2006-11-25

夫によって妻によって

今朝は-0.7度C。
我ながら、正確な予想!と思いましたねえ。
で、昼間はそこそこ暖かかったです。
でも、夕方から冷えてきて、
今11時ですが、3.4度C。
明日の朝の最低気温は0度くらいでしょう。

昼間はもっと暖かくなるようです。

で、ここまで書いたところで、Firefoxがクラッシュしてしまって、
強制終了。

でも、このFirefoxのありがたいところ、
自動的に、強制終了したところから再開してくれます。

さすがに保存していなかった文章は消えてしまいましたが、
題名だけは残っていました。

少しずつでも保存しておくべきでしたね。
Internet Explorerよりも軽くて優秀。
細かいところは分かりませんが・・・。

今日はあっさりと一日一章に進んでいきましょう。
今日読んだのはコリント人への第1の手紙の7章。

難解なところです。
時代背景からか、パウロの世の終わりが近いという切迫感からか、
「結婚していない人は結婚しないままの方がいい」などという言葉まで出てきます。

そんな中で、心に留った言葉は、
「信者でない夫は妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められている」という14節の言葉です。

時々、「夫を置いてクリスチャンにはなれない」「妻と一緒じゃないと・・・」と洗礼を受けられるのをためらわれる方々もあります。でも、ここを読むと、たとえどちらかでも信仰をもつことはその家庭にとって祝福となるのだということがわかります。

そして、それはクリスチャン同士の夫婦でも言えるのではないでしょうか?
妻の存在が、夫の存在が、自分を支え、自分の信仰をサポートしていると。

だから、結婚している者たちにとって、
自分の信仰は自分のものだけではなくて、
相手のためのものでもあると。

そういえば、それは家族全体にも広げられるし、
もっと大きな社会全体にも広げられる。

自分の存在が、自分の信仰が、この社会にとって、神の祝福の流れ入るポイントになるんだと。

そのような存在とされていることを感謝すると共に、
身が引き締まるような思いがします。

神様、
どうか、あなたの豊かな祝福を、
私という存在を通して、私たちの夫婦に、
家庭に、そしてこの社会に流し込んで下さい。
そのような者とされていることを感謝します。
もっともっと豊かに流し込んで下さい。

2006-11-24

だまされてもいい

今日はほんとうに気持ちよく晴れて、
暖かい日になりました。
でも、穏やかに晴れた夜のですので、
けっこう冷え込むでしょう。
明日の朝の最低気温の予想はズバリ-1度C(かきごおり家の庭)。

でも昼間はまた暖かくなり、そのままずっとしばらく穏やかな日が続くみたいです。
たぶん、1週間くらい。ありがたいですね。

今日は夕方、成分献血に行ってきました。
5年前、9/11の時に、ラジオで「○○では献血を求めています」と近所の
血液センターの案内を流していたので、すぐに出かけてみると、
もう長蛇の列。
そこで車から降ろされることもなく、
名前と血液型だけ聞かれて、帰されました。

それから何ヶ月かに1回、
「また献血できますか?」
と電話がかかってきます。

春、花粉の季節は薬を飲むのでパス。
夏、JOYJOYの頃は、体力に自信がないのでパス。

ですから、今頃はいいんですね。

それでいつからか、「血がいいから、成分献血はどう?」と、
血小板の献血をしています。
日本にいる時から、血が濃くて、比重を測る液体に入れると、
すぐに「どぼーん」と沈むので、濃いのは分かっているのですが、
それがどうして成分献血に向いているのかは分かりません。
英語を誤解しているのかもしれません。

いずれにせよ、血小板を差し上げています。

でも、ちょっと「どうしようかな」と思うのが、
あの血が帰ってくる時の感触。
片腕献血なので、しばらく血が採られて、
血小板だけ集められて、また戻ってくるわけですが、
その血を戻す時に、何とも言えず「重ーい」感じがします。
そして、時々針がじょうずに入っていないと、
痛いです。
一回は完璧に静脈を外れていたようで、
パンパンに腫れて即刻中止。

