2008-03-01

春はそこまで。

早いモノで、今日から3月。
日本に行ったり、アトランタに行ったりしていたので、
なんだか、ほんとうに何も始めないうちに3月になってしまった、
という感じです。

で、今朝は起きたら2度くらいあって、雨でした。

昨日の夜の予想は天気予報よりも、私の勝ち。(^^)/

で、今10時で、気温は0度くらい。
明日の朝は-3-4度くらいでしょう。
でも昼間は暖かくなって8度くらい。
月曜日からは10度を超えるみたいです。
もう、春はそこまで。

庭のチューリップの芽も出てきました。

でも、春はまた嵐の季節。
大雪が降ることもありそうです。

Dellのノートブックを使っていますが、
2ヶ月ほど前に3歳になりました。
ちょっと前まで、「コンピューターの寿命は3年」と思っていましたが、
最近、伸びているように感じます。

まあ、コイツも一度へばったのですが、
3年保証のヤツを買ったもので、マザーボード交換という
ウルトラCで復活。

子供たちが使っているデスクトップに至っては4歳半になりました。

それが、やっぱりどうがんばっても、
3歳のノートブックより、4歳半のデスクトップの方がきびきび走るんですね。

それで、このノート、何とかならないかと、英断をして、メモリー増設。
メモリーは使っているプログラムとかデータとかをおいておくところですが、
それが足りなくなると、HDの一部をそのために利用します。
pagingというのですが、それがスピードの低下の結構大きな要因。
スピードアップのためにまず手っ取り早いのが、とにかくメモリー増設。
xpの場合は1Gを超えると、まあ余り変わらないようですが、512Mから1Gは大きい。

512Mしかなかったメモリーのうちの1枚を1Gに換えて、
全部で1.2Gのメモリーとする、という計画を立てました。

DellのHPで探すと1Gは120ドルくらいします。
最新型のコンピュータのメモリーはもっと安く買えるのですが、
3年前のヤツになると、部品が品薄になってきているのか、ちょっと高いんです。


そんな投資はできない・・・ということで、
newegg.comというコンピューターパーツのショップに行くと、
60ドルくらいで「大丈夫だろう」というのが買えます。

で、交換してみると、
やっぱり早い。

その早さも3日で慣れてしまうのが悲しいですが、
「カリカリカリ・・・」とハードディスクが一生懸命仕事をしている間、
「まだかよ~」と待たされることがほとんどなくなりました。

保証期間が過ぎたので、修理にはお金がかかってしまうので、
壊れたらそれまでだなあと思いますが、
まあ、逆を言ってしまえば、壊れたら、「ダメもと」で自分で直せる、
というのは楽しみでもあります。
何でも分解してみるのは楽しい。

男の性であります。ハイ。

で、今日の聖書。
今日はルカ18:15-30です。

「人にはできないことが、神にはできるのです。」27節。

特に、これは人の救いのことを言っているところです。
人が救われることについて、
人にはできなくても神様にはできる。

こんな人は救われるはずがない、とか、
教会に来るタイプではない、とか、
私たちは簡単に、いや簡単じゃなくて、ほんとうにいろんな経験をして、
痛い思いもして・・・、
そう思うわけですが、
でも、そんな人でも主に救えない人はいない。

だから、祈ろうと思いました。
祈りたいと思いました。

主が救って下さる。
主が導いて下さる。
それを信じて、信頼して、祈ろうと思いました。

主よ、
あなたにはできないことはない、
との宣言の故に感謝します。
特に人の救いについて、
そのような約束がされていることに感謝します。
あなたを信じます。
あなたが御業をなして下さいますように。
これからも御業をなし続けて下さいますように。
祈ります。

2008-02-29

4年に1回。

今日は4年に1回の2月29日でしたね。
私の学年は2月29日生まれがいる可能性のある学年で、
中1の時にはクラスにいました。2月29日生まれ。
「俺3歳だよ」とか言っていました。
考えてみれば、彼も11歳。
月日が流れたんですねえ。

