2016-02-05

単純に信頼する。

昨日、予想していた雪。
昨日の午後の段階では、1−2センチだった予報が、夜には5−15センチになっていました。
わたしの予報をアメリカの海洋大気圏局が真似してきた感じです。

今回はバッチリあたってよく降りました。


今回はニンジャマンが計測してくれました。


湿った雪だったので、顔が埋もれてしまいました。
そして、ものさしもはっきり見えません。

近くに寄ってみましょう。


なかなかはっきり見えないのですが、
よく見ると、数字が上の方が小さくて、下の方が大きいです。

ダメじゃん。上下逆さまじゃん。

ということで、5-10センチくらいかな。(笑)



湿った雪は、ビショビショになるので、外に出るのはちょっと嫌ですが、
枝が白くなるので、中から見るのにはきれいです。

午後には随分融けてきていますが、ボストン方面は随分降っているみたいです。

次の雪の可能性は月曜日から火曜日。
これは予報が難しそうで、日曜日にならないと、はっきりしないみたいです。

さて、今日の聖書。
今日はルカ7:24−35

「あなたがたに言っておく。女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない。しかし、神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい。」28節。

これは、どんな意味なのか、とてもむずかしい言葉ですが、
「神の国」を「神の愛の支配」と言い換えると、
偉大な人物であるバプテスマのヨハネの人間としての立派さも、
神の愛の中に生きる者の祝福の前には、小さなことなんだということかと思います。

それほど、素晴らしいものをあなたがたは受けているのだよ、ということです。

この後には、人々に対して、単純にその神の恵みを受け取りなさい、と語っている文章が続きます。

神様から差し出されている愛の支配。
それを単純に信頼して、そこに飛び込むこと、それが祝福なんだな。

神様、
あんまり難しいことを考えないで、
単純に、本当に単純に、あなたの差し出してくださっている恵みを「ありがとうございます」と受け取ることができますように。


2016-02-04

つまずかない・・・。


さて、昨日は、今日の昼頃まで雨がすっかりはやまない、と申し上げたのですが、
見事に外れて、昼前にはすっかり上がっています。

これは今朝10時前の教会の裏の通りを東向きに坂道を下るように見たところ。



朝6時頃はまだ小雨が降っていて、「お、当たるか!?」と思ったのですが、すっかり上がりましたね。

今日は朝から10度C以上。本当に穏やかな日です。

でも、この後、夜遅くなってから雪。
明日の明け方まで、1−2センチ、と言われていますが、私は大胆に5-10センチを予想。


雨雲は一度東に抜けたのですが、この後西側に膨らみながら北に上がってきます。
西からは冷たい空気が入ってきますので、雨から雪に変わるというわけです。

さて、今日の聖書。
今日はルカ7:18-23

「わたしにつまずかない者は、さいわいである」23節


これは、イエスが救い主だと知っていたはずのバプテスマのヨハネが、
本当にイエスは救い主なのだろうかと、弟子たちを遣わして、イエスに聞かせた時に、イエスが言われたことば。

ヨハネはなんで不安になったのだろう?

イエスはなんでこんなことを言ったのだろう?

それは、やはり、イエスが人々が想像していた救い主とはかけ離れていたからだろう。

わたしも、神に対して、「あなたはこういう方ですよね」と自分の期待する姿を押し付けることがあるのではと思いました。

つまずくというのは、自分の考えている地面の状態と、違ったからですよね。
こうに違いない、という強い思い込みこそが、つまずきのもと。

そして、神様の思いがわたしの考えと違っても、単純に従っていく、そのようなやわらかさを持たせていただきたいと思いました。

かみさま、
わたしはつまずきます。よくつまずきます。思い込みが強いんですよね。
ですから、あなたに対して、もっとオープンな思いで、歩んでいくことができますように。

2016-02-03

勘違いしてないか。

水曜日の午後ですが、
今日は一日雨模様。
気温も高めで、12度Cくらいあります。

大雪の後、どちらかと言うと穏やかな日が続いて、
雪もほとんど融けて、残っているのは雪かきで積み上げたところ。



今日はこの後も雨が続きそうです。
今も、本降りですが、この後、雨が強くなりそうです。


これからレーダーで黄色くなっている発達した雨雲が、こちらに進んできます。

そして、この雨、しぶとく続きそうで、すっきり上がるのは明日の昼頃。
でも、その後、冷たい空気が入ってきて、明日の夜にはまた雪がふるかもしれません。

そして、注目は、来週の火曜日です。1週間先なので、日々予報は変わりますが、10−20センチの雪になるかもです。

さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書の7:11-17。

「主はこの婦人を見て深い同情を寄せられ、『泣かないでいなさい』と言われた。」13節。

深い同情を寄せられた。
これは「『はらわた』する」という意味の言葉。
人の痛みを自分の痛みとして感じる、という意味。
イエスはこの婦人の痛みをご覧になって、ご自分の痛みとされた。
居ても立ってもいられない思いだった。

イエスの存在自体が、神のみ思いを表している。
神は高いところから見下ろして、私達の闘いや痛みを「大変だなあ」と思っておられるのではない。ご自分の痛みとされている。飛び込んできて、私達と共に歩んでおられる。

「私のことをなんとも思わないのですか?」
こんなに苦しんでいるのに、なんとも思わないのですか?」
「私がどうなっても構わないのですか?」

弟子たちも、イエスの周りにいる人々も、何度も、イエスに訴えている。
嵐の中で、水が舟の中に入ってくる、パニック状態だった弟子たちも、自分一人が頑張って、妹は何もしないことに腹を立てた姉も、イエスに言った。なんとも思わないのですか?

とんでもない。イエスは人となって共に歩んでおられる。

イエス様、
私の痛みも、闘いもご存知でいてくださるからありがとうございます。
今日は、あなたが、遠いところから、私を批判的に見ておられるような錯覚を感じていました。あなたの語りかけに感謝します。あなたのことを誤解することがないように、守ってください。