2009-09-05

初めの愛に帰る。

今日は結構暑くなりました。
朝から15度近くありましたし、
昼間は29度まで上がりました。
そして、今、夜の12時頃ですが、まだ20度以上あります。


明日も晴れで、そこそこ暑くなりそうです。
でも、日曜日からはまた涼しいようですよ。


本格的な秋は再来週からのようですが・・・。
そこら辺には最低1ケタ、最高20度なんて予報が出ていますが、
さて、どうなるか。


いよいよ、明日から、ファミリー修養会です。
主がどんなに素晴らしいことをしてくださるか、楽しみです。
祈りつつ、待ち望んでいます。
世界各地からのお祈りのサポートもお願いします。


さて、昨日9月3日(木)の聖書。
エレミヤ2:1-8。


「わたしは、あなたの若かったころの誠実、婚約時代の愛、荒野の種も蒔かれていない地でのわたしへの従順を覚えている。」2節。

昨日も触れましたが、
昨日の朝、この聖書の言葉から、
本当に心が探られて、
悔い改めに導かれました。

主に対する真実、
妻に対する真実、
子供たちに対する真実、
教会の人々に対する真実、
地域の人々に対する真実、
本当にそこに生かして頂きたいと思いました。


自分の力ではない、
主の力が必要です。
主の奇跡が必要です。

そう、本当に悔い改めて、
一念発起で何かができるわけではない、
自分の弱さ、愚かさに気がついて、
主の力を求めないではいられない。

We need the Holy Spirit badly.
Brooklyn Tabernacleの
Jim Symbara師がよく言われる言葉。
今、思い出しました。
本当にそうです。

主よ、
あなたの前に、自分の最初の愛がどこに行ったのか、
あなたの前の誠実さに生きているだろうか、
問われました。
悔い改めます。
そして、私の自分の力ではどうにもならないものであることを認めます。
どうか、あなたの力を満たしてください。
あなたの奇跡が必要です。
あなたの力が必要です。
明日からの修養会で、更にあなたが触れてくださいますように。

2009-09-03

期待。

今日は昨日よりも朝の気温も高く13度。
昼間は27度までいきました。
今夜はもっと暖かく、10時半を過ぎて、まだ18度あります。


明日も秋と言うよりは夏のような一日となりそうです。


昨日着かれた修養会の講師の先生、
今日もゆっくりお話しをするときが与えられました。
韓国で牧師をされていた先生が、
言葉もわからない日本に伝道に来られた経緯をお伺いして、
本当に感動しました。
ほんとに、文字通り聞きながら涙があふれてきました。


先生と再会してから24時間ですが、この間に神様が私の内側にしてくださっていることを見ると、あさってからの修養会、神様が何か特別なことをしてくださるような気がしてきました。


昨日の夜、先生から、今礼拝に集う方々が230人くらいと伺っていますが、その中で、早朝祈祷会に来られる方々が毎朝30人くらいおられると聞きました。年に2回、「特別早天」をしているそうですが、それは1週間、教会の全員が来られることを願って、持っておられるそうです。実際は130人くらいの方々が毎朝6時にあつまられるそうです。
そんなことを伺いながら、今朝、また新しい気持ちで、6時に教会に行って祈りました。
その中で、悔い改めなければならないことを悔い改め、はっきりと主の前にすべてのことを口に出して告白して、祈りました。いつかこのことも具体的にお話しするときが来たら、分かち合いたいと思います。
その後、祈り終わって外に出たときの空の青いこと。
聖霊さまが働いてくださっているなあと思いながら、一日を始めました。


そんな一日、その日を終えるこの時間も感謝しています。


今日の夕方、ハジの大学からメール。
(「ハジから」じゃなくて「大学から」)
今、学生の中で200人がH1N1(swine flu)だそうです。
今、ジョージア州は一番感染者が多いそうです。


大学では「感染者はできれば家に帰りなさい」と言うことだそうですが、
ウチの子のように車で14時間の子はそれもできません。


それで、感染者用のスペースができたそうです。
「簡易隔離病棟」みたいな感じ?
もちろん、「強制隔離」はしませんよ~みたいな文章もありましたが、
この秋、壊す予定になっていた寮を、学長の決裁で壊すのを延期して、
感染した学生にはそこに移ってもらって、
他の学生への感染を最小限に留めるためだそうです。
ですよねえ。
大学の寮なんて、「感染広まってくださ~い」みたいな、環境ですからねえ。