今日は風もなくてずいぶん暖かく感じました。
最高は2度くらいまで上がりました。

が、夜9時頃から雪。

今も結構ふっています。
10センチくらい積もるという予報も出ていますが、
私はあんまり信じていません。
10時過ぎで気温も0.5度とだんだん上がってきていますから、
そんなに積もらないのでは・・・。

明日の午後には晴れ間も出て、暖かくなるようです。

教会の車、
暖房が効かなくて、寒い、ってかんじだったのですが、
なかなか時間が作れなくて、
修理に持っていけませんでした。
でも、昨日、とうとうラジエーターの水温がはね上がって、警告灯がついたので、
今朝、アポイントを取って、持っていきました。

で、調べてもらったら、10時間作業の大修理が必要だったとのこと。
75000mileまでの保証をかけていたので、
何とかその部分はタダで直るみたいです。

火曜日まで修理中。

そんなんで、今日は自家用車に乗っていたら、
そっちはブレーキパッドがすり減ったような音がブレーキから。
こっちの車は「次に大きなお金がかかる時にはあきらめる」と決めておいたので、
ちょっと真剣に考えなければ・・・。

昨日2.49ドル浮いたので、それも計算に入れて・・・(^^)
あと、2年くらい前にリースしていた車のメーターが正確じゃなかったという集団訴訟で、
いくらかお金が返ってきていたので、それも計算に入れて・・・(^^)

この集団訴訟って、時々ありますよね。
突然、お誘いの手紙が来て、
そして、「入れて入れて」と返事をしたら、
お金が返ってきたりします。
今まで、車の保険も「取りすぎだ」という訴えが認められて、返ってきたり、
この間もVISAやMasterCardの為替手数料の取りすぎとか、手紙が来たり、
エプソンのプリンターや、東芝のノートブックや・・・いろいろあります。

あ、ブッシュ大統領の景気対策の「ばらまきチェック」うちにも来るかな・・・(^^)
前の時は来たから、今度も来るかな。それも計算に入れて・・・(^^)

ま、でも、必要は神様が全部与えてくださるから大丈夫。
こっちがやることは、与えられたものを大切に使う・・・ですね。

ということで(どういうこと?)、今日の聖書。
今日はルカによる福音書の18:1-14でした。

「ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。」11節。

いつも思うのですが、やはり自分はこのパリサイ人の横に立って、
「私はこのパリサイ人のような人間でないことを感謝します」と言っていないかなあと。

ほんとうにへりくだること、
ほんとうに自分を低くすること、
どういうことなんだろうかと。

「さあ、自分はへりくだるぞ」とへりくだるもんでもないよなあ。

聖霊様に示される、謙虚さ、
聖霊様に導かれる悔い改め。
それを与えて頂きたいと思いました。

処世術の謙虚さはいらない。

ただただ、主の前に、
この取税人のように、自分の罪を感じ、ひれ伏す、
そんな者でありたいと思いました。

主よ、
ほんとうの謙虚さを
ほんとうの悔い改めを
与えて下さい。
主の前にひれ伏さざるを得ないような、
ほんとうの悔い改めを与えて下さい。

JOYJOYイースターまであと15日!

2008-02-28

まさか。

今日は寒かったです。
ほんとうに寒いです。
最低気温は-9度。
昼間も-2度までしか上がらずに、
また夕方にはどんどん気温が下がってきました。

今、夜の10時半ですが、-7.4度まで下がってきています。

今夜はまだまだ行きそうです。
-12度くらい?

明日は昼間、ちょっとプラスになりそうです。
夕方からは雪も降るかもしれませんが、
雨が混じるので、どれくらい積もるか。

まあ、いずれにせよ、大したことはありません。

夜、買い物に出ました。
「さむ~い!」と言いながら、
明日の弁当の材料・・・って言ってもだいたいサンドイッチかベーグル・・・を買い出しに。
で、ついでに必要なもの・・・ということで、リクエストの中には、
「ヨーグルト」がありました。

サキが大好きなんですね。
ま、みんな大好きです。

で、買い物に行って、
例によって、「どれがやすいかな?」といろいろ見て、
で、やっぱりShopriteブランドだよね、
と一番お安いヨーグルトを買おうとしました。

