2008-01-12

雪、来ます

今日はどんな天気だったのか、
よくわかりません。
一日教会の中にいましたから・・・。

今は夜の10時半で1度。
このあと余り冷えないようですが、
明日は夜には雪。

夜半頃には激しく降って、
15-30センチ積もる、という予報が出ています。

月曜日の学校が休みになるかどうか?
私は「休みになる!」派です。

まあ、うちの町は他の町が休みになっても、
結構ふつうにあったりしますし、
家庭によっては親の仕事に支障が出たりしますから、
休みにならない選択をするかもしれませんが、
決断をする、夜明け前は結構まだ降っている時間帯だと思うので、
学校は休みを決断すると思います。

私も月曜日は久しぶりの完全なお休みになると思うので、
家族総出の雪かき休日になるかと思います。

今日の教師研修会で、
「安息日」の意味について考えました。
それはやはり、「何もしない中で主を喜ぶ」
ということなのかと思います。

私たちは「何かをする」ことによって、
意味を見いだすことが多い世の中に生きています。

そして、週に1日か2日の休みも、
「また月曜日から元気で働くことができるように」
という意味での休みになっています。

でも、日曜日の礼拝は、
「何かをすることによってではなくて、
ただただ、そこにたたずむことの中に、
神の恵みを覚えていく、
神の恵みの支配の中に、
自らを合わせていく」
その時だと思います。

そして復活のイエスにお会いする喜び、
その前にひれ伏す喜びです。

明日の礼拝がそのような意味での、
幸いな礼拝となりますように。

さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書4章1-13節です。

「御霊に導かれて荒野におり・・・」1節。

今日は、「日々のみことば」の中の、
「平穏な生活をあなたは求めていませんか」
という言葉に、この聖書の言葉に引き戻されました。

やはり、平穏な生活を求めている自分がいます。
嵐が過ぎ、静かな生活を送りたいと思います。
だから、この問いかけが心をとらえました。

波風の立たないことではなく、
波風の中でも、平安をいただくことができる
自分では言う時がありますが、
それを他の人の言葉として読むと、
本当にそれは厳しい言葉にも読めます。

でも、そのような平安がほしいと思いました。
波風の中でも平安をいただいて歩んでいくことができたら、
そんな中で平安をいただいて歩んでいくことができたら、
それは本当に素晴らしいだろうなあと思います。

それをいただいて歩んでいきたいと思います。

主よ、
私はやはり平穏を願います。
でも、平穏な中では得られない祝福もあるんですよね。
波風の立つ中で、平安をいただいて歩んでいく、
そこに生かして下さい。
今日私にその平安を満たし、
明日の礼拝の中で、
その平安に生きることができますように。

あなたの前に安らぐ礼拝として下さいますように。

試練

日付が変わってしまいました。
今夜は深夜祈祷会で、
礼拝の準備と今日の教師研修会の準備で、
ちょっと遅くなりましたが、今のところ元気!

研修会の中で居眠り、とかにならないように注意、ですね。

今日は雨が降ったり止んだりの一日でした。
夕方になって晴れてきましたが、
よく雨が降りました。
雷も鳴りました。

そして、今は夜の2時半ですが、4.8度、
まだまだ、この時期としては暖かめです。

でも、このあと、少し冷えてきて、
日曜日の夜は雨が雪に変わるでしょう。

10センチくらい積もるかもしれません。
学校が休みになるほどではないかもしれませんね。

先日、日本からお便りをいただきました。
クリスマスと新年のご挨拶をお送りした、
聖書学院の1年先輩の方の奥様から。

実はその方、昨年の夏、大動脈瘤破裂で、
突然召天されたとのことでした。

私より20歳くらい上の方ですが、
まるで少年のような瞳をされた、
とても純粋な伝道者でした。

40歳くらいになってから、
仕事を辞められて、
私たちのような20代の修養生たちの中に入って、
一緒に奉仕し、学んだ先輩です。
ディーゼルエンジンのいすずのジェミニだったと思いますが、
車を持っておられたので、
よく外に連れ出して下さいました。
いろんなアドバイスを下さいました。
楽しい方でした。
私にとってとても大切な先輩でした。
ああ、自分の言葉の貧しさにいらだちを覚えます。

