2013-03-01

光のみなもと。

今日から3月。早いですね。
今年ももう2ヶ月が過ぎてしまったわけで。

今日は結構雲の多い、肌寒い感じの一日でした。
10度まで上がらなかったですね。
今夜は夜の12時で2.5度。
雲が多い分、冷え込みが弱いみたいです。

で、今、天気予報の世界は、来週の水木のstormに注目しています。
バージニアより南だけのstormか、北の方に上がってくるか、微妙です。
上がってきたら、また被害が出るようなstormになるかもしれません。
来週の半ば、要注意です。

今夜のレント集会、
「イスカリオテのユダ」について学びました。
イエスを裏切って、最後まで悔い改めなかった人について学ぶのはホントに気が重かったのですが、そんな中で祈らされました。「神様、私のうちに、私自身のうちに、御言葉によって心震えるような経験を与えてください。そして、その喜びの中でみことばを語ることができますようにと。その中で、神様は応えてくださり、熱い思いを与えてくださいました。

悔い改めた時に与えられる赦しの大きさを、それに感謝します。

さて、今日の「日々のみことば」。
今日は出エジプト記の10章。

「しかし、イスラエルの人々には、みな、その住む所に光があった。」23節。

エジプトの最高の神は太陽神。
でも、その太陽も実は神様の支配の下にある。
そして、暗闇の中でも、
神によってイスラエルの人々のうちには光があった。

暗闇に輝く光。

それを私たちも与えられている。
そのことに感謝して、歩もう。

神様、
あなたご自身が私の光であってくださるから感謝します。
これからも私を照らしてください。

鹿よりも速く・・・は無理だった。

日付が変わってしまったので、昨日のことですが、
昨日は朝は暖かくて、思ったよりも穏やかに晴れていました。
でも、昼頃から曇って、肌寒くなってきて、
そして、夜になって冷えて来ています。

今は1時過ぎで1.8度C。朝は氷点下です。

さて、日付が変わる前の11時前、また5Kに行ってきました。
そしたら、4K地点あたりで、鹿の群れに遭遇。
6-7頭いたようです。
向こうも驚いたようで逃げていったので、
追いかけました・・・。

でも、どうしても追いつかず。
くらかったこともあり、見失ってしまいました。
もちろん、写真も撮れず・・・。

新しい目標・・・鹿に追いつく・・・。無理かな。

さて、昨日の「日々のみことば」。
昨日は出エジプト記の9章。

「それゆえ、いま、人をやって、あなたの家畜と、あなたが野にもっているすべてのものを、のがれさせなさい。」19節。

これは、イスラエルの人々ではなくて、
エジプトのパロに対する言葉だった。

大きな雹が降るから、家畜を避難させなさいと。
パロ自身や家来の多くは、今までも、神様の力を見ていただろうけど、
そこに従おうとしなかった。

神様の力を見ることと、従うこととは違うんだ。

神様のすごさを知っていても、
そのように生きなかったら何の意味もない。
そのように行動しなかったら何の意味もない。

神様のみ力を信じるだけではなくて、そのように行動する者になろう。

神様、
わたしはあなたが力ある方であることを知っています。
でもそのことを信じる者として、生きているでしょうか、歩んでいるでしょうか?
そのような者として歩めますように。

2013-02-27

こちらも春を待っている、かな。

昨日の夜から今朝にかけての雨は、
かなり強い風を伴った嵐でしたが、無事に何事もなく、通り過ぎてくれました。
そして、夕方からはちょっと晴れ間も。

今は夜の9時半ですが、4度C。
ちょっと晴れてきたので、温度が下がって、今夜はこのあと、霧が出ますね。
明日の朝は要注意。

すかっと晴れるのは金曜日になるようです。
そして、晴れると朝晩冷え込む、というパターンのようです。

春への足取りは一歩一歩です。

で、今日はNYCに行く日だったのですが、
バスを待っていてこんなのを発見。



みのむしですね。
子供の頃は、よく見つけて、むいたりしました。
で、懐かしかったので、ちょっと調べたら、知らなかったことがたくさん。

みのむしは、ガの一種の幼虫、そこまでは知っていましたが、
雌は成虫になっても、羽もなく足もなく、蓑から外に出ないそうですね。
そして、雄の方はこっちは口がないというか、何か物を摂ることができない口だそうで、成虫になったら、とにかく雌を探して(雌はフェロモンで誘うんでしょうね)、交尾して死んでいく、だそうです。
雌もその蓑の中で産卵、そして、そのまま死んで渇いてしまうとか、下に落ちるとか、幾つか記述がありましたが、そんな一生だそうで。春を待っているんだかどうか・・・。

