2010-06-24

まあ、皆さん、考えてもみてください。

みなさんだったら、どうしますか?
自分が牧師をしている教会の祈り会に、
タイガーマスクをして、外そうとしない人が入ってきたら。


付き人も見ず知らずの人で、
ただ、「教会の集会に来たかったんです」
「彼は、メキシコから来ていて、日本語や英語はほんの少ししか話せない」
なんて言ってみたり、
タイガーマスクは牧師の隣りに座ったのに、
付き人は「いや、実は余り、ぼくら仲が良くないので・・・」と
離れて座る、なんて挙動不審だったりしたら・・・。


それも平日の午前中の集会、
自分以外はみんなご婦人。


どうします?


付き人が「尾尾尾です」と本名を名乗ったから、
「あああ、あのパスターマックの・・・」と、
安心しましたけどね。


でも、結局タイガーマスクは最後まで覆面外さず・・・。


のんちなんて、「ここでは、覆面外していただかないと・・・」みたいな強気+常識的派牧師夫人的態度に出たので、20年ほど前に教会で結婚式に来たデーモン小暮閣下(ホンモノ+フルメーク)を見たことがある私は「いや、こういうのはいろいろ事情があるんだよ。この場の責任は僕にあるから、僕に任せて・・・」なんて偉そうなことを言いましたが、もしかしたら、「覆面強盗」だったりするかもしれないわけで、パスターマックのブログがなければ、絶対ヤバかったですね。




でも、一緒に祈って、一緒にお昼をいただいて、
幸いなひとときを過ごしました。


そんな中で、実は、何日か前のこのページにこんな記事があったことを教えてもらって、
「ああ、ちゃんと毎日チェックしていたら、ツッコミどころがわかったのに!!!」と地団駄踏んだことでした。(ここのアトランタの教会というのは、ハジがいつも行っている教会らしい・・・献くん大丈夫だったかなあ・・・)


はい、全国各地、全米各地のみなさん、ご注意下さい。そちらの教会にもきっと出没しますよ!


そうそう、今日は暑かったですね。
そして、午後には土砂降りの雨が降りました。


夜になって、やっと涼しくなってきたでしょうか?
12時前ですが、25度くらい。
明日はカラッと晴れるみたいです。


さて、今日の聖書。
今日はガラテヤ6:1−10。


「善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」9節。

単純に善を行なおう。
どんなことがあっても、
どんながっかりするようなことがあっても、
どんなに悔しい思いをしたとしても、
本当に善を行う者でありたい。

「善を行うことに飽いてはいけません」

きつい一言です。

でも、約束があります。
主が報いてくださる。

だから、単純に善を行っていこうと思います。

日々に自分の道が明らかにされていると思わされます。
主がさらに御手をもって、私のゆく道を引いてくださいますように。

主よ、
あなたを信頼します。
あなたを信頼して、善を行う者であり続けられますように。
善を行ない続けることができますように。
単純な者であることができますように。

2010-06-23

わたしの弱さをも。


暑かったですねえ。
ほんとうに・・・。
夜も、昨日までのようには涼しくなりません。
夜の11時を過ぎて、やっと25度を切ってきました。

今日はNYの日。
ランチはダウンタウンでした。
写真の真中に自由の女神様が立っているのがわかるでしょうか?
川べりはちょっと涼しかったです。

明日もまた暑いみたいです。
今年一番かも。

世の中は新型iPhoneの発売で盛り上がっているようですが、
「とりあえず」2年前の3Gのシステムをアップデートしました。
iOS4というやつ。
古い機種なので、いろいろ制限があるようで、
目玉の「マルチタスク」とか、「壁紙を変える」とか、
楽しいことができないのは残念ですが、
新しい機能として、アプリ用のフォルダを作ることはできます。

たとえば、下のように「聖書」のフォルダをまとめることもできます。
左上の「聖書」はNIVという訳が無料で読める版。
下のPocketSwordは日本語の口語訳聖書がパーフェクト。
(他のは詩篇が読めなかったりする・・・)