で、よく見ると、「レギュラー」と「non-fat(脂肪なし)」が、2.49ドル。
「Low Fat(低脂肪)」はなぜか、2.29ドル。
元々、「non-fatはなあ・・・」「レギュラーはなあ・・・」と思っていたので、
迷わず一番安い、味と健康の両方に配慮したLow Fatを買いました。

で、レジに行って買い物を済ませて、
一応レシートのチェックをしたら、
ん、ヨーグルトが2.49ドルでついているではありませんか。

ニンマリ。

ここで「ああ、なんだ、2.29は間違いだったんだ、おかしいと思った、他のが2.49で、Low Fatだけ2.29だなんて・・・。棚の表示が間違っていたんだね。」と思ってそのまま帰るのが普通の人。
「本来2.29のはずなのに、2.49も取りやがって・・・何やっているんだ!」と怒るのはアマ。
そう、ここは「Thank you!」と喜ぶべきところなのです。

だいたいアメリカのスーパーではどこでも同じですが、
バーコードで読みとるレジの値段が、棚の値段より高かった場合には、
10ドル以下のものは1個だけタダでもらえます。
今回はそれに当てはまったのです。棚の値段より20セント高くついていたおかげで、
2.49ドルのものがタダでもらえてしまったのです。

15年のこちらの生活の中で、何回か、これで「ラッキー」と思ったことがあります。

ほとんどの場合は気がつかないんでしょうが、
今日みたいに、わざわざ、「こっちの方が20セント安い」と思って勝った時には、
見逃さないですよね。

セコイ話ですが、それでも2.49ドル、浮いたんですから、
寒さもふっとんで喜んで帰ってきて、
「聞いてくれよ、ヨーグルト、タダでもらっちゃたんだゼ」と自慢したのは言うまでもありません。
(っていうか、ここでもみんなに自慢しちゃっていますよね・・・)

さて、
今日の聖書。
今日はルカによる福音書17:20-37でした。

「ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていた・・・」27節。


ノアの洪水が起こる時にも、人々は、それまでいつも通りの生活をしていた。
9/11の時もそうでした。

そして、イエスは「世の終わりが来る時もそうだよ」と言われました。

いつもと同じ、普通の生活をしてて、それが来た時にも、
「まさか」と人は思うのだと、イエスは言われたのです。

先日、アトランタのWorld of Coca-Colaで、
世界中のCokeのCMの名場面をまとめたビデオを流していたのですが、
その中に、Cokeを飲んだ人が、周りの人に影響を与えていく、というCMがありました。
その中で、「世の終わりが近い」というプラカードを持っている人が、
「あなたももう少しの愛を周りの誰かに!」というプラカードを持つ人に変えられていくという場面があって、とても複雑な気持ちになりました。

私も、道で「世の終わりが近い」と叫んだり、プラカードを持っている熱心なクリスチャンの方を見ると、「え~、もっと方法がないだろうか?」と疑問を感じてしまうのですが、それを「もうちょっとの愛を!」にすり替えてしまうのは、また問題なんじゃないかと思ったのです。

やはり、聖書は、「世の終わりが来る」「世の終わりが近い」と語っています。
だったら、それはどんな方法で伝えるかは別として、
とにかく失ってはいけないメッセージであると思うのです。
世の終わりが私たちが生きている間に来なかったとしても、
「『私にとっての』世の終わり」はいずれにせよ来るのです。
そしてそれも、場合によっては「まさか」と言う時に来るのです。

だから、そのために、それがいつ来ても大丈夫なように、
備えをしていることの大切さ、それをイエスは語られたのです。

「まさか」の日が来た時に、
それを、「ああ、今日だったんですね」と受け入れることができるように、
備えていきたい。そして、備えるように語っていきたい、そのように感じました。

主よ、
あなたがもう一度来られる、
この世の終わりに、
備えて生きることができますように。

必要な備えを与えて下さい。

あなたが「備えなさい!」と忠告しておられることに感謝します。


2008-02-27

必要な助け。

寒いです。
今日は夕方からぐっと寒くなってきました。
今、夜の10時半ですが、-5度。
明日の朝は-10度近くまで下がるでしょう。
昼間も氷点下の真冬日でしょう。

