2012-12-07

アドベント聖書日課12/7:「自由への招き」

今朝起きたら、日本でまた大きな地震があったことがニュースに。
心配しています。今回はそれほど被害はないようですが、
フラッシュバックをはじめ、精神的なダメージを受けておられる方もいるのでは、と。

どんなことがあっても大丈夫なように準備することも大切でしょうが、また大きな地震が起こりませんように、と祈ります。

今朝は-4度Cまで下がりました。
これで予報どおり雨が降って来たら、iceが怖いな、と思ったのですが、9時頃に雨が降り始める時には、もう0度を超えていて、freezing rainにはなりませんでした。

よかったです。

そして、この雨は降ったりやんだりで、火曜日くらいまで続きます。
なんだか、クリスマスが近いというのに雪ではなくて雨。

その先を見ても、しばらくは雪の予報はありません。
喜んでいいんでしょうが、ちょっとさびしいかも。

さて、今日のアドベント聖書日課はイザヤ書61:1-3。

「捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ・・・」1節。

イエスは自由を与えるために来られたという。
解放を告げるために。

でも、解放をしていただくためには、自分を縛っているものを知らなければいけないのだろうと思う。
私を縛っているのは何だろうか?
人がどう思うかということだろうか?
「こうあらねばならない」という気持ちだろうか?
人の期待に応えたいという気持ちだろうか?

本当にイエスにある自由を満喫させていただきたい。
主が与えてくださる自由の中に歩みたいと思う。

主よ、
あなたは私を自由にするためにイエスを送ってくださいました。
私を自由にしてください。あなたの願われる自由を与えてください。

2012-12-06

足が冷えたら頭を覆え:アドベント聖書日課12/6

今朝は-3.6度Cまで下がりました。
そして昼間も5度どまり。
冬らしい一日でした。

今は夜の11時過ぎですが、また、-3.3度Cまで下がって来ています。
今夜は初めての経験ですが、暗くなってからのrunningをしました。
-3度の中走るのは、やっぱり寒いです。
で、数日前に毛糸の帽子を買いました。
そしたら、それが暖かいこと暖かいこと。

こちらでは「足が冷えたら頭を覆え」ということを言います。
それで、昼間、家の中でも足が冷えたら、毛糸の帽子です。
ホント、これ、効果覿面です。ぜひお試しあれ!

冷え込みはここまで。
明日はだんだん気温が上がって、雨が降ってくる予報です。
そして、次にお天道様を見るのは、多分火曜日。
ずっとぐずついた天気が続きそうです。

さて、アドベント聖書日課、今日はイザヤ書42:1-4。

「真実をもって道をしめす。」3節。

神の僕である救い主は、大きな声を上げたり、人々をびっくりさせて注目を浴びたり、そんなことによって、救いの業をするのではない。真実の歩みの中に、道を示す方。
真実に歩むことの大切さを思わされる。

議論に勝つことではなく、「正しい」教えを振り回すのではなく、真実な歩みをする中で、救いの道を開かれた。

私たちの歩みもそうでありたいと思う。
議論に勝ったり、「正統性」を主張することによってではなく、ただただ真実に僕として歩む中で、本当のことを表していく、それでいいんだろうと思う。

主よ、
大胆に、真実な歩みができますように。
何も心配しないで、真実に歩むことができますように。

2012-12-05

アドベント聖書日課12/5

暖かい日々が終わりを告げて、冷えてきました。
今、夜の11時過ぎですが、0.8度Cです。
明日の朝は-4度Cくらいまで下がりそうです。

 でも、冷え込みは一時的で、今週末は天気がぐずつきそうですが、雪ではなくて雨のようです。

さて、アドベント聖書日課第4日目。

今日はエレミヤ書31:31-34節。
今日は機能紹介した「リビングバイブル」でも読んでみました。
「わたしは彼らの罪を赦すだけでなく、それをすっかり忘れる。」34節の言葉が心に留まりました。

私たちは、いろいろ覚えている。
あんなことされた、あんなこと言われた・・・と。
でも、神様は、私は忘れる、と言われる。

本当にありがたいことだと思います。

神様、
あなたがすべてを覚えておられたら、私は本当に居場所がないと思います。本当に恥ずかしくてしょうがないです。でも、あなたが忘れてくださって、感謝します。
私も忘れることができますように。

2012-12-04

現実へ戻る:アドベント聖書日課12/4

現実に戻る・・・って天気の話題です。
こちらの天気予報で、冬に暖かい日が何日か続いて、
平年並みの気温に戻ると、「back to reality(現実に戻る)」という言い方をします。
日本の天気予報ではそんなこと言わないですよね。
でも、よく聞くので、つい頭の中で日本語に直して、自分は普通に使ってしまいます。

