2008-07-05

動くことと静まること

今日は一日どんよりとして、
時々雨が降る、日本の梅雨のような蒸し暑い一日でした。

去年のこのころも蒸し暑かったり、
雨が降ったり、涼しかったり、だったみたいですね。
でも、今年はホントに蒸し暑い・・・。


今日は朝から教会で祈り会。
ホントはハドソン川沿いの公園でするのですが、
天気が悪かったので、今日は教会に場所が変更になりました。
先月は4人と寂しかったのですが、
今日は10人と2倍半になって、
ホントにぎやかでした。
出エジプト記19章からの学びもよかったです。
神の前に畏れることの大切さを忘れないでいたいと思いました。


でも、その後は今日はずっと明日の準備。
お休みもいただいていたので、
やることがたまっていました。
ホントはばたばた動いていたい方です。
いろいろな人に会ったり、
走り回っていた方が、伝道しているつもりになりやすいです。
牧師の働きをしているつもりになりやすいです。

でも、このようなときが大切なんだろうと思って、
祈りつつ、準備をしていました。

「祈りとみことばのご用に専念する」ということの大切さ、
そして、それを意識的にすることの大切さを思わされました。


さて、今日の聖書。
今日はコリント第一の手紙3章1-15節。


「もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。」12-13節。

土台はイエス様、
でも、その上に何を建てるか?
それが伝道者、牧会者の働きなのだ、ということです。
その真価は、火の中でわかると。

火の中で焼けてしまうような働きがある。
でも、火の中で残るような働きがある。

それは普段はわからない。
もしかしたら、わらの教会の方が、
普段は元気に見えるかもしれない。
魅力的に見えるかもしれない。

でも、その真価は火の中でわかる。

火に耐えるような教会形成をさせていただきたいと思います。
そのようなものを祈っていこうと思いました。

そして、いつの間にか、
周りが気にならなくなっている自分がいました。

ただ、人々を愛し、
人々にそのときそのときに必要な励ましと、戒めと支えを示すことができるような、
神様を示すことができるような働き人になりたいと思いました。
心から主に感謝しました。

主よ、
あなたが私の心にふれていてくださることに感謝します。
何が大切なのか、目を開いてくださっていることに感謝します。
どうか、火の中にも耐える教会形成をさせてください。
見るべきものを見て、見なくてもいいものを見ない者であることができますように。

2008-07-04

雨、雨、雨。

7月4日、一日で6回分更新しました。
下の方から上の方への順番です。
雨が続くようですね。
帰って天気予報を見たら、こんな感じ。
見事に「Heavy Rain」が続いています。
日曜日のうちの町の花火もどうなるでしょうか?
その後も、蒸し暑くて、雷雨の多い夏となりそうです。
今日は昼の12時のチェックアウトの時間ぎりぎりまでのんびりして、
プールに入ったり、ゴロゴロしたりして、
(朝はばっちり5時半に目が覚めましたが・・・)
そのあと、MITやHarvardという名門大学、
Chinatownや本拠地のFenway Parkを含めて、敵地視察をしてきました。
でも、カミングアウトすると、ホントのところ、ちょっと心惹かれているかも・・・。

なんだか、自分の育った東京の下町に通じるものがある感じがして・・・。
同じにおいがするって言うか・・・。
水のある風景でしょうかね。
それから、今回、こんなモノが売られているのに気付きました。
でも40ドル。
「ちょっと高いよねえ。ネットでもっと安く売られているんじゃないの?」と
調べてみましたが、そんなもんですね。
ちょうど最近サキがチェスに目覚めているので、いいかも。
 
やっと追いつきました。
今日の聖書。

今日はコリント人への第一の手紙2章1-16節。

「この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです」13節。


結局のところ、聖霊様をいただくこと、
聖霊様に従うこと、聖霊様に満たされることがどれほど大切なことかと思わされました。

もうそこでは人の知恵とか、教えられるとか、そういうことを超えて、
神様のことが見えてくる、神様の導きが見えてくるのだと。

自分もどれだけ常識とか、知恵とかに縛られているだろうかと思います。
真剣に祈り、神様に聞き、それに従って歩む者でありたいと思います。

主よ、
聖霊様を求めます。
どうか、私の内にあふれ、あなたのみ業をなしてください。
そして、私に教えてください。
あなたの御心を示し、
あなたの愛を満たしてください。

