2007-10-06

何が安心の土台?

いやああああああああ、
なんだか暑いぞお。
今日も30度。
今、夜の10時前ですが、22度。

家の中に熱気がこもっているからなのか、
湿度が高いからなのか、
とても暑く感じます。

明日はちょっとはましみたいですが、
でも25度は超えて、
やっぱり湿度は高いようで、
でも、明後日の朝には12度くらいまで下がるようで、
どうなんでしょうかね。
ちょっと涼しくなったかなあ、くらいかな。

明日は隣の隣の州になりますが、
コネチカット州の教会の礼拝に行って参ります。
そこの礼拝でお話しするために準備をしていたら、
今、平均的な日本の人はどれくらいの貯金があったら、
「安心できるか・・・」をちょっと知りたくなりました。

さっとネットで調べただけですので、
ちゃんとした統計はどうなっているか知りませんが、
3000万円から5000万円ってところみたいですね。
「そんなんじゃ全然安心できない・・・」って方も多いようですが・・・。

これは家を持っている人の感覚なんでしょうか?
それとも持っていない人?
年金は別?

でも、だからといって「安心」できるのかなあ?

聖書の中のイエスの話の中に、
「自分の魂に言おう。たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ。」という人が出てきて、「愚かな人だ」と言われるのですが、現代人、何とかして安心を手に入れようと、計算をしないではいられないのだろうと思います。

でも、計算を始めるともっと不安になりますよね。

だからといって計算を全くしないのも無責任なような気もするし・・・。

でも、本当に必要なものを与えてくださるのは「年金制度」でもなければ、「貯金」でもない、神様なんだ、ということを忘れないでいたいと思います。

さてさて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書15章。

「実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。」
2節の言葉です。

刈り込み。
それは自由奔放に伸びてきたいというときには、
本当に頭に来ることで、
「どうして?」と思うことでしょう。

でも、それは私たちがもっともっと豊かに実を結ぶようになるため、
と主は言われるのです。

刈り込まれている最中は、
「もっと豊かに実を結ばなくても、これくらいでちょうどいい」
「こんなに苦しむならば、刈り込まれたくなかった」
と思うでしょう。

でも、それによって、初めて、豊かな実を結ぶようになるのです。
そうかあ、と思うと元気になってきました。
そうなんですよね。
主が刈り込みをなさるのは、
私たちがもっともっと豊かに実を結ぶようになるためなのですね。
なんだか、わくわくしてきました。
主がどんなにすばらしいことをしてくださるか、
どんなに豊かな結実を与えてくださるか、
楽しみです。

主よ、
あなたの刈り込みは、キツイです。
あなたが刈り込みをなさる時、
どうして?と思います。
でも、それは豊かな結実を与えるためだったんですね。

感謝します。

豊かな結実を待ち望みます。

明日のコネチカットと、ニュージャージーの両方の礼拝を祝福してくださいますように。

2007-10-05

親の心、子供の心

今日も暑かったです。
朝のうちは霧だったのですが、
温度が高くなると晴れてきて、
また30度行きました。

そして、夜はちょっと涼しくなってきましたが、
湿度が高いので、霧が出てきています。
夜の10時で21度。

今から21年前、北海道で夏の間2ヶ月間を過ごした時には、
「朝もやが出る日は暑くなる」とみんなが言っていましたが、
東京ではあんまりそれは感じませんでしたが(夏はいつも暑いからねえ・・・)、
NJでは、「本当にそうだ」と思います。

明日も今日と同じような天気でしょう。
でも、どうやらこの天気も明日までみたいです。
この暑さをenjoyするなら、明日までですね。

日本から、先週紹介した「金スマ」のビデオ、届きましたよ。
早速見ました。
複雑な気持ち。
直道さんは、雰囲気そのまま。
ご両親はちょっと年取られましたねえ。

自分も親が牧師だったので、
直道さんが家を飛び出したのもすごくよくわかる。
自分がこんなにがんばっているのに、
何でも「神様のおかげ」にされたらたまんないってね。
わかっているけど、人に言われるとちょっとむっとするとかね。