幸い重症化した学生はいないようですが、
祈らされます。


さて、昨日の聖書。
昨日はエレミヤ1:11-19でした。


「さあ、あなたは腰に帯を締め、立ち上がって、わたしがあなたに命じることをみな語れ。彼らの顔におびえるな。さもないと、わたしはあなたを彼らの面前で打ち砕く。」17節。

はっきりと語らないと、あなた自身が裁きを受ける、と主はエレミヤに言われました。
これはまたすごいことですね。
本当に主に従うことの大切さを教えられました。

結局のところは主を畏れるのか、人を恐れるのかどっちか、ということでしょう。
主に従っていきたいと思わされました。
主が願われること、主が語りなさいと言われること、
主が導かれることを大胆に語っていくことができますように、
そのように祈らされました。

主よ、
あなたの導きに感謝します。
聖霊様の働きに感謝します。
どうか、あなたの導きに従順な者にしてください。
あなたの語られることを語る者とならせてください。

2009-09-02

講師の先生、無事到着。

土曜日からのファミリー修養会の講師の先生が無事到着されました。
ほんの2、3時間、お話ししただけなのですが、その中に、慰めあり、励ましあり。
本当に神様が送ってくださったメッセンジャーだなあと思います。


土曜日からのファミリー修養会。
ゆっくり、じっくり、一時を過ごしたいなあと思いつつ、
楽しみにしています。


さて、昨日の聖書。
昨日はエレミヤ書に入って1章1-10節。


「今、わたしのことばをあなたの口に授けた。」9節。

ちょうど、1ヶ月ぶりの集会を控えていた私には、
この神様が「あなたの口に私の言葉を授けたよ」という経験の必要性を思わされました。

そして、それを求めました。
神様が語ってくださる。
神様がメッセージを与えてくださったんだ、と言う確信と平安を求めました。
その中で、主が聖書の箇所を開いてくださいました。

本当に不思議な神様の導きに感謝します。
神様が語ってくださること、
与えてくださるみことばがあるときに、
私の中から恐れや不安は消え去ります。

これからも、いつもいつも、主に語って頂き、
主に示して頂き、そのことを分かち合っていく、
そのように生かして頂きたいと思います。

主よ、
あなたがいてくださるから、
あなたがみことばを語ってくださるからありがとうございます。
どうか、これからもあなたの語られることに耳を傾け、
あなたが語ってくださったことを分かち合っていく、
そのようなメッセンジャーにならせてください。

かきごおりのモデルデビュー。

今朝の最低は10.7度。
そして、昼間の最高は26.4度。
スカッと晴れたいい天気でした。
今は夜の11時前。また16.2度まで下がってきています。
明日の朝も11-12度くらいでしょう。


昼間はまた今日と同じように晴れて暖かくなりそうです。


さて、今日はまたクロッキー教室の日。
このクラスでは毎回誰かがモデルになって、
人物画を書きます。
7月には私も生まれて初めてモデルになりました。
この日の様子が指導してくださるアーティストの方のこのブログに紹介されています。
(ご本人は「隠れブログ」と言っておられましたが・・・)
そして皆さんの作品の写真も・・・。


8月はサキにもモデルをやらせてくださいました。


そして、今日のモデルは生まれてまだ1歳になっていない子。
でも、もう人見知りはするので、ちょっと不安になるとお母さんを求めます。


モデルをしてもらっている最中に不安になって泣き出してしまいました。
他の人が抱いてもなかなか収まりません。
でも、やっぱりお母さんが抱くと「ぴたっ」と泣きやむんですね。
親に対する絶対的な信頼。
私たちも幼子が母親を信頼するように神を信頼しなさいと言われます。