本当に暖かい方だったんです。

教会にとって、
また特に奥様にとって、
どれほど大きな痛みがあっただろうかと思います。

「クリスマスの逆転」という題で、
奥様が礼拝説教の中で語っておられたこと、心に留まりました。
試練の中で、神様が与えて下さる逆転の恵みについて語り、最後にこのように締めくくっておられました。
「最後に私のとっての大逆転は、来年に向かい、牧師代理から牧師へと神様の御言葉に従って生きたいと願い、祈っています。」

どうして・・・と思いながら、
この決意を夫人に与えて下さって、
それを教会が受け止められることの中に、
主が教会を祝福して下さっていることを感じました。

祈り続けようと思いました。

さて、昨日の聖書。
昨日はルカによる福音書3章18-38節。

「教えを始められたとき、イエスはおよそ三十歳で、人々からヨセフの子と思われていた。」23節です。

人々の中に混じって洗礼を受けられたイエス。
そして、人々から「ヨセフの子」と思われることを受け入れられたイエス。

イエスが人として歩まれたことを思いめぐらされました。

人の中に入り、
「あれはヨセフの子じゃないか」ということばを、
ある時には侮蔑の気持ちを込めて投げかけられる中で、
イエスは歩まれました。

そこに、イエスの強さを感じました。
どのように思われるか、
どのように言われるかに、
動かされない、
イエスの強さを感じました。

そして、人の中にあえて入って行かれるイエスの中に、
大きな愛を感じました。

イエスの愛をいただきたいと思いました。
イエスの愛に満たされて歩みたいと思いました。

主よ、
あなたの愛を与えて下さい。
あなたの強さを与えて下さい。
あなたが歩まれたように歩ませて下さい。
あなたの大きさを、もっともっと経験して、
あなたの大きさのほんの少しでも、
自然に持てるようにして下さい。

あなたの大きさを指し示す者にして下さい。

2008-01-10

ジャンボ紙相撲

今日はまあまあ。
昨日までの暖かさはもう終わりになって、
朝は1.3度。
でも、昼間はそこそこ上がって、11度。

今は夜の10時で7度です。

これから明日にかけて雨です。
ちょっとまとまった雨になりそうです。

そして週末にかけて気温は下がって、
どうやら、日曜日の夜から月曜日の朝にかけて、
雪になりそうです。

あ、まだわかりませんがね。
今回の確信度はかなり低く、今夜のNAMでは、
弱い低気圧が東の海上を進むだけで、
雨も雪も何もないと、予想してきています。
夕方のGFSでは雨から雪に変わる予想。
あと2時間くらいで次のGFSが出てくるので、
それが注目されます。

今日はJOYJOYキッズクラブ。
先月、雪で中止になったMaywoodは2ヶ月ぶり。
今月のゲームは「ジャンボ紙相撲」です。

だいたい80センチくらいのお相撲さんをつくって、
土俵を書いた板の上に立たせて、みんなで板をたたきます。
写真を撮っておきたかったのですが、
忘れました。
始まると興奮して、写真どころではなくなってしまいます、自分。

もうちょっとお相撲さんががっぷり組む様に作ったら、
また楽しいと思うのですが、
まあ、そうではなくても、みんなで板をたたいて、
自分の力士を応援するだけで、楽しいです。

もっとやりたいかなあ、と思いました。

来週のRidgewoodの時には写真を撮ってアップしますね。

さて、今日の聖書。
今日はルカ3章1-17節です。

「その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。」
16節。

毎日のように「聖霊様」の働きに目が留まります。
今日も、イエスさまが聖霊様を私たちに満たしてくださる、
そして、それがまた「火のバプテスマ」であることを覚えます。

