2012-03-30

JOYJOYイースターだよ。

明日、3/31はJOYJOYイースターです。
午後3時から教会です。
たのしみ、たのしみ!!!

毎年50-70人の子供たちが集まります。
マジ激楽しいです。


でも、今、夜の12時前ですが、雷が鳴っています。
明日の天気を見ても・・・雨。

でも、詳しく見てみると・・・。


3時までは雨でも4時からは晴れ!
はい、信じます。天下のWeather Channelですからね。

ほとんどのプログラムは中ですが、
最後のエッグハントは外でやりたいですからね。

予報通り、明日の午後3時には雨が上がって、その後、晴れますように!

でも寒そう。ちゃんと暖かい格好でお集まり下さい!

2012-03-29

祈る。

今日はNYCに行く日だったので、午前中ちょっと教会のオフィスワークや、英語の教会のかたとの相談などなど。
昼頃にNYに行って、人にお会いして、NYのスモールグループを訪問。

夜11時頃のバスに乗って、教会で残っていた一仕事をして、帰ってきたら、12時を回っていた。

こんな日には、夜遅くまで働いている方々や、あと2時間くらいで起きだして仕事に行かれる教会のメンバーのために祈らないでいられない。

一人一人の日々の歩みの中で、神様に目を向けるひと時が与えられますように。

2012-03-26

ぐっと冷えこんで。

ずっと暖かいと言うか、それを通り過ぎて暑い日も続いていたので、本当に久しぶりの冷え込みです。今は夜の10時ですが、早くも1.7度まで下がってきています。今夜の予想最低気温は、-3度Cくらい。明日の昼間も10度どまり。暖かさに慣れきった体には、ちょっときついかも。でも、晴れるので、日差しはもう春ですからね、というか、昼間の時間の方が夜よりも長いくらいなので、寒くても、気持ちが重くなるようなことはないと思います。


今日は日本では、金星と月と木星がほぼ等間隔できれいに並んだようですが、こちらでは、金星と月が大接近。愛用のアプリSky Walkで見ると、こんなに近くなる。





でも、考えてみれば、月も、惑星も大きく書かれているわけで、実際はかなり離れて見えました。

金星ってホントに明るいですね。まだ日が沈む前、7時5分頃、月のすぐ隣で輝いているのが見えました。一番明るい時で1等星の170倍も明るいそうです。でも、それは地球との距離が本当に近いから。これからどんどん近くなるので、どんどん明るくなっていくようです。

でも、近いと言っても、一番近い時で5000万キロ。時速4キロで歩いていくと5700年くらいかかります。新幹線、ちょっとがんばって時速400キロだしてもらえると57年くらいで着きますから、ちょっと身近な感じがしますが、それが一番近い惑星ですからね、そこを何分とかで着いてしまう光が何億年かかって到達するようなところにある星もあるというのですから、もう理解を超えています。

その宇宙を造った神様が私たちに目を留めていてくださる、とはどういうことなのか、それはもうどうにも理解できません・・・。

さて、今日の聖書。
今日はルカ20:41-21:4。

「彼らは長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされることが好きで・・・見えを飾るために長い祈りをします。」20章46−47節。

人目につくことを求めていた人々。
こんな連中のような生き方はしたくない!と、私たちは思います。

・・・でも・・・。
「何もやっていない!」と思われたり、言われたりすると、
また、そう思われているんじゃないかなあ、という恐れを感じると、
「こんなにやっている!」と言いたくなるし、それを見せつけたくなるものです。

ああ、イエスさまは、あの十字架の道の中で、どんなにひどいことを言われても、それを身に受けられたんだなあ、と思います。

本当に本当にどこまでもどこまでも、人前ではなくて、神様の前に真実に歩みたいと思います。

神様、
どうか、あなたの前に歩む者でありますように。
自分がどう思われているか、そこに目を留めさせようとする力から私を守ってください。
自分ではなく、あなたに目を向け、自分ではなく、今、あなたが私に任せてくださっている人々の必要に目を留める者とならせてください。

2012-03-25

礼拝の決意。

今日は先日までよりもぐっと涼しくなって、今は夜の11時過ぎですが、外の気温は9.5度C。今夜は6度くらいまで下がると思います。そして、明日は一日10度以下。久しぶりに寒さを感じるかもしれません。そして、夜はグンと下がって氷点下の冷え込みみたいです。お風邪などお召しになりませんように。

昨日の夜もちょっと書いたのですが、自分の気持ちに正直でありたい、と自分の気持ちの高まりを待って何もしない、というのは、違うんだなあと思います。今日の礼拝の準備をしている中で、イエスもゲッセマネの祈りを通られた、ということに心が動かされました。イエスも、私たちのためにいのちを投げ出す時に、「できればこの杯を取りのけてください」との祈りをささげられた。血の汗を流して祈られた。


私たちが神に従う時に、そういうところを通ることもある。もちろん、喜んで従えることもあるだろう。そっちの方がいいに決まっている。喜んで礼拝できること、喜んで献金できること、喜んで奉仕ができること、そっちの方がいいのは当たり前すぎることだ。


でも、神に従うことに、痛みを伴うこともある。それでも、祈って決意をもって従っていくことも必要なのだ。


礼拝後にはワーシップバンドのミーティング。


礼拝の中でのワーシップリーダーが第一にすべきこと。




「神がここにおられることの宣言」




どう感じるか・・・ではない。
実感があるか・・・ではない。


神の約束だ。


もちろん、神は実感を与えてくださる時もある。
でも、私たちがそれを感じない時にも、神は私たちとともにおられる。


それを宣言することだ。


厳しい状況の中にあって、「神の存在なんかわからない、信じられない」という方がいるならば、なおさら、その中にあって、神の臨在を宣言することだ。


これからも、自分の気分には振り回されないで、決意をもって礼拝を守っていこうと思う。


昨日の「日々のみことば」から。
昨日はルカ20:19-26でした。


「神のものは神に返しなさい」ルカ20:25。

私が神に返すべきものは何か、握りしめているものは何か、しばらく思いめぐらしていました。

教会?
人?
自分の人生?
時?
お金?
からだ?

すべてが神様のものであって、神様の思いのままに、私を用いていただきたいと思わされました。いろんなこだわり、いろんな執着心、そのようなものから自由にしていただきたいと思います。

主よ、
私自身があなたのものです。
あなたの思いのままに用いてください。
私自身の中にある、こだわりとか、自分でここだけは譲れない、と思っているもの、そんなものから、解放してくださいますように。