本当に母親の胸に安心して身をゆだねる赤ん坊のように、
神様を信頼することができるとは、何という幸せでしょうか。


さて、8月30-31日の聖書。
この2日間で詩篇の77篇を読みました。


「私のたましいは慰めを拒んだ。私は神を思い起こして嘆き、思いを潜めて、私の霊は衰え果てる。」2-3節。


「私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。」12節。

苦しみに沈んでいたこの詩人、
慰めを拒み、神を思うと嘆いていたこの詩人。
彼の思いが変えられていくきっかけは、
「主のなさったことを思いめぐらそう」ということでした。

神様がどんなに素晴らしいことを今までしてくださったか。

私たちはすぐに忘れてしまいます。

詩篇103篇に「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」とありますが、
なんと忘れやすい者でしょうか。

そして、目先の痛みや苦しみに心がふさがれてしまうのです。
だから、心を神様のしてくださったことに向けることは
どんなに大切なことかと思います。
「静か」な時を持つことがどれほど大切なことかと思います。

「静まって、主こそ神であることを知れ。」詩篇46:10。

主よ、
静まります。
すべてのことをやめて、あなたに目を上げます。
あなたの御手に目を留めます。
どうか、あなたのなしてくださった素晴らしいことを覚える時とならせてください。
試練の中で、困難の中で、嵐の中で、あなたご自身を見せてください。

2009-09-01

耳年齢、脳年齢・・・。

ちょっと前に、教会の若い子が、
耳年齢チェックをみんなにやっていました。


スピーカーとか、ヘッドホンとか、どれくらいのレンジで音を出すのかというと、
だいたい、20ヘルツから2万ヘルツですよね。
ちょっと安いので16000ヘルツまでなんて言うのがあると、
「なんだそれ・・・」とか思っていました。


でも、耳年齢を測るサイトに行ってみると、
もう、自分は16000ヘルツは聞こえません。
でも、その上の15000ヘルツは聞こえます。
これが聞こえたら耳年齢は39歳以下、
というわけですから、まあ満足しなければいけませんね。


それから、DSでブレイクした川島教授の脳トレですが、
iPhone版もそれほど高くない値段で出てきたので、
購入して脳を鍛えています。
今のところ、38歳。一度は33歳まで行きました。(ちょっと自慢・・・)


精神年齢はかなりオヤジみたいですし、
体力も体脂肪も老眼も実際の年齢よりもヤバイかもしれませんが、
そっち系も負けないように鍛えようかな、と思い始めています。


さて、8月29日(土)の聖書。
土曜日は詩篇の76篇でした。


「あなたは、あなたは、恐ろしい方。あなたが怒られたら、だれが御前に立ちえましょう。」7節。

やはり、そうなんですよね。
神様の前に畏れを感じる。
神の怒りの前では本当に私たちは立つことができない。

神様との親しい関係の中で、
いつの間にか甘えが出てきてしまって、
いつの間にか、何でも簡単に赦されるような気がしてしまって、
いることがある。

罪の深刻さがわかってこそ、
神の厳しさ、神の怒りの恐ろしさ、それがわかってこそ、
神のあわれみとイエスの愛がわかってくる。

神様の大きさ、神様の峻厳を忘れないでいたい。

主よ、
あなたの前にいつもいつも歩んでいくことができましょうに。
あなたの前の畏れをいつもいつも忘れることがありませんように。
どんなに深い愛の中にいるかを見失ってしまうことがありませんように。

みことばと祈りのために。

今日も朝はひんやり、昼間は晴れて気持ちよく・・・
というさわやかな日でした。でもやっぱり夜はまた寒いくらい。
今は9時過ぎですが、16度に下がってきています。


明日の朝はやはり10度ソコソコ。
天気もよくて、ちょっと汗ばむくらいになりそうです。


週末の修養会もとてもいい天気に恵まれそうな感じです。
朝晩は今夜(現地は6度の予報が出ています)ほどではないですが、
やはり寒さ対策は必要でしょう。


最近、牧会とメッセージとのバランスについて考えさせられています。
メッセージ、説教が牧師の働きの中でとても大切だと思うのですが、
それと共に一人一人の心の状態に気を配って(もちろん気がつかないことだらけですが・・・)、
声を掛けていくことの大切さも思わされます。


