2007-05-19

あなたの重荷を主に委ねよ

いやあ、寒いですねえ。
今日は一日10度くらい。
時々雨が降る肌寒い一日でした。

もうすぐメモリアルデー、行楽シーズンの幕開けなのに、
まあ、こう寒いと、まだまだパッチが手放せません。

もうすぐ教会が誕生したペンテコステの日曜日がやってきます。
教会学校では、教会はどうして誕生したかを5月は3回にわたって話します。

「祈っていた人々から始まった」
「聖霊様の力によって生まれた」
「悔い改めた人々によって生まれた」

子供たちへの話ですが、
教会全体でとても大切な学びだと思いました。

もう一度原点に戻って、
教会が祈りと聖霊様と悔い改めによって再生するのを
見せて頂きたいと思います。

今年のペンテコステ、楽しみにしています。

なかなか追いつけませんが、
今日も一日遅れて、昨日の分の更新。

金曜日は詩篇の55篇を読みました。
「あなたの重荷を主にゆだねよ。
 主は、あなたのことを心配してくださる。
 主は決して、正しい者がゆるがされるようには
 なさらない。」
22節の言葉です。

この詩も、苦しめられている中で歌われた詩です。

6-8節にはこのようにあります。
「ああ、私に鳩のように翼があったなら。
 そうしたら、飛び去って、休むものを。
ああ、私は遠くの方へのがれ去り、
 荒野の中に宿りたい。
あらしとはやてを避けて、
 私ののがれ場に急ぎたい。」

なんだか、この気持ちがよくわかります。
共感できます。

でも、そこには解決はないことがわかっています。
何の解決にもならないことを知っているのです。

ですから、ずっと読みながら、
22節の言葉が出てきた時には、
本当に主が語ってくださったことを感じました。
心から主に感謝しました。

重荷を主におゆだねすればいい。

主が心配してくださっているのだから。

主が助けて守ってくださるから。

主よ、
あなたの語りかけに感謝します。
「わたしにゆだねなさい」と語ってくださってありがとうございます。
あなたが心配してくださっていますから、ありがとうございます。
あなたに委ねます。
あなたの御業を見せてください。

2007-05-18

私を弁護する方

今日はまた寒いくらいの日でした。
朝晩は10度くらい。
昼間、ちょっと暖かくなって15度くらい。

朝6時に出てJFKの空港に行ったら、
雨が降っていました。

でも、帰ってきたら全く降っていなくて、
一日ほとんど降っていないと思います。

明日も今日と同じような感じで、
「降るのかなあ・・・」という一日なりそうです。

さてさて、今日もあと20分ほどですが、
ここで昨日、木曜日の聖書箇所です。
詩篇の54篇でした。

この詩も、敵の攻撃にあって、苦しんでいる中に書かれた詩です。
その中で心にとまったのが、最初の1節の言葉です。

「神よ。御名によって、私をお救いください。
 あなたの権威によって、私を弁護してください。」

主が弁護してくださる。
主ご自身が私を弁護してくださる。

「主だって、私のことなんか、弁護しきれないだろうなあ」と思うところもあります。
主に弁護なんてしてもらう資格がないだろうなあと思います。

でも、主に弁護して頂けたら、どんなにうれしいことかとも思わされました。

ローマ人への手紙8章34節を思い出しました。

「だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである」

今も、主が私のことを弁護してくださっている、
その幸いを思わされます。

そんな資格なんかない。
でも、そうして頂ける幸いを思わされます。

主よ、
今日も私の心を探って、
不純なものを燃やし尽くしてください。
あなたの弁護をいただけるほど、立派な人間ではないことを感じています。
資格なんかないそんな者であるのに、
ただただ、あなたの憐れみによって、弁護して頂けることを感謝します。
そのこと自体に恐れを感じます。
どうか、あなたの弁護を感謝する思いを忘れることがありませんように。


2007-05-17

おそれるべきもの

今日は昨日までとうってかわって、
さわやかな一日となりました。
ちょっと雲が多めでしたが・・・。

明日は時々雨も降る、ぐずついた天気になるようです。
というか、いつ雨が降り出してもおかしくないほど、
周りには雨雲がいっぱいです。

このぐずつき感は、日曜日まで続くようです。

さてさて、今日は時間も遅くなってきているので、
すぐに聖書。

昨日、水曜日の聖書箇所は詩篇の53篇でした。

「見よ。彼らが恐れのないところで、
 いかに恐れたかを。」
5節の言葉です。

恐れのないところで恐れる。
つまり「恐れる必要のないところで恐れる」ということなんでしょう。

そうなんでしょうね。
人間の問題というか、自分の問題というか、
恐れるべきことを恐れないで、
恐れる必要がないことを恐れていることがどれほどあるのだろうかと思わされます。

恐れてはいけないことを恐れていること、
恐れる必要なんかないことを恐れていること、
どれほど多くあるのでしょうか?

