2007-10-13

気がつかないうちに・・・

今日はなんだか底冷えがする一日でしたね。

足元が冷える。

やばいなあ、今年ももう、あれが必要になってくるかなあ。
と、思いながら去年の今頃のブログを見てみると、
0.9度とか、1.1度とか、
Buffalo, NYでは55センチの雪とか・・・。
そんな事が書いてありました。

という事は、やっぱり今年の秋は本当に穏やかなんですね。

今、夜の9時半で9.6度。
明日の朝も5度くらいでしょう。

今日の夕食後、アイスクリームを食べようということになって、
何の気なしに見てみたら、1.75 Quartと書かれています。
ああ、アメリカに来た頃は、み~んなHalf Gallon(2 Quart)だったのに、
(ハーゲンダッツは別格)
いつの間にか、今は1.75 Quartなんだねえ。
なんて話をしていたら、
なんと、一つのパックは1.5 Quart。
どんどん小さくなりますね。
まあ、元々アメリカのサイズが大きいので、
小さくなっても全然OKなんですが、
なんで、小さくなるかというと、
原料費が上がって、値上げをしたいんだけど、
値上げをすると、がくっと売り上げが落ちるから、
気がつかれないように、サイズを小さくしているみたいですね。

Consumer Reportという雑誌を購読しているのですが、
その最後のページには、笑ってしまうしょうもない広告に混じって、
「このメーカーはいつの間にかサイズを小さくしているぞ!」みたいな、
情報が取り上げられています。

確かに、「底値帳」をつけるくらい気合いの入っておられる方々はもちろんですが、ふつうに買い物している人も、値段が2ドルから2ドル25セントに上がったら、「あら、アイスクリーム、値上げしたのね」とすぐわかりますが、サイズが2 Quartから1.75 Quartに変わっても、気がつく人は少ないですからね。

ヨーグルトも8ozが主流だったのが、今は6oz。値段は同じ。
8oz時代は、二人で分けるとちょうどいいサイズだったのですが、
6ozになると、なんとか一人で食べられてしまう。

なんだか、「やられた」という感じです。

さて、今日の聖書。
今日は使徒の働きの1章です。

「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。」
7節の言葉です。

もちろん、そのように訳されているわけではありませんが、
言ってしまえば、none of your businessということですよね。
ちょっと過激すぎるかな。
そして、あなたたちの使命は「聖霊様に満たされて、世界中に福音を伝える」ということだったんですよね。

昨日の旧ジャージーさんのコメントにあったように、
神様の領域があって、
一人一人にはそれぞれの使命があって、
そこに歩むことが求められているのだと思いました。

そして私たちの使命は、
聖霊様に満たされること、
そして、その中で福音を証する者、
福音を生きていく者となる、
それが大切なんだと思いました。

主よ、
今日の御言葉にも感謝します。
あなたがわたしのすべきことではないことを、
「それはあなたのなすべきことではない!」とはっきりと言ってくださること、
そして、私の使命をクリアにしてくださることを、
心から感謝します。

どうか、これから歩むべき道をも教えてください。

明日の礼拝をも祝福してください。

今日から「使徒の働き」

今朝はぎりぎり5度は切りませんでしたが、
冷え込みました。
いい天気、最高の土曜日ですね。

祈って求めて、
今日からは「使徒の働き」を読む事にしました。
教会がどのように聖霊様に導かれていったのか、
それを見せて頂きたいと。
そして、教会を建て上げていく働きのために、
御言葉を語って頂きたいと思わされています。

一日一章です。

またどうぞご一緒に。

1章を読んで語られた事については、
また夜に更新します。

2007-10-12

さぶっ

今日は明け方、雨が降っていて、
雷も鳴ったりしましたが、
8時頃にはすっかり上がって、
昼前にはきれいに晴れました。

でも、風がでてきて、
夕方からは冷え込んできました。

夜、教会に行きましたが、
長袖だけではダメで、
ウィンドブレーカーを着て・・・。
ばっちり秋です。

本当はもう日付が変わって夜中の1時前(起きてから23時間!)ですが、
7.7度まで下がっています。
明日の朝は5度は切るでしょう。
もう初霜もそんなに遠くないかもしれません。

さて、今日は早速聖書。
今日はヨハネ21章を読みました。
ヨハネによる福音書の最後の章です。

何でかわかりませんが、
11節の「153匹」が気になりました。

「たくさん」とかではなくて、
こんなにばっちり何匹か書いてあるのは、
何か意味があったのかなあ、と思います。

調べてみると、この数は1-17までを全部足した数だそうです。

アウグステゥヌスによると、
十戒の10と聖霊による恵みを象徴する7とを足した数なんで、
旧約聖書の律法と、新約聖書の恵みとで救われるすべての人々の事を表している、
ということだそうです。