恩師の先生は「説教を通して、牧会をする」というスタンスでおられました。
200人くらいの人々が集る教会でしたが、
礼拝説教、みことばを語ることによって、
その一人一人が答えを見つけていく、
牧師が一人一人の状態に心を配って、サポートしていくのには
限界がある。そうすると、一人で牧会できる人数は決まってくる、
200人の人々に触れるのは絶対無理。
だから、一人一人が説教の中から、答えをもらえるように、
そういうクリスチャンを育てていくのだというような意味のことを、
おっしゃっていたと思います。


一つのあり方だと思います。


牧師になって、一つの教会を任されて12年。


そのように説教だけに集中することの素晴らしさも感じさせられますが、
それと共に、一人一人との交わりの中で、主を指し示していくことの大切さを思わされます。
しかし、その限界も感じます。
もどかしさ、難しさも感じます。


だから、やはり、みことばと祈りなんだと思います。
「そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」使徒6:4


一人一人が、神様から、みことばから答えを頂いて、
一つ一つの問題の中で、平安と守りを頂いていくことができますように。


さて、8月28日(金)の聖書。
詩篇の75篇でした。


「それは、神が、さばく方であり、これを低くし、かれを高く上げられるからだ。」7節。

やはり、これも神様の支配を思わされる言葉です。
高ぶる者たちの仕打ちで苦しんでいた詩人にとって、
神様がすべてを支配している、ということはものすごい救いだったと思います。
主がすべてを支配しているから、これもいつまでもは続かない。
この状態がいつまでも続くわけがない。
そのように詩人は信じることができました。

私たちの歩みにとっても同じです。
本当に主の支配をどこまで信頼しているかが問われていると思います。

信じます。信頼します。
神様がすべてを御手の中に置いてくださっていることを。
ですから、恐れません。不安に思いません。
大丈夫。あのエリシャの町を包囲した天の軍隊を思い出します。

神様、
あなたを見上げます。
あなたの支配を信じます。
たとえ傲慢な者たちが跋扈して、
すべてを思いのままに動かしているように見えても、
実際に世界を動かしているのはあなたです。
ですから、私は恐れません。
あなたの御手の中に、私の安全も平安もすべてゆだねます。

神の支配を信頼する。

今日から少しずつ、教会のプログラムも
夏休みモードから通常のモードに戻っていきます。
明日から子供たちも学校が始まります。

ハジの大学のほうは先週の木曜日から始まって、
話に聞いていた大学の教科書のべらぼうな高さにはびっくり。

15年前自分が勉強していたのは
Graduate Schoolだったのですが、
そんなことはなかったんですがねええ。

まあ、そんなことでこちらの「日々のいのり」も早く追いついておこうと、
今日は朝から更新です。
それも2日分をまとめて。

8月26日(水)-27日(木)は詩篇74篇でした。


「なぜ、あなたは御手を、右の御手を、引っ込めておられるのですか。」11節
「昼はあなたのもの、夜もまたあなたのもの。」16節

26日は11節までで、詩人の本当に深い悩み、心の痛みが吐露されています。
でも、その中に出てくる神様についてのイメージは勘違いです。
神様が御手を引っ込めておられる。
神様は何もしておられない、何もしてくださらない。
神は沈黙しておられる。
神は私のことを見捨てたのだ。
わたしたちもそのように思うことがあります。
でも、それは勘違いです。

詩人は12節以降で、少しずつ目が開かれていきます。
神様の御手が見えてきます。
昼も、夜も神様の御手の中にあることが告白されるのです。
そう、昼もそうですが、
夜も神様の支配の中にあるのです。

人生の夜のようなポイント。
そのような日々。
それもやはり神様の支配の中にあるのです。

そう思ったときに、
私自身もほっとさせられます。
物事がうまくいかないとき、
何か自分に問題があるのではないかと思います。
自分が何か神様に喜ばれない部分があるのではとか、
人々をつまずかせていることがあるのではとか、
もちろん、そういうことをいつも覚えて自分を省みることは忘れないでいたいと思いますが、
それと共に、人生の夜も神様の支配の中にある、
そう思うと、安心して、主の守りの中に歩んで生きたい、
そういう思いにさせられます。

主よ、
あなたがわたしの人生の昼も、
わたしの人生の夜も
支配してくださっていますから、
ありがとうございます。
どうか、これからの歩みの中で、
あなたの御手を信頼して歩んでいくことができますように。
もっともっとあなたを信頼して歩むことができますように。

