2006-08-25

めぐみのことば

今日の朝はものすごい雨でした。
10時半頃にはトルネード警報も出ました。
これはNJの我が家のあたりの情報ですが、
ロングアイランドの方でも、洪水になったとか・・・。

NYの皆さんも大変でしたか?

明日から火曜日くらいまでにかけて、
同じような天気が続くみたいです。
にわか雨や雷雨が降りやすい天気です。

今(夜の12時前)もどんどん雷雲がペンシルベニアからニュージャージーに進んできています。
今夜も何度か雷が鳴るでしょう。

今日、アーネスト君が誕生しました。
カリブ海の南西部です。
週末にかけて発達しながら、メキシコ湾に向かって進むみたいです。
ちょっと心配なコースですね。

デビーちゃんはぼろぼろになりながら大西洋を北西に向かっています。
でも、アメリカに近づく前に北に進路を変えてそれていくようです。



アメリカは交渉文化です。
言われたとおり引き下がってはいけません。
でも、あんまり英語の得意でない(中学校の頃から・・・)私は、結構ストレスです。


そう、とにかく英語は苦手で、高校に入った時に、
みんなの英語のすごさに驚きました。
大学の付属高校だったのですが、付中から上がってくる子達の英語の上手なこと。
「外部生はできる!」という神話を信じて、なめてかかっていた私は、
最初の英語の授業の時に、ろくに予習もしていかず、
いきなり、第1課の文章のリスニングで、
最初に当てられてしまいました。
"What is his name?"
やばい。わからなかった。ちょっとでも教科書に目を通していたら、簡単にわかったのに・・・。
「わかりません」・・・日本語で答えました。

「え、わからないの?」みたいな、先生と同級生達の反応・・・。

次に当てられた子が、難なく答え、授業のあと、「ああ、簡単なのが当たって良かった」だって。

まあ、確かに簡単な質問でしたよね。

カルチャーショックでした。ずっと苦手でしたね。英語。そして今も。

で、話を戻すと、英語の苦手な私も交渉ごとにはストレスをかかえながら、がんばります。

今週は何度もそんなことがありました。

1.5歳の娘がこの秋から行く地元の幼稚園から何の連絡もない・・・。何とリストから漏れているらしい。ちゃんと登録に行ったのに・・・。(住民票のないこの国では向こうから「来年は幼稚園ですよー」なんて言ってくれない。)何度も担当者に連絡を取ろうとするが、何も返事がない。たぶんバケーション。

2.某あま○ン・どっと・コムで携帯を買う。今まで「まだいいよ」と言っていた息子も、10年生になるこの秋からは持ちたいかな・・・ということで・・・そこらの店で買うよりずっと安い。しかし、届いてみると、繋がらない。そこでその販売店の「ドットコム」と電話会社の「○ンギュラー」に何度も何度も電話して、2日間。最後は1時間くらいかかって、やっと開通。う?ん、「時は金なり」かな。それにお店だったら、「このケースもつけてよ・・・」とか交渉もできるから、そっちの方が良かったかも・・・。


3.某スポーツ用品店で、15%OFFのクーポンが使えない、と言われて、「おかしい」と猛抗議。ほとんどケンカ。結局捨てぜりふを吐くようにして(あ、きたない言葉じゃないですよ、念のため)、引き下がる。メールでカスタマーサービスに文句を送りつけるが、無視されている模様。

未だあったのですが、忘れました。

でも、節約生活至上主義の私は、ちょっと「安くなる」と言うことにはムキになりすぎなのかも・・・。「必要は神さまが与えて下さるから・・・」と大きく構えて、ストレス貯めないようにしないといけないですねえ。

で、もっと大切なのは聖書。
「宝のあるところに心もある」ですからね。

今日はルカによる福音書4章を読みました。
22節の言葉「その口から出てくるめぐみのことば」が心に留りました。

イエスの口からは「恵みの言葉」が出てきていたんですね。
「戒め」「攻撃」「愚痴」「賞賛」・・・いろんな言葉がありますが、
「恵みの言葉」とはどういうことなのでしょうか?

