2013-06-14

おかえり〜。

昨日までの会議、ここまでの歩みに感謝しつつ、
本当に献身的に奉仕されているみなさんの姿に励まされ、
これからのために祈る使命、動く使命を思わされて、無事終わりました。

今日からは数日間、南カルフォルニアに残って、ゆっくり神様との時を過ごさせていただきます。

そんな中、昨日、無事のんちが家に戻りました。


2013-06-13

・・・らしいもの。

・・・らしい青空がないので、ちょっと寂しいのですが、
今回1週間滞在するので、きっとそういう日もあるでしょう。
期待しつつ。

・・・ということで、らしいもの。


1年ぶり〜。

そして、お約束の「裏を見てみる」


抜けるような青空!じゃなかった。

時差ぼけで、昨日は朝4時に目が覚めたのですが、
今日は朝の3時に目が覚めました。
まあ、NJ時間では6時ですから、しょうがありません。

昨日は朝、散歩に出て、
南カルフォリニアらしい抜けるような青空の写真を撮ろうと思ったら、
それどころじゃありません。
どんより曇って霧雨が降っていました。


お伺いしたら、ことしは毎日、こんな天気だそうです。
で、なんとか、「らしい」ものないかなあ、と思っていたら、

大雨注意。

もうNJは日付が変わって、木曜日。
CAはまだ10時頃です。

こちらはちょっと朝どんより曇っていて、
霧雨も降る肌寒い朝でした。

でも昼間は晴れて涼しい一日です。

ところが、NJの方がちょっと心配です。
このところ、雨が多いのですが、今日は大雨になりそうです。


Weather Channelによると「猛烈な雷雨」だそうで。

2013-06-12

いったい自分は何を求めているんだろう?

カラダはNJ時間なので、こちらの時間の10時頃に寝て、
4時頃に目が覚めました。

5:15。まだこちらは夜が開けませんが、
NJではもう、みんな学校や仕事に行っている時間ですね。
NJ, CAとも今日はいい天気のようです。

でも、明日はNJはまた雨のようで、ちょっと心配です。

さて、今日も何回か更新して「日々のみことば」の方、
なんとか今週中に追いつきたいと思いますが、
まずは1回目。
6/6(木)はルカによる福音書の11章でした。

「天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか。」13節。

同じ言葉がマタイによる福音書にもあるのですが、
そこには「よきものを下さらないことがあろうか」と書いてあります。
だから、「よきもの」=「聖霊」なのです。

私は「よきもの」が何だと思って生きているだろうか?
求めた時に与えられるもの、
主が喜んで与えてくださるものは何だと思って歩んでいるだろうか?
他のものをもとめて、一番大切なものを求めていないことはないだろうか?

本当にもっともっと聖霊様の満たしを
聖霊様の導きを、
求めて、頂いて、歩んでいきたいと思わされます。

そして、求めている中で、
本当に主が与えてくださっていることを感謝します。

主よ、
聖霊様を与えてください。
聖霊様に満たしてください。
そして、聖霊様の声に聞いて歩んでいくことができますように。

待っているのではなく。

飛行機の中で書いたシリーズ。第4回。
とりあえず、ここまで。

6/5の「日々のみことば」
6/5はルカによる福音書10章でした。

「あなたも行って同じようにしなさい」37節。

御言葉を信頼するように、という語りかけを2日続けていただいた後は、
神様を信頼して、実践しなさい、という御言葉が2日続けて与えられている。
ただ、聞いて、祈って、瞑想して、証しして、
それで終わっていてはいけないことを思わされる。

嵐の中でも倒れない岩を土台とした家は、ただイエスを信じている人生ではない。
そのように生きている人生だ。

私も誰かの隣人になる、歩みをさせていただこう。
誰かが私の隣人になってくれるのを待っている人生ではなく、
誰かの隣人になる人生を送らせていただきたい。

主よ、
私があなたの御言葉に従って歩む者でありますように。

待っているのではなく、人のところに出て行く者でありますように。

「無理だ!」と思う時にこそ。

6/4(火)の日々のみことば。
6/4はルカによる福音書の9章でした。

「あなたがたの手で食物をやりなさい」13節。

神様は私たちが助けなければいけないような方ではありません。
私たちががんばらないと困ってしまう方ではありません。
私たちがバタバタとする時に、「静まりなさい!」と言われます。
「静まって、私こそ神であることを知れ」と言われます。

しかし、その神様が、また、しばしば「あなたがたの手で・・・」と言われます。

その時に、私たちは自分の弱さを知ります。
この弟子たちのように。
この弟子たちが5つのパンで5000人を養う使命を与えられたように。
必要の大きさ、問題の大きさに比べて、自分の無力さを思い知らされることがあると思います。

でも、そんな時に、私たちはそれを一人でするのではない。
主ご自身が私たちと一緒にいてくださって、5つのパンを豊かに用いて、その使命を果たさせてくださるのです。
それを信頼して、歩ませていただきたいです。

「私にはそんなことはとても無理です」と言わないでいられないようなとき、主を信頼して、その使命に忠実に歩ませていただけますように。

主よ
私はいつも一人ではないことに感謝します。

どうか、あなたのゆえに勇気をもってあなたに従っていけますように。

再び、御言葉を信頼する。

6/3(月)の「日々のみことば」。
6/8はルカによる福音書の8章でした。

「良い地に落ちたのは、御言聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである。」15節。

この日も「み言葉」をどう受け取るかが問われる御言葉。
主が語られた言葉をしっかりと握って、それを守って、従って、
長い間それが実を結ばなくても、忍耐して、
誘惑や困難の中でも、御言葉を信頼して、歩んでいく時にやがて必ず実を結ぶと言う。

本当に焦らないで、堅実にこのみことばどおりに歩ませていただきたい。
時代の波に振り回されないで、御言葉を信頼していこう。

主よ、
単純に本当に単純に誠実に御言葉を信頼していきます。
忍耐を与え、私が迷いそうになった時に、このことを思い出させ、堅く立たせてください。


御言葉を信頼する。

今日から会議で南カルフォルニアに来ています。
こちらの時間で9時台ということは、
からだは12時過ぎている、ということで、
もう眠い時間ですが、ちょっと飛行機の中で書いたものをアップしておきます。

こちらは当然ながら、晴れています。
今日は雲が多い方だったと思います。

NJは・・・どうだったんでしょうね。
明日は晴れるようですが、
木曜日はまた雨の予報が出ています。

6/2(日)の「日々のみことば」。
6/2はルカによる福音書の7章でした。

「ただ、お言葉を下さい。」7節。

この人は他の何よりもみことばを求めていた。
イエスの言葉に力があることを知っていた。
権威があることを知っていた。
その言葉が語られたことは、そのことが起こることと同じであることを知っていた。

御言葉が語られたら、御言葉が与えられたらそれは十分です。
本当にそれが与えられたら十分なのです。
それは私たちに力を与え、平安を与え、
そして、時が来る時にそれは成就するのですから。

御言葉を信頼していこうと思いました。
私の与えられた言葉を一つ思い出させられました。

結婚のために祈っていた時に与えられた言葉。
「主の御手が彼らと共にあったため、信じて主に帰依する者の数が多かった。」使徒行伝11:21

ここしばらくの間、聖霊様が私に示してくださっていること、導いてくだsだっていることの中に、新しいうねりを感じます。

主が、この御言葉どおりに、信仰に導かれる方々が多く与えられることを待ち望みつつ。


主よ、御言葉に感謝します。みことばをもっともっと信頼させてください。そして、これからもみことばを与え続けてください。