十字架を語る。

7月4日は独立記念日の休日。
今日は全国的にお休みの日です。
Paramusの町の花火は7月6日だそうです。
ここら辺は日曜日はショッピングモールが休みなので、
ショッピングモールの隣のグランドで花火を上げるうちの町にとっては、
それがちょうどいいんでしょうね。
明日の朝は祈り会。
今日は早めに帰って・・・と言っても9時半でしたが・・・
明日に備えます。

さて、昨日の聖書。
昨日はコリント人への第一の手紙の1章18-31節。


「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」22-23節。

人の求めるものが、神様から「語りなさい」と与えられることと違うことがどれだけあるでしょうか?
それは本当にストレスです。
でも、人の求めることを語っていたら、それは伝道者失格です。
そして、それは本当の愛ではありません。

届くことを語りたいという思いはあります。
でも、それが人間の小賢しい考えに寄ってであってはならないのです。
ただ、聖霊様がそのようにふれてくださるときに、
伝わっていく、それが大切なんだと思います。

ただただ、忠実にイエスの十字架を語り続けることなんですね。

「しるし」・・・私も求めます。
「知恵」・・・なるほどなあ、とうなるようなメッセージを語る人もいます。

でも、それらがキリストの十字架よりも大切になってしまうならば、
全然違うものになってしまうのでしょうね。

主よ、
私の中にもっともっとはっきりとイエスの十字架を刻んでください。
そして、いつもいつも馬鹿のようにキリストの十字架を語る者にしてください。
そして、そのとき、聖霊様、どうかひとりひとりの心に、
そのことが伝わるように助けてください。
いや、それはあなたの御手の中にあることです。
よろしくお願いします。

Fire Alarm騒動。

3日の朝のことでした。
泊まったところはもちろん朝食付きのところ。
それも、マフィンとシリアルとコーヒー・OJだけじゃなくて、
ちゃんとした朝食が付くところをねらいました。

そして、9時すぎに水族館に行くために、
あわてて朝の食事をしていたのですが、
途中で、ピピピ・ピピピと鳴っています。
私「ありゃ、これは誰かが火事を出したのかな、
しょうがないなあ・・・。」
サキ「サキの学校のfire drill(避難訓練)みたい」
のんち「こんな音で大丈夫なのかしら」
私「あんまり迫力ないねえ、Drew大学の寮の時なんか、
ワオン・ワオンで、すごかったよねえ。でも逃げなくていいのかな」
そして、しばらくして「あ、止まったねえ」なんて話していました。

さらにしばらくしたら、マネージャーらしき方が、つかつかと近寄って声をかけてきました。
「あの、406号室にお泊まりですか?」
私「あ、はい」(ちょっとどきっとする)
マネ「先ほどのfire alarmですが、お持ちのvaporizerが煙探知機の下にあったので鳴ってしまいました。場所をずらしておきましたが、くれぐれもご注意ください」
私「あ、そうでしたか、申し訳ありません。・・・」

んー、vaporizer(加湿器)は持ってきていません。冬じゃあるまいし・・・。
じゃなくて、rice cooker(炊飯器)でした。(爆)

かきごおり家はこのような時にはほぼ毎回炊飯器とお米を持って回り、
朝ご飯を炊いて、昼はおにぎりでランチ代を浮かします。

今回も例外ではなく・・・

お米を洗ってスイッチを入れておいたのでした。

でも、こんなことは一度もなかったのですが、
たまたま、おいたところか悪かったみたいですね。

でももちろん、「vaporizerじゃなくてrice cookerですよ」なんて野暮なことは言いませんでした。
やぶ蛇になっても困るので・・・。


教訓・・・ホテルの部屋でご飯を炊くときは煙探知機の場所を確認してからにする。

さて、2日(水)の聖書。
2日はコリント人への第一の手紙1章17節。
「キリストが私をお遣わしになったのは、バプテスマを授けさせるためではなく、福音を宣べ伝えさせるためです。」17節。

なんだか、もう一度自分の使命を再確認されました。
もちろん、バプテスマを授けること、
そして、クリスチャンの成長のための道のりを共に歩むことも大切な使命だと思っています。
そして、それをどれだけ自分が願っているかと思います。