今日もちょっとあれ?って場面もありましたが、
慣れている人が直して下さって、無事1時間半で終了。

プロモーションで、レストランのお食事券10ドル分頂きました。
時々プロモーションでいろんなものをくれます。
今までもらったのはぬいぐるみとホットドッグ。

今日はお仕事が休みの方が多かったのか、いろんな世代の人々が来ていましたが、
いつもは私のお休みの月曜日の朝に行っているので、
おじいちゃんやおばあちゃんがたくさんです。
すごい!と思います。
今日は車いすのおばあちゃんも献血に来られていました。
こんないい方、やっぱり自分が上に立って見ているのかもしれませんが、
あのおばあちゃんがやっているのなら、もっとがんばろう、と思いました。

いつか自分や家族、友人が人からもらうこともあるだろうし、
こんなモンが役に立つなら・・・ありがたいことです。

今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙6章を読みました。

「そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。」7節の言葉です。

教会の中で訴え合う人々に対してパウロが語った言葉です。

ほんとうにそうですよね。
負けるのは悔しいし、
誤解されっぱなしもイヤだと思います。

でも、訴え合うこと自体が敗北。
だまされていてもいいじゃないかと・・・。

出来るかな、と思います。
ほんとうに誤解されて、だまされて、ひどい目にあって、
それでもいい、と言えるだろうかと思います。

それでもいいと言えるほど、
神様から、「わたしは知っているからね」と言われるほど、
神様と共に、神様に近く歩んでいきたいと思いました。

神様、
私はまだ人に認められるとうれしい人間です。
人から誤解されたり、おとしめられたりすると、悔しく感じます。
どうか、あなたが私のことをどれほど大切に思って下さっているか、
どんなに誤解されているように感じる時にも、
あなたはわたしを知っていて下さることを確信できるように、
いつもいつもあなたと近く歩ませて下さい。

高慢にならないように

昨日は一日冷たい雨でした。
4度Cくらいで、「大雨」ではありませんでしたが、
結構降りました。
そして、今日はばっちり晴れています。
そして、ぽかぽかしています。
この先1週間くらい暖かいようです。
そのあと、冬になるみたいです。

アメリカで初めて迎えたThanksgivingのことを思い出します。
San Diegoの日系人協会のご婦人がお嬢さんとお二人で迎えるThanksgivingに、
私たち家族を招いてくださいました。まだ息子が1歳半くらいの時でした。
にぎやかなことは何もありませんでしたが、暖かな一時でした。

それから14年。
友人と2,3家族でお祝いしたり、
ひとりで暮らしておられる方々と過ごしたり、
誰かに招かれて、遊びに行ったり、
突然、当日に「何か物足りないなあ・・・」と集合をかけたり、
あと、教会の行事が入ったり。

なんでかわかりませんが、
かきごおり的には「家族水入らず」ってのが
ちょっと物足りないような気がして、
ここ何年か、「どなたでもどうぞ」スタンスでやっています。

付き合ってくださった皆さんに感謝しつつ。

昨日の聖書。
昨日はコリント人への第1の手紙の5章を読みました。

心に響いたと言うよりは、
ちょっと、引っかかった言葉。
「あなたがたの高慢は、よくないことです。
あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、
粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。」
6節の言葉です。

ちょっとしたこと、に見えることも、それを放っておくと、
全体にもものすごい影響があるということですよね。

重かったです。
自分の心の中のこともそうです。
本当に小さな思いでも、
自分の生活全体に影響を与えてしまうことがあります。

また教会のことでもそうです。
ちょっとしたことを見逃していると、
全体にも影響してしまうと・・・。

自分はあまりカリカリしたくない人間です。(みんなそうか?)
でも、本当に「これはまずい」と思うことは、
本当にはっきりとした態度をとらなければいけないことを、
そういうことを放っておくと、大変になるんだということを、
思わされました。

主よ、
私に勇気を与えてください。
大切な時にははっきりとした態度で、
対決をすることができるように。
自分に対しても、
また周りの人々に対しても・・・。
そして、一つ一つの問題が、
「放っておけない問題」なのかどうか、
見極める鋭さを与えてください。


2006-11-23

奇跡は起らず・・・

そう、今日の午後雨が上がるという奇跡は起りませんでした。
いや、反対に、さあ、作業を始めるぞ、という1時頃から本降りになって、
ずっと雨が降り続いていました。

最初は傘でやってたんですが、
「やっぱ、これはまずいよなあ」ということになって、
テントを引っ張り出してきて、
テントを張って、その下で揚げました。

ずっと雨でした。

たくさんの方々がおいで下さいました。
50人+かな。
JOYJOY関係の方々も何人か・・・。
初めてお会いするお父さん達も数名。

楽しい一時を過ごしました。
もっと遊びたかったなあ。

ということで、眠いので、
今日の更新はここまで。

また明日、一日一章と共にいろいろと・・・。

ではでは。

Happy Thanksgiving!

