2007-11-17

感謝。

今日も寒かったです。
昼間も曇ってきて、8度止まり。
夜になって、曇っているせいか、
昨日ほど冷え込みはきつくないようですが、
今、夜の10時半で、4.5度。

これから雨か雪みたいです。
明日の昼間は雨ですが、
また夜には雪に変わるかもしれません。

今日は早く休んで
明日の朝、早く起きて備えようと思います。

さて、明日はサンクスギビングの礼拝。
感謝祭の礼拝です。
NJ周辺の皆様、是非おいで下さい。

1年を主に感謝する日です。
今日、教会の写真を見ながら、
一つ一つのことを思い出しながら、
感謝をしていましたが、

夜の祈り会では、「アメリカに来てからの一つ一つのこと・・・」
という話も出て、自分もいろいろ考えさせられました。

15年と4ヶ月前、3人でアメリカにやってきて、
それから、ぎりぎりの留学生生活を5年。
節約のためには何でもする、って感じでした。

どれほど多くの人々の助けによって支えられてきたか。
「お返しはいらないから、自分の後に来る人たちにやって上げて・・・」
と言われてきたことを思い出しました。

JCCNJの牧師になって10年。
たくさん受けてきたことを思い出すと、
自分たちは、
今、新しく来る人たち、
特に留学生の人たちのために何かやっているだろうかと、
考えさせられます。

「受けるより与える方が幸いである」ですよね。

感謝します。
たくさん与えられて、たくさん愛されて。

たくさん与えて、たくさん愛する者となることができますように。
たとえ、それが伝わらなくても、めげない強さを与えてください。

さて、今日の聖書。
今日はヤコブの手紙の3章1-12節です。

「私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。」9節の言葉です。

特に後半の「神にかたどって造られた人をのろいます」という言葉、
心の深いところに届きました。
「人はみな、神の形に造られた。」
いつも洗礼を受ける前の人たちに必ず話すこの話を、
本当に自分はどこまで真剣に受け取っているだろうかと思いました。

罪によって支配されている人間。
でも、その人間は神の形に造られている。

だったら、神様を賛美しているなら、
人のことをも悪く言ったり、思ったりできないはず。

祈ろう。

一人一人のことを覚えて祈ろうと思いました。
もっともっと神の形が回復しますようにと。
もっともっと人の中に隠れている、神の形に目を留めさせてくださいと。

主よ、
私の舌を守って、
あなたのすばらしさをたたえる言葉で満たしてください。
私の心を守って、
あなたの形に造られた人々のために祈る者とならせてください。
受けるより与える者とならせてください。

明日はヤコブの手紙の3章13-18節です。

2007-11-16

初雪

いやあ、今日は朝は5度までしか下がりませんでしたが、
昼間も風は強くて、気温は余り上がらずに、
寒い一日でした。

そして、午後には、雪がちらほら降りました。
今年の初雪です。

11月16日というのはかなり早いほうだと思います。
そして、明日の夜からあさっての明け方、もうちょっと高い確率で、
雪が降る可能性があります。

大したことはないですが・・・。

今は夜の11時半頃で、2度。
明日の朝は0度くらいまで下がるでしょう。

今日は、朝集会があって、
午後は人にお会いする予定があって、
夜は月に一回の我が家での集会です。

今夜は子供たちを入れて30人の方々が集まりました。

自分が話しすぎたかなあ、とは思いますが、
やはり、自分が神様の愛にふれた時の話をしていると、
本当に心が躍ってきて、話が止まらなくなります。

朝の集会でも、午後の個人的なお話でも、
やはり、その話になりました。
神様の愛に生かされていることを、
心から感謝しています。

やはり、これが私の歩みの土台なんだなあと思います。

今日の聖書。
今日はヤコブの手紙の2章20-26節です。

「私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげた」
21節の言葉です。

イサクをささげたアブラハム。
神から与えられた約束の子イサク。
「どうして」という声が心に何度も響いたのではないだろうか。

でも、聖書は、ただ、彼が従ったこと、
神様を信頼して従っていったことだけが、
書かれている。

信仰とは、従うこと。

信じているから、従うことができる。
従うことができないとしたら、
それはやはり信じていない、ということなんだろうなあと思う。

信じているから、そこに自分の人生をかけることができる。
それができないとするならば、それはやはり本当の意味で、
信じているわけではないということなんだろうと思う。

