2010-04-10

人間関係の土台。

朝はぐっと冷えてちょうど5度。
昼間も15度止まりでした。
日差しは暖かいのですが、風があって、ひんやりとする場面も。


夜になっても、昨日ほどは冷えません。
明日は暖かくなりそうです。


朝の「Famous Brand」のフィルムですが、
後でまた教会に行ったときに確認したら、
なんと「Famous Brand 」って名前の会社!


そんなのいいんでしょうかねえ。


日本だったら、
「有名大学」とか「一流大学」「難関大学」って名前の大学を作ったり、
どこかの無名の会社が「有名ブランド」ってブランドでテレビ作っちゃうって感じですよね。
(そう考えると、やっぱり、ちょっと見ただけでいかにも怪しいし、ビジネスとして成功しないと思う・・・)


どうやら、この会社、タダでフィルムを配って、「現像はうちのラボじゃなきゃ綺麗にできないよ」とPR、普通より高めの設定の現像代を請求して、プリントした写真と一緒にまたタダのフィルムを送ってくる、という会社だったみたいです。


今から、15年くらい前まで、これってアメリカで普通にありましたよね。
ただでもらったフィルム、ラッキーと思って、普通に写真を撮って、普通のプリントやさんに持っていったら、「これはうちでは扱っていないんだよね、悪いね、お兄ちゃん」と言われて、でも、記念の写真だから・・・と諦めきれなくて、高いお金払って、ラボに送って、1週間くらいで帰ってきた写真を見ると、「んー・・・こんなもんかなあ・・・」って感じで、でも、またそこにタダのフィルムが入っているので、「タダで貰えるんだったら」ってついつい、また使ってしまって・・・と繰り返すんですよ。「タダ」って言葉につくづく弱いんだなあと思います。自分。


「自分はこの言葉に弱い」ってのをちゃんと自覚していないといけませんね。人生のいろんな側面で。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ28:1−17。


「エレミヤに次のような主のことばがあった。」12節。

ハナヌヤという偽預言者は、
調子のいいことばかりを語っていた。
「勝利」「回復」「解放」

でも、それは主の語りかけではなかった。

それを見ていたエレミヤは彼に対してハッキリとモノを言った。
「あなたは神の言葉を語っていない」と。

人々とうまくやっていくためには
1)上手なコミュニケーション
2)事なかれ主義
そのどちらかがあればいい。

人々と対決するためには
1)神の御言葉が語られること
2)独善的な考え
そのどちらかがどうしても必要だ。
そして、1)には愛も必要になる。

どちらも1)が必要なのだけれど、
自分が、どちらも1)に生きていると思った瞬間に、
対決の2)の「独善」に支配される。

表面的にうまくやっていくことの虚しさを感じる。
そんなんじゃなくて、本当に真実に歩みたいと思う。

だから、いつもいつも神のことばを聞いて、
主の語りかけをいただいて、
それに応答するあゆみ、
そこに真実に従っていくあゆみ、
それが自分には必要だと思う。

主よ、
あなたの御言葉を求めます。
主よ、僕は聞きます。お語り下さい。
明日のためにもあなたの御言葉に感謝します。
あなたの私達へのメッセージをストレートに語る者とならせて下さい。

Rummage Sale は楽しい!

 昨日、今日と、お借りしている教会のRummage Saleです。
訳すと「がらくた市」ですね。

まあ、ガラクタですから、安いし、
「こんなのも出すの?」みたいなものも全然OKなのですが、
時々、「へえー?」というものもあります。

今朝、お祈りに教会に行ったときに、
まだ開店前、誰もいない会場に忍び込んで、
リサーチしてきました。




これは我らが富士フィルムのカラーフィルムです。
126枚撮り?と思ったら、
そういう規格みたいですね。
私と同い年。

今は生産中止なので、マニアの人に高く売れる?

Made in Tokyo 106, Japanと書かれていました。



こちらは写真が不鮮明でよく読めないかもしれませんが、
上のほうにFamous Blandと書かれています。

広告とかで、メーカーを伏せて「Famous Brand」とか,書いてあるのはありますが、
パッケージに「Famous Brand」って、どんだけ?って感じですよね。
Made in Germanyですが、英語の表記でわかるように、
アメリカで売られていたものみたいで、
写真をとった後、特別なラボに送ってプリントするヤツみたいです。

これもまさか、今では・・・と思いますが、
ネット上にはこのような質問も出ていますし、Ebayでは15ドルくらい出ていますので、マニアの人はいるんですね。

そして、極めつけはこちら。


すもうWaxなんて・・・。
これは怪しすぎると思って、ググッてみたら、
意外や意外、こちらは現役で、Amazonで売っている
それも27ドル!