今日もここに来てくださった方々に、
神様の祝福がありますように!

また夜に更新します。

ののしられた時は・・・

今、一仕事終わって、ホッと一息。
でも、なぜかまだまだ元気なので、ここで更新。

今日は朝6時半頃出て、一日NY Cityでした。
NYの真ん中の図書館で勉強しながら、
時々、人にお会いしに出動。
電話がかかってきたり、かけたり。

まあ、図書館を簡易オフィスとして使わせて頂いております。
もちろん、無料。
コンピューターを持ち込めば、インターネット使い放題。

でも、重いのを持ち運ぶのが億劫になって、
最近は携帯一つです。

今日はとても不思議な気持ちがしました。
自分がNYのど真ん中で、
日本語を使う牧師のひとりとして、
そこにいること自体が。

もっともっと大きなフィールドがそこにあるような気がしています。

こんなことを書くと、教会の人たちは・・・「また仕事を増やす気か?」と思われるかもしれないので、
ほどほどにしておきますが、何かまたわくわく病になってしまったみたいです。

午後3時頃から雨がパラパラ降り出しました。
最初はNYでもちょっとsleet(あられ?みぞれ?)が混ざっていました。

で、今3度Cくらいで雨が降っています。
明日は、雨には止んで頂かないといけないのですが、
天気予報は絶望的な予報を出しています。

どうする?揚げTurkey。

「ガレージでやるんですか?」というメールを頂いたが、
ググってみると、「ガレージでやるのも危ない」「家を燃やしてしまった人もいる」
と出てくるんですよね。
ちゃんと見張っていれば、大丈夫だとは思うのですが・・・

でも、万が一、教会の財産、灰にしちゃったら、ヤバイですよね。
「何があったんですか?」って聞かれて、
「いやあ、ガレージでTurkey揚げてたら・・・」なんて言えないですよね。

まあ、おそらく傘をさして、外でやるのでしょう。

その前に、奇跡的に、昼頃雨が上がる、という奇跡を祈っていきましょう。

今日の聖書。
今日はコリント第1の手紙の4章を読みました。

心に留った言葉は、
「ののしられるときには、慰めのことばをかけます。」
13節の言葉です。

すげえ、の一言です。
マジすげえです。

ののしられた時に、自分だったらどうするでしょうか?
「泣く」「愚痴る」「避ける」「逃げる」「ののしり返す」・・・
でも、「慰めの言葉」は思いつかなかったです。
降参です。

その様な心境になるのはいつのことなのでしょうか?
「人を変えようと思わないで、分かろうとしなさい」
いつもいつも自分に言い聞かせている言葉です。

そういうことなのかな、と思いました。
「彼が私をののしらなければいけない精神状態にあるのはどうしてなんだろうか」
と相手のことを思う気持ちがあれば、「慰めの言葉」が出てくるのでしょうか?

いずれにせよ、「自分を守る」という必要がない人の言葉ですよね。
「自分を守る」ことをしなくても、大丈夫な、ゆとりのある人の言葉ですよね。

主から、いっぱい愛をもらって、主と共に歩んでいることを確信した時に、
出てくる言葉ですよね。

主に満たして頂きたいです。

主よ、
私にも、パウロのように言わせてください。
ののしられた時には、慰めの言葉をかけられるくらいに、
私の心を大きく大きく育ててください。
あなたの愛でいっぱいに満たし、
愛されている喜びで満たしてください。
人から認められること、愛されることばかり求めるのではなく、
あなたに愛されている喜びあふれて、
人をあいすることが出来ますように。
人を理解することが出来ますように。

2006-11-22

NY Day

でした。

肌寒い一日でした。
これからやることがあるので、
たぶん更新は夜中か、明日の朝。

ではでは。

2006-11-21

試された時に残るもの

今朝の気温は-1.5度C。
予想よりもちょっと冷え込みましたね。
また車のフロントガラスの霜もばっちり降りてました。

明日の朝はもうちょっと寒いかも・・・。
今、夜の10時で1度C。
たぶん、-3度くらいまで下がるのでは・・・。
明日の朝は早く起きてバスでNYに行くので、寒いのはゴメンしたいのですが・・・。

