2007-09-01

NYでもないのかな?

さて、今日は朝も涼しかったし、
昼間もさわやかだったし、
夜は寒いくらい。

今11時ですが、すでに16.5度まで下がっています。
そして、明日の朝は10度くらいまで下がるようです。

窓を開けて寝る人、風邪に注意。っていうか、
たぶん、今夜は寝る前に閉めなきゃダメ。in NJ。
荒浜はまだまだみたいですが・・・。

San Diegoの教会のパスターマックのところを訪問したら、
パドレスの試合の後に、クリスチャンの選手たちが
信仰について語る時間があったって?
記事はこちら。
すごい。

こういうのはNYではないんでしょうかねえ。
Yankeesのアンディやマリアーノ、
Metsのペドロ
なんかは、みんな、「ジーザスきちがい」なんだから・・・。
・・・もっといたよね。
ぜひ、NYでもやってほしいなあと思いますが、
できないんでしょうかねえ。
情報があったら、おしえてください。


さて、今日の聖書。
今日は箴言の11章。

いろいろ心にとまって、いろいろ考えさせられたのですが、
ここでご紹介するのは、1節。

「欺きのはかりは主に忌みきらわれる。  
正しいおもりは主に喜ばれる。」

この章は主に商売のことを言っているようです。
ですから、この言葉も文字通り、商売における正直さを
勧めているところでしょう。

でも、今日はここを読みながら、
倫理的、道徳的、信仰的にも、
自分のためのはかりと、人のためのはかりが違う、
ということがないだろうかと思わされたのです。

自分をはかるはかりと、
人をはかるはかりが違わないかと・・・。

同じことでも、人がしていることはやたら気になる。
自分がしていることは、「しょうがないかな」と思う。

三浦綾子さんが「道ありき」の中で、
自分が信仰を持つきっかけとなったことが、
それだったと書いておられます。

人をはかるはかりと、自分をはかるはかりが違う。
人がしていると、ものすごい嫌なことを、
自分は平気でしていた。
そのことを感じた綾子さんは、
自分の罪がわかって、
信仰を持つようになったそうです。

でも、本当にそうだなあ、と思います。
公正なはかりを持つことできるように祈ると共に、
そんなしょうもない罪人を、赦し、受け入れてるために、
十字架で死なれたイエスにもう一度感謝します。

主よ、
人のことではない。
自分のことだと思いました。
私も、二つのはかりを使い分けていないでしょうか。
あなたが今日も私の心を探ってくださったことに感謝します。
もう一度あなたの恵みを知る時を与えられたことに感謝します。

どうか、一つのはかりを持つ者としてください。
自分の、自分勝手なはかりではなくて、
自分流のはかりではなくて、
あなたがはかってくださるはかりの目盛りを読む者としてください。

2007-08-31

満たされている中で

今日は一日どんよりとして、
気温もまあまあ涼しく、27度くらい。
夜になったら、また一段と涼しくなってきました。
今、夜の11時半になるところですが、20度を切るところまで下がってきています。

明日はすかっと、さわやかに晴れそうです。

いよいよ夏休みもあと数日。
新学期のための宿題の追い込みや、
買い物や書類の準備もばたばた始まっていますが、

そんな中で、まだウガンダモードの余韻が残っています。

水、木、と書いている中で、
よかった部分ばかり書いてきたかもしれませんが、
やはり衛生状態や、
環境はかなり厳しいものがあったようです。

村に一つの井戸まで1キロ歩くとか、
一人80-160Kgの水を子供たちが運ぶとか、
シャワーが一人3リットルまでとか・・・つまり、おけ2杯。
ひねるとジャーと水が出ることが当たり前になっているのが、
いいことなのでしょうか。
もちろん電気もない、そんなところだそうです。
もちろん都市は違うようですが・・・。
その恩恵を忘れてしまって、当たり前になってしまっているのが、
本当にいいのかなあ、と思います。
身体能力も全然違うみたいです。
そりゃそうです。
体を動かすのは楽しいスポーツしかない日本やアメリカの子供たちと、
農作業を手伝い、毎日水汲みで何十キロから百何十キロの水を運んでいる向こうの子供たちと、
そりゃ精神的にも、肉体的にも全然違うでしょうね。