その言葉を聞く時に、神さまの恵みを感じるような言葉、ということでしょう。

だから、私たちは安心してイエスの許に行くことができる、
イエスの足元で安らぐことができる。
安心して、休むことができるのです。

自分の口から出るのはどんな言葉かと思います。
どんな言葉だろうかと思います。
人を傷つける言葉ではなく、
ただ表面的に優しいだけの言葉でもなく、
恵みの言葉が出てくる、
そんな歩みをしたいと思います。

主よ、あなたの恵みの言葉のゆえに感謝します。
どうか、私も恵みの言葉が出てくるような歩みをさせて下さい。
あなたの恵みをいっぱいに頂いて、
私の口からも恵みの言葉が出てきますように。

2006-08-24

すいきんちかもくどってんかい

今日は久しぶりの雨。
芝生も喜んでいます。
いや、水をやらなくてもいいので、人間の方が喜んでいます。
月曜日、貯水池の横を通ったら、ずいぶん水が減っていました。
ずっと天気良かったですからね。

でも、今日の夕方に天気予報をチェックしたら、週末にかけて、
ちょっとぐずつくみたいですね。

毎日雷雨の予報が出ています。

芝生も喜ぶことでしょう・・・いや、ずぼらな私のような人でしょうか?
でも、ねえ、芝生をきれいにすることに一生懸命労力を使うのは、私は解せません。
自分のずぼらのいい訳をしてはいけないとは思うのですが、
もっと力やお金を使わなければいけないところがあるんじゃないかな、といつも思っています。


いやあ、冥王星が惑星ではなくなった、というニュース、
とても痛快です。

「すいきんちかもくどってんかい」になるんですねえ。
何か、そっちの方が語呂もいいし、
何よりも冥王星が時々海王星の内側に入って、
「すいきんちかもくどってんめいかい」
になるのがちょっと解せなかったんですよね。

惑星といえば、子供の時に誕生日プレゼントに友達からもらった、
「宇宙のひみつ」みたいな学習マンガに、
太陽と惑星との距離のことが書いてあって、
「すごい!!」と思ったことがあったんですよ。

ちょっとめんどくさいですし、聖書と全然関係ないのですが・・・(今までもそんなことたくさんあったし)、
OKかなと思いつつ書きますね。

地球と太陽の間の距離を1とする(これって「天文単位」ですよね、厳密ではありませんが・・・)。
そうすると太陽と各惑星の距離は、
水星 0.4
金星 0.7
地球 1
火星 1.5
木星 5.2
土星 9.5

そこから0.4を引くと
0, 0.3, 0.6, 1.1, 4.8, 9.1
になります。

それを0.3で割ると、
0, 1, 2, 4-, 16, 31-
と多少の誤差はありますが、大体2のべき乗になりますね。

でも、ちゃんと読んでおられる方は気がつかれたと思いますが、
4と32の間に、8が抜けているんですよ。

でも、あった。

8のところにあるのは「小惑星」帯。
小さな星のかけらがたくさん回っています。

そして、64のところにあるのは「天王星」。
19.2天文単位ですから、0.4を引いて18.8。
それを0.3で割ると63くらいですね。

すごい。と思いました。


でも、海王星には当てはまりません。
そして、冥王星はとても小さく、月よりも小さいのです。
そして、海王星の内側に入ってくるんだからやっかいです。
ここら辺はちょっとがっかりです。