はあ、早く春になってほしいモノです。

まあ、真冬日は明日が最後だと思いますが・・・。

今日は子供の送り迎えとか、
学校の用事とか、自分がやらなければいけなかったので、
NYの面談日は急遽キャンセルして、
NJにおりました。

明日の祈祷会も中止です。

週末からはふつうのスケジュールで動けそうです。

で、今日は真ん中の子のHigh Schoolのためのミーティング。

赤ん坊の時から、何でもスローペースだったその子は、
特に心の中にあることを言葉に表すことにハンデがあります。

今回、何年かぶりにアセスメントを受けた、
その詳しい結果を聞いてきました。

そしたら、やはり、親が思っている以上に、
こちらの言っていることはわかっている。
でも、それを表現するのが普通の子のようにできない。

それからプレッシャーを受けると、
混乱する(誰でもそうですがね)けれども、
プレッシャーのない状況の中では、
ものごとを組み立てることができる。

そういうことがわかったので
High Schoolでも、特別なヘルプを受けながら、
勉強をする「権利」をもらうことができました。

きっと日本だったら、
「できない子」とされて、
「偏差値」(これもう死語?)で輪切りにされて、
ほんとうに必要なヘルプにまで、
手が回らなかったのではないかと思うと、
この子にとっては良かったなあと思います。

自分も中学生の頃とか、
「自分の思っていることを表現する」ことにハンデが
あったと思います。
でも、そんなことは、「だらしない!」「男らしくない!」で、
ばっさりでしたからね。

うらやましい限りです。

さて、今日の聖書。
今日はルカ17:11-19でした。

「行きなさい。」14節の言葉です。

主が「行きなさい」と言われたことに、そのまま従った10人。
「行ってどうするの?」「何のために行くの?」
そのようなことは何も言わないで従ったのでした。
そして、従った時に神の御業は起こった。

私はそのように従えるか、
そのように従っているか、
問われているように感じました。

勇気と信仰を持って従う者でありたいと思います。

主よ、
どうか、あなたの御言葉に従う者でありますように。
それが納得できるときも、
納得できないときも、
それに従うことができますように。

勇気と信仰をお与え下さい。

2008-02-26

あたれ。

もう一回更新。

昨日はひさーしぶりの何もない月曜日。
ということで、2月の月から木はJCBカードで10%OFFということで、
ひさーしぶりにMitsuwaに行ってきました。

そうそう、JOYJOYイースターのチラシもできたので、
ちょうどいい、とそれを貼るついでにちょっと買い物も・・・と行ってきました。
あ、JOYJOYイースターは今年は3月15日(土)と早いですから、
ちゃんと皆さん、予定に入れておいてくださいねえ。

いつも一緒に行くのんちはちょっとお疲れ休み。
いつも誘うとのこのこついてくるサキにもふられて、
一人で買い物。
ま、それも自由でいいですけどね。

で、行ってみたら、
「大創業祭」の最終日。
で、くじ引きの応募も最終日。
で、ちゃんと応募してきました。

いろんな景品があるみたいですねえ。

大学時代に、よく、東京駅の丸の内口の前にある、
東京中央郵便局で、繁忙期の夜勤バイトをやりました。

「発着」という荷分け作業の部署が一番良かったのですが、
一回は「私書箱」をやったこともあります。
大きな郵便局なので、たくさんの私書箱があります。

その中で、時々一晩でかごいっぱいになる私書箱がいくつかありました。
何の私書箱かというと、それはだいたい、「懸賞の応募」なんですねえ。

「こりゅあ、あたらねえや」

と思ったものです。

この中で1通を選ぶなら、絶対俺の葉書は選ばれない、あり得ないでしょう、
そう確信させるに足りる量でした。

もちろん、誰かはあたるのですが・・・。

そんなことを考えながら、今まで、自分に何かあたったことがあっただろうかと思い出していました。

日本にいた頃、近所の八百屋の「カボチャの重さあてクイズ」で、自分の体重を書いたら、2等になったことがありました。確かあのときの景品はその20分の1くらいの大きさのカボチャだったような気がします。