でも、また何時間もかけて学校に通っても、
別にたくさんのお金が入ってくるようになるのでもない。
もう通うことが面倒になって、
手軽にお金が手に入る売春に身をゆだねる若い女の子もいるそうです。

また北部の反政府ゲリラが活動する地域では、
誘拐されて兵士にされたり、性的虐待を受ける子供たちもいるそうです。
その人たちが解放されたり、逃げてきたり、しても、心の傷は深く、
リハビリがなかなか難しいそうです。

だから、その厳しい環境が、絶対肯定されるべきだとは思わないです。
でも、今の私たちのようなすべてが与えられている環境が本当にいいのかわからなくなってきます。
水も電気も、ガスも、電話も、何でも、すぐ手に届くところにある。
あるのがあたりまえ。

あるのに我慢して使わないとか、それも変だし・・・。なにより、これがまたきつい。
でも、せめてシャワーの水は「3リットル」までは行かなくても、できるだけ、節約しよう、
なんてちょっとだけ思っています。

どうすればいいんでしょう・・・。

さてさて、今日の聖書。
今日は箴言の10章でした。

「正しい者のくちびるは多くの人を養い・・・」
21節の言葉です。

この章は「言葉」についてですよね。
言葉に出さなければいいかというと、
そうでもないようで、

18節には
「憎しみを隠す者は偽りのくちびるを持ち、  
そしりを口に出す者は愚かな者である。」
とあります。

口に出さなければ偽りの唇で、
口に出せば愚かな者だ、

というのですから、どちらにしても、心に抱いた段階で、
それは愚かなことなのだというのでしょう。

だったら、やはり、最終的には、
口の問題ではなくて、
心の問題ですよね。

がんばって言わないようにしようとか、
そういうことではなくて、
心がそういう憎しみとか、そしりに支配されてしまうことがないようにという、
そのような戒めなんだろうと思います。

心を守ってください、と祈らされます。

主よ、
私の唇を守ってください。
でも、それよりも何よりも、
私の心を守ってください。
いつもあなたが見ておられるように、
人を見ることができますように。
怒り、憎しみ、そしり、そういうものから、
私の心をいつもいつも守ってくださいますように。

2007-08-30

本当に必要なものは

今日は蒸し暑かったですね。
32度くらいまで上がりました。
そして、夜になっても昨日までとは違って、
温度も余り下がらず、
また湿気も多くて、べたべたします。

でも、11時で23度くらいですから、
まあ、文句は言えませんね!荒浜のJ兄?

レーダーを見ると、雷雲すぐそこまで来ています。
おそらく12時か1時頃には雷雨になるのでは・・・。

明日からはまた涼しくなるようです。
月曜日のLabor Dayだけはちょっと暑くなるようですが・・・。

今日の朝は教会の祈り会。
そこで、息子がウガンダの話をいろいろしてくれました。
昨日すでに聞いていた話も多かったのですが、
改めて、いろんなことを思わされました。

私がその中で一番心動かされたのは、
「本当に必要なものはそれほど多くないのではないか」
ということでした。
お金もない、家族もいない、孤児の言葉の中に、
その表情の中に、息子はそんなことを思わされたそうです。
そんな中でも、神様を信じて、自分は恵まれている、と語る孤児の子の姿に、
神様がここにもおられると感じたそうです。

先日の礼拝の聖書箇所の、
「なくてならぬものは多くはない、いや一つだけである」という
イエスの言葉がもう一度心に語られました。

シンプルライフもかけ声だけじゃダメですよね。
新しく、具体的に、そのように生きたいと思いました。

今日の聖書。
今日は箴言の9章。

「あざける者を責めるな。  
おそらく、彼はあなたを憎むだろう。  
知恵のある者を責めよ。  
そうすれば、彼はあなたを愛するだろう。」
8節の言葉です。

な~るほど、と思いました。
と共に、自分はどちらだろうかと思いました。
責められたときに、責める人を憎むか、
それとも、責める人を愛するか。

ちょっと読んだとき、
自分を「責める」側の立場において読みました。
そして、「責めてもそれを受け止めることのできない人」は
おろかなんだなあ、と、
そして、「責めたときに、それを受け止める人は、すばらしいよなあ」と思ったりしました。
でも、思いめぐらしている中で、
自分が責められたときに、どう反応しているか、問われているように感じました。