恐れるべきことを恐れ、
勇気を持って歩んでいく者でありたいと思いました。

恐れるべきこと、それは神御自身、
神を甘く見てはいけないと思います。

恐れなくていいこと、
見えない将来の道、
人の顔色、
怒っている人の声・・・。

「完全な愛は恐れを取り除く」・・・本当に愛にあふれた者になりたいと思いました。

主よ、
あなたを恐れます。
あなたの前に歩むことを教えてください。
人を愛することを教えてください。
恐れることから解放してください。
恐れるべき者を恐れ、
恐れるべきでないものを恐れない、
強さを与えてください。

2007-05-16

神こそ我が力

今日も暑かった・・・。
32度くらいまで上がっていました。
そして、午後3時半頃に雷雨。

そのあと、しばらく雨が降って、今はもうやんでいます。
17度くらいまで下がりました。

明日からは涼しい毎日だそうです。

花粉がやっと峠を越そうとしています。
今年はちょっと短くすんだかも知れません。

昨日今日と暑くて、そして雷雨が降ってくれましたから・・・。


犯人はおそらくこの花。
花全体がおしべという恐ろしい花です。

この花をつける木はoak treeです。
そのoak treeがうちの前の通りには町の街路樹として、
たくさん植わっています。

ですから、この花が落ちると、
通りがこんなになります。


この道の隅にたまっているのが、上の花がたくさんからまったやつです。
その中にはもちろん、たくさんの花粉が混じっています。

oak treeの花粉はスギ花粉とは別系列のアレルギー、
シラカバ系の花粉アレルギーを引き起こします。
私の場合、鼻よりも、目に来ます。
昨日の夜、バスを降りて、南風の吹く中、
この街路樹の中を200メートルくらい歩きました。
それで、今日一日、目がかゆくて仕方がありません。

「誰だ!こんな木を街路樹にしたヤツは!」モードです。

ちなみに、秋にはドングリが落ちます。
子供が集めて喜ぶのにはいいのですが、
放っておくと、翌春には芽が出ます。

何を街路樹にするか、もうちょっと考えて欲しいものです・・・。

さて、元気を出して、
火曜日の聖書。
火曜日は詩篇の52篇を読みました


「見よ。彼こそは、神を力とせず、
 おのれの豊かな富にたより、おのれの悪に強がる。」
7節の言葉です。

詩篇を貫くテーマでしょうが、結局自分たちが何を頼みとしているかが、
問われているのだと思います。
強がったりしないで、自分の持っているものを頼りにするのではなくて、
主を頼りにすること、
それを主が求めておられることなんですね。

自分も、口で言うのは簡単ですが、
結局のところ、何を頼りとして歩んでいるのか、
何を頼りにして、生きているのか、
問われているのだと思います。

もっともっと主に探って頂きたいと思いました。
本当の自分の姿が主によって知らされて、
それによって整えられてきよめられる必要を感じます。

主よ、
どうか、私を探ってください。
私が本当にあなたを頼りにしているか。
本当にあなたが私の力であってくださっているか、
それを探ってください。
そして、あなたを頼りとすることを教えてください。

2007-05-15

JOYJOY Camp 2007申し込み開始!

JOYJOYキャンプの申し込みが今年も始まりました。
日程は7月30日(月)~8月3日(金)

郵便での受付で、締め切りは6月2日必着。

今年のテーマは「ワンダー博士の大冒険」。

申込書はここをクリックして、プリントアウトしてください。

砕かれた心

今日は本当に暖かくなりました。
何度まで行ったかわかりませんが、
ほんと、暑いくらいでした。

夜になってもなんだか、もやっとしています。
ただ、今日はゲストの先生とNYに行ってきたので、
帰りのバスは寒いくらいで、絶対長袖必要。
この国のエアコンは日本人にはめっちゃきつい。
で、これからの季節は、半袖+羽織るモノ。これ鉄則ですよね。

そんなことで、今日先生をご案内した
○ンパイアステートビルの展望台。

ご案内のために何回目?って感じですが、
初めて気がついた、脱力系の日本語。

NJにお住まいの皆さんは、
もう「ご案内」で何度も行ってご存じのネタかもしれませんが、
こちらの観光地によくある、1セント玉(ペニーという名前がある)をつぶして、
記念にする機械。うちの子たちも大好き。
その説明書の日本語訳。



これ、ちょっと読みにくい(or 判読不能)のですが、
それ以上に理解不能。
ぜったい、翻訳ソフトを使ったに違いないです。

英語がわかる人は英語を読めばいいです。
英語読んだら、何でこうなるのか、日本語も、まあ、想像はつきますから。
でも、わからない人は、日本語読んだらもっとわからない。

最初の「つのトークンおよび1のペニー」という日本語は、
まあ、最初の1が何らかの理由で抜けたんだろうなあ、というのはわかります。
で、予想通り、英語はこう。
"1 token and 1 penny"

「チェンジャーからトークンを得なさい」という日本語も、
まあ、ちょっと高飛車な感じが、かわいかったりするので、
個人的には好みだったりします。

しかし、ステップ1になるともうついていけません。
ここ、写真では最初の2文字が読めないのですが、
実は「設計するべきマッチの矢」。

???