Rummage Saleでいくらかわかりませんが、
これは、きっと超お買い得でしょう。

何かと思いましたが、「整髪料」です。
お相撲さんのまげが激しいぶつかり合いの中でも乱れないように、
しっかりと固めるためのワックスなんでしょうか?

小さな教会のRummage Saleにちょっと忍び込んでもこんなに楽しいのですから、
今年の春は、ちょっといろいろ探してみようかな。

2010-04-09

信仰的であることの意味。

今日は朝起きたら雨。
気温も昨日までとは打って変わって、
15度くらい。
でも過ごしやすい一日でした。


今は夜の11時過ぎですが、8.9度まで下がっています。
明日の朝は5度を切ると思います。


そして、明日も一日15度止まり。
爽やかな一日となりそうです。


さて、Purpose Driven Lifeの24日目ですが、
この日は「聖書のみ言葉によって成長する」ということです。
(書いてから気がつきましたが、1日飛ばしてしまいました)
頭でっかちになってはいけませんが、
やっぱり私達が成長させられるのは、
聖書のみ言葉によるのです。
今度の日曜日に開く、ルカの24章の後半でも、
何度も、「復活のイエスが聖書から、解き明かされた」と出てきています。


自分の考えよりも、御言葉に権威を認めて、そこに従うことです。
ただ、知識として知っていくことだけではなくて、
それを実行していくことです。従っていくことです。


もっともっと御言葉の権威を認め、
御言葉を愛して、貪るようにして、読む者でありたいです。


そして、今日の聖書。
エレミヤ書27:12-22。


「あなたがたはバビロンの王のくびきに首を差し出し、彼とその民に仕えて生きよ。」12節。

「日々のみことば」の解説に、
「降伏にも信仰が必要だった」とあるのを見て、
ああ、そうか、と思いました。

私の中で、「信仰」は「勝利」みたいな図式があって、
神を信じないネブカデネザル王に降伏するのは、
信仰的ではないのではないかと思う気持ちがあったのです。

どこまでも神様が勝たせてくださる、と信じて戦うことこそ、
信仰者の姿なんではないかと思っていたのです。

でも、実際、降伏することも、
信仰がないとできないことなんですよね。

大切なのはやはり「戦うか、降伏するか」ではなくて、
神に聞くか、他のものに聞くか、なんですよね。

私自身もいくつかの決断をすべきことについて、
本当に謙遜に主に聞いていきたいと思います。
また思い通りに、また「神様がこのように導いてくださっているのでは」という方に進んでいかないときにも、主を信頼して、忍耐をもって、従って行こうと思いました。

この世の力に降伏することも、信仰的な決断であり得る。

いつでもいつでも主に聞いていく、主に聞いて、それに従っていく者でありたいです。

主よ、
どうか、あなたに謙虚に聞いていく者でありますように。
原理原則ではなくて、あなたの導きを見極めることができますように。
あなたを信頼して、あなたの時を信頼して、信じていくことできますように。

初収穫!

ここ数日の暖かさで、アスパラガスがニョキニョキ生えて来て、例年になく早く初収穫。

電子レンジで、チンして頂きます。




このアスパラガスという植物、
前の年の夏に受けた栄養を冬の間地下の茎に溜め込んでおいて、
翌年、ガンガン芽を出します。
ですから、これから1ヶ月半くらい、
もぐらたたきゲームのように、
出てくる芽を全部を食べてしまっても、
大丈夫です。

考えさせられます。

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2010-04-08

すべての造られたものに・・・。

今日も、暑かったです。
昨日ほどではなかったですが・・・。
夜11時になりましたが、まだ雷雨にはなっていません。
これからやってくるみたいです。


明日はぐっと下がります。
でも、15度くらいはありそうで、
寒い、というよりも「本来の春に戻った」という感じになりそうです。


先日のはちこさんのご質問でいろいろ考えさせられたのですが、
子どもたちのためのミニストリーの中で、
小さい子供も、小学生の男の子もみんな楽しめる、
そんなプログラムを考えるのは本当に難しいことです。