それを受け止められる、
責める人に感謝して、愛することのできる、
そういう者になりたいと思いました。

責める人は・・・いろんなケースがあるでしょうが、
でも、まともな人の場合、
よっぽど悩んで、迷って、祈って、
それで相手のことを考えて責めるわけで、
本当は感謝すべきなんですよね。

お店にクレームをつけに来る人は、
対応してくれることを期待して、
もっと言うならば、もっとよい商売をすることを期待して、
言いに来てくれる。
そして、そのときに、クレームをつけられた方が、
クレームをつけてきた人に対して、誠実な対応をするならば、
その誠実な対応の方が相手の心に残って、
周りの人にも、そのことを話す。

でも、不満があるのに直接クレームをつけに来ない人は、
他のところで、その不満をこぼす。

だから、お店にとって、ありがたいのは
直接クレームをつけに来てくれる人なんだ、

そんな話を聞いたことがあります。

「知恵のある者」になりたいと思います。

主よ、
人に責めてもらえるような、
「知恵のある者」にならせてください。
そして、それを愛を持って受け取ることができる、
感謝を持って受け取ることができる「知恵のある者」にならせてください。
なかなか、難しいです。
だから、あなたが助けてください。

2007-08-29

言葉にできないことも・・・

今日はまた昨日よりはワンランク蒸し暑い感じがしました。
30度は行きました。

でも、また夜になってからは涼しくなっています。
11時で21度。

明日はまたもうワンランク蒸し暑くなって、
そして、雷雨もあるようです。

週末にかけて、また涼しくなるみたいです。

お祈り頂いた息子ですが、
今日、昼過ぎに無事に帰ってきました。

カメラが壊れたのはちょうど真ん中くらいのときみたいで、
撮れていた写真もちょっと。



現地は雨期で毎日夕立があって、
でも、その後またカラッと晴れる、
という毎日だったようです。

たくさんたくさんのいい体験をしてきたようで、
帰りの車の中でも、
帰ってからも、
しゃべり通しで、
トイレのこと、ゲリラのこと、子供たちのこと、
人々の暖かさのこと、蟻のこと、動物のこと、
食べ物のこと・・・いろいろ聞きました。

でも、さすがに疲れたようで、
野球も最後まで見ずに、 早く寝てしまいました。

その中で、一言、
「言葉にできないこともたくさんある・・・」と言っていました。

そうだろうなあと思います。
私も「どうだった」と聞かれて、
言葉にできないものをどのようにして伝えたらいいのか、
戸惑うことも多くあります。
言葉にすればするほど、自分の感じているものとは別のものになってしまう・・・。
でも、その中で一生懸命言葉にする努力を怠らない。
でも、やっぱり、言葉にできないものが残る、そういうものかと思います。
そんな「言葉にできないもの」がたくさんあることはとっても豊かだ、ってことですよね。

来年はJCCNJだけで、ひとツアーなんてことはできないでしょうかねえ。
現地のFHIは大歓迎みたいですが・・・。

さて、今日の聖書。
今日は箴言の8章でした。

「銀を受けるよりも、わたしの懲らしめを受けよ。」
10節の言葉です。

英語ではChooseが使われています。
銀よりも、私の懲らしめを選び取れ!ということでしょう。

私たちは自然にしていたら、
絶対銀を取るでしょうね。
いやあ、絶対取りますよ。

だから、あえてChooseすることが大切なんじゃないでしょうか。
そうしなかったら、絶対神様の懲らしめの方は取らないでしょう。

それくらいの価値があるんだと言うことを忘れないでいたいと思います。
あえて神の懲らしめ、instructionを選び取る、「大馬鹿者」でいたいと思います。

「馬鹿じゃない?」と言われるくらいでありたいと思います。

主よ、
あなたの与えられる懲らしめを、
喜んで受け取るものでありますように。
もしも喜べなかったとしても、
それをあえてChooseする者でありますように。
ひとに「大馬鹿者」と言われるくらい、
あなたを、あなたの戒め、あなたの教え、あなたの懲らしめを、
あえて選び取る者でありますように。