焼き尽くす火。
私の中にある不純なものを焼き尽くし、
人々の中にある不純なものを焼き尽くす炎なる聖霊。

その御業を待ち望みます。
私自身のうちに、
教会の中に、
人々の中に熱く働いて頂きたいと思いました。

人の言葉の限界を感じる中で、
聖霊様が一人一人のうちに働いてくださることを、
心から願います。

聖書を読んで祈っている中で、
机においてあった、
「Fresh Faith」を手に取りました。
これも、Brooklyn Tabernacleの
Jim Cymbala牧師の本です。

そこに教会の祈りによって、
不思議なようにドラッグ中毒から救われた
一人の人の話が載っていました。

教会でみんなで彼のために涙を流して祈っていた時に、
家族がみんな教会に行って自分一人のはずの家の中で、
すすり泣きを聞いて、「家族が本当に教会に行ったのか」
確かめたくて、教会に行って、
そこで、心が砕かれて、溶かされて、
生まれ変わったそうです。
今は世界中を駆け回るクリスチャン・ミュージシャンとして
活躍しているそうです。

カルヴィン・ハントという方です。

そのような御業を待ち望みました。
祈りました。

聖霊様、
どうか私のうちに、
私たちのうちに熱く臨んでください。
焼き尽くす炎として、不純なものを燃やし尽くしてください。
あなたの御業をなしてください。
あなたの奇跡をなしてください。

カルヴィンのうちにあなたがなしてくださった、
御業を、どうか、私のうちに、
教会の一人一人のうちに、
なしてください。

2008-01-09

神の家

今日は今年初めてのNYだったのですが、
とても暖かでした。
自宅の最高気温は17.7度。
昨日よりもちょっと上がりました。

でも、本当に、これでおしまい。
今、夜の11時ですが、5.2度まで下がってきています。
(その後、12分にはもう4.9度です。ぐんぐん下がっています)
明日の朝はぎりぎり氷点下になってしまうかもしれません。

明日は10度くらいでしょう。
決して寒くはないのですが、
一度17度を経験してしまうと・・・。

で、来週の雪ですが、
一つの可能性は日曜日の夜から、月曜日。
もう一つは週の半ば過ぎ、木曜日か、金曜日。

いずれにせよ、4日~1週間後なので、
全くどうなるかわかりません。
でも、よい子の皆さんは、
この冬初めて学校が休みになるチャンスです。

さて、今日の聖書。
今日はバスの中で読みました。
「日々のみことば」は聖書の本文も印刷されているので、
バスの中で読んで祈る時などはぴったりですね。

今日はルカによる福音書2章39-52節。

「わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」
49節。

私はイエスをどこに探しているだろうか、
それを思いめぐらさせられました。

「父の家」・・・それは神の家ということですよね。

で、昨年の教会の御言葉である
「私の家は祈りの家ととなえられるべきである」という言葉を思い出しました。
その「私の家」=「神の家」は、
教会、神を信じる者たちの集まりとしての
教会を指しています。

イエスは神を信じる者たちの集まりの中に、
その交わりの中におられる。
その神の家におられる。

その神の家の形成が急務であると思いました。

その神の家を形作ろうと思いました。
そのために自分がすることは、
まず、人々を愛すること。

「あなたが語りかけるのは、
あなたが恐れるべき対象ではなく、
あなたが愛するべき対象である」
というリック・ウォレンの言葉を思い出しました。

愛することをもっともっと教えて頂きたいと思いました。

その力を与えて頂きたいと思いました。

主よ、
どうか、お住まい下さい。
私たちの教会に・・・いえ、この教会はあなたのものです。
あなたの教会の中にお住まい下さい。
そのために、私が愛することがもっとできますように。
愛を増して下さい。