あと2000円のユニーの商品券とか、小学校の同窓会でデジタル時計だとか・・・くらいでしょうか。

アメリカでは何かあたったことあったか・・・

まあ、神様は必要だったら当ててくださるんですよね。
だから、楽しみに待つことにします。

あたったと言えば、
何よりも、神様に出会えたこと。
それがあるから、まあ、他はおまけ、ということで。

さあ、やっとの事で追いつきました。
「今日の聖書」
今日はルカ17:1-10でした。

「もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。」3節。

「戒める」から、
「悔い改める」がある。

戒めないから、
悔い改めも起こらない。

ほんとうに愛をもって、
勇気を持って、
戒めてきただろうか、
戒めることがあっただろうか、
そのことを反省させられています。

愛をもって戒めるからこそ、
ほんとうの悔い改めが起こる、
そうなのではないだろうかと思いました。

ほんとうに悔い改めるべきことを示されました。

主よ、
戒めることをしない、私を赦してください。
悔い改めます。
必要な時に、愛を持って
戒めることができますように。
それほどの愛を持って人に接することができますように。

誇り。

今日は雨。
良く降った、と言うほどではなかったけれども、
一時はかなり激しく降っていた。

でも、夜になってそれもすっかり収まって、
静かな夜。
10時で4度。
今夜はこのまま少しずつ温度が下がって、
明日の朝は0度くらいになるようです。

そして、明日は風の強い寒い日です。

日曜日、電話では何回かお会いした若いお嬢さんが、
教会に来られました。
去年の秋からNYの反対側のQueensにすんで、
勉強しているそうで、
JCCNJに来られたのは2回目なのですが、
最初の時はちょうど私が日本にいるときだったので、
お会いしたのは初めて。

お父さんが、私も個人的に知っている伝道者。
あんまり「子供の匂い」がしないおっさんで、
こんなお嬢さんいたのかい、って感じの方。
ふつうの伝道者じゃなくて、
Wikipediaにも項目があるほどの人。
で、こっちも「あの人のお嬢さん」という目でついつい見てしまう。

一応、自分の親父も牧師なので、
日本にいた頃、「~先生の息子」という目で見られるのが、
あんまり心地よくなくて、「おれはおれだ!」なんていきがっていた私は、
つい、「いつもお父さんのこと言われて、嫌じゃない?」と聞いてみた。

したら、「ぜーんぜんOK。おとうさんかっこいい。お父さん熱いよねえ。」

うーん、やっぱ、親もふつうじゃないけど、
娘も、すげー。
「お父さんかっこいい」と言い切れちゃうところがすごい。

言わせてみたいもんだ・・・な。

さて、昨日25日の聖書。
昨日はルカ16:14-31でした。

「もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。」31節。

「モーセと預言者の教え」とは「旧約聖書」のこと。
聖書の教えに耳を傾けないならば、
どんな奇跡や、びっくりするようなことがあっても、
それによって何か変わるわけではない、とイエスは言われた。

聖書の言葉に忠実に聞いていくこと、
素直に耳を傾けていくこと、
その大切さを思わされました。

それがなくてはいけないんだと、
思わされます。

心のどこかで、びっくりするようなことを、
求めているそんな自分を見透かされているように感じました。

主よ、
御言葉だけで十分です。
御言葉が与えられていることに感謝します。
御言葉によって養い、御言葉によって確信を与えてください。
そして、信じて踏み出す者とならせてください。
この御言葉を持って、
あなたのことを伝えていく者とならせてください。

2008-02-25

天国に迎え入れられるために

アトランタ夜の部。



大学も別名「コカコーラ大学」と言われるほど、
コカコーラのWoodruffさんがたくさん献金してくれている
大学なのですが、そこの見学をしていた2人をピックアップして、
夕方にお伺いする予定のお宅へ。



一昨年の秋にアトランタからNJへ引っ越してきて、
その冬に2番目の子が生まれて、
そして、去年の秋にまたアトランタに戻ってしまった、
ご一家がいるのですが、
そのご一家を訪ねました。



ホント、13年ぶりで一番びっくりするのが、
高速道路の広さ。
あのころから、I-85号線とI-75号線が合流するところは、
なんだか片側8車線くらいあったかと記憶しているのですが、
今では、I-85号線の北の方も、片側6車線とかある。