でも、神さまの作った宇宙が法則に従っているのではなくて、
自然界の出来事を見た私たちが法則を考えているんですよね。


だから、本当に思うんです。

今回の決定のことで。

神さまの目から見たら、今回の決定はどういう風に見えてるのかなあ、ってこと。

神さまが作られた、めちゃくちゃ大きな宇宙。
その中の小さな星の中にいる小さな人間達が、
「冥王星を惑星と認めるかどうか」で大騒ぎをしていること。

もちろん、学問の世界では正確な定義がないと議論ができない、
ってことがありますよね。
ですから、異議を唱えるつもりはありませんし、
ばからしいとも思いません。

でも、本当にどう見えているんだろうなあ、と思ったのです。

「宇宙はでかいぞ!」1997年のJOYJOYキャンプのテーマでした。

知れば知るほど、宇宙のでかさ、
神さまの大きさには驚かされます。


また長くなってしまいました。
今日はルカによる福音書3章を読みました。

8節の言葉が心に留りました。バプテスマのヨハネの言葉です。
「『われわれの先祖はアブラハムだ。』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。」

そうですよね。

大きな神さま、
この宇宙を作られた神さまは、
石ころからでもアブラハムの子孫を起こすことができる。

私たちはなんて小さなことで、プライドを持ったり、
威張ったり、人を見下げたり、
そんなことをしているんだろうかと思います。

私たちは本当に小さな存在。
でも、神さまの目から見て、とても大切な存在。
そのことをいつもいつも忘れないで、
謙虚になりつつ、感謝しつつ、歩もうと思います。

主よ、
あなたの造られた世界はなんて大きいのでしょうか?
宇宙の話を聞くたびに、調べるたびに、
本当に不思議な気持ちになります。
圧倒されます。

でも、その宇宙を造られたあなたが、
私のような存在に目を留めておられることに、
もっと驚かされます。

どうか、あなたの愛を信頼して、
あなたの力を信頼して歩む者としてください。

2006-08-23

イエスが現代に生まれたら

今日はルカによる福音書2章を読みました。
イエスの誕生の風景。
飼い葉桶の中に寝かされていたイエス。
ベツレヘムという小さな村。
そして、祝いにやってきたのは羊飼い達。

イエスがこの時代にお生まれになったとしたら、
どんな感じで過ごされたのか、
コンピューターや携帯電話は使われたんだろうか?
車は運転されたんだろうか?

そんなことをこのNYで時間を過ごす中で考えてしまいました。

もちろん、最近はインターネットで教会を探してこられる方もたくさんおられるし、
このようなページを通して、神さまのことを伝えることができればと思って、
教会では10Gもスペースを確保したし・・・。
でも、もっともっとパーソナルな、人と人とが膝を交えて、
頭をつきあわせて、心を合わせて祈りあっていく、そのような地に足をつけた働きが
もっともっと大切なんだろうなあと思います。

ちょっと歩く速さをゆっくりにして、
立ち止まって考えてみたりして、
共にゆっくり祈ったり、語り合ったりして、歩んでいきたいと思いました。

イエスさま、
あなたがふかふかのベッドではなく、
飼い葉桶の中に生まれてくださったこと、
そんな思いを持ってこの地上に来てくださったことに感謝します。
私もそんな歩みができますように。
ゆっくりと地に足をつけた、
人々と歩き方のペースをそろえた歩みができますように。

共に歩む

今日はNYに来ています。
月に一度のNY面談日。
今年になってから始めましたが、
なかなか好評。(手前味噌、自画自賛・・・)

朝の祈祷会はどうしても日本と連絡を取りたいことがあって、
パスさせて頂きましたが、

昼頃に一人の方にお会いしました。
「お年寄り」とは思いませんが、うちの両親くらいかな、という方。
ちょっとNYを歩いたのですが、
「同じ早さで歩く」という感覚を思い出す一時でした。
(たぶん、結婚前のカミさんとのデート以来・・・かな)