なるほど、と思うような、思わないような。

「何も意味はなくて、ただ、本当に153匹だったんだろう」という話もありますが、
でも、そうだったら、数をそのまま書くかなあ。「たくさん」でよかったのでは・・・。

弟子たちがその獲れた魚の数に何かの意味があると考えたから、ここに書き記したんじゃないかなあと思います。当時の人にはとてもわかりやすい象徴的な意味があったのではないかと。

で、ぐぐってみると、
なんとWikipidaというウェブ上の百科事典に、catch of 153 fishという項目があるんですね。ちょっとびっくり。でも、やっぱりなんだか、「これかなあ」という説明はないですね。

Jeromeの説明では、当時の社会の中では世界中の魚が153種類と考えられていたというのもありますね。

結局、納得できる説明が見あたらないので、残念なんですが、
真偽のほどは別として、
AugustineやJeromeの説明は当時の教会で語り継がれていた説明だと思います。すべての人に救いが開かれている、そして、それは人間の力ではなくて、復活の主の力によって実現する、と言うのでしょう。


私たちもその復活の主を信じて、イエスの事を伝えていきたいと思います。
この弟子たちのように、夜通し働いても何も獲れないという時もあるかもしれません、
でも、主の力をいただいて、主の導きに従っていく時に、
多くの人々が主を信じる者とされていく、
そのような奇跡を見させて頂きたいと思いました。

主よ、
何も収穫がない時があります。
自分の働きは徒労に終わってしまったと感じる時もあります。
がっかりする時もあります。

でも、そんなときに、あなたに従う者であらせてください。
あなたに従順に従って、
奇跡を見る者とならせてください。
明日も、あさっても、イエスに出会って、人生が変えられる人が起こされますように。

スッキリ!

ということで、予告通り、早朝に起き出しました。
いやあ、これで12時間とか寝てしまって、
気がついたら朝8時だったらどうしようかと思いましたが、
さすがにそういうこともなく、ばっちり2時前に目が覚めました。
昨日の今頃はまだ寝てなかったわけで、
ちょっと大学生みたいなリズムになってしまっています。

でも、昨日の休む前に比べて、頭は数倍スッキリ!
ちょっとクセになりそうです。

昨日は曇りで、ちょうどキッズクラブのために教会に行った
3時半頃から雨。

昨日は16人くらいだったかな、
仲間が集まってくれました!

自分はいつもは「聖書のお話」の担当ですが、
今回は「絵本の読み聞かせ」をしました。
初めてだったので、ちょっと心配しましたが、
子供たちも一生懸命聞いてくれました。

来週はキッズクラブ始まって以来初の欠席。
1週間の牧師研修会に行って参ります。
スタッフの皆さん、よろしく。

今は朝の3時半。
外は14.6度、小雨が降っています。
今日は天気は回復傾向。
でも、これから1週間はずっと朝は一けた、
昼間も20度未満の秋らしい日が続きそうです。

さて、昨日の聖書。

昨日はヨハネによる福音書20章。
イエスの復活の記事でした。

「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
29節の言葉です。

復活の記事の最初からずっと読んでいくと、
やはり人々もそれを信じられなかった、
そんなこと考えてもいなかったことがわかります。

だから、苦しかった。
だから、きつかった。
泣いた。
恐れて閉じこもっていた。
互いが信じられなかった。

私たちが、どれほどたくさんの場面で、
この「誰かがイエスさまのからだを持っていってしまった」
と泣いているマグダラのマリヤのような気持ちでいることや、
みんなが興奮して「イエスはよみがえった!」と話しているのを、
どうしても信じられなくて、苦しくて、
「私はその手の釘あとに指を入れてみないと信じない」とまで
断言してしまったトマスのような気持ちでいることが、
あるだろうかと思います。