で、自分が牧師になって、親になって、
やっぱり、わかるんだよね、ご両親の言葉。
「そう、弱いんだよね」という言葉。わかっちゃうんだよね。
本当にそうだから・・・。

だから、複雑な感じ。
いろいろ考えてしまいました。

「今は神を信じるところに帰る気はないから」と言われた時に
「今はね、でも先はわからないでしょ」と返したくなるのも、
それがまたしゃくに障って、
「いや、これから先も・・・」という気持ちも、
また、それに、
「それはわからないよ」と言ってしまうのも、
わかってしまうんですね。

やっぱり本人にとって「迷惑」と思われても、
帰ってきてほしいし、
祈りたいなあ、と思いました。
どちらかというと、親の気持ちになっている自分がいました。

さてさて、今日の聖書。
ヨハネによる福音書の14章でした。

「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。」
27節のイエスの言葉です。

イエスが「私の平安」と言われたことが、
心にとまりました。

イエスが持っておられた平安。
イエスが経験しておられる平安。
イエスのうちにある平安。

それが私のうちに与えれるというのは、
ものすごいことですね。
これを本当に受け取っているクリスチャンがどれくらいいるのでしょうか?
私自身、これを日々感じているだろうかと思いました。

イエスの平安、
世が与えることのできない平安、
それを私自身、経験させて頂きたいと思いました。
また、私の周りにいるクリスチャンの一人一人に経験してもらいたいと思いました。

主よ、
あなたの約束された、
あなたの平安を与えてください。
私に与え、
また私の周りにいるクリスチャン一人一人がそれを
味わうことができますように。

聖書がそういっているから、
そういうものがあるだろう、ではなく、
一人一人が「そうなんですよねー」と、
経験できますように。

2007-10-04

ばっくつーすくーるないとお

いやあ、暑かったです。
30度でした。
なんだか、10月とは思えません。
よく、前は10月のコロンバスデーウィークエンドに、
教会の2泊の「修養会」をやっていましたが、
結構寒くて、暖房が入っていましたよねえ。

今年はなんだか、変です。

でも、来週後半には、朝は暖房ほしいかなあ、という日が出てくると思います。

明日、あさっては今日と同じような天気。
日曜日から、ちょっとましになって、
火曜日から本格的に涼しくなるでしょう。

今日は、息子のhigh schoolのback to school nightに行ってきました。
去年、今年と子供たちがみんなバラバラの学校に行くので、
全部のback to school nightに夫婦そろって出ることができました。
こんなの初めて・・・。たぶん。

だいたい、私の用事がどこかにはいるか、
子供が小さくてどちらかが子守をするか、
子供が2人同じ学校にいて、二人で手分けをするか、
でしたねえ。

結構夫婦そろって来ておられる方が多いです。
日本じゃあり得なさそうですが、最近はどうなんでしょう。

一番おもしろいのが、やっぱりhigh school。
毎時間先生も替わるし、
それぞれ個性的。
でも、英語での説明は集中していると疲れるし、
7クラスの先生たちの話が頭の中でごっちゃになる。

結局家に帰って息子に聞くのが一番わかりやすい。(^^;)

来年は娘がhigh schoolに入る。たぶん。
息子に同伴してもらおうか?
いや、でも息子もまだhigh schoolなので、
私→息子のクラス、「のんち+はじ」→娘のクラス、の手分けかな。

さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書13章でした。

今日から最後の晩餐です。
イエスが弟子たちの足を洗われたところでした。

「夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。 それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。」
4-5節です。

イエスが弟子たちの足を洗われて、
そして、私たちにも互いに足を洗い合いなさい、
と言われました。

仕え合うことを命令されました。
servant leadershipということもよく言われます。
そのことがどんなことなのか、
まだまだわかっていないと思います。
今、学び始めているばかりだと思います。

イエスの弟子になること、
人に仕えること、
導いていくこと、
一つ一つ学んでいる最中だと思わされます。
実地の訓練だと思います。

「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」
エペソ4:11-13

この使命に生きるために、
イエスのように仕えつつ、導いていく、
そのことを教えてほしいと思います。

主よ、
仕えることを教えてください。
あなたに仕え、
そして、人に仕えることを教えてください。
経験として味わわせてください。

2007-10-03

復旧・・・

今日はどんよりとした日で、
朝方ちょっと雨が降って、
また午後も降って、

でも、ほんの少しで、
晴れ間も出て、
湿度がぐーんと上がって、
なんだか、涼しいんだか暑いんだか、
よくわからないような一日でした。
でも、暑かったんだと思う。
朝は20度くらい。
昼間は25度を超えました。