3G の人はそれほど恩恵がないし、アップデートしない方がいいかも、と言われているのですが、自分的にはHappyです。

で、今日、ランチの時にある方とお話していて、
自分が牧師となるための学校にいく時のことを思い出していました。


「わたしの力はあなたの弱いところに完全にあらわされる」という言葉が心に新しく与えられました。昨日、焦点が絞られてきた祈りの課題に、主が答えを持っておられたことに、心から感謝しました。

さて、今日の聖書。
今日はガラテヤ5:13−26。

「もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではないか。」25節。

聖霊様の導きに従って行く。
その細い声を聞いていく。
そして、そのように答えて行く。

その時に、私たちは罪から守られ、
生活が変えられて行く、という。

本当にそのように歩みたいと思わされました。

主よ、
単純に思います。
私自身を御霊によって導いて下さい。
御霊によって歩ませて下さい。
わたしの霊の目を開いて、道を見せてください。
あなたの導かれる道を見せてください。

2010-06-22

どのように紹介する?

今日も暑かったですね。
夜になって雷雨もあって、
気温も20度そこそこに下がってきています。


明日も暑いようです。
まあ、でも、華氏で90度そこそこに収まっているのですから、
よしとしないといけないですね。


年によっては、100度くらいまで上がる日もあります。
南部の方はそれくらい上がっているようです。
お体は大切に。


今日の集会では、
「今の時代、どのようにイエスを紹介すればいい?」
という話になりました。


ヨハネによる福音書の1章の最後の方を読んでいたのですが、
みんな、「旧約聖書で予言されていた救い主に会った」とか、
「メシヤ(キリスト)に会った」とか、
紹介しているんですよ。


でも、それは2000年前のユダヤの文化の中だったから伝わったこと。


今、日本の文化の中で同じふうに話したって伝わるわけはありません。


どうすればいいんでしょうかね。


自分にとってはイエスは「解放者」なので、
「自由を与えてくれる方」と紹介したいかな。


多くの人には「自分は十分自由だし・・・」と言われるかもしれませんが、
(ヨハネによる福音書の中では、当時のユダヤの人達もそのように反応していました)
いつか、「自分は何かにとらわれているなあ」と思ったときに、
思い出してもらえればいいのかも・・・と思います。


さて、今日の聖書。
今日はガラテヤ5:1−12。


「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。」1節。

そうなんです。
キリストは私たちを自由にしてくださる。

だのに、また、私たちはいろんなものに囚われ始める。

今夜、妻と時間を作って話しをしている中で、
自分が囚われてきたものが見えてきて、
見えてきたら、そこから解放され始めていることを感じる。

囚われているときはなかなか自分では分からない。
わかることは解放されることの第一歩。

でも、それはいつも神様の御業。
神様の愛のゆえに、私たちは自由になる。

本当に感謝しつつ歩んでいきたい。

主よ、
あなたの解放の御業に感謝します。
あなたの愛のゆえの自由に感謝します。
どうか、あなたの愛の中に生きるものであることができますように。

2010-06-21

きょうだいのふくざつさ。

今日は暑かったあ。
33度くらいまで行ったでしょうか?
久しぶりの献血をしたからか、
ほんとしんどかったです。


夜になって、ちょっと楽になってきました。
今、9時40分で、25.3度。
東京だったら、こうは行かないだろうなあ、と。


昨日の礼拝前の成人科クラス。
私のグループでは、創世記を読んでいます。
キャッチフレーズは「初めて読む創世記」
昨日は4章。
カインとアベルの物語でした。


そう、「きょうだい」の物語。
きょうだいがいるのはありがたいことなんですが、
きょうだいだからむずかしい、ということもあるんですよね。


昨日はそんな話を分かち合いました。
ロビーでやっているので、
ロビーでくつろいでいた傍聴者にも質問したら、
いろいろ出てきて、ほんとに面白かったです。


きょうだいについては、
W杯サッカーの日本代表のメンバーについて、
それからジャニーズのメンバーについて、
聖学院の藤掛先生が興味深い分析を・・・。


自分も2年前にこんな紹介をしていました。


まあ、アベルとカインには直接関係ないかもしれませんが、
きょうだいというのは、不思議な力関係の中で育っていくものみたいです。


聖書のポイントは、そんな中で、「ねたみ」や「憎しみ」「怒り」を持つようなことがあるかもしれない、そういう時にどのようにそれを「治める」か、それが大切なのだ、ということなんだろうと思いました。