でも、それが許されないケースもある。
たとえば、福音を伝えたり、救いへの導きをさせて頂いたり、
そこまでは役割を与えられていながら、洗礼は他の方が授けたり、
教会は他の教会に導かれたりすることもある。

それでも一つの使命を果たしたのだと。
そしてそれを感謝しました。

それが本当に大切な使命の一つなのだと。

これからもこの働きを第一にしていきたい、
福音を伝えることを必死にしていきたいと思いました。

主よ、
私も福音を伝えるために遣わされています。
どうか、福音を伝える者としてください。
そして、その後の洗礼や弟子訓練の道が閉ざされたときにも、
あなたの平安が私の心を満たしますように。
すべてをあなたにゆだねることができますように。

Holinessに招かれている!

先日、JCCNJの礼拝にも来てくださり、
我が家にも滞在してくださったはちこさんとぼぼるさんの教会の牧師さんは、
1週間の個人的なリトリートに行かれたと言うことです。

記事はこちら


そして、それが自分の弱さを認めて、
問題が起こる前に、問題が起こりそうになる前に、
整えるべきものを整えるためだと・・・。

本当に大切な姿勢だと思いました。
このような施設が日本語でもあればと思いますが、
英語でもいいから、このような働きのお世話になりたいと思いました。

牧師研修会を昨年から李先生が企画してくださっていますが、
次回は今年ではなく来年だそうです。

それも牧師がたくさん集まり、
励まし合い、共に祈ることもすばらしいことだと思いますが、
個人的にただ自分と神様との関係を問い、
また夫婦の関係を考える時はとても貴重だと思いました。

でも、実際のところ、そのような働きを利用できるのは、
だいたい、子供が大きくなってからですよね。
本当にそのような働きの必要を切実に感じるのは、
子供が小さいときなんですがね・・・。

何とか今の状況の打開のために、
次の世代の働き人のためにも、
私のできることはないだろうかと、
思わされるこのごろです。

さて、火曜日の聖書。
火曜日は新しく、コリント人への第一の手紙を読み始めました。


「To the church of God in Corinth, to those sanctified in Christ Jesus and called to be holy・・・」2節。

いつも新改訳聖書とNew International Versionの対訳の聖書を読んでいるのですが、今回は特に英語の"called to be holy"のフレーズに心が留まりました。

私たちはきよくなるように招かれたのです。
きよい者となるようにと呼ばれているのです。

救われて、それでいいというのではなく、
救われて、きよい者となるようにと招かれている。
そのことが今回は決して重荷ではなく、
わくわくするような、
楽しみになるようなこととして受け止めることができています。

主は私たちをきよくしようとされている。
そのためにいろんなことを与えてくださっている。
それに心から感謝します。

主よ、
あなたの招きに感謝します。
あなたが私をholinessに招いてくださっていることに、
心から感謝します。
どうか、あなたの思いのままに、私をきよめてください。

海に癒される。

3日の敵地は暑い一日でした。
そして夕方には激しい雷雨。

NYは雷雨は免れているようですね。
でも試合の間1回くらいは雨にやられるのでは・・・と思いましたが、
結局大丈夫だったみたいですね。
でも、結果は完敗だったみたいで・・・。

今日は「鯨見物」に行ってきました。
水族館から高速船に乗って1時間あまり。
沖合の鯨が夏を過ごすポイントまで行って、
そこで30分あまり鯨見物。
結構たくさん集まっていました。
あっちこっちで潮を吹いて、顔を出したり、尾を出したり・・・。

なかなか楽しかったです。

でも、向こうの方に見える船の前では、
鯨が全身ジャンプを2回していました。
まるでテレビや写真で見るような見事なジャンプ。
これはホントうらやましかったです。

でもいずれにせよ、行ってよかった!という経験でした。


今回わかったのですが、
私はかなり海が好きみたいです。
船に乗っているとき、
港の桟橋を歩いているとき、
本当に心がリフレッシュされるのを感じました。


元気をもらいました。


さて、月曜日の聖書。
6月の最後の日はサムエル記第一の最後。31章でした。

「サウルは、道具持ちに言った。『おまえの剣を抜いて、それで私を刺し殺してくれ。あの割礼を受けていない者どもがやって来て、私を刺し殺し、私をなぶり者にするといけないから。』しかし、道具持ちは、非常に恐れて、とてもその気になれなかった。そこで、サウルは剣を取り、その上にうつぶせに倒れた。」4節。


