2009-01-31

どーんと眠いので・・・。

今日は教会学校The BRAVEの先生たちの研修会。
いい学びの一時が持てましたが、
ちょっと疲れているようで、帰ってきて、
10時頃から、どーんと眠くなってきました。
で、とりあえず、今11時ですが、もう寝ます。

火曜日は雪です。
はい。決まり。
どれくらい降るか?
20センチかな?
40センチかな?
5センチかな?

明日の夜頃にはわかるでしょう。

トーンダウン。


日付が変わってしまいましたが、
これは30日の記録。
昨日まで、「歴史的なstorm」と騒がれていた、
来週火曜日のstormですが、
かなりトーンダウンしてきました。

主な理由は今日になって、いくつかのコンピューター予想が、
低気圧の進路をもっと東の方に、そして、弱く予想してきたからです。
東に行くということは、
ここら辺でも雪になるということでしょうが、
15-20センチくらい。
普通の雪のようです。

でも、これはまだ4日も先のことですから、
全くどうなるかわかりません。

天気予報のプロたちも、今日になってから急に予想が大きく変わったので、
また、昨日までよりもいくつかのモデルで結果にばらつきが出てきたので、
戸惑っているようです。

ま、私はちょっと忙しい週末を送るので、
気がついたら「もう明日」になっているでしょう。

今は夜の2時前ですが、
-5.4度。
土曜日は寒い一日になるようです。

今朝は予想通り、起きたら-8度台だったのですが、
6時に教会に行こうと、車で向かっていたら、
うちの近所で鹿の群れに遭遇。
5メートルくらい前を通っていきました。


3頭までは確認できたのですが、
暗くてよくわかりませんでした。
もしも4頭目がいたら、絶対ぶつかっていたと思います。

35マイルで走っていた(60キロくらい)ので、
まだ大丈夫だったんだと思います。
でも、当ってたら、相手は死んで、
こっちはかなり激しく壊れたと思います。

怖かったです。
そういえば、数日前にも夜中に、
近くで7-8頭の群れを見たので、
同じ仲間かもしれません。


結構緑があるので、まだまだいるんでしょうかね。

「朝も、寝起きだから、気をつけなさい」という
神さまからの警告かも・・・と思わされました。

さて、木曜日の聖書。
木曜日はヨハネの8章31-41節。


「真理はあなたがたを自由にします。」32節。

自分が今自由が与えられていないとすれば、
どのポイントかなあ、と思わされて、考えていました。

それはなかなか言えない部分もありますが、
まだまだ縛られているのかなあ、ということを感じます。

一つは、人の反応かなあ。
まだまだ、自分はそれに振り回されることが多いと思います。
それがイヤだったら、逃げてしまうことも・・・。

主が与えてくださったこと、
主が語ってくださったことに堅く立っていく強さが欲しいです。
人の反応に縛られやすいところから、
解放して頂きたいと思います。

そして、人の反応が期待していたようなものではなかった時に、
逃げないで、丁寧に説明をして、
わかってもらえるまであきらめない愛を与えて欲しいと思いました。

イエスが自由を与えてくださる。
私が、まだまだ縛られているかなあ、といういくつかのポイントに、
触れてくださって、自由を与えて頂きたいと思います。
解放されて、自由にされたいと思います。

主よ、
感謝します。
あなたの愛に心から感謝します。
私もあなたからの自由によって、
人を愛し、仕えていく者となることができますように。

2009-01-29

いのち。



今日の朝はやはり冷え込んで-5度くらい。
昼間は2度くらいでした。
でも、また夜になってぐんと冷えています。
10時過ぎですが、-4.4度。


明日の朝はまた-10度くらいまでいくのでしょうか?


で、来週の火曜日のStormですが、
大騒ぎになっています。
でも、かなり西の方を通る可能性が高いようで、
ここら辺はほとんど雨。
Floodの方が心配です。


最後の方でちょっと雪に変わるかもしれません。


とにかく来週の火曜日の予報に注目です。


今日の朝早く、教会にまた新しい命が与えられました。
夕方NYの病院に会いに行ってきました。
3000グラムにちょっと足りない、という、ちいさな命。
生まれたばかりの赤ちゃんって、こんなに小さかったっけ?って感じです。
18年年前のハジもちょうど同じくらいの大きさだったんですよねえ。
それが、今はごっつい70キロ近い汗かき高校生になっちゃうんですから・・・。
不思議を感じました。


いのちが受け継がれていく。
神さまが考えられた方法は本当にすごいな、と思います。


でも、また、ここで思わされるのは、
私たちが受け継いでいくもの、
それは自分の子供たちだけではなくて、
今出会う、出会っている、多くの子供たちに
確かに受け継いでいくべきものがあるということです。