あと、今日の午後から、
天気予報が一斉にThanksgiving Dayの「風と雨」の予想を出し始めました。
えーって感じです。
思いっきり外れて欲しいです。

実はとてもうれしいことがありました。
今もこのページを見てくれているかもしれませんが、
24年前、大学入学した時の友人からメールが来ました。

大学入学の時、一緒にオリエンテーションを受けた仲間のひとり。
でも、その後、サークルも違えば、専門のゼミも違う、
いつの間にか疎遠になっていた友人でした。


その彼からの突然のメール。
「覚えていますか?」と。
もちろん、覚えていました。

教会に行ってみようかなあ、と思って、
私のことを思い出してくれて、
名前で検索したそうです。

そして、ニュージャージーに同じ名前の牧師がいることを突き止めて、
教会のサイトに行ったら、あの顔が出てきた、と、
メール下さったわけです。

うれしいですねえ。
インターネットのおかげ。
こうやってネット上の再会が出来るわけですから・・・。
彼の方も、ネット上に顔写真が露出されているので、
「あ、変わってないじゃん!」という感じでした。

あと、20年以上経って、
「あいつクリスチャンだったよなあ」と思い出してもらえたこと。
その時に、特に何もなくても、
後になってからでも、
その時の自分の存在が用いられた、ということ。
とてもうれしかったです。

その友人のご一家のためにお祈りしていきたいと思いました。

今日の聖書。
コリント第1の手紙3章を読みました。

「この火がその力で各人の働きの真価をためす」
との言葉が心に留りました。
これは13節です。

教会の土台はイエス・キリスト、それは何の問題もない。
他には土台となるものはない。

でも、その上に何をもって建物を建てるかが問題。
それが火の中を通る時に、その真価が問われるという。
調子のいい時、すべてが順調の時、環境が恵まれている時、
順調に成長する教会でも、
嵐が来る時に、耐えられる教会を形成しているだろうか?

嵐の中で、しっかりと立っていける教会を育てているだろうか?
闘いの中で、落ち込むようなこと起ってくる中で、苦しみながらも、
「助けてください!」と主に求める教会を、クリスチャンを育てているだろうか?

問われているように思った。

主よ、
恵まれている、私たちの状況を感謝します。
でも、ほんとうに嵐の中でも、火の中でも、
耐えうる教会を育てているでしょうか?
主よ、嵐の中に堅く立つ教会を育てさせてください。
逆風の中で、あなたを見上げ続ける者たちの教会としてください。
ホンモノの教会を建て上げて下さい。

2006-11-20

神の力によって

今朝の最低気温は1.3度C。
うーん、やっぱり予想よりも高かったですねえ。
もう少しでしたね。

でも、今日は昼間もずっと曇っていて、
気温は6度くらいまで上がったのですが、
体感的にはもっと寒く感じました。

今、夜の9時半で4度C。
最低気温の予想はズバリ-1度。
明日の朝、ガレージに入っていない車は霜に注意ですよ。
私も7時に教会ですから、ちょっと早めにでて霜がついてたら、
ガリガリしなければいけません。
湿度が結構低いので、余りたくさんつくことはないと思いますが・・・。

明日、あさって、と過ぎたら、もうThanksgiving Dayですね。
そして心はもうその翌日へ・・・。

一年で一番お店が本気で安売りをする日です。
日本でいうと、初売りの日かな。
今は1月2日になっているのでしょうか?
日本にいる時にはアイワールドとかで、
新年に、すごい特売の品がありましたよね。
そのノリです。

Black Fridayと呼ばれています。
初めに聞いた時には、「なんだそれ?」と思いました。
だって、株が暴落した日とかを
Black Monday(1987)、Black Thursday(1929)と呼ぶのに、
なんで、こんな買い物でごった返す日を、
Black Fridayと呼ぶのかなあと。