2008-01-08

ナチュラル。

今日は本当に暖かかったです。
朝はそこそこ冷えて2.7度。
でも、そのあと気温がぐんぐん上がって、
最高は17.2度でした。

20度以上の予想を出しているところもありましたが、
結局そこまでは行きませんでした。

で、今、ミシガン州を寒冷前線が通過中。
これがもうすでに通過したシカゴやホランドは5度以下に下がっていますが、
それがまだ通過していないバトルクリークでは12度くらいあります。

そして、その寒冷前線が明日、こちらを通過します。
たぶん、昼頃。
そして、そのあとこちらも、この暖かさとはお別れです。
でも、まあ、10度くらいまでは上がるようで、
本当に寒くなるのは来週になってからのようです。

クリスマス、元旦、と2回続けて「火曜礼拝」がお休みだったので、
今日は久しぶりの火曜礼拝でした。

日曜日来られなかった方々が、
時間を作って来られるのを迎えるのは、
とてもうれしいことです。

もっともっと多くの方々が来られる礼拝になればいいと願います。

今日は何ヶ月ぶりかの
バーバーのんち。
(「ババー」じゃないですよ、念のため。)

のんちとかきごおりの会話。
「お客さん、××くなってきたねえ」
「え~、まじっスか?」

さあ、××は何でしょうか?
って、「城」だったら、まあ、驚かないというか、
「まじっスか」じゃなくて「だよね~」って感じなんですが、
今日は「臼」だったんですよね。

まあ、「城」は同世代の中でも、
そこそこ進んでいる方だったのですが、
「臼」まで来ているとは・・・。

で、その後シャワーを浴びてスカッとして、
鏡を見て、「城」の方の問題をどうしようかと・・・。

数年前からは、ちょくちょく黒いインクの助けをいただいていたのですが、
今は、もうしばらく「ナチュラルグレー」で行こうかと。

最初に「ナチュラル」を脱皮した時には、
それまでは、「ナチュラル」でなくなることに
ちょっと心理的な抵抗があったのですが、
いざ、本当にやってみて、
初めて鏡の前に立った時に、
「わあ!本当の自分に戻った!」
と思ったものです。

さて、どっちが「本当の自分」なのか、
いや、いったい、何が「本当の自分」なのか、
考えさせられる経験でした。

とりあえず、今のところ、
しばらく「城」も「臼」も自然派で行こうと思います。

さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書2章21-38節。

「彼が御霊に感じて宮に入ると・・・」
27節。

最近、ずっとこれですが、
神様が、聖霊様が、教えてくださる人、
聖霊によって、感じて、わかる人、
そのような者になりたいと思いました。

このシメオンもアンナも、
聖霊様によって、示されて、導かれて、
イエスが救い主だと見えてくる・・・。
そのような感覚を与えられたいと思います。

そのためにはどうすればいいのでしょう。

本当に聖霊様の語りかけ、
聖霊様の導きに敏感でありたいと思います。
その声に焦点を当てたい、
チューニングを合わせたい、
そう思いました。

主よ、
どうか、あなたの御声を聞き分ける耳を与えてください。
聖霊様の静かな語りかけを、
聞く耳を与えてください。

聖霊様との親しい関係に私を導いてください。

2008-01-07

しるし。

今日は暖かい一日でした。
最高気温は15.5度。
今は夜の12時前ですが、5.5度まで下がってきています。

でも、これ以上は余り下がらないでしょう。
明日は17度くらい行きます。
Enjoy the 「暖波」。
いつまでも続きませんから・・・。

そして一回こういう暖かさを経験してしまうと、
次に寒くなった時に身にしみます・・・。

今夜のGFSを見ると、
明後日の朝くらいが一番暖かくて、
そのあと、下がっていって、
日曜日くらいから氷点下に戻るようです。

さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書2章1-20節。
クリスマスのところです。

「これが、あなたがたのためのしるしです。」12節。

この「しるし」というのは、
「徴」であって、この救い主は「飼い葉桶の中に寝かされてあるような救い主だよ」
という意味だといわれています。

しかし、今日、ここを読んでいて、
「羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので・・・」
という言葉と一緒に考えると、
このしるし、とは、
「私の言っていることが本当だ」という「しるし」なのかも、
と思わされました。