信じることは
「神様にはできる」と神様のなさることを、
周りで見て、喝采を浴びせることではなくて、
神様のなさることに参加すること。

そこに自分の人生を与えていくことだと思う。

そのように生きようと思う。

主よ、
踏み出すことは怖いことです。
でも、あなたを信じていきます。
どうか、私の足を守り、
心を守ってください。
あなたを信頼して歩み続けることができますように。

あなたのなさることに人生をかけています。
よろしくお願いします。
私が、恐れて身を引いてしまうことがありませんように。

明日はヤコブ3章の1-12節です。

2007-11-15

行いに反映する信仰

今日の朝は13度で雨。
午前中はかなり降っていました。

そして、午後からは雨は小降りになりましたが、
気温がどんどん下がってきています。

今、夜の9時過ぎですが、5.8度。
明日の朝はまた0度近くまで下がってくるでしょう。

明日は風も強く、寒い一日になりそうです。

そして、土曜日の夜には、初雪の可能性も・・・。
大したことはないようですが、
可能性はあります。
Thanksgiving前の初雪は早いほうだと思います。

さて、どうなることでしょうか。

今日の聖書はヤコブの手紙の2章14-19節でした。

「行いのないあなたの信仰を、私に見せてください。」
18節の言葉です。

信仰か行いか・・・。
ローマ人への手紙やガラテヤ人への手紙では、
「信仰だけだ」と言われています。

でも、考えてみれば、あることを信じていたら、
そのように生きるのが当たり前のことです。

そうでなければ、「口で言っているけど、本当は信じていないんだ」
と言うことになるでしょう。

「明日は雨だ」と信じていたら、
傘を準備するでしょう。

「晴れるに決まっている」と信じていながら、
傘を持っているなら、「口で言っているけど、本当はそうは思っていない」
と思われても当然です。

「神様が必要をすべてが与えてくださる」
と信じるなら、そのような行動が出てくるはずです。

神様に愛され、赦されている、と信じるなら、
それを土台とした、人生観や、生き方が生まれるはずなのです。

どうでなければ、やはり、「信仰」の方に問題がある。

ヤコブはそれが言いたかったんだろうなあと思います。

自分はどうだろうかと思わされました。
自分は信じたように生きているだろうか?
本当に信じて歩んでいるだろうか?と。

主よ、
信仰を与えてください。
行いを生み出すような、信仰を与えてください。
そのように生きる者としてください。

あなたの最善を信じ
あなたの守りを信じる信仰に生かしてください。

明日はヤコブ2:20-26です。

2007-11-14

あわれみ

今日の朝は結構冷えました。
1度くらい。

でも、すぐ暖かくなりました。
13度くらいまで上がりました。
NYでは歩いていたら汗ばむほど。

そして、今も同じくらいの気温です。
これから雨。
明日も雨でしょう。
夜には上がるみたいですが、
結構まとまった雨になるようです。

そして、週末にかけて冷えます。
朝は氷点下、昼間も10度以下の、
東京の真冬並みの寒さになりそうです。

さて、今日の聖書。
今日はヤコブの手紙の2章1-13節。

「あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。」
13節の言葉が心に語られました。

昨日のみことばパンチに続いて、
今日も、心に深く語られています。

裁こうと思えば、いくらでも裁ける。
正当な裁きだと思っている。

でも、それじゃダメだ、と主に言われたようです。

おまえに必要なのは「あわれみ」だよ、と。

「無関心」や「逃げ」に捕らわれていた時もありました。
でも、そこから解放されたのはよくても、
今度は「裁き」に捕らわれていたのかもしれません。

勝利を経験したいと思いました。
憐れみの勝利を味わわせて頂きたいと思いました。
逃げではなくて、
事なかれ主義ではなくて、
憐れみの勝利を味わいたいです。

主よ、
憐れみは裁きに勝ち誇る。とありますが、
その「勝利の誇示」を感じたいと思いました。
そのような誇りを持ちたいと思いました。

そのためにいつもいつも愛に満たされていたいと思います。
見せかけの愛、表面的な愛ではなくて、
愛に見せかけた「事なかれ主義」ではなくて、
心にあふれる愛に満たされて歩んでいきたいと思います。