今は夜の9時半ですが、
やっぱり20度以上あります。

明日はもっと暑くなるようです。
天気予報を見ると、日曜日くらいまでは80度、
つまり27度を超える日が続くようです。

そう、
今日、とうとうコンピューターが復旧しました。

なんとmotherboard交換。
いいですねえ、思いっきりがよくて、
と言うよりも、やっぱりそれしかなかったんでしょうね。

で、分解してくれているのを横で見ていたのですが、
意外と簡単そう。
手際よく、部品を外していって、
一番大きな部分であるmotherboardを交換して、
部品を一つ一つ元に戻していって、
合計15分。

自分でもできるんじゃないかなあ、と思いました。

見ていてびっくりしたこと。

ホコリがすごい!
途中の空気の通り道をふさいでしまっていました。
で、おじさん、「これ、熱くなったりしたでしょう」。

ビンゴ!です。

これじゃあ、しょうがないだろうなあ、
と言うくらいホコリがたまっていました。

あ、そうか、コンピューターが熱くなるかどうかは、
Dellか、Toshibaか、ということではなくて、
使い始めて1年か、3年近くか、ということか、
と思いました。
時間がたつとホコリがたまって、
ノートブックの場合は、
空気の通り道が限られているから、
熱くなる・・・。
そう納得しました。

そして、ここをきれいにしたら、快適だぁ! と思いました。

でも・・・なんだか、
直っても、やっぱり左手の手首あたりのハードディスクのへんが、
ものすごく熱くなるんですけど・・・。

ずっと使っていると、低温やけどするんじゃないかってくらい・・・。
だから、おじさん、正直に言ってほしかったなあ。
「このコンピューター、熱くなるでしょう」って。

まあ、でも、タダで直ってよかったです。

それほど大きな問題もなく、
4日間で復旧。感謝。感謝。

あ、それから、Dellの名誉のために言っておくと、
最近のモデルではこの熱の問題は解決されている、
という記述もウェブ上にはありましたので、
念のため・・・。

さてさて、
今日の聖書。

今日はヨハネによる福音書12章を読みました。
「わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。」
26節の言葉が心にとまりました。

十字架を前にした、イエスの言葉です。
十字架に向かって進んでいこうとしている中で、
「私についてきなさい」とは、
どういうことか、考えさせられます。

他の福音書に書かれている、
「自分を捨て、自分の十字架を負うて私に従ってきなさい」
という言葉に通じるんだろうと思います。

イエスさまに仕えることは、
イエスさまの歩まれた道を歩むことです。
厳しいですねえ。
自己実現とかではなくて、
コケにされて、つばをかけられて、ののしられる歩みです。

自分を捨てる歩みです。
なんだか、悔い改めさせられます。
伝道をなんだと思ってきたのか、
悔い改めさせられます。

昔、肥をかけられるなかで、
誠実に福音を語っていった伝道者たちが日本にもいたことを、
本で読んだり、話で聞いたりします。

私たちは人々に取り入ろうとしすぎているのでしょうか?

イエスよ、
あなたの後をついて行かせてください。
あなたが歩んだように歩ませてください。
レベルが違うのは知っています。
でも、あなたが「わたしについてきなさい」とおっしゃるのですから、
あなたについていく力を与えてください。
あなたについて行く、ということがどういうことか、
もっともっと具体的に経験させてください。

2007-10-02

小手先の方法論ではなく

今日は思ったよりも青空が広がって、
結構暖かくなりました。
でも、朝晩はそこそこ冷えるので、
風邪を引きやすいかもしれません。

家族の中には喉が痛い、
なんて言っているのもいます。

今は夜の11時前で19.6度、
ここ幾晩かに比べると、ちょっと温度が高めです。

今夜から明日にかけて、霧雨の予報が出ています。

そして、週末にかけては30度近くまで上がる予想が出ています。

昨日の「主の声を聞き分ける」ということ、
今日になってから、本当に主観的になることの危険も思わされています。
「イエス様がそう言ったから」という事を振り回すことの危険です。
自分の領域については、それに従って歩むこともいいでしょう。
でも、それが人を振り回したり、
また人を傷つけたりする事もたくさんあります。