City Boyの私は、銀座や新宿・渋谷で鍛え上げていますから、
人混みの中をすいすいと縫うようにして歩いたものです。
スタスタスタと。

それから、小学校の時、教会の2階に住んでいたのですが、
都営住宅が当たったとかで、木場から東陽町に住居だけ移ったんですね。
でも住民票は木場のまま。
そこで、門前仲町駅の方が近い小学校から、
東陽町の駅に近い自宅まで、子供の足で30分くらいかけて通っていました。
中学も、越中島の中学まで、中学生の足で30分くらいかけて通っていました。

その時間を「短縮する」ことにしょっちゅうチャレンジしていました。
小学校高学年で「駅名を覚える」のがやたら男の子の中ではやった頃、
途中の信号とかに一つ一つ名前をつけて、
運転手さんのまねをして、ハンドルを握ったふりをしたり、
車掌さんのまねをして「次は?、?です。お忘れ物ないようにご注意下さい。右のドアが開きま?す」なんて、つぶやきながら歩いたり・・・。
今考えるとかなり怪しい子供に映ったでしょうね。(+坊ちゃん刈り+黒縁めがね)


だから、きっと早足なんです。

今日、ゆっくりと歩調を合わせて、お話をしながら、歩きました。

イエスさまもこんな風に私たちと歩んでくださるんだろうなあ、と思いながら・・・。

朝、聖書を読んだとき同じようなことを考えたのですが、
それはまた夜にでも・・・。

2006-08-22

信頼と冒険

今日も暑かったです。
でも、夜は涼しいです。
明日もそんな天気になりそうです。
天気予報がちょっと退屈です。

デビーちゃんが今日誕生。英語ではDebbyです。

熱帯性低気圧の名前です。

でも、今回もたぶん大丈夫です。
そんなに強くならない+陸地には近づかない。
未だ大西洋のアフリカよりのところにいます。


「都電」って知っていますか?
私はcity boyだったので、よく知っています。
今でもあるんですよね、一本だけ。

でも、私が小学校一年生の時までは、
たくさん走っていました。
少なくとも深川近辺は・・・。

幅の広い通りの真ん中に線路があって、
上に電線が走っていて、
黄色い一両の電車が走っていました。

そして、その線路は「車も走れる」だったんじゃないかな。
信号が赤だったら止まるんですよね。

大人になってサンディエゴに来た時に、
トロリーがそんな感じで印象に残っています。

都電は大人も子供も20円。

それに対して、都バスが大人30円、子供15円。
だから、大人1人、子供2人の場合は「どっちでも60円」だったんですね。
なんか、その記憶ははっきりあります。
弟が未だ幼稚園で無料。
母と兄弟3人乗るときには、「どっちにしようか?」って好きな方を選んでいたように記憶しています。
確か、ひと頃は都電と都バスの両方が走っていたような・・・。

小学校2年生の時、廃止されました。深川の都電。
東京全体ほとんど同時だったんじゃないかな。


渋滞が問題になったんだと思います。
でも絶対、バスより都電の方が好きでした。
あの道の真ん中に停留所があって、そこで乗る感覚が何か冒険しているみたいで
好きでした。
でも、母親、父親の「守り」の中での冒険だったんですね。

そう、信仰は冒険です。
今日読んだのはルカによる福音書1章。
その中で、ザカリヤと天使とのやりとりが心に留りました。

「どうしてそんなことがあるとわかるでしょうか?」
「あなたはわたしの言葉が成就するその時まで口がきけなくなる」

神さまが働いておられる「しるし」は、
時々、願っていないようなことの中に現われたりする。

ここでも、「そんなことがおこるなんてどうしてわかりますか」と言ったザカリヤに、
「わからないなら、しるしをあげよう。あなたが口がきけなくなるというしるし・・・」

でも、それはザカリヤにとって神さまの力を感じ、
神さまに信頼することを経験する時となったのではないだろうか?
口がきけるようになった時のザカリヤの様子から、そのことを感じる。
静かに、だまって、他に何もできない中で、
神さまと語ることに集中したのではないだろうか?

