今朝はぐっと涼しく、すかっと晴れて、さわやかな朝を迎えました。
冬は「寒いから・・・」、夏は「暑いから・・・」、春は「花粉が飛んでるから・・・」といろいろ理由をつけて、ご無沙汰していたジョギング、昨日始めて、今日筋肉痛なのは、喜んでいいのか悪いのか・・・。
でも、昨日の寝る前から、走るのが楽しみでした。
元々、自分にとって走ることは、訓練でしかなく、楽しいものではなく、あんまりやりたくないけど、さすがに運動不足で、やらないと・・・というものだったのですが、今朝は、「楽しみ」にしている自分がいて、走りながらも「楽しんでいる」自分がいました。
楽しみにしていたら・・・遠足の日の子供のように、早く目が覚めて、その前に、昨日の夜も、すべてを早く済ませて、早く寝たい、と思っていて・・・とすべてがいい循環になっていくんですね。
お祈りもそうだと思いました。
義務で15分座って祈っていなければ・・・と思っていると、それは辛い。
訓練だから・・・と言っても、そういうことを喜びにできる人はいいけど、自分はそういうのが苦手。そして、どうしても他のことが優先されて、後回しになってしまう。
もちろん、ながーいクリスチャンとしての歩みの中では、そういうときもあるだろうし、そういう「訓練」的な見方も必要なのかもしれない。
でも、神様と共に歩むこと、神様とともに過ごす時間の尊さ、楽しさ、もっと知ることができたら、と思います。
これはジョギングのあと、Instagramという最近Facebookに買収されたiPhoneアプリで撮った写真。昨日はどうしてもうまくいかなかったけれども、今日は花びらが開き始めて、いい感じ。そして、素の写真よりも、Instagramの効果がいい感じ。
そして、一日さわやかないい天気でした。
この先も日曜日くらいまでいい天気が続くようです。
さて、今日の聖書。
今日は歴代志第一17:1-15でした。
「ナタンはダビデに言った。『あなたの心にあることをみな行いなさい。神があなたとともにおられるのですから。』その夜のことである。次のような神のことばがナタンにあった。」2−3節。
朝令暮改という言葉がある。
誰も、朝言ったことが夜変わっていることは気持ちがいいものではない。
一度言ったことを撤回するのもみっともない。
振り回される方も大変だ。
預言者ナタンが王ダビデに「神のために神殿を建てたい」と言った時に、ナタンは「神があなたと共におられるから、ぜひやったらいいでしょう」と答えました。でも、その夜に神様はナタンに、昨日の言葉を撤回しなさい、ダビデが建てるのではない、と言われるのです。
ナタンはどんな気持ちだったかなあと思いました。
みっともない。
かっこわるい。
みんな、自分を信頼しなくなるんじゃないか。
言うことが変わるのはよくない、そんなことを言われるのではないか。
何よりもダビデが「なんだ、昨日はいいって言ったじゃないか」と切れるのではないかと思ったかもしれません。
でも、ナタンは神様に従いました。
自分のメンツや、人々の期待や、そんなものに振り回されない事の大切さを思います。
主よ、
あなたに従う者とならせてください。
人がどう思うかではなくて、あなたに従う者とならせてください。