諸説あるようですが、まあ、「黒字」の金曜日という意味なんでしょう。
この日からクリスマスまでの間の売り上げが一年を決めるそうですから。

朝6時頃からお店が開いていたりします。
ほんとうに欲しいものがある時は、本気になる価値がある日ですよね。


今、欲しいものは・・・

うーんと・・・


教会堂。


朝早く並んだら安く買える、というモンでもないので、
朝早く目が覚めたら・・・

お祈りします。

サンクスギビングの日の新聞に広告が入ってきますが、
今ではこんなサイトもあります。

さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙2章です。

「そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。」4-5節

この言葉が心に留りました。
ひとりひとりの信仰が人間の知恵によって支えられているのではなく、
神の力によって支えられるために、聖霊様の働きを頂いていく、
その様な働きをしているだろうかと、思わされました。

自分の働きはどうだろうかと。

聖霊様に働いて頂いているだろうかと。

聖霊様に頼った、働きをしたいと思わされました。
プログラムを一生懸命考えることや、
人々の気をひくことを考えるよりも、
聖霊様を本気で求めた、神様の力を本気で求めた働きをしたいと思います。

そのためにもっともっと祈る時、
もっともっとみことばに聞く時、
自分には必要だと思いました。

神様、
どうか、私に触れてください。
私の心を、聖霊様によって満たし、
新しい力に満たして、用いてください。
人の知恵ではなく、あなたの力を土台とした
教会を建て上げさせて下さい。

2006-11-19

十字架につけられたキリスト

今日は、
ほんとうにたくさんの方々が教会の礼拝に来られました。
Thanksgivingの礼拝でした。
中高生以上だけで100人近く。
子ども達を入れると140人くらいかな。

それだけで元気をもらえます。

礼拝も元気に、そして、真剣に。

私たちが感謝すべきことの一番は、
やはり、「イエス・キリストを与えられたこと」。
そして、これは誰にでも与えられていることです。

あとのパーティーも盛りだくさん。
まあ、教会の皆さんも、芸達者な方々も多く、
自分を捨て切る方々も多く、
いつも脱帽させられます。

子ども達がまたたくさんというのもうれしいです。
JOYJOY Kids Clubの仲間も、
JOYJOY Campの仲間も、
今までにないくらいたくさん来てくれました。

神様、今日の一日のたくさんの方々との出会いをありがとうございます!

もっともっと真剣に、楽しく、また熱くメッセージを語る者でありたいと思います。

今朝の温度は5度。
「ブログの発表ほど寒くない!」と苦情を頂いておりますが、
まあ、暖かいのはいいじゃないですか?
暖房費も安く済むし・・・。
寒いかなあ、と思って厚着をした方には申し訳ありませんが・・・。
自分自身も必要以上にパッチを履いて、「暑いですねえ」と挨拶していますし。

今、夜の11時過ぎで、5.2度Cです。
ズバリ、明日の朝のParamusのかきごおり家の庭の温度は
(って、それが誰かの役に立つか?)
0度と読みました。
これは夜何時頃から晴れてくるか、で決まるのですが、
一日どんよりしてた空が、今ちょうど晴れつつあるからです。
晴れると、温度は下がります。
昼間は晴れると太陽の熱で温度が上がることが多いのですが、
夜は逆に晴れると温度が下がり、
曇っていると、ちょうど毛布を掛けて寝た時のように、熱がこもるのです。

ですから、これから晴れるので、どんどん温度が下がって、0度。
もしかしたら、氷点下に下がるかもしれません。

そして、今、かきごおり的に注目しているのが、
Thanksgiving Dayの天気。

火曜日くらいにカロライナ沖に低気圧が発生して、
北に上がってくるようです。
それがどれくらい陸地に近く上がってくるか、
どれくらいの速度で上がってくるかによって、
木曜日の天気がどうなるか、微妙なところです。

何で注目しているかというと、
Turkeyを揚げたいからです。
丸揚げ。
ここ4年くらいやっています。
いいのは1パウンドあたり3-4分なので、
手頃な大きさのを選ぶと40分くらいでできあがるからです。
あと、香ばしいかな。

問題は、そんな危ないこと、
外でしかできない。
寒い日はいや。
風の強い日も困る。
でも一番大変なのは、雨。
小雨で、傘をさしながらやったこともありますが、
油に水が入ったら、大騒ぎですからねえ。