2009-08-31

ルーツ。

今日は朝ホントにひんやりでした。
気温は確認していませんでしたが、長袖でも寒いくらい。
でも、昼間はまだまだ「秋」という感じではなかったですね。
長袖ではちょっと暑かったです。


子供たちの学校のために文具屋さんに行きましたが、
ものすごい混み方で、レジの行列がすごかったです。


夜になって、15度くらいまで気温が下がってきています。
明日の朝は11度くらいです。


私の本名の姓(最近、どっちが本名かわからなくなってきていますが)、
なかなか一発で読んでくれる人はいません。


小学校の時はまだよかったのですが、
中学にはいると教科ごとに先生が替わるじゃないですか。
名前をちゃんと読んでもらえない。


教会のHPを見ると実名(?)で紹介されているので、
何にも秘密にしませんが、錦織って名前、決してまれな名前じゃないですよね。
15万~30万くらいある姓の中で、全国で1500位~1600位くらいだそうで、
http://park14.wakwak.com/~myj/lanking/zenkoku1b.html
で見ると、藤倉さんや末松さんと同じくらい、
岩倉さんや仁科さん、戸村さん、泉谷さんより多いです。
高校時代のオケにおられた徳安さんの8倍くらいの人口があります。
教会の皆さんの名前を探しても、10000位以内に出てこない方が何家族かあります。
役員のメンバーを見てみると、半分以上が「錦織」よりも少ないです。


でも、問題は読み方ですよね。何が面倒って、
http://www.njg.co.jp/blog_morioka.html?itemid=1203
にあるように、いろんな読み方があります。


そう、去年の今頃は、圭君が(って知り合いじゃないですが・・・)
NYのテニスコートで活躍していたんですよねえ。


彼は「にしこり」だそうですが、他にもいろいろあるみたいですね。
公家が「にしごり」だとは知りませんでしたが・・・
最後の声楽家の健さんの「正しく読まれないから、『にしきおり』を使っている」ってわかります。
もう、私も途中で面倒になりましたからね。


で、なんで、そんな話をしているかというと、
今回NCで泊めて頂いたお宅の御主人は、
最初にお会いしたとき、一発で「にしこおり」を読んでくださったんですね。
それがうれしかったわけです。


その方は島根県出身。私も生まれは大阪、育ちは東京なんですが、
父の実家が島根で、出雲地方です。

で、この「かきごおりにしこおり」は島根県に多いそうで、
なんと、県内では小林、木村などの強豪を抑えて堂々の34位。

でも、休日とはいえ、そんなことで、こんなに時間をかけて、書きたくなるほど、名前を正しく読んでもらったり、覚えてもらうって嬉しいことなんですよね。
これから、人とお会いするときはそのことをもっと心がけよう、と思いました。

「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。」イザヤ43:1

さて、8/25(火)の聖書。
オバデヤ書の10-21節でした。

「王権は主のものとなる。」21節。
オバデヤ書の前半の傲慢さへの一番の薬は、
神様を主とする、王とすること。
結局のところ、それにつきるんだろうなあと思います。
私たちは自分が王様、自分が主人、
そのような生き方をしています。
もちろん、人に振り回され、人に気を遣っている人を見ると、
「自分はどうしたいわけ?」と聞きたくなりますが、
確かに、誰か他の人が主人になるのも問題ですが、
じゃあ、自分が主人かというとそれも違う。
そう、私たちの主人は、私たちの人生の王は、神様。
主の導きに従って、主の前にひれ伏して歩んでいくことが、
傲慢にならないためには本当に大切だと思う。
主よ、
どうか、私を守ってください。
傲慢になることがありませんように。
そのために、いつもいつもあなたを主として歩ませてください。

2009-08-30

来週はファミリー修養会。

今は夜の11時前ですが、
外はもう18.4度まで下がっていました。
本当に涼しいです。


でも、今週末、土曜日から月曜日まで持たれるファミリー修養会の会場。
明日の夜の気温の予想は8度です。
そう、1ケタ。
朝晩は寒いくらいですね。
去年は周りの教会と合同で何百人も集った会場で、
今回はウチの教会だけ、小さく集ります。
楽しみです。


でも、風邪ひかないようにしないといけませんね。
参加する皆さんは防寒のご準備をお忘れなく!