聖書の中にそのようなしるしがたくさん出てきます。
代表的なのは、モーセの杖が蛇になる、という奇跡で、
それが「神がモーセと共にいる」というしるしでした。

私の心の中に「しるし」を求めてはいけないような気持ちがあります。

「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」という言葉が、コリント第1の手紙の1章にありますし、イエスも、「しるしを与えてください」と言われた時に、それに対して、「おまえたちはそう言うけど・・・」と答えられたので、しるしを求めることはいけないような気がしているのです。

でも、とにかく求めてみようと思いました。
「ダメだ」と神様に言われたらその時はその時だ。
とにかくどのように応えてくださるか、求めようと思いました。

神様が共にいて下さるというしるし、
神様が導いてくださっているのだというしるし、
今進もうとしている方向が正しいのだというしるし、

主に与えて頂きたいと思いました。

そして、祈りました。

一つ、与えられた答えは、
「私が共にいるしるしは、イエスの十字架だ」ということです。
イエスの十字架の中に、イエスが人としてきて下さったことの中に、
神様が共にいて下さるしるしがあるのだと、答えが与えられました。

まさに、今日の「飼い葉桶のしるし」に通じるしるしです。

続けて答えを求めていきたいと思います。

主よ、
しるしを与えてください。
あなたがわたしと共にいるしるしを、
あなたが導いてくださるのだというしるしを、
私に与えてください。

もしも、悔い改めるべきことがあるならば、
それも教えてください。

2008-01-06

聖霊に満たされるということ

今日は朝起きたら、1.2度、
そして昼間は8.4度。
どんよりはしていましたが、
穏やかな一日でした。

明日は13度、火曜日は17度。
しばらくは朝も氷点下にはならないで、
暖かい日が続きそうです。

1週間のつかの間の「暖冬」を楽しみましょう。

今日は日本でいう「寒の入り」です。
これから2月の初めの立春までの間が、
「寒中」で平年値を取ると一番寒い季節です。

ここら辺でも平均値を取ると
14日から28日が一番寒い時期です。

史上最低も1961年1月22日の-24度。
ちなみにこの年はとても寒い冬だったようで、
日別の最低記録を見ても、
1月24日、25日、31日、2月2日は、
この年が最低です。

1994年も寒い冬だったようですね。
その時にはアトランタにいました。
確かにアトランタでも、華氏でひとケタの日がありました。

最近はそのような寒い冬はありません。


さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書1章67-80節です。

「さて父ザカリヤは、聖霊に満たされて、預言して言った。」67節の言葉です。

本題はこのザカリヤの預言の中にある言葉なのでしょうが、
なぜか、この言葉が心に留まりました。

それは、
1.私の中に「聖霊に満たされたい」という渇望がある。
のか、それとも、
2.神様が私をそこに招いておられる
のか。

まあ、どちらでもいい。
たぶん両方。

とにかく、この御言葉が与えられていることに意味があるのだとも思いました。私もこのザカリヤのように、聖霊様に満たされて、賛美にあふれる歩みをしたいと思いました。
そのために何が必要なのか、何が求められているのか、もっと知りたい。そのためにできることは何でもしたいと思いました。今日も悔い改めるべきことを示されました。

主よ、
ザカリヤに賛美を与えた聖霊様を、
マリヤをおおい、守り、
イエスの母とならしめた聖霊様を、
私にも与えてください。

『イエスが、これらのことを話しておられると、群衆の中から、ひとりの女が声を張り上げてイエスに言った。「あなたを産んだ腹、あなたが吸った乳房は幸いです。」 しかし、イエスは言われた。「いや、幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」』ルカ11章27-28節

明日はNY/NJ/CT/PA地区の日本語教会の牧師会です。
お祈り下さい。