神さまからそれを任されているんだ、
そのために今、ここに生かされているんだ、
そう思います。


それは、ここに泉があるということ、
イエスにこそ命の泉があるということ、
それを伝えていく、受け継いでいく、
次の世代の若者たちにも、子供たちにも、
確かにそれを本当にエキサイティングなものとして、
継承していく、
その使命を思わされます。


さて、昨日の聖書。
昨日はヨハネによる福音書8:21-30



『そこで、彼らはイエスに言った。「あなたはだれですか。」イエスは言われた。「それは初めからわたしがあなたがたに話そうとしていることです。」』25節。

イエスがずっとはなしてきたこと、
それがこの人々には全然通じていなかった。
さっき「私は世の光である」といわれたばかりなのに、
「あなたは誰ですか?」なんてとぼけた質問が出てくる。
何にも聞いていない。
いや、聞いているんだけれども、
自分の都合のいいように聞く。
そんな人々の姿が見えてきます。

でも、自分はどうだろうかと思いました。
自分は神さまの語ろうとされることを
聞いてきただろうか?
自分は神さまの私に対して語りかけられることを、
自分に都合のいいように聞いてきたことはなかったか?
神さまが語りたいこと、
神さまが伝えようとされていること、
それを忠実に聞く者でありたいと思いました。
主よ、
あなたの御声を聞かせてください。
そして、それを自分の都合のいいように聞くのではなくて、
あなたの願われるとおりに聞くことができますように。
霊の耳を開いてください。


2009-01-28

嵐が去ったら次の嵐の話。



今朝は雪で、うちの町は学校が休み。
前回は5時に電話がありましたが、
今日は起きた時にまだ電話がなかったので、
「あれ、今日は休みじゃないのかなあ」とちょっと心配してしまいました。
そしたら、今朝は5時40分ぐらいに電話が鳴り、
おやすみ。
前回かなーり苦情が出たんじゃないか、と思いました。


朝NYに行く時は雪の中だったの、でかいブーツで行きましたが、
9時にはもう雨になっていました。


それでもここら辺では10センチくらいは積もったのでしょうか?
雨を含んで、びしょびしょになっていました。
今は夜の11時前ですが、まだ3度あります。

でも、この後冷えて、氷点下になります。
びしょびしょが凍結するとガチガチになります。
朝はお気をつけて。


さて、今日のstormは暖かくなって、
思ったほどひどくありませんでしたが、
来週の火曜日のstormはかなりのものになりそうです。
メキシコ湾の暖かく湿った空気を吸って、
西側に冷たい空気、東側に暖かい空気を受けて、
急速に発達するようです。


93年の3月のSuper Storm の7割くらいの力のが来るという予報もでています。
あの7割でも大変なことです。
今予想されている進路だと、
ここら辺では、途中まで雨で、急に冷え込んで、後半が吹雪。


今日現在の予報 。
英文ですが、Accuweatherのスタッフの興奮が伝わってきます。
もう、これを仕事にしている人たちはこれから幾晩も眠れない夜が続くそうです。
私はちゃんと寝ますが、気持ちはわかります。


今日の18zのGFSでは猛烈なことになっています。
3日の夜遅くが、こんな感じ。






その後の0zのGFSはかなりトーンダウンして、
less impressiveで、どちらかというと雨で、最後ちょっと雪、みたいな感じで出てきています。
いずれにせよ、まだ5日先の話。
一喜一憂の毎日が続きそうです。
(ん、どうなったら喜で、どうなったら憂なんだ?)


さて、昨日の聖書。
昨日はヨハネ8章12-20節。


「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」12節。

昨日はここを読みながら、
自分には本当にイエスの光が必要だと思わされていました。
イエスの光があると、イエスに従って歩むと、
闇の中を歩むことがない、と。

今日もイエスの光の中を歩ませて頂きたい、
また教会に連なる一人一人がこの光の中を歩めますように、
そのように祈らされました。

やっぱり自分の心がイエスさまから離れて、
違うところにいってしまうと、
どこかがおかしくなる。

いつもいつも主を見上げて、
いつもいつもイエスの愛を覚えて歩ませて頂きたいと思いました。

イエスよ、
あなたが私の光であってくださるから、
ありがとうございます。
いつもいつもあなたに固着していることができますように。
他のことに心を奪われたり、
あなたに向こうを向いて頂きたくなるような、
そんな思いから守ってください。

2009-01-27

大人になる。



今日も寒い一日でした。
最高気温は何とかプラスになりましたが、
0度をちょっと上回るくらい。
午後遅くにはすぐに氷点下に戻りました。


そして、今注目は今夜から明日にかけてのstorm。
だんだん予報が「暖かい空気の勝ち」になってきたみたいで、
「大雪」と言うよりは、
途中でiceや雨にかわる今年何度も経験してきたタイプの、winter stormだそうです。


でも、今回かなり湿った空気が入ってきていて、
朝のうちの雪はかなり激しく降るようです。
10-20センチ積もる予報が出ています。
個人的には「またまた、もっと早くiceに変わっちゃうでしょう。そして、簡単に普通の雨になるんじゃないの?」となめてかかっています。


さて、明日は学校があるのでしょうか?
朝の5時に電話がかかってくるでしょうか?