サウルは最後まで自分の運命を自分で何とかしようとしたのです。
すべてが神の御手の中にあることを認めようとしないで、
ぺりして人になぶり者にされるのを恐れて、
自ら命を絶ったのです。

自分もどれだけ、自分のこれからのことを、
自分の手の中に納めようとすることが多いかと思わされます。
そんなことをはあり得ないのに、
何とか自分の手の中に納めようとするのです。

本気で主を信頼して、
本気で主がなされることを最高のこととして、
受け入れて歩んでいく者でありたいと思いました。

主よ、
あなたの御手を信頼します。
あなたがいつも最高のことをしてくださることを信頼します。
どうかその気持ちが揺るがないように守ってください。
どこまでもあなたを信頼して歩む者としてください。

敵地視察。

結局一回も更新できませんでしたが、
ネットにつなげられないだけで、
原稿はあるので一気に更新。


3日から宿敵がNYに乗り込んでくるにあたって、
2日から敵地視察に行ってきました。


午後3時半頃には投宿。予定ではもっと早く着くつもりでしたが、
途中大事故があって大渋滞で、1時間くらい余計にかかりました。
たくさんベコベコになった車があって、
大変だなあと思いました。
中にはやはりせっかく休暇を取って来られている方もおられたでしょう。
またその先にはソファーが道の真ん中に落ちていました。

気をつけなければいけないなあ、と思います。

今回ちょっと郊外のホテルがクレジットカードのポイントのプロモーションで取れたので、
ただで泊まって、途中まで車で行って安く駐車。
そこから電車で市の中心地に入りました。

とてもきれいな町並み。
そして、港。
今から10年以上前に、
Cape Codにキャンプをしたときにちょっと寄っただけだったのですが、
そのときはあちらこちら工事中でやたらごみごみしていて、
やたら駐車料金が高かった思い出があるのですが、
今回は一発で好きになってしまいました。

やばいかも・・・。

Quincy Marketでクラムチャウダーを食べ、
港までぶらぶら歩き、すっかり観光客をしてしまいました。

さて、今日は日曜日の聖書。
日曜日はサムエル記第一30:21-31でした。

「兄弟たちよ。【主】が私たちに賜った物を、そのようにしてはならない。主が私たちを守り、私たちを襲った略奪隊を私たちの手に渡されたのだ。
・・・戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。共に同じく分け合わなければならない。」23-24節。


主によって与えられたモノを分かち合う心。
その大切さを思わされました。
神様から与えられたのだから・・・。

私たちはすぐ「自分で稼いだのだから・・・」
「自分でがんばったのだから・・・」と思ってしまうんですね。

でも、本当はそうではない。
神様が与えてくださった。
神様が託してくださった。

そう思うと、分かち合うことができる。
もっともっと気楽に分かち合うことができる。

「受けるよりも与える方が幸い」

もっともっとこのことを経験させていただきたいなあと思います。

主よ、
あなたがいつもいつも必要を与えてくださっていることに感謝します。
どうか、あなたの与えてくださったモノを
もっともっと喜んで与えることを経験させてください。
分かち合う喜びを与えてください。

2008-07-01

主によって奮い立つ。

今、夜の11時前。
なんだか、さわやかな風が入ってくるようになりました。
気温は順調に下がってきています。
今、外は22度。熱帯夜だとこの時間でも30度くらいありますからね。
助かります。
明日の朝は15度くらいまで下がって、気持ちのいい朝になりそうです。
さて、今日2回目の更新。
これは土曜日(6月28日)の聖書。
「日々のみことば」は実は今日から新約聖書、コリント人への第一の手紙に入りました。
忘れないうちに・・・と思います。今日は私は英語のNIVのcalled to be holyが心にとまりました。
詳しくは次の次の次の更新で・・・。

さて、土曜日はサムエル記第一30:1-20。

「しかし、ダビデは彼の神、主によって奮い立った。」6節。

落ち込んで泣き、嘆いていたダビデとその部下たち。
でも、ダビデはいつまでもいつまでも嘆いていたのではありませんでした。
決して嘆くことが悪いことではないでしょう。
でも、ダビデはある時点で神様から力をいただいて立ち上がったのです。

神様の励ましをいただいて、
神様の癒しをいただいて、
神様のおしかりをいただいて、
立ち上がることがどれほど私たちにとって力になるでしょうか?