でも、神様の作ったこの世界、いろいろまだまだびっくりすることがありそうです。

さて、今日の「日々のみことば」。
今日は出エジプト記の8章でした。

「仰せのとおりになって、わたしたちの神、主に並ぶもののないことを、あなたが知られますように。」10節。

この出エジプト記のメッセージはずっと、神様が神様であり、支配者であることを私たちが知ることの大切さ、なんだろうと思う。

昨日のナイル川、今日のカエル。
エジプトの神々に対する挑戦、
エジプトも神様の支配の下にあるんだというメッセージ。

私の日々の生活の中に当てはめると何だろう?

神に対抗して神になろうとしているもの、
私自身が神以上に大切にしたり、頼っているもの。

昨日は「人」だと思っていた。

今日は「才能」かな。
「人」もそうだけど「才能」も神様が与えてくださったもの。
そして、誰も「私には何もありません」なんて言ってはいけないもの。

神様が与えてくださったもの、でも、いつの間にか、神様よりも大切になったり、神様よりも頼りにしたり。

でも、何よりも神様を大切に、神様に従っていけますように。
もっともっと祈りの時を大切にして、神様と共に時間を過ごすことが喜びとなりますように。

神様、
何よりもあなたを頼りにして歩めますように。
今週の一日一日を守り支えてください。

さあ、今夜はまだ早いから、3日ぶりに走ってきます。

2013-02-26

まだまだ春を待つ。

今朝はやっぱり氷点下にはなりましたが、
ずいぶん冷え込みはゆるみました。
昼間も曇っていたので、8度どまり、夜は冷たい雨が降っています。
この雨も、明日の昼前には峠を越して、
その後は、時々、にわか雨程度かと思います。
すかっと晴れるのは週末かも。

でも、8日の雪もすっかり融けて、
地面が出てきたので、この時を待っていたんでしょうね、
いろんな芽が出てきています。

1月頃から気がついてはいましたが、

ふきのとうが大きくなってきました。



で、数えてみたら、15個もあります!
去年は2個だったか、3個だったか・・・。

そして、茎や葉っぱも美味しいので、
これは今年は楽しみです。

この勢いだったら、株分けできますので、
春になったらご希望の方は、ご連絡下さい。

今日は、チケットいただいて、
カーネギーホールでのコンサートに行ってきました。
何年か前に洗礼を受けた伊藤礼阿奈さんが、指揮をして、
彼が声をかけて集めたオケと、東大OBの合唱団のケルビーニのレクイエムのニ短調、というなかなか聞けない演目。

前半は、能や狂言があったり、民謡があったり、したけど、
やっぱり、自分はオケの音が鳴り出すと心が震える。

今回予習なしで行ったので、本当に初めての曲だったのですが、
最初にチェロの重厚な音が響いてくるだけで、心がぐっと捕らえられるんですよね。

いや、本当に人にはそれぞれ、心に響くポイントがあるんだなと。
他のプログラムが心に留まった方もいるだろう。
音楽より、美術、という方もいるだろう。
もっと知的な発見、に心震える人もいるだろう。
もちろん、スポーツも。

でも、やっぱり、自分はオーケストラが音を出すと、
心に届くものがある。

ちょくちょくいい音楽を聴きに行こうっと。

さて、今日の「日々のみことば」

「これによってわたしが主であることを、あなたは知るでしょう。見よ、わたしが手にあるつえでナイル川の水を打つと、それは血に変るであろう。」17節。

エジプトの人々にとっては、
ナイル川は「母なるナイル」。

自分たちを生み、生かし、支える存在。

でも、それも主の支配の元にある、それをこの奇跡は表している。

頼りにしているものを撃たれたとき、
それが頼りにできないことを経験するとき、
私たちに本当に必要なものがわかる。

ホントに私たちを生かす存在がわかる。
私たちはそんなとき、神を恨んだり、「どうして?」と叫んだりするんですが、
本当はそんな時に、神様ご自身のところに帰っていければいいんですよね。