そんな中で一押し、まず外れないのが、
「空気砲」です。
2年前に紹介しているんですね。


でも、そのときのビデオが著作権の問題で削除されているので、
今回、ふつうサイズのビデオを紹介。





バリエーションとしては、
発射口を上にして、
そこにその口よりももう少し大きな紙コップでロケットを作って、
どこまで高く飛ぶか競争するっていうのも楽しいです。


こういう事を必死に考えているのは、理由があります。


自分が子どもの頃、教会で育ちましたが、
小学校高学年になってきたときに、
「おゆうぎ」とか「みことばいり写真立てづくり」とか、
勘弁して欲しいと思ったのです。


小学校高学年になると、
それまでは喜んできていた友達が、
「教会に行ってもなあ・・・」と言い出すのです。


私の問題意識は、「歌を歌う」「お話を聞く」ということが大切な要素を占める教会の子供プログラムは何も考えなければ、小学校低学年までか、おとなしい女の子向けになってしまう、ということです。だから、「どんな子どもにも開かれているプログラムをやっています、と口では言いながら、実際のところ、高学年の男の子を疎外している危険が沢山あるのです。


ですから、いつもいつも必死に「上級生の男の子でも来たくなるような教会」を考えてきました。でも、それでも、なかなか難しいです。サッカーチームや野球チームを持つ教会もあります。それは素晴らしいです。それなりの人材と場所が必要ですが・・・。


そして、この感覚は大人に対しても大切なんだろうと思います。


大学生の時に聞いたメッセージ、思い出します。
「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を伝えなさい」とイエスは言われた。私たちは「全世界へ」と聞いて、世界各地に出ていくことを考える、宣教師として出ていくことを考える。でも、この「全世界」とは世界のいろんな分野へ、ということも言える。「学問の世界」「商売の世界」「ビジネスマンの世界」「音楽の世界」「芸術の世界」「スポーツの世界」「政治の世界」・・・だから、この宣教命令に従うために、牧師や宣教師になる必要はない。かえって、クリスチャンがもっと社会に出ていくことが大切だ、と。


それと共に、教会自体も、そのような方々が来れる場になっていくということが大切なんですよね。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ27:1-11。


「だから、あなたがたは、バビロンの王に仕えることはない、と言っているあなたがたの預言者、占い師、夢見る者、卜者、呪術者に聞くな。」9節。

派手なことを言う人がいます。
調子のいいことを言う人がいます。
大きなことを言う人がいます。
そして、それが「信仰的」に見えることがあります。

神様に従っているかのような・・・。

そして、エレミヤのように「上手くいかない」「降伏しなさい」なんていうのは信仰がないのではないか、みたいな見られ方もされます。

でも、大切なのは主に従っているかどうかです。

真実に、忠実に、主に聞いていくことです。
人気がない話であるかもしれません。
余り人に気付かれないような働きであるかもしれません。

それでも恐れないこと。
ただ、主に忠実に聞いていくこと、謙虚に聞いていくことです。

主よ、
あなたに聞き従います。
あなたの語れと言うことを語ることができますように。
派手なことや、調子のいいことが人々の注目を浴びます。
そういうことに振り回されない者でありますように。

2010-04-07

どこを目指して歩くか。

今日は予報通り、暑くなりました。
我が家の温度計での最高気温は34度。


モワッとしています。


明日は曇ってきますし、
気温も30度までいかないと思います。
そして、夜には雷雨。


そして、現実に戻ります。
「春らしい」三寒四温の日々が続くと思います。


イースターまでに終わる予定だった、
Purpose Driven Lifeですが、
細々と続いています。


25日まで進んでいますが、
今日は22日のところ。
「キリストのようになるために造られた」


「多くのクリスチャンは、主イエスが約束された『豊かな人生』を誤解しています。それは、いつも健康に恵まれ、快適に生活し、幸福感に満たされて、夢がすべて実現し、祈りと信仰によって問題は即座に解決するという誤解です。」


「主が最善をなされる」
「祈りが聞かれる」
ということを誤解している部分があったかと思います。


キリストのようになる、ためには、そんなにすべてが順調に行っていいわけではないですよね。


そして、もう一つ。


「力や確信が湧いてくるまで待っていてはいけません。恐れがあっても、感情が伴わなくても、正しいことを行ない、弱さを覚えながらでも、前進することです。」


うーん、考えさせられてしまいました。
やっぱり待っていることばかり多い自分。
「導かれる」のを待っていて、信仰を持って踏み出すことが少ないと思います。
「踏み出す時に開かれるヨルダン川」。
忘れないでいたいです。