さて、多くの皆さんにお祈りして頂いているようですが、
我が家の自家用車。
今日、無事に帰ってきました。
お祈りありがとうございます。


ちいさな部品が一つダメになっていたそうで、
それを交換。
あと交換しておいた方がいい物がいろいろあって、
結局、「大山鳴動して鼠一匹」までは行きませんでしたが、
まあ何とか「ウサギ一匹」かな、イヤ「子羊一頭」かな、くらいで済んでくれました。(全然違うじゃん、ウサギと羊・・・)


感謝。


帰ってきた車で、早速ハジの運転の練習。
いやあ、こわかった。
今日は普通の道をいろいろ走り回りました。
片側2車線の道路も走りました。
でも、このころの運転って、自分以外に走っている人って、
そんなにいないかのような運転するじゃないですか。
前後左右に気を配るなんてしないで、
ただ、ひたすら前を見て運転しますよね。
ヒヤヒヤもんでした。


そんな、あと10日ほどで18歳になるハジですが、
昨日、Taxの準備を始めて気がついたこと。


Child Tax Creditとか、
なぜか16歳まで。
17歳になってしまうと、もらえない。
これで、たぶん2000ドル以上違いますよ、
去年に比べて・・・。


そのことを計算に入れていなくて、
結構焦っています。

Refundがあるかと思ったら、とんでもない、
何百ドルも追加して払わなければならなくなりそうです。


どうして16歳で切るのかわかりませんが、
とにかく、これもハジが大人としてCountされることで、
うれしいと言えばうれしいかな。


アメリカに来た時にはまだ1歳だったハジが、
今年はいよいよ18歳。
こちらも皆さんに祈って頂きました。
日本の学院教会の皆さんも、
深川教会の皆さんも、
NJの皆さんも、
そのほかの皆さんも・・・。


祈られて大人になる。


感謝。


さて、昨日、月曜日の聖書。
月曜日はヨハネ7章53節から8章11節。


「彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。」8章9節。

「罪のない者がまず石を投げよ」とイエスが言われた時に、
人々はそこから去っていきました。
それも、年長者から始めて・・・。

自分はこの場にいたらどうしただろうかなあ、と思いました。
そして、今は自分は自分が罪人であることを認めて歩んでいるだろうか、
いつの間にか、自分を善人であるかのように装って生きていないだろうか、
もう一度引き戻されるような思いになりました。

自分の罪を認めるのが、また難しくなってきたように感じます。
まだまだ「年長者」ではありませんが、
いや、まだまだ「年長者」ではないからか、
罪を素直に認めたくない自分がいたりします。

逃げているんでしょうか。

主の前に裸で出ようと思いました。
また主の前にありのままの自分で、
本当に自分の姿を主の前に持ち出そうと。

主よ、
信仰のない私をあわれんでください。
罪深い、私を赦し、罪から離れる力を与えてください。
あなたが私を自由にしてください。
解放してください。
私が本当の自分を認めることができるように。
自分の罪深さを認めることができますように。



2009-01-26

持っててよかった・・・かも?



今日は嵐の前の静けさで、
寒さもちょっとゆるみ(・・・でもまだ真冬日)、
青空も広がりました。


でも、水曜日のStormは来るようです。
でも、予報はどんどん変わり、
ここら辺でもみぞれ交じりになりそうです。


積雪も、そのみぞれ交じりのおかげで、10-15センチくらい。
今年はこのパターン、多いですね。


学校が休みになるかどうか、
それもわかりません。
でも、明日になったら、ずいぶんはっきりしてくると思います。


何を隠そう、私は結構ポイントマニア。
クレジットカードの勧誘にも弱い方です。

そこら辺のことは
半年くらい前に書きました  。

手元に何枚のクレジットカードがあるか
正確な数は覚えていませんし、
そのほかにも
Mypointsやe-Rewards
などのポイントもためて、時々、商品券をもらったり、
去年のアトランタやボストンのホテルなどは
全部ポイントを使ってタダで過ごしたりしています。


クレジットカードもほとんどが年会費無料なんですが、
一つだけ、有料のものがあります。
「初年度会費無料」ということだったので、
「まあ1年だけ会員になって、11ヶ月後にキャンセルしよう」
と思っていました。