信頼することは、信じることは冒険。

私自身も恐れないでいたいと思う。
それが願っていない方向にむいていったとしても、
神さまが導いてくださるなら、大丈夫だ。
信頼して冒険しよう。

主よ、
あなたを信頼します。
あなたの御手に頼ります。
あなたの御手に守られて、冒険します。
どうか、あなたがすべてを守り導いてくださいますように。
恐れないで、あなたの最善を信じていけますように。

明日はNYです。
幸いな一日となりますように。

2006-08-21

石を動かす方

今日も「昼間は暑い」「夜は涼しい」という天気が続いています。
本当に助かります。
もう8月も下旬。
12年前にNJに初めて来たのも今頃でした。

夜の涼しさにびっくりしたものです。


早実優勝しましたね。
それもまた壮絶な試合で・・・。

「地元・国分寺では・・・」というニュースを見て、びっくり!

え、今、早実って国分寺なの?

HP見たら、2001年に移転したって。
そりゃ知らないよな。

今きれいですよね国分寺駅。
よく使っていた大学時代はきたなかったです。
階段とか狭くて、めちゃくちゃ混んでいました。


「オイルショック」ネタ以来、「昭和」がマイブームです。


今日は「カラー放送」を思い出していました。

我が家にカラーテレビが入ったのは中一の時。それはそれは感動しました。
ああ、こうゆう風に見えるんだ・・・と。
・・・友達には「僕が生まれた時に、記念にパパが買ったんだ」というヤツもおりました。
・・・小6の時、学校の先生が「カラーテレビの普及率」というのを調べるか何かで、
「まだカラーテレビのないって家のヤツ、手を上げろ!」と授業の中で聞きました。
私は周りを見回して、誰も手を挙げなかったので、挙げませんでした。
「先生、かきごおり君の家、未だありません!」と、ちくるヤツがいなかったのが救いです。
あとで聞いた話では、私と同じ気持ちだったのが何人かいたようです。


話はさかのぼって
幼稚園の頃ですが、
「魔法使いサリーちゃん」の
(確か・・・)左下に「カラー」という字が出ていました。
でも、どこが違うのか、わかりませんでした。(わかる訳がない・・・白黒テレビなんだから・・・)
すごい不思議でした。
・・・これ、画像がないかと、web上を一生懸命捜しましたが、まだ見つかりません。・・・



でもさ、やっぱ今でも不思議です。
カラーテレビで見ている人は、「言われなくたって、カラーだよ」って思うでしょうし、
白黒テレビで見ている人は、「だからどうした」ですよね。


うーん、何のためだったんでしょうね。

もしかしたら、白黒で見ていた人が、「ちくしょう、これカラー番組なんだ、うちもカラーで見てーなあ」と思うようにというテレビメーカーの陰謀販促だったのでしょうかね。


でも、知っていました?
サリーちゃんって、始まった時は白黒だったんだって。
途中でカラー番組になったそうです。


ま、何度も言うけど、そのころの我が家にとっては何の違いもなかったのですが・・・(ちょっとひがんでる?)


今日も、ここまでの話題と何のつながりもなく、新約聖書一日一章。
今日はマルコによる福音書16章を読みました。マルコによる福音書の最後です。

3節の言葉が心に留りました。

イエスの周りにいた何人かの女性達がイエスの墓に行きながら、
話していた内容。

それは・・・

「誰が墓の入り口から石を転がしてくれるか」

・・・でした。

この時代のこの地域の墓は、崖に横穴を掘って、そこに遺体を安置して、
入り口に石を置いておく、という形でした。

ですから、女達は「誰があの墓の入り口の大きな石をどかしてくれるだろうか」
と語り合っていたのです。
でも、その必要はありませんでした。

それはイエス自身が石を動かされる方だからです。

私たちがイエスのために何かをしよう、なんて思うのはおこがましいことです。

私たちがイエスに使って頂くのです。

イエス自身が御業をなさるのです。

主よ、
あなたの御力を信じます。
私があなたのために何かをする、そのように勘違いをします。
石を動かす人、あなたには必要はありません。
あなたが動かしてくださるのです。
あなたが私のために動かしてくださるのです。