どうか、あなたの愛を満たしてください。

明日はヤコブ2:14-19です。

2007-11-13

みことばパンチ

今日は暖かくなりました。
朝は10度くらいで雨が降っていましたが、
午後はちょっと晴れ間も出て、
本当に暖かかったです。
15.5度まで上がりました。

ホッとしますよね。
今は夜の8時で6.8度。
思ったより下がってきています。

予想では3-5度くらいと出ていますが、
0度くらいまで下がるかもしれません。
明日の朝は6時頃に出てNYに行くので、
暖かい方がありがたいのですが・・・。

さて、今日も早速聖書。
今日はヤコブの手紙の1章19-27節を読みました。

「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」
20節の言葉です。

これは「みことばパンチ」でした。
ストレートをもろに食らいました。

誰でもそうなのかもしれませんが、
人が怒っているのを見ると、
「何怒ってるんだろう?」
から始まって、
「そんなことで怒らなくてもいいのに」
「気持ちはわかるけど、そんなに怒らない方がいいのになぁ・・・」
程度ですよね。

でも、自分が怒っている時は、
神様の代理になっているかのような気分です。
「イエスさまだって、神殿で人々が商売をしていた時に、怒った」
なんて、引用したりします。

まさに、「神様の義を実現するために・・・」という感じです。
とんでもない傲慢ですよね。

そんな気持ちが見透かされているのでしょう。
聖書はストレートに語るんですね。
「人の怒りは神の義を実現するものではない」と。

まさに自分への神様からの「みことばパンチ」でした。

神様、
ストレートなみことばに感謝します。
私の怒りがあなたの義を実現するかのように、
思っていました。

とんでもない傲慢を赦してください。

私を怒りから守ってください。
すべてをあなたにゆだねて、
あなたの御手に委ねて、
「裁くのは私の仕事だよ、あなたの仕事じゃない」と言われる、
あなたの御手に委ねて、歩ませてください。

あなたの私に望まれることを、
することができますように。

明日はヤコブの手紙の2章1-13節です。

今日の聖書は

ヤコブの手紙の1章19-27節です。

更新はまた夜に・・・。

2007-11-12

忍耐

今日も寒かったです。
今朝は、あのあと気温が少しずつ上がってきたみたいで、
2度くらいありました。

でも、それ以上に、今日は教会の泊まりがけの集会の場所探しに、
山の方に行っていたので、
本当に寒かったです。

なんと雪が残っていました。

先週、こっちで冷たい雨が降っていた日に、
あちらの方では雪だったみたいですね。

車で1時間くらいですが、寒さが違います。

これから、雨。
でも、この雨は暖かさを運んでくる雨のようです。

週半ばは暖かくなって、
後半はまた冷え込んでくるようです。
もう来週はThanksgivingですから、
まあ、寒いのは当たり前かな、ということで。

今日は、早速聖書。
今日はヤコブの手紙の1章12-18節を読みました。

「 試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。」
12節の言葉です。

忍耐の大切さ、最近、特に思わされています。
ヘブル人への手紙にも「あなた方に必要なのは忍耐です」とありますよね。

自分は忍耐がないなあと思うのです。
手っ取り早い解決を求めたりします。

下手な我慢はすることがあっても、
本当の忍耐ってするのだろうかと。

3節にも、「信仰が試されると忍耐を生みます」とあります。
ということは、信仰が「ためされなければいけない」のでしょうね。
信仰があれば、すべてにトントン拍子にうまくいく、
だったら、忍耐は生まれないんですよね。
だったら、トントン拍子に行かないことの方がいい。