でも、やっぱり1年たつと、キャンセルの電話も面倒だし、
ま、いいか・・・とちょっとお高い年会費150ドルを払って、
持っているカードがあります。


今までの所そんなに恩恵は感じたことはなかったのですが、
Reviewを見てみると、ポイントの話よりも、
「旅行中にトラブルに遭った時に、サービスデスクに電話をしたら、すばらしい応対で、問題を解決してくれた」みたいな記述が並んでいます。

それも、キャンセルしない理由の一つになっています。


でも、実際、今まで、余り恩恵を感じたことはありませんでした。
でも、今日は違いました。


Drivewayに止まっていた車、
いよいよ今日、修理屋さんに相談しました。
その時「エンジンが動かないので持っていけない」という話をしたところ、
「AAA入ってる?」と聞かれました。
日本のJAFみたいなもので、車が故障した時に運んでもらったり、
そのようなグループです。


その時、思い出しました。そのAAAのメンバーを以前持っていたのに、
それを更新しなかった理由が、そのクレジットカードに同じようにサービスがある、
ということでした。


それを思い出したので、早速サービスデスクに電話。
電話から1時間半で、タダでTowingしてもらいました。


持っててよかったです。
AAAのメンバーシップは50ドルくらいですが、
こちらのクレジットカードは150ドル。
決してこれだけでは元は取れないのですが、
丁寧な応対をしてもらったことを考えると、
やっぱりこれからもキープかな。


修理の見積もりはまだ来ていません。
こればかりは、大山鳴動して鼠一匹、みたいなことになってくれますように。


さて、昨日の聖書。
昨日はヨハネ7章37-52節。


「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」38節。

「奥底」が心に留まりました。
心の一番深いところ、
その奥底に泉が湧いてくる。

昨日は日曜日だったので、
日曜日のために、その満たしが必要であることを感じました。
心の奥底から水が湧いてくるような、
そのような実感を与えてくださるように、
そのように主が私の心にあふれてくださるようにと
心から願いました。

そして、そのような日曜日になりました。

主に感謝です。

主よ、
あなたの命は、
あなたのいける水は、
私の心の一番深いところに
満たしを与えてくださるから、
感謝します。
いつもいつも泉が湧き続けますように。
いつも力を与え続けてくださいますように。

2009-01-25

水曜日情報。



今日の朝はまた、めちゃ冷えました。
-12.1度。
なんだか、とっても寒かったです。
昼間も勿論氷点下で、
今は夜の10時20分ですが、
-6.3度です。


明日の朝はまた-10度くらいいくのではないでしょうか?
今はまだ雲が出ているので、それほど冷えていないのですが、
これから雲が切れてきて、冷え込んできそうです。


そして、今、注目は水曜日のStormに集まっています。
うちの高校生たちも木曜日からMid Termなので(今日まで知らなかった・・・)、
水曜日が雪で休みになってくれたら・・・と注目しています。


のんちも仕事があり、私もNYの日なので、
ちょっと微妙な気持ちなのですが・・・。


どこの天気予報も、昨日の30-50パーセントから、
今日は70-80パーセントに上げてきていますから、
かなり確率は高くなってきています。


夜のNAMというモデルでも、雪になっています。
NYではみぞれ交じりになるかもしれません。
かなりの量の雪になりそうです。30センチくらいかな。


さて、昨日、土曜日の聖書。
昨日は7章の25-36節。


「そこで人々はイエスを捕らえようとしたが、しかし、だれもイエスに手をかけた者はなかった。イエスの時が、まだ来ていなかったからである。」30節。

「イエスの時」というのが、何度も何度も出てくる。
もちろん、そのイエスの時とはイエスが十字架にかかる時。
それが、いつでも良かったのではなかった。
いつでも変わらないわけではなかった。
イエスの時というのがあって、
イエスが十字架にかかる時が神によって決められていて、
その時まで、危機的な状況があっても、
決して、十字架にかけられることはなかった。

それほど、イエスの時、というのは大切なものだった。

私たちの歩みの中で、神さまの定められた時、というのがあるのだと思います。
それを見極める目、時を見極めることのできる目が、
与えられたらどんなに幸いだろうかと思います。

それも神の賜物であるとすれば、
祈って、主から与えられないでしょうか。

もしも、与えられなくても、
時を見分ける目がなくても、
主を信頼して、主が与えてくださっている時を信頼して、
いつもいつもどんなときにも、主の御心を求めて、
歩んでいきたいと思いました。

主よ、
あなたの時を信頼します。
あなたの時を見分ける目を与えてください。
でも、与えられなくても、
あなたを信頼します。
いつもいつもあなたが私の人生に最高のことをしてくださいますから。
これからもあなたの御手で導いてください。