毎週「今日は参加者がいるだろうか?」みたいな感じでやっていますが、
いつでも、どなたでも歓迎です。
特に「創世記を初めて読む」方大歓迎です。
12時半から教会ロビーで。


他に「黙示録を読む」「英語でコリント人への手紙を読む」「一緒に祈る」というグループもあります。


さて、今日の聖書。
今日はガラテヤ4:21−31。


「しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もその通りです。」29節。

私たちが福音によって生きようとするときに、
そこにはかならず軋轢がおこる。
それをおそれなくていい。

それが自分がなにか間違っているからだと思い込まなくていい。
(まあ、そういう時もあると思いますが・・・)

どんな中でも、真実に主の前にひれ伏して、
主の守りの中で歩く者でありたいと思います。

それさえ、外さなければ、堂々としていていい、
そのように思わされます。

主よ、
御霊によって生まれさせて下さってありがとうございます。
御霊によって歩ませて下さい。
恐れにとらわれることがありませんように。
真実に歩む者でありますように。

暑い夜。

でしたねえ。
9時頃、帰ってきたら、28度くらいありました。
その後、気温は下がって、
今、夜の12時半で、23度。
これくらいになると楽になってきます。


今日も暑いです。
30度を超えそうです。


さて、昨日はJOYJOYシンガーズが礼拝賛美をリードしました。
まだ、教会のHPには写真がアップされていないみたいですが、
元気よく賛美してくれました。


今までは、礼拝ではなく、他の場で歌ってきたのですが、
やはり、目標は、みんなから拍手を受けることではなくて、
礼拝の賛美をリードすること。
聞いている人たちが、
一緒に歌いたくなるようなグループ、
神様の素晴らしさを感じないではいられないグループを目指しています。


これからしばらく夏休み。
ちょっと寂しくなります。


あ、それから昨日は父の日。
朝一番に日本に電話しました。
まあ、日本はもう夜ですが。
元気そうでした。


その前、朝の祈りの後に、親父が数年前に出版した自伝を読んでいました。
(え、Amazon.co.jpで、自費出版の本も買えるわけ?)
今から50年以上前、牧師になると郷里の出雲から東京に出て行くあたり。
どんな思いで出て来たのかなあと。
信仰を持って数年で、神様の導きに応えることと、周りの期待に応えることの狭間で、
真実に主に従って歩んだ親父の姿を本当に誇りに思います。


その親父がいたから、今の自分があるのだと、
心から感謝しました。
この場でも、感謝を表したいと思います。


親父さん、あなたの決断に感謝しています。


自分も、何十年も経ってから、「あなたのあの時の決断に感謝しています」と言われるような、真実な歩みをさせていただきたい、本当にそう思います。

さて、昨日、日曜日の聖書。
ガラテヤ4章12−20節。


「私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。」19節。

わたしのためにも産みの苦しみをされている方もいるだろう。
でも、今日は、正直なところ、
自分の産みの苦しみを思わされた。

キリストが人々の中に形造られる。
生意気かもしれないけれども、
本当にそのことを祈らないではいられない。

そして、自分はそのためにこれからも労していくのだと、
本当にそう思わされた。

いわゆる日本的な謙遜で「そんなこと、おこがましい」なんて言うのはやめよう。
私も本当に祈っている。
一人ひとりが神様によって、整えられることを。
主のみかたちがひとりひとりのうちに造られることを。

主イエスよ、
どうか、ひとりひとりのうちに、
キリストの形が造られますように。
イエスの愛と恵みに満たされて歩むことができますように。