でも、英語を見ると納得です。
"TURN WHEEL, MATCH ARROW TO DESIGN"
なぜか、最初の一文が無視されているのですが、
あとはまあ、そうなるか、というわけです。

ステップ2は、
「1つのトークンおよび1のペニーに置かれる」
何が?ねえ、何が置かれるの?って感じはしますが、
まあ、いいことにしましょう。
英語はもちろん、
"Put in 1 token and 1 penny"

そして、ステップ3は、
「ペニーまでの回転車輪は次に落ちる」となります。
これをまた英語に直すのはかなり難しいです。

"Turn wheel until penny drops below"

まあ、大賞はやはりステップ1でしょうね。
"match arrow to design"=「設計するべきマッチの矢」

あ、それで、もう一つなんですが、
朝書いたのハーゲンダッツの味見。
1軒目では「プリントしたものを持ってこなければダメ」
2軒目では「フリーの分は終わっちゃった、今はプリントがなければダメ」だって!

販促のためにやっているんだと思うんですけど、
そんなのってアリなんでしょうかねえ。
もう二度とハーゲンダッツを食べないぞと思いました。
でも、すぐに思い直して、1ヶ月、いや1週間は食べないぞ、と思いました。
(あ、でも、誰かがごちそうしてくださるときは、もちろん、その限りではありません・・・)

近所だったら、速攻で帰ってプリントしてくるんだけど、
NYでしたから、それもあきらめ。
ボリビアから来られたゲストの先生、ホントがっかりしておられました。
ボリビアではハーゲンダッツ売っていないんだそうです・・・。
帰ってからそんな話を伺って、
タダで試食できなくても、
その場で強引に買って、先生どうぞ、ってすればよかった、と後悔・・・。

さてさて、昨日、月曜日の聖書。
月曜日は詩篇の51篇を読みました。

「たとい私がささげても、
 まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。
 全焼のいけにえを、望まれません。
神へのいけにえは、砕かれた霊。
 砕かれた、悔いた心。
 神よ。あなたは、それをさげすまれません。」
16-17節。

日曜日に続いて、
「神の喜ばれるいけにえ」はなにか?
ということ、
日曜日は「感謝」ということ、
そして、月曜日は「砕かれた心」。

何かを「やっている」ということよりも、
自分の弱さや、自分の足りなさを認めて、
主の前に出ること、
そして、主が私のためにしてくださったことに、
感謝していくこと、
それなんだなあと思わされる。

自分はどうだろうか?
何か主のためにささげたことに
満足していないだろうか?
何か主のためにしたこと、
人々のためにしたことを振り回していないだろうか?

主よ、今、私の心を探ってください。
私の心に自分があなたのためにしたことに、
私があなたにささげたものに、こだわっているところがあるならば、
主よ、そこを砕いてください。
その傲慢を砕いてください。
そこにこだわっていた私の罪を赦し、きよめ、
あなたの恵み深さに、目を留める者としてください。

感謝をささげる

今朝は4時とかに目が覚めずに、
しっかり目覚ましが鳴るまで眠れました。
絶好調です。
感謝。

今日はハーゲンダッツのアイスクリームの新フレーバーが試食タダだそうです。
夕方の4時から8時。
Retreatの講師をされた先生はアイスがお好きなようなので、
ご一緒しようかな。
でも、この2つのニューフレーバー、ちょっと両方甘そうです・・・。
先生が召し上がって失敗したという
「ゴーヤアイス」みたいなことはないでしょうが、


今日は暖かな暑い日になりそうです。
最高の予想が30度超!
でも、夜はやはり10度台に下がるようですので、要注意。

日曜日の聖書の分。
日曜日は詩篇の50篇を読みました。

「感謝のいけにえを神にささげよ。
 あなたの誓いをいと高き方に果たせ。」
14節。

いろんなささげものをささげているから自分は神様に喜ばれている、
と思っていた人々に対しての
メッセージは、
神はすべてのものを支配しているのだ、
大切なささげものは、
「感謝」だと。