そんなに広いのに、それが渋滞するって言うんだから、まあ、大変なこと。

渋滞をノロノロ走って、目的のお宅に着くと、
そこには、3年前の春のシカゴの修養会や、夏のアトランタの修養会でお会いした若者たちが4人ほど。

みんなで一緒に食事をして、楽しくすごしました。

4歳のお兄ちゃんの方は、NJで仲の良かったのんちは覚えていたようで、
いきなりハグをしていました。
かきごおり先生のことはちょっとわからなかったようですが・・・。

1歳の妹の方は、すたすた歩き回って、私のひざにも来てくれました。

若者たちの話を聞きながら、
一人一人がどのように神様に出会って、ここにいるか、
それを思うとほんとうに不思議な導きがあるなあと思います。
これからも、主が一人一人特別に導いてくださる、だから大丈夫、そう思いました。
そして、祈りたいと思いました。

そして、その一人一人に、それぞれ、
熱く、情熱を持って、神様を語ってくれた人がいた。
4人ともアメリカで神様に出会っているんですよね。

私も誰かのために、そのような者になれたら・・・と思います。




さて、昨日24日の聖書。
昨日はルカによる福音書16:1-13でした。

「不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。」9節。

ここはほんとうに謎のところですよね。
どう解釈していいのか、とても悩むところです。

こういう時には解説が助けになりますね。
「不正の富」は「この世界の富」のこと。
そして、「永遠の住まいに迎える友」というのは神様に以外に考えられない、というのです。

この世の富をもって、主に仕えなさい、と言われているのです。

与えられたものを、自分のためにではなく、
主のために用いる。
そのように生きることを主は期待しておられるのです。

いや、それこそが自分のために用いることになるのだと。

必要に追われて精一杯、と感じてしまう私たちですが、
主がどのように用いることを望んでおられるのか、
求めながら歩きたいと思います。

主よ、
この世の富をもって、
あなたに仕えることをさせてください。
元々あなたのモノです。
元々あなたが与えてくださっているモノです。
それを、あなたが望んでおられるように、
用いることができますように。
主よ、その用い方を教えてください。

アメリカでも発見!

今日も朝は冷え込みました。
-6度くらい。


地面に雪があると、夜は冷え込むことが多いですよね。

でも昼間は、2月下旬の暖かな太陽に恵まれて、
10度近くまで上がりました。


明日の明け方は雪が降るかもしれませんが、
その後は雨。

学校が休みになる心配もありません。


さて、アトランタの午後。

ハジとのんちは大学の説明会へ。

自分が通っていた大学なので、
私は女の子たちの面倒を見ることに・・・。


どこに行きたいか聞いてみると、6歳のサキが
「アトランタに行ったら、キング先生のところ行きたい」
とのたまわるではありませんか。


そう、1月のMLKの日の前に、
学校でいろいろキング牧師のことを習っていたらしくて、
アトランタに行くなら、キング先生の記念館へ・・・と思ったらしい。


「でも、あそこは大変だよ、行くの難しい・・・」と
子供の向学心をくじいて、


パンダを見に動物園に行くか、
コカコーラの博物館へ行くか、
新しくできた水族館に行くか、


と一応提案したのですが、


「雨だから動物園は大変」
「水族館は日本の方がいいなあ」
と無理矢理一番入場料が安い「コカコーラ」に誘導。


で、めでたくこちらも新しくなった、
World of Coca-Cola
に行ってきました。


新しくなったことは知っていたのですが、
住所までは確認せずに、
まあ、カーナビに任せれば大丈夫だから・・・
とカーナビのWorld of Coca-Colaを選んで、
言われるままに行ったのですが、

着いて、隣接する駐車場に車を入れて、
降りてみてから、まてよ・・・なんだか、妙に閑散としている・・・
まさか、移転前の住所に連れて行かれたのか!
と思って、建物の前に行ってみると、
昔行ったことのある建物が、ロゴらしいモノ、何の建物かを表すようなものがすべて取り除かれた姿でそこにそびえているではありませんか。