私が頼っているものは何か。

自分の場合は絶対人のサポートだなあと思う。
もしも、それが取り去られたら、と思うとゾッとする。
このことは私の弱さにもなり得る、と思う。
そこで失敗をすることがないようにしないと。

他のものを頼るのではなく、
神様ご自身を頼る者とならせていただきたい。

主よ、
あなたを何よりも頼りにし、あなたに従う者であらせてください。


2013-02-25

ただ神に振り回されるように。

走ろうと思って、着替えるために夜でもよく見えて、長袖で、長ズボンで・・・ってセットを探したら、昨日の夜走ったまま、洗ってなかった・・・。

・・・・ということで、「また明日」病が再発したので、走るのはまた明日、といことで、今日3度目、最後の更新。

2月の初めに材料を注文して、7日に初めて作ったコンニャクですが、
もう最近は我が家の食卓に無くてはならぬものになりました。

青のり入れて、色もきれいで、風味もいいです。
そして、できるだけ、柔らかく、ダマにならないように、挑戦しています。
あまり柔らかくしすぎて、ちょっとくずれそうなくらいに・・・。

まだ2週間あまりなのですが、6-7回作っています。(1回に8個分くらい)
でも、まだ半分あります。送料入れて25ドルで、100個くらい作れるって、めちゃくちゃコストパフォーマンスいいですよね。(成分はほとんど水ですけどね)

なくならないうちに次の注文しておこう、っと。

さて、今日の「日々のみことば」。
出エジプト記6章でした。

「モーセは主にむかって言った、『イスラエルの人々でさえ、わたしの言うことを聞かなかったのに、どうして、くちびるに割礼のないわたしの言うことを、パロが聞き入れましょうか』。しかし、主はモーセとアロンに語って、イスラエルの人々と、エジプトの王パロのもとに行かせ、イスラエルの人々をエジプトの地から導き出せと命じられた。」12-13節。

モーセの言い分の方が普通ですよね。
まず仲間が同意しないのに、敵のところに出て行くって、
そんなの無謀だと思うし、余計難しくなると思う。

でも、神は「行きなさい」と言い続けられた。

ある意味、モーセは引き回されている。
振り回されている。
モーセも大変だっただろうなあと思う。

でも、それでいいのだと思う。
主が導かれるところに振り回されてみよう。
主が導かれるところに引き回されてみよう。

自分の頭よりも賢い方が、そのようにされるのだから。 

主よ、
あなたのひきまわされるところ、
あなたの導かれるとところ、
導かれるままに、歩ませてください。
あなたのお考えは、私の浅はかな考えよりもずっとすばらしいのですから。


山が大きくなっても。

今日2回目の更新。

今日は午後からだいぶ雲が出てきてしまいました。
夜の8時過ぎで外の気温は5度。
昨日3週間ぶりに走ったのですが、
昨日は0度くらいで、ちょっと最初寒かったのですが、
今日は良さそうですね。
更新が終わったら、ちょっと走って来ようと思います。

明日は昼間はなんとか天気ももって、
夜になってから雨となるようです。
場所によっては雪やみぞれもあるかもしれません。

チューリップはすぐに見つかったのですが、
いつも春に最初に咲くクロッカスも芽を出していないかと思って、
探してみたら、出てきていました。


でも、今年はまた芽の数が少ないみたいに思います。
ちょっとエサをやってみようかな。

今週、来週とちょっと天気がぐずつきそうですが、
雪や強い冷え込みはなさそうなので、少しずつ春が進んでいきそうな感じです。
キノコも生えて来ないかなあ。

さて、昨日(2/24)の「日々のみことば」。
昨日は出エジプト記の5章でした。

「主よ、あなたは、なぜこの民をひどい目にあわされるのですか。なんのためにわたしをつかわされたのですか。 」22節。

モーセは嫌だっていったのに、
神様が「行け!」と言って、行くことになった。
私たちは神様が導いたことだったら、すぐに良い結果が出るものだと思うことが多い。
集会や伝道方法もそう。
たくさんの人が来られたり、みなさんが喜んでくださったり、
そこで信仰をもつ方が起こされたら、
「やっぱり神様に従うと、祝福されるんだ」と思う。