私自身、賛美を歌いながら、立ち上がる経験を何度したことでしょうか?
賛美の中で、語られて、奮い立たせられて、
立ち上がったこと、どれだけあったことかと思います。

みことばによって立ち上がったことも何度もありました。

人の言葉もありがたいモノです。
でも、私自身のことを言うと、
人の言葉で考えさせられたことがあったり、
慰められたことがあったり、
存在自体に励まされたり、
絶対人の存在は必要なんですが、
でも、最終的に「奮い立たせられる」となると、
これはもう聖霊様の働きしかない、
神様が賛美やみことばや祈りの中で語ってくださる、
それしかないなあと思います。

主によって奮い立たせられる、
その経験をもっともっとさせていただきたいです。

主よ、
みことばによって、立たせてください。
賛美の中に語ってください。
聖霊様によって奮い立たせてください。
どうか、あなたの力を経験させてください。

一日が早い・・・。

明日から休暇をいただいていて、
July 4thまで3連休なので、
(ふつうの方は金土日と何もしなくても三連休なんですね・・・)
今日のうちに追いついておこうと思っていたのですが、
あっという間に一日が終わってしまいました。


7月の説教計画を準備していたり、
弟子訓練のテキストを翻訳していたり、
日曜日の説教の準備も・・・と思っていたのですが、
手つかずです。

休み中にちょこちょこ準備していこうと思います。


更新もできる範囲でやっていこうと思います。


夕方、日が傾いてから庭掃除。
ハジに芝刈りと生け垣の刈り込みどっちがいい?と聞いて、
芝刈りを取られたので、刈り込みをしていました。
全然終わらないうちに8時。


ま、それだけ充実していたということで・・・。


天気は暑かったです。
でも、湿度はちょっと下がったかな。


今のdew pointは61度。昨日よりちょっとだけ下がりました。


さて、先週の中高生のキャンプですが、
私自身もいろいろなことを語られました。


今回は講師の李先生がヨセフの生涯から語ってくださいました。
ヨセフは17歳で兄弟たちに売られてエジプトの奴隷となります。
でも、そこで本当に忠実に働いて、
主人に認められます。


でも、彼がいい男だったので、
主人の妻は彼に言い寄ります。
でも彼は断固として拒否。
ある日、二人きりになったときに、強引に彼女は彼に言い寄りますが、
彼に拒否されて、捕まえていた上着を証拠に、
「ヨセフに襲われそうになった」と嘘をつくのです。

ひどいぬれぎぬです。

自分がそんなぬれぎぬを着せられたらどんな気持ちがするだろうか、
どんなに悔しい思いがするだろうかと思います。

その手のぬれぎぬは決して着せられないようにと

細心の注意を払ってきたつもりです。
それと、自分の弱さの中で守られるためにも・・・。


ヨセフもそうだったんだろうと思います。
でも、それでも、着せられた濡れ衣。


主人にもわかってもらえなくて、
今までまじめにやってきたのに、信頼してもらえないのかと、
どんな悔しい思いがしただろうかと思います。


でも、ヨセフは人生を投げなかった。
嘆いて過ごさなかった。


ただ、主の前に真実に歩んだ。


そのような歩みをする者でありたいと思いました。

さて、金曜日(6/27)の聖書。
サムエル記第一29:1-11でした。

「私が何をしたというのでしょうか。」8節。

ダビデはこのとき、嘘をついていました。
うそをついていると、その嘘がばれないように、
また次の嘘をつくようになります。

本当にここのダビデの行動は納得いかないモノがあります。
でも、おそらくそれは自分がダビデを理想化しているのだと思います。

自分がこの状況に置かれたら、
どうだろうかと思うときに、
果たして自分はダビデを批判できるだろうかと思います。

真実に生きたいと思います。
嘘に嘘を重ねるような歩みではなく、
真実な歩みをさせていただきたいです。

主よ、
私の歩みをお守りください。
あなたの前に、また人の前に、
真実な歩みをさせてください。
真実に歩むことができるように、
私の歩みを守ってください。

2008-06-30

音楽の力。

今日も昨日ほどではなかったですが、
まだ蒸し暑かったですね。

この時期暑さをはかるために、
気温の高さと共に大切なのが、
dew pointです。
日本語では露点といいますが、
つまり今の空気を冷やしていった時に結露する気温。
それが空気中の水蒸気量をはかるスケールになります。