さて、また前後しますが、
先週の月曜日。動物園でゆっくりパンダやゴリラを見た後に、
そのまま、NCの知り合いのお宅へ。


私は4年ぶり。家族は6年ぶりくらいの再開になりました。
このご夫妻は、お嬢さんがかつて私たちの教会のメンバーで、
今から12年前に主のもとに召されて行かれました。
そのことがきっかけになって、信仰に導かれ、
今は現地の教会に通いながら信仰を守っておられます。


大歓迎して頂きました。


そして、今回、ご訪問して、12年前のこと、もっと前のことからも、
そして、どんな思いで信仰の歩みをされているか、
初めて、いろいろゆっくりお話しをうかがうチャンスが与えられて、
本当に励まされ、喜びを分かち合いました。


神様は本当に素晴らしい方です。


今回の旅行の中で、本当に特別な特別な一時になりました。


神様に大感謝。


さて、今日2回目の「日々のみことば」
8月24日(月)の聖書。
8月24日はオバデヤ書1-9節。
たった一章しかないこのオバデヤ書はエドムというイスラエルの隣国、
イスラエルと共通の祖先を持つその国に対する神の裁きが宣告される書物です。


「あなたが鷲のように高く上っても、星の間に巣を作っても、わたしはそこから引き降ろす。」4節。

またまた、傲慢の問題。
自分で傲慢になって高く昇ろうという人に対しては、
神様は「引き下ろす」と言われる。

「自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされる」とイエスも言われた。

いつもいつも注意していなければいけない問題だと思わされた。
傲慢になっていないだろうか?
前日に示されたような「権威」のことに目を向けるときに、
いつの間にか、「権威」を振り回すような者になっていないか、
本当に問われていると思わされる。

無責任ではなく、責任をしっかりと果たしながら、
傲慢にならないように、守られる歩み、
主の憐れみにすがるしかない、と思わされました。

主よ、
どうか、私を守ってください。
傲慢の罪から守ってください。
責任を果たしつつ、謙虚に歩む者とならせてください。

2週間ぶり

今日は朝はものすごい深い霧の中でしたが、
昼頃にはすっかりいい天気になって、
夜は涼しい風が入ってきます。
秋がやってきました。
今夜の最低気温の予想は13度くらい。
明日はさわやかな秋晴れになりそうです。


先週の15年ぶりのアトランタの教会に続いて、
今週は2週間ぶりのNJの教会での礼拝。
やっぱり待ち遠しかったです。
ほとんどの方々とはゆっくりお話しをする時間もなかったですが、
共に主の前に出て、みことばを分かち合えるのは大きな喜びです。


この秋、主がどんなことをしてくださるのか、
楽しみに待ち望んでいます。


8月23日(日)の聖書。
先週の日曜日は第2コリントの最後、13:1-13でした。


「この権威が与えられたのは築き上げるためであって、倒すためではないのです。」10節。

この聖書の箇所を読んだのは1週間前でしたが、
その時に、本当に私に与えられた権威は教会を建て上げるためなのだと、
改めて、確認させられたように思いました。
その責任の重さを感じたのですが、
今日の礼拝後、求道中の方々とお話しをする中で、
牧師の権威の話になりました。

その中で、本当に主が与えてくださっている権威を見失わないでいることの大切さを思わされました。
それは倒すためではなくて、建て上げるため。
反対のことを言うならば、もしも、人が与えられている権威に対して、
それの責任を逃げているならば、教会は建て上げられない。
教会は倒れてしまう。

主が任せてくださっていることがある。
そこに対して、本当に勇気と愛をもって責任を果たしていくべきことがある。
そこにはなかなか理解してもらえないこともあるかもしれない。
納得してもらえないことがあるかもしれない。
パウロのように、逆に非難されることがあるかもしれない。

でも、そこを恐れないで、
祈りつつ、愛を持って、責任を果たしていこうと思わされました。

主よ、
あなたが与えてくださっている、あなたが任せてくださっている権威を
教会を建て上げるために用いさせてください。
あなたの喜ばれる歩みをすることができますように。