2007-08-28

脱帽

今日は30度まで上がって、
また、昨日よりもちょっとだけ、湿度も上がって、
ちょっと夏っぽかったです。

でも、夜にはさわやかな風が入ってきます。
12時前ですが、19度まで下がってきました。
明日も今日みたいな天気でしょう。

8月はかきごおり家の娘たちの誕生日が続きましたが、
今度は、明日は日本のオヤジの誕生日で、
先ほど、29日になった日本に、Skypeでテレビ電話をしました。

ちょっと勝手がわからないところがあったみたいで、
・・・向こうの絵は写らなかったし、
声も出なかったんで、
結局、こっちの画像を送りながら、
電話で話す、というちょっと情けない状態でしたが、
久しぶりにゆっくりこちらの子供たちの顔も見せながら、話ができました。

15年前、来たばかりの頃は、
1分間50セントとか、70セントでも、特別な時間が決まっている料金で、
10分話したら、もうやばい、って感じでしたが、
今は10分の1以下。
Skypeがうまくいけばタダですからね。
近くなりました。

で、「私+30」歳のオヤジの口から出てくるのは、
もっぱら教会の中で病気の方々のこと。
牧師としての大先輩のオヤジの心の中は、
まあ、こんな日も、やっぱり教会の方々の中で
弱さを覚えておられる方々のことなんですね。
・・・脱帽です。

息子は・・・というと、さっき、無事にアムステルダムに着いたみたいです(未確認)。
Flight Informationを見ると、5:50am Arrivedになっています。
こっちの11時50分。
このあと、4時間半乗り継ぎ時間があって、
明日の昼過ぎにこちらに到着します。

お祈りに感謝します。

今日の聖書。
今日は箴言の7章でした。

「私のおしえを、あなたのひとみのように守れ。
それをあなたの指に結び、  
あなたの心の板に書きしるせ。」
2-3節の言葉です。
この章は誘惑してくる人妻に対して、
身を清く守るようにとの若者たちへの戒めが書かれています。
「魚心あれば水心」と言いますが、
誘惑してくる者を責めることは簡単ですが、
誘惑される側にも、それを期待しているかの様な思いがあるのでしょう。
それに対して、堅く立っていくために必要なのは、
神の戒め、警告、教えであるのだと思います。
瞳のように守り、
指に結んで、
心の板に書き記す。
それくらいの真剣さがなくて、
どうして誘惑に対して堅く立っていくことができるでしょう。
自分の弱さを知っているからこそ、
自分が罪深い、弱い、
誘惑に負けやすい者であることを感じるからこそ、
戒めや警告の大切さを思わされるのです。
主よ、
あなたの愛に感謝します。
御言葉による警告や戒めも、
あなたの愛であることに感謝します。
あなたの戒め、警告、教えを
瞳のように大切にし、
指に結びつけるようにいつも目にはいるところにおいておき、
心の中に刻みつけることができますように。

2007-08-27

写真よりも大切なもの

今日は快適な一日でした。
天気もまあまあ、
気温も29度くらい。
湿度も高くなく、気持ちのいい一日でした。

夜になって、また涼しくなって、
20度くらいまで下がってきています。

明日も引き続き、さわやかな一日となりそうです。

実は、今日の朝、
ワークをしていた村から、
町に戻っているだろうという息子の携帯に、
テキストメッセージを送りました。

「何もなかったら何にも連絡しなくていいから・・・」
と言っていたのですが、
ちょっとこっちが我慢できませんでしたね。ちょっとくやしい。

「元気?」

と。

しばらくして返事が届きました。
そう、携帯の電波の届く範囲にいたんですね。

元気みたいです。

皆さんのお祈りに心から感謝します。

いい経験をたくさんもらって、
「2週間じゃ短い~」という感じだそうです。
だろうなあ、と思います。

その中に、
「今のうちに言っておくけど、カメラを落として壊れた。だから、写真は余り撮れてない。ごめん。」とありました。
カメラは100ドルもしないヤツで、全然いいんですが、
写真はちょっと期待してたからなあ。ちょっと残念。

