2011-12-25

アドベント聖書日課12/25


おはようございます。

メリークリスマス!!!

「すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。」(ヨハネ1:9)


「まことの光」の背後にはいくつかの「まことの光ではないもの」の存在が前提になっています。

「光のように見えて光ではないもの」
「光なんだけれども、まことの光を反映するもの」
「まことの光へと導いていく光」

世の中にはまことの光の存在を見えなくする偽りの光もあります。クリスマスがこのように世界中で祝われる中で、どれほどたくさんの「これがあなたの心を満たすよ」と誘惑してくるものがあるでしょうか?そして、それによって本当の光が見えなくなっていることがどれほどあるでしょうか?
まことの光を反映するものもたくさんあります。クリスマスのお祝いの中で本当にたくさんのことがそれに入るでしょう。プレゼント、キャンドルライト、ツリーや飾り、家族や仲間たちとのひととき、楽しい雰囲気。でも、それで満足してしまったら、それはまたまことの光との出会いを邪魔してしまうのかもしれません。

それらのものがすべて取り去られても残るもの。それがあなたのクリスマスの中にあるでしょうか?

イエスはあなたのために神様からのプレゼントとして送られてきました。
それは神様を指し示す、神様の道を教える以上に、自分が道となる、自分が十字架の上でわたしたちの罪の身代わりになる、という救い主でした。神様がどこまでもわたしたちとともに行ってくださる。今まで自分は神様に見捨てられている、と思っていた人々が、そうではなくて、神の情熱によって招かれている、ということをあらわすために来られました。

そのかみさまのプレゼントを受け取って、歩み始めましょう。

今日のクリスマスが多くの皆さんにとってBC(Before Christ 紀元前・・・キリスト以前)からAD(anno Domini 紀元後・・・主の年)に変わる時となりますように!

皆さんはこの一週間、この毎朝のメールはいかがでしたか?
私はだんだんこの朝のメールが楽しみになっていきました。
み言葉によって与えられた喜びや示されたことを分かち合う、それは主にある喜びの一つです。

レスポンスを下さった皆さんには心から感謝します。
でも、私に対するレスポンス以上に、お一人一人が神様のみ言葉によって支えられて歩まれることが一番の喜びです。

今日で、しばらくこの毎日の朝のメールはお休みになりますが、
次の機会を楽しみにしています。
まだ決めてはいないのですが、受難週あたりはどうかなと思っています。

今日あちらこちらの教会で洗礼式がありました。
多くの方々がクリスチャンとして歩み始められました。
その中の何人かの方々との出会いが与えられていたことに心から感謝しています。

8月のトロントの修養会、
そして、9月の日本訪問で初めてお会いした方々の洗礼式もありました。

「まく者も刈る者も、共々に喜ぶためである。そこで、『ひとりがまき、ひとりが刈る』ということわざが、ほんとうのこととなる。」ヨハネ4:36-37

この御言葉が本当だなと思わされています。
もっともっと種まきをさせていただきたい、もっともっと刈り取りに関わらせていただきたい、そのように思います。

感謝しつつ。