後から見ればわかる。
でも、後になっていない。
いつも私たちは現在しか生きられない。

だから、戦いがあるんですよね。
だから、「信じなさい」と主は言われるんですよね。

自分の願ったことが実現する、
ということを信じるのではなくて、

私たちは神の御手の中にある、
主は私たちの人生を最善に導いてくださる、
と信頼するんですよね。

今も生きておられるイエスに信頼するんですよね。

神様、
信じるって、難しいです。
このマリヤやトマスの姿こそ
私の姿だと思います。

どうか、信じさせてください。
信じます。
あなたを信頼します。
平安を満たしてください。

2007-10-11

明日の早朝へ

今晩は早く寝て、明日の早朝に起き出して更新します。
明日の午前9時までに礼拝説教の原稿を準備するのですが、

たぶん早朝の方がスカッとしていると思うので・・・。

小学生の就寝時間ですが・・・。

ではでは。

十字架のもとで

日付は10日にしておきますが、
もう11日になりました。

今日は一日NYの日で、11時頃に帰宅。
コンピューターも置いて出たので、
更新遅くなりました。

今日は朝ちょっと雨が残っていましたが、
昼間は晴れ間も出る天気。
20度をちょっと超えたでしょうか。

今、夜の1時頃で、17度。
明日は冷たい雨になりそうです。

今日は早速聖書。
ヨハネ19章を読みました。

イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方。そこに、あなたの息子がいます」と言われた。 それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。

26-27節です。

十字架のもとでイエスによって親子にされたマリヤとヨハネ。
私たちも、「気が合うから」とか「考えが似ているから」ではなくて、
ただ、同じイエスの十字架のもとにひざまずいているから、
神の家族なんだ、とわかりました。

だから、本当に十字架のもとにひざまずきたいと思いました。
共に十字架のもとにひざまずく人々が与えられるようにと願いしました。

そのときに、どんなことがあるかわからない。
どんな気持ちになるかわからない。

ただ、聖霊様に導いて頂きたいと思いました。

神様、
私もイエスの十字架のもとにひざまずきます。
共にひざまずく仲間が与えられますように。
考えが違っても、
共に十字架のもとにひざまずくことができますように。

2007-10-09

次のバトルへ・・・

今日はぐっと涼しくなりました。
朝からずっと20度くらいで、
午後はどんどん気温が下がってきました。
そして、夜は雨。

かなり激しく降ったりしましたし、
今もしとしと降っています。
かなり久しぶりのまとまった雨でした。

今は夜の11時で、
気温は16度くらい。

明日の朝まで気温は余り変わらないようです。
雨も、明日の朝まで残りそうです。

今日は火曜礼拝、
先週の3倍の方々が、集われました。
(さて、先週は何人だったでしょうか?)

でも、礼拝は人数じゃないなあ、と思います。
今日も幸いな礼拝でしたが、
決して、先週よりよかったなあ、という感じは持ちませんでした。

いつもいつも神様に焦点のあった礼拝を守りたいと思います。

掃除機の部品、まだ来ません。
ということで、もうあきらめて、
新しいのを購入しました。

なんだか、3週間何をしていたんだろう、という感じです。
さすがにこれ以上掃除機なしでは過ごせないですからね。
最初からあまりわけのわからないサイトに注文しようとしない方がよかったですね。
反省。

これからは、その部品代を回収するためのバトルをしようと思います。
あと1週間待て、とか、もうすぐ、とか、答えてくれたらいいと思うのですが、
問い合わせをしても、何の返事もなしでした。

そう、春にあるものを注文したikitchenもひどかったです。
2-3日以内に発送します、ということだったのですが、
いくら待っても、届きません。
やはり問い合わせのメールには返事がなく、
3週間くらいたってから、電話をかけたら、「来週送る」といって、
何とか、1ヶ月後に届きました。
ウェブ上の評判も、今年の春あたりから、
ひどくなっているようです。2-3ヶ月待たされている人もいるみたい。
1ヶ月は運がよかったのかも・・・。
いや、注文したものが届いたのは運がよかったのかも・・・。

いい勉強をさせて頂いています。

さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書の18章でした。
イエスが逮捕され、裁判を受けるところです。

「わたしの国はこの世のものではありません。」
36節。

イエスが裁判の中で、
総督のピラトに対して言われた言葉です。

イエスの国はこの世のものではない、
イエスの支配はこの世のものとは違う、と言われたのです。

この世の考え、この世の常識とは違ったものなのだということでしょう。

でも、私たちが歩んでいる中で、
この世のものと違った歩みをするのは本当に大変なことだと思います。
いろいろな苦労があると思います。

でも、ここではっきりとイエスが言ってくださったゆえに、
私たちはやはりイエスと一緒に胸を張って、
私の国はこの世のものでありません。
私の生き方は、この世のものではありません。
私の一番大切なものは、この世の生き方をしていてわかるものではありません。
そのように、イエスさまのように言えるようになりたいと思いました。

そのように言えることの喜びをも思わされました。

イエスよ、
あなたがあの裁判で、
はっきりと、
「私の国はこの世のものではない」と言ってくださったことに、
励まされました。
私も、あなたと同じように、
はっきりと自分の大切なものを表明できるものでありますように。
神様の支配をはっきりと宣言できる者としてください。