でも、思いました。
自分が経験して、頭の中に、いろんなことを焼き付けておくこと、
それが写真を撮ることよりもずっと大切なこと。
わたしも、時々、これ、写真に撮りたいけど、このタイミングでカメラを出すのは、
何かもったいない、と感じることがあります。

カメラを落としたのはたぶん本人の不注意だと思いますが、
でも、それを許された神様には何か他の意図があったのでしょう。
たくさんのことを、心に焼き付けて帰ってきてくれたらいいな、と思います。
もう20時間後くらいには機上の人になって、
あさってには帰ってきます。
土産話が楽しみです。

さてさて、今日の聖書。
今日は箴言の6章。

「主の憎むものが六つある。  
いや、主ご自身の忌みきらうものが七つある。
高ぶる目、偽りの舌・・・」
16-17節です。

「高ぶる目」と言うことをもう一度思わされました。
「唇」「態度」じゃないんですね。
高ぶりは「目」に出る。

ものの見方、
見え方が変わってくる。

そして、人を見る目が変わってくる。
そして、目つきが変わってくる。

本当に注意したいと思いました。
自分がいつもいつも高ぶりの罪に近い存在であることを、
思わされます。
それでどれだけ失敗をしてきたかも、
思い知らされます。

だから、高ぶりの罪から、守って頂きたいと思います。

私の目が守られますように。

主よ、
私の目を守ってください。
私が高ぶりの目を持つことがありませんように。
そのような目で物事を見たり、
人のことを見たりすることがありませんように。

もしもそのようなところに陥りそうになったときには、
どうか、教えてください。
示してください。
戒めてください。
あなたの警告に、従順でありますように。




2007-08-26

わくわく

今日も暑い朝でしたが、
その後だんだんいい感じなってきて、
夜になったら涼しいです。
今は夜の11時半ですが、21度です。

16度くらいまで下がりそうです。
助かります。

明日も28度くらいの、まあまあの天気でしょう。

今日は礼拝の後、
外部から先生をお招きして、
教会学校の先生方の研修会をしました。

よかったです。
いろいろ刺激を受けました。

「絵本から学べ!」・・・先生はもっと暖かく、穏やかに言われたのですが、
かきごおり語に翻訳するとそういうことです。

早速実践。
下の娘にねだられて、お休み前の絵本タイム。
「そらいろのたね」を読みながら、
「繰り返しの楽しさ」
「この先どうなっていくんだろうというわくわく感」
味わわせて頂きました。
そらいろのたねをまいて水をやったら、あるものが生えてきて、
どんどん大きくなる・・・。
すごーい、とわくわくしながら、
自分の中の冷静な大人の部分が、
「え、これでお話の最後はどのようにしめるわけ?」
「オチはどうなるの?」
と考えています。
それもまたわくわくするんですね。

3週間後には子供たちのためのお話が回ってきますが、
どうやって生かすか、これからちょっとわくわくしながら準備です。

今日の聖書。
今日は箴言の5章でした。

「あなたの水ためから、水を飲め。  
豊かな水をあなたの井戸から。」
15節。

この章は直接的には、
夫婦の大切さを説き、
他の関係によって満たされることを求めるな、
ということを勧めている章です。

特に娼婦に目をとめるな、と勧めています。

そのコンテキストで、結婚している私がこの節を読むと、
あなたが与えられている夫婦関係の中で、
そこに本当に喜びを見いだして、
その中で満たされることを学びなさい、と言われているように感じました。

そのことを思うと、単なる「娼婦」を避けることだけの問題ではないと思います。
もっともっと豊かにさせてください、もっと豊かな関係を与えてください、
と祈らされます。
でも、もしも相手にその「豊かさ」を求めると、お互い疲れてしまいます。

そのために、もっともっと主からの喜びをいただきたいと思いました。
今日の礼拝の聖書箇所のように、
主から語られて、力をいただいて、
もっともっと愛することのできる者になりたいと思いました。

主よ、
愛することを教えてください。
もっと相手を理解することができるように。
そのために、あなたが日々、御言葉と力を与えてください。
私が涸れてしまうことがないように、
相手を枯らしてしまうことがないように。
あなたの満たしを日々与えてください。