いいかどうかわからないけど、
少なくとも忍耐は生まれていく。

それがいいんだろうと思います。
主に鍛えて頂きたいと思います。

みことばの力を感じます。
みことばによって元気をもらいました。

主よ、
あなたが試練を与えてくださって、
信じて進んでいく時にも、
すべてがトントン拍子に行かないようにしてくださることを、
心から感謝します。
トントン拍子に行かない時に、
忍耐することを教えてください。
勝手にあきらめたり、
勝手に投げ出したりすることがありませんように。

あなたの訓練に感謝します。

喜び

もう、日付が変わってしまいましたが、
11日のことを書きます。

今日も寒い一日でした。
朝の最低気温が-2.3度。
今年2番目の冷え込みです。
昼間は8.4度止まり。
そして、今は夜中の12時過ぎ。
今の気温は-0.4度です。

明日の朝もまた-2度くらいかと思います。

明日の夕方からまた雨で、今度はそのあと暖かくなるようです。

さて、今日のメインイベントは、
洗礼式。
今年まだ2回目ですが、
一人の高校生(日本では中3?)が洗礼を受けました。

彼女は12年前、お母さんとお姉さんと一緒に教会に来て、
ずっと一緒に歩んできた子です。

教会の皆さんの喜びもひとしおでした。

天では、また大きな歓声が上がっていたかと思うと、
本当にうれしい一時でした。

また、礼拝後には、久しぶりの会堂候補についてのアピール。
時間が与えられて、祈らされていること、思わされていることを
お話しする時が与えられました。

時間がかかるかもしれませんし、
時間をかけていたら、
また他の団体に先を越されてしまうかもしれませんし、
また、結局見送ることになるかもしれません。

でも、とにかく皆さんと共に祈りたいと思いました。
共に夢を見ていきたいと思いました。
謙虚に、また勇気と情熱を持って、与えられた思いを分かち合っていきたいと思いました。

そして、それと共に、会堂以上に、
そこに集う一人一人との交わりをもっともっと持たせて頂きたい、
主に与えられた恵みを分かち合い、
新しい方々との出会いを求めていきたいと思わされた日曜日でした。

長い一日で、終わったら、「ふ~」という感じですし、
私も明日は週一度の休日は返上ですが、
当たり前のように明日お仕事がある方々で、遅くまで教会におられた方は
大変だなあと思いますが、
本当にいろんなことを考えさせられた、中身の濃い一日でした。

感謝。

さて、今日の聖書。
今日はヤコブの手紙の1章9-11節、5章1-6節でした。

貧しい人への言葉、富んでいる人への言葉です。

「貧しい境遇にある兄弟は、自分の高い身分を誇りとしなさい。富んでいる人は、自分が低くされることに誇りを持ちなさい。」
1章9-10節です。

私はいったい富んでいるのか、貧しいのか・・・。
相対的ですよね。
世界全体から見たら、やっぱり富んでいるんだろうと思います。
でも、周りを見て、決して富んでいる方だとは思いません。

だからいったいどっちなんだろうかと。

貧しい中にあったら、それを誇りと思いなさいと。
富んでいたら、自分が低くされることを誇りとしなさいと。

富んでいるのかなあと思います。
だから、これからどんどん失っていくことになるんだろうかと思います。
よく、人生の先輩方に言われるのは、
「年を重ねていくと、いろんなものを手放していくんだよ」ということです。

まず、健康、当たり前にできていたこと、
そういうものを手放していく。
もうすでに膝が痛かったりするので、階段を一段飛ばしで上っていくとか、
それはできません。
(90代の日野原先生は、何年か前に「やっている」とおっしゃっていましたが・・・)
だんだん、できることができなくなっていくんだろうと思います。

だから、その時に、一つ一つのことを手放していく時に、
それを誇りとすることができる、
そんな心を持っていたいと思いました。

一つ一つの大切にしているものを、手放していくことを、
誇りとすることができればいいな、と思います。

主よ、
あなたがわたしのために貧しくなって下さったのですから、
あなたの愛の故に、あなたに愛されているが故に、
手の中にしっかり握っているものを、
あなたの手にお返しすることを、
喜びとすることができますように。

ただただ、あなたと共に歩む豊かさに生かしてください。
聖霊様に満たしてください。
その喜びに生かしてください。

明日(実は今日ですが・・・)はヤコブの手紙1:12-18です。