でも、そういう結果が出ないと、
「何か間違っていたのかなあ」と思う。

でも、神様に従っても、
神様に祈っても、
状況が悪い方に動く時もある。

信仰をもって祈ると山が動く、とは聖書が語っている。
でも、その山がどんどん大きくなっていくこともある。

だから、私たちは神様に文句を言いたくなることもある。
反対に、自分の間違いかと思って、自分を責めることもある。

でも、そんなことに振り回されないで、
主の導きに従っていく、その大切さを思わされた。

その強さをもつために、
もっともっと神様と近く、神様と共に歩むことのすばらしさを味わいたいと思う。
環境、状況に振り回されない強さをもちたい。

主よ、
あなたともっともっと近く歩ませてください。
あなたと共に歩む喜びに生かしてください。
状況が願っていた方向に動かなくても、
あなたを従い続けることができますように。

気がつかないうちにも・・・

今日一気に追いつくために、昼間のうちに1回更新。

今日は、朝はさすがに氷点下に冷えましたが、
とってもきれいに晴れました。
昼間は10度近くまで上がってきています。

そして、暖かさに誘われて庭に出てみると、




すっかり雪が融けた地面からはいつの間にかチューリップの芽が。

気がつかなかっただけで、地面の中ではどんどん春の準備が始まっているんですね。
もう2月もあと4日。

さて、土曜日、2月23日の「日々のみことば」。
土曜日は出エジプト記の4章でした。

「だれが人に口を授けたのか。話せず、聞こえず、また、見え、見えなくする者はだれか。主なるわたしではないか。それゆえ行きなさい。わたしはあなたの口と共にあって、あなたの言うべきことを教えるであろう」11-12節。

「我こそは!」と思った時には、神は彼を用いなかった。
でも、神が用いようとした時に、彼は立ち上がろうとしなかった。

人間は難しいと思う。

神様が難しいのかもしれないけど。

でも、基本、人間の方が難しいんだろうなあ。
神様が用いようとしなかったら、
私たちは何もできない。
反対に神様が用いようとするならば、自分の才能とか、
どうでもいいんだ。

だから、本当にそこに注目していこうと思う。
神様が用いようとしておられるかどうか。
神様が私をいつ、どこで用いようとしておられるのか、
そして、教会の一人一人をどこでどのように用いようとしているのか。

主に目を注いでいきたい。

主よ、
あなたが私たちをご自由にお用いになります。
そのあなたの御業を見せていただくことができますように。

2013-02-24

イエスの豊かさ。

金曜日の夜というか、12時を過ぎて土曜日になった頃は、雪が降っていたけれども、その後は予報どおり雨。でも、予報と違ったのは、ずーっと本降りにならないで、ただ、霧雨で終わったこと。

ホント結果的にはチョイ雨でしたね。

今週は明日は晴れますが、その後は水曜日を中心にずっと雨が降ったり、一日どんよりだったり・・・みたいです。

今日の礼拝は、本当に自分の貧しさを感じさせられながら、主の豊かさに心動かされるひと時でした。主は本当に豊かな方で、私たちをあふれるばかりに満たしてくださる方。でも、そのことをもっともっと経験させていただきたいと思いました。自分の貧しさはたくさんたくさん感じているのですが、イエスの豊かさは本当にどこまで経験しているだろうかと。5000人の人を5つのパンと2匹の魚で満たされた、イエスの祝福を与えていただきたいです。

さて、3日もビハインドになってしまいましたが、
明日、追いつきますから、と宣言しておいて、金曜日の「日々のみことば」
出エジプト記の3章でした。
モーセが神様に声をかけられた「燃える柴」のところです。

「わたしは必ずあなたと共にいる。これが、わたしのあなたをつかわしたしるしである。」12節。

この言葉が心に届きました。
他のしるしよりも、主が共にいてくださるということ。
それが本当に私たちの力であり、喜びであるということ。

わたしたちはすぐに神様以外のもので満たされたいと思う。
神様だけじゃなくて、それ以外のものを欲しがる。

でも、何よりも必要なのは、
神様ご自身なんだと本当に思わされた。

もっともっとそのことを深く深く知らせていただきたい。
他のものではなく、神様によってみたされることを味わいたい。

主よ、
あなたが共にいてくださることこそが、
私に一番必要なことです。
どうか、もっと深いところで、私がそれを感じ、それを喜びとできますように。