ヤラレタ。


で、近くのショッピングモールに行って聞いてみると、
ここから歩いて10分のところに移ったよ、と。

まあ、駐車料金も払ったことだし、
雨も上がったし、
10分なら・・・
と思って歩いたら、結構遠い。

たっぷり20分以上かかりました。

で、やっとのところで目的地。


まあ、コカコーラの歴史が学べたり、
世界中のコカコーラ社のドリンクが試せたり・・・。


ちなみに日本のドリンクの中からは、
「ハイシー梅」と「ベジータベータ」が試飲出来るようになっていました。
両方とも妙に味が薄い、と感じましたが、
それは私の舌アメリカのソフトドリンクに慣れてしまったからでしょうか?


でも、それにしても、この「ハイシー梅」で検索をかけると、
アトランタのコカコーラ博物館の訪問記ばっかりヒットするって、
日本ではほんとうにマイナーなんでしょうねえ。
っていうか、日本コカコーラのサイトには「ハイシー梅」も「ベジータベータ」も見あたらないんですけど・・・。

もっと日本を代表するようなドリンクは紹介出来ないんでしょうか。


子供たちは、まあ、それなりに楽しんでいました。


で、
帰る前にトイレによっておこうと、
行ってみたら、あ!アメリカでも発見。



男子小用便器に、男心をくすぐるアイツが・・・。

拡大してみると、

ハエじゃなくて蜂なんですね。

ちなみに、命中しても色は変わりませんでした・・・。

あ、あと、大学の見学、良かったみたいですよ。
(付け足しみたいですが・・・)

僕らが住んでいた寮は取り壊されて、新しい建物のための
工事が始まっていたところでした。
やっぱり時は流れているんですね。

さて、土曜日、23日の聖書。
23日はルカによる福音書15:25-32でした。

「楽しんで喜ぶのは当然ではないか。」32節。

このお兄さん息子の言葉、
なんだか、親しみを感じてしまうんですね。
そして、今まで言いたくても、ずっと言えなかったことを、
やっと言えて良かったじゃん、と思いました。
でも、それに対して、
お父さんは共感的な言葉を全然言っていない。
「よく言えたね、そういうことが言えるようになるのを待っていたんだよ」
なんて、そんなことは言わない。

そして、「弟がいなくなっていたのに帰ってきたんだから、喜び祝うのは当然だ」と言うのです。

そう、神様にとっては「当然」なのです。

一人の人が悔い改めて帰ってくる時に、
喜んで迎えるのは「当然」なのです。

主の「当然」が、私にとっても「当然」となるように、
反対に私の「当然」を神様に押しつけてしまうことがないように、
主の当然が私の心をどんどん侵略していきますように。

主よ
鈍い者です。
あなたの思いをもっともっとわかる者としてください。

あなたが「当然だ」と思うことを、
私も「当然ですね」と思えるようにしてください。

2008-02-24

日本が好き。

今日は朝はほんとうに冷えて、-8度以下にさがりましたが、
昼間はぐんぐん気温が上がって、0度を軽く突破。
3度くらいまで上がりました。
で、夜になって、今10時半過ぎですが、-2.5度とまあまあです。
今夜もこのままだと-5, 6度でしょう。