主よ、
今日、山を動かしてください。
私の心の中にある山を動かしてください。
教会の一人一人の方々のうちにある山を動かしてください。

自分を取るか、人を取るか

今日は蒸し暑かったです。

12時過ぎていますので日付は21日になっていますが、
気持ちは20日です。

朝から蒸し暑くて、
午後も蒸し暑くて、
今も蒸し暑いです。
ちょっとさっきから外は涼しくなってきたかと思いますが、
まだ23度くらいあります。

今日はこの夏3回目の洗礼式。

7月最初の洗礼式も、

7月半ばの洗礼式も、

感慨深いものがありました。
感謝が溢れました。

そして、今日の洗礼式も・・・



・・・泣きました。



心からの感謝と感動の涙でした。



「見よ、古いものは過ぎ去った、すべてが新しくなったのである」

感謝。

朝9時から夜10時までの日曜日+明日は朝から牧師会。

でも、心地よい疲れです。


日本では朝7時から夜12時までの日曜日だったなあ、

日曜日の朝はグロンサン飲んでスタートしたなあ、

20代だったけど・・・と思い出しておりました。

まだまだ大丈夫。


昨日の日本の新聞の中から、びっくりした記事。

9歳以下の子供を対象にした調査で、

平均一人年間120回、総額43万円のプレゼントをもらっている・・・。

まじですかあ?

あり得ないでしょ。

43万円て、一日平均1200円くらい?

「がんばった」とかに対するご褒美も含むそうですし、
お菓子なんかも入れて、みたいですが、
それでもあり得ないでしょう。

平均でそうだって言うんですから、
多い子はどうなっているんでしょうか?

それも9歳以下の子ですよ・・・。


子供の頃、
家は、教会だったので、
クリスマスはお祝いしましたが、
サンタさんは来ませんでした。

それを疑問にも思ったことはありません。

でも、なぜか一番下の弟のところには来ました。
7つ違いなので、「ずるい」とも思いませんでしたが・・・。


そんな自分の経験から、

・・・うちの子達のところにも、サンタは来ません。

一番上の子が小さかった時には、
「サンタさんはね、お父さんやお母さんがプレゼントを買ってあげられないような、
そんな子達のところに行くんだよ。おまえのためにはお父さんやお母さんが買って上げられるからね。」
そんなことを言っていました。



でも、明日で5歳になる娘にはどう話すか・・・。

一番下の子だけにサンタが来た理由も、自分が親になって、ちょっとわかるような気がしてきました。


父「誕生日何が欲しい?」
娘「猫さんのフォルダー・・・」(1ドルくらいのもの)


・・・なんて経済的だかわいいんだ、とおもいました。(^^)/


今日はマルコによる福音書15章を読みました。
イエスの十字架の場面です。

31節のあざける人々の言葉が心に留りました。

「他人は救ったが、自分は救えない」

いや、自分は救えなかったのではなかった。


・・・自分を救わなかった。

なぜ?

・・・私を救うため。

イエスは選ばれた。
自分を救わないで、私たちを救うということを。

誰にも反論しないで・・・
「ふざけろ、おまえのためだ!」なんて言わないで・・・

私たちを救うことを選ばれた。

感謝。

主よ、
あなたに感謝します。
あなたが自分を救うことを選ばないで、
私を救うことを選んでくださったことを。

こんな悔しいことを言われても、
反論もなさらないで、
ただ、ご自分を与えられたことを。

何も言い返さないで、
ただただ、私たちを救おうとなさったことを。

何一つ恩着せがましいことを言わないで、
十字架にかかってくださったことを。

感謝します。

今日の一日を感謝します。

明日も祝福してください。