今年は「室内用電気ターキーフライヤー」も出てきていますから、
そんなの買ったら、いいのかもしれませんが、
まあ、あれも、そんなこといいながら、外でやるのがいいわけで・・・。
雨にならないことだけを祈りつつ。

さて、長くなりましたが、
今日の聖書。

今日はコリント人への第1の手紙に入りました。1章です。
その中で、やはり心に留ったのはこの言葉でした。

「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」(22-23節)

十字架につけられたキリスト。
人々に語っているキリストではなく、
奇跡を行うキリストではなく、
復活のキリストでもなく、

「十字架のキリスト」を宣べ伝える。
あの十字架の敗北に見えるような、
惨めな、十字架のキリストを宣べ伝える。

そこには神の愛があふれているから。
それによって私たちが赦されたから。
そこまで私たちのことを愛してくださったから・・・。

「そこが分からないのです」という方もおられたりする。
だからといって避けないで、
大胆に語っていくことの大切さを思わされます。

いつもいつもバカの一つ覚えのように、
十字架にかけられたキリストを語り続ける、
そのような者であり続けたいと思います。

私たちのために、
神様はそこまでしてくださったのですから・・・。

主よ、
どうか、あなたの愛を語らせてください。
キリストの十字架をただただ、単純に語る者とならせてください。
他の気の利く話は出来なくてもいいです、
特別な人の気をひく話は下手でもいいです。
ただ、十字架の話をした時に、
それが人の心に伝わるような、説教者になりたいです。
どうか、その様な者にしてください。

福音によって立たせられる

朝の更新は無理でした。
時間に追われまくりました。

日曜日の夜です。
帰ったのは8時を過ぎておりまして、
10時を過ぎて落ち着いて、
さあ、かこうかなあーという感じです。

日曜日のことは後で書くとして、
とりあえず18日のこと。

やっぱり夜の流星群は見れませんでしたね。
12時頃に夜空を見上げてみましたが、
ばっちり曇っておりました。
そして、ちょっと検索してみても、
何か「見えた!」というのは余り見かけませんね。

次は12月半ばのふたご座流星群ですね。
寒そうですが、木の葉っぱが落ちて、
夜空が広く見えていますし、空気が澄んでいますし、
こちらは余り短い時間に集中するタイプではないようですので、
ちょっと屋根にでも登ってみようかなあ、なんて思っております。

土曜日はユース(中高生)の集まり。
20数人が集まって、楽しく過ごしました。
前半、メッセージをしましたが、
みんな一生懸命聞いてくれました。

彼らの成長は楽しみです。
大学で大体あっちこっちに別れていってしまうんだけれども、
それでも、彼らが教会にいてくれるのは大きな力ですし、
励ましです。

そして、必ずしも教会にその恩恵が返ってこなくてもいい、
実際多くの方々が日本に帰って行かれるわけですから、
中高生になっても教会に続けてくる子ばかりでもないのですが、
子ども達に、何度も何度も繰り返して、
教会って楽しいところだし、大切なメッセージが聞けるんだ、
ということを子ども達にも、お父さん、お母さんにも、
伝えていくことが使命だと思わされています。

で、昨日の聖書。
昨日はローマ人への手紙の16章を読みました。

その中で心に留ったのが、
昨日、ちょっと書いた、最後の言葉です。

「世々にわたって長い間隠されていたが、今や現されて、永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを堅く立たせることができる方・・・」(25-26節)

私たちが堅く立っていくことができるのは、
「神様の力」だし、
「今や現されて、あらゆる人々に知らされた奥義の啓示」だというのです。
それは、「福音」つまり、「あなたの罪のためにキリストが十字架で死なれた。信じる者は救われる」というメッセージです。

毎週毎週講壇に立っている身には、
「何か目新しいことを言わなければいけないのでは・・・」
という気持ちになることがあります。
でも、聖書は単純ですよね。
「この福音によって、私たちは堅く立たせられているのだ」というのです。

特別なことではない。
ただ、いつもいつもキリストの十字架を語ること、
十字架の救いを語ることを大切にしていきたいと思います。
ひとりひとりがそこに堅く立つことができるようにと祈りながら・・・。

神様、
福音を感謝します。
私自身、福音のすばらしさを経験することが出来たこと、
頭だけではなくて、心の奥底まで、それを経験することが出来たことに感謝します。
どうか、この福音をこれからも大胆に語り続けることのできる者でありますように。