だから、いつもいつも、自分が神様の御心だと思うことは、
客観化される必要があると思うのです。

牧師や信仰的に尊敬できる人、
自分に対して、いつもYesとばかり言わない人、
自分のために祈ってくれている人、
そのような人に自分が聞いた主の声について、
相談をしてアドバイスをもらう事がどれほど大切かと思います。

さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書11章でした。

今日は教会オフィスで朝6時半からの祈り会の日でした。
どなたも来られず一人での祈りの時でしたが、
本当に主の臨在を覚えた素晴らしいひと時を与えられました。

いろんな言葉からびんびん語られたのですが、

一番心揺り動かされたのが、
「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」
40節の言葉です。

口語訳で読むよりも、
新改訳で読んだ方が、
イエスの姿に迫力があります。

それは、口語訳では「感動して」と訳されている言葉が
新改訳では「霊の憤りを覚えて」と訳されているからだと思います。

イエスが人々の泣いている姿や、
「イエスにもラザロを助ける事が出来なかった」という言葉に、
霊の憤りを覚えて、
墓の前に立って、
「さあ、石を取り除けなさい」と言われた、
その姿、
マルタの「もう4日もたって臭くなっています」
と言葉に対して、
「信じるなら神の栄光を見る、と言ったではないか」としかっておられる言葉に、
ものすごい迫力を感じました。

イエスは人間の罪と、その結果である死に怒っている。
イエスはそれに支配されている人間の現状に怒っている。
それを教えられたのです。

口語訳の時に感じる
人の悲しみに寄り添うイエスの姿よりも、
もっともっと前に進んでいく、
決然とした態度で進んでいく、
イエスの姿に、心揺り動かされました。

教会もこのイエスの力が必要だと思いました。
伝道方法論も必要でしょう。
「和気藹々のいい雰囲気」もいいです。
でも、何よりも、このイエスの力、
そして、聖霊様の力が必要であると感じました。

そして、求めて祈りました。
聖霊様の力に満たしてください、と。

主よ、
イエス様の迫力を感じました。
教えてくださってありがとうございます。
そして、この力を与えていただきたいと思いました。
この力に満たされて歩んで生きたいと思いました。

聖霊様、
どうか、私を満たしてください。
私の心を満たしてください。

2007-10-01

どのように進んで行ったらいいか?

今日は昨日に比べると雲も出たし、
ちょっと湿度も高めでしたが、
半そででちょっと涼しいかなあ、ちょうどいいかなあ、という気候でした。

今は夜の9時過ぎですが、15度くらい。
やはり明日の朝は10度くらいだと思います。

明日も20度台前半。
さらに雲が多くなりそうですが、
過ごしやすい一日になるでしょう。

思いつきでいろいろ口に出して、
なかなか実行に移せない事もたくさんあるのですが、
火曜日の礼拝が明日から始まります。

朝の10時から11時。教会で。

私の中では礼拝というのは、
日曜日です。
イエスが復活した日を記念して、
復活のイエスの会うのです。

そして、日曜日の礼拝が守られるように
万難を排します。

でも、どうしても日曜日が難しい方もおられるでしょう。
「日曜日でも火曜日でもどっちでもいいや」じゃないのですが、
火曜日の礼拝を通して、
やはりキリストに出会って、一週間の歩みを進まれる方々が起こされるようにと、
祈らされます。

今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書10章でした。

「羊はその声を聞き分けます。」3節
「すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。」4節

なかなか説明しても分かっていただけないところがあるのですが、
「霊的なsensitivity」というのがあると思います。

「直感」「第六感」とは違うのだと思うのですが、
祈りつつ、聖書を読みつつ、
教会で歩んでいる中で、
主に砕かれ、整えられていく中で、
「コレはおかしいぞ」とか
「こんな事をしていていいのかなあ」、
「今、コレをすべきだぞ」などという
感性が作られていくのだと思います。

