなかった、
自分が気がつくはずがなかった頃から、
神様はわたしに目を留めてくださっている。
そして、使命を与え、その使命のために一つ一つの備えを与えて下さっていたのだと。

今の子ども達にも、若者達にも、
主はひとりひとりにぴったりの使命を与えて下さっている。
ぴったりの使命のために必要な準備を与えて下さっている。

時にはきつい経験をするかもしれない。
悲しい経験をするかもしれない。
でも、それも主が私たちひとりひとりに与えて下さっている
使命のための準備なのだ。

主よ、
どうかあなたの与えて下さっている使命のために、
わたしを整えて下さい。
わたしの内なる人を強くし、
あなたの与えて下さっている使命を全うすることのできる者としてください。

2006-12-17

自分を吟味する

今朝は寒く感じました。
久しぶりの氷点下。
-1.5度でした。

でも、今日は予報通り暖かくなって、
今日曜日のちょうど真夜中ですが、
まだ8度もあります。

でも、この暖かさも明日まで。
その後は、「めちゃくちゃ寒い」ということはないようですが、
まあ、普通に冷え込みそうです。

今日は洗礼式でした!
8歳の女の子が洗礼を受けました。
わたしが洗礼を授けた方の中では最年少です。
ほんとうに喜びでした。
教会のみんなが泣いていました。
本人もお祈りしながら、
またお祈りし終わった後も、
わんわん泣いていましたが・・・。
主にあって喜びの涙を経験できるのはすばらしいですね。

これからの歩みのためにお祈りしています。

さて、土曜日の聖書。
土曜日はコリント第2の手紙13章でした。

「 あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。」
5節の言葉が心に留りました。

余り「自分を吟味する」ということが好きな人間ではありません。
それによって、がんじがらめになったことがあるからです。
そして、神様によってそこから解放された経験があるからです。

あんまり「自分は大丈夫だろうか」ということを考えることよりも、
「神様はすばらしい」と言っていたい方です。

でも、そんなところも卒業できたのかもしれません。
「自分自身をためし、吟味しなさい」という言葉を、
素直にそうだなあと受け入れることが出来ました。

自分を吟味する・・・。
そして、自分のほんとうの姿を見せて頂く、
そんなところにすすんでいくところに、やっと来たのかもしれません。
自分を守らなくてもいい。
自己弁護しなくてもいい。

自分を吟味して、悔い改めるべきところ、
気がつかされた時には、
神様の前にひれ伏して、
赦して頂き、いやして頂き、
力を頂いて立ち上がる、
そんな歩みを続けていきたいと思います。

主よ、
どうかわたしを支えて下さい。
今まで、「自己吟味」にアレルギーがあったように思います。
どうか、これからの歩みの中で、自分を吟味する勇気を与えて下さい。
そして、ありのまま、悔い改めて、あなたに力を頂いて、
歩んでいく者としてくださいますように。

一日遅れの「一日一章」ですね。明日には追いつけますように。

神の力におおわれる

あー、また日付が変わってしまいました。
でも、明日の朝は教会での祈り会がないので、
ちょっと気持ち的にゆとり・・・。

で、2日分溜めないで、今夜のうちにアップしておきます。

で、土曜日の天気。
ちょっと冷えますねえ。
ずっと暖かかったので、やたら寒く感じます。
今、夜の12時過ぎ・・・。
で気温が0.3度。
ほぼ1週間ぶりの氷点下に下がりそうです。

でも、明日、あさってと暖かくなるみたいです。
そして、火曜日からは「現実に戻る」んだそうです。
(じゃあ、今は何だ?)

で、今ずっとクリスマス以降の天気をにらみ続けています。
久しぶりの1週間丸まるバケーションなので、
「とにかく雪はやめてよね」モードです。
いつもはsnow loverなのですが、こんな時はモードが変わります。
結構身勝手。
それで、天気はどうかというと、
ちょっと雪の可能性がある日がいくつか・・・。
まあ、まだ1週間以上先のことですから、どうなるか分かりませんが。

で、金曜日の聖書。
金曜日はコリント人への第2の手紙の12章を読みました。
よく読むところです。

その中で心に留った言葉は、
「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」
という9節の言葉です。

「キリストの力がわたしをおおう」。
いい言葉ですね。

自分が弱さを覚える時に、
そこを神様の力がおおって下さる。
恩師がよく言っておられたことを思い出します。

「穴の開いたバケツで水はくめない。でも、穴の開いたバケツの中を水でいっぱいにすることは出来る。バケツを水の中につければいいんだ」

そう、穴が開いているからこそ、水は中に入ってくる。
弱さが用いられるのだ。

神様の愛の中にどっぷりとつかって歩めること、
それに換えられる幸せはない。

主よ、
自分の弱さゆえに神様の愛の中で歩めることに感謝します。
あなたの愛に、あなたの力におおわれていることを心から感謝します。
あなたに愛されていること、
あなたと共に歩めることをもっともっといっぱいに感じて、
日々の生活を送れるように守って下さい。

もう眠いのでもう一日分はまた明日。