明日はまた穏やかな日になりそうですが、
火曜日にはまた天気が大きく崩れそうです。
今回は雨が中心になりそうですが、
最初と最後は雪の可能性もあり、
要注意です。

そして、今週金曜日2月29日と来週の3月5日あたりも注目です。

今年は春になってから寒い日があるパターンでしょうか。

さて、アトランタの朝の巻。

アトランタの朝は、ノークロス日本語教会の
ボブ先生とベティー先生のお宅にお邪魔しました。

真ん中のご夫妻がボブ先生とベティー先生です。

右の親子は13年前大学生だった子と、そのベビー。
国際結婚をして、4歳の女の子もいるそうです。

まあ、大人は再会を楽しみました。

そのボブ+ベティー、
ほんとうに日本が大好き。

この間も書きましたが、
おうちの中に日本のお風呂をはめ込んでしまいました。

記憶の中ではバスタブの中に入れた、と思っていましたが、
今回拝見したら(入るのはできませんでした・・・)、
バスタブの奥に入れたんですね。


こんな感じ・・・


で、バスタブの中で体を洗って、
日本のお風呂に入って暖まることができる・・・という構造です。

ちなみに、今日本のお風呂が入っているところは、
元々、クローゼットだったそうです。

そして、ここには木の桶とかもあります。


もうそこらへんの日本人は全く足元にも及びません。

そして、極めつけは、「火鉢」。



植木入れか、おもちゃ箱かですが、
確かによく見ると火鉢ですね。

これはかなり古い物のようです。

日本が好き。

ほんとうに先生方はそうなんだろうなあと思います。
それがひしひしと伝わってきました。

そして、そこに生きておられる。
そこに人生を与えてくださっている。
その愛を感じました。

このほかに掛け軸や畳もあります。

午後の部と夜の部は明日に・・・。

さて、22日(金)の聖書。
22日はルカ15章11-24節でした。

「息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。」
21-22節。

「自分には資格がない」といった息子。

それを聞き流して、息子として受け入れた父親。

神様と私たちの関係はこれなんだろうなあと思いました。

ほんとうは資格がない。
これはほんとう。
そして、それを自覚していなければならない。
それもほんとう。
でも、その私たちをただただ、「子として」受け入れてくれる神。

そのありがたさを思いました。

子として受け入れられている幸いを感謝しました。

そして、ほんとうは資格がない、ということを忘れない、
そのことも大切だと思いました。

主よ、
あなたが受け入れてくださること、
心から感謝します。
どうか、あなたの恵みと命に生きる者としてください。
そして、いつも、ほんとうは自分にその資格がないことを、
忘れない者でありますように。

無事帰宅。

アトランタの報告はまたゆっくりと・・・。

で、まず無事帰宅の報告から・・・。

金曜日は一日アトランタを動き回って、
夜10時に出発。
土曜日の午後12時半頃、14時間半のドライブ
無事到着しました。

14時間半には給油休憩、トイレ休憩、朝食休憩、眠気覚まし休憩、運転交代休憩・・・を含んでいますので、正味13時間あまりだと思います。

心配していた凍結は全く心配なく、
渋滞にはまることもなく、
順調に帰りました。

お祈り下さった皆さん、ありがとうございます。


で、

帰った私たちを待っていたのは
ドライブウェイに積もった20センチの雪。
この冬一番の雪だったんですねえ。



まず、雪かきから始まりました。
結構重い雪。
でも、子供たちも一生懸命やってくれて、
あっという間に片づきました。

昼食を食べて、
郵便をチェックして、
Eメールをチェックして、
レンタカーを返して、
数本、電話をして、
シャワーを浴びて、
中高生2人を教会に連れて行って、
(私は休暇中ということで、中高科の先生たちに任せてまもなく帰宅。)
4時半過ぎ。さあ、ちょっと一休み・・・

で、気がついたら日曜日の午前3時半。

ゆっくり休ませて頂きました。

「睡眠」が「もったいないこと」ではなくて、
神様から与えられている
恵みであることを、思わされることが、
最近多くなってきました。

寝る時間を惜しんで何かをする勤勉さを
心のどこかで重んじているようなところが自分の中にあります。

でも、眠れるって、素晴らしい主の恵みであり、
ありがたいことなんだって、
ありがたいことを「ありがたい」と言えることが、
大切なんだと・・・。

ただただ感謝。


今、朝の5時半ですが、外は-7.5度。
寒い朝です。

さて、21日(木)の聖書。
ずいぶんたまってしまいましたが、
明日にでも一気に更新します。
21日はルカ15章1-10節。

「ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」10節。

「悔い改めるなら・・・」ということばが心に留りました。
「教会に来たら・・・」
「洗礼を受けたら・・・」
「教会の一員になったら・・・」
ではなくて、「悔い改めるなら」ですよね。

自分の中でも、

教会の中でも、

そのことがあやふやになってしまってはいけないんだと、
教えられます。

主よ、
「悔い改める」ことが、
あなたの元に帰ることであることを、
忘れないようにして下さい。
悔い改めないで、
自己弁護をしたり、言い訳をしたりする、
逃げの心を取り除いて下さい。