で、今日までの暖かい日は今日で終わって、現実に戻ります。
今日も16.4度Cまで上がりました。
今は寒冷前線がペンシルベニア州の西の方を通過中ですので、
明日の朝には通過して、明日の午後にはグンと冷えてきそうです。

そして、明日の夜は氷点下です。

でも、まだ最低この先1週間は特別に寒くはならないみたいです。

さて、アドベント聖書日課の3日目。
今日はイザヤ書11:1-12:1。

あ、今頃なんですが、聖書をお持ちでない方がおられたら、こちらから読むことができます。日本語の聖書を選んで聖書箇所を開くといつでも読めます。
https://www.youversion.com/ja/bible/81/isa.11.ja1955

上の方から選べば「リビングバイブル」という読んでて意味が分かりやすい訳も読めます。この訳はあるアメリカの牧師さんが英語に訳された聖書をわかりやすい言葉に訳し直し、それから日本語に訳されていて、まあ、3回のプロセスを経ているので、原語の意味をちゃんと伝えているかどうか?というところもあるので、気をつけないといけないのですが。

その今日の聖書箇所の中で、「おおかみは小羊と共にやどり、ひょうは子やぎと共に伏し、子牛、若じし、肥えたる家畜は共にいて、小さいわらべに導かれ、 雌牛と熊とは食い物を共にし、牛の子と熊の子と共に伏し、ししは牛のようにわらを食い、 乳のみ子は毒蛇のほらに戯れ、乳離れの子は手をまむしの穴に入れる。」(6-8節)を読んでいて、最近見た、映像を思い出しました。

自分は動物ネタとか、あまり反応しないのですが、こいつにはやられました。




この聖書の言葉は「あの世の天国」の様子を描いているんだ、と思っていますが、もしかしたら、「この世の天国」の様子を象徴的に描いているのかもしれません。

どちらにせよ、「あの世はいいところだけど、この世はねえ・・・」というのは違うみたいです。もちろん、あの世のほうがずっといい、ということは聖書に何回も出てきます。でも、この地上でも「天国」を味わうことができることも聖書は何度も語っています。だから、この「羊とおおかみがいっしょ」というのも、象徴的な意味で、この地上でも経験できるようになる、それが救い主の福音なのだと言っているのだと思います。

強い人と弱い人、ってことでしょうかね。
恐れなくていいということでしょうかね。

そのような関係に生きることができるようにと、祈ります。

いえ、聖書が、神様が与えてくださると約束してくださっているならば、大丈夫なのでしょうね。「ああ、まさに聖書が言っている『羊とオオカミが一緒に楽しんでいる』ような感じだ!」って、場面を経験できますように。・・・でも、誰がオオカミで誰が羊だ???

神様、
聖書の言葉を信頼して、あなたに大きなことを期待するものでありますように。
羊とオオカミが一緒に楽しむような経験を、この地上でも味わわせてください。


2012-12-03

小春日和:アドベント聖書日課12/3「主の熱心」

今日は「小春日和」というのにふさわしい暖かい日でした。
最高気温は16.4度Cまで上がりました。
明日はもう一日15度Cを超えて、その後は10度くらいの比較的穏やかな日が続きそうです。

さて、アドベント聖書日課、今日はイザヤ書9:1-7を読みました。
心に留まったのは、最後の「主の熱心」という言葉です。
暗闇の中にいる人々に光が照るのも、希望を持って歩めるのも、神の子救い主が送られたのも、その方が、私たちと共に歩んでくださるのも、ただ、神様の情熱ゆえなんだというんですよね。

神様が熱い思いを持って私を愛してくださっていることをとてもうれしく思います。
私も、熱い思いを持って、神様にお応えできますように。
私も、熱い思いを持って、人々を愛することができますように。

2012-12-02

アドベント聖書日課12/2

教会のために作ったアドベント聖書日課はこちら。

http://www.jccofnj.org/main/advent2012/advent2012.pdf

アドベント第一日。
今日はイザヤ書の40章1-11節を読みました。
今日の礼拝の中で、ここからメッセージをしながら、
神様に期待すること・・・ということをお話ししていました。

その中で、もしも自分が「あなたのことなんて期待していない、期待して裏切られて、がっかりするのはイヤだし、傷つくのもイヤだ」と言われたら、どうだろうか、と思わされた。

そのとき、「でも、同じことを神様にしているのではないだろうか?」という思いがわいて来た。「神様がわたしの人生にすばらしいことをしてくださると期待するのは傷つきたくないからもうしない」とか、「神様の祝福はこんなもんだろう」とか、そんなことを言って来なかっただろうかと。

神様の愛を、神様の力を、神様のご好意を信頼して、大胆に期待して歩んでいきたい。