さて、今日の聖書。
エレミヤ26:16-24。


「私たちの神、主の名によって、彼は私たちに語ったのだから。」16節。

一握りでも、伝わる人がいる。
真実に主の語りかけを伝えたときに、
伝わる人がいる。
かならずいる。

自分は時々、人々の反応を主に用いられたかどうかの物差しにすることがある。
でも、それは正反対のことだってある。
エレミヤは本当に人々に受け入れられなかった。
神のことばを語ったがゆえに受け入れられなかった。

本当に単純に、主に従っていきたい。
人の反応に振り回されるのではなく、
主のみことばに単純に従っていきたい。

主よ、
あなたに私の心の焦点がいつもあっていますように。
あなたのみ声を聞いて、語るものであり続けますように。
私の心をあなたの守り中に置いて下さい。

2010-04-06

自分の切り売りはできないから・・・。

夜になりました。
今日は暑くなりました。
最高気温は28.4度。


でも、明日はもっと暑くなります。
30度超えるでしょう。
はい、明日は「半袖に上着」が正解です。


4月から、どうしようか、考えていたことに、
このブログを「日々のみことば」「日々の祈り」に集中して、
その他の事はなしにするか、または別のページを立ち上げようか、ということがありました。


「『日々のみことば』を読みたいのに、そこにたどり着くまでが長過ぎ!」というご意見もあれば、「天気の話がありがたい」というありがたいお話もいただき、「しょうもない話はなくていいんじゃない?」という声がある一方で、「あのしょうもない話があるから、立ち寄れる」という貴重なサポートもあり(ま、いずれにせよ、本人はあんまり「しょうもない話」だと思っていないのですが・・・)、いろいろ考えてきたわけです。


でも、結局は今まで通り行こうかと思います。
一つは、単純に、ニュージャージー+「何か」で検索をすると、何でもいいから、このページが引っかかるとか、そんなことで、新しい出会いがあればいいかな、ということ。


もうひとつは、ま、これが「素のかきごおり」ということで、聖書を読んで祈っている自分と、家族のことで一喜一憂したり、天気の話でエキサイトしたり、ささやかな節約に喜びを感じたり、疲れ果てて沈没してしまったり、子どものためのプログラムに一生懸命になったり、「なんだかねえ」と弱音を吐いてしまったり、全部、同じ自分であって、全部のことが、存在の根本にある祈りにつながってくるわけで、それをバラバラにしてしまったり、その一部だけを特別に取り上げなくてもいいかな、と思ったわけです。


で、そんなかきごおりが「日々のみことば」誌に従って今日読んだ聖書は、
急にエレミヤ書に戻って、エレミヤ26章1−15節。


「わたしがあなたに語れと命じたことばを残らず語れ、一言も省くな」2節。

この厳しさですよね。
それを語ったときに、どうなるか、って見えているのに、
それを語る責任がある。

人の耳に心地よい言葉を語るのはできる。

でも、そこに厳しい言葉を語るのは、
感情的になっているか、
よほど傲慢だったり無神経であったりする場合を除いて、
本当に愛と勇気が必要なんですよね。

だから、単純に「愛と勇気」を与えていただきたいと思いました。
はい、アンパンマンと同じですが、
具体的に「愛と勇気」を頂きたいと思います。

主よ、
わたしに愛を与えてください。
あなたの愛を、わたしのためにすべてを与えてくださった愛を、
わたしの心に満たして下さい。
わたしに勇気を与えてください。
逃げない勇気を与えてください。
愛を持って語る勇気を与えてください。

ま、そこそこ。

日付が変わってしまいました。
昨日の出来事。


はい、格闘して焼きました。


昨日はのんちの誕生日。


女の子が2人もいるので、
そろそろ任せても・・・と思うのですが、
昨日はそれぞれに難しい事情があり、
焼くのは、年に1度でなかなか上達しない私めが、担当。
ちょうどお休みを頂いている日なのでちょうど良かったです。


子どもたちはデコレート担当。
いちごにアレルギーが出る私のために、
いちごショートは諦めて、桃缶ショート。
こーんな感じ。




ハジからも電話が入り、本人も喜んでおりました。


のんちをこの世に送ってくださった神様に心から感謝!


そしたら、
日本から、4月4日と、4月5日にそれぞれ元JCCNJの方々から、
女の子誕生のニュースが!