自分はいったい感謝をささげているだろうか。
具体的に言えば、何に感謝をささげていると言えるだろうか、
思わされました。

そして、一つ一つ、感謝をしていきました。
心配事ばかりに目がいってしまいやすい者です。
こんなにたくさんの感謝すべきことがあるのに、
それを忘れてしまっていることに気が付きました。
どこに注目しているかによって、
他のものが見えなくなってしまいやすいのだと思いました。

与えられている教会の一人一人の故に
心から感謝しました。

主よ、
感謝します。
あなたがたくさんのよいもので私の歩みを満たしてくださっていることを。
一つ一つの出会いを与えてくださっていることを。
私の目の焦点を、あなたに合わせ続けていくことができますように。
あなたの与えてくださっているよいものに合わせ続けていくことができますように。

2007-05-14

恐れなくてもいい

Retreatが始まるという日の朝から、
おなかを壊して、調子悪かったのですが、
(なぜか、今年3回目。こんなの初めて・・・+元旦とかRetreatとか目立つ時に・・・)
ようやく、夕食からふつうに戻りました・・・たぶん。

でも、明日は朝から教会で祈り会なので、
体力温存のため眠くなる風邪薬を飲んで早く休む予定・・・。

明日は暖かい南風が吹く日となりそうです。

土曜日の聖書。
土曜日は詩篇49篇を読みました。

どうして私は、わざわいの日に、
 恐れなければならないのか。
 私を取り囲んで中傷する者の悪意を。
5節。

あんまり、人の悪意ということを感じたことはありません。
「お人好し」と言われてしまうこともしばしば。
詐欺の被害に遭ってもおかしくないと言われたり・・・。
というか、本当に遭いそうになったり・・・。

でも、イエスも
「へびのように賢く、はとのように素直であれ。」(マタイ10:16)
と言われているので、鋭さも必要なんだろうなと思います。

でも、もしもそういうことがあっても、
すべては主のみ手の中にあるから、
恐れる必要はない。
たとえ悪意が動いていたとしても、
それも恐れる必要はない。

最後の最後には主が正しいことをしてくださるから・・・。

主よ、
私を守ってください。
悪意というものが働く時にも、守ってください。
平安と賢さを与えてください。

神の宮の中で

昨日、3時過ぎに無事に帰着。
その後、荷物の片づけや今日以降のための準備のために
教会に寄って、帰ったのが5時過ぎ。

9時過ぎには休んでしまいました。
で、「これ飲んで寝たら、明日の朝早く目が覚めることもないだろう」
という眠くなるアレルギーの薬を飲んで寝たのですが、
ばっちり目が覚めたら4時。

ま、いいか、と起き出して、更新しています。

Retreat。
やはりよかったです。
体調が今三くらいで、
後半だんだん持ち直してきたところだったので、
あと1泊あれば、もう少しよかったのでしょうし、
もっと皆さんといろいろ個人的にお話ができればよかったと思うのですが、
必要なひとときであったと思います。

4回の集会を通して、
イエスが私たちのために祈ってくださっていること、
そして、何を祈ってくださっているかということについて、
ボリビアで沖縄からの移住者のために宣教しておられる
先生が語ってくださいました。

私個人では、最初の集会で語られた、
「永遠のいのちの豊かさ」をもっともっと味わいたいと思わされました。
ちょっとした嵐でぶっ飛んでしまうような「いのち」ではなくて、
嵐の中でも堅く立っていくことのできるようないのちを
味わっていきたいと思わされました。

2回目の集会はちょっと限界を超えてしまって
部屋に帰って休んでいましたので、
あとで、録音を聞くのを楽しみにしています。

さて、金曜日の聖書。
詩篇の48篇でした。

「神よ。私たちは、あなたの宮の中で、
 あなたの恵みを思い巡らしました。」
9節の言葉です。

一人一人で神様のことを思うこともできるはず。
でも、私たちは特定の場所で、
みんなで集まって主の前に出る、
共に主に祈り、共に主の恵みを思うことも幸いなこと。

新約の時代に生きている私たちにとって、
この「宮」というのは、信仰者の共同体。
人々の集まりとしての教会を指しています。

そこで、共に集まる中で、
励まされ、目が開かれ、悔い改めに導かれ、
成長していく喜びを感じます。

もっともっとそのことを具体的に経験していきたいと思いました。
たくさんの方々が新しく教会に加わることも喜びですが、
それだけではなくて、
教会の中で、共に成長していく喜びを経験できればと思います。

主よ、
新しい朝を感謝します。
修養会の3日間を感謝します。

新しく歩み出していくことができますように。
共に歩む喜びを教会の中に満たしてください。
主によって取り扱われ、
整えられていく喜びを経験させてください。

新しい一週間に主がすばらしいことをしてくださいますように。