2007-10-08

逆転・・・あるかな?なかった・・・。

今日は昨日よりもちょっとは涼しいかな、
と思っていたら、とんでもない。
めちゃくちゃ暑かったです。

31度まで行きました。
そして、湿度も高く、夜の10時になっても
24度くらいあります。

雨も降ったのですが、
大したことはありません。

明日こそ、と思うのですが、
もう「おおかみがきたぞ」少年になってしまうといやなので、
言いません。

ただ、雨の確率は明日はちょっと上がるようです。

そして、水曜日からは、涼しくなります。
こんどこそ。

昨日、あんなこと書いたからか、
今日は負けそうです。(この時点ではまだ7回の表)
・・・責任感じます。

今年は、なんだか、「負ける時は負ける」という感じですよね。

「負けそうだったのに、あきらめないで、ひっくり返して勝った」
というような試合は少ないように感じました。
昨日はその意味でも、よかったですよね。

信仰生涯もそうでありたいと思いました。

だめかなあ、と思う時にも、
主を見上げて、主から答えをいただいて、
奇跡を見せて頂いていく、
そんな歩みをさせて頂きたいと思います。

さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書17章。
イエスの弟子たちのための祈りのところです。

「彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。」
15節。

主が私たちのために祈られたのは、
私たちがこの世から離れてしまうことではなくて、
世の中で生きていくから、
その中で守ってください、ということでした。

きついですよねえ。

でも、そのように主が置いてくださっている。
主がそこに生きるように置いてくださっている。
そのように2000年前から祈っていてくださっている。

だから、私も祈ろうと思いました。
一人一人が神様に守られますように。
その心と思いが守られますように。

神様が支えてくださり
主に従っていく生涯を
歩んでゆくことができますように。

主よ、
どうか、私を助け、
教会の一人一人を助けてください。
どうか、この世にあって、
そこから離れるのではなくて、

そこの中で、守られていきますように。

明日の火曜礼拝も豊かに祝福してくださいますように。

2007-10-07

溜飲がおりた?下がった?

今日は昨日までに比べると涼しくなるかな、
と思っていたのですが、

どうしてどうして・・・

またまた暑かったです。

CTの教会も、NJの教会も暑かったです。
ほんと。

でも、どちらも幸いな礼拝の一時となりました。
特にCTでは久しぶりの中高生たちに会って、
とても励まされました。元気がもらえました。

今日は、Yankeesが2連敗の後、
8-4でやっと勝ちました。
今日、まけたらもう今季はおしまい、
という中での勝利。

・・・・ここまで来たところで、1時間あまりの休憩が入りました・・・・

日付も変わりました。

それも、今まで打てなかったのが、
今日はちゃんと打って勝ったので、
ほんと「溜飲がおりた」という感じです。

ん、「溜飲が下がった」が正解?

まあ、どっちでもいいや。
とにかくもう、なんか、これで明日負けても、もういい?
いや、そんなことないけどさ、それくらいスカッとしたかな。
木曜日は全然ダメだったし、
金曜日は勝ちそうだったのに虫にやられたし、
スカッとする試合をやって欲しかったですよね。
だから、いいかな。

だって、勝ち続けると、気になるのが長くなるからねえ。
でも、やっぱりRed Soxとやってほしいですよねえ。

そんな半端なことを言っていると、
マジのfanに襲撃されそうなので、やめておきます・・・。

さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書16章でした。

「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
33節の言葉です。

多くのクリスチャンに愛され、多くの人々を励ましてきた言葉だと思いますが、今日は、この言葉が心にとまっていました。

そして、一日の歩みを通して、本当にこの言葉の大切さ、この言葉に従うことの大切さ、ここに信頼して歩んでいくことの大切さを痛感させられています。

問題があったり、苦しみがあったり、悩みがあったりするのは避けられない。だから、この世に勝利してくださったイエスに信頼して歩んでいくこと、それを本当に実行することが大切ですよね。

今日の言葉が与えられたことの中に、主の導きを感じます。

そして、御言葉に従うことの大切さを思います。

主よ、
あなたの勝利を信頼します。
あなたの導きに従います。
勇敢であらせてください。
勇気を満たしてください。
あなたのみ思いを教えてください。

今日、来られたお一人一人に、
祝福がありますように。

どうしてもいらっしゃることのできなかった
一人一人に神様の守りがありますように。

火曜日の礼拝も祝福してくださいますように。