その間にあったこといくつか、ご紹介。
3月の初めに、NJの南の方の海岸での祈りのリトリートに行ってきました。
ただ、ただ、祈り、讃美歌を歌い、聖書を開き、を繰り返す3日間。
2日目の朝、大西洋に面する海岸に行ってきました。
少しずつ明るくなる空。
水平線の上に浮かんでいる雲の中から、高いところにある雲から明るくなっていきます。
そして、しばらく経つと、低い雲の一部が輝いていきます。
そしたら、突然、水平線の上に輝く線が現れました。
そして、丸くなっていって、
きのこみたいになる。
そしてこんな感じに朝になる。
雲が少しずつ明るくなるのも感動しながら見てきましたが、
3枚目の写真の時に、水平線に一本の輝く線が現れた時には本当に感動しました。
考えてみたら、水平線から昇る太陽、あんまり見たことなかったんでしょうね。
そして、これが、自分が気が付かない時もいつもいつも起こっていたと思うと、不思議な感じがします。
神様のなさることもそうです。
私が気が付かない時も、神様は御業をすすめておられるんですね。
さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書20:41-47。
「このように、ダビデはキリストを主と呼んでいる。それなら、どうしてキリストはダビデの子であろうか」44節。
人々は救い主キリストを「ダビデの子」と呼んでいました。
それは、ダビデのような王というイメージにイエスを閉じ込める危険がありました。
それで、イエスはご自身がダビデの子である以上に、ダビデの主であることを明らかにされたのです。
私たちは神様を、自分のイメージの中に閉じ込めていないか、そう思わされました。
神様は私達の考えを超えた方、私達の想像を超えた方です。
神様がなさることを自分の考え、自分の頭のなかに閉じ込めないようにしたいと思います。
神様、
あなたは私の考え、私の想像を超えた方です。
あなたのなさることの大きさを見ることができますように。
私があなたのなさることをリミットしないようにしてください。