今年のはじめの日本訪問の時には、それぞれ「妻が安静なので・・・」ということで、
お会いできなかった二家族。本当によかったです。感謝。


昨日も暖かかったです。
今日はまたまたもっと暖かいようです。
そして、明日が最高で、30度オーバーも夢ではありません。


でも、読み返してみたら、去年も4月の後半には34度まで上がった日がありました。


今年はまだ上旬。アスパラも生えてきました。


春がものすごい勢いで攻めて来ています。


5日の聖書。
マタイの最後、28:11-20。


「あらゆる国の人々を弟子としなさい」19節。

イエスの弟子を作るのが私たちの使命。
教会は「病院」。
痛みや苦しみ、問題を抱えている人たちがいつでも来れるところ。
でも、それがまた「弟子」を生み出すところ。

この使命を十分に果たしているだろうか?
それが問われているように感じた。

その使命に生きているだろうか?

イエスの弟子を作る。

イエスの弟子となるように人々を招き、
イエスの弟子を育てる。

人々は弟子となっていく。

そのような空気が私の働きには溢れているだろうか?
問われているように感じた。

主よ、
私自身、あなたの弟子として生かしてください。
そして、あなたの弟子を生み出していく、働きをさせてください。
その方向性をもって働きを進めていけますように。

2010-04-04

夢、見た。地図を見て歩いた方がいい・・・のかなあ。

夢を見た。
お客さんを連れて、車で所沢の駅に送りに行くところ。
(たぶん、そのお客さんはボリビアに行っておられる宣教師の先生)
でも、あと少しのところで、電車がいってしまった。
「川越で乗り換えですよね、お送りしますよ」と
お送りすることになったのだが、
何故か、途中で自転車になっていた。


自転車でお送りしながら、途中で、狭い道に入ってしまって、
途中から階段になった。
「ああ、自転車で良かった、車だったら階段は降りれないもんね」と話をしながら、
階段を降りていったのだけれども、「本当にこの道でいいの?」といつの間にか、
一緒に歩いている青年。(実名出しますが、それは「しもりん」でした。)


「かきごおり先生、やっぱ、地図見た方がいいんじゃないですか?」と話しかけてくるのですが、頑固な自分はスタスタと行ってしまう。でも、しもりんの言うとおり、今度は上りの階段で、元の所に戻ってしまう。


「ああ、こんなことだったら、次の電車を待っていた方が良かったですね」なんて言いながら、iPhoneで道を確認。そして、「自転車で所沢から川越までどれくらいかかるだろうか?」「やばいじゃん」と思ったところで目が覚めた。


朝の4時だった。いくらイースターの朝でも、それは早すぎる。
おとなしくベッドの中で思いめぐらしていた。


なんだか、神様の語りかけみたいな気がしていた。
自分はほんとに地図を見ながら歩くのじゃなくて、直感で歩くのが好きな方だ。
迷っても人に道を聞く、というのはない。
でも、今までそれでもだいたいいつの間にか目的地についていることが多かった。
でも、それでいいのか、と問われているように感じた。


「あなたの人生も、いきあたりばったりみたいになっていないか、ちゃんと地図を見て歩きなさい」と。


どっちがいいのかわからない。


思い通りにいかない人生の中で、地図にこだわって生きるのがいいのか、置かれたその場その場で、神様に忠実に生きることがいいのか?ちょっと温めてみたいテーマだ。


今日のイースターも本当に幸いな一日でした。
愛餐会の様子はもう教会のHPにアップされています
新しい方、久しぶりの方、沢山の方と、喜びをともに分かち合うことができました。
感謝。


メジャーリーグも開幕ですね。今日現在、ヤンキースファンです。リードしていたのに、今さっき追いつかれました・・・。


さて、今日の聖書。
今日はマタイ28:1-10。


「ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。」6節。

墓にはおられないイエス。
では、今はどこにおられるのだろうか?
弟子たちに40日間にわたって現れたという。
その後、天に昇られて、父なる神の右に座しておられる。

そして、聖霊様を送って、
その存在を通して、私達とともにいてくださる。

今日も聖霊様が、私を導いてくださるように、
御言葉を与え、御言葉によって生かしてくださいますように、
そのように祈らされた。

そう、今朝は駐車場で、祈らされた。

そこにも主がおられることを思いながら。

主よ、
今日もあなたがいてくださいますから、感謝します。
聖霊様によって共にいてくださるから感謝します。

イースターの朝。





「そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。」

今朝は朝方もやっていて、朝日の中で、という訳ではありませんでしたが、イースターの朝を覚えて、外で祈りのときをもちました。

小鳥たちや木々の花が、にぎやかに神を賛美していました。

その後、中に入って、一つ一つのベンチに座って、「この椅子に座る方の心にみ言葉が語られますように」との祈りに導かれました。

幸いな、朝のひとときに感謝。

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