私たちは、主と共に歩んでいく中で、
主の声を聞き分けることが出来るようになるのです。

イエスはそのように言われているのです。

だから、そのような感性が研ぎ澄まされていくように、
求めていく事、
とても大切な事なのです。

もちろん、どこまで行っても、
主の御心を読み間違える事はあるでしょう。
傲慢になってはいけないと思います。

でも、「どうせ分からないんだ」と自分勝手な歩みをしていいのではないのです。

聖書を通して、今日も語ってくださる主のみ声を聞く耳を持っていきたいと思います。

もっともっと霊的な感性が研ぎ澄まされるように祈ります。

主よ、
どうか、導いてください。
いつもいつもあなたの御心を求めて、
あなたのみ声を聞きながら歩む者としてください。
あなたのみ声を敏感にキャッチする感性を与えてください。
そのために、いつもいつもあなたと共に歩んでいく事ができますように。

あなたの事をもっと知ることが出来ますように。

2007-09-30

やっぱり戻るのはむずかしい・・・

今日もとても快適な一日。
朝はちょうど10度。
そして昼間は20度ちょっと。

夜の11時前ですが、今15度くらいです。

明日も今日と同じくらいの一日になりそうです。
朝が10度、昼間は22度くらい。

いい感じです。

金曜日の夜からトラブルのコンピューターですが、
必要最低限のデータを見つける時だけ、立ち上げていますが、
とうとうバッテリーがなくなってしまったようです。

データをあきらめなければいけないような事態ではないのが救いですが、
復旧するまでの数日間は不自由を強いられそうです。

で、今使っているのは、去年、クレジットカードのポイントを貯めて、
ほとんどタダ同然で手に入れた、のんちのやつです。
当時一番安いやつだったのですが、
Toshiba製、なかなか快適です。
昨日から結構独占しています。
(ぜんぜんアナログにシフトしていない・・・ほんの数年前まで、こんな事はなかったんですがね・・・一度当たり前になってしまったものを手放すのはむずかしい・・・)

私のDellの600mは発熱の問題、キーボードがしなる問題、
いろいろあるのですが、両方ともToshibaの方がずっといいです。
特に発熱の問題はぜんぜん違います。
ネット上でもDellのこの機種の発熱は問題になっていますが、
大切な事なんですね。
次に考える時はもっといろいろ調べなければ・・・。

そして、もう一台現役なのが、
子供たち用。
中学生と高校生は必需品ですし、
今は小学1年生の「追加教材」もインターネット上のサイトを指定されます。

もう4年前に自分で組み立てたやつですが、
当時としては結構いい線いく性能の部品を集めたので、
今でも、家の中では一番早く動きます。

また組み立ててみたいなあと思います。
もう何年かはちゃんと動いていてもらわないと困るのですが・・・。

さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書9章でした。

ここは生まれつき目の見えなかった人がイエスによって見えるようにされたところです。

「これは驚きました。あなたがたは、あの方がどこから来られたのか、ご存じないと言う。しかし、あの方は私の目をおあけになったのです。」
30節の言葉です。

目を開けてもらった人が、
イエスを攻撃していたユダヤ人の指導者たちにはっきりと言った言葉です。

イエスの奇跡をたくさん見ながら、
信じられなかった人たちのかたくなな心。
それに対して、単純に、
自分を癒してくださった方は、神様から遣わされた人だと、
告白したこの人。

この人の信仰が、
とても気持ちのいいものだと思いました。
何も恐れないで、
自分が信じるところを単純に信じていく。
とてもうらやましく、思いました。

自分はどうだろうかと思いました。
神様の御業を見ながら、
自分の今までの常識にとらわれて、
そこに働いておられる神様を認める事がどうしても出来なかった、
このユダヤ人たちのようになっていないだろうか。

主の教えてくださる道に、
単純に従って行きたいと思いました。

主よ、
この目の見えなかった人の
信仰がうらやましく思います。
私にもこのような信仰を与えてください。
単純に、そして、真剣に神様に、従って行く歩みをさせてください。