昨日の朝はラジオで言っていたのが72度F。
つまり、23度くらいで結露してしまいます。
単純に言ってしまって、
昨日の朝の空気を23度まで冷やすと霧が出るということ。


これはかなり水蒸気量が多い。


今は62度です。

まあまあです。


明日も今日と同じような天気。
ちょっと暑く感じるでしょう。


さて、昨日のHongo Familyをお迎えしてのコンサート。
本当にすばらしかったです。
Mr. Hongoの音楽の才能はまたすばらしいのですが、
それだけのことを超えている人を動かす力があります。


奥様もとても楽しい方。
息子さんはアメリカのトップ3と言われる大学全部から入学許可をもらった
天才児ですが、そんなことは言われなかったら全然そんなことわからない、
穏やかな、楽しい、暖かい、息子さんです。


ホント、私は確信するのですが、
音楽は人の心動かす力があるのですが、
単に整った音楽がそうなのではなくて、
人格に結びついて、その内面から流れ出るモノが人を動かすんだと。


だから、思いきっていってしまうと、
音楽は「手段」なんでしょうね。

その人の内側にあるモノを、周りの人に伝える「手段」。
そしてそこには、言葉が持っている力、アートが持っている力とは、
また違う力がある。


昨日のコンサートは本当にその力を感じた一時でした。

さて、先週木曜日、6月26日の聖書。
聖書箇所はサムエル記第一28章3-25節。


「サウルはペリシテ人の陣営を見て恐れ、その心はひどくわなないた。」 5節 。

サウルは何度も勝利を得ていたのに、
このとき、恐れにとらえられていた。 
それは状況の厳しさ以上に、
神様との関係であったと思う。
そして、神との関係を失ってしまったサウルが頼るのは、
霊媒であり、死んでしまったサムエルの霊だった。


昨日のコンサートでも語られていたのだけれども、
私たちの問題が大きいと感じるとき、
神様が小さく見えてしまうことがある。

でも、本当はそんなことはない。
神様はこの世のどんな問題よりも大きな方。


問題の中でも、そして、問題に出会う前にも、
神様と共に歩んでいく、
神様との関係の中に歩んでいく、
その大切さを思わされる。

主よ、
この世の中にはあなたよりも大きな問題はありません。
でも、私たちはあなたにもどうにもならない問題があるかのように
勘違いしてしまいます。
どうか、あなたの関係の中で、
あなたが共にいてくださる、という平安の中で歩む者としてください。

2008-06-29

晴れましたねえ。

今日はちゃんと晴れました。
野外礼拝もばっちりでした。
子供を入れて100人以上の方々が集まって、
楽しい一時を持ちました。


でも、午後には雨。

私はちょうど夕方からのコンサートのゲストを
迎えに行っていたので、お迎えに行ったJersey Cityで降られて、
ちょうど、お乗せしているときが、

雹混じりの滝のような雨でした。

それから20分後くらいだと思いますが、
野外礼拝の公園も雨にやられました。


野外礼拝の写真はこちらですが、
その最後に雨の中でテントが崩れていく図があります。

皆さんのご奉仕に心から感謝です。


夕方のコンサートのことを含めて、
「日々のみことば」は明日こそ、アップします。

 

無事帰還。

今日、無事帰還しました。
中高生のキャンプは李先生のメッセージには励まされ、
中高生の証には教えられ、
中高生の姿に元気をもらい、

ちょっと、バレーとか、サッカーとか、卓球とか、腕相撲とか、夜更かしとか、
まともに張り合ってしまったので、さすがに疲れました。

2時頃には帰ってきたのですが、
そのまま教会で中高生の集まり。
その後シャワーに帰ってきて、すぐに男の弟子訓練クラススタート。

先ほど一段落して戻りました。

今日は野外礼拝です。

雨も大丈夫だと思います。

「日々のみことば」の更新は今夜・・・できるかな。